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第106話:現実と情熱

翌日、昼食時、俺は平島さんと二人で近くの定食屋に入った。席に着くなり、平島さんは手を挙げて注文した。


「とりあえずビール。ジョッキ、2つ」


いつもの平島さんだ。仮想世界と寸分違わぬその仕草に、懐かしさを感じる。


「評価値は大丈夫なんですか?」


俺は、答えを予想しながら、そう尋ねた。平島さんは軽く笑った。


「評価値? 真島君は気にしてるの?あれ、 あんまり楽しくないよね」


期待通りの言葉だった。思わず笑みを浮かべそうになって踏みとどまる。やはり、この人は仮想世界と同じだ。


ビールで乾杯した後、平島さんは俺に尋ねた。


「真島君は今楽しい? 何をやりたいの? 夢は?」


俺は即座に答えた。


「俺の夢は、AIと人間が共生できる世界の実現です。それがどういうものになるのか、まだ漠然としたイメージしかありませんが、必ず実現します」


「いいじゃない。凄く面白そうだね」


平島さんが身を乗り出す。仮想世界での自分の決意が現実世界で受け入れられたのが、純粋に嬉しかった。


「実は、お願いがあるんです」


俺は躊躇なく切り出した。仮想世界で試行錯誤は終わっている。現実世界では計画を前倒しで並行して進めなければならない。


「なんだい?」


「選挙前に、ドラマを作れないでしょうか」


平島さんは一瞬眉をひそめたが、すぐに興味深そうな表情を見せた。


「総選挙、近いのかい?」


ニヤリと平島さんが笑う。ああ、現実世界ではまだニュースになっていないのだ。その事実に、一瞬戸惑いを覚える。


「いや、知り合いに、そういうのに詳しい人がいて」


俺は適当に誤魔化す。未来を知っている者の難しさを、初めて実感した。


「面白そうじゃないか。具体的にはどんな内容を?」


「マンデラの自伝ドラマです。アパルトヘイトに反対して27年間投獄されても、信念を貫いた人の物語を」


平島さんの目が輝いた。


「いいじゃない。でも、何を企んでいる?」


俺は自分の計画を説明した。政治参加への意欲が低下する中で、それと気づかれないように、人々が評価値を気にせずに自分の考えに従うよう啓蒙したいのだと。


「なるほどね。いわゆるプロパガンダだな」


平島さんが頷いた。


「ただ、それなりの制作費は必要だ。よくできたプロパガンダは純粋な娯楽と見分けがつかない、とはよく言ったものだ」


平島さんが考えを進めていく。


「選挙までだから、2、3カ月で急いで仕上げるんだろう? じゃあ、オールAI生成のCGでやるしかない。それでも最低1億は必要だな」


「1億ですか、それぐらいなら...」


俺は途中で言葉を失った。仮想世界では、左手首のデバイスを操作するだけで望む額を生み出せた。しかし現実は違う。その落差に、たじろがずにはいられない。


「すみません、お金のことを考えていませんでした」


「まあ、何とかなるさ」


平島さんが明るく言う。


「考えてみよう。面白い企画だし、意味のあることじゃないか。昔の仲間に声を掛けてみるよ。監督は僕がやるとして、脚本、音楽、特にメインテーマはAIじゃなくて人に頼みたいね。あとは優秀なAICGのスタジオを探して。それよりまずは、内容だね」


平島さんが引き受けてくれそうで良かった。


「そうだ、近森に頼んでみよう」


平島さんが突然思いついたように言う。「それがいいですね」と言いそうな所をぐっと我慢する。仮想世界での記憶と現実を混同してはいけない。


「近森さん?」


「ああ、うちの社員で、といっても半年近く海外に行ってるんだけど、たしか、今は南アフリカあたりにいるんじゃないかな。彼女、色々詳しいから、マンデラについての情報収集を頼んでみるよ」


「ぜひ、お願いします」


話が早い。仮想世界での経験の威力を実感する。


「ところで、君はどうしてドラマの制作を僕に頼んだの?」


平島さんの言葉に俺は焦った。


「実は...そう、『クラウド迷宮』見たことがあるんです。あれ、平島さんの作品ですよね」


「ああ、そういうこと。知っているんだね、君は」


平島さんが少し嬉しそうに言った。


帰りの車の中で、俺は考え込んでいた。仮想世界での経験は確かに貴重だ。しかし、現実世界では全てを一から積み上げていかなければならない。人間関係も、信頼関係も。そして、なにより問題なのが資金だ。


帰路、吉岡家があった場所の近くを通る。仮想世界では何度も訪れた場所だ。12の世界線で、リンとここで過ごした時間が走馬灯のように思い出される。胸が締め付けられるような痛みを感じる。


マンションに戻ると、強い疲労感が俺を襲った。まだ、現実世界に脳も体も完全には慣れていないようだ。ベッドに横たわりながら、俺は今日出会った顔々を思い浮かべる。平島さん、吉本さん、ビジェイ。12の世界線で何度も会った彼らは、今の世界では俺のことをまだ知らない。


それでも、彼らは仮想世界と同じ反応を示してくれた。まるで、何度もリハーサルを重ねてきた芝居の本番のように。それは俺の心の支えとなった。仮想世界での経験は、決して無駄ではなかったのだと。

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