一目惚れした王子の話
入学式の準備が整って、なんとなく一人になりたいと向かった先は桜の木がある中庭だった。
四方を建物に囲まれたその中央に枝垂桜は聳え立っている。
光が見え隠れする姿は幻想的で、こんな場所があったのかと思わず足を止めた。
偶然突風が桜を襲い、幾つもの花弁が紙吹雪のように辺りに舞った。
桜をつけた枝が大きく揺れて、先程まで見えなかった幹が姿を現す。
そこでようやく木の側に人がいることに気がついた。
風に靡かせて乱れた桜色の髪。
不意に目が合ったその瞳は黄金のように輝いていた。
一瞬、ほんの一瞬だけ桜の妖精が現れたのかとらしくない考えが浮かび、軽く首を振る。
僕に気がついてペコリと頭を下げた少女は真新しい制服を身に纏っていた。
「君は、新入生かな?」
すぐにその正体に見当がついた僕はゆっくりと近づきながら問いかけた。
もしかしたら道に迷ってここまで来たのかもしれない。
それならば上級生として会場まで送り届ける義務がある。
そう考えて、あと数歩程になるまで距離を詰めた。
「はい。入学式まで時間があるので少し探検をしていました。」
可愛らしい鈴の音を鳴らした少女は少し照れたように髪を耳にかけながらはにかんだ。
「そっか。……良ければ学内を案内しようか?」
口にした後、自分でも驚いて笑顔のまま固まってしまう。
僕は、今なんて……
変に思われてないかと少女を見ると、大きな瞳がさらに大きく開かれていた。
「ごめん、今のは……」
「良いんですか!?」
少女と言葉が重なる。
その瞳はキラキラと輝いていて、不審に思われていないことに安堵の息を吐いた。
「あっ、無理にとは言いませんが……」
「いや、是非案内させて欲しい。」
この機会を逃したくない。直感的にそう思った。
気持ちの表れか食い気味になってしまい、しまったと伺うように少女に視線を向けると嬉しそうに顔を綻ばせている姿が目に入る。
その可愛らしい姿に頬が緩んだ。
「その前に自己紹介しないとね。私はオーエン・ウィルソン。君の名前は?」
“らしくない”
少女に会ってからずっとだ。
偽名を名乗ったのも、自主的に関わろうとしたのもそうだ。
“王太子”としてではなく、僕自身を見て欲しい。
僕を知って欲しい。
何事に関しても無関心な僕がここまで貪欲になるなんて、正直驚いている。
だけど、この感情に名前を付けてしまってはいけない気がして、今は興味のまま流されることにした。
「初めまして、私はリリーと言います。」
「……家名は?」
「名乗ることを許されていなくて……」
辿々しい礼でリリーと名乗った少女。
彼女は僕の質問に悲しそうに眉を下げた。
この学園には貴族しか通うことが許されていない。
しかも、貴族として血が流れている者は絶対に通わないといけないというおまけ付き。
“名乗ることを許されていない”ということは、婚外子で仕方なく親に入れられた可能性が高い。
礼儀作法からしても、そこまで身分のある出ではないのだろう。
“王子”と“家名を名乗ることさえ許されない少女”。
ふむと顔に手を当てて考える素振りを見せる。
これだけ身分差があるのなら、普通は関わり合うことすらないはずだ。
それでも、出会ってしまった。
「それは言いづらいことを聞いてしまったね。申し訳ない。」
「いえ、そんな……お気になさらないで下さい。」
困ったように手を振る姿はとても愛らしい。
貴族のご令嬢なら笑みの中に鋭い光を浮かべていただろう。
もしくは失礼なことを聞いたと罵るか。
どのみち弱みを見せることは良しとされないので、いかに相手より優位に立つかの腹の探り合いが始まる。
それとは違った新鮮な反応に心がくすぐられたのは事実だ。
「……レディ、貴方をエスコートする光栄に預かれますか?」
畏まって手を差し出せば、彼女は頬を赤く染めた。
でも、僕自身に照れているというよりはこういう動作に恥ずかしさを感じたようだった。
僕の地位と顔に寄ってくるご令嬢は少なくない。
自分で言うのも何だが、国王を除けば一番高い身分で顔立ちも悪くない。
ともなれば、アプローチしない方が損だろう。
「えっと、よろしくお願いします。」
おずおずと手を重ねられ、自然と笑みが溢れた。
エスコート慣れしていないのも、可愛いな。
……本当、自分でも制御不能なこの気持ちがもどかしい。
作り笑いじゃない笑顔。
これを女性に向けたのはいつぶりだろうか。
「行きたいところはある?」
「図書館を見たいです!」
元気よく答える彼女にクスッと笑うと、恥ずかしそうに目を逸らされた。
その表情に悪戯心に火がつきそうになるのをすんでのところで抑えて笑顔の裏に隠す。
「そんなに行きたかったんだ?」
「うぅ、はい。珍しい本があると聞いたので……」
「うん、きっと見たこともない本が沢山あると思うよ。」
「楽しみにしておいて。」そう付け加えて笑顔を浮かべると、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。
表情がよく変わるので、見ていて飽きないなと思いながら図書館へと足を向ける。
「ここだよ。……期待に添えられたかな?」
「はい!初めて見る本がいっぱいあります!」
わぁと感嘆を漏らしてキョロキョロと館内を見回す彼女に自然と目が引かれる。
今は入学式の直前なのでもちろんのこと人はいない。つまり、貸切状態だ。
本来なら入れないが、少し無理を通してもらった。
そこまでして彼女に図書館を見せたかったのかと問われれば否とは答えられないだろう。
まあ、目の前の笑顔を見られただけでその甲斐があったと思ってしまうのだから、僕も大概だ。
ずらっと本が並ぶ本棚を目で追う彼女が視線を僅かに止めた。
……が、すぐに視線を進め始める。まるで誤魔化すようなその動作に僕は止まった先に何があるのだろうかと好奇心から題名をなぞった。
“歴史を変えた薬”
背表紙にはそう書かれてあった。
「薬学に、興味があるの?」
口を衝いて出たのはそんな言葉だった。
彼女の瞳が見開かれたのを見て、笑顔のまま冷や汗を流す。
余計なことを詮索してしまったかもしれない。
「バレちゃいました?」
ニコッと悪戯が成功した子供のように笑う彼女は怒っているわけではなさそうだ。
ただ不意の言葉だったから驚いただけのようだった。
「おっしゃる通り私は趣味で薬草の研究をしています。でも、研究職は男性のイメージが強いから、人には言わないようにしてるんです。だからウィルソン先輩も内緒にしてもらえませんか?」
コテンと首を傾げて人差し指を口の前に持ってきた彼女に頷いて見せると、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「確かに男性が研究を行っているイメージはあるね。」
共感の言葉を口にすると、「そうなんです!」と勢いよく僕の方を向いた。
その方針を決める立場にある者としては曖昧な笑顔を浮かべる他ない。
「あっ、別に文句を言いたいわけではないんです。ただ性別で就職先が決まってしまうのは勿体無いなって思っただけで……ってあれ、これって文句になってます?」
慌てて否定しようとしたようだが、上手くいかず最後には不安そうに聞いてきた彼女に笑みが溢れた。
「大丈夫だよ。それは立派な意見で文句ではないと思う。」
クスクスと笑いながら答えると、彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。
「……でも、“勿体無い”、か。確かにその通りだね。」
肯定されるとは思っていなかったのか驚いている彼女を横目で見ながら、性別で決まってしまう現状に思いを馳せた。
「能力で判断されるべきだと、私も思っているよ。……まあ、それが難しいのが世の中だけどね。」
牽引者としては耳が痛い話だ。
これでも尽力してきたつもりだったが、まだまだ反映されていないようだと改めてわかった。
もっと策を講じるべきかな。
「……どうかした?」
これからの案を考えていると、視線を感じて彼女の方を見る。すると、目があった。
「ウィルソン先輩は、柔軟な考えをお持ちなんだなって。」
「そう、かな?」
「はい。男性がやって当たり前だって言われるのがオチだと思ってましたから。」
そんなことはないと言い切れないのが歯痒い。
困ったように笑顔を返すと、彼女はふっと真面目な表情を浮かべた。
「だから私、嬉しいんです。ウィルソン先輩みたいな人がいてくれて。」
くるっと彼女が回るとスカートと髪が舞う。
まるでそこに一輪の花が咲いたような光景に思わず見惚れてしまった。
胸が、高鳴った。
「オーエン、で良いよ。私も君のことを名前で呼ぶんだから。」
彼女のことをもっと知りたい。
彼女に近づきたい。
ドクンドクンと心臓が音を立てる速度が速くなる。
「はい!オーエン先輩。」
……あぁ、彼女が呼ぶ名前が“本当の”名前だったらどれほど良かったか。
少し残念に思ってしまったのも、仕方がないと見逃して欲しい。
こんな衝動は初めての感覚だったのだから。
だから、
「リリー、日曜日は空いてる?」
無意識のうちに“次”を望んでしまったのは、きっと不可抗力だ。
* * *
待ち合わせの二十分前。
懐中時計で時刻を確認して、蓋を閉じると金属でできた側面に僕の情けない顔が映し出された。
それを見て、彼女を誘った時のことを思い出す。
「日曜日ですか?」
目をパチクリとさせた彼女は不思議そうに僕の言葉を繰り返した。
今週の日曜日。
その日に平民達の一大イベントである春祭りが行われる。
国を継ぐ者として一度見ておく必要があると判断した僕は、そこを訪れる予定だった。
「うん。春祭りがあるのは知っているよね?平民の祭りに興味があって行こうと思ってるんだけど、一人だと目立つから。」
「そういうことでしたら是非ご一緒させてください。私も一度行ってみたいって思ってたんです!」
あくまでついでに誘ったと匂わせれば、彼女は快く頷いてくれた。
断られるのが怖くてあんな誘い方をするなんて我ながら情けないな、と壁にもたれかかって後悔していると視界の端で駆け寄ってくる人影が目に入った。
「オーエン先輩、お待たせしましたか?」
「いや、私も今来た所だよ。」
はぁはぁと息を切らせながら近づいてきた彼女は僕の姿を見つけて走ってきてくれたようだった。
不安そうに見つめる彼女にニコリと微笑みかけると安心したのかふにゃっと笑う。
「かわいい」
思ったことがそのまま言葉に出てしまって、何を言っているんだと口元を手で覆う。
「ありがとうございます。このワンピース、私も一目惚れしたんですよ。」
裾を少し持ち上げてふわっとスカートを揺らす彼女は自分に向けられた言葉だとは思っていないようだった。
彼女自身に向けた言葉だと告げて真っ赤になる顔も見てみたいが、今はこの笑顔を曇らせたくないと思って敢えて指摘しないでおく。
「うん、凄く似合っているよ。」
淡い水色のワンピースは桃色の彼女の髪を映させている。
よく笑顔が花に例えられるが、彼女は存在自体が花のようだ。
水色の儚げな雰囲気の今日はシンテリといったところだろうか。
「先輩も、その服とても似合ってます。」
今日はお忍びの貴族をテーマにいつもよりも質素な服装をしている。
それが似合っているのは少し複雑な気もするが、彼女から褒められて悪い気はしなかった。
「ありがとう。じゃ、行こうか。」
手を差し出すと、そっと白い手が重ねられた。
やり切った!と言いたげな表情に少し意地悪をしてみたくなる。
「今度はちゃんとエスコートさせてくれるんだね。」
「か、揶揄わないで下さい!この前だってわかってはいたんです。でも先輩のあまりにも自然な動きに驚いてしまって……」
しどろもどろに弁解をする彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。
白い頬にチークのような鮮やかさがプラスされて、より一層魅力的に見せる。
そんな彼女は周りの視線をこれでもかと言うほど集めていた。
男は綺麗な花に群がる生き物だということは頭ではわかっている。
それでも、彼女を独占して僕の目だけに触れる場所に置きたいという欲が出てきてしまう。
まあ、実際に行動に起こす気はないのだけれど。
少なくとも今彼女の側に居ることを許されているのは僕なのだと、周りに知らしめるように手を握る。
すると彼女の頬がさらに赤みを増した。
「どうかした?」
目を丸くして僕と手を交互に見つめる彼女に何食わぬ顔で問いかける。
普通なら添えるだけの手。それを繋いだのだから、彼女の反応は当然だ。
だけど堂々とした僕の態度に不思議そうに首を傾げた後で、「何でもないです」と言ってから前を向いた。
エスコートされるのに慣れていないようだったからもしかしたらと思ったけど、やっぱり突っ込まないんだ。
また揶揄われるとでも思ったのか、これが当たり前だと自分を納得させたのかはわからないが、あっさりと受け入れられて少し罪悪感を覚える。
いや、それだけではない。
もしも他の人にも同じようなことをしたら……。
そう考えるだけで腹の底から黒い感情が湧き出てくる。
ちゃんと教えてあげないと。
わかっているのに、このままでいたいという気持ちが邪魔をする。
……後でも良いか。
結局そう結論づけて街並みにはしゃぐ彼女に視線を向けたのだった。
「オーエン先輩、見てください!綿菓子があります!」
春祭り。
由来は豊作を願うことだが、現在では花祭りと言われるほど花で彩られる祭りだ。
もちろん屋台も多く出店しているので広場はいつにも増して賑わっている。
彼女は僕の手を少し引いて、目当ての品物に指を指す。
ふわふわとしたお菓子は彼女にとても似合っているなと持っている姿を想像する。
うん、絶対かわいい。
