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4.カエサルの法螺

 ウェルキンゲトリクスがラビエヌスの天幕を訪れると、カエサルがいた。

 おそらく。たぶん。


 ──ラビエヌスの天幕で、長椅子に横になって後ろを向いて不貞寝ふてねしているのが、カエサル以外の誰かという可能性は低いだろうしな。


 後頭部をみる。薄い。


 ──やっぱりカエサルだよな、これ。


 どうしたものかとラビエヌスをみると、苦笑して肩をすくめられた。

 カエサルは無視して報告しろ、ということだろうとウェルキンゲトリクスは考えた。


「アルプス山脈のドルイドたちから、話を聞いてきました」

「どうだった」

「話半分としてもガルバ将軍とローマ兵は、ずいぶん悪辣なことをしています」


 軍団長ガルバと第十二軍団は、カエサルによって、アルプス越えのルートを安定化させるために派遣された。

 その裏に、アルプス越えルートで難儀なんぎするローマ商人たちの要望があったのは間違いない。


「ガルバ将軍はやり過ぎました。食べ物を奪う。人質を取る。それらを、平地に住むガリア人相手と同じようにやってしまった」

「ううむ……」

「ガルバ将軍のやり方を真似て、ローマ兵もガリア人の家を奪い、行くところのない女子供は、住まわせてやるかわりに奴婢ぬひのように扱いました。ガリア人の反乱は、生きるために仕方なく行ったものです」

「……ガルバ将軍からの報告とは、ずいぶん違うな」

「そうでしょうね」


 ウェルキンゲトリクスは、吐き捨てるように言って、カエサルの背中を睨んだ。

 カエサルが、ガルバ将軍やローマ兵のやったことを知っていたとは、ウェルキンゲトリクスは思わない。だが、軍の責任は上の指揮官が取る。それがローマ人のいう文明というもののはずだ。


「個人的な問いかけになるが、何が悪かったのだと思う?」

「ガルバ将軍と兵に、苦労をさせたことです」


 予想していた言葉と違ったのだろう。ラビエヌスが眉をあげた。


「アルプス山脈は、登るだけで疲労困憊ひろうこんぱいします。なので、兵のひとりひとりは、ちょっとくらい、いい目をみたくなるものです。さらに、兵に苦労させた分、将軍の統制はきかなくなります」


 ガルバ将軍やローマ兵は、苦労に見合う正当な報酬を求めただけだ。

 だが、アルプス山脈の暮らしは、苦労に見合う正当な報酬という、ごく当たり前の欲求すら、他の人間の生命をおびやかすところだった。


「なるほど。傾聴けいちょうに値する言葉だ」


 ラビエヌスはそういうと、ウェルキンゲトリクスをうながして天幕の外に出た。

 カエサルらしき男は、最後まで背中を向けたままだった。


「ありがとう。正直に報告してくれて」

「いえ……その。こちらこそ、よく聞いてもらえたと思っています。途中で怒鳴られて追い出されると思ってたので」


 ウェルキンゲトリクスがいうと、ラビエヌスはくすくすと笑った。


「カエサルが元老院にだした報告書、読んだろ?」

「読みましたよ」

「どう思った?」

「アリオウィストスが何万もの兵を率いるゲルマンの大将軍になってたの、本人が聞いたら大爆笑したと思いますね」

「そうだよな。そうなるよな」


 カエサルが元老院にだした報告書は、後に『ガリア戦記』という形でまとめられる。

 カエサルは、自分がガリアを征服することの正当性を、報告書の中でくどいくらいに書き連ねている。

 アリオウィストスがただの商人では、戦争をふっかける正当性に乏しい。

 だから、報告書の中ではアリオウィストスが何万もの兵を率い、ガリアの地を荒らし回っていることになっている。


「わかってると思うが、カエサルは……控えめにいっても法螺吹きだ」

「そこ、うなずいていいんでしょうか」

「いいよ。でも、カエサルを信奉してる連中の前では、黙ってろよ。最近の若いのには、冗談が通用しないのがけっこういるからな」

「もちろんです」

「その上で、カエサルはただの法螺吹きじゃない。立派な……いや、誠実な法螺吹きだ」

「法螺吹きに誠実とかあるんですか」

「ある。カエサルはちゃんと、自分が法螺吹きだとわかってる。誠実な法螺吹きはな、どこで法螺を吹いてるか、それは何のためかを、ちゃんと理解している」

「……それで、あそこにいたんですね」


 長椅子に寝転がり、背中を向け、けれど、ウェルキンゲトリクスの報告を遮ることなく、最後まで聞いた。


「カエサルが女にだらしない理由を、わたしは、かれが誠実な法螺吹きであり続けるためのストレスだと思っている」


 カエサルは法螺吹きだ。

 誠実かどうかはわからないが、誠実であろうとしている法螺吹きだ。

 誠実であるために、カエサルは耳に痛い話にも、真摯に向き合う。


「……少し、カエサルのことを誤解していたかもしれません」


 ウェルキンゲトリクスは、カエサルが中にいる天幕を見た。

 天幕の中では、人目がなくなったのをいいことに、カエサルは長椅子の上でイモムシのように丸まっていた。

 カエサルはガルバ将軍の能力を高く評価している。今もそうだ。作戦に失敗してアルプス山脈から逃げ帰ったとはいえ、兵はほとんどそこなっていない。


 ──法螺を吹こう。ガルバ将軍が勇敢に戦って、一勝した後に撤退したと。


 ガルバ将軍の面子がたつ形での報告書の文面を考える。

 ウェルキンゲトリクスの提言もありがたかった。将や兵を厳しくしつけるには限界がある。平地でなら兵に規律を守らせることができても、アルプス山脈を登った兵に民草から略奪するなと命じたところで、どれほど守らせることができるか。


 ──同じ兵でも、置かれた環境によって、心は広くも狭くもなる。


 ローマ兵が規律正しいのは、勝ち戦を続けているからだ。

 負け戦が続けば、規律は溶ける。「生き残るために、今は無視しよう」となる。


 ──わたしが法螺を吹くのは、ガリアでの勝ち戦を続けるためだ。


 法螺を吹く目的を考える。

 法螺を吹いてでも手に入れるのは、何かを考える。


 ──認めねばならん。ガリアはそう簡単に征服できない。


 ガリア戦争の期間を五年と見積もっていたが、足りない。

 軍団の数も増やす必要がある。

 法螺を吹いて周囲を騙し、だが自分は騙さず、やるべきことをやるのだ。

 イモムシ状態から、もそもそと起き上がったカエサルは、同盟相手のクラッススとポンペイウスに手紙を出すことにした。


挿絵(By みてみん)


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