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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
98/122

22.どうすれば良かったんだろう、あの時

流血描写があります、ご注意ください。

 




 あれはよく冷え込む冬の朝、庭でレイラちゃんと雪遊びをしていると現れた。黒く太い脚を持つ馬が雪を踏みしめ、こちらへとやって来る。来た、と思った。追っ手が来たんだって。不思議そうな顔のレイラちゃんの手を取って、逃げようかどうしようかと悩んでいた。そこへ、黒いコートを羽織ったアーノルドが俺の前に出る。



「アーノルドさん」

「……そっくりさん、父上を呼んできてくれないか?」

「分かったよ~、ちょっと待っててね」

「あの、俺」

「言うな、大丈夫だ。父上ならきっと何とかしてくれる……」



 ああ、胸が痛い。違うんだ、あの人は最初から俺のことが目障りだったんだ。そうとも知らずに、過去の俺がほっと息を吐く。ああ、そうだ。この時、レイラちゃんとお揃いの赤いコートを着ていたんだっけ。知らずに笑いが漏れた。泣きそうだ、何だか。



(呪いだもんな、当然だよなぁ……)



 アーノルドが緊張に満ちた顔で、その一行を見据える。その先頭にいたのは、立派な黒い馬に乗ったルドルフ・バーンズだった。若い。まさかこんな形でもう一度、奴を見るとは。赤に茶色が混じったマフラーを巻き、茶色いコートを着ていた。そして、銃を背に負っている。



(ああ、そっか……何でルドルフにやたらと当たりが強いんだろうって、あの時はそう思ってたけど)



 アーノルドは俺のことを心配していたんだな。だからあの日、部署に現れたルドルフを見て俺の手を引いた。すぐさま自分の近くに立たせて、ずっとずっと警戒していた。ざっと、警戒する俺達の前でルドルフが立ち止まる。後ろには武装した兵士が何十人もいた。大袈裟だ。それとも威嚇なのか。



「……やぁ、アーノルド君。久しぶりだね? それにレイラ嬢も。おはよう」

「お、おはようございます……」

「良い朝だねと言いたいところだけど。さて、そこにいる……ハルフォード公爵家の子息、エディ・ハルフォードをこちらへ渡して貰えないか?」

「お断りします、ロード・バーンズ。父がもうすぐ来るので、それまで待って頂けませんか」

「……そっくりだな、イザベラ嬢に。彼女は? 家にいるのか?」

「残念ながらいません。でも、父はいます」

「そうか、まぁ、マシか……」



 この日、何としてでも俺を王宮に連れて帰るつもりだったんだろう。確かにイザベラおばさんがいたら長引いた。彼女のことだからきっと、声を荒げて反対してくれただろう。ルドルフの冷たい茶色の瞳が俺を見据え、状況をまだ飲み込めていない俺がうろたえる。ぎゅっと、彼女の白くて細い手を握り締めていた。羨ましい……。



「切りがないな……連れて行く」

「まっ! 待って下さい、ルドルフさん! 彼は……その、エディは私の眷属なんです」

「何だって? 禁術だろう? まさかハーヴェイが、」

「いいえ、俺が契約している人外者が勝手に結んだものです……ある日、血塗れで降ってきたので」

「……ああ。無茶をしたな、エディ・ハルフォード。あそこからここまで、一体どれだけ距離があると思って、」

「兄は! 兄上は!? ……見つかったんですか?」



 その言葉に眉を顰め、「いいや、見つかっていない」とだけ呟く。当時の俺には知る由もなかったが、兄上はあの後すぐに協力者と合流していた。キースとキースの友人が兄上を守って、隠れ家まで連れて行ったらしい。



(だから兄上は、いまだにあの時ことを後悔している……手を離さなければ、俺が英雄になることもなかったんじゃないのかって)



 国を、滅ぼすこともなかったんじゃないのかって。ああ、そうだな。世界地図からルートルード王国の名が消えたのは俺のせいなんだろうよ。胸が痛み、思考が止まる。眼下ではまだ、睨み合いが続いていた。遅いな、いつ来るんだっけ。ハーヴェイさんは。



