第三話 「月明かりの下で」
お待たせしました。
厨二エンチャ、第三話です
しばらくして戻ってきた彼は、小さな布の袋と、小脇に抱えるくらいの大きさの『樽』を持ってきた。
「こいつがハンカチの分の金だ。
俺から見て、お前にこれだけ払ってもこっちに十分な釣りがくる。
これなら満足だろう」
彼のそれまでの行動とは違い、放り投げられるのではなく、丁寧に手渡しされた布の袋を、俺は一瞬取り落しそうになった。
想像の数倍重たかったのだ。
ずしりと重たいその袋を空けると、五百円玉を二枚重ねた程度の大きさと分厚さの、金貨が大量に入っていた。
その一枚を摘み出し、目の前に掲げてみた。
「純度だけが売りの、ギィ皇帝貨だ。
デザインは、そんなに評判が良くないが、純度と信頼性に関しては大陸トップクラスの完成度だ」
「金貨ですか……」
現代社会で生きてきた俺にとって、貨幣や高価ではなく、本当の意味での金を見たのはこれが初めてだった。
創作の世界のみで見た金のインゴットや延べ棒、つまり金そのものだ。
原子番号七十九番――金。
単体で産出されるが故に、宝飾品として使用された最古の金属である。
銀や銅と共に貨幣用金属の一つであり、貨幣(金貨)として使用され、流通してきた金属だ。
歴史上、最も価値のある金属とされ、純粋、価値、特権階級の象徴としてもとらえられてきた。
それは現代の地球でも変わらず、金本位制として通貨の基準とされている。
現代では数字や紙幣、貨幣を主に『カネ』と呼んで売買を行うが、実際に水面下で動いているのは、今なお金そのものだ。
それが、目の前にある。
オリンピックの金メダリストが壇上でそうするように、カチリと、金貨を噛んでみた。
その行為自体は、金そのものが通貨として流通していた時代の、金の純度を確かめるための行為の名残だそうだ。
金が純粋であるほど歯形が付きやすく、他の物質が混ざっていればいるほど、歯形が付きにくくなる。
「……変な事をするんだな。歯形が付いちまうぞ」
「儀式みたいなものです……感動したもので」
「そんな大層な服を着ていながら、金貨に触るのは初めてってか。
本当に面白いな、お前さんは」
何と言われようと、感動は感動なのだ。
エレクトロニクスの分野に携わる身として、金を工業的に利用こそしてきたものの、それを、金自体をカネとして動かすことになろうとは。
金はその価値から、宝飾品や貨幣としてしか利用されないわけではない。
むしろ、その逆だ。
電気抵抗の小ささ、延性の高さからは、コンピュータなどの回路、電子部品のワイヤ・ボンディングに。
高い導電性と腐食に対する強い耐性から、電子部品の伝導体やコネクタの部品として。
歯科の治療に用いる歯冠に。
放射性同位体は癌の抑制治療に。
生物学分野における、走査型電子顕微鏡で用いる生物のコーティング材として。
可視光、非可視光ともによく反射することから、人工衛星の保護剤として。
フルートをはじめとした管楽器などの材質に。
そして何より、金を作り出そうとした過去の科学者の努力と成果が、今日の科学の基礎となっているのだから。
「……金とは、偉大だ――ッ!」
思わず感極まった俺は、場所も、目の前にいるボールドの事も忘れて、友人たちといるときの、日本に居た時のテンションで、そう締めくくった。
「俺には、よく分からんよ」
呆れたように、ボールドが嘆息した。
◇
目を覚ましたのがまだ日も上っていない頃で、川に足をつけていたのが夜明け頃。
ボールドと話しているうちに大体、二、三時間が経ったか。
そのあと朝食をとり、この世界についての大まかな説明、村への挨拶回り、その他もろもろ。
んでもって、もう深夜。
日の出とともに一日が始まり、日の入りとともに一日が終わる。
明かりのないこの世界では、遅くとも午後八時くらいには寝ているのが普通だ。
とはいえ、俺はつい数日前までは地球に居て、文明の利器の恩恵を、存分に享受していた身だ。
地球での俺の平均就寝時間は二時過ぎ。
遅すぎると言われるかもしれないが、そこまでしても、やりたいことをするのに時間は足りなかったのだ。
つまり、何が言いたいのかと言うと、眠れないのだ。
いや、もちろん、今日一日で異世界に来たという事実に興奮しているというのもあるのだろうが。
腕時計の表示は、二十三時。
体感時間とほぼ大差ない。
大学の進学祝いに父に買ってもらった、耐久性と精度だけが売りの腕時計は、異世界にいる今でも今まで通りに時を刻み続けていた。
