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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
90/122

14.彼が彼女で彼女が彼で

 





「ああ、どうしよう、レイラちゃんの身にもしも何かあったら……ああ、どうしよう。やっぱり兄上なんか連れて来るんじゃなかった。殴って手足を縛って放置しておくんだった……」

「お前な、エディ。仮にも双子の兄に向かってそれはないだろ……」



 向かいの座席でぱりぱりとポテトチップスを食っていたエディが眉毛を持ち上げ、ふんと鼻を鳴らす。目立たないよう白いロゴTシャツの上から黒いパーカーを羽織って、その髪の毛を茶色く染めていた。そして、更に白いキャスケット帽を被っている。



 一方の俺は「一等級国家魔術師の“女殺し”が他国へ移動したと知られないようにしろ」と言われたので、女に変装している。一時的に性別と年齢を変える高価な薬を飲んで、黒髪と紫色の瞳にした。そして白いキャスケット帽を被り、黒い長袖Tシャツの上から白いパーカーを羽織ってタイツと短パンを履く。ついでに、黒いチョーカーとピアスも付けておく。



 今の俺はどこからどう見ても、十六歳ほどの生意気そうな少女だろう。虫唾が走る設定だが、俺はエディ改め「オリバー」の妹である。そして俺はアーノルドではなく、十六歳の少女オリヴィア。今から隣国に住んでいる祖父母に会いに行くという設定だ。くだらない。虫唾が走る。



「個室で防音魔術もかけてあるが……どこから漏れるか分からない。一人称もオリヴィアちゃんに変えとけ、アーノルド」

「っだから何で俺がお前と二人でこんなことをしなきゃならないんだよ……あのおっさん、絶対に殺してやる!!」

「落ち着け、我が妹よ。ポテチでも食うか?」

「お前も帰ったら殺すぞ、エディ。ああ、レイラに何もなきゃいいが……」



 綿密に打ち合わせした結果、何故か“似姿現し”のそっくりさんがエディに化け、レイラが俺に化けることとなった。意味が分からない、何故だ。俺が荷造りしている間にどこか違う世界に迷い込んだに違いない。



 頭を抱えて低く呻いていると、通路を歩いてゆく乗客が不思議そうな顔で見つめてくる。ドア越しの視線から顔を逸らし、座り直す。駄目だ、やるとなったら徹底的にやらないと。



「流石にそんな馬鹿げた一人称は使わない……普通に私でいく」

「おい、足広げんなよ。足。閉じとけ。あと俺も俺でちょっと口調変えていくから。よろしく」

「ノリノリだな、エディ。お前は」

「うるせえ。俺のことはお兄ちゃんと呼べ、オリヴィア」

「誰がお兄ちゃんだ!! ぶっ殺すぞ!?」



 エディが持っていた袋からポテトチップスを取り出し、ばりばりと噛み砕く。じゅんわりと口の中に油が広がって塩味だけが残る。その香ばしさがもっと欲しくなって腕を伸ばすと、エディが嫌そうな顔をした。茶色い瞳なのが不思議だ。



「これはお兄ちゃんのですぅ~、オリー。お前、自分の分があるだろ?」

「苛立って苛立って、お前の分を奪い取ってやりたい気分なんだよ……!!」

「凶暴な妹だな、おい……まぁ、そんなもんか。仕方ない。お兄ちゃんがあげよう、お前にポテトチップスを。ほい」

「殺す、絶対に殺す……!!」

「やめろよ。それなりに仲が良い兄妹ってことにしとこうぜ。あんまリアリティ追求すんのもな~」



 エディから奪い取った袋を抱え、ばりばりとポテトチップスを噛み砕く。今回はエオストール王国の隣に位置するヴァネッセでの任務で、生物兵器を回収してこいとの指示だったが。



