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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
95/122

19.さぁ、“火炎の悪魔”になった少年の話を始めようか

少しだけ流血描写があります、ご注意ください。

 





「俺に理性があって良かったな、糞女。何百年か前の俺だったら、手足を引き千切って食い殺していたところだ」

「っガイルさん!」

「ぐ!」



 しゅるりとエディの影から出てきたガイルが、フェリシアの背後に立ってその体を取り押さえる。フェリシアが抗議しようと口を開いた瞬間、崩れ落ちた。気絶させたんだろうか。いや、それどころじゃない。



「エディさん! エディさん! どうしよう、呪いが! 呪いが!!」

「落ち着け、レイラ嬢。まだ死んでない……遅効性の呪いだ」

「遅効性の呪い……エディさん」



 ぐったりと顔色悪く意識を無くしているエディの頬に、ざわざわとムカデのような黒い影が這っていた。ああ、油断した。びっくりするぐらい、動けなかった。時が止まったかのようで、恐怖にかじかんで指先すら動かせなかった。後悔してくちびるを噛み締め、エディの肩をぎゅっと握り締める。ああ、こんな形で膝枕をしたくなかったなと。そんな、どうでもいいことを考える。



「ガイル……ガイルさん。何か、何か分かりましたか? エディさんは助かりますか……?」

「ああ。だが、このままいくと明日の朝には死ぬだろうな。……ああ、腹が立つ。あいつがエディ坊やを助けるとは思えん……アーノルド坊やに期待だ」

「アーノルド様……そうか、解呪」

「行くぞと言いたいところだが……この女を警察に突き出さなきゃな。サイラス坊やは死ぬほどうるさいから……キースか。キースに連絡しよう。全部どうにかしてくれるだろ、近くで待機してるみたいだしな」

「近くで待機……」

「心配で心配で、初デートを見守るんだって。うるさくてな」

(監視されてたんだ……)



 じゃあ、エディとのキスも見られていたんだろうか。エディがのほほんとジェラートを食べている時に、ちゅっと頬にキスをしたりしてたんだけど、そんな場面ももしかして見られていたんだろうか……。そんなことを考えている場合じゃないのに、恥ずかしくなって両手で顔を覆う。



「っじゃあ、も、もしかして私がエディさんの、その、ほっぺたにちゅーとか……」

「あ? 言っとくが、俺もずっと影に潜んで見てたからな? ああっ、くそ。もっと早く出てこれたら……!! 悔やんでも悔やみきれん。最悪だ」



 黒いジャケットを着たガイルが低く呻いて、ぶんぶんと尻尾を振り回す。ああ、そうだ。今はそんなことを言っている場合じゃないんだ。



「手帳、手帳……あった。今からキースに連絡するからな? 静かにしておけよ?」

「あの、私……流石にそこまで子供じゃありません」

「悪いな、どうにも昔の記憶を引き摺っててな」



 昔の記憶? そうか、ガイルも私と会ったことがあるのか。そのことに思いを馳せ、苦しそうな顔のエディを見つめる。ああ、エディ。エディさん。



「……こんなことならもっとちゃんと、好きだって言っておくんだった」



 意識の無いエディの顔を見つめ、その鮮やかな赤髪をさらりと梳かす。夜の街灯に照らされて、ほんの僅かに煌いていた。でも、くすんでいて黒髪に見える。



 頭上には星が瞬いていた。ダイヤモンドを細かく砕いたかのような星空が広がっている。その中央でこうこうと光っている満月が恐ろしくて、美しくて、それを見て泣きそうになった。指先が冷えてかじかむ。エディの滑らかな頬も冷たい。ムカデの黒い影がざわざわと頬を這って、生気を吸い取ってゆく。



「エディさん……ごめんなさい、ごめんなさい……!!」

「レイラ嬢。キースに連絡しておいた。すぐに来るってさ、移動しよう」

「フェリシアさんは……」

「キースが回収する。とりあえず行こう、階段に」

「は、はい……」



 ガイルがおもむろにしゃがみ、青灰色の瞳でじっと見つめてくる。戸惑って見つめ返していると、私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。



