24.人身御供(ウィッカーマン)
聖地の西に沈む太陽をながめる。朝に昇った太陽は、夕に沈む。
ウェルキンゲトリクスは苦い思いを押し殺し、本陣の伝令から報告を聞く。
「大軍が北から迫ってます」
「ローマ軍か」
「それだけじゃありません。ガリア諸部族の旗もみえます。大連合です」
「数はわかるか?」
「今の時点では数万、としか……」
「そうだったな。すまん」
ウェルキンゲトリクスは、自分の目で野営地を偵察したことを思い出す。
あれだけよく見える場所にあってさえ、数を間違えるのだ。
「どこから来ている? 今はどのあたりだ?」
「北西から。二隊にわかれています」
後のトネールと、シャブリのあたりだと聞いて、ウェルキンゲトリクスは安堵する。
逃げるにしても、まだ二日ほど余裕がある。副官のリタウィックスと話をする。
「北西には、アゲディンクムがあったな」
「はい」
「あそこにはローマ軍が六個軍団いたはずだ」
「ですね」
アゲディンクム(サンス)は、ローマ軍団の冬営地のひとつだ。
六個軍団が配置され、少なく見積もっても二万近いローマ軍がいたはずだ。
二隊に分かれて進軍しているなら、それぞれ一万以上の部隊だ。
三千しかいないガリア解放同盟が、ぶつかっていい相手ではない。
ウェルキンゲトリクスは、伝令に命じる。
「本陣に命じて、撤退の準備を」
「……」
「どうした?」
「それなのですが、ガリア諸部族の使者が、夕刻より続々と本陣に到着しており……」
ウェルキンゲトリクスとリタウィックスは、顔を見合わせる。
ガリア解放同盟は、法の規定した組織ではない。もちろん、規約もない。ウェルキンゲトリクスの檄に応じて参じたガリア諸部族が、なんとはなしに集まってる組織だ。
それぞれの部族が、自分の氏族と勝手に連絡を取ることは防げない。
そして、何がおきるかといえば──
「義兄上! いつこちらへ?!」
「たった今だ。元気そうだな」
カルヌテス氏族の若武者は、妻の兄に抱きしめられた。
妻の兄は、氏族の有力者だ。寒村ひとつの庄屋である若武者とは格が違う。
それにしても、と若武者は思う。
妻の実家は、ガリア解放同盟につくか様子見のはずではなかったのか。ここにきて、何か変があったのか。
「聞いたぞ。手柄をあげたそうじゃないか」
「撤退する味方の支援で、弓を射ただけですよ」
「聞いた話じゃ、十人のローマ兵を射殺したことになってるぞ」
「ひとりもあたってませんよ」
「おまえの勲はドルイドの歌としてガリア中に知れわたる。そうなれば、ローマ兵を十人を射殺した英雄としてのおまえが本物になる。親族のわしも鼻が高い」
「はあ」
若武者は、義兄が苦手だった。善人なのだが、感覚が違いすぎる。
それでも、駆け落ち同然だった妻との結婚を後押ししてくれた恩がある。
「今日から世話になる。あ、これ妹が差し入れでもっていけって作ってくれた焼き菓子だ」
義兄は若武者に、包みをひとつ手渡した。
偵察に出たアリオウィストスが、聖地アレシアに戻ってきた。
「下の様子を見てきたで」
「どうだった?」
「こりゃ戦争は終わりや。どっちもやる気があらへん」
ローマ軍の野営地も、ガリア解放同盟の本陣も、弛緩した空気が流れている。
見張りなどの警戒はそのままだが、水汲みや商人の出入りは、自由に行われている。
「それと、どっかふわふわしとるな」
「ふわふわ?」
「どうすればええんか、自分らでもようわかっとらん、って感じや」
アリオウィストスは二十代でゲルマン商人としてガリア各地を回り、交渉を成し遂げた実績を持つ男だ。観察力も洞察力も、飛び抜けている。
ガリア語の語彙は乏しいが、アリオウィストスが「ふわふわ」と言ったのならば、本当に「ふわふわ」しているのだ。
「ウェルキンゲトリクスよ。わしはおまえに命を救われた恩がある。じゃけえ、おまえがゲルマニアの地に逃げるなら、わしが助けたる」
「ありがとう」
「そやけど、強制はできん。どうしたいかは、自分で決めえ」
「わかってる」
「わしの見たてじゃあ、逃げるんなら、今すぐ。皆のふわふわが消えて腹を決める前じゃ」
「そうか。だが、すまない」
ウェルキンゲトリクスは、静かに笑って、首を振った。
「わたしの腹は、すでに決まっている。聖地アレシアで、わたしはドルイドの最高神祇官に就任する」
「ですが、準備していた儀式の手順を、大幅に簡略化しないといけませんぜ」
今日の準備では、儀式は次のように定められていた。