「なぁ、エディ? ……お兄ちゃん」

「頑張るな、オリー。そのままの調子で是非とも頑張ってくれ。ぶぶっ、ぶふふふふ……!!」

「よし、お前は帰ったら絶対に殺す。殺す。……レイラに言う気は無いのか? 死ぬ可能性もあるだろ、一応」

「今回の任務で? まぁ、生きていれば誰だって死ぬ可能性ぐらいあるさ……あー、おかしい」



 エディが横の窓を見て呟き、ポテトチップスを食べる。今は発車前で向かいのホームしか見えないのに、暗い窓を熱心に見つめている。俺もつられて見てみると、そこには白い肌と大きな紫色の瞳を持った少女が映っていた。



 俺が顔を顰めると、少女も嫌そうな顔となる。手に持っていたポテトチップスを齧り取り、砕いた。岩塩の味わいが鼻を抜けて、口の中にじんわりと広がってゆく。



「あのおっさん、情報局の奴等に任せるような仕事を回してきやがった……嫌がらせの範疇(はんちゅう)を超えている。レイラを手に入れる気じゃ無いだろうな、あいつ」

「どうしてそこでレイラちゃんの話が出てくる? まさかあのルドルフっていうおっさんはレイラちゃんのことを本気で、」

「だいぶ前に父上から聞いた話だが、どうもメルーディスさん……レイラの母親に横恋慕していたらしい。……自分と結婚すれば死ななかったって、そう思い込んでいるみたいだな」

「馬鹿じゃないか、そいつ……くだらない」



 レイラの父親、エドモンが魔力障がい持ちだったからあの悲劇的な事故が起きた。レイラはその手で自分の両親と強盗を殺し、父親から受け継いだ魔力障がいを憎んでいる。確かにエドモンと結婚しなければ、メルーディスも死ななかったに違いない。だが、それは。



「執着、だよな。俺もしてるのかな、レイラちゃんに……」

「お前のはまたもうちょっと違うだろ、エディ。いや、オリバー……」

「言い辛かったらオリバー兄さんでもいいよ、あーのる、オリー。ちょっと不自然だけど」

「兄さんでいくかぁ? うーん……」

「まぁ、俺は一生。レイラちゃんに打ち明けるつもりはないかなぁ……」



 案外強情だ。



(いや、そんなこと。あの日に分かってた。とっくの昔に)



 エディの故郷はもう滅びた。エオストール王国の属国となっている。後に残るは苦い思いだけ。俺はあの時どうすれば良かったんだろう、今も昔も俺は無力だ。だが。



「エディ、生きて帰るぞ。絶対に……」

「大丈夫だろ、俺とお前なら。どんな任務だってこなせる」

「だな。はーあ……そっくりさんを連れて来れなかったのはきついな……」

「ダイアナさんは? 借りれなかったのか?」

「アホか、お前。人外者が契約者の傍を離れる訳ないだろ……お前と契約しているガイルは別だ。特別。人間に生まれたかった人外者なんて、いるもんなんだなぁ……」



 そこで、エディの足元からぐるるると低い唸り声が聞こえてきた。足元に向かってポテトチップスを数枚投げてやると、ぬっと黒い前足が伸びてそれを引き摺り込んでゆく。ばりばりと咀嚼音が響き渡る中で、エディが嫌そうな顔をした。



「やめろよ、これ。塩分も高いしカロリーだってかなりあるのに……」

「……犬扱いしてもいいのか? そいつを」

「ん、トリミングサロンに毎月入れてるから。今日もとってもお利口さんでしたって書かれてるぞ、毎回」

「毎回……」

「爪を切る時も大人しいんだってさ。そう言えば、先月は耳が汚れてたな……また拭いておかないと」



 何と言えばいいのかよく分からなくなって、その代わりにポテトチップスを噛み砕いた。微妙に欠片が、歯と歯の間に突き刺さって顔を顰める。レイラは今頃、一体何をしているんだろう。



(俺の体であんまり変なことをしてなきゃいいが……心配だな。あーあ、帰りたい。早く、自分の部屋に帰ってだらだらしたい……)

















