第01話 「魔の証明」(改訂版)
2013/01/20
大幅改稿
ほぼ全文が新規です
設定も大分変わってます
――記憶喪失の類は、治癒魔法でもどうしようもありませんし――。
「……はぁ?」
魔法。魔法と言ったか、この少女。
本気で言っているのか?
「え? もしかして皇都で記憶喪失の治癒魔法が開発されたんですか!」
世紀の大発明! そんな感じの反応だ。
ちょうど、医学生に「がんの完全な治療法が確立された」と伝えたら、多分こんな感じになるんじゃないだろうか。
「え?」
勝手に世紀の大発明に喜色満面な少女に、話題から完全に置いていかれたまま、とりあえずもう一度疑問を返す。
「え?」
案の定、少女は自分の驚きが勘違いだったと知って、胸で小さくガッツポーズをしたまま、微妙な表情になった。
なんだこれ。なんだこれ。
俺はどんな世界に迷い込んだって言うんだ。
この少女は今、本気だったぞ。
『魔法がある』って前提の上で、『記憶喪失の治癒魔法』と言う新技術(おそらく反応を見るにそうなのだろう)に喜んでいた。
この少女、どうも先進的科学技術を『魔法』と揶揄しているわけでもないようだ。
『進みすぎた科学は、魔法と見分けがつかない』と言う言葉があるが、この子が言ってるのはファンタジー的な魔法の事だろう。
科学技術を魔法と揶揄することの一例として、技術者が科学的な発明品に、ファンタジーをモチーフにした名称などをつけることが結構あったりする。
例を挙げるなら、商品名に『MAGIC』という単語が付くものだろう。
それは科学的な仕組みによって、高度に自動化されていたり、機械化されているために、単純に使う側から見れば(もちろん現代人はそれを科学技術によるものだと分かって使っているわけだが)魔法のように見えてしまうことから来ている。
昔のコンピューターもそのご多聞に漏れない。
イギリスの国立コンピューティング博物館にある、1951年に作られた、現存し稼動する最古のデジタルコンピューター「Harwell Dekatron」。
1951年に原子力研究施設での数値計算のため作られた、重さ2.5トンと言う巨体を持つコンピューターだ。
その性能は、複雑な方程式も、機械式の計算機を使う数学者二人に相当するスピードで、見事に解くことができた程だと言う。
ディスプレイなど当時は存在せず、入出力はパンチカードによるものだ。また、当時は存在しなかったトランジスタの変わりに、ガスが充填された約八百個のデカトロン計数管がメモリとして用いられている。
さて、そのコンピューターであるが、当初の開発目的通り、開発から六年の間はイギリスのハーウェルにあった原子力研究施設で、数値計算(初期の原子力発電所の設計)に用いられている。
その後、近くにあった現ウォルヴァーハンプトン大学に譲渡され、コンピューターサイエンス教育の教材として数十年にわたり使用された訳だが、そこでつけられた名前が面白いのだ。
それが、魔女を意味する「WITCH」だ。
Wolverhampton Instrument for Teaching Computing from Harwell(ハーウェル出身、ウォルヴァーハンプトン大学のコンピューティング教育用装置) の略称であるのだが、わざわざ「魔女」としたところに学生達の茶目っ気を感じる。
話を戻そう。
どうもこの少女、本気で魔法が存在すると思っているようだ。
とりあえず、ちゃんと確認しておくべきだろう。
「魔法――と言ったか?」
「はい」
まるで「このパソコンって電気で動いてるんだよな」と聞かれた現代人が返すような、一切の疑問が無い――と言うよりむしろ「なんでそんな事聞くんだお前、当たり前だろ」というニュアンスの返事だ。
「魔法が、あるんだな?」
「もちろん、そうです」
「じゃあやってみてくれ。火でも水でもなんでも良い。魔法無しじゃ出来ない事を」
「では火を」
そう言うが早いか、少女がパッと手を開くとそこには既に火があった。