「大丈夫だ、エディ坊やは死なない。それにこれ、市販品だしな」

「市販品……」

「やれやれ、どこで買ったんだか。違法だぞ、これ。……明日の朝には死ぬからな」

「そうだ、それ……フェリシアさんが私のこと調べたって、一番よく効くのはそれだって」

「ああ、だろうな。苦しい過去へと戻る呪いだ……よりにもよって」

「そんな。過去、過去に……」



 足元に転がっていた空っぽの玉を拾い上げ、ガイルがそれを見て舌打ちをする。それは月光に照らされ、空虚に煌いていた。



「苦しい過去へと戻って、それを全部見た後に死ぬ呪いだ。悪趣味だな……」

「じゃあ、今、エディさんは」

「夢の中だろうな。悪夢の中にきっといる……どうすることも出来ない。早く解呪をして助けてやらなきゃな……」



 ああ、そうか。苦しい過去を持った人じゃないと、きっとこの呪いは何の意味も為さない。地面に倒れているフェリシアとエディを交互に見つめ、唾を飲み込む。



(私が……受けていたら。きっとまた)



 お父様とお母様を殺していた。そのことを考えた瞬間、誰かがぐっと私の両肩を掴む。でも、振り返っても誰もいなかった。真っ暗闇の広場が横たわっているだけで。だけど、お父様の血に濡れた両手が私の肩を掴んでいるような気がした。そのかすかな気配に両目を閉じ、膝の上の温もりに集中する。



(分かってる。お父様……自分を責めるなって、そう言いたいんでしょう?)



 背後の父の気配がふっと和らぎ、ガイルの声で現実に引き戻される。



「おっ、きたか。早いな……今、移動しようと思ったところなのに」

「うわああああ~……早い。全速力でやって来る……怖い……」


















 一番懐かしくて、よく思い出すのはあの頃のこと。初夏の陽射しに煌く庭を散策していたら、サイラスが走ってやって来る。同じ赤髪、同じ琥珀色の瞳。同じ白いシャツに黒いサスペンダー付きのズボン。俺達は一卵性の双子で、よく似ていた。サイラスが息を荒げて立ち止まり、へらりと笑う。



「おい! エディ! 母上が呼んでいる。行ってやってくれ」

「はぁ? 何で? ……じゃあ、兄上も行こうよ。一緒に」

「やなこった! 母上のあのぐじぐじっぷりにはもう、うんざりだ。だから父上も嫌気が差して寄り付かないというのに……あの女はどこまでも学習しないんだからな」

「兄上! 仮にも母上に向かってそんなことを……」



 サイラスがにっと笑って肩を竦め、俺に背を向ける。兄は母よりも父によく似ていた。女好きで軽薄で調子がいい。そして、どこまでも冷たい。ざくざくと芝生を踏みしめ、軽く笑う。



「エディ。お前は母上のお気に入りだよ。俺が顔を見せるより、ずっとずっと喜ぶ」

「兄上……そんな」

「お前は優しい。優しくて可愛い。生憎と俺はそんな人間じゃない。じゃ、俺はこれから出かけるんで」

「兄上……誰かとデートするのも程々にしてくださいよ?」

「努力する。さっさと行けよ、エディ。うるさいから、あの女」




 どうして、兄上も父上も母上のことを邪険にするんだろう。ハルフォード公爵家の廊下を歩いて、母の寝室を目指す。屋敷は穏やかに静まり返っていた。父は帰ってこず、母は塞ぎこんで部屋に閉じこもってばかり。それなのに、屋敷はこんなにも穏やかだ。



 廊下の窓から透明な陽射しが射し込み、真っ赤な絨毯を照らす。おかしいな。父は母と結婚する際に、この廊下の絨毯を全部赤に変えたのに。母の髪の色だからと言って変えたのに。最初はこんな関係じゃなかったのに。



