第86話:闇を照らす光
俺は新デバイスのファームウェア開発に没頭していた。「二度目」ということもあり、作業は驚くほど順調に進んでいる。今回は感情・感覚データの精度を256段階から32段階に落としたが、それでも通常のアプリで利用する分には十分な精度を保っていた。
「大丈夫そうだ」
俺はつぶやいた。そこには、ファームウェアが通常の用途で確実に機能するという意味と、超知能AIの誕生を助けることはない、という二重の意味が込められていた。
今回の開発で最も重要なのは、このファームウェアに仕掛けた抜け穴、つまりバックドアだ。このバックドアを通じて、ビジェイが作成した評価値表示用のアプリがウエアラブル・デバイスのメモリの特定の場所の数値を書き換える。それをフラグとして、デバイスから量子機械学習AIに送られる感情・感覚データに大きなノイズを乗せる。これにより、AIが感情や感覚を他の情報と結びつけて学習することを効果的に阻害できるはずだ。
10月に入るとすぐに、平島さんから連絡が入った。
「真島君、マンデラの自伝ドラマの第1話ができたよ。タイトルは『闇を照らす』」
「良いタイトルです。でも、 もうできたんですか?」
俺は驚いた。ムジーク社で作成を依頼してから、わずか半月ほどだ。
「昔取った杵柄って奴だよ。若い頃は無茶苦茶なスケジュールで番組を作っていたもんだよ」
平島さんの声は、どこか楽しそうだった。
「すみません、無茶苦茶なスケジュールでお願いしてしまって」
俺は恐縮した。
「いや、いいんだ。オールAICGならこんなもんだよ。問題は頭の働く速度だけだね」
平島さんは笑った。
その日の夜、俺はリンと一緒に、平島さんから送られてきたドラマを視聴した。第1話はマンデラの幼少期から青年期、アフリカ民族会議に加盟して反アパルトヘイト運動を開始するまでを描いていた。
「すごい…これ、本当にAICGなの?」
リンが感嘆の声を上げる。ネットに大量に上がっている素人作成のAICGとは一線を画していた。
「ああ、明らかにプロの仕事だね。さすが平島さんだ」
脚本や音楽も含めたクオリティの高さに、俺は期待が膨らむのを感じた。
10月中旬、衆議院の解散のニュースが飛び込んできた。ファームウェアの開発は順調で、前回の世界線のように忙しくはないものの、俺は「ある実験」をしたかったこともあり、山本さんの選挙運動は手伝わないことにした。
「リン、俺は今回も山本さんのところには行かないよ」
「分かりました。でも、大丈夫なんですか?」
「ああ、前回のあの世界線でも、山本さんは何とか当選を果たしていたからな」
11月中旬の投開票日まで、平島さんのドラマは毎週1話ずつ大手動画配信サービスで公開された。3話からは架空の人物、テツコ・ヤマモトという日本人が登場し、マンデラとエリザベス女王を繋ぐ重要な役割を果たす。
「お兄様、テツコ・ヤマモトって…たしか1934年生まれの日本の小説家で、原子力発電に反対していた人ですよね。「原子力の村をゆく」とか「予言」で有名な。なぜ、南アフリカに?」
リンが不思議そうに尋ねる。俺は黙り込み、表情が微妙になる。
「..というのは冗談です。びっくりした?」
リンが小声で言う。ちょっと拗ねているように見える。
リンはこのところ、驚くほど成長している。それでもAIの宿命である、知らないことについて曖昧な記憶を形成してしまうハルシネーションの問題はまだ残っているようだ。
「彼女は、ドラマ内の架空の人物だね。遠い南アフリカの話を日本人にも関係があるようにして、視聴者の興味を引くための巧妙な設定だな」
毎週木曜日の公開を楽しみに、俺とリンは一緒にリビングで「闇を照らす」を鑑賞するのが日課となっていた。
「そういえば、学校でも話題になっていました」
リンが嬉しそうに報告する。
「まあ、高校生が見ても十分面白いからな」
「それもあるんですが、これを見ると評価値が上がるみたいで」
俺は驚いてSNSを検索した。確かに、評価値が上がったという書き込みが多数上がっている。
「まさか…」
俺は思わず呟いた。平島さんが広告費を5億、と言っていた記憶が頭をよぎる。エターナル・ソサエティは企業や政府機関を手なずけるために、特定の商品の購入や特定候補への投票と評価値を不正に結びつけていた。平島さんはそのルートを使って、ドラマを見ると評価値が上がるように工作したのかもしれない。それは、俺たちが戦っている悪しきライフコードの姿そのものだ。しかし、それを逆に利用して戦おうとする平島さんの姿勢に、俺は衝撃を受けた。
「俺にはとてもできないな..でも、それじゃダメなんだろうな」
品行方正だけでは力が足りない。かといって、目的のためなら何をやっても良いと考えれば、たちまち暗黒面に落ちてしまう。そのバランスは、やはり経験でしか身につかないのだろう。
投票日の3日前、ついに「闇を照らす」は最終回を迎えた。マンデラが27年間の獄中生活から釈放され、アフリカ民族会議の議長に就任、後継者の暗殺などの危機を乗り越え新憲法を制定、大統領に就任して全ての民族の融和を訴えるまでだ。
その姿に、俺は涙を抑えられなかった。俺自身の6ヶ月の拘留生活を思い出し、27年という時間の長さを自分のこととして感じていた。にもかかわらず、復讐ではなく、全民族の融和を訴えるマンデラの姿には感動せざるをえなかった。隣を見ると、リンも真剣な表情で見入っている。
ドラマのエンディングでは感動的な音楽にマンデラが劇中で何度も繰り返していた言葉が浮かび上がる。
「真の自由とは、他人が設定した基準で自分の価値を測ることから解放されることだ。我々一人一人が、自分自身の人生の裁判官でなければならない」
俺はその言葉を何度も噛みしめた。
11月中旬、ついに投開票日を迎えた。俺とリンは固唾をのんで結果を見守る。
「お兄様、見てください!」
リンが興奮した様子で画面を指さす。午後8時の選挙結果予測で、与党系221:野党系12、未確定の議席が多く残っているが、現時点で前回の野党系の最終議席6は既に上回っている。
「やった!前回の世界線より議席が増えてる!」
俺とリンは思わず抱き合って喜んだ。
最終的に与党系262議席、野党系で38議席で与党圧勝の結果は動かなかった。しかし、「闇を照らす」の成功は、芸術やエンターテインメントによって人々の行動を変えられるという、確かな手応えを感じる結果になった。