マジシャンがステッキの先を花に変える様な、鮮やかな手際だった。
終わった。
本当に終わった。
袖に隠した火炎放射器やライターがどうのこうのではない。
火は間違いなく彼女の手のひらの真ん中から中空に浮かんでるし、何より彼女は七分丈の袖だ。
終わった。
俺の科学はどこかに逝ってしまった。
今この瞬間、工学一筋で、いっそ科学信仰と呼んでもいいくらいに科学に絶対の信頼を置いていた俺の常識は、実在した魔法によって吹き飛ばされてしまったのだ。
「魔法と言うのは……例えか何かか?」
「え、いや……魔法は魔法です、よ……」
たかだか火を出すくらい(と言う顔を少女はしている)で目を丸くする俺に、むしろ少女の方が驚いている。
それでも根っから科学の虫な俺の脳は、今目の前で起きた現象を何とか科学的な手段で説明しようとするが、どう回っても「ありえない」の解にしか行き着かない。
「……魔法か。ここ、どこだったっけ?」
「ええと――ギィ皇国南部、ショーク王国との国境沿いに広がっている、ティープの森、その入り口のスタト村です」
「ああいや、違う。質問が悪かったな。ここは地球か?」
「地の球……ですか」
「いや、もういい」
この子がそれはもうすばらしい手品の才能を持っていたとして、少なくとも、この少女から引き出せる情報はもう無いだろう。
あとは当たり障りの無い会話で、適当に情報を探るか。
あくまで話半分で、だが。
「――この国、ギィ皇国だったか。て事はやはり、皇帝が治めているのか?」
「はい。アタック・ネオ・フレグランス皇帝陛下の治められている国で、この大陸においてトップクラスの軍事力を保有している工業国でございます」
「日本、アメリカ、イギリス、中国――これらの国名に聞き覚えは?」
「いえ、一切存じません。私は一介の奴隷ですので、そのあたりはご主人様の方が詳しいかと思います」
「……君は奴隷なのか」
「はい。六年ほど前から、ご主人様の奴隷として働いております」
なんの淀みも無い即答。
驚いた。
仮に、本当にここがギィ皇国とやらだったとして、ここには奴隷制度がまだ残っているのか。
この子の受け答えからして、奴隷制度はごくごく一般的なものなのだろう。
古代ローマなどと同じく、さまざまな身分のうちの一つとして「奴隷」が存在しているかもしれない。
多分、これに関しては嘘じゃない。
と言うより、嘘や冗談であってほしくない。
何が哀しくて「私、奴隷です!」と宣言する美少女が居ようか。
性癖とか、そういう話ならまた別かもしれないが、そういうイレギュラーな要素は仮定から廃しておくべきだ。
まあ、言われてみれば彼女の格好は奴隷といえないことも無い。
今でこそ二次元美少女における萌え要素として記号化されている(もちろん日本のごく一部の人間の間で、だ)エプロンドレス――いわゆるメイド服は、装飾こそされているものの実際は普通の服だ。
ロシアでは伝統的な子供服とされているし、かの『不思議の国のアリス』の挿絵に描かれた主人公アリスの衣装も、典型的なエプロンドレスだ。
つまり何が言いたいかと言うと、この少女が来ているエプロンドレスは俺の妄想が具現化したものじゃなくて、場所が場所なられっきとした普通の服の一つだ、と言うことだ。
それに、七分丈は水場で仕事をするのに都合がいいじゃないか。
しかし、服といえば、この少女はナイロン製の安いカッターシャツを見ただけで『相当に位の高い貴族の』と言った。
もしかすると、と言うより、このギィ皇国には化学繊維とか、そういった物が無いのかもしれない。
「主人はいつ頃帰ってくるんだ?」
「おそらく、午前の狩りが終わって帰ってくるのが、もう少しだと思います」
と口で答えこそしたものの、少女の表情は微妙だ。
その表情から察するに、俺は不審者か、あるいは記憶喪失でもしていると認識されているんだろう。
そんな人物を主人に引き合わせていいものか――そんな感じだ。