「アーノルド君。よく分かっていないようだが、これは女王陛下の命令なんだよ。分かるかな?」

「分かります。分かりますが、もうちょっとだけ待ってください……」

「ここでお喋りをしていても仕方がない。連れて行け、ただし怪我はさせるなよ」

「「はい」」



 その命令を皮切りに、ざっと数人の兵士が馬から降りる。アーノルドと俺が同時に青ざめ、咄嗟に不安そうなレイラちゃんの手を握り締めた。彼女はちょっとだけ泣いていた。深い紫色の瞳に涙を滲ませている。そこで、ばんと派手な音を立てて扉が開いた。この時の俺はほっとしていたが、今は違う。派手好きなこの男のことだ、どうせタイミングを見計らっていたんだろう。



 緩やかな銀髪を揺らし、ハーヴェイがにっと笑う。その姿を見て、兵士の動きがぴたりと止まった。馬上のルドルフが舌打ちをして、憎々しげに「来たか、ハーヴェイ」と呟く。



 “笑う蜘蛛男”と呼ばれるハーヴェイ・キャンベルはまるで旧友に会った時のように親しい微笑みを浮かべ、黒いチェスターコートを揺らして、階段を降りていた。雪を踏みしめて、こちらへとやって来るハーヴェイを見て、レイラちゃんが「ハーヴェイおじ様」とほっとしたように呟く。ああ、違うのに。君の敵でもあるのに、ハーヴェイは。



「やぁやぁ、久しぶりだな。ルドルフ君……ん? 早いじゃないか、耳が。流石は我が国の諜報員様だなぁ」

「ハーヴェイ、お前……分かっていないだろう、事の重大さが。ただでさえ、先日クーデターが起きて揺らいでいる時に」

「クーデター……?」

「ああ、勿論分かっているとも……女王陛下も女王陛下で苛烈だ。まさか、実の父を手にかけるとは」

「侮辱をするようなら、告げ口をしてやるが」

「すればいいんじゃないか? 俺はただ単に事実を述べただけだけど?」



 クーデター? 何の話だ? 当時十七歳だった俺が、目を白黒させて二人のやり取りを見守っている。これは後で知ったことだが、娼婦上がりの側室に入れあげていた老王────つまり、前エオストール国王は戦争に乗り気じゃなかった。もう、政治から遠のいていた。そして才気煥発だと褒め称えられ、王位を継ぐ予定だった現女王陛下が無理矢理退位させた。そして、思ったよりも抵抗をされたのでその首を刎ねた。



 腐敗した政治を正そうと、そう思ってのことだったらしいが。親殺しをした女王陛下に支持は思ったように集まらない。ルートルードとの戦争中、何度か小さなクーデターがあった。ぐちゃぐちゃだった、エオストール王国も。



「だからこそ、この少年を使えばいい……戦争を勝利へと導いてくれる、軍神同様の存在だよ。彼は」

「ハーヴェイ? お前、何を言って」

「父上? ……まさか」

「最初から気に食わなかったんだ、いきなりレイラの手を握りやがって。それに、二人でこっそりアーノルドと婚約解消して、結婚しようねだなんて言い合っているし」



 嘘だろう、そんな。そんな。だっていつもいつも、俺に優しく笑いかけてくれたのに。祝祭には贈り物だってくれたのに。呆然と雪の中で佇み、その後ろ姿を見つめていた。嘘だろう、嘘だろうと何度も心の中で呟いていた。ショックを受ける俺達をよそに、ぺらぺらと喋り始める。



