表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/29

19.アウァリクム炎上(後編)

 北西の空に、うっすらと煙がのぼった。

 見張りをしていたローマ兵が、天幕に報告に駆けつける。

 マルクス・アントニウスは、伸びかけの無精髭ぶしょうひげを指でいじった。


 ──早すぎる。


 ここからアウァリクム(ブールジュ)まで、どれだけ急いでも、四日はかかる。


財務官クァエストル。一刻の猶予もないぞ」


 第十五軍団長は、きれいに剃ったツルツルの顎で言った。


「強行軍で、アウァリクムを突くべきだ」

「危険です」


 野営地にいるのは二個軍団から抽出した兵が二千。指揮するのは第十五軍団長だ。

 第十三軍団長はディビオ(ディジョン)に残余の四千と残り、集まった物資を前線へと送る仕事をしている。


 ──本当なら前線には第十三軍団長と来たかったんだが、仕方ない。後方支援の方が、大量の事務作業が発生するからな。


 結果、前線は第十五軍団長が、後方は第十三軍団長が、それぞれ担当することとなった。


「ここまで戦うことなく前進できたのは、我々がローマ属領に帰還するという先入観いいわけがガリア側にあったせいです。この先はそうはいきません」


 二千の軍勢がソーヌ河流域から西に移動を開始した時点で、目端の聞くガリア人は「これはヤバいのでは?」と気づいたに違いない。南ではなく西に向かうからには、ローマ軍が戦いを求めているのは明白だ。だが、その推測を口に出してしまえば、真っ先にローマ軍に踏み潰される。なので誰もが、ヤバいことに気づいた時点で「気づかなかったことにしよう」と決断したのだ。


「我々がここまで出会ったガリア人たちが、物資の供出だけして見て見ぬフリをしてくれたのは、いいわけができたからです。ですが、この先はそうはいきません。我らがアウァリクムに向かっていることや、ウェルキンゲトリクスを狙っていることは、明白です」

「戦いになる、ということか」

「なってくれれば、まだいいのですが」


 マルクスは、戦いにはなるまい、と考える。

 そこらのガリアの集落が、ローマ軍二千と戦えば、一瞬で踏み潰される。集落側もわかっているから、抵抗はするまい。集落側がするのは、兵糧や秣の供出ができない言い訳を並べることだ。


「協力できないというなら、脅せばよいではないか」

「小さな集落のひとつひとつを? そんな手間と時間をかける余裕はありませんよ」

「では、どうする」

「ゴルゴビナを占領します。ここを拠点に、ロアール河流域の河湊かわみなとを制圧します」

「ふむ」

「制圧した河湊かわみなとから、物資をゴルゴビナに運びます。その上で時間をかけて攻城戦の準備を整え、アウァリクムに攻め込みます」

「堅実だな」

「はい」

「だが、時間がかかるぞ。一ヶ月はかかる」

「必要な時間です」

「うーん。だがなあ。兵はそうは思わんぞ」


 攻城戦は、兵の士気を下げる。

 カエサルがいない今、攻囲を納得させられるか、怪しい。


「ですが、強行軍が失敗すれば、兵を損ないますよ」


 マルクスは第十五軍団長に指摘した。

 第十五軍団長は、顔をしかめた。


「わかってる」

「では、ゴルゴビナ制圧ということで進めさせていただきます」

「……よいようにしろ」

「はっ」


 マルクスは内心で「よいようにしろ」とは何事かと思う。近代以後であれば、軍人として失格の命令である。うまくいかなかった場合、他人に責任を押し付けるための言い回しだ。このようなものいいが許されるのは、第十五軍団長が貴族のだからだ。