電波の受信は無い。アンテナのアイコンは一本も立っていない。
目が覚めたのが夜明けの事だったから、意識を失っていた間はさておき、この世界に来たのは(身体ではなく認識では)十八時間ほど前になる。
(この世界の一日が地球と同じ二十四時間であるという確証は、まだ無い)
そう、俺がここにきてから、(意識がある時間では)一日程度しかたっていないのだが。
もはやここが異世界であるという事実に、俺は納得してしまっていた。
ボールドから金を渡されて少ししてから。
たしか、腕時計は九時を指していた時の事だ。
◇
「じゃあ、そろそろ朝食にするか」
ボールドはソファから腰を上げ、ソフランに朝食を作るように言った。
「メニューはいつも通りで?」
「ああ、そうしてくれ」
「サトシ様は、何をお食べになりますか?」
「僕はお願いをする立場ですから。簡単に作れるもので構いません」
「かしこまりました」
ソフランは目を伏せ、軽くお辞儀をした。
礼儀作法と言うのはどこへ行っても大体そうと解るものなのかもしれない。
彼女は「では準備に取り掛かります」と宣言すると、キッチンの奥の方に向き、人差し指を上に向け、クイクイと動かした。
ええと、なんて言えばいいのか……。
アクションものの映画でよく見る「かかってこい」のアレである。
すると、これまたどう表現すればいいのか……。
ソフランの指先がぼう、と光った。
一部の人にだけよーく分かる言い方で言うと、『メガネユーザーがメガネを外して見た、夜の街灯』である。
何とも言えない発光現象が彼女の指先で起き、その光が強くなり――
……何かが、キッチンの奥から飛んできた。
ウサギ(っぽい動物)だった。
ボールドが朝に狩ってきて、帰るなりキッチンにブン投げられた、あのウサギである。
宙を舞ってばかりのウサギに不憫さを感じる事が出来たのは、予想外の出来事に思考が追い付いてなかったからに違いない。
飛んできたウサギをキャッチしたソフランは、台に寝かせたウサギを指さして、一言。
「×××××」
途端に、先程の「かかってこい」と同じように指先がぼう、と光り、その光が次第に強くなり――
……指の先から炎が出た。
手の形こそチャッカマンの様ではあるが、その炎の勢いはその比にならない。
指先から放出される、ペットボトル大の大きさの炎によって、ウサギが瞬く間にこんがり色に焼けて行った。
魔法。
そう、魔法である。
いよいよここが地球でないことを認めざるを得まい。
科学万歳。それが俺の居た地球だ。
俺自身は科学の方が好きだったから、魔法なんて「ご都合主義だなあ」くらいにしか思っていなかったが、なるほど、こうして見てみれば便利なものだ。
道理で、科学が発達しないわけだ。
とはいえ、ファンタジー小説やその手の漫画、ライトノベルは腐るほど読んだ身だ。
(地球的解釈の)魔法に対しててんで知識が無い訳でもない。
物語上、魔法を主軸に構えるかである程度変わっていくが、
・魔法が超能力的なものとして扱われているもの
・魔法とは言え、れっきとした理論と仕組みがあるもの
があったように思う。
さて、この世界の魔法とやらはどんなものか。
「ボールドさん。……あれ、魔法ですか?」
左手の手の平の上に鍋を乗せ、右手で箸を持ちスクランブルエッグらしきものを作るソフラン。
赤く輝くその左手は、さながらIHクッキングヒーターのようだ。
ゴッ○フィンガーと言ってはいけない。
「おう、もちろん。
……もしかして、見るのは初めてなのか?」
「はい。残念ながら」
さも当然と言った風に答えたボールドは、俺の返答に目を丸くした。
◇
眠れないのなら、無理に眠る必要はない。
そう思い立って、布団(素材と肌触りが良くない事に文句は言わない)を押しのけ、適当にスニーカーをつっかけた。
ボールドとソフランを起こさないように、忍び足で玄関へ向かう。
とはいえ、やはりハンターか。
「……どうした、坊主。眠れねえのか」
彼の感覚は騙せないようだ。
可能な限り音は立てていないつもりだったのだが、彼には気づかれてしまった。
窓から差し込む月明かりに照らされて、ボールドの赤茶けた髪も、その隣で寝息を立てているソフランの水色の髪も、青白く見える。
「ええ、眠れないので。
……すこし、風にあたってきます」
「そうか。森には近づくんじゃねえぞ」
そういうと、ボールドは寝返りを打って再び眠りについた。
