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17.アウァリクム炎上(前編)

 アウァリクム(ブールジュ)からゴルゴビナまでは、二日の距離だ。

 若いドルイドは、百人の手勢と十二頭の馬、三頭の牛を連れて東へと向かう。

 牛の背には、うずたかく、干草ほしくさが積み上げられている。

 百人の手勢は、十人ずつ、十の組に分けた。

 基本は徒歩だが、若いドルイドだけ、権威を示すためもあって馬に乗る。

 若いドルイドの代わりに、ぐるりと全体を見て回った少年が駆けてくる。


若頭わかがしら、報告があります」

「おう」


 十代半ばの少年に「若頭」と呼ばせ、若いドルイドの口のが少し緩む。

 若いドルイドは、名をリタウィックスという。皆からは若頭わかがしらと呼ばれることが多いし、そちらを好む。いかにも、親分ウィルキンゲトリクスの一の子分という印象があるからだ。


「点呼の時は、十七人がいませんでした」

「多いな」

「どうも、腹をすかせた連中がグループで狩りに出たまま戻ってないようです」


 便宜上べんぎじょう、組分けはしたが、訓練も何もしていない素人の集まりだ。

 河湊かわみなとの人足の方が、まだ同じ湊で働いていた分、連帯感がある。

 腹が減った、いい女がいた、その程度の理由で、仲間とつるんで姿を消し、しばらくしたら戻ってくる。かれらはそれを悪いとすら思わない。基本的に集団行動に向いていないのだ。

 若頭リタウィックスは、少し前まで自分も似た境遇であったから、勝手をする若い衆の手綱を握るのには、硬軟共に必要であると理解している。


「そいつらが狩りから戻ってきたら、上官にきっちり締め上げさせろ」

「はい」


 バカは、殴られないとわからない。

 それも、直属の上官から殴られるのが大事だ。ここで若頭リタウィックスがしゃしゃり出ると、上官の権威が低下する。


「メシの配分が悪かったか。おい、今夜の宿になる村では注意しとけ。幹部に酒をふるまっておいて、若い連中には何もやらねえようなら、叱れ。公平が大事だ」

「はい」

「若い連中にも酒をやるか、誰にも何もなしか、だ。お前も飲むんじゃねえぞ」

「は、はい」


 バカだから、殴っただけでは不貞腐ふてくされるだけだ。

 上官だけいい目を見てると思うから、自分たちも勝手をする。


「明日はゴルゴビナだ。お前、馬が上手だったな」

「はい。若頭ほどじゃあないですが、ガキの頃から乗ってます」

「よし、馬を駆けさせてやるから、明日の夜明けと同時に、宿場を出てゴルゴビナまで走れ。んで、ゴルゴビナのドルイドの誰かにこいつを渡せ」

「わかりました!」


 少年は、樹皮をがしてなめしたドルイドの紙を受け取る。そして勇躍、明日使う馬を選びに行く。

 若頭は、少年の機敏な動きに小気味よさを感じる。一方で、文書の内容について、ひとつふたつ確認の質問があっていいだろうにと思う。


 ──まあ、おれもあんなもんだったし。おいおい学べばいいか。


 翌朝。東の空が明るくなる前に、少年は馬を走らせてゴルゴビナへと向かった。

 ゴルゴビナの場所は、後の時代でいえば、ヌベール近郊になる。さほどに大きくはないが、リゲル河(ロアール河)流域にあり、周辺の集落のハブとなっている。

 昼過ぎ。ゴルゴビナの境界になるつじに、かしの杖を持った初老のドルイドが立っていた。顔見知りだ。若頭は馬を降り、自分も杖を持って進み出る。

 辻で、杖をコンコンと決まった順序で突き合わせ、挨拶の儀式をすませる。これで、若頭が率いた百人の兵隊はゴルゴビナの一員ということになる。


「世話になる」

「面倒を持ち込みやがって」

「うまくいけば、世界が変わる。おれらドルイドが、流行り病で死んじまったやつらの葬式を出さなくてすむようになるんだぜ」

「その前に、おれの方が死んじまうよ」


 初老のドルイドが「けっ」と吐き捨てる。


「それより、リタウィックス。あんな子供を、連絡に使ってんじゃねえよ」

「一緒に出迎えると思ったが、いないな。どうした?」

「こいつを──」


 初老のドルイドは、少年から託された手紙を出した。


「確認のために読み上げたら、何も知らなかった。で、こんな大事なことなら、自分も手伝いますっていって、馬つれて東の方にいっちまった」

「元気なやつだ。それで、どうなんだ? 噂くらいは出てるか?」

「ああ」


 ウェルキンゲトリクスが調査を依頼し、若頭が樹皮紙じゅひしに書いたのは河湊かわみなとに秣が集まっているか、という問い合わせだ。


「そこら中に、冬の間、納屋に積んであった干草ほしぐさが積み上げられている」


 初老のドルイドは、具体的な河湊の名前をあげていった。

 ディビオ(ディジョン)から南のソーヌ河流域にある河湊の名前が並ぶ。


「ディビオには、ローマ軍団が二個、駐屯している。今集めてるのは、こいつらが南に帰るための秣だと思うが、違うか?」

「いや、違わない。ウェルキンゲトリクスもそう考えている」

「よかった。相談があってな。ローマ軍団が戦わずに南に帰るなら、秣の供出は断らなくてもいいんじゃないかって」

「どう答えた?」

「供出しろと答えたさ。他の用途ならともかく、南に帰る分まで妨害していいことは何もない」

「正解だ。かえってローマ軍団を長逗留(とうりゅう)させ、危険だ」


 ガリア側からすれば、ローマ軍団には積極的にお帰り願いたい。

 近くに住む住人からすれば、人も獣も、飢えた方が危険なのだ。


「ただ、あまりに要求された量が多くてな」

「ほう」

「ローマに向かうソーヌ河流域だけじゃ、不足してる。だもので、このあたりの連中ドルイドと相談して、リゲル河の方でも河湊に干草を集めてる。後でまとめて、ソーヌ河の方に運ぶ手筈てはずだ」

