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企画三題噺「黒い髪の長い少女、初恋、ピアス」

ゆびさし

お題:黒い髪の長い少女 初恋 ピアス

中村


最早使用頻度最低値を唯々更新する為だけに使われている、固有のメイルフォルダが、数か月ぶりにカタカタと音を立てた。久方の通信であるというのに、彼女の言葉はいつも通りに、いつも以上の単純明快さを誇って、従順に僕を彼女の家へと向かわせる。


彼女は数年前も数か月前もそうであったように、僕を扉の中に招き入れ、つまり、僕自身に扉を開けさせることはついに一度もなかった。


「おはよ」

昼を随分とすぎていると言うのに、彼女は挨拶という礼儀を、ただの儀礼としてしか取り扱わない。僕の方を見る事も無く、ソファに足を放り出す。靴下の皺についた埃を神経質そうに掃い乍、彼女は靴下を除き、其の儘の肢体を曝け出していく。僕はただ、それを眺めるでも、僻めるでもなく、彼女の黒く織られた髪を、食べるように眺めているだけだった。

陽光が大した意志もなく、部屋を光で埋め尽くす。身勝手に影を増大し、僕らのコントラストを強めるばかり。

そうやって充満した空気のような幸福に、僕はただ降伏して、ぬかるみに浸るだけの充満を貪っていた。僕と彼女は、別にどんな関係になる事もなく、どんな関係を成す事もなく、こうして、同じ空気の間に居て、彼女の二酸化炭素を僕が少し吸い込んで、僕の肺が少し苦しくなって。

そんなことも忘れて。その繰り返しを繰り返し、僕らは僕らとして在った。


 彼女は僕の都合や事情を顧みることなく、ただ、用件だけを告げる。

「耳に穴を開けたいんだ」

やり方が分からないから、一緒に調べて、穴開けてくんない?

一纏めに言葉を包み、それで必要事項は伝えたとでも言わんばかりに、それ以上口を開くこともせず、 いつも通りの沈黙と静寂が訪れる。

彼女が何故ピアスをつけたくなったのか。彼女が何故己の身体に穴を開けようと思ったのか。そんなことは一度も語る事は無い。


僕は、彼女が所持するコンピュータのパスワードを熟知していた。というより、本人から直接教えられていた。よって、林檎印の白い箱から、ブラウザにアクセスをし、情報羅列の海を彷徨うことも、其処から必要な情報を攫い出すことも、用意されたように容易いものだった。

曰く。

穴を開ける行為は、確かに簡単で、僕のような若輩者でも、彼女の代替物として、針を刺す事は出来るようだ。


僕は、何度かのイメージトレーニングを終えたその後に、最早当初の目的を忘れて、ファミリーコンピュータを弄り始めた彼女に声をかける。彼女は茸を食べ損ねただの、亀の甲羅がどうのこうのだの、雑多な戯言を繰り出すが、総てを掌底一つで粉砕した。

嘘じみた泪の色が、透明より薄く透けて、途端に乾く。彼女とのその小競り合いは、そもそもただの馴れ合いで、意味などはそもそもに無い。


幾らかの説明を重ねた後、彼女は、一つ頷いて、

「はい、どうぞ」

といとも簡単な様で、僕に頭部の体重を預けた。

髪の組織が、僕の指先を撫ぜ、俗々とした背徳が背中を駆け巡る。

彼女の頭の自重が、僕の腕に支えを求めて、無意識に彼女は瞳を閉じているようだった。

 彼女の耳朶はクウラ―混じりの汗の臭いに湿りながら、少しだけ身震いをする。やはり、考えるまでもなく、彼女自身だって、己の身体に異物が入る事は、十二分に恐ろしく、充分に悍ましいのだろう。

「本当にやりますか?」

思わず口を突いて出た言葉は、僕にとって、何らの意味もなしていなかった。そして、間違いなく、彼女にとっても。

 彼女は、何を今更、とでも言うかのように、ただし少しだけ、眼球の間中の黒を揺らしながら、僕を見た。彼女の目は、彼女の目の価値を持って、口と同様に物を語り、口以上に物を騙る。