「買おうか」と即決した僕達は屋台へと足を進めた。
「すみません、綿菓子一つ下さい。」
彼女が屋台の男性に声をかけると、明らかに仏頂面が崩れたのがわかった。
「お、嬢ちゃん別嬪さんだね。おまけで大きくしちゃうよ!」
「わぁ、ありがとうございます!」
ザラメを入れながらニコニコと話す店主。
彼女はその言葉に無邪気な笑顔を返した。
僕だけに向けられる笑顔じゃないことは初めからわかっていた。
当たり前だ。彼女は嬉しければ笑って恥ずかしかったら照れて。感情をそのまま表に出す人なのだから。
それを独り占めしたいなんて、ただの我儘でしかない。
「リリー」
気がつけば彼女の名前を呼んでいた。
顔は笑顔を保っていたけど、声には少しの冷たさが宿る。
ねぇ、僕を見て。
なんて子供じみた感情だろうか。
「おっと、彼氏連れだったか。こりゃ悪いことをしたな。」
店主は彼女にではなく僕に綿菓子を渡してくれる。
どうやら気を遣われたようだった。
「二百円だ。」
言われた通りの金額を手に乗せると、ニヤニヤとした笑みを向けられる。
「お嬢ちゃん、良い護衛を持ったな。」
揶揄うような言葉に彼女はボッと頬を染めた。
「な、何言ってるんですか!そんなんじゃありませんから!」
僕の背中を押すように慌てて店主から遠ざけた彼女は、少し離れた場所まで行くと止まってくれた。
「すみません、急かしてしまって。」
「いいよ。それよりさっきの……」
「あーっ!そうですよ!先輩、どうしてお金払っちゃうんですか。自分の食べ物くらい自分で払います!」
先程の“護衛”という言葉の意味は表面的なものではないのだろう。
そう推測して聞こうとすると、僕の言葉に何かを思い出したのか彼女が声を重ねた。
「付き合ってもらってるんだし、これくらい奢らせてよ。」
笑顔でそう言うと大抵の人は引き下がってくれる。
だけど、彼女は違うようだった。
頬に空気を入れて、不満を体現している。
「ダメです!『お金の切れ目は縁の切れ目』って言うぐらいなんですよ。金銭面はどんな間柄でもきっちりしないといけないんです。」
『お金の切れ目は縁の切れ目』、か。
金銭的な繋がりで成り立っている関係はお金に左右されるという意味の言葉だったはずだ。
彼女はそうはなりたくないと言ってくれているのだろう。
深い意味を込めていないことくらいわかっている。
それでも、無利益でも“僕”との関係を続けたいとも取れるその言葉に、頬が緩みそうになるのを必死に抑える。
やはり、彼女は他の人とは違う。
金に物を言わせる人とは違って、人との関わりを大切にする人なんだ。
「わかった。それじゃあ、受け取っておくね。」
差し出された二枚の硬貨を受け取ると彼女は満足したのかふふっと嬉しそうに笑った。
その笑顔が堪らなく愛おしくて、ほぼ無意識のうちに手を伸ばしていた。
僕と彼女の顔が近づく。
不思議そうな顔をした彼女は何をされそうになっているのかわかっていないようで、全く警戒心がない。
「……花びら、付いてたよ。」
グッと感情を押し殺して微笑む。
「わ、ありがとうございます。」
そんな僕に彼女はまた笑顔を浮かべた。
とても純粋で真っ直ぐな笑顔。
それが愛おしいと感じるのと同時に、とても憎らしいと思ってしまった。
もう少し野心を持ってよ。
貴族に取り入ってのし上がってやろうって。
家族を見返してやろうって。
そしたらもっとやりやすいのに。
こんなに悩むことなんてせずに喜んで騙されてあげるのに。
「オーエン先輩、どうしたんですか?もしかして、体調がよくないとかですか?」
黙り込んでしまった僕を心配そうに覗く金色の瞳には曇りなんてなく、とても綺麗な色をしている。
「大丈夫、少し考え事をしていただけだよ。」
笑って誤魔化すと、彼女は眉を寄せた。
「先輩がそうおっしゃるなら無理に聞くことはしません。ですが、その言葉が嘘だってことくらい流石にわかりますよ?」
本当、どうしてこういうことだけ鋭いのだろうか。
恋愛方面には疎いのに、それ以外の感情には聡く、今欲しい言葉をくれる。
そんな女性は存在するのだろうか。
まるで誰かが意図的に作り上げたような完璧さに少しだけ違和感を覚える。
……まさか、ね。
こんな綻びを見つけて自制するくらい、僕は恐れているのかもしれない。
このまま彼女に溺れてしまうことを。
「……君には、敵わないな。」
独り言のように呟いた言葉は彼女に届くことはなかった。
高らかなラッパの音が辺りに鳴り響いたからだ。
その音を合図に大量の花びらが舞い落ちる。
上を見ると建物の屋上から花を降らせている人達が目に入った。
まるで雨のように降り注ぐ色とりどりのそれに、皆が足を止めて空を見上げる。
「綺麗ですね、先輩。」
花吹雪をバックに微笑む彼女は息を呑むのほど美しかった。
「あぁ、そうだね。」
本当、信じられないほど綺麗だ。
今までに見たどんな煌びやかな宝石よりも、場内に飾られたどんな高級品よりも、ずっと輝いて見える。
あまりの眩しさに目を細めると、彼女は僕の手を引いて駆け出した。
「オーエン先輩。中央はもっと凄いらしいですよ!行ってみましょう!」
ぐいぐいと引っ張る彼女に連れられて、噴水のある開けた場所に着く。
そこでは花びらだけでなく、キラキラと光る何かが舞っていた。
手を伸ばして触れると、その発行体は空中で姿を消してしまう。
「……これは、魔法?」
驚いて問いかけると、彼女は笑ってから頷いた。
「はい。貴族の方がボランティアでやっているそうですよ。」
魔法は貴族しか使うことができない。
魔法が使えることは貴族である印のようなものだ。
それが、貴族の血が流れた者が学園に通わなければならない理由だったりする。
貴族としての誇りと魔法の扱い方を学園で学ぶ。
貴族として生きる者の義務だった。
……知らなかった。
平民の祭りに貴族が参加していることも、楽しませる為に尽力していたことも。
彼女といると知らない世界を沢山見せられる。
もし一人で来ていたら、ここまで来ずに屋台エリアの賑わいを見て満足してしまっていただろう。
「私も学園で魔法を習ったら絶対ここで魔法を披露するって決めているんです。そして、ここにいる人達を笑顔にして見せます!」
「それは素敵な夢だね。」
「えへへっ」
照れ笑う彼女は人を疑うことをしない。
これがお世辞かもしれないのにそんなことを考えずに素直に言葉を受け取って喜んでいる。
それがこの貴族の社会でどれほど弱点になるかきっとわかっていないのだろう。
彼女は、貴族の世界に合わない。
どう蹴落とし合うかの会話が毎日繰り返される殺伐とした社会。
その中に彼女が入ってしまったら、傷つけられるのが目に見えている。
でも、僕は君に会えてよかったよ。
ずっと水面下で争いが繰り広げられる社会の中心で生きてきたんだ。
彼女のような存在を求めてしまうのも、無理ないのかもしれない。
「少し、休憩しようか。走ったし喉が渇いているよね?」
ベンチに彼女を座らせて、「飲み物を買ってくる」と告げるとお礼が返ってきた。
近くにあった屋台に足を進めると、店番をしている女性に声をかけられた。
「見てたよ。可愛い彼女さんだね。」
ニコニコと楽しそうなその人に僕もつられて笑顔になった。
彼女と恋人に間違えられたのが嬉しかったからかもしれない。
飲み物を二つ頼むと、すぐにカップにレモネードを注いで手渡してくれる。
「ありがとうございます。」
代金を支払いながらお礼を言って立ち去ろうとすると、呼び止められた。
「ちょっとあんた。これを忘れてるよ、はい。」
その手にはフラワークラウンが握られている。
「これは……?」
どうして子供でも女性でもない僕にこれを渡すのだろうと不思議に思って首を傾げると女性は驚いたように声を上げた。
「あんた、彼女連れなのに知らないのかい?……しょうがないね、教えてあげよう。この花祭りには花冠を渡して受け取ってもらえたカップルは永遠に結ばれるというジンクスがあるんだよ。」
「そんなものがあるんですね。」
初耳だった。
春祭りが花祭りと呼ばれるようになったのは花が使われた催しがあるからとばかり思っていたが、どうやらこれが一番の理由らしい。
「……で、この場所で買い物をした男性におまけとして渡しているんだ。」
「そうだったんですね。では、有り難く頂きます。」
つい彼女の姿が浮かんで受け取ったものの、すぐに重いな、と考えを改める。
渡すのは辞めておこう。
知り合ったばかりの恋人でもない異性に渡されても困るだけだろう。
安易に想像できた未来に苦笑いを浮かべる。
彼女の横に自信を持って立てたらどんなに良いだろうか。
少なくともこれを何の気兼ねなく渡せるくらいの関係だったら……。
タラレバを思い描いても仕方がないというのに。
「あっ、ちょいとお待ち。」
「はい、何でしょうか?」
肩を落としながら今度こそその場を離れようとすると何かを思い出したのかまたもや声をかけられた。
「実はこのジンクスには元ネタがあってね……」
そう言って話し始めた内容はとても興味深いものだった。
思わず前のめりになって聞いてしまう。
「その話、本当ですか?」
「もちろんさ。」
そうか、彼女はこれを知っていたんだ。
だから……。
顔を真っ赤にして屋台から離れた彼女を思い出して笑みが漏れる。
うん、これなら本気なのが伝わりそうだ。
突然訪れたチャンス。逃すには惜しい。
しかもこのタイミングで知れたのに柄にもなく“運命”を感じてしまう。
「教えて頂き、ありがとうございます。」
「いやいや、上手くいくと良いね。」
もう一度お礼を言ってから少し駆け足で彼女の元へと向かう。
手にはレモネードが二つ握られていた。
フラワークラウンは収納魔法で異空間にしまってある。
驚かせる為の下準備はこれで完了だ。
もう、迷いはなかった。
「リ、リー……?」
声をかけようと近づくと、彼女の側に男性がいるのが見えた。
彼女は明らかに困った顔をしている。
……ナンパ、か。
先程あれだけ仲の良さを見せつけていたというのに、何処にでもこういう輩は居るものだな。
わかっている。
魅力的な彼女を男性が放って置かないことを。
僕がそれを咎められる立場にないことも。
それでも腑が煮えくり返りそうなほど湧き出てくるこの感情に嘘はつけなかった。
「私の連れに何をしているのかな?」
思っていたよりも低く出た声に、男性は青ざめた。
これくらいで怯むくらいなら最初から人の物に手を出さなければ良いのに。
まあ、彼女は物でもなければ“僕の”が付けられる間柄でもないのだけれど。
「……それで、何をしていたの?」
一向に口を開かない男性に彼女に触れかけた手をチラリと見ながら問いかけると、サッと手を引いてくれた。
「あっ、いやー彼氏連れだとは思わなくてですね。し、失礼しましたっ!」
最終的に僕の圧力に屈した男性は逃げるようにその場を後にした。
彼女を守れたという達成感と離れたせいで男を近づけてしまったという不甲斐なさで複雑な気持ちだ。
いや、どちらかというと自分を責める気持ちの方が強い。
僕はお祭りの力を舐めていたらしい。
こうなることは予想できたというのに。
「ごめんね、一人にして。」
「いえっ、助けてくれてありがとうございます!」
怖い思いをした後だろうに笑顔を作って気丈に振る舞う姿に胸が痛む。
こういう時素直に甘えて貰えるようになりたい。
僕はまだ、それほどの存在には値しないようだ。
僕の前で無理をしないで、その言葉を直前で飲み込んだ。
まだ、ダメだ。
そう言い聞かせる。
「はい、レモネード。」
「あ、ありがとうございます。おいくらでしたか?」
嬉しそうに受け取っても絶対に折半を譲らない彼女に苦笑してしまう。
「奢らせてはくれないんだね?」
「もう、さっきも言ったじゃないですか。むしろ先輩はどうしてそこまで奢りたいんですか?」
「……男は、かっこつけたい生き物だからね。」
彼女は僕の言葉の意味にピンと来ないようでコテンと首を傾げた。
その姿も愛らしいと思ってしまうのだから、手遅れも良い所だろう。
「それなら、先輩はかっこつけなくても良いですよ。」
彼女の真反対の発言に固まった。
「だって、私はありのままの先輩が知りたいんです。」
だけど次に続けられた言葉に嬉しさが込み上げる。
ありのままの僕を知りたい。
その言葉がどれほど欲しい物だったか、目の前で可愛らしい笑顔を浮かべている彼女は知らないだろう。
王太子として育てられた僕に人としての個性は求められなかった。
求められるのは王としての資質のみ。
周りの大人達からは期待の眼差しを向けられ、非凡であることを望まれた。
普通の子供のように野原を駆け回ることも友達とふざけ合うことも許されなかった。
そんな僕にありのままを望むだろうか。
いや、王として虚像でも大きく見せるべきだと言われるのがオチだろう。
だから彼女の言葉が嬉しかった。
……あぁ、どうしようもなく彼女のことが好きだ。
「……なら、これはプレゼントさせて。」
パチンと指を鳴らして異空間から彼女の頭の上にフラワークラウンを出現させた。
側から見たら瞬間移動させたかのように見えるこれは収納魔法の応用だったりする。
彼女は自分の頭の上に被せられたそれを確認して、顔を赤くした。
「こ、これはダメです!先輩は知らないかもしれませんが、これは……」
多分、なんて伝えたら良いのかわからないのだろう。
そこで言葉を止めてどうしようかと顔に不安を滲ませている彼女に僕は一歩近づく。
「よくお似合いですよ、姫?」
戯けたようにそう言うと、彼女は湯気が出そうなほど顔を真っ赤に染める。
予想通りの反応に笑みが溢れた。
「な、なんっ……先輩は知って……?」
戸惑う可愛らしい姿にクスクスと笑いが止まらなくなる。
「うん、さっき聞いたんだ。」
