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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
99/122

23.彼は戦争の英雄“火炎の悪魔”

残酷な描写があります、ご注意ください。

 




「お前の手で殺せ、国王と王妃を」



 ごろんと、床に斧が転がった。黒ずんだ木の柄に、赤い錆がこびりついた刃。一目見て、使い込まれたものだと分かった。嘘だろう、まさか。俺が? 叔父上と叔母上の首を?



「……正気ですか、ロード・キャンベル」

「正気だとも。……まぁ、こんなことをしたって無駄なんだろうが」



 分かっているのなら何故する。そんな言葉を飲み込んで、黒い大理石の床に転がったそれを眺めていた。王宮にかつての絢爛さは無い。父と母が出会ったという大広間にて、ハーヴェイと対峙していた。



(俺……全然身だしなみに気を使ってないな。ぼろぼろだ)



 確かこの時の俺は二十五歳。ほんの少し前のことなのに、何だか随分と遠く感じる。楽しかったからかな、普通に生きていくことが。彼女と笑い合って仕事をすることが。



 背中まで伸ばした赤髪はほつれ、艶を失っていた。目に生気が宿ってない。虚ろだ。青い軍服に身を包んでいるが、どことなくだらしない。かつての俺が、ひび割れたくちびるを動かして問いかける。



「それも……女王陛下の命令ですか?」

「ああ、まぁ、難色を示していたがな。だが、まだエオストール国内も安定していない……最終的には俺の好きにすればいいと、そう言ってくださってね」

「やっぱりですか……あなたの提案だと思った」

「レイラを諦めると言うのなら、しなくてもいいが?」

「無理です。……分かり切っているでしょう? ハーヴェイおじさん」



 本当は、まともなお父さんが出来たみたいで嬉しかった。馬鹿だな、俺。こんな目に遭っても、どこかでこの人のことを慕っているんだから。笑顔で俺の頭を撫でてくれた瞬間の、あの嬉しさが胸の底で揺らいでいる。楽しかったんだ、好きだったんだ。あそこでの生活が。何もかも。



 床から斧を拾い上げ、ぎゅっと柄を握り締める。重たい。首を落とした時の感触が、もうありありと想像出来て。この重たい斧を振り上げて切り落とすと、ごろりと首が転がってゆくんだろうな。背筋がぞっとしてしまった。怖い怖い。いやだ。



「人なら殺し慣れているだろう。もう罪悪感も感じない筈だ」

「殺す必要、あるんですか?」

「ルートルードの情報を流していた……お前のところの王族が王と王妃を殺せと言って聞かなくてね。まぁ、これも議会で決まったことだ。よろしく」

「もし、拒絶すれば?」

「レイラを隠す。一生会わせない」

「そんなことが可能だとでも? 俺と彼女は繫がっているのに?」



 ああ、気配が遠い。ろくに辿れもしない。会いたい、レイラちゃんに会いたい。君に会いさえすれば、この苦しみも消えて無くなるというのに。ものすごくほっとした気持ちになれるのに。今すぐ飛んで会いに行きたい、彼女の足元に跪いてプロポーズしたい。会いたい、触れたい。レイラちゃん、レイラちゃん。



 白いシャツの上に黒いジャケットを羽織ったハーヴェイが、煙草型の魔術補助道具を口から離し、にっと笑う。



「分からないぞ? 可能かもしれない」

「あなたなら……俺への嫌がらせでそうするかもしれませんね」

「それか、お前に会う度にお前のことを忘れる呪いをかけてやってもいい。常に初対面の状態にしてやるよ、どうだ?」

「やめてください……そんなこと」

「じゃあ、引き受けるよな? 戦争の英雄、火炎の悪魔くん?」

「あなたがしたんだ、俺を悪魔に。戦争の英雄に……」



 俺の肩にぽんと手を置いて、また低く笑う。ああ、嫌だ。このずっしりと重たい斧で、叔父上と叔母上の首を切れと? あの優しい人達を?



