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プロローグ

「こっちに来ないで!」


 僕は、力の限り叫んだ。

 否定してほしかった。

 そうじゃない、違うんだって言ってほしかった。

 たとえ嘘でも『違う』って言ってくれたなら、僕はその言葉を信じたかった。


 ──なのに。


 目の前にいる『僕の彼氏』は、謝ることも言い訳することもなく、困った顔で僕を見る。


 ──ああ。それが答えなんだね。


 僕は、一気に押し寄せる感情に、なすすべもなく飲み込まれていく。

 もうこれ以上望みを持ってはいけないのだと、一瞬で悟ってしまった。


「もう知らない! 触らないで!」


 僕の悲しみをぶちまけるように、吐き捨てた。


 もう、いい。君の前から、いなくなるから──


 僕は、最愛の人から逃げ出し、駆け出した。

 どこへ行くあてもない。ただただ、その場から離れたかった。

 君の視界から、僕はいなくなる。

 それは君が望んだこと。



 キキ──ッ!!



 逃げるように駆け出した身体は、気付いた時は大きな衝撃に跳ね飛ばされていた。

 あまり聞き慣れない、不自然なブレーキ音。

 わけのわからない力が僕にかかったときに、聞こえた叫び声。


 何を、叫んでるのだろう。

 ……僕の、名前……?

 気付いた時には、人々の悲鳴が、あたり一面に、響きわたっていた。





「リクはどうしたの? いつも毎日連絡をくれるのに、なんで今日は何もしてくれないの?」


 僕はそう言って首をかしげた。

 デートをしていたはずなのに、気が付いたら病院のベッドの上だった。

 腕には無数の点滴の針が刺されていて、ベッドの脇には、頭を抱えこんで大きなため息を漏らす両親。

 状況が理解できなくて、どうしたのかと尋ねたのに、両親は何も答えてくれなかった。


 次の日も、次の日も、リクは僕に会いに来てくれなかった。なんでだろう、どうしてだろう。

 他の感情は、皆どこかに置いてきてしまった。僕はただ、リクに会えないことだけが悲しかった。



 正気を失った僕が、人並みの受け答えができるようになったのは、何日も経ってからだと言われた。

 正気を失ったって何? 僕は、周りの言ってることの意味が分からなかった。



 あの日。僕たちは珍しく喧嘩をした。……ううん、喧嘩とは言えないか。僕が勝手に嫉妬して確認もしないで、喚き散らしただけだ。


 止めようとするリクが掴んだ腕を、必死に振り払って走り出した僕。

 そこまでしか覚えていない。

 思い出そうとすると、頭が割れるように痛い。身体が拒絶する。


 断片的に思い出せるのは、リクの両親から『息子を返せ』と泣き叫ばれたこと、僕の両親から『大切なアルファに何てことをしてくれたんだ』と怒鳴られたこと。

 なんでそんなことを言われているのか、全く分からなかった。

 今だって、自分に何が起きているのか、理解出来ていない。


 だってそうでしょ? 僕の大好きなリクが、もうこの世にいないなんて──



『時間が解決してくれるよ』……なんて、そんな事誰が言い出したんだろう。

 リクがいない現実から、目を背け続ける日々。

 どれだけ時間が過ぎても、軽くなるどころか、重くなるばかり。


 そんな日々に、僕は希望を見出すことが出来なかった。


 リクの両親に罵倒され、僕の両親にも責められた。

 当然だよね。大切な息子をオメガなんかのせいで失った。大切なアルファの人生を、オメガなんかが奪ってしまった。

 僕が、あの時ちゃんとリクの話を聞いていれば、リクの愛を信じることが出来ていたら。

 リクは……命を落とすことなんて、なかったのに。


 ここからなら、君の元へ行けるのかな……。


 僕は、歩道橋の上から車の行き交う道路を見下ろした。

 傘もささずに佇む僕を、ちらりと見ながら人々は通り過ぎていく。

 鼻の奥がツンと痛くなる。


 あれ……? 僕、泣いているの?


 リクがいなくなってから、僕はずっと泣けなかった。

 泣いてしまったら、リクがいない現実を認めてしまう気がしたから。

 でも、自分が泣いていると気付いてしまった。

 雨と涙が混ざりあってぐちゃぐちゃになる。


 ごめんね、リク。約束、守れそうにないや。僕、疲れちゃったよ……。


 僕は、橋の欄干に手足を掛けた。



『俺に何かあっても、絶対に自ら命を断つなよ』


 突然、リクの顔が浮かんだ。

 僕は、ハッとして、慌てて欄干から降りた。

 幸せだった頃、生まれ変わりを信じるか? ……そんな話をしたんだ。


 リクに会えなくなるのは嫌だなぁ……。

 もしまたどこかでリクに会えたとしても、約束を破ったって怒られちゃうよね。


 もう少しだけ、生きてみようかな……。


 先ほどまで欄干を握っていた手の中に、ポケットから指輪を取り出し乗せた。

 リクからもらった指輪をじっと見つめてから、決意をするようにぎゅっと握りしめた。

 僕はまだ止まぬ雨の中、ゆっくりと、だけどしっかりと地面を踏みしめて、歩き出した。


 ちょうど信号機のある交差点に差し掛かったころ、反対側の道路で、こちらに向かって手を振る親子連れがいた。

 僕の隣に立つ男性は、きっと父親なんだろう。同じように手を振り返した。


 幸せそうな家族、羨ましいな……。

 そう思いながら隣の男性を見て、改めて前方に視線を向けると、スピードを落とさず走ってくるトラックが見えた。


 えっ?


 横断歩道が、青に変わる。トラック側の信号は赤だ。

 なのに、トラックのスピードは落ちない。

 横断歩道を渡り始める、親子連れ。

 女の子が母親の手を離し、父親に向かって走り出した。


「危ない!!」


 僕は考えるより先に駆け出し、女の子の身体を突き飛ばした。

 時間にしてほんの数秒だったと思う。けれど、まるでスローモーションを見ているようだった。


 ブレーキ音がすることもなく。

 僕の身体は宙を舞った──。

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