6.戦争の終わらせ方
カエサルは、ガリア戦争四年目の目標を決めるべく、副将のラビエヌスと、かれの“三頭”を集めて戦略会議を開いた。
最初にこれまでの三年間の戦いについて振り返る。共通認識を深め、会議を円滑に進行させるためである。
「地図をみてくれ。我々は開戦劈頭、ヘルヴェティ族の移住を阻止した」
「こちらも動員はしていましたが、流行り病のせいで開戦が早まりましたね」
「続いて、アリオウィストスを迎撃してウェソンティオ(ブザンソン)に拠点を作った」
ラビエヌスが鉛の文鎮をガリア南部に置く。
「二年目は、ウェルキンゲトリクスに手伝ってもらったな」
「はい。秣集めだけですが」
ドルイドの権限のひとつに、秣を刈り集めること、というのがある。
神官の仕事とは違うようにみえるが、さにあらず。これは祭祀のたび、長老たちが馬で移動するためだ。真冬であっても、冬至祭のように遠方から大勢が集う祭祀もある。
レミ族のドルイドの助力を得て秣を集めたことで、ローマ軍は早春に冬営地を出てドゥロコルトルム(ランス)まで前進できた。
「レミ族をはじめ、ベルガエ人にローマの武威を示すことができた。礼をいうぞ」
カエサルが礼を言う。
ラビエヌスは鉛の文鎮をガリア東北部に置いた。
「二年目の冬営はケナブム(オルレアン)だ。これでガリアの統治はほぼ完成した……と思いたかったが、そうはいかなかった」
「アルプス山脈ですね。ガルバ将軍が反乱にあって追い出された」
「わたしのミスだ。やはり、ガリアは広い。人心もまだ不安定だ」
カエサルは苦虫を噛み潰した顔になる。
「三年目には、小麦の買い付けに出た将校が、ヴェネティ族に人質に取られました。遠ガリアの連中には、変化が急すぎたようです」
ラビエヌスが指摘する。
「ヴェネティ族は湊と船の利権を独占していました。そのことへの周辺部族の不平不満は大きかったようです。我々がローマの敵、という大義名分をつけてやることで、ヴェネティ族を袋叩きにすることに成功しました」
マルクス・アントニウスが捕捉する。
「アキテーヌの調略は、わたしが担当しました。声かけをした半分は味方になってくれました。残りも多くが中立を保ちました」
プブリウス・クラッススは、父がローマ有数の資産家だ。
現銀は持ち歩いていないが、クラッスス家とのつながりを維持すれば、どこに行っても大事にしてもらえる。
「わたしはルッカ会談で軍団の増設と、ガリア総督の四年間の延長を手に入れた。目的は、前と変わらずガリアの安定化だ。こうしたことを含めて、四年目の作戦をどうするのがよいか、忌憚ない意見を聞かせてくれ」
カエサルの言葉に、“三頭”は、それぞれに頭をひねって意見をだす。
「ガリアの有力部族を敵に回すのは避けるべきです」とウェルキンゲトリクス
「はい。“外”に目を向けさせるのがよいでしょう」とプブリウス。
「どこを攻めるにせよ、この三年間で備蓄の減った土地は避ける形で作戦行動のための兵粮を確保しましょう」とマルクス。
若者たちの意見に、カエサルはいちいち頷いてから、ラビエヌスをみる。
「何にせよ、大義名分を忘れぬことが重要です。あなたすぐ突っ走るんだから」
ラビエヌスの言葉に、カエサルは苦笑した。
カエサルはガリア総督だが、元老院によって定められた任地は、アルプスの南側のガリアだ。後の北イタリアである。
流行り病によって故郷を捨てたヘルヴェティ族の一部が北イタリアを通過する「らしい」という噂を根拠にカエサルは軍を動かした。だが、ヘルヴェティ族を撃退した後もアルプスの北に軍団を駐屯させ続けている。
ローマ市民と元老院は、カエサルが勝ち続けているから黙認しているが、やっていることは合法とはいえない。
「わかってる。大義名分は大事だ」
戦争の大義名分には、何段階かある。