「何故……そこまでして。レイラちゃんを縛るんですか?」

「俺の娘が欲しいのなら、国の一つでも滅ぼして貰わなきゃな……割に合わん。ま、持参金代わりだと思って」

「っは、随分と血腥い持参金ですね……いいですよ、分かりました。もうこうなればヤケだ……」



 もう、失って困るようなものは何も無い。そこまでを考えてから、ふと兄上とキースのことを思い出した。元気にしているだろうか。時折、ガイルが手紙を持ってくるけど全部全部、破いて捨てた。苦しみたくなかったんだ、手紙を読んで。



「レイラちゃん……可愛いな。年を追うごとに、可愛くなっていくのは一体どうしてだろ……」

「飽きないのか? そんな、ずっと写真を眺めていて」

「飽きないよ……ガイル。飽きないよ」



 アーノルドさんから、手紙が届かなくなった。戦争中はしょっちゅうきていたのに。でも、レイラを好きになったと書いてあった。一体どうしてだろう。どうしてそんなことを俺に伝えるんだろう。



 王宮の寝台は冷たくて硬くて、寝心地は最悪だった。それとも俺のせいなのかな。かつて父と母が出会った、美しい王宮は色褪せて見える。ここに、俺の先祖もいて国を治めていたんだろうな。真っ白なシーツの上に広がった、自分の赤髪を見て考え込む。



(きっといた……俺と同じ、赤い髪と琥珀色の瞳を持った王族がここにいて、生活していて)



 それなのに俺は、明日ルートルードを滅ぼす。国王と王妃の首を刎ねて、植民地宣言をして。ああ、馬鹿だなぁ。たかだが女一人と、結婚したいがために国を滅ぼすだなんて。祖国を滅ぼすだなんて。もう何も考えられずに、両目を閉じた。感覚が麻痺している。もう悲しいとも苦しいとも思わない、レイラちゃんレイラちゃん。



 あとに残るは、重たい体と倦怠感だけ。まるで自分が自分じゃないみたいだ。よく出来た、紙芝居を見ているような気分だった。冷たい寝台の上で寝返りを打ち、ぽんっと、乗ってきた狼姿のガイルに話しかける。



「なぁ、俺」

「ん?」

「生きているのかな。もう、何も感じないんだ……」

「生きているぞ、大丈夫だ。お前も俺も生きているから……」



 ガイルが冷たい鼻先でふんふんと、俺の頬を嗅いでくれる。思わず笑って起き上がり、その黒いふわふわの体を抱き締めた。大丈夫、きっと大丈夫。いつかは良くなるから、俺の人生も。



「レイラちゃん……会いたいな。レイラちゃん」

「大丈夫、会えるさ……きっとすぐにな」



 窓硝子を通り抜けた、透明な月明かりがそんな俺達を照らしていた。ああ、そっか。あの時は気付かなかったけど、苦しかったのか。そっか。



(だって、呪いに出てくるぐらいだもんな……辛かったのか、俺)



 そんなことを今更ながらに思う。そうか、苦しかったのか。俺。また緩やかに真っ暗闇が渦巻いて、場面が切り替わる。ああ、もう死んでしまう。処刑されてしまう、叔父上と叔母上が。



「……エディ。考えはしなかったのか、こうなるということを」

「申し訳ありません……微塵も、考えませんでした。いや、考えないようにしていたのかもしれない……」



 嘘だ、言い訳だ。俺は何も考えていなかった。いや、思いつきもしなかった。まさか戦争に参加することで、自分が叔父上と叔母上を殺すことになるだなんて。国王夫妻が死ぬだなんて。一度も考えなかった、そんなこと。馬鹿だ、俺。馬鹿だ。



 壁際に椅子が並んだ牢屋の中で、叔母上がひっそりと溜め息を吐いた。何も言わなかった、何も。じれったいくらいに。長い黒髪を下ろし、緩く纏め、簡素な生成りのワンピースを着ていたが、王妃らしい威厳と美しさが漂っている。深いグリーンの瞳は、こんな状況でも知性を宿して光っていた。あのどうしようもない男がずっとしつこく横恋慕していたのも、納得の美貌だった。



