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第91話:真実の解明

2051年1月中旬、レイチェル・チェンは、量子機械学習AIの進化が予定通りに進まない原因の究明に全神経を注いでいた。彼女は二つの可能性を同時に追っていた。量子機械学習AI自体の問題と、入力されるデータの問題だ。


まずレイチェルは、データに焦点を当てることにした。以前、彼女が新型デバイスの実験フェイズで使用していた小規模なデータと、デバイスの発売後に収集された実際のデータを比較し始めると、一つの奇妙な発見にたどり着いた。


通常、データのサンプル数が増えれば、ノイズ(データのばらつき)は減少し、より明確な規則性が現れるはずだ。例えば、コインを10回投げた結果と1000回投げた結果を比べると、1000回の方が表と裏の比率が50:50に近づく。これと同じように、感情や感覚のデータも、多くの人から集めれば集めるほど、はっきりとしたパターンが見えてくるはずだった。


しかしデバイス発売後に収集されたデータを見てみると、その逆の減少が起きていた。つまり、大規模な発売後のデータの方にノイズが多く乗っているのだ。まるで、誰かが意図的にデータを攪拌しているかのような様子だった。


「なぜこれに気づけなかったの」


レイチェルは湧き上がる悔しさを自制心で抑えて軽く机を叩いた。量子機械学習AIが通常のAIを超えた知能を獲得するメカニズムは、言語や画像など一般的な情報の全てに、人間の感情や感覚のデータが付随することで生まれる新しい次元の複雑性だった。しかし、付随する感覚や感情のデータがデタラメであるとすれば、量子機械学習AIはそこから何一つ意義のあることを学び取ることはできない。これでは、新たな次元の知能など実現されるはずも無かった。


レイチェルはすぐさま、デバイスから量子機械学習AIに感情・感覚データが送られる間にノイズが混入するメカニズムの解明にあたった。まず、デバイスから送り出された情報が量子機械学習AIにたどり着くまでの経路を精査したが、通信中にこうした大規模なノイズが乗ることは考えられなかった。つまり、感情・感覚データのノイズは、ウェアラブル・デバイスの内部で既に混入していることになる。


彼女は続いて、ウェアラブル・デバイスの基礎的な挙動を制御するファームウェアを精査した。これは、樹が開発した部分である。意外にも、問題は見つからなかった。念のため、彼女は自分自身を実験台にして自分のデバイスで感情・感覚データを取って調べてみたが、やはり異常は見られなかった。強く疑って念入りに調べたのにもかかわらず、ファームウェアに問題が発見されなかったことになぜかほっとしている自分に、レイチェルは違和感を覚えた。同時に、調査は壁に突き当たった。



ある日、レイチェルはふと思い立って、彼女の部下のデバイスを借りて感情・感覚データが正常に送信されているのか実験をしてみた。そこには、ある仮説があった。通常、こうしたデバイスは自動アップデート機能がオンにされており、さまざまなソフトウェアは最新バージョンに保たれている。一方で、開発者でありプログラマーでもあるレイチェルは、「最新版」の危うさを身をもって知っていた。レイチェル自身のデバイスは、保守的に管理し、自動アップデート機能は当然オフにしていた。そこから生まれるソフトウェアのバージョンの差が、なにかの違いを生み出す可能性はゼロではないと考えていた。



レイチェルは、そこで驚くべき発見をする。部下のデバイスから取得したデータには、元の感情や感覚がほとんど分からないほど大きなノイズが乗っていたのだ。レイチェルは新たな可能性を探り始めた。ファームウェアと何かのアプリが干渉している可能性だ。しかも、ファームウェアを開発したのは真島樹。彼が何かを企んでいる可能性も捨てきれない。レイチェルは再度、ファームウェアを精査することにした。特に、感情・感覚データの送信部分に焦点を当てた。


コードの挙動を丁寧に追っていくと、感情・感覚データを送信する直前に、ある奇妙な処理が行われていることに気づいた。それは一見、とても単純な計算だった。送信前のデータに「0」が足されているのだ。さらに深く調べると、この「0」という数字は、メモリのある場所の値に乱数を掛けて作られていることが分かった。


通常、このメモリには0が入っているため、どんな乱数を掛けても結果は0になる。そのため、送信データに0を足しても何の影響もない、一見すると無意味な処理に見えた。


しかし、部下のデバイスでのコードの挙動を追うと、驚くべき事実が判明した。メモリの同じ場所には0ではなく128という数字が入っていたのだ。これにより、乱数に128を掛けた大きな値が送信データに足されることになる。送信されるデータは、この予測不可能なノイズによって大きく歪められていたのだ。


レイチェルは、真島の意図に気づいた瞬間、その狡猾さに息を呑んだ。


次に、どのアプリがファームウェアのこの機能を有効に書き換えているのかを特定する必要があった。部下のデバイスとのバージョンの差から、いくつかのアプリが候補として浮上した。


レイチェルは粘り強く、各アプリのコードを精査していった。ファームウェアの特定のメモリにアクセスしているコードを追っていくと、ついにライフコードの評価値表示アプリにたどり着いた。評価値表示アプリは初回起動時に一度だけ、ファームウェアのあるバックドアにアクセスし、そこから指定のメモリの数値を0から128に書き換えていることが判明したのだ。


これは偶然ではありえなかった。ファームウェアのバックドアとそれを利用したアプリの協調による巧妙な仕掛け——真島と評価値表示アプリ開発者の共謀であると、レイチェルは確信した。


彼女の頭の中で、すべての点が線となって結ばれた。真島たちは、量子機械学習AIの学習を阻害するために、巧妙な策を練っていたのだ。感情・感覚データにノイズを乗せることで、AIが正確な学習を行えないようにしていた。それは、まるで人間が勉強しているときに、脈略のない感情や感覚が全身から生じるようなもの。集中力が散漫になり、正常な思考や学習が妨げられるのだ。


レイチェルは深いため息をついた。彼女の前には、この発見をどう扱うべきか、難しい選択が待っていた。真実を黒川に報告するべきか、それとも……。静寂に包まれたオフィスの中で、彼女は自分の心と向き合っていた。

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