(父上も……最初は母上のことが好きだった筈なのに。今でも多分……きっとそう)



 それとも、俺がそう思いたいだけなんだろうか。寝室の扉をそっと開けると、寝台の上の母が弱々しい笑みを浮かべて起き上がる。この瞬間が一番好きだった。母が優しげな笑顔を浮かべて、両腕を広げる。



「エディ……来てくれたのね? ありがとう。サイラスは……?」

「その、忙しいって。また誰かとデートに行くみたいで」

「そう……サイラスはあの人に似ちゃったのね。本当に……どうしてこうなっちゃったんだろう」

「母上、俺がいます。大丈夫ですよ、きっと父上もすぐに帰ってきますから……」



 痩せ細った手を握り締め、励ますと嬉しそうな笑顔を浮かべる。寝台近くの水差しを持ち上げてコップに水を注ぎ、手を添えて母に水を飲ませた。ちらりとチェストを眺めてみると、しなびたサンドイッチと薬が置いてあった。ああ、また食べていない。薬も飲んでいない。



「母上……食欲が無いんですか? 今日も?」

「ごめんね、エディ……あの人が帰ってきてくれたら、私も食べれるんだけど」

「母上……連絡しておきますから、俺が。きっと今夜にでも帰ってきて」

「エディ、駄目よ。あんな風になっちゃ」



 母が淡い琥珀色の瞳をかっと見開いて、俺の手首を握り締める。ドラゴンの血が混じった母は情熱的で一途で、父に冷たくされる度に病んでゆく。普通の人よりもずっとずっと、ショックを受けやすい。まぁ、俺もそうなんだけど。諦めて母の言葉を待っていると、俺の手首をぐっと強く握り締める。爪が痛い、食い込んでいる。



「貴方は駄目、あんな風になっちゃ……いい? 将来結婚したら、浮気もしないで奥さんを大事にするんですよ? エディは分かるでしょう? お父様とお母様を見ているんだから」

「はい、分かります。母上。その前に薬を飲んで……」

「じゃないと、私みたいにその奥さんが苦しんじゃうから。ねっ? エディ、駄目よ。貴方は絶対に絶対に、そんな風にならないでね……お願いだから、お父様みたいな人にならないでね……浮気をするような、最低最悪の屑にはならないでね」

「はい、はい……母上。ちゃんと分かっていますから」



 母はしょっちゅう俺を部屋に呼んだ。俺を部屋に呼んでいかに父が悪いか、とうとうと語り出す。何度も何度も「浮気をするような屑にならないでね」と俺に言い聞かせる。兄のサイラスはそれにすっかり嫌気が差して逃げてしまい、俺だけがここに残って母の話を延々と聞く。



 穏やかで眩しい日々だった。疲労が少しずつ溜まっていって、どうすればいいんだろうと母の手を握り締めて途方に暮れる日々。でも、あの頃が一番落ち着いていた。



「エディ! 帰ったぞ~。母上は? どこにいる?」

「父上! やっと帰ってきた……!!」



 月に何度か、父のブライアンがふらりと帰ってくる。俺とサイラスと母への贈り物をどっさり持って帰ってきて、玄関ホールで騒ぎ出す。嬉しくなって駆け寄ると、にっと笑ってダークブラウンの瞳を細めた。父は色男で女好きだった。いつも仕立ての良いスーツに身を包み、艶やかなダークブラウンの髪を後ろへ撫で付けていた。



「エディ! 悪かったな。でも、一ヶ月もしない内に帰ってきたぞー? 彼女は? どこに?」

「母上ならいつもの寝室に……」

「あなた! やっと帰ってきてくれた……!!」

「ただいま、シンシア。おっと、ちょっと待ってくれ。今、俺がそっちに行くから」



 白いネグリジェ姿の母を見て、慌てて階段を駆け上がってゆく。仲が良い二人だった。でも、歪んでいる。何故父が屋敷を空けるのか、人が変わったように母に冷たくするのか。当時十三歳だった俺には、よく分からなかった。でも、今ならほんの少しだけ分かる。