「それにだ、エディ少年はうちの娘の眷属になったんだし……どうあっても切り離せない。命令に逆らうこともない」

「まさかハーヴェイ、そのためだけに匿っていたのか?」

「俺、アーノルドたんにもレイラにも嫌われたくないんだよね~。だからお前らが来るのを待ってたんだけど。いやぁ~、遅かったな~」

「ハーヴェイおじ様、そんな。嘘でしょう……?」

「レイラ」



 にっこりと微笑んで後ろを振り返り、呆然と佇んでいる彼女を見つめた。そのままざくざくと雪を踏みしめ、腕を伸ばし、レイラちゃんの肩にぽんと手を置く。



「レイラ……約束してくれただろう? 俺の傍にずっとずっといるって」

「でも、そんな……アンバーは、エディは私の眷属なのに。離れたら苦しいのに……」

「だからこそ命令をするんだ、レイラ。戦争に行くように、とね」

「っ父上! 貴方は一体、どれだけ……!!」

「何だ? アーノルド。お前も最初から分かっていただろう? こいつはルートルード側の人間で、ずっと一緒には暮らせないって。いつか別れの時がくるって」



 ああ、分かっていた。でも、まさかこんなに早く来るなんて。レイラちゃんと約束していたのに。午後からは一緒にクッキーを焼こうねと。でも。いつの間にか、雪の中で座り込んでいた。ぎゅっと、地面の雪を握り締める。



「最初から、ですか……? 俺に親切にしていたのも? 何もかも?」

「ああ、そうだ……親切にしていたと言うか、まぁ。俺、子供は好きだし。だから?」

「ハーヴェイおじ様……」

「レイラ、ここで捕虜になるのも戦争の英雄になるのも。さして変わりはない。どの道、気の短い女王様に首を刎ねられる前に、この少年はあっちに引き渡さなきゃならない……」



 レイラちゃん、レイラちゃん。ああ、俺。あの時どうすれば良かったんだろう? 君はどう思う? なんて聞いても無駄か。だって君は記憶を消されている、ハーヴェイに記憶を消されている。ちらほらと、雪が降ってきた。白い雪が降り注ぐ中で、俺がゆっくりと顔を上げる。ほんの数秒だけ、彼女と見つめ合った。



「アンバー……エディ」

「レイラちゃん……」

「そうだ、こうしよう!」



 ハーヴェイが愉快そうに笑って、ぱちんと指を鳴らした。全員の視線がそちらに向き、そんな視線を受けて機嫌良く笑う。



「もし、君が生きて帰ってきたら結婚を考えてやってもいい……ただし、考えるだけな?」

「父上……!!」

「ほら、よく考えてもみろよ。レイラ? どの道アンバーはお前から離れられない……命令して引き離すしかない。命令しないと、淋しくて淋しくて死んでしまうかもしれない」

「嘘、だってそんな」

「嘘じゃない。本当だよ……過去にはそんな事例もあった。俺が嘘を吐けない呪いにかかっているって、よく分かっているだろう? ほら」



 ハーヴェイがべろりと舌を出す。そこには髑髏マークが刻まれていた。舌の上で不気味に赤く光り輝いている。その舌をお行儀良く仕舞うと、呆然としている彼女の肩を掴んで囁いた。



「さぁ、命令をするんだ。レイラ……」

「ちょっと待て、ハーヴェイ・キャンベル……!!」

「ガイル!? 生きてたのか!!」



 ざっと足元の雪から、黒い狼の尻尾を揺らしたガイルが出てきた。黒いコートの裾を揺らし、ポークハットのつばを掴む。そして、その隣にふわりと誰かが降り立った。灰色のコートを着たキースが、銃を持ってハーヴェイを睨みつける。



「キース! お前、お前……」

「申し訳ありません、坊ちゃん。こんなことなら、早くお連れすれば良かった……!!」

「悪いな、今まで。そこのハーヴェイ・キャンベルが邪魔をしていたんだ」

「邪魔とは失礼な。追い返していただけだ。それに、引き下がったのはお前らだろう? そうだよなぁ~……レイラから離れたら死ぬもんなぁ? エディはなぁ?」

「父上……!!」



 アーノルドがぎゅっと、拳を握り締めている。見ているだけというのも辛かっただろう。だからあの時きっと、俺を命がけで守ってくれた。俺だって戦えたのに、“共食い”とさ。くちびるを尖らせて、その光景を見守る。ああ、苦しいな。胸も息も苦しいな。どうしようもなく。



