第87話:顛末
俺は、緊張した面持ちで通話していた。平島さんに連絡を取ろうとしたのだが、通話に出たのは平島さんではなく、優しい女性の声だった。
「もしもし、平島の妻です」
「あ、こんにちは。真島と申しますが、平島さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、真島さん。平島から聞いています。申し訳ありませんが、平島は今、入院しているんです」
俺は心臓が一瞬止まったように感じた。
「入院...ですか?大丈夫なんでしょうか」
「ええ、ちょっと疲れが出ただけみたいです。大丈夫ですよ」
平島夫人の声には、不思議と安心感があった。
「本人は楽しそうでしたよ。『久しぶりに面白いことができた』って。真島さん、ありがとうございました」
俺は複雑な思いに駆られた。平島さんの熱意と才能のおかげで、「闇を照らす」は社会に大きな影響を与えている。しかし、その代償として平島さんの健康を犠牲にしてしまった。
「こちらこそ、ありがとうございました。お見舞いに行ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、きっと喜ぶと思います。面会できるようになったら、また連絡させていただきますね」
通話を切った後、俺はほっと一息ついた。しかし、その安堵感もつかの間のものだった。
翌日、黒川への定期報告の後、例によって俺は聴力を10倍に上げ、密かに室内の会話を盗み聞きした。黒川の声が耳に飛び込んでくる。
「羽田君、選挙結果の分析を頼む。何が起きたのか徹底的に調べてくれ」
羽田真琴。サイファー・アーキテクチャ社の現CEOであり、エターナル・ソサエティのメンバーの一人だ。5年前に大手広告代理店から黒川にヘッドハントされ、以来その腹心として活躍している。マーケティングと世論調査の専門家としての彼女の能力は、エターナル・ソサエティにとって重要な武器となっていた。
俺の心に不安が広がる。羽田の調査によって、「闇を照らす」の影響が明らかになれば、平島さんに危険が及ぶかもしれない。
その日から、俺は黒川への定期報告の順番を羽田の1つ前に調整し、彼女の報告を盗み聞きし続けた。羽田の報告は以下のようなものだった。
選挙結果そのものから、ライフコードのデータ分析、SNSの調査まで、あらゆる角度から選挙結果が「思わしくなかった」理由を探ろうとしていた。しかし、野党の得票率に著しい地域差や男女差、年齢差が見られなかったことが、原因究明を困難にしていた。
ライフコードのデータからは、平均評価値が10月中旬以降徐々に低下していることが確認された。通常は極めて安定しているため、何かが起きているのは間違いない。しかし、報道関係を精査しても、その契機となるようなニュースは存在しなかった。
SNS分析でも、ライフコードへの不満は目立って増えていなかった。ただ、人々に投票を促す書き込みが、特に木曜日から金曜日に増えていることに羽田は気づいたようだ。
ある日、羽田は気分転換に、OVER 800 CLUBに足を運んだらしい。マーケティングの専門家として、人々の話を聞くともなく聞いて、出てくる単語に注意を向けていた。その時、「闇を照らす」という聞き慣れない言葉を何度か聞いたらしい。
早速SNSを調べてみると、それがネルソン・マンデラの伝記的ドラマで、視聴回数ランキング1位を獲得するほどヒットしていること、公開が総選挙の期間と一致していることを突き止めた。早速視聴してみて、羽田は「真の自由とは、他人が設定した基準で自分の価値を測ることから解放されることだ」という台詞が繰り返されていることに注目、これは反ライフコードのメッセージで間違いないと確信した。
選挙に行こうという書き込みも、ドラマの公開サイクルと一致している。今回の選挙結果は、間違いなく、この影響だと羽田は確信した。問題は、誰がこれを作ったか、なぜここまでヒットしたかだ。
羽田はさらにSNSの分析を進めたが、「評価値が上がった」という書き込みが異常に多いことに気づいた。まさかと思い、サイファー・アーキテクチャ社の特別マーケティング部門にデータの提出を求めたようだ。エターナル・ソサエティによるライフコードの企業・政府機関向けの操作は以前は活発に行われていたが、今や中心は超知能AIの開発に移っており、特別マーケティング部門はある意味「閑職」となっていた。
そこから提出された案件リストの上位に、「闇を照らす」の視聴によって評価値を上げる操作が含まれていることを羽田は発見した。彼女は取引企業である「Flache Insel AG」についても徹底的に調べた。ドイツ風の名前だが、国籍はケイマン諸島で、その先がたどれない。大手配信サイトにも問い合わせたが、やはり配信元は「Flache Insel AG」で、海外ドラマの配給という体裁をとっていた。
正体はたどれないが、ある程度の資金力もあり、外国勢力の干渉の可能性も否定できないと羽田は考えたようだ。いずれにしても、配信停止にすべきだと黒川に報告した。
黒川は、内閣府に出向している五十嵐剛を通じて、総務省から圧力をかけるよう羽田に指示した。
俺は冷や汗を流しながらも、安堵感を覚えた。平島さんに危険が及ぶことはなさそうだ。ドラマは既に役目を果たしている。たとえ配信停止になったとしても、人々の心に残ったメッセージは消せない。