 針先がちらちらと点滅し、何を今更、とでも言うかのように、僕の掌を小さく、何度かの攻撃を繰り返す。

 彼女と彼女の所有物が、揺らぐことが無いのだから、僕が何を戸惑う必要があろうか。

 それでも彼女は決めたのだ。 誰かの為に。もしくは何かの為に。彼女の身体に、どうしようもない一縷の欠落を創ることを。

 僕は、これまで脳内で辿った通りの手順で、手に握り直した銀色を彼女の肌に突き刺していく。彼女の声が一つ響いて、しばらくと数秒の後に、赤がどくどくと溢れてくる。

思っていたよりも、突き刺した針は、容易く、彼女の前面から後面を貫いた。

純粋とは程遠い掠れ掠れの白色ティッシュペイパを、彼女と、彼女の身体に新しく生まれた空洞にあてがう。僕はただ彼女に少しでも血がつくことの無いように、彼女に少しでも早く穴が染みていくように、それだけを願いながら、僕は彼女に突き刺さった無機質な遺物を引き抜く。


「はい、ありがと」

まだかなりの出血が予想されていたが、彼女はそれでも平然と、いつも通りの笑顔のような無顔で、僕に炭酸飲料のペットボトルを手渡す。適当に注いだカップの中で、サイダーの泡子が無味無意味に溶けていく。

 彼女は僕が果たした仕事の出来に、一定の満足はしているようで、それ以上に、穴を開けた後の鈍くのしかかる痛みが、彼女の思考を緩緩と鈍らせているようだった。

あ。そうだ。と、彼女は僕の名前を呼び、ちょっと話があるんだけれどもさ、と意味を深めるだけの前置きをして、

「もう、しばらく遊ぶことないや」

彼女は笑顔のまま、坦坦と、当然のように、そんな言葉を告げた。

事情は何一つ語らないまま、ただ必要事項なのだと。当然のことなのだと、そんな呈で僕に、小さい別れを告げた。

 僕は、ああ、そう。と、一言だけを返して、それ以降は、彼女の部屋の少女漫画を読み漁るだけに時間を費やし、彼女は、携帯で何かしらと、誰かしらと交信を更新し続けていく。

 出会いがいつだったのかも、分からないのだから、別れが何時だったのかも分からないのかもしれない。それは当然かも知れない。

 ただ、僕は彼女の黒い髪をもう一度だけ眺め、日の光に糸織が透いていく有り様をただ目にとどめる。

 彼女の耳はまだ朱を垂れ流していく。

 陽光が大した意志もなく、部屋を光で埋め尽くす。身勝手に影を増大し、僕らのコントラストを強めるばかり。 ただ、僕らの関係が、明快な二項概念で語れるばかりのものだった事を証明するばかり。


「あ、今日はありがと」

それじゃ、と続けて、彼女は扉を閉める。 扉を開けることも、扉を閉めることも、彼女自身の役目で、他の誰のものでもなかった。

 おざなりな謝辞に、お決まりの答えを返して、それとほぼ同時に彼女は戸を閉めた。外界と彼女の隔たりの真前に息を吹きかけて、僕は少しだけ苦笑いをする。

街灯の陽が、空とコンクリートを彩る時間が始まってすぐ、僕はその道の中に足跡を残しながら、彼女の世界を後にしていく。

ふと、気付いて、手の中に留めておいた針を取り出す。

 針の赤は最早黒になってしまっていて、それでも、彼女を貫いたその証としては十分なものだった。

その黒は、誰の想いを重ねるのか、何の想いを重ねるのか、僕にはよく分からないし、予想もつかない。

きっと、僕が考える総てが正解で、同じくらい外れだったのだろう。

再び深呼吸して、彼女のいない前の世界に、空気を許し始めていく。足は焦る訳でも、名残惜しむわけもなく、ただ、撫ぜるように、路を進む。


これまでも、これからも、

何度も何かを好きになり、何度も誰かを好きになり、

けれど、僕にとって、 初めての終わらない恋は、

彼女だけなのだ。


きっと。

多分。




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