「良かった。帰ってきてくれて……」

「ああ、ごめんよ。シンシア。仕事もちょっと忙しくてね。ああ、参ったよ。本当に」



 父が母の肩を抱いて、キスをしながら夕食を食べ進めてゆく。横でサイラスが白けた顔をしてふんと鼻を鳴らした。こうして帰ってくると、父は母を絶対に離さない。常に愛を囁いて気にかけて、心配そうな顔で覗き込む。母も嬉しそうに頬を染め、父の肩にもたれてようやく何かを口に入れる。その光景を見る度、ほっとした。いがみ合っている訳じゃないんだと、深く安堵した。



「父上……もうどこにも行かないでくださいよ? 母上も痩せちゃって」

「ああ、エディ。大丈夫大丈夫。悪いな、いつもお前に全部任せちゃって。見たか? お前の好きそうな魔術仕掛けのカードと図鑑を買ってきたんだけど」

「ああ。これから兄上と一緒に見るところで」

「そっか、おやすみ。愛してるよ、エディ。もちろん、ちゃんとサイラスのことも」



 交互に俺達を抱き締めて頬にキスをして、母上を連れて寝室へと入ってゆく。こうなると三日は出てこない。仕事はこなしたからと言って、母と一緒に寝室で食事を摂って、誰も寄せ付けずに三日程こもる。ただ、いつも唐突にそれは終わった。出て行こうとする父を母が泣いて泣いて引き止めて、父が苛立たしげに舌打ちをして突き飛ばす。いつもいつも、この繰り返しだった。最後は罵倒して出て行く。



「ああ、これだから嫌なんだ。ルートルードの女は。おい、エディ! サイラス! どっちでもいい。キースを呼んできてくれ。うるさいんだ、この女が」

「父上……!!」

「エディ、大丈夫だ。呼んできてくれ、キースを」



 動揺する俺とは裏腹に、サイラスはいつも冷静だった。同じ年齢の筈なのに「俺が兄だからな、お前の」と言って笑って事態を収拾する。戸惑ってサイラスを見つめると、悲しげに笑って俺の肩にぽんと手を置いた。



「大丈夫だから、エディ。キースを早く呼んできてくれ」

「わっ、分かった……」

「あの男のことだからな。どーせこの騒ぎをどっかで見ているんじゃないのか?」

「父上。エディの前でそんなことを言わないでください。反吐が出る、エディの耳が汚れる」



 サイラスは父のことも母のことも嫌っていた。情緒不安定な母を見て泣く俺を励まし、「大丈夫だ、エディ。俺がいるから、お前には俺がいるから」と言って抱き締めてくれる。それなのに、どうしてその優しさを母に向けないのか。そう聞くといつもいつも、困ったように笑って「俺の家族はエディとキースだけだからな」と言う。



 また父がいなくなって、母が泣いて泣いて俺を部屋に呼ぶ。その合間に何人もの家庭教師から読み書き、乗馬、剣術、魔術と、ありとあらゆることを学んでこつこつと出された課題をこなす。



 サイラスはその合間に使用人とデートに行ったり、キースにお菓子を焼いてとねだったり、俺をべたべたに可愛がったりと、好きなように暮らしていた。胸のつかえが取れないのは俺だけなんだろうか。母も父も、サイラスも好きなように過ごしている。



 そんな風に見えるんだ。俺が悪いのかな、俺が間違っているのかな。よく分からない。考えても考えてもよく分からない。



 そんな生活が何年も続いた。年を追うごとに父は屋敷に寄り付かなくなって、出て行く時の態度も冷たくなってゆく。それなのにふらりと帰ってきては、大喜びで母を抱き上げて寝室へとこもる。仕事もせずに一週間、母と寝室にこもる時もあった。