「さぁ、レイラ。命令をしてくれ。そうすればきっと、お前もエディと結婚出来て……」

「嘘だ、父上は……絶対に許すつもりなんてないくせに」

「考えはするさ。それに、戦場で死ぬかもしれないし?」

「レイラ様……!! お願いです、どうか。全ては貴女様にかかっています。エディ様に命令なんて、どうかどうか……!!」



 キースがざっと彼女の前で片膝を突いて、頭を垂れる。ガイルもそれにならって、膝を突く。俺はどうすればいいのかよく分からず、ただただ彼女とハーヴェイを交互に見つめていた。



「でも、私……アンバーと結婚したい」

「っこの男が、そんなことを許すとでも?」

「頼む、レイラ嬢……エディ坊やを解放してくれ」

「おっと、させるかよ!」



 鉤爪が生えた黒い手を伸ばしたところで、ハーヴェイが容赦なくガイルを吹き飛ばす。雪の中で倒れるガイルを見もせずに、がっとキースがレイラちゃんの両肩を掴んだ。



「お願いです! どうか今ここで、俺と逃げてくれと坊ちゃんに……!!」

「嫌です! だってそしたら、会えなくなってしまう……」

「レイラちゃん! ごめん、お願い!」



 また会いに来るから。そんなことが言いたかった。でも、彼女が切羽詰まった表情で俺のことを見つめる。



「アンバー、エディ。ねぇ、帰ってきてくれる?」

「レイラちゃん? ああ、もちろん君の傍に……」

「お願い、私。不安なの……戦争に負けるのも何もかも」

「レイラ様!!」

「それに、いて欲しいの! 私の傍に……いつかはエディと結婚がしたいの、だから」



 まさか、俺よりも国を選ぶのか。きっとこの時、彼女はよく分かっていなかった。十三歳だったんだ、無理もない。自分のために国を滅ぼしてきてくれと、そう言ってみたかったのかもしれない。まるで物語のヒロインのように。だからいまだにキースは彼女のことを恨んでいる。俺は? 俺はどうなんだろう────……。



「戦争に行って、ルートルードを滅ぼしてきて! エディ! 私のために!」

「レイラ様!」

「レイラちゃん!!」



 俺の視界がぐらりと揺れた。ふつふつと体中の血液と魔力が渦巻いて、沸騰しだす。目の前が赤い、喉が熱い。ああ、そうだ。彼女の命令に従わないと。従わないと。心臓がどくんと動き出す。



「ああっ、くそ……!!」

「いや、だから。俺がそれを許すとでも思うのか?」



 それまで煙草型の魔術補助道具を取り出して、煙を漂わせていたハーヴェイが、ぴんと銀色の糸を張る。瞬く間に動きを封じられたキースを見て、ガイルが走ってやって来た。



「おい、やめろ! 帰るから!!」

「あ? そんなもの……」

「ハーヴェイおじ様! いいでしょう!?」

「しまった、おい! キースを捕らえろ、ハーヴェイ!!」

「ごっめん、俺。お前よりレイラの方が大事だから。ってことでほい」



 ふっと糸が掻き消え、キースが泣き出しそうな声で「エディ様!」と叫ぶ。ガイルが「一旦引くぞ、お前も捕まる!」と言って魔術を発動した。ふわりと二人の姿が掻き消え、それを見て呆然と佇む。



「ああっ、くそ。だがまぁ、ハルフォード公爵家の息子が一人いたら……」

「こいつを前線に立たせたらいい。あっちの士気も下がるだろ」

「……ハーヴェイ、お前は人間の屑だな」

「あ? お前に言われたくない」



 どくどくどくと、心臓が鳴り響いている。一体何があったんだろうと考えていると、おもむろに誰かが俺の腕を掴んだ。アーノルドだった。



「ごめん、ごめん。エディ……俺、何も出来なくて」



 そこでふっと、意識が途切れて暗転する。命令をされたからなのか、ストレスなのか。よく分からないがあの後、俺は意識を失った。緩やかに、真っ黒な呪いが渦巻いて、新しい景色が映し出される。



「アンバー……いや、エディ」

「アーノルドさん!? 一体どうしてここに……」



 汽車のドアを開いて、アーノルドが呟く。ああ、そうだった。あの後、キースとガイルがアーノルドに話を持ちかけて……俺は何も知らなかったけど。泣いて謝るレイラちゃんの傍にいて、残された時間をめいいっぱい楽しんでいた。



