第115話:同志
夕暮れ時、国家イノベーション機構での仕事を早めに切り上げた俺は、御厨博士と面談するためにクオンタム・ダイナミクス社の健康管理室へと向かった。ドアを開けると、意外な声が飛び込んできた。
「これを見てください、みくじい!」
その声に、俺は思わず眉をひそめた。結月だ。そして、御厨博士を「みくじい」呼ばわりとは。
「おや、樹君」
御厨博士が振り返る。その横で、結月はコンソールに向かって何かを操作していた。俺は顔が引きつるのを感じたが、博士本人が全く気にしていないのであれば、とやかく言うことでもないだろう。
「また来てるのか、ユヅ」
「うん。最近ここが自分の部屋みたいになってるんだ」
結月は嬉しそうに答えた。確かに、ここのところ、彼女の姿を見かけることが増えていた。
「進路の方は?」
俺が尋ねると、御厨博士が答えた。
「ああ、それが素晴らしい話があってね。ユージィはアメリカの大学を目指すことになったんだ」
「え?」
俺は二度驚いた。アメリカの大学という選択と、ユージィという呼び方だ。推測するならば、ユヅキはアメリカでは発音しにくいから、ユージィというニックネームを博士がつけたのだろう。そして、結月が、じゃあ、御厨博士はみくじいね、と。目に浮かぶようだ。
「来年の夏までにGEDに合格して、9月からアメリカの大学に行くんだ」
結月が俺の方を振り向いて誇らしげに言った。
「GEDって確か、アメリカの高校卒業認定試験」
御厨博士が説明を始めた。
「確かにユージィの能力なら、特別入学枠で直接大学に入れるだろう。しかし、GEDの勉強を通じて、工学以外も幅広い知識を身につけておくことは、長い目で見て重要だとアドバイスしたんだ」
「なるほど」
「それより、これを見て、兄者」
結月が画面をホログラフィックディスプレイに切り替えて、表示された3Dモデルを指さした。人型ロボットの設計図が、空中に美しく浮かび上がる。
「ロボットか」
「うん。でも、特殊なんだ。目だけを高精細の有機ELディスプレイにしたの」
「目だけ?」
「そう。普通のロボットって、どんなにリアルに作っても、不気味の谷に落ちるでしょ?それを克服する研究なんだ」
御厨博士が補足する。
「ユージィと始めた共同研究なんだ。人の目は感情を伝える重要な器官で、人間の認知は目については非常に敏感になっている。そこだけをピンポイントで高精細化することで、違和感を大幅に減らせるという仮説を立てているんだよ」
「なるほど」
実際、画面上の3Dモデルは、他の部分は普通のマネキンのようだが、目だけが生き生きと輝いていた。不思議と親近感すら感じる。俺は、それを見ながら、「リンの体を作る」という自分の約束を思い出していた。これは、一つの可能性かもしれない。
「すごいじゃないか、ユヅ。これ、不気味じゃないロボットを作る第一歩になるんじゃないか」
「でも、これだと僕は泣くね」
結月が不満そうに呟いた。
「泣くってどういうことだ?」
「うん。確かに、見る側からしたら、これはリアルな感じがすると思う。でも、もし自分が交通事故かなんかで死んで、記憶だけこういう体に移植されたとしたら、自分の体を見て悲しくなるだろうね」
その言葉に、俺は一瞬はっとした。確かに、他人が見てリアルに見えるということと、その体を自分の体としてすんなり受け入れられるか、ということは全く別物だった。
「いずれにせよ、ユージィにはロボット工学の研究が向いていると思うんだ」
御厨博士が穏やかな表情で続けた。
「ハードウェアとソフトウェアの両方に精通しているからね。まあ、今回の研究はユージィにとっては遊びのようなものかもしれないが、推薦状に書くには十分な水準だよ」
「そういえば」
結月が突然、話題を変えた。
「ドラマの制作費って、どうするの?」
「なんでお前がそれを知ってるんだ?」
「いや、雑談の中でね。ユージィも仲間だしね」
御厨博士が言いよどむ。
「実は、兄者に聞かせたい話があるんだ」
結月がにやりと笑う。
「実は、僕がOGから形見として貰ったPCがあるんだ。2010年代のやつで、GTX 780 Tiが載ってる」
GTXが具体的に何なのか分からなかったが、語感的にグラフィックスボードだろう。結月の曾祖父は有名な技術者だったので、そうしたPCを自作していても何ら不思議はなかった。
「OGから言われたんだ。もし、お前が困ったことがあったら、これを使えって」
結月が続ける。
「ひいお爺さんのお前に対する愛情は分かる。でも、いまは2050年代だぞ。40年近く前のPCを使えって言われても」
俺が突っ込むと、結月が不敵な笑みを浮かべた。
「HDDを解析してみたら、あるものが見つかったのだよ、樹君」
「あるものって?」
俺にはさっぱり見当が付かなかった。
「仮想通貨」
俺は、その言葉に鳥肌が立つのを感じた。
「どのくらいの額?」
「分からない。でも、最低でも何十億円分はあると思う」
俺は絶句した。
「OGが趣味で初期の頃に採掘した仮想通貨だと思う。親も知らないんだけど」
「それって」
俺は平島さんの顔を思い浮かべていた。
「ドラマの制作費に使わせていただけるでしょうか、結月様」
「いいよ。どうせ、僕一人じゃ使い道がないからね」
結月は満面の笑みを浮かべていた。その瞬間、俺は確信した。結月は、もう「妹分」なんかじゃない。一人の技術者として、そしてエターナル・ソサエティと戦う仲間として、一人前の戦力になっているのだと。




