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第50話:仮想世界の可能性

仮想世界の空気にも少しずつ馴染んできた頃、俺は御厨博士から説明を受けたウェアラブル・デバイスの機能を吟味してみることにした。このデバイスは、大きく分けて二つの異なる能力を秘めている。


ひとつ目は、セーブポイントの作成と時間操作という、ゲームのような機能だ。セーブポイントを設置すれば、いついかなる時もその瞬間に立ち返ることができる。さらには、この世界で「死」を迎えた場合でも、直前のセーブポイントへと自動的に戻される仕組みになっている。


ふたつ目の機能は、より直接的な自己改変の力だ。「脳」を除く全ての身体能力や、所持金に至るまで、自分自身に関するあらゆるパラメータを自在に操ることができる。まさにゲームのキャラクターメイキングさながらの感覚だった。


無限の可能性に心が躍るが、この世界での本来の目的を見失ってはならない。それは、社会を定常状態から解放する術を見出すことに他ならない。見出した戦略は現実世界でも再現可能でなければならないのだ。つまり、俺が「チートキャラ」となって世界を救ったところで何の意味もない。能力パラメータの操作は、あくまでも戦略を模索する過程での補助的な手段として、最小限に留めることにした。


なお、このデバイスは現実世界への帰還にも使用する。また、時間の流れが1000倍も異なるため、御厨博士とのリアルタイムでの意思疎通は叶わない。代わりに、Audrey(オードリー)を介して低頻度でのメッセージのやり取りが可能となっている。


新たな世界の可能性を探るため、俺はいくつかの実験に着手することにした。


まずは、セーブポイント機能の検証だ。健康管理室で左手首のデバイスを操作し、セーブポイントを作成する。デバイスで時刻を確認すると、16時17分だ。


「ちょっと出てくる」


Audreyにそう告げ、俺は廊下へと足を踏み出した。かつて勤務していたクオンタム・ダイナミクス社の馴染み深いフロアを歩き回る。時計を見ると、既に10分ほどが経過していた。意を決して、左手のデバイスの「戻る」ボタンを押す。


瞬時に視界が暗転し、目を開けると再び健康管理室の空間が広がっていた。左手首のデバイスを確認すると16時17分と表示されている。


「お帰りなさい、お兄様。部屋の外はいかがでしたか?」


Audreyの声が響く。時間は確かに巻き戻されているのに、自分の記憶も彼女の記憶も完全に保持されていることに、俺は驚きを覚えた。


次なる実験は、自身の能力値の操作だ。この世界では、興味深いことに身体能力のパラメータが「筋出力」という一つの値に集約されている。通常のゲームであれば、スピードやパワーといった複数のパラメータが存在するはずだ。確かに、それらは全て筋出力に関連する要素ではあるが、この単純化はいささか面白みに欠けるようにも感じられた。


試しに筋出力のパラメータを3倍に設定し、いかにも保健室にありがちな目の前のベッドを持ち上げてみる。片手でもベッドの片側が軽々と持ち上がった。そのまま普通に歩き出すと、予想以上の速度で前進する。他者から見れば、まるで競歩のような奇妙な光景に映るだろう。


人目を避けながら、俺は廊下の自動販売機まで向かう。ついでに所持金の操作も試してみることにした。1万円に設定し、左手のデバイスを自動販売機にかざすと、250円の飲み物を2本、何の問題もなく購入できた。残金は9500円と表示されている。


コーヒーとミルクティーを手にして健康管理室に戻る。Audreyに渡すのは、より味わいがシンプルなミルクティーにした。


「Audrey、これ、飲んでみて」


恐る恐るミルクティーを口にしたAudreyの表情が、徐々に明るみを帯びていく。


「何か、好ましい味がします」


「それが『甘い』という味だよ」


俺の言葉に、彼女の瞳が輝きを増した。


「なるほど、これが『甘い』なのですね。知識としては知っていますが、それを感覚として理解するのはとても興味深いです」


俺も自分のコーヒーを啜りながら、深い感動に浸っていた。その仕組みは分からないものの、確かにコーヒーそのものの複雑な味が舌の上に広がっている。


窓の外を見やると、眼下には夕暮れ時の東京の景色が広がる。様々な実験を重ねているうちに、時計は午後6時を回っていた。俺は今日1日をこの健康管理室で過ごすことを決意した。まだ未知の要素が多い中で、Audreyを連れて夜の街を歩くのは避けたかった。


人の出入りを防ぐため、健康管理室の入り口のプレートを「医師不在」に切り替える。これで、新世界での最初の夜を、つつがなく過ごせそうだ。

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