「あぁ、それで……って、知っているなら尚更渡したらダメですよ!」
赤くなりながらも怒る彼女が可愛くて、さらに意地悪したくなってしまった。
「どうして?」
「ど、どうしてって、それは……」
今度は困ったように眉を下げた彼女に流石にこれ以上は可哀想だなとネタバラシをすることに決める。
「リリー」
名前を呼ぶと彼女は俯いていた顔を上げた。
綺麗な瞳と目が合う。
僕はその瞳に自分の姿が映ったのを確かめてから口を開いた。
「君を愛しています。どうか、私とお付き合いしてくれませんか?」
跪いてプロポーズをする時のような体勢になると、彼女は瞳を大きくさせた。
そんな表情も堪らなく愛おしい。
「あの、えっと……急だったので、びっくりしてしまって。」
「うん、そうだよね。驚かせたよね。」
花祭り。
その名前の由来はある騎士とお姫様の恋愛物語が関係している。
国王から冷遇されていたお姫様は遂に耐えきれなくなり、護衛をしていた騎士と共に隣国に亡命を図る。
無事に成功した先で行われていた祭り。
そこで騎士はお姫様に永遠の愛を誓った。
そしてその時に渡したのが花の冠。
亡命したのでお金がない中、騎士がお姫様にプレゼントした花冠は結婚式では“永遠の幸せ”を意味する。
その言葉の通り騎士と姫はその後幸せに暮らしましたとさ。
というのが花祭りに伝わる伝承だ。
そこから花祭りでフラワークラウンを渡して受け取ってもらえたカップルは永遠に結ばれるという話になったそうだ。
そう、僕はその伝承にあやかろうとした、というわけだ。
店主が口にしていた“護衛”。あれは“永遠を誓い合った仲”を意味しているらしい。
それで彼女は恥ずかしがっていたのだ。
「返事は急がないし、ゆっくり考えて欲しい。」
「……わかり、ました。」
これが今の僕にできる精一杯。
それが実るかどうかは別の話だが。
今だけは彼女との未来を信じたい、心の底からそう思った。
* * *
学園には王族の為に用意された特別な部屋がある。
公務など多数の目がある中でできない作業が行えるようにと準備された部屋。
今日もその部屋で書類を片付けていた僕は、ひと段落ついた所でペンを置いた。
「殿下、お疲れ様です。今日は一段とお早いですね。」
ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべているのは側近のニコル・ウォーカー。
彼に笑顔を返した僕は用意されたコーヒーに一口口をつけた。
「最近作業スピードが尋常じゃないですけど、何か良いことでもあったんですか?」
彼は人の変化に鋭い。
側近として主の変化をいち早く察知できるのは強みだろう。
だけど今回ばかりは気づいて欲しくなかったというのが本音だ。
「……あぁ、お気に入りの花を見つけてね。」
「花、ですか?」
訝しげに僕の言葉を繰り返した彼は「貴方が花なんて愛でるわけがないでしょう」とでも言いたげだ。
その顔を見なかったことにすると決めた僕はもう一度コーヒーを飲み、ペンを持った。
「花といえば、先週は花祭りがありましたね。」
その発言にピタリと動きを止めた。
これは何か探られているのかと笑顔のまま彼を見ると、爽やかな顔と目が合った。
「殿下も視察に行かれていましたが、どうでしたか?」
「うん、楽しめたよ。」
無難な答えを返すと、彼は少し口を尖らせる。
「わざわざ俺を置いて一人で回ったくらいですから、そりゃあ満喫できたでしょうね。」
どうやら連れて行かなかったことを拗ねているらしい。
それで今日は言葉に棘があったとかと理解した僕は苦笑いを浮かべた。
「来年は連れていくと約束するよ。」
「本当ですか?絶対ですよ。」
念を押してくる彼は余程祭りに参加したかったらしい。
「君がそんなに行きたいとは知らなかった。」
「あの花祭りですよ、俺の妹もとても行きたがってました。」
「へぇ、それはまた意外だな。」
基本的に貴族は平民の暮らしに興味を持たない。
もちろん税を納めている民なのだから、どういった方法で作物を育ててどれほど利益を出しているのかは把握しているだろう。
ただ、普段どんな生活をしているのかには驚くほど無関心だ。
だから貴族の娘である彼の妹が花祭りに興味を持っていることは一般常識から少し外れていた。
「実は妹は花祭りのジンクスの方に興味があるみたいなんですよ。」
「あの伝承は有名なんだ?」
少なくとも僕は現地に行って直接耳にするまで知らなかった。
それに、王族が駆け落ちしたなんて醜聞、平民の間で面白おかしく語り継がれるならともかく他国の貴族には普通なら隠そうとするだろう。
「いえ、そこまで広がってはないと思います。何せ起こったのがここ五十年以内の出来事ですから。」
「やはり実際の出来事なんだね。」
彼の言葉に驚きはしなかった。
あの話を聞いた時、心当たりがあったからだ。
確か隣国では先代の国王に八人の姫がいた。
そのうちの一人は病死で早く亡くなったと聞いている。
多分その王女が物語のヒロインなのだろう。
「はい。ロマンス小説として今流行っているようなんです。妹はそれを読んで興味を持ったようで、止めるのが大変でした。」
「うん、あの辺りは大通りを出たらそこまで治安の良い場所ではないからね。賢明な判断だと思うよ。」
足を組み直してから答えると、ニコルは困ったように笑った。
その疲れたような顔から妹を説得するのが余程大変だったことがわかる。
何も知らないご令嬢があそこに一人で行ったら物取りの格好の餌食になるだろう。
リリーにもこっそり保護魔法を掛けていたくらいだ。
保護魔法はその名の通り対象を護る魔法。
これは自分に掛けるならそこまで難しくはないが、人に掛ける場合は高度な術式を必要とする。
使える者はこの学園でも片手で数えられる程。
それを掛けるくらいなら行かせないという選択肢を取るのが安全と言えるだろう。
「だけど、少し困ったことになったね。」
「そうですね。これ以上興味本位に行く方が増えないと良いのですが……」
恋愛小説が普及することは娯楽が増え、民が楽しむ物が増えるということ。
それは国を豊かにする為に必要なことだ。
だから止めることはしない。
今悩むべき種は触発された貴族が平民街に行くことで起こる最悪のケースのことだ。
悪くいえば搾取する側とされる側。
貴族に不満を持つ平民も少なくない。
交流が増えると、いざこざが増えてしまうことが予想できる。
貴族が犯罪に巻き込まれる可能性が上がることはできれば避けたい。
貴族側の反発が大きくなって罪なき人が犠牲になる可能性が出てくるし、他国に隙を見せることにも繋がる。
最悪な悪循環が起こるからだ。
貴族と平民を分けているのもそこにある。
できることなら同じ国の民として一緒に手を取り合いたいところだが、貴族と平民の間のトラブルは貴族側に優位に働くことが多い。
何が自分の身を滅ぼすか分からない相手に安易に近づくことは誰だって怖いだろう。
頭の痛い問題に息を吐いた。
祭りに参加した時の僕を見る視線は珍しいものを見るようなものが多かった。
今はそこまで多くの貴族は出入りしてなさそうだが、どこまで広がっているのか現状を把握する必要がありそうだ。
「今の所どれくらい普及しているかわかる?」
「明日までに調べてまいります。」
「うん、お願いね。」
隣国の王族の駆け落ち、か。
少し嫌な予感が頭を掠める。
念には念を入れておいた方がいいかな。
「それから、この件に他国が関わっていないかどうかも調べておいて。」
「……かしこまりました。」
僕の言葉に目を見開いたニコルはすぐに礼をとった。
どうやら彼も他国が関わってこの国を掻き乱そうとしている可能性に気づいたらしい。
杞憂で終わることを願いたいところだが。
果たして吉と出るか凶と出るか。
「そう言えば、最近新しいコンセプトのカフェができたそうですよ。」
「……そこも、貴族が行きそうな場所?」
「いえ、ここは大丈夫かと。ですが、殿下は興味があるのではないかと思いまして。」
ニコルの思考回路は読めない。
関連して貴族の平民街への流出の話でなければ、一体今の話から何故カフェが出て来たのか。
「私が興味をそそる内容なのかい?」
「内容というよりは、この文化の流れて来た場所の方に関心があるかと。極東の国の文化だそうです。」
「なるほど、叔母上の。」
どうやら“他国”関連の話らしい。
叔母上は極東にある国から嫁いできた異国の方だ。
この婚姻によって結ばれた同盟の中に国民の行き来の関税を下げるというものがある。
早速その効果が現れて店を出す者が出たようだった。
「それは確かに興味があるな。どんなカフェだい?」
「はい、“ブックカフェ”というものらしく、カフェと図書館が一体化したようなものです。」
「随分と異質な組み合わせだね。本が汚れることを防ぐ為に図書館は飲食が禁止されている所が多い。その二つを合わせるなんて、実に面白い。」
“図書館”と聞いてほぼ無意識のうちに思い浮かべていたのは学園の図書館にはしゃぐ彼女の姿。
彼女はこのカフェに興味を持ってくれるだろうか。
自然と口角が上がる。
「楽しそうでなによりです。今度は俺も連れて行ってくださいね。」
「……それは約束できないかな。」
「流石に横暴だと思います。」
嘆くニコルを尻目に、「用事を思い出した」と言って部屋を後にした。
どうせ異文化を楽しむのなら彼女とが良い。
彼女のあの笑顔を見たい。
歩き出した足は彼女と出会った桜の木のある場所へと向かっていた。
この桜も叔母上の国から来たものだ。
これに興味があるなら同じ国の文化であるブックカフェにもあるかもしれない。
単純な結び付けだが、そう思えてしまった。
桜の木は旧校舎にある。
普段は誰も近寄らないその場所に彼女は居るだろうか。
段々と歩くスピードが速くなる。
くたびれた校舎を潜ると、一片の花弁が風に流されて落ちて来た。
どうやらまだ咲いているらしい。
少し進むとすぐに目を惹く花が視界に飛び込んでくる。
満開とまではいかないが、確かに花を付けていた。
その木の根元に人影を見つけた僕は駆け寄った。
「リリー」
話しかけると、その人物は驚いて顔を上げる。
サラッと桜色の髪が空に落ちて金色の瞳と視線がぶつかった。
やっぱり彼女だ。
「オ、オーエン先輩!?どうしてここに……?」
「君が居るんじゃないかと思って来たんだけど、」
そこまで言ってから彼女を見ると手にはサンドイッチが握られていた。
どうやら食事中のようだ。
「邪魔したかな?」
「いいえ、そんなことはないです!あ、すぐ食べちゃうので、少し待ってて下さい。」
「慌てなくて良いよ。」
サンドイッチを口に駆け込もうとする彼女を落ち着かせ、横に座ると大きく開いた口を萎める。
もぐもぐと頬に食べ物を入れる姿は小動物のようで可愛らしかった。
その姿に癒されながら食べ終わるのを横に座って待っていると、最後の一口を頬張った彼女に笑顔を向けられる。
「またオーエン先輩に会えて嬉しいです!」
「……うん、私も嬉しいよ。」
どこまでも真っ直ぐなその言葉につい本音を返してしまう。
普段だったら他人の前では取り繕うものだ。
それをこうもあっさり破られてしまうんだから、彼女には敵いそうもない。
「学内では一度も会わなかったからね。」
一年生と二年生。
学年が一つ違うだけで、関わる機会は激減する。
移動教室の場所も違えば、学んでいる科目も違う。
当然と言えば当然なのだが、それが少し恨めしく思えてしまった。
「あんまりにも会わないものだから君のことを本当は妖精なんじゃないかと疑ったくらいだよ。」
いくらフロアが違うとは言え、一度も会わないというのは些か不自然だ。
特に僕は彼女のことを探していたのだから。
それなのに見つからなかったというのが僕の不安を掻き立てた。
君に会えないことを御伽話の存在に当てはめるほど待ち焦がれていたんだよと恨めしい気持ちを表した軽い冗談のつもりだった。
「ふふっ、あながち間違っていないかもしれませんよ?」
それなのに彼女はそんなわけないと笑い飛ばすでもなく肯定するような言葉を放った。
そして立ち上がって桜の花に手を伸ばす。
それを合図にしたように穏やかな風が彼女の髪を靡かせた。
「いつかふわぁっと居なくなっちゃうかもです。」
くるりと一回転した彼女の腕を気がついたら掴んでいた。
「先輩……?」
彼女が戸惑った瞳を僕に向ける。
儚い彼女は本当にどこかに消えてしまいそうだった。
そう思わせてならないほど美しく幻想的な姿に、なり振り構っていられなくなる。
「じょ、冗談ですよ。そんな間に受けないでくださ……」
「君が、本当に居なくなってしまいそうだから。」
声は震えてしまっていた。
かっこ悪い。
こんな余裕のない姿を好きな子に見せたくなんてなかった。
いつもの貼り付けた笑みはとうに剥がれ落ちて、必死に彼女を引き止める。
幻滅、されていないだろうか。
不安に思いゆっくりと彼女に視線を向けると困ったように笑う彼女と目が合う。
その表情に嫌な想像が僕を襲った。
「……居なくならないとは明言してくれないんだね。」
お願いだから言葉にして、と縋るように彼女を見ると笑顔を浮かべられた。
感情の読めない、そんな笑顔。
「誰だっていつかは居なくなります。それなのに、無責任な約束はできませんから。……先輩だって卒業したら会えなくなるじゃないですか。」
本当、ジンクスを信じるくらい純粋なのにどうしてこういうことだけ現実的なのだろうか。
いつかは居なくなる。その通りだ。
生き物なのだから死があることは承知している。
学生の関わりも卒業したら無くなってしまうというのもその通りだろう。
彼女の人生に僕が入る選択肢。
そんなものは一つしか浮かばなかった。
「なら……ううん、そうだね。」
僕と結婚したら、そしたら側に居させてくれる?