 一方の叔父上は、生成りのシャツとズボンを着ていた。俺と同じ赤髪は短く刈り込まれ、王らしい威厳に満ちた顔つきで、足元の床を睨みつけている。



 顔を上げることが出来なかった。自分の黒い靴ばかりを見て、俯いていた。エオストール王国の青い軍服に身を包み、俯いている俺を見て、もう一度深い溜め息を吐く。



「メリッサだけでも……何とか」

「あなた、侮辱するおつもりですか。王亡くしての王妃はただの女です。死ぬのなら、このルートルード王朝最後の王妃として死にます」

「だが、メリッサ……」

「それに大体、王族にこういった顛末はつきものでしょう? 人はいずれ死にます。それならまだ、可愛い甥っ子の手にかかって死ぬ方がましです。……エディ」

「叔母上」



 熱い涙が浮かぶ。叔母上は子供が出来なかった、子供が好きだったのに。俺やサイラスのことを、本当に可愛がってくれていて。粗末な生成りのワンピースを着ていても、その風格が色褪せることはない。人を惹き付け、魅了する王妃らしい微笑みを浮かべ、俺の頬にそっと手を添えた。



「エディ……どうか幸せに。シンシアは、そうね。幸せにはなれなかったけど」

「叔母上……俺のことを、恨んでください。お願いです……!! どうかどうか、俺のことを。叔母上……」

「エディ」



 その優しさが酷く辛かった。腰にしがみついて泣く俺を見て、目に涙を溜め、白魚のような手で頭を撫でる。



(ああ……あの時は見れなかったけど。そうか、こんな顔をしていたのか……)



 叔母上、叔父上。呪いの中でも、その顔を見ることが出来て良かった。会えて良かった。何でだろうな、もう思い出せないんだ。その顔が。



 叔父上は俺と同じ赤髪と、淡い琥珀色の瞳を持っていて。目が鋭いのに、笑うと一気に温厚そうな人に見えて。快活で、お酒を飲んだらオペラ歌手のように歌う人で。叔父上、叔母上。ごめんなさい、許してくださいとは言えない。もう何も言えない。俺は恥さらしだ、三千年の歴史を途絶えさせた。ごめんなさい、ごめんなさい。



 くるくると、脳裏に楽しい記憶が回って過ぎてゆく。お酒を飲んでみんなで踊ったこと、笑ったこと。母上がほろ酔いの顔で手拍子を打っていた。月桂樹の冠を被った兄上と手を繋ぎ、回って踊って、みんな笑っていて。



 小さい島国だからか、上下関係とかあんまり無かった。護衛の兵士も侍女も何もかも、気さくに話しかけてくれてみんなが家族だった。俺が殺したんだけどな。王宮に入る時も俺が殺したんだけどな。



 俺のせいでみんなみんな、死んでいったんだけどな。



 泣きじゃくる俺の頭を撫でて、叔母上も泣いている。いつもはあんなに明るくて楽しい叔父上が、部屋の片隅で座っていた。静かに座っていた。その淡い琥珀色の瞳には、何も映していなかった。



「エディ……一足先に、シンシアに会ってきますね。ほら、もう泣かないの……大人でしょ? 大きくなって」

「叔母上……いっそ罵ってください。恥さらしだと、生まれてきてはいけない人間だったんだと、そう……!!」

「まさか。貴方が生まれた時、皆どれほど喜んだか……あのブライアンでさえ、喜んでいましたよ。私だってそうです。エディ、覚悟なさい」

「っ出来ない! そんなの絶対に絶対に無理だ……!!」

「エディ」



 そこでようやく、叔父上が口を開く。一番怖かった、この人のことが。いつも底抜けに明るくて、国王らしくなくて破天荒で、国民の誰からも愛されていた叔父上。未だに処刑台には花が絶えないという。誰からも愛されていて、歌と芸術をこよなく愛していた。青く輝く海を見て、その瞳を細めていた時のことを思い出す。