当然といえば当然ではある。
逆の立場に立って考えてみろ。
俺をここに連れてくるまでの経緯はともかく、起きるなりわけのわからない言葉を連発するんだ。おかしいと思われても仕方がない。
百歩譲ってこの世界が本当に魔法の存在する世界とするなら、おかしいことを言っているのは俺のほうなのだから。
まあ、そうならばなおさらここに長く居るわけには行かない。
ここの主人に話を聞くにしても、すぐ出れるように準備しておくべきだろう。
「俺は、この服以外に何か持っていたか?」
「はい。鞄と小物が幾つか。お持ちしましょうか?」
「頼む」
リビングルームと思われる部屋の奥に引っ込んで行った少女の背中を見ながら、とりあえず今の状況を整理した。
起きたら自分の家ではない。
どうやら地球ではないらしい。
その割りに、英語で会話が出来る。
ギィ皇国という国で、奴隷制度が現役で残っている。
極め付けに、魔法というものが存在する世界ときた。
「勘弁してくれ……」
やってらんねぇ、そういって全部投げ出せたらどれだけ楽なことか。
しかし頬をつねっても帰ってくるのは現実的な痛みばかり。
やけくそ気味にネクタイを引っ張って緩め、第一ボタンをあけた所でふと、大事なことに気づいた。
「そういえば俺は何でスーツで寝てたんだ?」
目が覚めた時には、起きたのだから朝で自室だろうと思ったのだが。
おそらくスーツを着ている理由こそが、俺がこんな状況に陥っている原因を解く鍵になるはずだ。
普段めったに着ない――冠婚葬祭以外に着る機会があっただろうか――スーツを着て、俺は何をしていたのか。
俺は何をしていたんだ。
……思い出せない。
好きなこと以外への記憶力は皆無といってもいい。
昨晩の晩御飯なんて覚える必要が無いなら、日をまたいだ時点で十中八九忘れている。
だからといって、前日の行動を忘れるほどじゃない。
日記や予定表をつけるようなマメな性格でもない。
気分でやりたい事をする性格だ。
興味本位で買った能率手帳は何も書き込まれないまま、裏表紙のカレンダーも何も役目を果たす事無く、次の年がやってくる。
「せめて、日付でも……」
こうなるともはや最後に地球にいた日から何日たってるのかすらわからない。
ポケットを探るといつも通り――右ポケットに携帯、左ポケットにキーケース、右の尻ポケットに財布、左の尻ポケットにハンカチ――まったくいつも通りの配置だ。
これらの道具がこの配置ということは、俺は少なくとも外出していたということになる。
俺はこういう習慣だけは絶対に変えない、こればっかりは絶対だ。
「鍵は――」
全てそろっている。
自転車のキーや車のキーが無いのなら、それに乗っていたことになるのだが。
「ということは外出、それも徒歩か。いや……目的地に着いて降りたってことも考えられるのか」
なぞは深まるばかりだ。
自他共にずぼらと認める俺が、スーツを着ていくような場所が思い浮かばない。
「となると、携帯だけが頼りか」
外出中は普通きらないものだが、なぜかシャットダウンされているスマートフォンを眺め、ため息をついた。
電源ボタンを長押しして、電源をオンにする。
するとリビングルームから少女が、見覚えのあるカバンを持って帰ってきた。
「お持ちしました。こちらになります」
手渡されるカバンを見て、思わずうなり声が上がる。
「よりにもよってこのカバンか」
これはいよいよもって、俺は何か重要な事をしていたらしい。
これは勝負カバン――というよりは『非常事態用』のカバンだ。
シンプルイズベストがモットーの俺が、非常事態において自分が社会的に、個人的に必要になりそうなものを全て最小に収める――という、冗談半分で作ったカバン。
もともとは大震災のニュースを見て、そういうときのための備えとして作ったものだ。
友人に特注で仕立ててもらったカバンは大量のポケットを持ち、ボストンバックよりも一回り小さいくらいのサイズながらも、随所に収納への執着ともいうべき、圧巻の工夫が見て取れる。
