2.クリスマスフェア開催中
ーー時はさかのぼり、十年と少し前。
白い雪がちらつく曇天の下。
結露で曇った窓ガラスを、ランプの暖かな灯りが照らす。
「お前、それやめろよ」
黒いエプロンを付けた少年が、両手に大皿を持って厨房から現れる。せっかく綺麗に盛り付けた料理をぐるぐるとかき混ぜている数歳年上の友人を見て、眉を下げた。
「こうすると美味いんだよ」
「ああもう、なんの料理かわかんねーだろ」
「こういう料理にしようぜ、メニューに加えてよ」
「ぜってぇ、やだ」
しかめっつらで対面の椅子を引いて座る少年。ははっと笑って、歳上の少年はスプーンを置いた。
「よし、仕事の話だ。ーー俺が作戦を考えた。賭けをしないか?」
エプロン姿の少年と、黙って座っていた隣席の少女が目を輝かせてうなずく。
歳上の少年が、人差し指を立てて告げる。
「勝ったやつ二人が、例の初仕事を請ける。本部の指示通りに敵地に乗り込んで、軍港の奪取だ。そしてーー負けたやつ一人が、ここに残って西町支部を守る。この新しい支部の任務をバリバリこなしながら、二人の帰りを待つんだ」
照明を落とした場末感たっぷりの店内で、三人は額を突き合わせて笑い合った。
*
寒空の下。街路樹とガス灯が交互に立ち並ぶ緩やかな坂道を、人々が忙しなく行き交う。
大きめの荷物を背負った人影が二つ、レトロな喫茶店の前で立ち止まった。立て看板のオススメメニューを全部覆い隠すように雑に貼られたポスターの中、クリスマスツリーのてっぺんで、ひげもじゃのサンタクロースが仁王立ちしている。赤いとんがり帽子の左右に並ぶポップな文字を、2対の瞳が辿る。
「クリスマスフェア、開催中」
かすかに聞こえるクリスマスキャロルに重なるように、低い声が律儀に音読。ランプの暖かな光が漏れる木目の扉をしばらく見つめていた二つの影は、黙ってそっと笑い合い。
「お前、告白してこなくていいのか」茶化すような口ぶりで少年が問い、
「そんなことしたら可哀想でしょ」少女が小さく笑う。
はぁ、と少年が白い息を吐く。「墓場まで持ってくのか、この三角関係」
「そうなるね。ーーあの約束も」
二人の脳内に同時に再生されるのは、先日『揺籃』本部と交わしたばかりの暗号無線通信。
『この任務が成功したらーー西町支部は凍結。形式的に登記だけ残して、金輪際、二度と任務を振らない。そういう条件でお受けしたい』
『……こちらとしては構わないが。しかし、あの居残りは、お前らの親友なのだと思っていたがな』
『……俺ら、アイツの飯、好きなんすよ』
立て看板の後ろ、赤い実をつけたヒイラギの植え込みに、二人はそれぞれ用意したクリスマスプレゼントを押し込み。
「じゃあなーー生きろよ、親友」
何も知らないまま、明日の仕込みをしているであろう店内の少年には決して届かない声で、噛み締めるようにささやいた。
***
アラタ、と。
耳をつんざくような爆音の中、父親の声。
「これが片付いたら行ってみてくれるか。俺と、お前の母さんの、大切な人がいる場所だ」
長ったらしい住所をそらんじる男の低い声に、その横顔をじっと見つめて聞いていた子どもは、一回だけでこくりとうなずく。ボロボロのヘルメットをかぶった従順な、小さい頭部をぽんと撫でる、分厚いグローブの手。
爆煙の舞う濁った空を見上げ、麻酔がわりのキツい匂いのタバコを奥歯で噛みしめ。
「ああーーアイツのメシ、食いてぇな」
あごヒゲの男はかすれた声で言って、ゆっくりと両眼を閉じた。
***
なんの変哲もないいつもの街並みの中、楽器ケースのようなものを抱えてとことこと駆けていく、フードをかぶった小さな後ろ姿。長いマフラーの端が揺れる。
「お、アラタ?」
巡回中の警官は、だがすぐに雑踏の中でその姿を見失ってしまった。まぁいいか、と呟いて、自転車のペダルに足を乗せる。
***
ばらばらと薬莢の落ちる音。一帯に充満する、硝煙と鉄の匂い。
黒い銃口から、薄く立ちのぼる白煙。
仲間の骸を押しのけて後ずさる軍服姿の男が、ヒィ、と喉の奥を鳴らす。
「ーーわ、わかった、悪かった、金輪際あんたから手を引く、今回得た情報も全て消去する、それで許してくれないか!?」
目深にかぶったフードの下からじいと見つめる、丸い双眸。血溜まりの中に尻餅をついたまま命乞いを繰り返す男の顎から、脂汗がつうと伝って落ちた。
震える手で端末を手に取ると、
「ーーそ、総員に告ぐ。計画変更、『ツバメ』奪取作戦は中止だ。いいか、関連資料は全て破棄した上で、全員すみやかに帰投せよ」
通話を終えたばかりの端末が、パスン、と撃ち抜かれた。
***
「えっ解決した?! 『ツバメ』が引退?!」黒い受話器を耳に当てて、青年の声がひっくり返る。「そんなぁ、俺まだ何もしてないのにーーえっあっいえっ、平和なのは良いことですよね、そのとおりですっ」
青年が「まだ危ないから」と反対するのを押しきって久しぶりに来店したアラタが、ずずず、と目を細くしてコーンポタージュをすすりながら、ふんす、と鼻息を吐く。
肩を落としたエプロン姿の青年が受話器を置き、厨房にとぼとぼと戻ってきて料理を皿に盛り付け、アラタの前に差し出す。
目を輝かせてスプーンを構えた小さい手が、せっかく綺麗に盛り付けたばかりの渾身の料理をぐるぐるとかき混ぜる。
隣席でコーヒーを飲んでいた警官が、げんなりした顔をする。「おい、何してんだアラタ、汚ぇな」
顔を上げたアラタが胸を張って答える。「こうすると、おいしい」
食器洗い用のスポンジが青年の手から滑って、白い泡だけを残して、シンクにぼとりと落ちる。
「アラタ、もしかして、君のーー」
呆然と息を呑む青年を、不思議そうに見上げる小さな顔。その目元や鼻や唇の形に、懐かしい親友の面影を見た気がしてーー青年の泡まみれの手が、エプロンの左胸の辺りを握りしめる。
へらっと相好を崩し、
「おかえり、アラタ」
噛み締めるようにささやいた。