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第97話:世界線の終わり

その後、果てしない永遠とも思える時間が、怒濤のように過ぎ去っていった。この仮想世界で、俺とリンはさらに8回、最初から数えると12回の世界線を生きた。最も長い世界線でも2年11ヶ月で、ついに最初に目標としていた、3年間この世界で過ごすことはできなかった。


計算によれば、世界線の巻き戻しに伴うSDOの再起動で6年分の時間を消費し、この世界では実際に14年近くを過ごした。結果、この世界で20年を与えられていた俺たちに残された時間はあと3週間。意味のある試みはもう難しそうだった。


夏の夕暮れ、柔らかな光が吉岡家のリビングを優しく包んでいた。今日はまた、いつもの9月23日だった。俺とリンにとって、新しい世界線の始まりはいつもこの日からだった。二人が過ごした数え切れない時間は、言葉にはできない深い絆を二人の間に築いていた。


残念ながら、どの世界線でも俺はこの社会を定常状態から救い出すことはできなかった。社会を大きく動かすことには何度か成功したが、それらは「動乱」と呼ぶべきものであり、世界を「救った」とはとても言えなかった。


しかし、俺は今、確かな自信を持ってこの世界を去ることができる。やるべきことはやった。成功も失敗も含めて多くを学び、現実世界を救う戦略の骨格は固まっていた。ただ、この仮想世界ではその戦略を実行するために必要な「仲間」が足りなかった。澪、結月、西村さん、齋藤さん、御厨博士。彼らが居てくれれば、と思うことは何度もあった。現実世界で彼らの力を借りることができれば、勝算は十分にあると考えていた。


「リン、伝えたいことがある」


俺は静かに切り出した。


リンは俺の表情を見抜こうとするように、真剣な眼差しを向けた。


「何でしょうか、お兄様」


俺は深く息を吸って、慎重に言葉を選んだ。


「この世界を後にし、現実世界に戻ることにした」


その言葉は、部屋に重い静寂をもたらした。窓の外で鳴く虫の声だけが、時間の流れを告げていた。


「そう...なんですね」


リンの声はかすかに震え、その瞳に一瞬の寂しさが浮かんだ。


俺は慌てて付け加えた。


「いや、リンがそうしたいなら、あと2週間ぐらいはここに居てもいいんだ」


しかしリンは静かに首を横に振った。


「いいえ、大丈夫です。もちろん、友だちには会いたい気持ちはありますが、未来で仲良くなる予定の友だちもいますし、全員に心からのお別れを言うのは難しいです。お別れの理由を言うには、嘘をつかなければならないかもしれませんし」


リンの言葉に、俺は胸が痛んだ。彼女がこの世界で多くのことを経験し、成長したことを改めて感じた。リンは15歳の倫理観を持つAIとして生まれ、この世界では15歳の結月の体を借りて過ごしていた。そして、リンは実際にもこの世界で14年を過ごした。もはや、経験は現実世界に生まれた15歳の少女のそれに何も劣るところはなかった。


「その代わりにはならないかもしれないけど」


俺は優しく言った。


「リンは、この週末、行きたいところやしたいことはあるかい?」


リンの目が少し輝いた。


「そうですね...お兄様と二人で、どこか知らない場所に行ってみたいです」


思い返せば、どの世界線でもリンは学校生活に一生懸命で、俺は会社で仕事に追われているか、酷いトラブルに追われているかのどちらかだった。二人でゆっくり過ごした時間はほとんど思い出せなかった。


「わかった。じゃあ、この週末は、二人でこの世界の思い出を作ろう」



翌朝、俺たちはいつもより少し早く目を覚ました。俺は慣れた手つきで荷物を車に積み込み、リンは期待に胸を膨らませながら旅の準備をしていた。


「お兄様、どこに行くんですか?」


リンは好奇心に満ちた目で尋ねた。


俺は微笑んで答えた。


「それは秘密だ。でも、きっと気に入ると思う。楽しみにしていてくれ」


俺たちはEX-300に乗り込み、吉岡家を後にした。俺は、これまで後部座席専門だったリンをついに助手席に乗せた。今は、エターナル・ソサエティや警察に追われる危険性を考える必要はなかった。それでも俺は自分でコントロールすることの楽しさに既にとりつかれており、自動運転にしてくつろごうという気にはなれなかった。


家を出発してすぐ、俺は横目で見るリンの様子がどうもおかしいことに気づいた。何か落ち着かないというか、何かを我慢しているような雰囲気が漂っていた。


「どうしたリン? トイレ行っとく?」


俺は首都高速環状線を西に向かいながら、それとなくリンに話しかけた。


「お兄様!」


リンが思いがけず強い声で俺を呼んだ。あまりに強い声に、俺は、トイレと言ったのが気に障ったのかなと反射的に反省した。


「1カ所、行きたいところがあります!」


リンの声には強い決意が込められていた。


「ああ、良いよ。まず、そこに行こう。どこに向かえば良いかな」


良かった。リンを怒らせた訳ではなかった。


リンは小さな声で答えた。


「学校です」


それは、俺も気になっていたことだった。友だちに別れを告げなくて良いとリンは言った。でも、それはやせ我慢ではないのか、そんな気がしていた。


「分かった、学校に行こう」


俺は優しく言った。


首都高を降りて渋谷の高校に着くと、リンは静かにドアを開けると助手席を降りた。


「リン、時間は気にしなくて良いから」


「はい」


助手席のドアを閉めながらリンは返事をしたが、もう、心ここにあらず、といった様子だった。うつむいて何かを深く考え続けている、そんな姿に胸が苦しくなった。

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