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第72話:野望の深淵

国家イノベーション機構の巨大な建物の一室に、俺は小さな机を与えられていた。周囲の研究者たちは忙しそうに行き交っているが、俺の机の上には量子機械学習に関する論文が積み上げられているだけだった。


「はぁ……」


思わず漏れた深いため息。プロジェクトは既に軌道に乗っており、俺が入り込む余地はほとんど残されていなかった。しかし、この状況は俺に新たなアイデアを思いつくための時間を与えてくれていた。


「そうだ、山本さんの依頼……」


俺は急に目を輝かせた。山本さんが抱える有権者とのコミュニケーション不足という問題。その解決策として、「山本のおっさんbot」を作るという案が頭に浮かんでいた。


その日の夜、俺はリンにアイデアを説明した。


「SNS上で山本さんの主張に関連するつぶやきを見つけると、自動的に返信するんだ。悩んでいる若者を励ましたりもできる」


リンは興味深そうに聞いていた。


「面白そうですね。でも、そのbotはどうやって山本さんらしく振る舞うんですか?」


「山本さんの過去の著作や演説、国会での発言を全部読み込ませるんだ。それを基に、AIが山本さんの思考を再現する」


幸い、人間の思考をAIで再現するノウハウならライフコードの開発で嫌というほど蓄積してきた。俺は説明を続けた。


「もちろん、問題発言をして炎上したりしないよう、お前に監修をお願いしたい。なにしろ倫理のことだからね。人間の感情を理解しているお前なら、適切なチューニングができるはずだ」


リンは少し考えを巡らせてから答えた。


「分かりました。私にできる限りのサポートをさせていただきます」


それから2週間、俺とリンは夜の時間や週末を「山本のおっさんbot」の開発に注ぎ込んだ。俺がプログラミングを担当し、リンは発言のチューニングを行う。時には夜遅くまで議論を重ねることもあった。


完成したbotを山本さんに見せると、彼は絵文字のような驚きと喜びの表情を浮かべた。


「これは……まるで私の分身のようだね」


山本さんは画面を食い入るように見つめながら言った。


「使ってみても構いませんか?」


俺は少し緊張した面持ちで尋ねた。


「もちろん! ぜひ使ってみよう」


山本さんの許可を得て、「山本のおっさんbot」はSNS上にデビューした。その反応は予想をはるかに上回るものだった。


投入からわずか数日で、botのフォロワー数は数万人に達した。SNS上には「山本のおっさん、めっちゃ返信くれる!」「悩みを相談したら、すぐに励ましてくれた」といった好意的なコメントが並んでいた。


1週間後、山本さんは興奮した様子で俺とリンに報告した。


「君たち、信じられないよ。昨日、商店街で若い子たちに『あ、山本のおっさんだ!』って声をかけられたんだ。SNSでの活動が、リアルの世界にまで影響を与え始めているようだ」


俺とリンは喜びの表情を見せ合った。


「それだけじゃないんだ」


山本さんは続けた。


「botを通じて集まる人々の声は、私にとっても貴重な情報源になっている。若者たちが何を考え、何に悩んでいるのか、リアルタイムで把握できるんだ」


山本さんは感慨深げに言った。


「昔の政治家は駅に立ってビラを配ったり、演説したんだ。僕は世代じゃないけどね。このbotは、そのバーチャル版と言えるかもしれない。24時間365日、SNSの世界に出て行き、人々の声を聞き、自分の考えを伝える……」


「そうですね」


俺はそう答えたが、小さな不安も感じていた。果たしてこの方法で、本当に人々の心に届く政治ができるのだろうか。AIに任せきりになって、逆に政治家と有権者の距離を広げることにならないだろうか。


帰り道、そんな俺の思いを察したかのように、リンが静かに言った。


「お兄様、このbotは単なるツールに過ぎません。大切なのは、山本さんの思いや熱意。それがbotを通じて人々に伝わっているんだと思います」


俺は安堵して微笑んだ。


「そうだな。テクノロジーは人と人をつなぐ道具に過ぎない。大切なのは、その向こうにいる人間の心だ」


その夜、俺は「山本のおっさんbot」の活動ログを眺めながら考えを巡らせていた。このbotは、少しずつでも社会を変える力になるかもしれない。俺はこのbotに、ライフコードによって硬直化した社会に対抗するツールの一つになる可能性を見いだしていた。


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