13.ガリア総決起
ウェルキンゲトリクスは、ロダヌス河(ローヌ河)を川船で北上しながら各地のドルイドに回状をまわした。
「ケルトの神々を信じる者たちよ。立ち上がる時はきた。侵略者カエサルは倒れた。ローマの神々ですら、カエサルを見放したのだ。心あるものは、アルウェルニ族のウェルキンゲトリクスの下に集え。これなる男は、三ヶ月の禊を成し遂げた、聖なる者だ。ウェルキンゲトリクスが示す、新しきケルトの神々の力で、ガリアを救済するのだ」
樹皮をはがしてなめした紙に、同じ文面を何枚も書く。
蝋をつけ、印章を押す。
河湊ごとに、ドルイドへ回状を託す。
「何人くらい集まりますかね、アニキ」
「手始めに、百から二百は欲しいところだな。あとはその兵を使ってローマ軍の物資を奪う。そうすれば、さらに手勢が集まるだろう」
民族や国家という概念が、まだ希薄な時代である。
ガリアの人々が、遠く離れた、これまで会ったことのない、これから会うこともない誰かを、自分と同じ仲間だと親しく思うための基準は、信仰だけ。
「だから、最初が肝心だ。失敗できない」
「どう戦うんですか」
「考え方が違う。戦っちゃ、ダメだ」
三日かけて集まったガリア兵は二百人あまり。
呼びかけに応じ、個人で集まったのは十人ほど。
船が七艘。漁師が二十人。
そして、四ヵ所の河湊で集めた人足が合計で百七十人だ。
人足は、全員が近くの村の若者だ。川船の荷物のあげおろしで小遣いを稼ぐ。
ガリア中央部に十個軍団を冬営させたことで、大きな需要が生じた。冬営地へ向かう物流の流れに沿って若者が集まっている。
河湊ごとに若者たちの元締めもおり、その多くがドルイドだ。回状を読んだドルイドが、「いっちょやったるか」気分で集まったのだ。
では、彼らによるローマ軍の物資強奪が、どのように行われるかというと。
「よし、見張りのローマ兵はいないな。おい、船頭」
「へい」
「お前は何も見ないし、何も聞かない。いいな?」
「そりゃかまいませんけどね。あたしがローマ兵に追いかけられたら、あんたら、守ってくれるんでしょうね?」
「そこにいりゃあな。それとも、おれらの仲間になるか? こんなでかい川船があると便利なんだがなぁ」
「そいつはご勘弁を……まあ、いいですよ。あたしゃ、ここで商人が用意した人足に荷をわたした。それだけだ」
「なぁに。ローマの商人も軍団も、すぐに追い出してみせるさ。腹が減りゃあ、居座ることはできんからな。おい、おまえら。運び出せ」
元締めの号令に従い、人足たちは川船から荷を担ぎ出す。麦の袋だ。
桟橋を挟んで隣に泊めた、同志の漁師の船に積み込む。
一袋を積み込むたび、喫水が大きくなる。
「これ以上は積めませんよ。船が沈んじまう」
「しかたない。おい、おまえら。残りの麦袋は川に捨てろ」
「え」「マジですかい」「いくらなんでも」「もったいない」
「うるせえ。おれだってイヤだよ。だが、ローマにくれてやるのはもっとイヤだ」
川面に水しぶきをあげ、麦の袋が沈む。
一袋が沈むたび、悲鳴とも嘆きともつかぬ声があがる。
食べ物を粗末にする、という行為に、本能的な恐怖と戸惑いが湧き上がるのだ。
「いいかおまえら! おれらにこんなことをさせる、ローマに怒れ! おれたちが育てた麦が川に沈むのは、ローマのせいだ!」
「うおおっ! くそったれがぁっ!」
「ローマのやろうっ、許せねえっ!」
「絶対に、ボコボコにしてやるからなぁっ!」
カエサルによるガリア戦争がはじまって今年で七年目。
ガリアの人々は、誰も呼んでないローマ軍団に居座られ、唯々諾々と麦を貢いできた。
戦っても勝てないから。そんな理屈で自分たちを納得させてきた。
心の中で矯めに溜められた、行き場のない鬱屈があった。
それらが、元締めの示した理路で爆発し、怒りはすべてローマに向かった。
「よし、ずらかるぞ!」
「積みすぎで川底をこすって、船が動きません!」
「綱かけて引っ張れ! 適当なところで陸にあげて隠せばいい」
ウェルキンゲトリクスによる物資強奪の話は、ロダヌス河流域に、急速に広がった。
口伝いであるから、すぐに勇ましい挿話が付け足される。
──ローマの護衛は、ガリアの戦士に手も足もでなかったらしい。
──駆けつけたローマの騎兵の馬が、ウェルキンゲトリクスの威霊に打たれて、足を止めて一歩も動かなかったそうだぞ。
これらの噂は、ウェルキンゲトリクスが進むより先に、各地に届いた。
アウァリクム(ブールジュ)にウェルキンゲトリクスが到着した時、老ドルイドが出迎えに出たのは、そのためだ。
老人は、冬至のあとのドルイドの総会で、ウェルキンゲトリクスに禊を命じた九人のひとりである。
ウェルキンゲトリクスは、老人に深々と礼をした。
「ありがとうございました。老ニゲクリトス。此度の勝利は、あなたの導きのおかげです」
老人の目に、戸惑いの色が浮かぶ。
ウェルキンゲトリクスは、畳み掛けた。
「カエサルに、天罰がくだりました。死穢をためすぎたのです」
老人の目が、理解の色を浮かべる。
「……やはりか」
周囲のガリア人が「おお」と声をあげる。
長い歳月をドルイドとして過ごした老人は、信仰の使い方を心得ている。
人々が、聞きたい言葉を聞かせてやる。そうすれば人は、事実というパーツを、聞きたい言葉の周囲に組み立て、勝手に解釈してくれる。
死穢を見抜いた老ドルイドが、ウェルキンゲトリクスに禊をさせて救ったという、人々の聞きたい物語が、ここに誕生した。
後付けだが、そもそも、あらゆる物語は後からできるものだ。
「三ヶ月の禊で、わたしの魂は救われました。ですが、このままローマ軍をガリアにとどめてはなりません。ガリアにもローマにも、死穢がたまりすぎてしまいます。一日も早く、かれらをローマに撤退させなくては」
「あいわかった。わしも協力しよう」
死穢の蓄積を阻止する。そのために、ローマ軍を撤退させる。
ガリア全土が一丸となってローマと対決する、のではなく。
ドルイドが全力でカエサルとローマ軍と戦う、のでもない。
そんなことを、ウェルキンゲトリクスがいっても、誰もついてこない。
あくまで、聞く人の解釈に任せられた言葉である。
そして、人は自分に都合のいい解釈をするものだ。
そうして──
ローマの冬営地には、麦と秣が届かなくなった。
後付で解釈すれば、ウェルキンゲトリクスの号令により、ガリアが総決起した。
──そういうこととなる。




