第90話:秘密の開示
その日、俺は黒川に呼び出され、サイファー・アーキテクチャ社68階にある彼の執務室へ向かった。部屋に足を踏み入れると、彼の表情には明らかな苛立ちが浮かんでいた。俺は平静を装って挨拶をした。
「お呼びでしょうか、黒川さん」
黒川は俺を見ると、わずかに表情を和らげたが、その目には依然として焦りが残っていた。
「ああ、真島君。座りたまえ」
俺が正面のソファに座ると、黒川は深いため息をついた。
「君に相談したいことがある」
「なんでしょうか」
「あるプロジェクトに協力してほしい」
黒川はそう切り出した。
「それは、どのようなプロジェクトでしょう」
「プロジェクト・クオリアと我々が呼ぶものだ。量子機械学習によってAIの飛躍的な能力向上を目指している」
俺は国家イノベーション機構で見たあの量子コンピュータの姿と、前回の超知能AIの覚醒を経験した世界線を思い出し、思わず身震いする。黒川はそれを見逃さなかった。
「どうだい? 真島君。技術者としてはスリリングなプロジェクトだろう」
黒川が怪しげに微笑む。
「そうですね。とても挑戦的なプロジェクトだと思います」
俺は表情を作ってそう答えた。
黒川はプロジェクトの概要を俺に伝えた。国家イノベーション機構の量子コンピュータにライフコードからの感情・感覚データを伴う情報を学習させ、これまでのAIの限界を打ち破る。それは、俺が想定していた通りのものだった。
一転して黒川の表情が曇る。
「ただ、量子機械学習AIの進捗が思わしくない。2ヶ月経っても、目立った成長が見られない」
俺は意図的に驚いた様子を見せた。
「そうなんですか?ライフコードを通じたデータの収集は順調だと思っていましたが」
「データの収集自体は順調だ。しかし、それが学習に対して有効に機能していないようなんだ」
黒川は立ち上がり、窓際まで歩いた。東京の街並みを見下ろしながら、彼は続けた。
「我々の計画では、この段階で既に従来のAIを大きく上回る知能が芽生えているはずだった。だが現状は、単に高性能なAIにすぎない」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「もう少し時間が必要なのかもしれません。前例のない試みですから」
黒川は振り返り、俺をじっと見つめた。
「時間か……そうかもしれん。だが、我々には時間の猶予がない」
そのとき、ノックの音が響き、レイチェル・チェンが部屋に入ってきた。
「失礼します」
彼女は俺と黒川に軽く頭を下げた。
黒川は彼女に向かって言った。
「レイチェル、君に重要な仕事を任せたい」
「はい、何でしょうか」
「量子機械学習AIの進捗が予定通りに進んでいない。原因を徹底的に調査してほしい。データの収集から処理、学習のプロセス、全てを精査してくれ」
レイチェルは真剣な表情で頷いた。
「承知しました。早急に取り掛かります」
黒川は俺に向き直った。
「真島君、君にも協力してもらいたい。レイチェルの調査に全面的に協力してくれ」
「はい、分かりました」
俺は平静を装い、そう答えた。
黒川はデスクに戻り、椅子に深く腰を下ろした。
「我々の計画には、人類の未来がかかっているんだ。絶対に失敗は許されない」
俺とレイチェルは黒川の部屋を後にした。廊下を歩きながら、レイチェルが固い声で俺に話しかけてきた。
「真島さん、明日から調査を始めます。あなたの開発したファームウェアについても詳しく教えてもらえますか」
「もちろんです」
俺は自然な笑顔を浮かべて答えた。
「いつでも協力しますよ」
俺が軽く頭を下げると、レイチェルは自分のオフィスへと消えていった。
俺は自分のデスクに戻り、コンピューターの画面に目を向けた。表面上は作業を続けているように見せかけながら、内心では俺たちの計画の成功を確信していた。
ビジェイと共に仕掛けたノイズが効果を発揮している。超知能AIの誕生を阻止できているのだ。しかし、油断は禁物だ。レイチェルの調査によって、俺たちの策略が発覚する可能性もある。
俺は深呼吸をし、冷静さを取り戻した。これから先も慎重に行動しなければならない。
その夜、帰宅した俺はリンに今日の出来事を報告した。
「黒川が焦っているみたいだ。超知能AIの進捗が芳しくないらしい」
リンは真剣な表情で聞いていた。
「お兄様の計画が上手くいっているということですね」
「ああ。でも、レイチェルが詳細な調査を始めるそうだ。警戒が必要だ」
「分かりました。私にできることがあれば言ってください」
俺は頷いた。
「ありがとう、リン。でも、お前は学校生活を楽しむことに集中してくれ。ここは俺が何とかする」
「はい、お兄様」
リンは少し心配そうな表情を浮かべながらも、そう答えた。
ここは俺が何とかする、とはたいそうな言い草だ、と我ながら思った。前回の世界線での失態が頭をよぎる。ただ、今回は俺が何とかしなければならない。何と言っても、これは「二度目」なのだから。俺は完璧な人間とはほど遠い。ただ、プログラマーの矜持として、一度明らかになった問題を、もう一度繰り返すことだけはしないと誓って生きてきたつもりだ。