「分かっているのかよ!? お前! アンバー! いや、エディ! 戦争だぞ!? 頑張ったって努力したって全部全部無駄なんだぞ!? それに……怖がりのくせに! レイラの過去の話をしただけでお前は、」

「それでも俺は逃げません! すみません、すみません! アーノルドさん……!! せっかくここまで来て頂いたのに……」

「アンバー、アンバー……」



 手を伸ばす、謝りたくて。命令だから、これは。それを分かっているのに来てくれたんだ。それなのにアーノルドが半泣きで、俺の手を振り払う。



「もういい! じゃあもういい!!」

「待ってください、アーノルドさん……これは本当に仕方が無いことで、」

「分かってる! 分かってるけどさ……!!」

「すみません、ここまで……せっかく俺を心配して追いかけてきてくれたのに、」

「っうるせぇよ、バーカバーカ! お前の心配なんかするかよ、戦場でも何でも行って死んじまえ!! じゃあな!」



 そうだよな、お前も十八歳だったもんな。生温い眼差しでそれを見守る。ああ、あんなこと言っちゃって……当時の俺からしたら、かなりショックな発言だったんだけど。



(この前、飲みに行って泣いて謝られた俺からしたら……うん。後悔するよ~、アーノルド君)



 何年もの間、ずっとずっと後悔していたそうで。じゃあ、最初から言わなきゃ良かったじゃん……。騒ぎを聞きつけたジルがひょっこりと顔を出し、俺を見て苦く笑う。ああ、そうだった。この人もこの人で、意外と俺を甘やかしてくれたな。出てこなかったから忘れてた。楽しい記憶だったんだなぁ、俺にとって。



「申し訳ありません、エディ様。なにぶん、坊ちゃんは繊細な方で……」

「……ああ。大丈夫です。今のはその、俺も悪かったので……」

「待っていますよ、坊ちゃんとレイラ様と一緒に。では。ああ、そうそう」

「わっ、これは」



 ああ、また場面が変わってしまう。最後にと言って、イザベラおばさんとシシィちゃんが俺にクッキーを焼いてくれたんだ。俺が好きな優しい味わいの、胡桃のバタークッキー。同封されていた手紙も読んで泣いたんだっけ。そうだ、この時。レイラちゃんの記憶が消されたことを知ったんだった。



「っう、じゃあ何の意味も無いじゃん……なんで、なんでこんな」



 ぼたぼたと、手紙に涙を落として泣いた。必死でクッキーを頬張って泣いていた。彼女は忘れている、忘れている。俺に命令したことも「結婚したい」と言ってくれたことも、全部全部。泣いてクッキーを齧り取った。涙の味しかしなかった。おかしいな、さっきまで甘かったのに。汽車が発車して、かたんかたんと揺れ動く。



 もう後戻りは出来ない。俺は人を殺しに行くんだ。叔父上が大事に大事に守っている国民を、殺しに行くんだ。泣き疲れて、窓の外の青空を見つめていた。驚くほど穏やかだ、これから戦場へ向かうというのに。



「ああ、屋敷の時と一緒だな……いつになったら落ち着くんだろう、俺の人生は」



 今思えば、苦労の連続だったな。多分。



(あーあ。一番笑えることに、まだ何も落ち着いていないんだよな……)



 呪いから目覚めたら、レイラちゃんに俺の過去を話さなきゃならない。憂鬱だった。本当に本当に、話したくないんだけどな。それでも話さなきゃいけないんだろうか、このことを。



「ハーヴェイおじさん……」

「おい、近付くな。エディ坊やに」

「これはこれは……驚いたな、まさか主人の下を離れてやって来るとは」

「生憎と俺は、そんじゃそこらの人外者とは違うんだ……これからはエディ坊やに従う」



 心配したガイルがキースとの契約を破棄して、俺と契約を結んでくれた。異例の事態だった、まだキースも生きているというのに。割り当てられた部屋の中で、ハーヴェイが溜め息を吐く。そして、とある男を招き入れた。



