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第107話:新たな誓い

クオンタム社の健康管理室の窓から、夜の東京が煌々と輝いていた。俺は御厨博士と向き合い、12の世界線で練り上げた戦略を説明していた。


「博士、今回は前倒しで行きます。複数の作戦を同時並行で進めます。時間を掛けるほどエターナル・ソサエティに反撃の隙を与えますので」


俺の声は静かだが、確信に満ちていた。


「具体的には?」


御厨博士は真剣な表情で問いかけた。


「まず、ライフコードの評価値表示アプリに乱数を混入させます。つまり、全く同じ行動なのに、バラバラの評価値が表示されるように。人々は評価値の動きが自分の予想通りになる時もあれば、全く逆の動きをする時もあると感じるでしょう」


俺は、仮想世界での試行錯誤から導き出した、人々をライフコードの支配から解放する唯一の答えを披露した。自信はあるつもりだったが、御厨博士の反応が気になった。


しばらくの沈黙の後、博士が目を見開いた。


「なるほど。今、人々は評価値の動きを忖度し、どのような行動をすればどういう評価値になるかをいわば内面化している。その予想と実際の評価値が異なる動きをすれば、人々は混乱するはずだ」


「その通りです。人間は、すべての事柄に意味を見いだそうとする生き物です。もし、評価値が自分の予想と違う場合、人々はその理由を考え、納得しようとするはずです。ただ、そうした努力を続けても、評価値が自分の予想と一致することは決してありません」


「なにしろ、評価値はランダムに動くのだからね。いや、よく考えたというか、樹君、性格悪いね」


御厨博士が笑った。


「そうしているうちに、人々は評価値を気にすることに疲れ果てるはずです。知らず知らずのうちに、評価値を見ることをしなくなる。そのうちに、評価値自体を気にしなくなる、と」


御厨博士は大きく頷いた。


「十分に勝算のある戦略だと思うよ、樹君。ただ、エターナル・ソサエティは社会を監視している。人々がそのような行動をとれば、彼らも対策を考えるはずだ」


「問題はそこです。しかし、俺の経験上、黒川たちは机上のデータしか見ていません。街に出て、人々の表情を見たり、会話を聞いたりはしない。だから、彼らに送る社会監視のデータを操作すれば良い。社会は安定している、という虚像を見せ続けるんです」


「なるほど」


博士は考え込んだ。


「念のために、評価値に乱数を加えるのは評価値が500以下の人間に限定するのがよいだろう。それでも人口の8割以上をカバーできるはずだ。一方で、エターナル・ソサエティが直接接触するような人間は高評価だから、評価値に乱数が加えられていることに気づくことはないだろう」


「分かりました。そうします」


俺は博士の適切なアドバイスに頷いた。一息ついてから続ける。


「そして、もう一つの大事な目的は、量子機械学習AIが超知能へと進化することをいかに防ぐかです。もうすぐ、エターナル・ソサエティはプロジェクト・クオリアと呼ばれる超知能AI開発計画を開始するはずです」


「君は、仮想世界でその計画に関わってきたんだったね」


「そうです。エターナル・ソサエティはライフコードのシステムに人間の感情や感覚データを読み取る能力を持った新しいハードウェアを組み合わせることで、量子機械学習AIに感情・感覚データを学習させ、超知能化させることを目指していました」


「直感的には、その方向性はありうる。私も従来のAIの限界として、感情・感覚データの欠如、つまり人間が人間たる理由としての『自己』を形作る記憶の欠如が関係していると考えていた。ただ、当時は人間の感情や感覚データをAIに学習させる方法が確立されていなかったんだ」


「超知能AIの覚醒を防ぐために仮想世界で有効だったのは、学習データの質を落とすことです。感情や感覚のデータにノイズを乗せることで、AIの効果的な学習を妨げる。これは、かなり有効に機能しました」


「原理的には分かる。でも、それだけではリスクは残ると思うが」


「はい。最終的には量子機械学習AIを完全に停止させる必要があります。それについては、まだ確度の高い計画を作ることができていません。超知能AIのハードウェアは、もうすぐ発足する国家イノベーション機構にある量子コンピュータです。これを止める必要があります」


「なるほど。ハッキングか、それとも物理的なものかは別として、それを止めなければ安心はできない」


実は、俺は「3年戦争」の世界線では最終的に量子コンピュータを止めることに成功している。ただ、それはあの世界での資金力、ブーストされた俺の身体能力、さらに様々な偶然が重なって成し遂げることができたものだ。同じことが現実世界で再現できるとは思えなかった。


「君の戦略は分かった。人々をライフコードの縛りから解放し、同時に新たな脅威である超知能AIの覚醒を食い止める。ただ、その先については考えはあるのかな」


俺は、最後の1つの計画を切り出した。


「こうしたことが二度と起きないように、人々の意識を変える必要があります。メディアを使って、評価値に縛られない生き方があることを示す。平島さんに協力を依頼済みです」


「平島...たしか映画監督の」


博士が驚いた様子を見せる。


「ええ。正確には『クラウド迷宮』で有名なプロデューサーです。今はムジーク社の社長をしています」


「ただ、ドラマにそんな力があるとは信じがたいが」


御厨博士が怪訝な表情になる。それは俺も理解できる。


「俺も以前はそう思っていました。しかし、仮想世界での体験を元に言えば、エンターテインメントの力は軽視できません。もちろん、これだけで終わらせる気はありません。今はまだ拘束されていますが、西村さんや斎藤さんの協力を得て、ライフコードに今まで起こっていたことを正しく報道してもらい、同時に政府の政策も脱ライフコードの方向に進めてもらう必要があります」


俺は言葉を続けた。


「俺は、12の世界線で様々な失敗を経験しました。そこで分かったのは、技術だけでは社会は変わらないということです。結局、社会を動かしているのは人間ですから」


俺の言葉に、御厨博士は少し笑っているように見えた。


「それにしても、樹君」


博士が静かに言った。


「君は変わったね。驚くほどに。以前はライフコードのプログラムをどうするか考えるだけで精一杯という感じだったのに」


「ええ。20年分の経験は、さすがに人を変えますよ」


俺は苦笑した。


「私にとってはわずか1週間だよ」


博士も笑った。


「それに...」


言葉を探す。


「リンとの約束があるんです。必ず、人間とAIが境界なく共生できる社会を作ると」


博士は優しく微笑んだ。


「分かった。一緒にがんばろう」


窓の外では、東京の夜景が静かに煌めいていた。その光は、これから始まる長い戦いの序曲のように思えた。


「やっとくか、樹君」


御厨博士はそう言うと、ポケットからシジミ日和を2粒取り出し、1つを俺に渡した。


「人類とAIの未来に」


博士と俺はシジミ日和の小さな粒を互いにぶつけ、口に入れた。俺はこの瞬間を忘れることはないだろう。この凄まじい味とともに。


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