21.アレシアの決戦(前編)
土煙が、あがっている。
ガリア解放同盟の長蛇の列が、踏み固めた街道を進んでいる。
総数は今や三千に膨れ上がっている。意気揚々と前進を続ける。
その前の方。二十人ほどの小集団がある。
「明日には、聖地アレシアかぁ」
「おれの村からアレシアに巡礼するの、はじめてだよ。かかぁに自慢できるぜ」
「そういや、アレシアでなにするのか聞いてるか?」
「いや、聞いてねえ」
男たちの目が、馬に乗る若武者へ向けられた。
若武者は、二十人の男たちの指揮官になる。
カルヌテス氏族に連なる若武者だ。使者としてウェルキンゲトリクスに挨拶にきて、そのまま配下の者と一緒にガリア解放同盟に参加している。
全員が同じ村の出身で、若武者とは幼なじみだ。若武者が狩猟好きなので、暇さえあれば近くの森で猪や鹿を狩っている。
「大将は、聖者さまから何か聞いてますか?」
「うん。まあな」
若武者は、ぽっくりぽっくり馬を歩かせながら、どう説明したものか思案する。
「聖地で、ドルイドの長老のようなモンを選ぶらしい」
「へえ」
「聖者さまがなるんですかい」
「まだわからん。ケルトの神々の儀式だからな。占いとか神託とか、そういうので選ばれるんだろう」
若武者は、馬上から列の前後を見回した。
若武者は、ガリア戦争の三年目に、従兄弟たちと一緒にローマ軍団に雇われたことがある。初の従軍ということで「こんなものか」としか思っていなかったが、こうして二度目の従軍を指揮官側でしてみると、職業軍人と素人の違いがよくわかった。
ガリア兵だけで軍勢を作るとなると、とにかく指揮が「雑」なのだ。
若武者の前後には、若武者と同じカルヌテス氏族の戦士団がいる。前にいるのは、叔父の親族で、後ろにいるのは伯母の親族だ。祭祀で何度か顔を合わせているが、そこまで親しくはない。
だから、休憩を取るのですら、一緒にはできない。前の方が詰まるなどして足を止めた時に、ついでに「ちょいと小便を」「じゃあおれも」と三々五々、そこらの茂みでいたす。戻ってきたころには、もう前の方は進みはじめてる。こういうことが重なれば、前後の間隔は開き、隊列は間延びしていく。
前の方から、再従兄弟が馬で駆けてきた。
「今日の寝床は、うちの方で用意する! メシはでないぞ!」
「心得た! メシはこっちで面倒をみる!」
古代社会では、他人の世話をすることで、自らの地位を確保する。
他人の世話をする権利、というものを奪われたら豪族はやっていけない。
若武者の率いる二十人が若武者の命令を聞くのは、寝所や食事の世話を若武者がしてくれるからだ。日々の世話の積み重ねの先に、戦場で命をかけるか、命以外のすべてを捨てて逃げるかの分岐点がある。
しばらくすると、また、前の方から馬が駆けてきた。鞍につけた飾りに見覚えがない。どこか遠い氏族だろうか。よくみると、背中に旗をつけている。伝令だ。伝令の旗印は、ガリアがローマ軍から学んだことだ。
「戦の準備をしろ! 前方にローマ軍がいる! 明日は戦だ!」
伝令の声に、皆が一斉に色めき立つ。
「こいつは腕がなるぜえ!」
「焼け残りがナンボのもんじゃ」
「寝る前に矢を作っとかんとな」
兵たちは気楽なものだが、若武者は別のことを考えていた。
──今になってローマ兵だぁ?