ガリア解放同盟から代表者を聖地に集めて一斉に鳴子を鳴らさせ、ウェルキンゲトリクスへの支持を表明する。
ウェルキンゲトリクスがその支持を受けて、境界線をぐるりと回り、最高神祇官となる。
「明日となると代表者も、どれだけ集まるやら……」
「就任の儀式をやるのは、明日ではない」
「え? じゃあ、今夜のうちですか?」
「明日の夜だ」
信じられない、という顔でリタウィックスが敬愛するウェルキンゲトリクスをみる。
「アニキ、明後日の朝となると、もう逃げようがありませんぜ」
「こいつのいう通りや。命を惜しむ気が少しでもあるんなら、今夜のうちに最高神祇官とやらになって、明日の朝、すぐに逃げえ」
アリオウィストスも、ウェルキンゲトリクスにすすめる。
「いいや。命を惜しむからこそ、派手にする必要があるんだ」
「派手って……どうするんです?」
「ねぶたを作る。大きいヤツだ」
「どのくらい大きいヤツですか」
「わたしが入って、一緒に焼けるくらいの大きさだ」
翌日。
聖地とガリア解放同盟の本陣との間を、頻繁に使者が行き交った。
本陣に集められた木材などが、聖地へと登っていく。
ローマ軍野営地からは、木材を運ぶ荷車がよく見えた。
マルクス・アントニウスは、憂鬱顔で聖地を見上げる。
マルクスの手元には、手紙がある。昨夜のうちに届いたものだ。
その日は、聖地からは何かを作る音、木や草を切る音が響き続けた。
日が落ちる。聖地に篝火が灯される。黒い影が浮かび上がる。第十三軍団長が、眉を寄せて影を見る。
「なんだい、ありゃ。でかい人形に見えるが」
「ねぶた、だ」
ねぶたは、枝を編み上げて作る、人形の案山子だ。
ドルイドの冬至祭では見慣れた呪具だ。冬至の日の夜に燃やすことで、古い太陽が死に、新しい太陽が生まれる。ねぶたを太陽に見立てた呪術だ。
「季節はもう春だというのに、今になってねぶたか」
「何かの祭祀だろう」
篝火に照らされたねぶたの前に、白い簡素なローブの男が立つ。
聖地から、同じローブを着たドルイドが、馬で近づいてきた。見張り台の弓兵が狙いをつける。第十三軍団長が弓兵を止める。
ドルイドは、樹皮紙を広げ、声を張り上げた。ラテン語だ。
「告げる! ウェルキンゲトリクスより、勅を告げる! 静聴せよ! 静聴せよ!」
野営地が一斉にざわつき始める。
かえって声が聞こえないので、マルクスは見張り台の上へと登った。
「戦いはわたしの栄誉のためではなく、全ガリア人を解放するための戦いだった。天命はわたしに勝利を与え、わたしは聖地アレシアに巡礼し、ここにて最高神祇官となった」
野営地の中では、さらにざわつきが大きくなる。ローマ兵が「なめとんのか、コラ!」「殺すぞボケがーっ!」と野次る。
「されど戦禍を広げ、死穢を広めた咎もまた、わたしの不徳ゆえ。よってわたしはここに、ねぶたでもって、我が罪を浄火する!」
ドルイドはそう宣言すると、樹皮紙を丸め、松明で燃やした。馬のきびすを返し、聖地へと戻っていく。
マルクスは、見張り台の上で目を細めた。白いドルイドの服が、ねぶたの中に見える。
ねぶたに火がかけられた。
油をかけられていたのか。炎は一気にねぶたを包む。
ドルイドたちの慟哭の叫びが聞こえ、鳴子が一斉に響く。
見張り台の下から、第十三軍団長が声をかける。
「おーい、財務官さんよ。何が起こってるんだ?」
マルクスは、憮然として答えた。
「茶番だ」
ねぶたの中で燃えているのは、おそらくは服だけだ。
脱いで……いや、最初から、ねぶたの中に服が詰めてあって、それを広げてみせたのだ。ウェルキンゲトリクス本人は、さっさと裏から出て姿をくらましているはずだ。
「茶番?」
「ウェルキンゲトリクスは、火の中に身を投じた。カエサルを裏切った罪と、アウァリクムでローマ軍団を罠にかけた罪を、償ったのだ」
「ああ」
第十三軍団長が、笑った。
「そういうことにしたのか」
「そういうことにしたわけだ」
今日の時点で、誰も何が起きたか詳細まではわかっていまい。
明日から、ガリア各地で、聖地アレシアで起きた事件についてドルイドが語り部となって伝えるのだ。
派遣されたドルイドの中に、ウェルキンゲトリクス本人が名前を変えて混じっていても、誰も気づくことはあるまい。
「ガリア初の最高神祇官は、こうして伝説になるというわけだ」
マルクスは、上空に散るねぶたの火の粉を見上げ、ひとりごちた。