その言葉は口に出す前に飲み込んだ。
軽々しく言える立場にないことがわかっていたからだ。
そういう教育をされてきたのだから。
それなのに“結婚”というワードが自然に出てきたことに驚きを隠せない。
どうやら僕は思っていた以上に彼女との未来を望んでいるようだ。
まあ、彼女の描く先に僕は居ないようだが。
それを寂しく思っていると、「あっ」と僕を見ていた彼女が声を上げた。
「そうでした先輩!私に何か用事があるんですよね?」
パッと明るい声を出した彼女はこの雰囲気をどうにかしようと思ったのだろう。
これ以上の追随を諦めた僕はこの流れに乗ることに決める。
「うん、カフェに誘おうと思ってね。」
「カフェですか?」
ニッコリと笑顔を浮かべてそう言えば、可愛らしく聞き返された。
突然の言葉だから不思議に思うのも当然だ。
「そう。本を読めるカフェがオープンしたみたいでね、君が気に入るんじゃないかと思って……と、その顔は興味がありそうだね。」
「はい!行ってみたいです!」
瞳をキラキラと輝かせた彼女は先程とは打って変わって年相応の女の子らしかった。
「金曜日は祝日だったよね。その日は空いてる?」
「大丈夫ですよ!」
すかさず約束を取り付けると、嬉しそうに頬に手を当てる彼女がいた。
彼女が楽しみにしているのはあくまでブックカフェの方。
僕と出かけることに喜んでいるわけではない。
そんなことは誰に言われなくてもわかっていた。
……でも、その顔はずるいんじゃない?
僕と目が合うとはしゃいでいるのを見られたのが恥ずかしかったのか、彼女は頬を染めて目を伏せた。
これじゃあ誰だって自惚れてしまうよ。
君にそんな顔をさせたのは自分だって、ね。
そのままでいて欲しいから忠告なんてする気はないけど、気をつけないとそのうち誰かに攫われてしまうかもしれないよ?
それが、僕でない保証はどこにもないんだから。
* * *
「見てください、先輩!異国の本が沢山ありますよ!」
本棚を目の前に声を弾ませる彼女に口元が緩む。
こんなに喜んでもらえるなら連れてきた甲斐があるというものだ。
「ここは極東の人が経営してるみたいだからね。」
「そうなんですか!?それでジャティール国の本がこんなに……」
納得したように頷いた彼女は適当な本を軽くめくってから、パタンと閉じた。
「これにします。」
嬉しそうに本を握りしめる彼女はいつも通り可愛いらしかった。
だけど僕の意識は別の方向に向く。
「ジャティール語が読めるの?」
即決した彼女に驚いて問いかけると、彼女はしまったといったような表情を浮かべてから曖昧に笑った。
ジャティール語は公用語でもなければ、隣国の言語でもないので習得の優先順位はそんなに高くない。
第二言語として選ぶ人は少ないはずだ。
それも簡単な会話ではなく本を読めるレベルなんて相当学んでいる証拠だろう。
ジャティール語は喋る分には難しくない。
しかし読み書きに関しては世界でもトップレベルに難しい言語だ。
それを読めるなんて、彼女は一体どんな教育を受けてきたのだろうか。
僕は叔母上がジャティール国の出身だから幼い頃から触れる機会もあり、そこまで身に付けるのは困難ではかった。
それでも何種類も読みがある文字には苦戦したが。
そんな言語をこの年で操れるなんて、余程の努力家か天才だ。
「その、ジャティールには珍しい薬学の本が多いので見ているうちに覚えてしまって……」
まるで悪いことを白状するかのように話す彼女に苦笑する。
「私は責めているわけではないよ?凄いって思ったくらいだ。」
安心させる為に思ったことをそのまま伝えると彼女は弾けるように笑顔になった。
「先輩に褒めてもらえるなんて光栄です。……実は嫁ぐわけでもないのに女性が他国の言語を学んでどうするんだって言われるかもしれないと思ったんです。」
「そんなこと……少なくとも私は思わないよ。」
世間が思わないと断定できないのが悔しい所だ。
能力で採用される国作りを目指し始めたのは最近のこと。
まだ全くと言って良いほど効果が現れていないようだった。
彼女もきっと才能を持っているだろうに、偏見や固定概念のせいで埋もれてしまうのかもしれない。
そう考えると、早く現状を打開しなければと強く拳を握りしめた。
“勿体無い”……そうだ、思い出した。
これも叔母上の国の言葉だ。
そっか、彼女は日常で自然に出てしまうほどあの国が好きなんだ。
それがどうしようもなく嬉しく感じたのは、どうしてだろう。
「ありがとうございます。先輩が居れば、この国も安泰ですね。」
「……そうだと良いな。」
この国をより良くするにはあまりにもやる事が多すぎる。
全部片付けるにしてもどれを優先するのか順位付けを行わないといけない。
その選択を間違えてしまったら、僕だけが不利益を被るのではなく国をも傾けてしまう可能性があるのだから、責任は重大だ。
一言に影響力のある僕は迂闊に本音も口にできない。
それが何に繋がるかわからないから。
なのに……なのに彼女の前だけは、最も容易く言葉が出てくる。
だからきっと僕は彼女を手放したくないんだ。
それが、例えどんな形になろうとも。
「先輩なら大丈夫ですよ。」
妙に説得力のある言葉に顔を上げると、彼女の澄んだ瞳とぶつかった。
「だって先輩は“声”を聞くことができる人ですから。」
彼女はそう言ってニッコリと微笑む。
揺れた彼女の髪からは微かに花の匂いがした。
その甘い香りに誘われた僕は一束髪を掬ってそこに口付けを落とす。
「“意見”を聞くことは大事だからね。」
「な、ななななっ……!?」
顔を真っ赤にして後ずさる彼女は想像通りの反応をしてくれるので見ていて楽しい。
壁に行手を遮られて仕方なくその場に留まる彼女は本の向こうからこちらを睨んでいるが、全く怖くなかった。
クスクスと笑うと、さらに眉間に皺を寄せられたので嫌われてしまう前に一歩距離を縮めて手を差し出す。
「レディを席までご案内しますよ。」
「………………よろしくお願いします。」
数秒の睨み合いの末、彼女は息を吐いてからエスコートされることを選んだ。
紳士として接すると暗に示したことに気づいたからだろう。
彼女の手を取って席に座らせると、テーブルの上にあったメニュー表で視線が止まった。
あぁ、なるほどこれを見ていたのか。
メニューにはイチゴがふんだんに使われたタルトが描かれている。
「注文は決まった?」
彼女の前に腰掛けながら問いかけると、ドリンク欄をチラッと見た後で「カフェラテにしようと思います」と返された。
「軽食はいらない?ほら、これなんか美味しそうだよ。」
そう言って先程見ていたタルトを指差せば彼女の瞳が輝く。
だけどすぐに笑顔を消してこれだけで大丈夫だと言う。
もしかしたら本を読みながら食事を取ることに抵抗があるのかもしれない。
そう結論づけた僕はそれでも彼女の瞳が忘れられず、タルトを指差したまま口を開いた。
「そう?なら、私はこれを頼もうかな。」
店員を呼んでカフェラテとコーヒー、そしていちごタルトを注文すると、飲み物はすぐに運ばれてきた。
「私も本を選んで来るね。」
彼女が頷いたのを確認してから席を外すと、種類の豊富な本達が目に入った。
本棚は壁に備え付けられている形で一面に背表紙が並ぶ姿には圧巻される。
場所の割合的にカフェがメインで図書館はサブと言った所だろうか。
もしこれが逆の割合だったら、図書館味の強い空間に客は萎縮してしまっていただろう。
ジャティールでは紙の生産が盛んだが、この国ではそこまででもない。
必然的に本は貴重になるから、そんな高い代物を汚すかもしれないという不安が付き纏ってしまう。
その点、ここはカフェの利用に主軸を置いているので、利益が出やすいだろうな。
立地は悪くないし、内装も温かみのあるおしゃれな雰囲気で取っ付きやすい。
さらに飲み物を飲むついでに本が読めるともなれば利用者は増えそうだ。
最初は多少の抵抗はあるかもしれないが、そのうち慣れたら図書館の需要も高まるかもしれないな。
……っと、彼女が本を一冊読み終わるまでには戻らなくては。
目的がズレたのを修正してから目に入った本を手に取った。
つい内情を探ってしまうのは職業病みたいなものなのだろう。
席に戻ると彼女は静かに本を読んでいた。
分厚さは開かれているページで半分に分けられていて、この短時間で読んだと考えると早い方だと言える。
集中している彼女に声をかけようか迷っていると、本から目線を上げた彼女が笑顔を作った。
「先輩はどんな本を選んだんですか?」
「……これだよ。」
“薬学の歴史”と書かれた本を彼女に差し出して見せる。
一瞬躊躇ったのは彼女に影響されたことを悟られて引かれたくなかったからだ。
「先輩も、薬学に興味があるんですか?」
「うん、まあ……」
曖昧な肯定だったが、彼女は嬉しそうに手を合わせた。
「先輩と薬学の話をできるなんて夢のようです!その本、とても面白かったので読み終わったら是非感想を聞かせて下さい。」
いつもより声のトーンが高い彼女は薬学の話をできることを心から喜んでいるようだった。
その顔を見ると安堵の気持ちより彼女を喜ばせることができた選択に嬉しさが込み上げる。
「お待たせいたしました。」
椅子を引いて席に腰掛けたちょうどその時、店員がタルトを運び、予想通り彼女の前にお皿を置いてくれた。
「ごゆっくりどうぞ。」
「ありがとうございます。」
何か言いたげな彼女の言葉を遮るようにお礼を言って下がってもらうと、彼女は困ったように笑っていた。
「いちごタルト、私の方に来ちゃいましたね。」
そう言って僕へとタルトを寄せようとしたのを手で静止し、眉を下げて見せた。
彼女は不思議そうに僕の言葉を待つ。
「実は美味しそうな見た目に釣られて頼んだけど、甘いものが苦手なのを失念していてね。良ければそのまま君が食べてくれると助かるな。」
作り笑いを浮かべて言えば、明らかに狼狽えた彼女がタルトと僕を交互に見つめる。
「本当に私が貰っちゃって良いんですか?」
疑わしげに再確認した彼女にとって甘味を譲ることはありえないことなのだろう。
綿菓子を美味しそうに食べていたことを思い出し、笑みが溢れた。
「もちろんだよ。さっきのお詫びも兼ねて、ね?」
「……そこまでおっしゃるなら遠慮なく頂きます。」
そう言った彼女は既にタルトに夢中だ。
「いただきます。」と言ってフォークを手に取り、器用にいちごを刺して口に運ぶ。
「んー!美味しい!」
頬に手を当てて思わずと言ったように口にした彼女の顔は幸せそのものだった。
美味しそうに食べるなとニコニコと見ていると、僕の視線に気づいた彼女はタルトを一口代に切り分ける。そして、僕の口の前に運ぶと手を止めた。
「どうぞ」
どうやらタルトを見ていたと思われたようだった。
だけど、これは僕にとって好都合だ。
迷わずそれをパクリと口に入れてから、笑顔を作った。
「ありがとう。でも、良かったの?私にあげてしまって。」
あんなに美味しそうに食べていたのに減ってしまうよと思いながら彼女を見ると、満面の笑みを向けられた。
「はい!美味しいものは分け合ったら更に美味しくなるんですよ!」
そう言ってパクッとタルトを頬張る彼女はとても眩しかった。
僕ならタルトが“減る”と考える所を彼女は“美味しくなる”とプラスに変換してしまうようだ。
利益を優先するのは国の将来を預かる身としては正しいことなのだろう。
でも、人としては彼女の足元にも及ばないな。
目を伏せていると、視界の端でフォークを持った彼女の手が止まった。
「す、すみませんっ。私気づかなくて、これって間接キスじゃ……」
どうかしたのかと顔を上げるとそう言って頬を染める彼女と目が合う。
「……君は一体何なのだろうね。」
純粋かと思えば現実的で、しっかりしていると思えばどこか抜けていて、掴めない。
こんなことは初めてだ。
「私は私ですよ?」
キョトンとする彼女は僕の言葉を正しく理解してはいないようだった。
苦笑すると、彼女は何かを思い出したようにフォークを置いてから僕を見た。
「あっ、でも……先輩の友達、くらいにはなりたいです。」
照れ笑いを浮かべた彼女に欲が出てしまう。
僕はそれ以上になりたいんだよ。
なんて言ったらきっと困らせてしまうんだろうな。
「うん。私はもう友達だと思っていたけど、違った?」
「と、友達です!」
寂しそうにそう言えば慌てた彼女が肯定してくれる。
少し複雑ではあるが、今はこれでよしとしよう。
彼女の笑顔が見られればそれで……
「その、先輩。」
嬉しそうに微笑んでいた彼女は徐に鞄から何かを取り出して、躊躇いがちに口を開く。
その手には二枚のチケットが握られていた。
「良ければ一緒に劇を観に行きませんか?」
……訂正しよう。