 とにかく母と会えばとことん愛を囁いて、贈り物もして心配をする。片時も離れずにその手を握って、甲斐甲斐しく世話をする。それなのに突然、母が泣き叫ぶまで罵倒して「せいせいした」と吐き捨てて、愛人の下へ行ってしまう。また母は自分の何が悪かったんだろうと、泣いて泣いて部屋に閉じこもるの繰り返し。



 そしてまた、父が帰ってくるのを待ち続ける。痩せ細っていくのも当然だった。でも俺が十七歳の時、あの事件が起きてしまう。



 帰ってくるなり父は上機嫌で母を抱き上げ、「シンシア? ああ、またそんなに痩せてしまって」と心配そうな顔をして寝室へと消えていった。母が必死に頼み込んだのか、何なのか。よく分からないが翌朝、にこにこと笑って「ああ、エディ。もう俺はどこかへ行ったりしないから。彼女の傍にずっといるから」と宣言した。



 サイラスと二人で「嘘だろうな、絶対に」と囁き合ったが、驚いたことに父は一週間経ってもいた。二週間経っても屋敷にいた。母から片時も離れず、甘ったるい言葉を吐き、使用人すら寄せ付けなかった。痩せ細った母を心配して、付きっきりで世話をした。



 母がようやく安心して落ち着いてきて、太り始めるとドレスを贈って、一緒に夜会にも参加した。二ヶ月経っても三ヶ月経っても、父は母の傍にいてにこにこと幸せそうに笑っていた。誰もがこれで、丸く収まると信じてた。いいや、サイラスだけは違った。しきりに「いつか絶対に出て行くぞ、あの男は」と言って警戒していた。



 冬が深まってきたある日のこと、それは唐突に起きた。



「もういい! うんざりだ! 出て行く!」

「お願い! 待って、私の話を聞いて、ブライアン……!!」

「父上!? また一体何を騒いで……」

「ああ、エディか。後はよろしく。もううんざりだ。俺は二度と帰ってこないからな。戻らないからな、こんな屋敷には。お前みたいな女、政略結婚で無ければ追い出していたというのに! ああ、もう。ルートルードの匂いが体に染み付く。うんざりだ、もう」

「待って、お願い……お願い」

「やめろ、離せ。汚らわしい! うんざりだ、もう。離れて暮らそう。二度とお前なんかには会いたくない」



 いつもより酷かった。母が泣きじゃくって過呼吸を引き起こしていたのに、舌打ちをして去っていった。どうしてこうなるのかよく分からなかった。つい先程まであんなにもべたべたと引っ付いて、母に優しくしていたのに。ここ半年ぐらい、母が離れたら死ぬと言わんばかりに纏わり付いていたのに。呆然としていると、すかさずキースが「お嬢様! 大丈夫ですか?」と言って駆け寄る。



 そのまま母のことをキースに任せて、自分の部屋に戻った。この頃になるともう、鬱陶しくて呼ばれても部屋に行かなかった。両親に振り回されるのはもう、うんざりだった。罪悪感を感じつつもひたすら勉強をして、昼寝をする。家族なのに遠い。こんなにも遠い。



(俺があの時、ちゃんと母上のことを慰めていたら……)



 真っ暗闇の中で考える。俺があの時、ちゃんと母上のことを慰めていたら? 変に反抗して意地を張って、母のことを大事にしなかったから、母が「死にたい」と言った時に、「生きていて欲しいよ、死んで欲しくないよ」と言っていたら?



 後悔は深い、とても。そこまでを考えて、彼女のことを思い出す。そうだ、レイラちゃんは? レイラちゃん。彼女はどこに。



(ここはどこだろう。レイラちゃん、レイラちゃん。君に会いたいな。ああ、暗い。何も見えない……)