強めの素材で作られ、防水や防塵まで備えたカバン。
友人も冗談半分でカバンとしてはオーバースペックとでも言うべき耐久性を持たせたのだ。
財布、キャッシュカード、パスポート、サバイバルナイフ、筆箱、携帯の予備バッテリー、オイルライター、携帯用工具類一式、手回し充電器、など――。
普段はあけておいてある、パソコンが入るためのスペース(そのパソコンは常用しているから、作ってクローゼットの中に放置していたこのカバンに入れておくわけには行かなかったからだ)は、当然のように埋まっていた。
手の中で、愛機――傷だらけのノートパソコンが、傷からマットブラック塗装の下の金属光沢を見せながら、無言で鎮座していた。
あいにく、下着類や非常食は入っていない。
それらは市販の防災セットが入ったカバンを別に用意していたため、こっちに入れる必要は無かったからだ。
「よりにもよって、このカバンを持ち出したのか、俺は」
市販の防災セットを一緒に持ってないということは、少なくとも、災害なんかが起こったわけではないようだ。
スーツの時点でわかってはいた事だが。
これは警戒レベルを最大クラスまで上げておいたほうが良いかもしれない。
これは尋常な事じゃない。
「何か、至らぬことでも……」
カバンを受け取るや否や、黙り込んでしまった俺を、少女が不審そうに覗き込む。
「いや、大丈夫だ。しばらく一人にして貰えるか」
「畏まりました。ご主人様がお帰りになり次第、お知らせいたします」
「ああ、すまない」
少女が部屋から出て行き、木製のドアが閉じられる。
ベッドルームと思しき部屋に一人。
「これは本当にやばいかも知れない」
地球じゃない。
それだけでもう既に緊急事態のレベルはマックスに達しているが、カバンからすると、自分はこの事態に巻き込まれる前もしくは直前から、自分が巻き込まれるだろう事態が本当にやばいことを知っていたということになる。
このカバンを、冗談半分のカバンを持ち出すほどの事態。
これだけの準備をしてなお、避けられなかった異常事態。
「頼むぞ、これだけが情報源なんだ」
俺は、まだこんなわけも解らないところでくたばる訳にはいかないんだ。
まだまだ地球で、仲間たちとやりたいことは腐るほどあったんだ。
大学に合格してからこっち、子供のころからやりたかった夢に没頭しつづけてきた。
高校時代の全てを勉強に掛け、やっとの思いで合格した工業大学。
バイトで稼いだ金も、月の生活費の分以上の金額になれば、溢れた部分は全てそれに回した。
恋人も作らず、寝る間も惜しんで、それでも数人のかけがえのない友人たちと、ただ夢に向かって動き続けた。
若いのだから、エネルギーなど無尽蔵に湧き続けていた。
ロボット。ただ、俺はロボットを、自らの手で作りたかったんだ。
幼いころ――まだ幼稚園にすら上がってない頃に、親にロボットアニメを見せられた。
日本を代表する、ロボットアニメの金字塔。
その魅力に、俺は、恋に落ちた。
自分でロボットを作って、乗ってみたい。
俺はただ、それだけのために動き続けることを止めない。
「帰ってやる、俺は帰るぞ、地球に、日本に」
少女の前では布団の中に隠していたスマートフォンを取り出す。
起動が完了したスマートフォンは、ロック画面を表示したまま、俺の操作を静かに待っていた。
流れるように指が動き、自己満足でしかない、二十桁を超えるパスワードが入力される。
なんか、かっこいいだろ。理由はそれだけだった。
「……嘘だろ、おいおい、止めてくれよ」
思わず声が漏れた。
一度画面から目を離し、もう一度覗き込む……変わらない、何も変わらない。
『現在の時刻と日付を設定して下さい』
非情な初期設定メッセージが、現実となって俺に突き付けられた。
右上のアンテナアイコンには、大きくバツ印がつけられている。
圏外。
俺にはどこか、そのバツ印は、自分のかつて居た世界に付けられたキルマークの様にも見えた。