彼女の笑顔だけじゃ満足できない。
その先を望んでしまうのも、きっと今だけは許されるような気がした。
* * *
いつものように公務をしていた僕はニコルの視線に顔を上げた。
机の端には片付いた書類が積まれている。
ドアのすぐ側に控えていた彼はそれを一度見てから口を開いた。
「殿下、いつにも増して仕事が早いですが何かあったんですか?」
側近として主の変化の理由を把握しておきたいのだろう。
「以前も似たようなことを言っていたね。」
やんわりと前回と同じ理由だと告げれば、彼は不服そうに眉を寄せた。
「前回をいつもの三倍とするなら、今回はその更に二倍です!同じ理由だとは到底思えないんですけど!?」
「確かにそれは大きな違いだね。」
そう言って笑って見せれば、眉間の皺が深くなった。
「……花を見ていると元気にさせられるんだ。」
「前回も同じようなことをおっしゃってましたね。花って……もしや殿下にも春が来たんですか!?」
これ以上揶揄うのも酷かと思い、正直に告げると上手く察してくれたようで驚いて目を丸くしていた。
顔に出るのは直してもらうべきかなと考えながら質問には答えずに作り笑顔を浮かべると、彼はこめかみを抑えた。
「火遊びも程々にして下さい。貴方は次期国王であることをゆめゆめお忘れなく。」
「わかっているよ。学生でいる間くらい羽を伸ばしたって構わないだろう?」
「……卒業までですからね。」
期限を付ければ妥協してくれることはわかっていた。
それでも咄嗟に避けた“卒業”というワードを彼に言われたことで眉がピクリと動いてしまう。
猶予は二年も残されていない。
彼女と居られるのはそれまでかもしれないことを嫌でも考えさせられてしまったからだ。
「その者と結婚を、とは言わないんだね。」
僕は基本的に女性に興味がない。
これまでも縁談を片っ端から断ってきたくらいだ。
そんな僕が気になる相手を見つけたとなれば、少しくらい協力する姿勢を見せても良いんじゃないかという意味を込めて目の前の彼を見ると、ニコリと笑顔を返された。
「貴方が婚約者に迎えていない時点で相手方の身分に察しはついていますから。」
どうやら初めからバレていたらしい。
ニコルは幼い顔立ちとは裏腹に洞察力に優れている。
その能力を買って側近に迎えたのは良いが、今はそれが恨めしく思えてならなかった。
「君が外見通りだったら良かったんだけどね。」
「……俺の見た目に騙されてくれるからってしょっちゅう密偵をさせてる張本人が今更何を言ってるんですか。」
「それもそうだね。」
口調は強かったが、本気で怒っているわけではないことが長年の経験からわかっていた僕は書類作業を再開しようとペンを握った。
「それで殿下、先日の件でご報告があります。」
「……聞こうか。」
姿勢を正したニコルが堅苦しい口調に変わった。
声の高さと表情、そして間の取り方から悪い報告であることが予想できてしまった僕は息を吐いてからペンを置いた。
「調査の結果、あの物語を広めたのは王弟派である可能性が高いことがわかりました。」
「……よりによって叔父上、か。」
机の上においていた腕を組んでそこに顔を乗せた。
ここに来て面倒な相手である叔父の名前が挙がり、頭痛がする。
現国王である父上には二人の弟がいる。
ジャティール国の第二王女を娶って公爵の地位を賜ったデューク・ロバーツ叔父上と、上の二人とは歳が離れたエリオ・フォン・アイデリック叔父上。こちらは現在宰相補佐を務めている。
デューク叔父上は野心がなく、父上を支えることに尽力してくれているが、一方でエリオ叔父上は王位を狙っているかなりの野心家だ。
一般的に“王弟派”と呼ばれる派閥はエリオ叔父上を中心に集った貴族達を指す。
彼は国王の一人息子である僕のことをよく思っていない。言うなれば目の上のたんこぶといったところだろうか。
“王太子”である僕がいなくなれば王位を継げると思っているのか、叙爵の話を断ってまで王族の名にしがみついている、そんな人だ。
実際のところ王位継承権は第三位。
十分可能性があるのが見過ごせない所以だったりする。
「かなり厄介なことになってるね。協力関係にありそうな国のリストアップはできてる?」
「はい、こちらに。」
普通なら物語の元である隣国のイプス国が相手だと考えるのが自然だろう。
だが、万が一という場合もある。
そう思っての言葉だったが、ニコルには予想できていたようで書類を渡される。
相変わらずの用意周到さに苦笑いを浮かべながら幾つかの国名が書かれた紙を受け取って目を通す。
ザッと見ただけでも、連なっている文字の多さにため息が溢れた。
「……ジャティール国もなのかい?」
たくさんの国名の中から目に留まったのは最近話題に上がったその国の名前。
叔母上が嫁いできてから同盟が結ばれ、見かけ上は良好な関係を築いているはずだが。
僕の疑問を察知したニコルはゆっくりと頷いた。
「はい。王弟派の貴族とジャティール国の商人が何やら取引を行っていたようです。内容までは掴めませんでしたが、あり得る話かと。」
「それは同盟を反故にしてまでやることなのか?」
「……可能性は極めて低いですが、ないとは言い切れない所ですね。」
全ての事象に置いて“絶対”は存在しない。
常に最悪のケースに備えて行動しなければ、足元をすくわれるだけだろう。
「……この件、叔母上は?」
「ご存知ないと思います。確定していないことを無闇に伝えることは致しませんから。」
「そうだね。叔母上が関わってないとも言い切れないし、そのまま進めて。」
「かしこまりました。」
ジャティール国と言えば彼女もやけに詳しそうだった。
まさか、と最悪の考えがよぎって笑みが剥がれる。
目の奥に焼きついた彼女の笑顔が思い出されて、瞼を下ろした。
彼女がジャティール国からの工作員の可能性だって否定できない。
僕は何処までも“王太子”なのだ。
信じたい人も信じてはいけない。信じきれない。
それが例え身内でも想い人であったとしても、だ。
「まずはこの国に恨みを持っている国と小国に探りを入れてみようか。叔父上に寝返りそうな輩がいる国は特に念入りに、ね。」
「承知いたしました。」
それでも私情に呑み込まれてはいけない。
今すぐにでもジャティール国の無実を証明して彼女と叔母上の潔白を信じたかった。
でも、それが許されないのが“王太子”という立場。
果たして次に彼女に会う時、僕はちゃんと笑えるだろうか。
「殿下」
「…………なんだい?」
目線を下げると敬称を呼ばれた。
ニコルのこの声色には覚えがある。
僕に都合の悪いことを切り出すものだと推測ができ、気が重くなる。
できることならこのまま聞こえなかったフリをしたい衝動に駆られながら返事をすると、それはそれは良い笑顔を向けられた。
「殿下に縁談が来ています。」
「……」
そう言って空間収納魔法で閉まっていたのであろう三枚の手紙と招待状を取り出した彼は何処か楽しげだ。
「その中で中立派は?」
「デイヴィス侯爵家の御息女、マリア・デイヴィス嬢ですね。」
「却下」
「……殿下」
デイヴィス侯爵家のご令嬢には一度舞踏会で会ったことがある。
熱烈なアプローチをされたので、回避するのが大変だったのはそんなに古くない記憶だ。
香水の匂いがキツく、側にいることが苦痛だったことを思い出してすぐに断りの言葉を告げる。
そんな僕にニコルは呆れるような声で呼んだ後、仕方なさそうに手に持っていたものをしまった。
それでも諦める気はないようで、口を開く。
「今まで来た中で一番身分が上の相手ですよ。しかも中立派!どうして逃そうとするんですか。」
「……彼女は王妃には相応しくないと思っただけだよ。」
「貴方がそうおっしゃるのなら、至らない部分があるのでしょうね。」
ため息混じりに肩を落とした彼に申し訳ないと思いつつも、考えを変える気は全くなかった。
第一王子派である僕を支持している派閥からご令嬢を娶ることは、味方をより強力な関係にすること。
それも名案ではあるが、できれば中立派をこちらの陣営に引き入れたいものだ。
だから、婚約相手は中立派から選ぶと決めている。
王弟派なんて叔父上の息が掛かっているであろう相手は以っての外だ。
「ですが、そのような態度を貫き通されては困ります。エリオ様がマルティネス公爵令嬢を迎えられたら、形勢は逆転してしまいますから。」
マルティネス公爵はこの国の三大公爵家の一つ。
今は中立の立場を保っているが、娘の結婚相手の派閥を優先するだろう。
マルティネス公爵は娘を溺愛していると有名だ。
つまりマルティネス公爵をこちら側に引き入れるには娘の攻略が必須。
しかし御息女は病弱で社交界に顔を出さないのだから、会える機会は限られている。
「貴方が珍しく後手に回った相手ですよ。油断はできません。」
「……そうだね。」
マルティネス公爵は現在の宰相を務めている。
つまり、宰相補佐である叔父上との接点が多い人物だ。
流石にエリオ叔父上が宰相補佐を務めると聞いた時はやられたと思ったくらいだ。
大元を落としてから娘を手に入れるつもりなのだろう。
叔父上が現在も独り身なのにはそんな理由がある。
僕よりも強力な相手と婚姻関係になることで優位に立とうとする魂胆がなんともわかりやすいが、やっていることは王位への近道であると言えるだろう。
だから僕は叔父上よりも有益になる相手を探さなければならなかった。
……それがわかっていたから、無意識のうちにも彼女との関係に期限を設けていたのだろう。
卒業までとは、なんとも現実的な期間だ。
「全く。今は花を愛でているところだと伝えたはずだけど、別の花を勧めるなんて君には手心というものがないのかな?」
「……わかりました。ですがくれぐれもご令嬢に見つかって誤解を招くことは避けてくださいね。」
「十分注意しよう。」
彼女と会える短い時間を大切にしたいと改めて認識させられた。
「それから、マルティネス公爵令嬢の攻略もお忘れなく。」
「……善処するよ。」
念を押された僕は仕方なく頷いた。
基盤をより強固なものにするには彼女を引き入れなければならないが、そこが一番の難所だ。
あの宰相の娘なのだから一筋縄ではいかないだろう。
先のことを考えてため息を吐いた後、取り敢えず目の前にあった書類を片付けることに専念するのだった。
* * *
彼女が待ち合わせに選んだのは大きな時計のある塔が建っている場所だった。
その時計で約束している時間まで余裕があることを確認した僕は目線を下ろした先で目に入った人物に歩くスピードを早める。
「待たせてしまったかな?」
「いいえ、だいじょ……」
俯いていた彼女は僕の声に顔を上げて固まった。
「せ、先輩!今日は黒髪なんですね!すごく似合ってます。」
「ありがとう。」
次の瞬間に絶賛してくれる彼女に笑みを返してから視界に入る見慣れない髪を触った。
本来の僕の髪色は金髪。
今日はそれを魔法で染めていた。
「でも、どうして急に……?」
不思議そうに首を傾げる彼女に当然の反応だと思いながら笑顔を作った。
「知り合いに会うかもしれないと思って、少し雰囲気を変えてみたんだ。女の子と二人で出掛けてるなんて知られたら何を言われるかわからないからね。」
「なるほど、確かにここには学園の生徒もいるかもしれませんね。」
本当の理由なんて言えるはずもなく、そう説明すると彼女は納得したのか頷いてくれた。
今まで彼女と会っていたのは平民街だが、今日は違う。
貴族が多く利用する施設の集まる場所だ。
ニコルに釘を刺されたばかりなので、正体を見破られないために軽い変装してきたというわけだ。
案外髪色を変えると気付かれないものだったりするのだが、どうやら上手くいったようでここまで声をかけられることはなかった。
彼女だって一瞬誰だかわからなかったみたいだ。
安心していると、興味ありげに僕の髪を見る彼女の瞳と視線が交わった。
「それって、魔法ですよね?」
キラキラとした瞳を向ける彼女。
そう言えば……
魔法をやりたいと言っていたことを思い出し、「やってみる?」と試しに聞けば、元気な返事が返ってきた。
その弾けるような笑顔に僕も釣られて口角を上げる。
「色の希望は?」
「せっかくなので、先輩とお揃いが良いです!」
なんとも可愛らしい動機にパチンと指を鳴らして魔法を掛ける。
すると彼女の髪が頭上から黒色に染まっていった。
「わぁ!ありがとうございます!」
自分の髪を手に取った彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「……っうん、似合っているよ。」
髪の色を変えると一気に印象が変わる。
それは自分で試してわかってはいた。
だけど……、これは反則なんじゃないかな?