似た疑問は、ウェルキンゲトリクスも考えていた。
聖地アレシアから北西に十五キロメートル。後のモンバールのあたりにある村落に到達したところで、情報を精査する。相談相手は、副官のリタウィックスだ。
「今になって、ローマ兵か」
「やっぱり、ディビオから来たんでしょうかね」
「間違いない。ここ一ヶ月くらい、ローマ軍はディビオにいる」
ディビオ(ディジョン)は、聖地アレシアから南東に五十キロメートル。二個軍団六千の兵が野営地を作って居座っていたが、このうち二千を分遣隊として南下させた。
分遣隊の狙いは、アウァリクム(ブールジュ)にいるウェルキンゲトリクスだ。
「分遣隊をアウァリクムと一緒に燃やせたのは、偶然……いや、天意だった」
ウェルキンゲトリクスは、自分を狙う分遣隊の存在を知る前から、焦土作戦のための準備をしていた。分遣隊に偽の降伏文書を送り、アウァリクムに火をかけて逃げたのは、目の前で町が焼けるのをみせ、ローマ軍を悔しがらせるつもりだった。
ところが、顛末は予想外だった。
たまたま、火が燃え広がる直前にローマ軍がアウァリクムに到着し。
たまたま、ローマ軍の指揮官が確認のためアウァリクムに兵を送り込んで。
たまたま、城門や城壁が先に延焼して、兵が逃げられずに焼死したのだ。
三つの偶然が重なったのだ。これはもう、天意だろう。
古代地中海の宗教感覚では、ここまで天意があからさまであれば、ローマに逆転の可能性はない。今はガリア属州に撤退して捲土重来をはかる時だ。
「ローマ軍は、野営地をどこに築いている?」
「聖地の西です。イヤなところに陣取りましたね」
「目的は、わたしが聖地アレシアに至って最高神祇官に就任することの、阻止か」
「イヤがらせにしても、タチが悪いや」
「問題は……数、だな。どれだけいる?」
ディビオには、四千のローマ兵が残っていたはずだ。
三千のガリア兵で、野営地を築いた四千のローマ兵と戦うのは、あまりに無謀だ。
同数でさえ、ガリア兵とローマ兵が野戦でぶつかれば、鎧袖一触で自軍側が崩壊する確信がウェルキンゲトリクスにはあった。
「わからんです」
「わからんか。まあ、野営地の中だからな」
「三万から六万という報告もきてますぜ」
「おいおい……あそこに何個軍団いることになってるんだ」
「十二軍団」
「多すぎるだろ」
「それが、報告したヤツによると、野営地の柵の上に翻っている旗を数えたようです。違う旗が十二枚あったので、それで十二軍団いるのではないかと」
「旗の数を軍団の数として計算したわけか。スジは通ってるな」
ローマ軍団には、旗手という役職がある。軍団旗は軍団ごとに異なる。
「だが、ディビオにいたのは第十三軍団と第十五軍団だ。二個軍団より多いというのは、ちょっと考えにくいな」
「アニキの意見に賛成です。たぶん、軍団旗以外の旗も一緒に勘定してんじゃないかと」
「それにしても、十二個軍団か。ガリアにいるローマ軍団のほぼすべてが聖地アレシアに結集してることになるな」
「決戦ですね」
「本当にそれだけ一箇所に集まってたら、こっちは逃げ回って時間を稼ぐけどな」
翌朝。
ウェルキンゲトリクスは自分の目で確認すべく、未明のうちから宿舎を出た。
最初は従者に馬の口取りをまかせ、足元が明るくなってきてから馬を走らせる。
ローマ軍野営地があるだいたいの場所は聞いているので、北側から回り込むようにして近づく。後ろから副官のリタウィックスも馬を走らせる。
「あれか……うん。野営地だな」
思っていたほどには、大きくない。
四千人ということは、ない。
「……いや、もうちょっと少なくないか?」
三千人。二千人。いや、それよりも少ない。
「千人、以下か?」
川をはさんで、北側の丘陵を上がっていく。
野営地を見下ろす形になる。天幕を数える。
「八列と五列で、四十。左も同じ。合計で八十。天幕ひとつにつき、八人が入るから、六百四十人か……何か見落としてないだろうな」
少ないのは、天幕だけではない。
馬も少ない。騎兵がいない。
「こいつはいい。これならイケますぜ、アニキ」
副官のリタウィックスの顔も声も、やる気が横溢している。
この数字を持ち帰れば、三千のガリア解放同盟の全員が、同じ反応になるのは間違いない。
こちらは五倍の兵力なのだ。ローマ軍が野営地にこもって戦っても、押しつぶせる。
攻城兵器は持っていないが、野営地を守るのは浅い堀に、簡易な柵だ。門の両側にある見張り台も、一人か二人の射手しか配置できまい。
普通にやれば、勝てる。
勝ててしまう。
だが。しかし。
「アニキ? どうしました? 目がコワイですぜ」
ウェルキンゲトリクスの心の中で穢祓いの喇叭が鳴り響く。
相手はカエサルの“三頭”の最後のひとり、マルクス・アントニウスだ。
──マルクスが、わざわざ押しつぶされること確実の兵数で野営地を築いた?
否、だ。
マルクスが聖地アレシアの前に野営地を築いたなら、それは敗北のためではなく、勝利のためだ。そうでなくては、カエサルが“三頭”を名乗らせた価値がない。
「戻るぞ。作戦を考える」
ウェルキンゲトリクスの胸中で、戦意が強く燃えた。




