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7.別れの宴

 イティウス港の地面を踏むと、揺れを感じた。


「面白いな」


 カエサルは微笑む。揺れているのは、地面ではなく、自分だ。

 地中海で、これほどの揺れを感じたことはない。

 大西洋の荒波だからか。半日で、ずいぶん揺れた気がする。


「おかえりなさい、カエサル」


 ガリア人のドルイド、ウェルキンゲトリクスが出迎えた。


「いやあ。八月の満月ではひどい目にあったよ」

「もう戻ってこられないかと、ヒヤヒヤしました」


 カエサルの泰然自若たいぜんじじゃくぶりは、ガリア人には信じられないほどだ。

 カエサルだけではない。他のローマ人も自信満々で、自信過剰なところがある。


 ──ローマは神に選ばれた存在であるという自負か。


 夜に開かれた宴会で、ウェルキンゲトリクスはそう感じた。

 ブリタニア遠征の成功を祝う名目で自然発生した宴会は、誰もがへべれけになるまで酔っ払った。足元も怪しいのに、神の御名みなが唱えられると、全員が直立不動で神を讃え、手にした杯を飲み干す。


「あまり飲んでいないようだな」

「楽しませては、もらっていますよ」


 ウェルキンゲトリクスに声をかけたのは、プブリウス・クラッススだった。


「あなただって、飲んでるようには見えませんが」

「わたしは、ここにいる全員に別れの挨拶をしておかねばならないからな」


 プブリウスは、父クラッススと共に東方へ向かう予定だ。

 父クラッススの狙いが、東方の大国パルティアへの遠征だと聞き、ウェルキンゲトリクスは目眩めまいがした。


「噂で聞く、砂漠の大国ではないですか。ガリアで戦いながら、地中海の果ての、さらに砂漠の向こうの国を征服するとか、本当に可能なのですか」


 ウェルキンゲトリクスが聞くと、プブリウスはカラカラと笑った。


「不可能に決まってるだろ」

「はい?」

「ローマの同盟国であるアルメニア王がな。パルティアが攻めてくるというので、ローマに支援を求めてきたんだ」

「なるほど。同盟相手のための戦い、ということですか」

「前線まで兵を動かし、パルティアと一戦して終わりだ。わたしは、騎兵を率いて父の下で武功をあげる。それをもって、父の地盤を引き継ぐことになる」

「ガリアのここまでの戦いで、すでに武功は十分でしょう」

「まあ、そうではある……んだがな」


 プブリウスは、部屋のすみで酔いつぶれた、肩も胸も分厚い男に目を向ける。

 筋トレが趣味の財務官クァエストルマルクス・アントニウスである。


「カエサルはわたしたちを“三頭”(トリウムウィリ)と呼ぶが、自分の後継者とみなしているのは、マルクスだ」

「そりゃあ、そうでしょう」


 プブリウスはクラッススの後継者で、ウェルキンゲトリクスはガリア人でドルイドだ。

 カエサルが常に目をかけ、手元に置いているのは、マルクスだ。


「戻ったら、わたしは父の地盤を受け継いで執政官コンスルになる。マルクスも、カエサルの地盤を継いで執政官を狙うだろう。わたしは、かれに負けたくないのだ」


 強い瞳を、ライバルに向ける。

 近づいて、肩をたたいてどやす。


「おい、マルクス。起きろ」

「ん……んむ……なんだ、プブリウス」

「競争だ。わたしときみ、どちらが先に執政官になるか」

「んん……きみが先にしろ。わたしは後でいい」

「そうはいくか! きみの力量はわたしに匹敵するのだぞ。それを使わぬのは、犯罪だ。故国のためにならん」

「めんどくさいやつだな、きみは」

「いまごろ気づいたか」


 マルクスが起き上がり、プブリウスと葡萄酒を酌み交わす。

 なんとも羨ましいことだと、ウェルキンゲトリクスは思う。

 ふたりは信じている。自分たちの未来を。ローマの神々の加護を。


 ──カエサルからユリウスの家門ノーメンはもらったが、わたしはケルトの神々を信じるドルイドだ。どうあっても、ふたりとは違う。


 ウェルキンゲトリクスの元には、長く病床にある次兄が危篤になったという知らせが、故郷から届いている。次の春は、迎えられないだろうと。

 弟として、ドルイドとして、何かできないか。知らせを受け取ってからウェルキンゲトリクスの心は千々に乱れている。

 ガリア人は、ローマ人とは違う。

 ローマ文明と接触後、たびたびガリア全土を襲う流行り病にさらされ続けたガリア人の精神には、「いつ死ぬかわからない」意識が根付いている。

 未来を信じることも、遠い約束をすることも、ガリア人には夢物語にみえる。