「おじ、叔父上……」

「その女性の名前は? 聞いておきたいんだ」

「レイラ……レイラ・キャンベルです。本当に、すごく優しい女の子で……色が白くて。ああ、そうだ。黒髪なんです。叔母上と一緒の。それで、宝石みたいな紫色の目を持ってる……」

「なら、彼女のために私達を殺すんだな?」

「あなた」

「叔父上……」



 そうだ、彼女のために国を滅ぼす。彼女と結婚するためにこの国を滅ぼす。考えるとか何とか言ってたけど、嘘だろうな。考えないだろうな、あの人は。ちょっと数秒だけ考えて、終わりなんだろうな。



「……結婚祝いに、私達の首しかやれんとはな」

「叔父上……叔父上」

「エディ、幸せになりなさい。それがお前の進むべき道だ……私達を殺して、今まで続いてきたこの国を殺すのならば。何が何でもその女性と結婚して、幸せになりなさい。いいな?」

「はい、はい……叔父上」



 罰なんだ、これは。「祝福」に見せかけた「呪い」なんだ、これは。彼女の父親も刻んでたっけ、似たようなものを。彼女の両肩に。俺も欲しい。これから先、ずっとずっと苦しむようなものが欲しい。楽になんてなりたくない。ここまでのことをしておいて、幸せなんて望めない。苦しいだけだ、幸せになっても。



 ゆっくりと床から立ち上がって、叔父上の下へ行った。叔父上は静かな琥珀色の瞳で、俺のことを見上げていた。ルートルード王朝最後の国王に跪き、許しを乞う。



「申し訳ありません……これさえ、口にすべきではない。言葉では言い表せない」

「……ああ、そうだな。エディよ」

「ですが、俺の自己満足で口にします……どうか許してください、叔父上。いいえ、陛下。臣下である俺の裏切りをどうかどうか……」

「エディ」



 叔父上がその手を伸ばして、ぽんと俺の頭に手を置く。ああ、聞きたくない。何てことない言葉だったのに、一番のトラウマになっている。叔父上、叔父上。大好きでした、あなたのことが。いいえ、今でもきっときっと。



 ずっと、これからも。



「大きくなったなぁ、エディ」

「っ叔父上……!!」

「昔はあんなに小さかったのになぁ……ああ、シンシアも、あの子もそうだった。あっという間に大きくなって、白いウェディングドレスがよく似合っていて……覚えているか? メリッサ。よく晴れていたな、式の当日は」

「ええ、あなた……予報では雨でしたけど、よく晴れていて……」

「叔父上、叔母上……」

「サイラスもな、元気だといいんだが……あの子は一体どうしてる? エディ」

「わか、分かりません……今は潜伏中みたいなんですけど。俺、辛すぎて手紙も破ってしまって」

「そうか……一目、会いたかったんだけどな。最後にな」

「叔父上……申し訳ありません、申し訳ありません……!!」



 泣き崩れる俺を見て、黙っていた。ああ、これも復讐だったんですか? 叔父上。申し訳ありません、申し訳ありません。あんなに愛情をくれたのに、あなたをこんな形で裏切ってしまって。



「せめて……せめて俺の愛剣で。苦しませずに、一気に首を落としますね……」

「そうしてくれると有難いわ、エディ。私ね、こう見えて痛いのは大の苦手なの。だからか、刺繍も苦手でねぇ……そうぼやくと、よく刺繍の先生に今は指に針を突き刺す時間ではありませんよと、叱責されたものですけど」



 朗らかな声を聞いて、部屋の隅に座っていた叔父上が、豪快に笑ってばんと膝を叩く。



「懐かしいな、メリッサ! 君が私に初めてくれた、刺繍入りのハンカチは血に染まっていた……あの時はなんて情熱的な女性なんだろうって、そう感動したものだよ。なぁ?」

「あら、やだ。ひどい。わざと血染めにしたんじゃないのにねぇ……そういう怖いハンカチしか作れなかったんですもの、私。ま、今でもそうですけどね。死ぬ前まで針を持って、ひたすら刺繍をしていた王族の女性もいるみたいですけど。ぞっとするわ」