いつもは可愛らしい雰囲気の彼女の髪色が黒に染まっただけで大人っぽいものになる。
特に今日は落ち着いた色の服を身に纏っているというのもあるのだろう。
その魅力に当てられそうになって顔を逸らした。
どうやらそれは僕だけではなかったようで、視線が強くなったのを感じた僕は余裕を取り戻す為に彼女にニコリと笑って見せた。
「少し早いけど、入ろうか。」
「は、はい。そうですね。」
楽しそうに自分の髪色の変化を見ていた彼女は僕の言葉にハッと顔を上げて首を縦に振る。
「劇、楽しみです!」
屈託のない笑顔を浮かべる彼女はいつにも増して輝いて見えた。
多分疑いが晴れたのもあるのだろう。
そう、調査した結果ジャティール国はこの件には関与していないことが分かった。
もちろん最初に決めた調査の順番を変えたわけではない。
疑いの高い国から始めて最後の方にあたるジャティール国までをこの短期間で調べ上げた。
全ては彼女との時間を最大限に楽しむ為。
おかげで寝不足も良いところだ。
「すごく大きいんですね!建物も綺麗です!」
「国でも一二を争う劇場だからね。」
会場の広さと華やかさに驚いている彼女はここに来るのは初めてなのだろう。
貴族なら一度は訪れていても良い場所。
来たことがないのは彼女の生い立ち故なのだろうか。
そこまで考えて、彼女の家柄について何も知らないことに気がついた。
……いや、それは彼女も同じか。
僕だって偽名を名乗っているのに、彼女のことを詮索して一方的に知るのは不公平と言うものだ。
劇場の入り口に到着すると、室内へ入る前にまずチケットを確認される。
彼女のチケットが示す席は二階席で貴族の為に用意されたグレードの高い座席。
それを見せるとすぐに他の客とは別の通路を案内された。
こういう特別扱いを彼女はどう思うのか気になって横目で見ると、ちょうど目が合って顔を近づけられる。
「これって噂に聞くVIP待遇ですよね。」
小声で楽しそうに話す彼女に笑みが溢れた。
「このチケットがそんなに凄いものだなんて知りませんでした。」
まるで宝物を見るように両手でチケットを握って顔の前に持ってくる彼女は無邪気で可愛らしい。
「チケットは君が購入したものではないの?」
「はい、友達から貰ったんです。一緒に行く予定だった方と予定が合わなくなってしまったみたいで。」
「そうだったんだ。」
譲り受けたものだと聞いて腑に落ちた。
彼女が自ら高い座席を買うことは想像できなかったからだ。
それよりは近くの座席を選びそうだと予想ができる。
「先輩先輩!会場が一望できますよ!」
案内役の者に席まで連れてこられたその場所で楽しそうにそう言った彼女に僕までも新鮮な気持ちにさせられる。
ここには何度か来たことはあるが、彼女といると全く違った景色に見えるのは僕がそれほど彼女の沼にハマっている証拠なのだろう。
「お手をどうぞ。」
自然な動作で彼女をソファに座らせると、じっと視線を向けられる。
どうかしたのかと尋ねるように微笑みかけると、
「前々から思ってましたが、先輩は女性の扱いに慣れていらっしゃるんですね。」
と抑揚のない声で言われてしまった。
「それは、嫉妬してくれていると受け取っても良いのかな?」
そうだったら嬉しいのだけれど。
冗談のつもりで聞いたその言葉に彼女は頬を染めた。
予想外の反応につい僕も固まってしまう。
「……ち、違いますよ?ただ私は慣れていないのに先輩だけ慣れててずるいなぁって思っただけです!」
照れ隠しにしか聞こえないそれにニコリと笑顔を浮かべると、「本当に、それだけなんです」と消え入りそうな声で言われてしまう。
……ずるいのは君の方だよ。
そんな顔されたらこれ以上何も言えないじゃないか。
「うん、わかった。でも君はまだ成人を迎えてないから経験がないだけで、これからいくらでもその機会はあるよ。」
例えその相手が僕じゃなくても、君ならきっと素敵な人にエスコートしてもらえるはずだ。
そんな言葉は悔しいから言ってはあげられないけど、大丈夫だと安心させるように優しい声色で言えば、彼女はすぐに笑顔になってくれる。
程なくして会場の照明が落とされて、辺りが闇に包まれた。
僕も彼女の隣に腰掛けて、舞台へと目を向けた。
劇の内容はよくある悲劇の話だった。
対立した家同士の結ばれない恋。
僕達の関係に近しいものを感じながら、見ていくと段々音が遠くなっていく。
きっと寝不足と暗闇と緊張が混じり合ってこんな結果をもたらしたのだろう。
気がつけば僕は深い眠りについてしまっていた。
「先輩、……オーエン先輩。」
「リ、リー?」
目を開けると、彼女の顔が思ったより近くにあって目を見開く。
「劇終わっちゃいましたよ。」
「……もしかして、寝てた?」
「はい、それはもうぐっすりと。」
なんてことだ。
こんな失態は初めてだった。
彼女のそばにいると安心し切ってしまうのは事実だ。
だけど、寝るのは違うだろうと自分を責めていると彼女と目が合った。
「ごめん、せっかく誘ってくれたのに。」
「良いですよ。先輩、疲れてるみたいでしたし。劇場の座席ってふわふわしているので眠くなりますよね。」
謝るのが先だと思い謝罪の言葉を口にすると、彼女は何でもないといったように笑ってくれた。
「この埋め合わせは、必ず……」
「それなら、付き合って欲しい場所があるんです。」
僕が気にしないようにそう言ってくれたということはすぐにわかった。
物をねだるのならともかく、何処かに一緒に行くなんて彼女にとって得になるはずがない。
「こっちですよ。」
会場を出た後迷いのない足取りで街中を進んでいく彼女に続いていると、ある場所で自然と足が止まる。
子供達が楽しそうに遊ぶ姿が見えて、その微笑ましい光景に目を細めた。
「……この孤児院は第一王子がまだ十歳の時に建てたものだそうです。先輩、知ってましたか?」
いつの間にか僕のそばに来ていた彼女が問いかける。
知っているも何も、僕が無知故に建てた孤児院だ。
だけどそんなことを言えるはずもなく、曖昧に笑って返すと、彼女は子供達を見て優しい笑顔を作った。
「この街の幼児の死亡率が高いことを気にして作られたそうですよ。まだ幼かったはずなのに、凄いですよね。」
「……そんなことはないよ。孤児院を作るだけじゃ、問題は解決されないからね。」
この孤児院を作った時の僕は何も知らなかった。
それどころか周りの貴族達に褒められて満足したくらいだ。
慈悲深いと。殿下はお優しいと。
それが上辺だけの言葉だとは知らずに。
そんなこと、あってはならないはずなのに。
「手厳しい意見ですね。それなら、オーエン先輩ならどうしますか?」
「……所得の低い世帯の税を下げる、かな。」
幼児の死亡率が高いのは事実だ。
しかし、その解決策として孤児院を建てることは最善の選択だとは言えないだろう。
助かるのはほんの一部だけ。親に捨てられた孤児だけだ。
しかも建物の維持費、ベビーシッターにかかる人件費、そして子供達の食事代がこの先もかかる。
国の税を使っているんだ。
特定の人だけに作用するような使い方は許されるはずもなかった。
当然、反発は起き僕はそれを父上に鎮めてもらった。
その時思い知らされた。
僕は無知だってことを。
貴族の自尊心の高さも、孤児院を建てるだけでは本当に困っている人を助けられないことも、税金を使うことの重さも何もかも知らなかった。
「税金を下げたら、子供達が助かるんですか?」
「孤児院のように直接は無理だろうね。……でも、長期的に見れば多くの人を助けられるだろう。」
実に功利的な考えだ。
全体の幸せを優先して、多少の犠牲は仕方がないと目を瞑る。
それが、国のトップに立つということ。
綺麗事だけでは生きていけないのが世の中。
もちろんその犠牲を最小限に留める努力はするつもりだ。
それでも全てが救えるはずなんてない。
少なくとも目の前の人だけを救って満足していた幼い頃の僕に比べたら幾分かましになっただろう。
「……それなら第一王子は孤児院を建てたことを後悔していると思いますか?」
「それは絶対に有り得ないよ。少なくとも、この建物が建ったことで救えた命はあっただろうからね。」
孤児院を建てたことは後悔していない。
ただ、何も知らず楽観的に決めてしまった自分を悔いているだけだ。
目の前で笑う子供達を見て、ここがなかったらなんて思えるものか。
「……それを聞けて安心しました。」
その口に綺麗な弧を描く彼女は美しく、思わず見惚れてしまった。
「もう少しで着きますから。」
歩き始めた彼女の後を追うと、街全体が見渡せる高台に辿り着く。
その絶景に息を呑むと、隣に立つ彼女が笑った。
「ここが、君が一緒に来たかった場所?」
「はい」
そう言って一歩前に出た彼女は体をくるりと半回転させて僕へと向き合う。
真剣な瞳と目が合って、ゴクリと唾を飲み込んだ。
一体何を言われるのだろうか。
太陽と重なって逆光になった彼女の顔が見えなくなる。
それが不安を加速させた。
「先輩、私達もう会うのは辞めましょう?」
「……どう、して?」
突然の言葉に息をするのも忘れてしまう。
それくらい衝撃的な言葉だった。
呆然と立ち尽くす僕に彼女は困ったように笑う。
「先輩が自分の気持ちにセーブを掛けてたこと、気づいてないとお思いですか?」
「……っそれは」
「このままの関係が続かないって、先輩はわかっているはずです。」
僕の言葉を遮って彼女は悲しそうに、でもはっきりとそう告げる。
図星を突かれて、僕は何も返せなくなった。
彼女には全てお見通しだったのだ。
これ以上好きになってはならないと僕が気持ちを抑えていたことも、卒業までだと心の中で決めていたことも。
そうだ、少し考えればわかったはずだ。
人の感情に聡い彼女が恋愛感情だけ気づかないはずなんてなかった。
きっと、離れることを見越して気づかないふりをしてくれていただけなのだろう。
僕が溺れてしまわないように。
ギリギリの所で保てるように。
「……でも、“会わない”は極端じゃないかな?」
別に今まで通りの関係を続けることが悪いわけでない。
僕が彼女にそれ以上を望まなければ良いだけの話だ。
僕の言葉を受け取った彼女は、切なそうに眉を下げる。
困らせたいわけじゃなかった。
これは僕の我儘だ。
彼女と会えないなんて、考えられない。考えたくもない。
そんな気持ちが現れた我儘。
「私といたら、“殿下”の評判に関わりますから。」
そうか、そのこともバレていたのか。
「……いつから?」
「最初からです。」
あぁ、僕は初めから、幻想を見せられていたのかもしれない。
「君の目的は達成したのかい?」
だから僕を捨てるの?