敵が侵略してきたので守る。上等の大義名分。
同盟相手が攻められたので応援する。中級の大義名分。
同盟相手に仲裁を求められたので支援する。下等の大義名分。
戦争四年目に、カエサルが使えそうなのは、下等の大義名分だけだ。
「今年は、東のゲルマン人を攻める。大義名分は、そうだな……」
春先。レヌス河(ライン河)を渡河したゲルマン人がガリア人に求めたのは、オリーブ油とワインだった。ワインはもちろん、御神酒として使う。
ガリア戦争一年目に、商人のアリオウィストスがガリアから追い払われて以来、ゲルマン人によるこうした小規模な商取引は増えている。
商取引に、揉め事はつきものだ。支払いに使われた毛皮の品質が悪いとか。壷が割れて中身が漏れたとか。よくある間違いが、不信感に煽られて燃え上がる。
カエサルは揉め事の仲裁役として乗り出し、一方的にガリア側についてゲルマン人を糾弾し、レヌス河まで進軍した。
驚いたのはゲルマン側である。
ゲルマン人にとってアリオウィストス事件は有名だ。ローマのカエサルといえば、理由もなく近づき、いきなり殴りかかる狂犬である。穢の塊のような存在だ。
ゲルマン人は使者をだして必死に弁明を繰り返すが、最初から殴る前提で近づくカエサルには効果がない。
やがて、双方の若い衆同士が衝突し、刃傷事件に発展する。
「カエサル、ガリア人の騎兵に死者がでました」
「誰だ?」
「アクィタニ人のピソです。有力者の息子で、ゲルマン人相手にイキってたところを襲われ、討ち取られました。他に十数名が負傷しました」
心の中で、拳を握って、ガッツポーズ。
「交渉はここまでだな。マルクス、準備は?」
「後方に工兵と資材を集めてあります。現着しだい、十日で架橋が可能です」
「よし、両岸のゲルマン人を排除しだい、架橋を行う」
ゲルマニアの地は、人口密度が低い。
人口密度が低いと、備蓄食糧も少ない。
よって、ローマ軍の作戦行動期間は短い。二十日以内に撤退の計画だ。
二十日間で、野戦で大勝するのは難しい。
名だたる城市を落とそうにも、ゲルマニアにそんなものはない。
「我がローマの技術力を、レヌス河への架橋によって喧伝することで、この戦いの勝利とする」
カエサルの決定に、ウェルキンゲトリクスは勉強になる、と考える。
戦争は、片方が殴りかかれば、相手が嫌がっていても始められる。
だが、戦争を終わらせるのは難しい。
殴られた側を納得させられるか、あるいは納得が不要でも戦争が終わったことにする条件をあらかじめ決めておかねばならない。
ゲルマン人は穢を嫌う民族で、部族ごとの独立性が高い。ローマ軍がどのような交渉を持ちかけても、話がまとまることはあるまい。ゲルマン人を納得させることはできない。
──不意をついて殴りかかり、勝手に勝利宣言し、戦いを打ち切って帰る。
こういう戦い方もあるのか、という気持ちだった。
ゲルマン人は、ガリア人の流行り病を穢のせいだと認識しており、ガリアとの接触は最低限にすませようとしている。穢の大元であるローマ人がガリアにいるとなれば、なおのことだ。一方的に戦いを打ち切っても、反撃される危険はない。
──レヌス河に橋をかけるのも、名誉ある撤退の形で終わらせるためか。
ローマ軍はいつでもレヌス河を渡れるのだと、ゲルマン人とガリア人の双方に見せつける。好きな時に攻め込む能力があると、わからせる。
ラビエヌスは、戦争を始めるには大義名分が大事だといったが、カエサルとて大義名分は大事にしていよう。カエサルが大義名分を軽んじてみえるとしたら、それは、戦争を終わらせることを、より重視しているせいだ。
「今年は、あともうひとつ。ブリタニアにも上陸しておきたい」
「冬になりますよ」
「無理だったら、来年に回すさ。みんな、準備だけはしておいてくれ」
カエサルの言葉に、“三頭”は、呆れながらも頷いた。