「そうだね、私もそれはぞっとするな……こちらに来てくれるかい? メリッサ」

「ええ、もちろん。いつでもあなたの傍に。昔、そう誓い合ったでしょう? ……酷い人。私だけを逃がそうとするだなんて」

「叔父上、叔母上……」



 俺なんて目に入らないといった様子で、二人で見つめ合って、寄り添っていた。ああ、知っていたのに。自己満足だ、全部全部。全部俺の自己満足なんだ、これは。



 急に自分の行動が恥ずかしくなって、部屋の隅で縮こまっていた。叔父上と叔母上は朗らかに笑って、お互いの手を握り締め、過去の話をしていた。それは時折、お互いへの愚痴にもなった。でも、また、すぐにくすくすと笑って見つめ合う。



「おーい、時間だぞ。エディ」

「ハーヴェイおじさん……」

「ああ、流石は元国王と王妃だな。泣いて命乞いなんてしなかったか」

「これはこれは……かの“笑う蜘蛛男”か。お会い出来て嬉しいよ」

「お噂はかねがね。随分と甥っ子がお世話になったみたいで」



 叔母上の声には棘があったが、叔父上の声には微塵もなかった。朗らかだった。ここがまるで王宮の広間であるかのように立ち上がり、ゆうゆうと歩いて、にっこりと笑ってその肩を叩いた。流石のハーヴェイも反応が出来なかったのか、薄く笑みを浮かべるだけだった。



「一等級国家魔術師だったか、貴公は」

「ですね、一応」

「一応だなんて! 謙遜するなぁ~……だが、その一等級国家魔術師でも我が甥の禁術は解けないと?」

「……残念ながら。私としても、解きたい気持ちでいっぱいなのですが」

「予言しておこう。君はいつかその娘さんに絶対に嫌われて、恨まれるとね」

「……嫌な予言だ。国王陛下?」



 ハーヴェイが苦虫を潰したような顔で呟くと、背を向け、ひょいっと肩を竦める。すかさず奥に座っていたメリッサも立ち上がり、古ぼけた生成りのワンピースではなく、美しいドレスを着ているかのように、服の皺を丁寧に伸ばしてから立ち上がった。



 そして、ゆったりと歩いて夫の隣に立つ。すいといつものようにアレクシスが腕を差し出し、メリッサが軽く笑ってから、その逞しい腕に手を添えた。



「君にそう言われるのは、いささかむず痒いな。しかし、王とは死ぬまでが王だ。公務嫌いの父がね、常々そう口にしていたよ。生前退位を目論んだが、貴族の古たぬきどもがそれを許さなくてね……いやぁ、あれは息子の私から見ても気の毒だった。今ならその気持ちがよく分かるよ。たまには酒を飲んで、何もせずに浜辺でゆっくりしたいもんだ」

「あら。あなたのことだから、そのままパーティーでも開くんじゃなくて?」

「そうだね。……シンシアもエディもサイラスも呼んで。まぁ、公務に殺されそうだったし、出来なかったんだろうけど。いけないな、年を取ると愚痴っぽくなってしまって。エディ? さぁ、行こうか」



 まるで、これから舞踏会に行くかのようだ。涙で前が見えなかった。穏やかに笑う、叔父の顔が歪む。こくりと頷いて涙を拭い、剣を持ち上げる。



「はい……はい。叔父上。いき、行きましょうか……」

「あらあら、泣き虫さんね。エディは。体が大きくなっても相変わらずなのねぇ~」

「そうだなぁ~。結局君は、歌も刺繍も上達しなかったなぁ~」

「あら、分からないわよ。死んだら上手くなるかもしれないじゃないの。天国でとびっきりの歌声を聞かせて差し上げるわ」

「それはいいな、楽しみにしていよう。なっ? エディ」

「うぐ、ごめ、ごめんなざい、おじ、叔父上、叔母上……!!」



 あとからあとから、涙が溢れて止まってはくれなかった。えぐえぐと泣いて歩く俺を見て、ハーヴェイが「おいおい……お前が死ぬみたいだな。どっちが執行人なんだか」と呆れたように呟く。すると、廊下を歩いていた叔父上が軽くのけぞって笑った。



