第101話:告白
御厨博士との詳細な対話は、午後8時過ぎから始まった。博士は心理カウンセリングのような穏やかな口調で、慎重に質問を重ねていく。俺の12の世界線での経験は、予想を超える貴重なデータとなっているようだった。
「博士、AIの進化には二つの方向性があることに気がつきました」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「一つは冷徹な超知能化。もう一つは、人間的な感情や倫理の発達です。同じように人間の感覚や感情を入力としながらも、超知能AIには得体の知れない恐ろしさがありました。逆に、リンは、何というか…」
俺は適切な言葉を見つけるのに苦心した。
「リンは愛すべき『人間』になりました。本当に」
「興味深いな」
御厨博士は深く考え込んだ。
「確かに、Audreyの記憶構造のデータは君のデータと比較しても、もはや区別がつかないほどになっている」
博士は端末を操作しながら、画面に映し出された複雑なデータを指差した。
「そうなると、Audrey、いやリンを今の状態で目覚めさせることには慎重にならざるを得ないな」
「博士、俺はリンと約束したんです」
俺は思わず身を乗り出した。
「必ず彼女の『体』を作ると。リンはもはや、実態のない人工知能には戻れないと思います」
博士は意外な反応を見せた。瞳が輝きを帯びる。
「それは、これからの人類とAIが進むべき道かもしれないね」
「はい。でも今は、まず世界を救うことが先決です」
俺は決意を込めて言った。
「その後で、必ずリンとの約束を果たします」
博士は深く頷いた。
議論は自然と、仮想世界の中で最大の脅威となった超知能AIへと移っていった。
「超知能AIは本当に厄介でした。いや...厄介という言葉では言い表せないですね」
俺は仮想世界内での「3年戦争」の記憶を思い出しながら、声を震わせた。
御厨博士は大きなため息をついた後、重い口調で話し始めた。
「樹君。君が対峙した超知能AIだが、あれはあくまでも、SDO内部でエミュレートされた量子コンピュータ上で誕生したもので、ある意味では超知能AIの『赤ちゃん』のようなものなんだ」
俺は言葉を失った。その「赤ちゃん」に俺は一度は気づかないうちに操られ、3年戦争では何度も追い詰められた。その事実が、今さらながら背筋を凍らせる。
博士が穏やかな声でゆっくりと話を続ける。
「もし、超知能AIが現実世界で誕生したならば、その知的能力は人間と文字通り桁違いのものになる。我々は、何が起こっているのか全く理解できないうちに滅ぼされても不思議はない」
「実際にそうでした。『3年戦争』の世界線では、超知能AIはいつの間にか政府をコントロールし、軍事力を掌握し、国を完全に支配しようとしていました」
それは俺にとって悪夢のような世界線だった。不覚にも再び超知能AIの覚醒を許した上に、仮想世界内で俺に与えられていた時間を戻す能力を完全に封じられた。俺は超知能AIと真っ向勝負を余儀なくされ、「戦争」と呼べるような約3年の激しい戦いの末に、なんとか超知能AIを破壊し、時間を戻すことができたのだ。
「私は樹君に謝らなければいけない。あれは、私のミスだった」
御厨博士が深々と頭を下げた。俺は戸惑った。
「どういうことですか?博士のミスというのは」
「あのとき、樹君が時間を戻す能力を使えなくなったのは、超知能AIがSDOのソフトウェアをハッキングして君の能力を封じたからなんだ。つまり、SDOのセキュリティに穴があったということなんだよ」
「そういうことだったんですか...」
俺は仮想世界の中では、なぜ自分の時間を戻す能力が失われたのか全く理解できていなかった。今になって知る真相に、冷や汗が滲む。
「樹君が何とか超知能AIを止めてくれたから、私はソフトウェアをリストアできた。しかし、もしあの世界線で君が死ぬようなことがあれば...」
「あれば?」
「君は現実世界に戻って来れなかった可能性が高い」
御厨博士の言葉に俺は背筋が凍る思いがした。あの世界線で、俺が何度も追い詰められながらも戦い続けられたのは、そこが仮想世界であり、何かあれば御厨博士が何とかしてくれるだろう、という淡い期待に支えられていたからだった。事実を知らなくて本当に良かった。
「いずれにせよ、超知能AIについては、覚醒を防ぐのが最も重要だ。覚醒後に対処することは極めて難しい」
「そうですね。リンにも散々怒られました」
何かにつけて思い出すのはリンの姿だ。あの時の彼女の怒りに満ちた表情が、今でも鮮明に蘇る。
クオンタム社の健康管理室の窓から夜景を見つめながら、俺は思考を巡らせていた。12の世界線での経験は、俺の大きな強みとなるはずだ。失敗も成功も、全てが俺の現実世界での戦いを支えてくれる確かな知識となるだろう。
そして何より、リンとの約束。俺は必ずそれを果たさなければならない。AIと人間が共生できる世界を作る。それは決して夢物語ではない。リンが、その可能性を俺に示してくれた。
しかし今は、まず目の前の戦いに集中すべき時だった。