ボールドには構わず、しかし、柔らかな表情で眠るソフランを起こさないために、静かに引き戸を開けて、外に出た。
冷たい夜風が頬を撫でる。
東京の様に夜の街の明かりがある訳ではないけれど。
それでも、この世界には二つの『月』があった。
地球のそれよりも少し小ぶりなものが、二つ。
(特に驚くことではない。この惑星には衛星が二つあるという、ただそれだけの事である。
本当にここが地球ではないのだと思い知らされた瞬間でもあったが)
都会に住んでいる人は意外に思うだろうが、月明かりの光量と言うのは、日の光に勝るとも劣らない程だ。
考えてみれば当然だが、鏡ほどに反射するわけではないとは言え、太陽の光を反射しているのだ。
明るくないはずが無い。
満月の日には、一瞬今が昼なのではないのかと言うほどに明るかったりする。
ソースは俺だ。
田舎のばあちゃんの家で過ごした年末。
満月でこそなかったものの、紅白歌合戦のクライマックスを見て、年越しそばを食べた後、ばあちゃんに手を引かれて(いやいや)向かった初詣。
視界一面に広がる、整然と切り株が並ぶ灰色の田んぼ。
割れたアスファルトが補修されないまま放置され、コールタールが染み出した道路は、俺とばあちゃんのだけの歩行者天国。
青白く照らされた雪が、ところどころに残っていた。
涼しい夜だった。
玄関を出たとき、一瞬昼なのかと思った。
夕方に居眠りしすぎて起きたら深夜だった時みたいに、自分の主観と腹時計のズレが猛烈な勢いで修正されていくのを自覚した。
視界は全面が青白い光に照らされていた。
思わず上を見て、ようやく自分の腹時計は間違いではなく、今はやはり夜なのだと、気づいた。
世界には自分一人しかいないのかと思うほどに、ただっぴろい田んぼとそれを貫く直線道路。
それは、そんな俺を見下ろすように、静かにあった。
頭上に一つ、月があった。
「――馬鹿馬鹿しい」
頭上の二つの月を見て、思わずそう呟く。
ちょうど今が、あの日みたいだっただけだ。
似ていただけだ。
何をノスタルジックになってんだか。
「……馬鹿だな」
もう一度呟いて、川の方へと向かった。
湿った草を踏みつけつつ、それでいて歩調は軽く。
緩い風がレノア婆さんからもらった麻の服をはためかせた。
軋みながら回り続ける水車の陰から、足音を隠すこともなく、ひょいっと川へ出ると、
先客がいた。
「来たかえ」
「……レノアおばあさん、ですか」
川べりに腰かけて、俺が明け方にそうしていたように、川面をみつめるレノア婆さんの背中があった。
丸めた小さな背中の上を、夜風に吹かれて、短い銀の髪が踊っていた。
「おばあさんも、散歩ですか」
タイムリーと言うか、間の悪い事だと、そう思った。
どうにも、あの大晦日のばあちゃんと歩いた道路を思い出してしまう。
レノア婆さんは答えない。
水車の軋む音だけがしばらく鳴っていた。
やがてレノア婆さんのしゃがれ声が、ゆっくりと、紡がれる。
「あたしゃあ、あんたがここへ来るって、分かっとうたよ」
風が凪いだ。
「分かっていた……んですか?」
思わず、そう聞き返してしまった。
「そうさ。あたしには分かっとうたよ」
読心……?
この世界の魔法というものはそんなことまでできるのか。
昼間に挨拶に行ったときには優しそうに見えたレノア婆さんが、今では薄気味悪く思えてきた。
が、そんな俺をよそに、レノア婆さんはのんびりと答えた。
「予感じゃよ。
このくらいの歳になると、こうなるかもしれん、思うた事が大抵当たりよる」
数十年間生きてきた中での、膨大なデータの集大成と言うべきか。
本人が意識しないレベルで、『今日と似ていたいつか』をもとに『今日もそうなるかもしれない』と思ったりする、という事なのだろうか。
多分、悪い予感とかと同レベルでの話だろう。
「お前さんに、いくつか忠告をしに来たんじゃて」
忠告。
何とも悪い予感のする言葉、と言うより、ネガティブではない忠告は無いのだが。
「……聞きます。聞かせてください」
だとするなら、ここで聞いておかなければ後々困るに違いない。
魔法まで存在する世界なのだ。
地球とは根本から勝手が違うだろう。
「そうかえ、聞くかえ」
そうするのがいい、そうした方がいい、と、頷きながら、レノア婆さんはさらりと言った。
「一つ目に、お前さん。今晩中に、ここを出なされ」
未だ冒険に出ず
はい、分かってます
そろそろ出さないと本格的にアカンって
しかし、
多少端折ってでも先に進めてしまうか
しっかり地盤を固めるべきか
悩みどころです