 ああ、嫌だ。ここは呪いの中だ。頼む、あれだけは俺に見せないでくれよ。ああ、頼む。母上の死体が目に浮かんでしまう……。




「きゃああああああっ!? 奥様! 奥様が!」

「何だって!? 母上が!? 母上がどうかしたのか!?」

「駄目です、坊ちゃん!! 来ては駄目です!」

「っキース! 頼むから教えてくれよ!? 母上は!? おい、嘘だろ!? 教えてくれよ、キース! 怪我をしたのか!? 無事なのか!?」



 ああ、分かっていた。死んだんだって。夜寝る前におやすみを言おうかどうしようか悩んでいたら、メイドが来て「奥様が会いたいと」と言ってきた。ああ、会えば良かった。俺が母を殺したんだ、見殺しにしたんだ。最期にもしかしたら、この頭を撫でてくれたかもしれないのに。俺は最近ろくに話もせずに、避けてばっかりで……。



 気が付くと、兄上が俺のことを抱き締めていた。ぎゅっと強く強く抱き締めて、母に会いに行こうとする俺を引き止めていた。



「エディ! 行くな、見るな……!!」

「っどうしよう!? 俺のせいだ、兄上! 俺のせいだ……!!」

「エディ、お前のせいなんかじゃない。大丈夫だ。お兄ちゃんがお前のことを守ってやるからな。大丈夫だよ、エディ。お前だけは絶対に、何が何でも守ってみせるから……」



 今思えば、サイラスは何もかもを見通していた。キースのことも父のことも。その腕を振り払って部屋へと駆け込む。見た瞬間、膝から崩れ落ちてしまった。昨日まで俺のことを見てくれていたのに、もう俺を見ることはない。その目に俺を映すことはない。



 真っ赤な血に染まった寝台の上にて、横たわっていた。誰がどう見ても手遅れだった。冬らしい、透明な陽射しが青白い顔を照らしている。思わず駆け寄って腕にしがみつき、泣き崩れる。



「っ母上……!! ごめんなさい、ごめんなさい! 俺が、俺が! もっとちゃんと父上を引き止めていたら、昨日会っていたら……!!」

「エディ坊ちゃん! これ以上は、これ以上はもう……!!」

「エディ! 行こう、立ち上がって。さぁ、もう見るな。絶対にお前のせいなんかじゃないから……!!」



 兄上も泣きたかっただろうに、俺の腕を引っ張って部屋へと行く。寝台へと投げ出されて、体を丸めて泣きじゃくった。ひたすら俺の頭を撫で、抱き締め、励ましてくれる。



「っ兄上! 俺が、俺が殺したんだ……!! 昨夜呼ばれていたのに! 昨夜呼ばれていたのに、俺は眠くも無いのに眠いからって言って断ったりなんかして……!! 許せない、自分のことが! 許せない、戻りたい! 昨日の夜に戻りたいよ、俺、兄上……!!」

「大丈夫だ、エディ! お前は何も悪くない、お前は何も悪くなんてないよ……」



 母はきっと地獄に行くんだろう。自殺したんだ、当然だ。俺が死なせたも同然だ。泣いて泣いて眠って、無理矢理昼食を喉に流し込んでいると、父が戻ってきた。蒼白な顔をしていた。



「エディ、サイラス。彼女は……」

「お前のせいで母上が死んだんだ!! 父上のせいだ! 何もあんな、あんな……!! あんなことまで言わなくても良かったのに! 母上は本当にお前のことを愛していたのに!! 何でどうして、」

「エディ、落ち着け!!」

「お前のせいだ、お前の!! お前が母上を殺したんだ! お前が屑じゃなきゃ、お前が浮気さえしなければ死ななかったのに! お前が殺したんだ! お前が母上を殺したんだ!!」



 俺の言葉を聞いて、父が気絶した。また大騒ぎになって父が運ばれ、頭が朦朧とする中でパンを貪り食う。食べなきゃ、何があっても食べなきゃ。また明日も生きて行かなきゃいけないんだから、俺は。



「なぁ。父上は今更、母上の傍に行って何を……」

「さぁな、後悔しているんだろうよ。ああ、まずいことになった。あの二人は頭が沸いている。ただでさえ、またルートルードとエオストールが小競り合いを起こしているっていうのに……」



