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第111話:アンダー・コントロール

羽田真琴はねだまことは、サイファー・アーキテクチャ社の個室オフィスで大きくため息をついた。デスクには、次々とメディアからの相談が舞い込んでくる。今日も、大手民放局から重要案件の「相談」があった。財務政務官の収賄疑惑に関するニュースだった。


「お待たせしました、羽田様」


スクリーンに映し出された報道局長の顔からは緊張が見てとれた。


「例の案件について、検討させていただきました」


羽田は穏やかな声でそう切り出した。内心の苛立ちを悟られないよう、表情を慎重にコントロールする。


「申し訳ありませんが、この件については映像メディアでの報道の見送りをお願いいたします。文字メディアでは事実のみを短く伝えるようにしてください」


報道局長の表情がわずかに曇った。


「はい...承知いたしました。SNSのほうは…」


「いつも通りにお願いします。ただ、追及の世論が高まる可能性もあるので、そこは注意深く見てコントロールしてください」


通話を終えた後、羽田は黒川の言葉を思い出していた。「メディアは社会の安定のために機能させるべきだ」と。その「社会の安定」が何を意味するのかは、もはや説明するまでもなかった。


かつて広告代理店のエース・プランナーとして企業の宣伝戦略を練っていた彼女は、今ではサイファー社のCEO、というよりもエターナル・ソサエティにおける黒川の腹心として、報道そのものをコントロールする立場となっていた。ライフコードの稼動直後は特定の番組を見ると評価値が上がるという「飴」でメディアを誘導していたが、最近では都合の悪いニュースを流せば関係者と視聴者の評価値を下げるという「鞭」へと移行していた。


重要案件については黒川に直接相談することもあったが、できるだけ黒川の判断を仰がずに済むよう、ボーダーに近い案件は羽田の段階で却下するようにしていた。羽田はそれを「安全マージンを取る」と呼び、メディア側にも自主的にそうするように求めていた。


一方、新宿のムジーク社では、俺とビジェイが新型デバイスの感情・感覚データを使ったテストに没頭していた。ビジェイは中国の工場と直接コンタクトを取り、試作品を一台入手していたのだ。


「樹、見てよ。これはすごいよ」


ビジェイが興奮した様子でディスプレイ上の試作アプリを指差す。画面には複雑な波形が表示されていた。


「感情の可視化?」


「うん、でも違う方向からのアプローチだよ」


ビジェイは得意げに説明を始めた。人間の感情を音楽に変換するプログラムだという。怒りは重厚なベース音、喜びは軽快なピアノ、悲しみは切ないバイオリン。それらが織りなすメロディは、まるで一つの交響曲のようだった。


「これは...予想外だな」


俺は思わず呟いた。仮想世界での新型デバイスを使ったハッカソンでは、ビジェイは痛みを数値化するアプリを、俺は感情を図形で表現するアプリを作った。この音楽による感情の可視化は、全く新しい発想だった。


「どう?仮想世界の僕を超えてる?」


ビジェイが満面の笑みを浮かべる。


「樹を驚かせようと思って、自分が考えそうなことを一旦捨てて、発想を飛躍させてみたんだ」


「いや、凄いよ、ビジェイは。仮想世界で君は、胸毛を抜いたときの痛みを1とした場合の痛みの数値化アプリを作っていたよ」


ビジェイの表情が一瞬で真剣になった。


「それ、昨日俺が作ろうと思ってたやつだ」


二人は無言になった。ビジェイは恐らく、仮想世界の正確さに驚いていたのだろう。俺は、もしビジェイのように意識的に仮想世界での自分の行動と違うことをしようとする人間がいれば、それが出来てしまうという事実を消化し切れていなかった。


その時、俺の左手首のデバイスが震えた。黒川からの呼び出しだった。


「真島君、ちょっとした事情があって、これから国家イノベーション機構の研究チームに加わってもらいたい」


黒川の声からは、いつもの余裕が感じられた。しかし、仮想世界での経験から推測すれば、恐らく新しいハードウェアに不具合が見つかったのだろう。俺のサイファー社での仕事はもうしばらく先になりそうだった。


俺はムジーク社の人々にこれまでのお礼としばらくの別れを告げると、EX-300で国家イノベーション機構に向かった。筑波の広大な敷地に建てられた研究所には、最新鋭の量子コンピュータが設置されており、俺はそこでしばらく勤務することになっていた。


食堂で昼食を取りながら、俺は量子コンピュータの専門家である山下教授に声をかけた。仮想世界での俺は、あまり研究所の人々と交流しなかったが、後にそれを後悔していた。量子コンピュータをベースとした超知能AIが敵となるのであれば、それについてより深く知る必要があったからだ。


「山下先生、少しお時間よろしいでしょうか」


「ああ、君が真島君か。どうぞ」


山下教授は温厚な笑顔で俺を迎え入れた。50代とおぼしき年齢で、いかにも理系の研究者といった出で立ち。御厨博士とはまた違う、専門一筋という雰囲気を醸し出していた。


「量子コンピュータについては素人で、先生にお伺いしたいことがあるんです」


「私で分かることなら答えるよ。それで、何について知りたいの?」


俺は単刀直入に切り出した。


「量子コンピュータの脆弱性について」


教授の表情が僅かに引き締まった。


「具体的には?」


「物理的な影響、特に振動やノイズへの耐性についてです」


「なるほど」


教授は少し考え込んでから、静かに説明を始めた。


「量子コンピュータは、その性質上、外部からの影響に非常に敏感なんだ。特に振動は致命的な問題となる可能性がある。ノイズについても同様で、あらゆる種類のノイズの影響を非常に大きく受ける。それをどう抑えるかが、長年の課題になっているんだよ」


俺は真剣な表情で頷きながら、内心では別の可能性を探っていた。


翌週、俺は一つのモジュールを研究所のシステムに提案した。


「災害時における量子状態の自動バックアップシステムです」


プレゼンテーションで説明する俺の声には、自信が満ちていた。


「大地震などの振動を検知した際、自動的に量子コンピュータの中間的な計算結果を外部メモリに書き出し、安全に停止するシステムです」


提案は即座に採用された。当然の結果だった。量子コンピュータの保護は、研究所にとって最重要課題の一つだったのだから。


俺の狙いは一つ。この研究所でも俺が役に立つことを示すことで、量子コンピュータの内部構造や脆弱性についてのより核心的な情報へのアクセスを得ることだった。エターナル・ソサエティは、メディアをコントロールし、社会を思い通りに操ろうとしている。しかし、本当のリスクは超知能AIが自ら社会を支配することだと、俺は仮想世界での経験から身にしみて知っていた。


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