「お前には死んで貰っちゃ困るんでね……不老不死の男を連れてきた」

「不老……不死の男?」

「どうも、初めまして……何でこんな体になったかも忘れちまったが。まぁ、王宮よりは住み心地が良さそうだ、ここ」



 その男は黒髪に青灰色の瞳を持っていた。聞けば神話に出てくるような男で、エオストール王国の女王にだけ仕えているそうだ。アルフと名乗った男は黒いコートを羽織っていて、粗野な美貌を持っていた。黒い厚底ブーツを鳴らしてつかつかと近付いてきて、遠慮なく俺の頭を撫で回す。



「や、やめてくださいよ……」

「切らなきゃな、髪。戦闘の邪魔だ」

「えっ!? てっぺんで結ぶから勘弁して欲しいんだけど!?」

「アホか、お前。こっちの士気を下げてどうする! アホ頭で剣を振るう気か?」

「アホ、アホ頭って……わああああああ!?」

「おい、ちょっと待て。ついでだ、伸ばしてみてもいいんじゃないか?」

「あ? ハーヴェイ、お前。頭に虫でも湧いたのか?」



 俺の赤髪頭を掴んで、ハサミをしょきしょきと動かしたアルフが嫌そうな顔となる。ハーヴェイがにやりと笑って、銀灰色の瞳を細めた。



「伸ばそう、伸ばしたらいい……きっと戦場でもよく映える。ルートルード人であることの証を見せ付けるんだよ、向こうの軍にな」

「……可哀想に、親の育て方が悪かったんだな」

「だな。自分の性格が悪いことぐらい、承知している」



 煙草から口を離し、魔力の煙を漂わせる。ハーヴェイが部屋から出て行った後、アルフが深い溜め息を吐いた。



「まぁ、ともかく。これからは俺がお前を守るし……人の殺し方を教える。覚悟しとけよ」

「えっ」

「戦争なんだ。人を殺したやつがヒーローだ」



 がつんと、鈍器で頭を殴られたような衝撃が襲いかかる。ああ、そうだ。俺は戦争の英雄になるんだ。兵士になるための訓練を受けさせられ、文字通り血を吐いた。何も無い部屋に入れられて、ルートルードへの憎しみを刷り込まれた。何度も何度も「あいつらは人間じゃない、ゴミだ」と唱えさせられ、殺せ! 殺せ! とそんな言葉が頭の奥に刻まれた。



「なぁ、エディ坊や。逃げよう、逃げよう……」

「いい。彼女の……レイラちゃんの命令だから。でも、大丈夫。これが終われば帰れるから……」



 そうだ、帰れる。ルートルード人は殺すべき敵だと、極限状態に追い込まれてそう考えるようになっていた。度重なる過酷な軍事訓練によって体力と気力が削られ、体重も一気に落ちた。同じく戦場へ行く兵士からの差別発言、妬みにも耐えなくてはいけなかった。やはり俺は所詮、大事な捕虜だから。訓練を免除されたり、質のいい食事を与えられたりした。



 もう、何も考えられなかった。真っ暗闇の中で彼女の声だけが聞こえる、「誰をどんなに殺しても、生きて帰ってきて」と、彼女の甘い声が頭の中で響き渡る。あの日、俺の手を握り締めて囁いた。



「誰をどんなに殺しても生きて帰ってきて、アンバー。大丈夫、人を殺しても明日は続いてゆくから……」

「レイラちゃん……」

「幽霊も出ないの。人を殺したって何も変わらないの……」



 ああ、本当にその通りだった。人を殺しても何も変わらない。また明日がやってきて生きてゆく。そうやって生きていたら、人の命が本当に軽いものに見えてきた。運が良いか、悪いか。ただそれだけで人は生きて死ぬ。



 戦場に初めて立った日が映し出された。緊張している。当然か。二百年ほど前、両国の関係が良好だった時にとある魔術条約が結ばれた。いわく、戦争になったとしてもお互いの国土を損なわないこと。つまり、戦場を定めて戦う必要がある。他国のだだっ広い草原を借りて戦った。この他国の介入やエオストール国内の分裂が、戦争を長引かせるきっかけとなった。