 ──ここにカエサル閣下がおられれば、このような言われ方はせずにすんだ。


 マルクスは、カエサルの明瞭な命令を懐かしく思う。

 カエサルは結果として間違うこともあったが、命令は明瞭で、責任の所在も明確だった。上に立つ人間がそうであれば、下の人間も迷わずに行動できる。

 野営地を出たマルクスは、先行するゲルマン騎兵の諸隊を回り、アウァリクム強襲を避け、ゴルゴビナを先に制圧する手筈てはずを整えた。

 古参のゲルマン騎兵と打ち合わせする。


「ゴルゴビナの防備は、どのくらいだ」

「城壁はねえし、増援の兵も百人くらいだ。今でも、俺らだけで、威嚇して逃げ散らせることができるぜ」

「ゴルゴビナは補給拠点として使いたい。逃げ散ったガリア兵に、そのへんでウロウロされてはかえって困る。緒戦で確実に潰しておこう」

「あいよ」


 包囲戦は、逃げ道を潰すところから始まる。

 ゲルマン騎兵は、町から逃げる道の要所に配置しておく。

 後からくる歩兵隊でゴルゴビナの町を包み、絞るようにして迫ればいい。


「……遅いな」


 なのに、一日たっても、その後続の歩兵隊が来ない。

 先触れの伝令すら来ない。おかしく思い、マルクスは馬を駆って南下する。

 野営地は片付けられており、誰もいない。踏み跡とわだちは、北ではなく西へ続いていた。


「──っ、バカなっ!」


 馬を西に走らせる。

 アウァリクムの町は沼沢に囲まれており、容易には接近できない。

 ローマ軍は、沼沢地の手前で野営地を作っていた。

 マルクスは馬を降りると、すぐさま、第十五軍団長の天幕へと踏み込む。


「軍団長! これはどういうことですか!」

「喜べ、財務官クァエストル。アウァリクムが降伏すると言ってきた」

「降伏?」

「もちろん、ウェルキンゲトリクスも突き出すそうだ」

「それは──」

「これで、我々は大手をふってローマに帰還できる。文句はあるまい?」


 ──やられた!


 マルクスは、目の前が真っ暗になる敗北感に打ちのめされた。

 第十五軍団長は、罠の可能性に気づいた上で、アウァリクムへ向かっている。


「軍団長」

「何かな?」

「わたしはこのことをゲルマン騎兵に伝えてきます。部隊の指揮はお願いします」

「うむ。任せておきたまえ」


 ほっ、と安堵した様子の第十五軍団長。

 マルクスは翌朝、再びゴルゴビナへと向かった。

 古参のゲルマン騎兵が、マルクスを出迎える。


「なんだなんだ。ゴルゴビナを攻めるんじゃなかったのか」

「方針が変わった。アウァリクムを攻める」

「上の方針がふらついてんのは、よくない兆候だぞ」

「わかってる。だから、わたしがここに来たんだ」


 マルクスの中には不安があった。

 第十五軍団長は、これが罠であっても自分の軍団に被害はない、と考えている。

 城門を閉ざしたままのアウァリクムの前まできて、ウェルキンゲトリクスを渡せ、渡さないと問答をし、らちがあかないと判断して撤退するつもりだ。

 だが。しかし。


 ──ウェルキンゲトリクスが、そんなぬるい罠を仕掛けるだろうか?


 否、だ。

 ウェルキンゲトリクスが罠をしかけるなら、それは致命の罠だ。そうでなくては、カエサルが“三頭”(トリウムウィリ)を名乗らせた価値がない。


「これより、ゲルマン騎兵隊はわたしの指揮下にはいる」


 ゲルマン騎兵隊の数は、二百だ。

 出身氏族単位の、小さな集まりなので、命令伝達に手間がある。

 また、替え馬がいないので長期間の作戦には不向きだ。

 それでも、不測の事態には対応できる。


「わしらは傭兵や。どこでたたこうても、文句はない」

「戦いではない。まぐさを集めてくれ」

「今もやってるが?」

「その場で食わせるだけでなく、持ち帰ってほしい」

「略奪か。高価なものも一緒がええんじゃが」


 ゲルマン古参兵のいう“高価なもの”は、家畜や人である。


「家畜の背に秣をのせるのは許す。人はダメだ」

「よし、任された!」


 大喜びの古参兵から目をそらし、マルクスは西をむいた。

 何かが見える、と思ったのではない。

 ここからアウァリクムまでは四十キロメートルは離れている。地平線の向こうだ。

 それなのに、うっすらとした筋が見えた。気がした。

 さすがに、目の錯覚を疑い、古参兵に確認する。


「あれが見えるか?」

「ん? んん?」


 古参兵が目を細める。


「白い筋のような……煙か?」

「どこだと思う」

「アウァリクムの方だが……この距離でも見えるもんかね」


 マルクスは答えなかった。かれも知らないことだからだ。

 この日は快晴で、空気は乾燥していた。何より、無風に近かった。気象条件が整っていた、といえる。

 煙はまっすぐ高度二百メートルまであがり、四十キロメートル離れた場所からでも見ることができた。情報伝達用の狼煙が届くのが十キロメートル圏内であることを思えば、例外的な遠距離である。

 紀元前のガリアで気象条件が整うというのは、神の加護の領域である。


「アウァリクムで、何があったのだ……まさか、本当に神の……」


 同時刻。西に四十キロメートル。

 炎の中で、ローマ兵が逃げ惑う。

 アウァリクムの町が、燃えていた。


挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