 サイラスだけが冷静で、この先を見据えていた。目が覚めた父は蚊の鳴くような声で「悪い。二人きりにさせてくれ、彼女と」と呟いて、寝室に閉じこもった。魔術で防腐処理が施された母の死体を眺め、真っ暗闇の部屋で泣いていた。それを見て全身から力が抜けた。もう遅い、後悔したって。二度と帰ってこないんだ、母は。



「母上……母上……!!」

「大丈夫だ、寝よう。エディ。寝よう……」



 その日の夜は久しぶりに、サイラスと一緒に眠った。散々泣いてようやく涙が涸れて、眠りに落ちた頃。誰かが俺達の体を揺らして叩き起こす。



「エディ坊ちゃん、サイラス坊ちゃん。起きてください! さぁ! 今すぐに!」

「うえっ? キース? 何だよ、父上が自殺でもしたのか……?」

「いいえ、俺が貴方様の父を殺しました。逃げますよ、ルートルードに。ここにいたら捕虜にされてしまう……起きて支度をしてください、お二人とも」



 一瞬、キースが何を言っているのかよく分からなかった。ただ、サイラスだけは「やっぱりな、お前のことだからそうすると思った」と呟いて、寝台の下から大きな鞄を引っ張り出した。



 ここから全ての歯車が動き出す。俺が断頭台に立って、叔父上と叔母上の首を刎ね飛ばすその瞬間まで、本当にあっという間だった。胸に愛おしさだけが残る。レイラちゃん、レイラちゃん。



(ああ、君だけだ……話したくないよ。目が覚めても本当は……)



 いいよ、何も気にしないで。明日も笑って生きて行こうよ、もう後戻りは出来ないから。知っても出来ることは何も無いから。みんな死んだんだ、俺が殺したんだ。叔父上の呪いが耳にこびりついている。



『エディ。お前は王家の恥さらしだ』



 叔父上、叔母上。どうか許してくださいとは言えない。そんなおこがましいことは言えない。



(レイラちゃん……君が幸せであればそれで。俺の代わりに何も背負わないで、笑っていてくれたらそれで……)



 ああ、それなのに上手くいかないな。彼女はどうしてるんだろう? 怪我は? 泣いていないかな。自分を責めていないかな、レイラちゃん。レイラちゃん。君が笑っていてくれたらもう、それでいいのに。どうしてこうも、上手くいかないんだろう────……。









「レイラちゃん……」

「エディさん、エディさん。ねぇ、アーノルド様。今のって……」

「意識は呪いに取り込まれているからな。寝言のようなものだろう、多分」

「そっか。エディさん……」



 目に涙が浮かんできた。アーノルドの寝室にて、ぎゅっとエディの手を握り締めると「うーん」と低く唸る。顔色が悪い。土気色だ。くちびるがひび割れて乾いている。



「どうしよう? 私のせいだ。私の……」

「レイラ、気が散るから。……悪いが、部屋を出て行ってくれないか? 解呪作業は何かと繊細で」

「補佐いたします、アーノルド様」

「ああ、よろしくお願いします。キースさん。ほら、レイラ。お前はシシィとお茶でも飲んで待っていてくれ。明日の朝までには絶対に絶対に、解呪してみせるから」

「お姉様……」

「セシリア様」



 心配で心配で傍から離れたくなかったが、青いワンピースを着たセシリアと一緒に部屋を出る。ぱたんと扉を閉めた後、セシリアが深く息を吸い込んだ。



「もう我慢できません。……エディお兄様が今も、あの中で苦しんでいるかと思うと」

「セシリア様……?」



 セシリアがきっと強く私を睨みつけ、青い瞳を潤ませる。そのくちびるはわなわなと震えていた。



「お話しします。お姉様。エディお兄様の過去の全てを。……お父様にもエディお兄様にも止められていましたが、お話します。さぁ、とりあえずその前に温かい紅茶でも飲みましょうか。よく冷えますね、今夜は……」







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