 人なんて殺せるんだろうか。そんな不安はすぐに消し飛んだ。あらかじめエオストール側の一等級国家魔術師が銃を全て破壊していたので、剣での戦いとなった。魔術が発達するにつれ、どんどん原始的な戦いとなってゆく。戦場で重要なのは、いかに敵の一等級国家魔術師を殺せるかだった。



 血が舞う、頭の中が真っ白になる。敵を見た瞬間、バン! と思考が切り替わって上官の「殺せ! 殺せ! ルートルード人はみんな殺せ!!」との声が響き渡った。がんがんとそんな声が響き渡る中で、ひたすらに殺してゆく。誰かが「エディ様」と言って泣いていた。ああ、ごめん。あの時の俺は何も把握しちゃいなかったけど。今ならよく分かるよ、よく分かる。



(ああ、みんなが死んでゆく……)



 剣を振るう俺を見て、ルートルードの兵に動揺が走る。俺を殺そうとしたが、剣を下ろした者もいた。そんな者ですら、正気を失った俺は切り刻んで殺してゆく。



(レイラちゃん、レイラちゃん)



 君のために殺すよ、全員。遥か遠くの方から、彼女の声が響いてくる。「どんなに誰を殺しても、生きて帰ってきて」と言っている。血に濡れた剣を持ち直して、命乞いをしている男の首を突き刺す。ああ、そうだ。そのことだけを考えていよう、レイラちゃんレイラちゃん。暗闇の向こうから彼女の声だけが聞こえる、俺を導いてくれる。



(そうだ、帰ったらプロポーズしよう……約束したもんな、レイラちゃんと)



 戦場へと向かう日の朝、もう一つ約束を交わした。彼女が悲しそうな、でも嬉しそうな顔で笑う。



「ねぇ、帰ってきたら私にプロポーズをしてくれる?」

「うん。するよ、レイラちゃん。するよ……」

「ずっとずっと、アンバーのことだけを考えて待っているから。ずっと好きでいるから……」



 ずっと好きでいるよって言ってくれたのにな。アーノルドから送られてきた手紙を見て泣く。そこには今日のレイラちゃんの朝ご飯と、したことが書かれていた。写真も同封されていた。「生きて帰ってこいよ、エディ。死ぬなよ」と書かれていた。なんで? 死ねって言ったじゃん、俺に。



「ガイル、ガイル……」

「大丈夫だ、エディ坊や。大丈夫だ……」



 吐いて腹を下して苦しむ俺に寄り添い、ふわふわの狼姿で慰めてくれた。ガイルの黒い毛皮に指を埋めて眠ると、怖い夢を見なかった。レイラちゃん、レイラちゃん。会いたいな、会いたいな……。



「会いたい、レイラちゃんに会いたい……」

「エディ様、エディ様。なぜ……一体どうして」

「エオストール王国のやつらめ! 血も涙も無いのか!?」



 レイラちゃんに会いたい。気が狂いそうだ。この頭は常に彼女のことを考え続ける。でも、命令があるから帰れない。「国を滅ぼしてきて」と、そう言われたんだ。帰れない、恋しい、恋しいよ。レイラちゃんレイラちゃん───……。



 でも、ここまでは良かった。一番苦しいのはこの先で。



(ああ、嫌だ。頼む、見せないでくれ!! 俺にそれを……)



 呪いが聞いてくれる訳ない。今までで一番、色濃く鮮やかに映し出される。死体が力なくごろごろと横たわっている中で、数十頭ものドラゴンが空を飛んでいた。はっと白い息を吐き出して見上げていると、ふわりと下降して戦場に降り立つ。嘘みたいに綺麗だった、冬の青空が。足元には、血を流した死体がごろごろと転がっているというのに。



