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第63話:初めての教室

樹の初出社の日は、リンの初登校の日でもあった。教室に差し込む朝の柔らかな光の中で、リンは緊張に背筋を伸ばしたまま入り口に立っていた。ゆっくりと深い呼吸を繰り返し、心を落ち着かせようとする。


「みなさん、今日からこのクラスの一員になる吉岡さんです。イギリスからの編入生です」


担任の声が教室に広がると、一瞬の静寂が訪れた。リンは再び深く息を吸い、教室に入ると黒板の前へと歩を進めた。


「はじめまして。吉岡倫と申します。イギリスから参りました。日本の文化や習慣にはまだ慣れていませんが、精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」


丁寧な挨拶と共に、リンが深々と頭を下げる。クラスメイトたちの目には、その落ち着いた物腰と愛らしい雰囲気への好奇心が宿っていた。


担任の指示に従い、リンは窓際の空いた席へと向かった。周囲の視線を意識しながら、慎重に椅子を引く。授業が始まり、リンは自然と周囲の空気に溶け込もうと努めた。


チャイムが鳴り響くや否や、リンの席の周りには人だかりができた。クラスメイトたちの抑えきれない興味が、次々と質問となって飛んでくる。


「ねえねえ、イギリスのどこに住んでたの?」


明るい声の女子生徒にリンは微笑みかけた。


「生まれてからずっとロンドンに住んでいました」


「え? じゃあ日本に来たのは初めて?」


別の女子が驚いた様子で問いかける。


「そうなんです。日本のことは動画や本でしか知らなくて、実際に来たのは今回が初めてです」


照れくさそうに答えるリンに、男子生徒が興味深そうな声を向けた。


「家族は? 兄弟とかいるの?」


「兄が一人います。今は東京で働いていて、一緒に住んでいます」


「へぇ、両親は?」


別の女子の問いに、リンは用意していた答えを口にした。


「父は大学教授で、母は日本語の教師をしています。両親が、私が一度も日本を経験しないのは良くないと思ったみたいで、今回帰ってくることになったんです」


「すごい!」


歓声が響く。


「じゃあ、英語ペラペラなんだ?」


リンは少し照れながら答えた。


「はい、英語は話せます。というか...」


一瞬の躊躇いの後、続ける。


「実は、何語でも話せるんです」


教室が静まり返った後、驚きの声が次々と上がる。


「マジで?」


「どういうこと?」


「何カ国語話せるの?」


質問が立て続けに飛んでくる。正直に話しすぎたかもしれない——そう思いながら、リンは考えを巡らせた。人間の世界でも複数の言語を操る者は珍しくないという認識は、もしかすると誤りなのだろうか。


「ロンドンにはいろいろな国の人が住んでいるので、友だちからその国の言語を教えてもらっていました。話せるのは5カ国語ぐらいでしょうか。でも、日常会話レベルです」


リンは控えめに答えた。感嘆の声と共に、さらに生徒たちが集まってくる。


「イギリスの学校はどんな感じだった?」


利発そうな男子生徒の問いに、リンは少し考えてから答えた。


「日本とは違って制服がなくて、もっとカジュアルな感じです。でも、勉強の内容はそれほど変わらないと思います」


「イギリスの食べ物って美味しいの?」


運動部らしき男子が好奇心に満ちた目で尋ねる。


「正直...あまり美味しくないです」


リンの言葉に、クラス全体が笑いに包まれた。


「でも、フィッシュ・アンド・チップスとか、ローストビーフは好きですよ」


「日本の食べ物は? 何か好きなものある?」


隣の席の女子が尋ねた。


「まだあまり食べていないんですが、お寿司はイギリスでも有名で、好きです」


リンは答える。


「でも、一番好きなのはミルクティーかな」


この世界で最初に口にした味を、リンは懐かしむように語った。


「ミルクティー?それってイギリスっぽいよね」


誰かの声に、リンは柔らかな笑顔を向けた。


「そうですね。イギリスの影響かもしれません。でも、日本のミルクティーのほうが甘くて好きです」


次々と質問が飛んでくる。日本の印象、文化の違い、学校生活の違い——クラスメイトたちの好奇心は尽きることを知らなかった。リンはゆっくりと丁寧に、一つ一つの問いに向き合っていった。


AIとしての知識を基盤としながらも、人間らしい応答を心がけるリン。的確で時に面白い彼女の受け答えに、クラスメイトたちの心は次第に惹かれていった。


休み時間の終わりが近づくにつれ、リンはクラスの空気に自然と溶け込んでいた。その周りには、すでに「友達になりたい」という思いを宿した生徒たちの姿があった。


チャイムの音が教室に響く。


「リンちゃん、お昼一緒に食べよう」


「放課後、学校案内するね」


「バスケ部、見学に来てね!」


クラスメイトたちの声に、リンは嬉しそうに頷く。


席に着きながら、リンは静かに心の中で思った。


「お兄様、私、うまくやれるかもしれません」

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