その言葉に目を見開いた彼女は俯いた。
長いまつ毛の奥の瞳からは感情を読み取ることなんてできなかった。
わかっている。
彼女が利益を目的として近づいてないことくらい。
それでも、騙されて良かったと思う僕がいるんだから、もう手遅れなんだろう。
「私はまだ、君と居たいんだ。」
彼女の手を引くと、驚いて顔を上げる彼女と視線がぶつかる。
その瞳はかすかに揺れていた。
「……殿下には婚約者が居てもおかしくありません。」
「そんな者は居ないよ。」
「ですが、婚約者候補は居るはずです。」
「……」
痛いところを突かれて無言で肯定してしまう僕に彼女は微かに笑って見せた。
「私と国、どっちを選びますか?」
まるで答えがわかっているかのような顔だった。
自分が選ばれるとは微塵も思っていない顔。
それを見て、最後に意地悪をしてしまいたくなる。
「そんなの実質一択じゃないか。君だよ。」
彼女の瞳が見開かれたことで満足した僕は息を吐いた。
「……と、言いたい所だけど残念ながらそうもいかない。君の望み通りの答えをあげよう。その二択なら私は迷わず国を選ぶだろう。」
「ふふっ、知ってました。」
そう言って彼女はヒラリとスカートをはためかせた。
「一年です。」
背中を向けた彼女の声には決意がこもっていた。
「私が待てるのは一年です。もしそれまでに殿下の気が変わったら、その時は一緒に駆け落ちでもしちゃいましょうか。」
最後の方には僕を真っ直ぐに見つめて花のように笑う彼女が瞳に映る。
そんな彼女に僕は頷くことができなかった。
彼女は一瞬だけその瞳に憂いを浮かべる。
「……なーんて、冗談です。」
パッと笑顔を作った彼女のイヤリングが太陽に反射してキラキラと光を帯びている。
夕日を背負う彼女は今まで見た中で一番綺麗だった。
* * *
「殿下!大変です。たった今……って、何ですかこの状況。」
勢いよくドアを開けたニコルは機械のように書類を片付ける僕を見て動きを止めた。
「一昨日まであんなに上機嫌だったのに、なんでそんなに負のオーラを放ってるんですか?」
「……用件は?」
書類に目を向けたまま口だけ動かすと、彼は何か言いたげに息を吐いた。
「言いたくないのはわかりました。ですが、これだけはハッキリさせて下さい。」
いつになく真剣なその声に顔を上げると、彼はニコリと笑顔を作った。
「……もしかして、フラれたんですか?」
直球なその質問に力が入り、インクが滲んでしまう。
「えっ、まさか本当なんですか!?」
僕の反応を見た彼は驚いて半歩後ろに下がった。
「……違うよ。それで、用件は何?」
「まさかあの殿下がフラれるなんて……」
「だから違うと……いや、あながち間違いでもないか。」
彼女に“会うのを辞めよう”とまで言わせたんだ。
それが国と僕を想ってのことだったとしても、世間一般的に見たらフラれたのと同義だろう。
目を見開く彼に笑って見せると、心配そうな顔を向けられた。
「君にとっては良い結果になったね。」
「全っ然良くないですよ!」
あれだけ反対していたのだから、良かったじゃないかというニュアンスを含めてそう言うと、彼はズカズカと僕に近づいて机に音を立てて手を置いた。
「ここからは親友として言わせてもらいます。確かに俺は殿下の部下としては反対しました。ですが、親友としては応援していたんです。何事にも無関心な貴方が初めて自然体で居られる場所を見つけたのに、そう簡単に奪ってたまるもんですか!」
「……ニコル」
どうやら僕の“親友”は思っていたより僕のことを考えてくれていたらしい。
「……でも、何というか、完璧なタイミングになってしまいましたね。」
申し訳なさそうに手紙を前に出した彼は「これがもし計算だったら末恐ろしです。」と付け加えた。
「……これは?」
「手紙です。」
内容を聞いたのをわかっているだろうに見たままを伝えられてどういうつもりだと笑顔を作る。
言いにくい用件を緩和する為の前座ということはわかっていた。
それでも余裕がなかった僕が圧力をかけると彼は無言で手紙をひっくり返し、その宛名を示す紋章を露わにした。
「……マルティネス公爵から、か。珍しいね。」
基本的に中立派がどこかの派閥に直接手紙を出すことはない。
それこそその派閥側についたとあらぬ誤解を生む可能性があるからだ。
そんなリスクを冒してまで送られてきた手紙に眉を寄せた。
嫌な予感しかしない。
白い封筒を受け取った僕は渋々切られている封から手紙を取り出して中身に目を通す。
「……ニコルの意見は?」
手紙を読んだ僕はふぅと息を吐いてから、机の上に読み終わった紙を乗せた。
その内容は要約するとマルティネス公爵令嬢との婚約の件だった。
「この時期というのがなんとも不可解に思えます。」
「そうだね。しかも意見を百八十度変えるなんて、彼らしくない。」
元々マルティネス公爵は僕と娘との婚約を拒んでいた。
理由は単純。婚約して仕舞えばその派閥に入ることになるから。
同じ理由で叔父上との婚約も断っていたくらいだ。
公爵はどちらが王に相応しいかじっくり見分けているようだった。
そこにいきなりの婚約の申し込み。
裏がないとは思えなかった。
「王弟派の策略の可能性は?」
「……普段ならないとは言えませんが、公爵に限って言えばそれはあり得ないというのが個人的な意見です。」
「同意見だ。」
こんなわかりやすい罠を仕掛けることに賛同する人とは思えない。
しかも、ニコルの言った通り時期が時期だ。
どこかの派閥に収まる時には定例会議でその者を支持することが通例。
しかし今期の会議は終わったばかりで次の会議まで三ヶ月以上もある。
前もって働きかけることもありはするが、公爵ほど影響力のある者が支持者に媚を売る必要もなければ、ましてや婚約の打診という奥の手を使うなんて、完全に下に付くと示すようなやり方をするとは思えない。
“選ばれた”そう言えば聞こえが良いが、条件を提示されると思って身構えていたので向こうからすんなり話が来て拍子抜けも良いところだ。
「……考えられるとすれば、娘の我儘とか、ですか?何処かで殿下を見てお気に召したのかもしれません。」
「それはそれで恐ろしいね。」
話したこともないご令嬢に気に入られて婚約を申し込まれるというのは今までにもあったことだ。
だが、公爵家ともなれば話は変わってくる。
いくら娘に頼まれたからと言ってあの公爵が簡単に許すだろうか。
それなら何かあると思った方が現実的だ。
「ですが、どちらにせよ会わないという選択はありません。スケジュールを調整してすぐにでも予定を入れるべきです。」
「……そうだね。」
ニコルの言っていることは正しい。
公爵が味方についてくれるかもしれないチャンスなんて滅多に訪れるものではない。
それでも、気が重かったのは脳裏に彼女が浮かんでしまったからだろう。
僕は国を選んだ。
それなのに、王太子妃を決める大事な時に揺れてしまうなんて、なんて愚かだろう。
才女と名高い公爵家のご令嬢。
去年まで病に伏せていたが、自ら病気の特効薬を作り歩けるようになるまで回復したそうだ。
何処までも国に有益な相手。
これ以上ないほどの縁談であることはまず間違いない。
「……それにしても羨ましいです。マルティネス公爵令嬢と言えば“花姫”と噂の美貌の持ち主ですよ。殿下が相手でなければ俺が結婚したいくらいです。」
「花姫?」
元気付けようと発言したのであろうニコルの言葉に反応してしまう。
「そうですよ。花のように美しいのだとか。」
「……へぇ。」
マルティネス公爵令嬢は彼女を彷彿とさせてならない。
薬学に精通しているのも、僕が彼女に抱いたイメージ通りの呼び名が付いているのも。
思い出の中の彼女を刺激してならなかった。
ダメだ、と思考を切り替えようとしたところで、とんでもない考えが浮かんだ。
あり得ない、僕にとって都合の良すぎる想像。
彼女を調べても何も出てこなかった。
十中八九“リリー”という名前は偽名だったのだろう。
初めから僕の正体に気づいていた彼女がそう名乗ったことを責める気はない。
でも、もしかしたら……と、そうであって欲しいと望みが溢れた僕はニコルに問いかけていた。
「……肖像画はある?」
「はい!こちらに。」
興味を持ってもらえたことに安心したニコルは収納魔法でしまっていたそれを嬉しそうに取り出す。
そこに描かれた人物を見た瞬間、僕はガタッと音を立てて席を立った。
「今すぐ公爵にアポを取ってくれ。」
「今すぐですか!?しかし……いえ、かしこまりました。」
無茶を承知で頼むと渋い顔を浮かべたニコル。だけど僕の顔を見た彼は少し考える素振りを見せてから承諾の言葉をくれる。
「無理を言ったね。」
申し訳なく思いそう伝えると、彼はニカッと爽やかに笑って見せた。
「滅多にない親友からの頼みですから。」
そう言って駆け出したニコルの背中はとても頼もしく見えた。
どうやら僕は素晴らしい友を持ったらしい。
* * *
「……まさか当日中に約束を取り付けるとは思わなかった。」
馬車に揺られながら目の前に座るニコルに苦笑いを浮かべると、彼は自信満々に笑みを返した。
「優秀な部下を持って殿下は幸せですね。」
「……そうだね。」
今回ばかりは否定できない言葉に頷いてから窓の外に視線を移す。
マルティネス公爵の王都の屋敷に馬車を走らせていると、程なくして大きな門が見えてきた。
やはり公爵邸ともなると違うな、と思いながら門番のチェックをすり抜けると、すぐに屋敷が姿を現す。
やがて馬車はスピードを緩め、降りた先に待ち構えていた人物に笑顔を浮かべた。
「先日の会議ぶりですね、マルティネス公爵。」
「えぇ、殿下もお変わりないようで安心いたしました。」
まだ若々しい整えられたブロンドの髪に深みのある瞳。
和かな笑顔を浮かべる公爵の目にはこちらを伺うような目線が籠っている。
それを悟らせない為の表現管理は完璧で、公爵の人となりを知らなければ僕も騙されていたところだろう。
決して目立つような派手な装いではないのに存在感のある立ち居振る舞いには知性が溢れていた。
“国の頭脳”と呼ばれるだけのことはあって、誰に対しても抜け目がない公爵の姿に笑顔の内を見透かされないよう細心の注意を払う。
「娘は中で待っております。お出迎えできずに申し訳ありません。なにせ病み上がりですから。」
これくらいも許せないくらい器が狭いならこちらから願い下げだとでも言いたげな言葉に、口角を上げた。
「ご令嬢が最近まで病に伏せていたことは十分理解しているつもりです。それくらいのことを気に留めたりしませんよ。」
「殿下は寛大でいらっしゃいますね。さあ、こちらです。」
この男のことだから心の中で舌打ちくらいはしているのだろうと思いながら案内される背中に続く。
ニコルが明らかにホッとしている姿が視界の端に映った。
僕と公爵は昔から反りが合わない。
多分目的が違うというのもあるのだろうが、どうも性格が似ているようで、対立した時にとても厄介になる相手だ。
今だって少しでも引き攣った笑みになっていれば門前払いされていただろう。
気に食わないことがお有りなのですね、それならどうぞお帰りくださいと、もっと気持ちを腹の中に隠して言われていたと安易に予想が付く。
そう思うだけで更に気が引き締まった。
取り敢えず第一関門は突破といったところかな。
公爵邸は想像よりも豪華な装飾に彩られているわけでなく、質が良い上品なインテリアが置かれている。
公爵を表しているような内装に感心しながら足を進めると、二階の端にある部屋の前で公爵は立ち止まった。
「この部屋です。」
そう言ってから、金色の取っ手に手をかけて扉を開く。
その瞬間にガラスで一面を埋めつされた部屋から眩いほどの光が漏れ、思わず目を細めた。
中心にテーブルと腰掛けが置かれ、その席に座っている人が目に入る。
クリーム色のドレスを身に纏った少女。
控えめな印象のその色は彼女の桜色髪をより際立たせていた。
今までに見た装いとは違った華やかな姿に“花姫”と呼ばれるに相応しい美しさと可憐さが両立している女性は間違いなく僕が焦がれた人だった。
「アイデリック王国が第一王子、テオナルド・フォン・アイデリック殿下にご挨拶申し上げます。」
僕に気づいた彼女は流れるような動作で立ち上がり、綺麗な所作でカーテシーを披露する。
誰がどう見ても立派な公爵令嬢の姿がそこにはあった。
「そんなに畏まらなくても良いですよ。レディ、私に麗しい貴方の名前をお聞かせ願えますか?」
「リリアナ・マルティネスでございます。」
堅苦しい挨拶は不要だと告げれば、彼女は顔を上げて笑顔を浮かべた。
見た者を虜にする、そんな笑顔を。
「マルティネス公爵、良ければ彼女と二人にさせてくれませんか?」
彼女と話したいことは山ほどある。