「嘘だろ、そんな。叔父上が……」

「エディ、お前を助けにきた」



 流石に叔父は乗っていなかった。が、青く輝く甲冑を身につけた若いドラゴンの男が微笑み、俺にその手を差し出す。呆然と見ているしかなかった。反射的に剣を握り締める。



「帰ろう……エオストールのやつらに脅されているんだろう? だがもう大丈夫だ。俺達は」

「帰ってくれ、いらない」

「エディ様……どうぞ」



 厳つい顔立ちの男が真っ黒の甲冑に身を包み、現れた。俺を見て、気の毒そうに青い瞳を細める。



「叔父上から話は聞いております。どうぞ、我らと共に……」

「帰ってくれ!! お前達は敵なんだ、ルートルード側の人間なら!!」

「手助け、しようか? エディ」

「ハーヴェイおじさん……?」



 ぞっとして後ろを振り返ると、いつの間にかハーヴェイが立っていた。いつもの黒いコートを着て、死神のように立っている。またか、またいつものか。ふらりと戦場に現れては人を殺し、また去ってゆく。



「とびっきり痛めつけて殺してやろうか、エディ……」

「っやめてくれ! なら俺が殺す!! 俺が殺す……!!」

「エディ様!? ぐぁっ」



 優しく手を差し伸べてくれたのに、その人の頚動脈を切った。ああ、駄目だ駄目だ駄目だ。絶対にこの人に主導権を握られてはいけない、俺が殺すんだ。殺すしかないんだ。苦しかった、ひたすらに。血族に弱い彼らは、ドラゴンの血を引く俺に抵抗出来なかった。剣を受けるだけでは殺される。最後は魔術の炎で焼き払って殺した。苦しかった。口から血を流して、「エディ様……」と呟いて腕を伸ばしていた。ごめんなさい、ごめんなさい。全部俺が悪かったんだ、全部。



 俺があの時、生きたいと願ってしまったから! 俺があの時、生きたいと願えさえしなければこんなことにはならなかったのに!



 人を殺してゆく中で、そんな考えが浸透していった。俺は生きてちゃ駄目な人間だ、あの時死ぬべき人間だった。だから、誰も彼もが苦しみもがいて死んでゆく。ドラゴンの死体が累々と転がっている。誰も彼も、俺のことを助けてくれようとしたのに。俺が殺してしまった! 全員!



 綺麗に晴れ渡っている青空の下で、喉を掻き毟って絶叫した。ろくな抵抗も見せずに、死んでいったドラゴンの死体がごろごろと転がっている。



「ああああああああ!! 殺したんだ、俺が! 俺が!! ごめんなさい、ごめんなさい……!! 助けようとしてくれてたのに、ごめんなさい……!!」

「エディ坊や!」

「おっと、退けよ。わんころ。こういう時は同じ人間の方がいいんだ」



 不老不死のアルフが頭から血を流しつつ、俺のことを抱き締める。その腕の中で泣き叫んだ。俺のことを助けてくれると言ったのに、俺が殺したんだ。全員。



「お願いだ、お願いだよ……来ないでくれ、俺の下に。俺のこと、助けるよなんて言わないでくれよ……頼むからさぁ!!」

「眠れ、エディ。やれやれ、ハーヴェイも趣味が悪い……幻影魔術とはな」



 これは後で知ったことだが、俺にドラゴン殺しをさせるためだけに遠く離れた自分の屋敷から、幻影を出して俺に語りかけていたらしい。まんまと騙された。悔しくて悔しくて、アルフから幻影魔術を習った。だから、戦場に突然現れた“彷徨える呪いの木”からも逃れることが出来た。



(ああ、でもまだだ。叔父上、叔母上……)



 あの二人を処刑しなきゃ。結局戦争は、休戦と交渉を繰り返しつつ八年も続いた。エオストール内でも戦争の中止を求めるデモが起こったり、女王陛下の暗殺未遂事件が起きたりと混乱が続いた。ルートルードも同じで、政治を牛耳っていた、大貴族の裏切りや王族の暗殺未遂が続いた。だからこそ、こんなに長引いたんだろう。



 結局、王妃に横恋慕していた王の従兄弟が裏切ってエオストール側に付き、八年にも及んだ戦争がエオストールの勝利で終わった。今、その裏切り者はお飾りの王を務めている。



(叔母上、叔父上……早く呪いが解けるといいんだが)



 もう疲れた。彼女への恋慕だけがこの胸に残る。会いたいな、大丈夫かな。泣いていないかな、レイラちゃん……。











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