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第64話:謎のインド人

昼下がりの新宿、高級感漂うインド料理店の入り口。手前の角を曲がったあたりから突然颯爽と歩きはじめたビジェイが、店のドアマンに左手首のデバイスを見せる。画面に表示された高い評価値を確認したドアマンは、丁重に俺たちを店内に案内した。


席に着くなり、俺は思わず口にしていた。


「評価値、高いんですね」


ビジェイはにやりと笑ってささやいた。


「これ、偽物。ほんものっぽく表示しているだけ。そもそも、僕の滞在ビザじゃ評価値をもらえないからね」


彼の左手のデバイスには「822」の評価値が堂々と表示されている。俺はビジェイの大胆さに驚いた。評価値を偽装するなんて、俺は考えたこともなかったし、思いついたとしてもリスクを考えればとても実行できない。


スパイスの香り高いカレーが運ばれてくると、ビジェイは優しく言った。


「ここのカレー、あまり辛くないから、大丈夫だよ」


俺はスプーンを手に取りながら、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「これ、失礼かもしれないけど、日本語凄いですね。日本で育ったんですか?」


ビジェイは首を横に振った。


「いや、僕はビハール州のブッダガヤの近くの村で育ったんだ。だから生粋のインド人。日本に来たのは22歳の時」


俺は驚きを隠せなかった。


ビジェイが付け加える。


「あ、あと、今の首の動きは普通にノー。で、普通インド人はイエスの時はこうするけど……」


ビジェイが首を左右に傾げる。


「紛らわしいから、僕は普通にこう。日本で最初に学んだこと」


ビジェイが首を縦に振った。


「なるほど……でも、どうやってそんな流暢な日本語を?」


ビジェイは答えた。


「お金がないから、自分で作ったアプリで勉強したんだ。まあ、AIを使えば会話は簡単だよね。工夫したのは発音の矯正機能ぐらいかな」


俺は驚きっぱなしだった。自作のアプリで言語を習得するなんて、並大抵の才能ではできない。


ビジェイは突然笑い出した。


「もっと謎のインド人っぽく、片言の日本語がよかったかな」


俺は思わず吹きだした。ビジェイの屈託のない態度に、緊張が解けていくのを感じた。


「あと、樹、敬語はやめよう。敬語、外人には難しいデス」


とビジェイがウインクをする。俺はちょっとドキッとする自分に戸惑った。インド人には彫りの深い人が多いが、ビジェイの顔立ちは中でも整っているように思えた。


俺は頷きながら、もう一つ気になっていたことを尋ねた。


「そういえば、近森さん?をデーヴィといっていたけど、どういう意味?」


ビジェイの表情が柔らかくなった。


「ヒンドゥー語でデーヴィは神様という意味。僕が15歳の時、村を訪ねてきた彼女と出会ったんだ。彼女は、僕が勉強が得意なのを知って、進学をずっと支援してくれた。おかげで、インド工科大学に入って勉強を続けられた。日本に来たのは、その恩返しだね」


俺は自分の知らない世界があることを改めて感じた。そういう境遇から日本に来ているビジェイは凄い。きっと才能も努力も並大抵ではないのだろう。


「そういえば、樹はプログラミング言語は何を使っている?」


ビジェイが話題を変えた。


「主にRustを」


俺はちょっと躊躇しながら答えた。Rustはここ10年で完全に主流になった言語で、本当はもっとマニアックな言語を答えてビジェイを感心させてみたかった。


「ビジェイは?」


「僕は何でも使うけど、最近はUIの仕事が多いからTypeScriptXRがメインになっているね」


俺はほっとした。TypeScriptXRも極めて実務的な言語だ。ビジェイが俺に合わせてくれたのかもしれないが。


俺はようやく本題に入った。


「それで、俺はムジークでは何の仕事をすれば良い?」


ビジェイは真剣な表情で説明を始めた。


「サイファーから発注が来るのは、主にライフコードのユーザーインターフェイス、特に評価値の表示部分の仕事で、いまはそのバリエーション作り。今のライフコードのフェイスはデフォルト1種類だけど、少し自由度を持たせたいらしい。人々が選べるように。樹にはそれを手伝ってほしい」


「わかった」


俺は答えたが、心の中には苦い思いが広がった。もし黒川が言っていた「人々に少しの自由を認める」というのが、デバイスの見た目を少し選べることだとすると、怒りを覚えずにはいられなかった。評価値の表示するデザインを変えられるようにすることを、彼は「自由」と呼んでいるのだろうか。そんなはずは、と思った後、考え直した。十分にあり得ることだ。


しかし、俺はその思いを表に出さなかった。今はまだ、エターナル・ソサエティの内部に潜り込んだばかり。ここで本心を明かすわけにはいかない。


「まあ、樹みたいな優秀な人には面白い仕事じゃないと思うけど、仕事だけが人生じゃないからね」


俺の表情に浮かんだ不満を、ビジェイは見逃さなかった。ただ、真意までは読み取られていなくて良かった。


食事を口に運びながら、俺は考えを巡らせた。この仕事を通じて、今のライフコードのシステムをより深く理解できるかもしれない。そして、その知識は必ず、エターナル・ソサエティとの戦いに役立つはずだ。


「ところで」


ビジェイが突然真剣な表情になった。


「樹は本当にサイファーの人?」


俺は一瞬息を呑んだ。ビジェイの鋭い眼差しに、何か見透かされているような気がした。


「ああ、そうだけど…どうして?」


俺は平静を装って答えた。


ビジェイはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて笑顔に戻った。


「なんでもない。気のせいだったみたいだ」


俺は安堵のため息をつきながらも、ビジェイの言葉が気になった。この人は、何か感づいているのだろうか。それとも、単なる冗談だったのか。俺の心には謎の緊張感が生まれていた。

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