 多分、この世の春だ。楽しすぎる。



(ああ、そうか……アーノルド様がいつも見ている景色って、こんな感じなんだ……)



 何となく服を見ていると、視線を感じた。ふと後ろを振り返ってみると、若い女の子達の顔がぼんっと赤くなったので笑いかけておく。ついでにひらっと手も振っておく。途端に割れるような「きゃああああっ!!」という歓声が上がった。そして、そのままどこかへと走り去ってしまう。



「あーあ、可愛いなぁ。でもまぁ、アーノルド様はこんなこと言わないか……」

「驚きだよな、一等級国家魔術師は全員見張られているだなんて……」

「そうだな。まぁ、あいつの物真似をするのなら得意だ。長年見ているし」



 隣に立ったサイラスに笑いかけると、淡い琥珀色の瞳を細めてにっこりと笑った。どうも、私がアーノルドと同じ姿形を持っていると普通に話せるらしい。口説いてこない。



「いいんじゃないか? 完璧だよ……レイラ嬢。買い足すのか? 服。確かサイズも同じだったよな?」

「ああ、代わりに買い足しておこうかと思って……コートもそろそろあれだからな、ぼろくなってきた」

「じゃあ、こんなのはどうだ? エディ、お前は何か買うのか?」

「いや、俺はいい……見ているだけで楽しいな、こういうのは」



 エディに化けた“似姿現し”のそっくりさんが笑って、首を横に振る。今日はサイラスと同じく、白いTシャツの上から黒いジャケットを羽織っていた。一方の私は黒いタートルネックのニットとデニムを着て、上から灰色のジャケットを羽織っている。



 今日の私の任務は隣国ヴァネッセへと行く、“女殺し”及び“火炎の悪魔”がここにいると示すこと。昨夜初めて知ったことだが、一等級国家魔術師の身辺には常に他国からのスパイが張り付いているらしい。まぁ、仕方が無い。彼らは数人だけで国が滅ぼせると言われている、生きた兵器だから。



「あー、この後どうする? レイラ。どっかお前の好きな店にでも行って、飯を食いに行くか」

「……ありがとうございます、アーノルド様。でも折角ですし、もう少し色々と見て回りましょうか」



 私に変身した、義妹のセシリアがぎこちなく答える。しかし、完璧だ。いかにも私が言いそうな台詞……。セシリアは緩やかな黒髪をハーフアップにして、私と同じ黒いタートルネックに赤チェック柄のキュロットパンツを履いていた。しかし、胸が目立つので気になってしまう。いつも私はそんなに胸が出ているのかと聞こうとして、やめる。ええっと、アーノルドが言いそうな台詞は……。