そう思っての言葉だったが、公爵は渋い反応を見せた。
「しかし、まだ婚約もしておりません。何かあったら……」
「ご令嬢には指一本触れないと約束します。それでもですか?」
条件を提示しても公爵は全く譲る気がないのがわかるほど感情のない笑みを浮かべていた。
「お父様、私も殿下と二人でお話ししたいです。」
その状況は彼女の一言で一変する。
「リリー!?」
公爵が感情を露わにする姿に珍しいものを見たと目を細める。
公爵はそんな僕に気づいてすぐに笑みを貼り付けた。
だが、王族の言葉に鉄壁だった彼が娘に対してだけ見せた素の顔。
噂が正しいと示すには十分と言えるその行為は彼に言わせれば“失態”だろう。
ご令嬢を攻略すれば完全に公爵が付くことを露見してしまったようなものなのだから。
「……わかりました。私は書斎におりますので、何かありましたら伝言をお願いします。」
これ以上ここに居るのは得策ではないと思ったのか、礼をとった公爵は僕が頷いたのを見てから部屋を後にする。
彼女の侍女と僕の側近は居るが、二人だけになった部屋で僕は彼女に向き合った。
「私もリリーとお呼びしても?」
「殿下がそれをお望みでしたら。」
ニコリと綺麗に笑う彼女からは感情を読み取ることができなかった。
後ろで控えている侍女の視線が鋭くなる。
“初対面”でいきなり愛称で読んだのだから、馴れ馴れしいと思われても仕方がないだろう。
それでも表情に出さないとは流石公爵家に雇われてるだけのことはある。
「ではリリー。外に出られないほど病弱というのは本当ですか?」
僕の記憶が正しければ、彼女が歩けないほど病に侵されているとは思えない。
「いいえ、父が過保護なだけです。それで中々外出を許可してくれないのです。殿下もご存知の通り、病気はとっくに回復しておりますもの。」
困ったような表情を浮かべる彼女。
僕は公爵が外に出ようとする彼女を引き止める姿を想像してしまい、苦笑した。
「なるほど、それでは病気とは関係なく外に出るのは難しいんですね?」
確かめるように尋ねると、彼女はニッコリと笑った。
「基本的にはそうですが、説得できる理由があれば可能です。」
あの公爵を説き伏せるとは、彼女も相当な頭脳を持っているのだろう。
公爵が娘に甘いのを見ると、どれほど緩いラインかは定かではないが。
一つ情報を得た僕は足を組み直して、体勢を整える。
……これ以上の話は侍女がいる限りできそうにもないか。
まだ聞きたいことはあるが、部外者に知らせることでもないだろう。
一瞬彼女の後ろで視線を止めて引き際を見分けようとする。するとそれに気がついたのであろう彼女が口を開いた。
「殿下にお会いしたのも無理を通した結果ですし。」
途端に僕を注視していた侍女の目線が彼女に向く。
「大丈夫です。彼女の雇い主は私ですので、父にここで話した内容が漏れることはありませんから。」
彼女は侍女をチラリとも見ずに笑顔で付け加えた。
僕の心配を的確に貫いた彼女に、公爵の娘なだけはあるなと感心する。
僕が恐れていたのは“身分の低いご令嬢”に夢中になったと公爵に知れて、それを交渉の札にされてしまうことだ。
あの公爵のことだから嫌なところでそれを切るのだろう。
「なら遠慮なく聞かせてもらうね。君の目的は将来婚約者になりそうな私を見極めることかい?」
「いいえ、違います。」
彼女は一口紅茶を飲んでからゆっくりと答える。
「私の目的は殿下が王に相応しいのか確かめることです。」
まるで認められないと王になれないと告げるような口調に思わず聞いてしまう。
「……私は立太子されているよ?」
「もちろん知っています。」
派閥があるとは言え僕は“王太子”。
正式な儀式も済ませた身だ。
「ですが、私と結婚した相手が次の国王になるのでしょう?」
正確には僕か叔父上を選んだ場合だが、その言葉はあながち間違いではない。
彼女の決断で派閥は大きく動くことになるだろう。
父上が無視できないほどに。
それくらい公爵という地位は影響力を持つ。
しかも彼女は隣国も喉から手が出るほど欲しい不治の病と言われた病気の“特効薬”を作った張本人。
他国に渡すくらいならと多少の我儘が通されてしまう立場にいる。
「……君は、自分のことがよくわかっているね。」
太陽の光に照らされながら優雅に紅茶を飲む彼女を恐ろしく思っていると、笑顔を向けられた。
“リリー”が公爵令嬢だと知った時に考えはしたが、やはりただの箱入り娘ではないようだ。
「それなら私のことを直接調べたのにも何か理由があったのかな?」
ただ人柄を知りたいだけなら、誰かに調査を頼むことだってできただろう。
わざわざ正体がバレるリスクを冒してまで彼女が出てくる必要なんてないはずだ。
「……殿下は三年前に流れた噂を覚えていますか?」
「あぁ、私が王位に不相応だという内容のものだね。」
あの時は広がるスピードが早くて収拾が大変だったなと遠い目をすると、彼女は苦笑いを浮かべてから頷いた。
「はい。結局それは王弟派が流したデマでしたが、国民は混乱に陥りました。本当に殿下が王位に相応しくないのであればこのまま立太子の儀を行ってはいけないと、各地で暴動まで起こったくらいです。その時に思ったのです。」
そこで区切った彼女は紅茶に砂糖を落とした。
「真実がわからなくなるほど嘘が飛び交うこの社会では、自分で確かめるまでは何も信じてはいけないのだと。」
彼女は悲しそうな表情を浮かべて僕を見た。
その瞳は身に覚えがあるでしょう?と同意を求めているようだった。
「特に私の場合は、病弱だったこともあって世間と隔離されている状態でした。中には私が外を知らないだろうと明らかな嘘を教える方もいたんですよ。でも、私が騙されたら迷惑を被るのはお父様です。……だから私は、誰よりも世間を知る必要がありました。」
公爵が出て行った扉を眺めた彼女はまた笑顔を作った。
「それで私のことを調べたんだね?」
「ええ、三年前に噂が流れた時から一度は国に添えても大丈夫な方なのか確かめようと思ってました。」
悪びれもせず告げる彼女に尊敬の念すら抱きそうだ。
「……そんな時に私に声をかけられた、と。」
「はい。ご存知の通り私は去年まで外に出ることもままならない状態でした。殿下、知ってますか?弱っている時ほど人の優しさは身に染みるんですよ。」
彼女は急に優しい顔を浮かべた。
僕が今まで見てきた彼女ととても似た、感情がそのまま現れた顔。
きっとこれが彼女の“素”なのだろう。
「私は私が大切に思っている人が沢山いるこの国をより良いものにしたいと思っています。私には国王を選ぶほどの影響力がありますから、それをフル活用しているまでです。殿下だって自分の理想を叶えられる力があったら、使うでしょう?」
「それは確かに使わない手はないね。……それで、私は君のお眼鏡にかなったのかな?」
悪戯っぽく聞けば、彼女は肩をすくめた。
「私はちゃんと伝えましたよ。」
「それもそうだね。……でも、残念だな。」
私の言葉に彼女は首を傾げる。
その仕草は“本物”なのだろう。
「私の好きな君は居なかったのだから。」
私の言葉に頬を染めた彼女はそれを隠すように扇子を広げる。
「殿下が私のどこを好いてくれたのかはわかりませんが、あんなに礼儀が身についていない貴族のご令嬢が居たら、家族が外に出すはずがないって殿下は気づいていらっしゃったんじゃないですか?」
“礼儀”そうか、やはり彼女が演じていたのはそこなのか。
「なら、全て演技だったと?」
「当たり前です。」
即答する彼女に悪戯心がくすぐられる。
「ふぅん、そう。甘いものに目がないのも、お祭りにはしゃいでいたのも、本が好きで図書館に行きたがったのも、ジャティール国に興味があるのも演技なんだね?」
「………………演技です。」
そのあまりに誤魔化しの効かないような間に吹き出しそうになるのを抑えながら言葉を続ける。
「じゃあ、エスコート慣れしてなくて恥ずかしがってたのも?」
「……っ演技です!」
「へぇ、君はずっとベッド生活だったのに一体いつそんな機会があったんだろうね。」
確かに最初に惹かれたのは貴族らしくない振る舞いだったかもしれない。
でもそれは王妃として迎え入れるならどのみち矯正されていたものだ。
僕が好きなのはそれだけじゃない。
だから、君の“本性”を知ったところで揺るぎはしないよ。
君の敗因を挙げるとすれば、僕の気持ちを侮ったことかな。
君は自分が思っている以上に純粋だよ。
驚くほど完璧なのに、驚くほど真っ直ぐだ。
“王族に偽名を使う”という最大のカードを僕に渡さなかったところまでは良かった。でも、君は本当の穢れを知らなさ過ぎた。
そんなんだから、僕に騙されるんだ。
「殿下は貴族らしくない振る舞いが気に入ったんじゃ……?」
「私はそんなこと、一言も言ってないよ。」
確かにと納得した彼女は気づいていないのだろう。
嘘をつく時に一瞬右に視線をずらしてしまうことを。
そしてそれを演技だと告げた時に必ずしていたことを。
目の前で涙目になりそうな彼女にふっと微笑む。
これ以上いじめるのも可哀想だ。
“今は”これくらいで勘弁しておくか。
「……それで、叔父上にも同じことをしたの?」
彼女は王を選ぼうとしていた。
それならもう一人の候補を確かめていないはずがない。
「エリオ様ですか?はい、殿下より早く機会が訪れましたから。」
“エリオ様”そうか、彼女は叔父上を名前で呼ぶ程親しい関係なのか。
「それで、君の判断は?」
「そうですね……確かに地頭は良いと思いますが、それだけです。あと狡猾なところがあるので敵に回った時に少し手こずりそうですが、良くも悪くもそれくらいですかね……?」
彼女の判断は概ね正しい。
僕も長年叔父上を見てきたが、同じような意見だ。
ただ、彼女が思っている以上に厄介には感じているが。
「そっか、叔父上は君の水準に達しなかったんだね。」
抑えたつもりだが、声が弾んでしまう。
ニコルには気づかれたようで冷たい目を向けられた。
「はい。ですが王位の為とはいえ毎日ここに通っていた根気強さは評価できますよ。」
欠点だけ述べるのを申し訳なく思ったのか付け足された言葉に笑顔が固まる。
「……毎日、なんだって?」
「去年まで私がベッドから全然動けなかったので、よく花束を持ってお見舞いに来てくれたんですよ。」
聞き返した僕に彼女は素直に答えてくれる。
叔父上はそこまでしていたのか。
知りたくなかった。
宰相補佐という地位がそこまでのアドバンテージを許していたのなんて。
……というか、それは本当に王位の為だけなのだろうか。
ふとそんな疑問が浮かび上がる。
彼女に聞いて少しでも叔父上に気を向けせることはしないが、後で確認する必要がありそうだ。
だけどその答えはすぐに明確になる。
彼女の侍女が呆れたような目を彼女に向けていたからだ。
なるほど、周りが気づくほどの好意を彼女は気づけなかったのか。
彼女に視線を戻すと、静かな瞳と目があった。
「……殿下。貴方は騙していた私を罰しますか?」
紅茶を飲んでから真剣な表情を浮かべた彼女の問いに僕は笑顔を返した。
「そんなことをしたら、私はハニートラップを仕掛けたご令嬢を全員罰しなければならなくなるね。」
「……ハニー、トラップ?」
「そう。だって君がしたのはその一種だ。でも君は僕に毒を盛ったわけでもなければ、勝手に部屋に侵入したわけでもない。それなのにどんな罰を与えるというんだい?」
大真面目にそう答えれば、彼女はどこか安心したような表情を浮かべた。
自ら手札を手放してしまうほど僕も彼女に甘いらしい。
まさか家名を名乗らなかったのは、罰せられた時に公爵が巻き込まれるのを防ぐ為……?
なんとも家族思いな理由なのだろうか。
「では、殿下は私でよろしいのですか?」
今日ここに来た目的が自分を罰するものではないのなら、それ以外は縁談に色良い返事をすることしかない。
断るのなら一筆書くか、期待させない為親だけに会ってそのまま帰るかの二択だからだ。
僕は今日一番の笑顔を浮かべる。
「君こそ良いの?“国”を選んだ私は驚くほど利益を優先するよ。……それでも君は、私に付いてきてくれる?」
君は初めから望みを叶える為に僕に近づいたんだろう?
それなら僕は君の策略に喜んで騙されてあげよう。
彼女の想定通りのセリフを告白した時のように跪いて言えば、愛しい人は笑顔を作って僕が差し出した手に自分の手を重ねてくれる。
「望むところです。」
そう言ってなんとも貴族らしい笑顔を浮かべた彼女は恐ろしいほど美しかった。
……——アイデリック王国に良策を次々に生み出す国王夫妻が誕生したと騒がれるのはそう遠くない未来のお話。
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