「ほほう」

「場所は、こことここと……なんだ、えらく嬉しそうな顔だな」

「そりゃあ、嬉しいさ。想定通りにいきすぎてるくらいだ」

「なんだ、悪巧わるだくみか」

「ああ。その干草な。運ぶんじゃなくて、燃やしたい」

「燃やすぅ?」

「燃やした煙が遠くから見えるよう、天気は選びたい」

「ははぁん」


 初老のドルイドも、言わんとしていることがわかったようだ。


「焼いた後で、ウェルキンゲトリクスの命令で焦土戦術を仕掛けたと言い張るつもりか」

干草ほしくさを三ヵ所で一斉に燃やせば、噂はすぐに流れるし、辻褄つじつま合わせも民草たみくさの方でやってくれるだろうよ」


 ホモ・サピエンスは、事実があれば、そこを足がかりに解釈しようとする。

 干草が燃えれば、干草を燃やすことにどんな影響があるかを考え、誰が得をするかと推論を重ね、その果てにウェルキンゲトリクスによるローマへの焦土戦術だと解釈する。


「干草が多少足りないくらいなら、ローマ軍は気にせず南に戻るか。考えたな」

「ローマ軍を追い払った後で、全部をウェルキンゲトリクスのアニキの手柄にすればいい。どうよ、このアイディアは」

「お前が考えたアイディアじゃないだろうが」

「そりゃそうだけどよ」


 笑い合うふたりのドルイドは気づいていない。

 かれらの思考の根幹にあるのが、「ローマ軍はガリア属州に戻るために南下している」という固定観念であることに。


 七年目を迎える長い戦争。カエサルの負傷。ローマ本国の不安定化。


 これだけ揃えば、ローマ軍はガリアから撤退する。

 ケルトの神々の気まぐれで、流行り病にたびたび苦しめられたガリア人の持つ、諦観からくる思考の流れで解釈すれば、自明の結論だ。

 ローマ人の思考の流れは違う。


 七年目を迎える長い戦争。カエサルの負傷。ローマ本国の不安定化。


 これだけ揃えば、ローマ軍は自分たちがなんとかせねばと考える。

 ローマ人は、ローマの神々の加護の強さを実感しているだけに、自負の心も強い。

 マルクス・アントニウスの計画のよろしきもあったが、それがなくとも、ローマ人は自分たちの手で運命を切り開くことに情熱をかけている。


 両者の──

 ガリアとローマの思考の方向性の違いが、決定的なすれ違いを生んだ。


「あれ? なんだろう、あの人たち」


 栗毛の馬を走らせる少年は、リゲル河の河湊に近づき、首をひねる。

 後のブルボンランシーの近郊である。広げられた干草に、大勢の馬が群がって、むしゃむしゃと食べている。


「なんだろう。勝手に食べていいのかな。なら、おまえにも、食べさせてあげられるかもしれないね」


 少年は、馬の首を撫でて語りかけた。馬がいななきをかえす。

 西をみればずいぶんと陽が傾き、影が長くなっている。少年は馬からおりると、足元に気をつけながら、河湊へ向かう。


「馬は、ケルトの馬みたいだ。お前と同じで、背は低いけれど毛並みがいい」


 手綱を握り、馬に語りかけながら、少年は馬と男たちに近づく。


「男の人たちは、誰だろうね。わっ、すごくくさいや」


 男たちは、馬に優しく語りかけている。訛りが強い。意味はわからない。遠くからきたのだろうか。みな、青い目をしている。

 馬を連れた少年が近づくと、青い目の男たちは少年をにらんだ。


「ねえ。ぼくの馬も、干草を食べていいかな? ぼくたち、ゴルゴビナからここまで、駆け通しだったから、お腹をすかせてるんだ」


 物怖じしない少年の言葉に、青い目の男たちは顔を見合わせた。お互いに言葉は通じなかったが、聞き取れる単語があった。


「ゴルゴビナ?」

「うん。ぼくたちはゴルゴビナからきたんだ」

「*****! ゴルゴビナ****! ****ゴルゴビナ!」


 青い目の男のひとりが、河湊の方角に呼びかけた。干草が広げられている場所よりも低い場所にある河湊は、すでに闇に沈んでいる。

 肩も胸も分厚い男が登ってくる。

 自信に満ちた男の歩き方に、ゾワッと警戒心が起きる。


「……ローマ人」

「ん?」


 男が、少年を見上げた。

 少年の姿か。表情か。何かに気づいたのだろう。男の表情が険しくなる。

 少年は、馬に飛び乗ると、男に背を向けて走り出した。

 背後から、男の声が聞こえる。ラテン語だ。「逃がすな」「捕まえろ」くらいの意味だとは、言葉のリズムからわかる。


「若頭に報告しなきゃ! ローマ人が、すぐそこにまで来てるって!」


 少年は太ももで馬の胴体を挟む。日没が近い。馬はすぐ使えなくなる。まず森に入って姿をくらます。それから近くのガリア人の集落に──


 やじりが風を切る音が聞こえ、少年の意識を断ち切った。


挿絵(By みてみん)

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