「違いない、それは言えてるな……まぁ、死ぬよりも殺す方が苦しいんだろう。この子は優しい子だからね」

「それなのに、あなた達を裏切ってその首を刎ねると? はっ、優しい子とは……」

「君は怖いんだろう? いつかその娘さんに知られて嫌われることが」



 穏やかな、優しい声で諭すように尋ねる。ハーヴェイがぐっと黙り込んだ。きっと図星だったんだろう。



「さて、この年になると毎日体が重たくてね……メリッサの言う通り、いずれ人は必ず死ぬ。だが、私達の死を悲しんでくれる人は本当に多いだろう……君はどうかな、ハーヴェイ。そのレイラ嬢とやらに死を悼んで貰えるのかな?」

「……事実を知れば、俺のことを罵るでしょうね」

「うん、だろうね。まぁ、それは君が何とかすべき問題だから置いといて……ああ、ちゃんと付いて来ているかい? エディ」



 前方に明かりが見える。もうすぐそこだ、処刑台は。王宮前の広場で行われる。化石や渦巻きが詰まった大理石の床は、淡い陽射しを受けて光り輝いていた。ごしごしと涙を拭っていたが顔を上げ、「はい、 叔父上」と返す。叔父が穏やかな微笑みを浮かべ、頷いた。



「エディ。お前は王家の恥さらしだ」



 一瞬、頭が真っ白になった。なんだって? 俺が? 恥さらしだって? ルートルード王家の? 喉が詰まって、何も言えなかった。突っ立っていた。流石の叔母上も何も言わなかった。叔父上も何も言わなかった。それまで陽気に喋っていたのに、もう何も言ってくれなかった。



 最期の言葉にする気なんだ、さっきの言葉を。



 耐え切れなくて耐え切れなくて、駆け寄った。ハーヴェイがそんな俺を見て、肩を竦めていた。あんたのせいだ、あんたの。全部全部あんたのせいなんだよ。



「おじ、叔父上! 許してください、どうか! いいえ! どうしようもないことだったんです……!! 俺、俺、縛られていて。禁術で、解く、解く方法も分からなくって!!」



 叔父上は何も言わなかった。ただひたすら、穏やかに前を向いて歩いていた。俺はまるで空気になったみたいで。必死になってその腕を引っ張り、泣いて泣いて訴えた。



「ごめんなさい、叔父上。俺……きっと一生後悔すると思います。一生忘れません! ごめんなさい、あの時生きたいと願って! 生まれてきてごめんなさい、俺……!!」



 ああ、惨めだ。こんな惨めな気持ち、生まれて初めて味わった。それでも叔父上は何も言わなかった。表情筋一つ動かさなかった。叔母上は隣で震えて、くちびるを噛み締め、目に涙を浮かべていた。それでももう、こちらを見てくれない。さっきのように微笑みかけてはくれない。



 恥ずかしくなって、その腕から手を放した。王族という意識も、貴族という意識も全然ちっとも湧いてこなくて。



 がくんと、膝から崩れ落ちて泣いた。もう、どうすることも出来なかった。大理石の冷たい床に額に押し付け、突っ伏して泣く。ああ、これすら俺の自己満足なんだろうな。だって望まれてなかったんだもん、俺の謝罪なんて。




「ごめ、ごめんなさい。叔父上、叔母上……!! 俺も俺も、母上のように自殺するべきだったのに……!! あの時、一緒に死んでいれば良かったのに……ごめんなさい、生きてたいと願ってごめんなさい……叔父上、叔母上、ごめんなさい……」