「何か悩みでもあるようだな、ウェルキンゲトリクスよ」


 赤ら顔のカエサルが近づいてきて、隣に腰をおろした。


「今のおまえは、我が家門のひとりだ。我が親族だ。悩みがあるなら聞くぞ」

「カエサル……故郷の兄が、危篤という知らせがきまして」

「そうか」

「カエサル。あなたは最高神祇官ポンテイフクス・マクシムスだ。兄のために、ローマの神々の加護を授けてはもらえないでしょうか」

「それは、無理だ」


 カエサルは杯を置き、ウェルキンゲトリクスの顔を正面から見すえ、首を振った。


「無理ですか」

「すまない。ローマの神々の加護は、わかりやすいものではない。病に関しては特にそうだ。おまえの心の平穏のためであれば、祈祷もしよう。だが、おまえの兄を救うことは、わたしにはできない」

「いえ。当然のことです」


 カエサルが誠実な法螺ふきだとラビエヌスが語ったことを、思い出す。

 カエサルはガリア征服を、法螺を積み重ねて実現しようとしている。

 カエサルの目的は私利私欲“だけ”ではない。

 カエサルの目的は、ローマの神々の加護をガリアに広げることだ。神殿を建立こんりゅうし、祭祀を広げ、流行り病を克服することだ。


「だが……うん。おまえには言っておこう。ガリア各地で、流行り病が増えているという報告が届いている」

「それは……」


 ありえることだと、ウェルキンゲトリクスは考える。

 この時代の感覚では、疫病は死穢しえなどのけがれが増えれば起きるものだ。ガリア各地で戦いが起きてけがれが増えていれば、疫病もまた増えるだろう。


「ガリアに居続けるローマ軍の存在が、流行り病の原因だという声も大きい。ケルトの神々が、たたりを引き起こしているのだと」

「はい」


 当然のことだと、ウェルキンゲトリクスは考える。

 この時代の感覚では、疫病は神々の管轄だ。紀元前一世紀のガリアは、ケルトの神々の支配地域にローマの神々が乱入している。このことにヘソを曲げたケルトの神々がたたりを起こせば、ドルイドの行う祭祀に効果はなく、穢が消えずに病が起きる。


「カエサル。しばらく軍から離れる許可をいただけませんか」

「許可する。許可証と通行証はすぐだそう」

「ありがとうございます」


 カエサルは話が早い。ウェルキンゲトリクスはこの人たらしめ、と思う。


「それで、何をする気だ」

「ドルイドの集会をまわり、ケルトの神々とローマの神々の習合をはかります」

「なるほど。大事なことだな」


 カエサルは大真面目に頷いた。

 古代の神々は、多少の差異はあっても似た権能を持つ。

 太陽や月などの天体を司るもの。狩猟や農耕などの仕事を司るもの。恋愛や戦などの情動を司るもの。

 古代の神とはすなわち、森羅万象を説明するものだ。科学が未発達な時代、狩猟採集動物として発達した人間の言語は、相関関係こうなるまでは見抜けても、因果関係なぜそうなるまでは到達できない。その言語化できぬ部分を、超自然──精霊や神が埋める。

 文明は地域社会ごとに個別に発達するが、精霊や神が求められる部分はどこも同じだ。故郷を離れた旅人や商人が訪れた先の社会で、故郷と似た精霊や神がいて、似た伝承があるのは、確率的な必然である。

 似た精霊や神がいて、似た伝承がある。となれば、我らと彼らは、群れ社会(バンド)の仲間と呼べるのではないか。

 互いを仲間だと思えばこそ、力を合わせられる。都市国家であったローマが、地中海全域に広がれたのも、神々の習合で群れ社会(バンド)を拡大していった結果だ。


「頼むぞ、ウェルキンゲトリクス。ガリアとローマの一体化は、神々の習合にこそ、かかっている」

「はい。兄のためにも、全力を尽くします」


 カエサルも、ウェルキンゲトリクスも、目指す未来は同じだ。

 病床の兄を救うことはできずとも、ケルトとローマの神々を習合させれば、未来にケルトの神々のたたりで病に罹るものはいなくなる。


「カエサル。なんでウェルキンゲトリクスと熱く見つめあってるんですか」とマルクス。

「カエサル。ラビエヌスの姿がみえませんが、今はどちらに」とプブリウス。


「ラビエヌスならサマロブリウァ(アミアン)だ。ローマに帰る途中でよるといい。それと、マルクス。ウェルキンゲトリクスとも今夜で別れとなる。見つめあうくらいはいいだろう」


 カエサルは答え、葡萄酒の杯をかかげた。

 楽しい宴は、終わる。

 別れが、近づいている。


挿絵(By みてみん)

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