 流石のハーヴェイも立ち止まって、俺を見下ろす。そしてただ前を向いて歩いている国王夫妻を見つめ、声を張り上げた。



「残酷なもんだな! ……それでも、何も言わないのか?」



 その言葉にゆっくりと振り返り、穏やかな微笑みを浮かべる。我慢し切れなくなってとうとう泣き出したメリッサを抱き寄せ、その頬に顔を寄せて、優しくキスをした。



「大丈夫だ。……愛してるよ、メリッサ。行こうか」

「はい、はい……行きましょうか、あなた」

「うん。さぁ、ほら、気をつけて……いつものように笑って。民が見ているからね」

「はい……」



 俺も覚悟を決め、涙を拭う。そうだ、なるって決めたんだ。“火炎の悪魔”に。膝に力を込め、立ち上がった。そうだ、デートしよう。レイラちゃんと。カフェにでも行って、温かい紅茶とケーキでも食べよう。そうだ、彼女は檸檬ケーキが好きだったな。爽やかで、甘酸っぱいベリー系なんかもすごく好きで。



「ロード・キャンベル……俺、行ってきますね」

「……ああ、行ってこい。うちの娘と結婚したいんならな」

「嘘吐きですよ、あなたは。呪いをかけられていたって嘘が吐ける。その人外者も人外者で、無駄なことをしたもんだ……そんなことであなたの性格は直らないってのに」

「まぁ、矯正目的でやった訳じゃないからな。あいつも」

「でしょうね。ははっ……それもそうか。人外者はそんなことを考えないか」



 何故か無性に面白くなってきて、壊れたように笑う。そうだ、俺は頭がイカれた“火炎の悪魔”。エオストール王国に魂を売った男。女王陛下の足元にだって跪いたんだ。もうこれ以上、怖いことなんてあるか? 無いだろう、エディ。



 わあっと、悲鳴とも歓声ともつかぬ声が上がった。叔父上と叔母上は毅然と立ったあと、にっこりと微笑んで手を振った。みんなが泣く、みんなが泣いている。最前列に立っていた男が泣きながら石を拾い上げ、俺に向かって投げる。痛い。どごっと、意外と重たい衝撃が襲ってきた。鬱陶しくなって、その男の髪を炎で焼く。「ぎゃああああっ!?」叫んで、転がった。



「いいか! 次、石を投げる者がいたら! 真っ先にその首を刎ねてやるからな!?」

「エディ様!」



 あちこちで悲鳴のような叫び声が上がった。俺の名前を呼んで泣く者、エオストールへの呪詛を並び立ててブーイングをする者。そんな凄まじい騒ぎの中で、鞘から剣を引き抜くと、しんと水を打ったかのように静かになった。痛いほどの静寂が落ち、澄み渡った青空の下で、剣の柄をぎゅっと握り締める。



(ああ、殺さないと。……殺さないと)



 これも自己満足だ、でも。俺の声が必ず耳に届くように、でも、民衆には届かないように。術語を組み立てて行使する。



「愛していました、叔父上。この国のことも何もかも……本当に申し訳ありません。母上によろしく言っておいてください。俺は、あなた達と同じところには行けないけど。地獄に落ちるんだろうけど……」



 返事は無かった。当然だ。早口でぼそぼそと呟いて、一気にその首を落としたんだから。わぁっと悲鳴が上がって、どこかで誰かが泣き叫ぶ。叔父上の首を落としたあと、叔母上の首を一気に落とした。何も聞きたくなんてなかった。ああ、でも、何かを言おうとしていたな。



 ここからよく見える。その口が動いていたのに、俺が首を切り落とした。聞けば良かったかもしれない。今更? 今更? 今更そんなことを思うのか、俺は。



(ああ、知りたくなかった……随分と出来のいい呪いだな、これ。市販品とは思えない……)



 レイラちゃん、レイラちゃん。泣き叫ぶ民衆を見渡したあと、血塗れの姿で澄んだ青空を見上げていた。ひたすらに考える、ただ彼女のことだけを。愛おしい、彼女のことだけを。



『誰をどんなに殺しても生きて帰ってきて、アンバー。大丈夫、人を殺しても明日は続いてゆくから……』






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