「レイラ。お前、もう少し胸が目立たない服を着てきた方が良かったんじゃないのか……?」

「これしか無かったんです、服。別にいいでしょう? アーノルド様」



 そこでセシリアが質問の意図を探るように、紫色の瞳で見上げてくる。自分の姿を見下ろしてるのって何だか不思議だ。華奢に見える。



「……ああ。普段からこんな感じですよ、お姉様は」

「うーん、何だか複雑な気分だなぁ……おい、やめろ。サイラス。あんまじろじろと胸を見んな」

「見るだろ、これは。にしてもレイラ嬢は巨乳の自覚が、いてっ!?」

「余計なこと言ったら足を踏み潰すと、そう言いましたよね?」



 アーノルドの姿でサイラスの爪先を踏み潰すと、エディに化けたそっくりさんが笑っていた。



「なぁ、アーノルド? 俺、レイラちゃんと一緒にデートしてきてもいいか? 緊張してるみたいだし」

「エディ。まさか、お前にそんな気遣いが出来るとはな……いい。行ってこい。レイラと二人でパフェでも食って来い、お前は。三時に時計の広場で待ち合わせな?」

「分かった。それじゃあ行こっか、レイラちゃん」

「はい、エディさん。ではまた」



 セシリアがほっとした顔で笑い、そっくりさんと手を繋いで去ってゆく。それまで持っていた黒いコートをポールへと戻し、愉快そうに笑うサイラスを睨みつけた。



「で? お前は? 一体いつ口を割るんだ? 初めて会った時からねちねちねちねちと、俺に敵意を向けてきやがって」

「凄いな、まるであいつそのものだよ……ん~、でもエディに殺されたくないからなぁ。言わない」

「この姿でキスでもしてやろうか? なぁ?」

「ん~、普段の姿に戻ってからの方がいいなぁ、それは。でも」



 私の肩を抱き寄せ、ぐっと近付いてくる。不思議と嫌悪感は湧かなかった。どうも男の姿になると、そういった嫌悪感も消え失せるらしい。眉を顰める私を無視して、サイラスが耳元で甘く囁きかけてくる。



「どうしても聞きたいのなら、ハーヴェイに聞けばいい……あの男が全部知っている」

「やっぱり、記憶を消したのはあいつか……」

「さぁ、俺は何とも……見ていた訳じゃないし」



 見ていた訳じゃない? 一体どういうことだろう。詳しく聞こうと思って口を開くと、ふいに「アーノルド様ですか?」と話しかけられた。極上の微笑みを意識して浮かべ、背後を振り返ってみる。



「……フェリシアさん。一体どうしてここに」

「あ、覚えていてくれたんですね? 私の名前……嬉しい」



 いつかの新入社員。私がエディを好きになるきっかけを作った女性。フェリシア・ダヴィットソンが艶やかだった茶髪を揺らし、力ない笑みを浮かべる。前まではあんなに綺麗な人だったのに、何かあったのか全体的にくたびれている。ベージュ色のカーディガンに、よれっとしたださいスカートを履いているし。途端にサイラスが色めき立った。お前は女なら何でもいいのか。



「やぁ、初めまして。こんにちは……アーノルド? 紹介しろよ。誰だ? この美人さんは。お前の浮気相手か?」

「サイラス、ちょっとは落ち着けよ。お前……すみません、フェリシアさん。こいつはエディの兄でハルフォード公爵家の」

「ああ、知っていますよ。もちろん。初めまして……二人でお出かけですか?」

「いや、レイラ嬢も連れてだね……今はエディとデート中だけど! 彼女」

「おい、余計なことを言うなよ!? 黙ってろ、お前はもう」



 うーん、アーノルドの振りも中々に大変だ。とりあえず愛想良く笑いかけて「すみませんね、フェリシアさん。非常識な奴でして」と謝っておく。途端に彼女が頬をぼんっと薔薇色に染め、潤んだ青い瞳で見上げてくる。



「いいえ、そんな……もう一度お会いしたかったんです、アーノルド様……」

「あ~、やっぱお前目当てか~。仕方が無いな、フェリシアさん? こいつ、お譲りします。お茶でも食事でも何でもどうぞ~?」

「っおい、てめぇ! 勝手に決めるなよ!? それにフェリシアさんにも色々と予定があって、」

「無いです! あの、良ければどうですか……? 駄目ですか?」



 ごめんなさい、私レイラです。おそらくは貴女が忌み嫌っていたであろうレイラです……。とは言えずに「ええっと」を連発していると、すかさず悪い笑みを浮かべたサイラスが肩を叩いて「行ってこいって! レイラ嬢には内緒にしといてやるからさ!?」と話しかけてくる。糞だ、糞。こいつは。



「あの、私……もう一度だけチャンスをくれないかなって、あの」

「あ~、まぁ。貴女さえ良ければ、どっか食べに行きましょうか……」

「じゃあな~! 楽しんでこいよ~! アーノルド!!」



 後で殺すというメッセージを伝えるため、親指を立てて首を掻き切る仕草をしたら、サイラスが笑っていた。あの野郎、後で絶対に殺してやる。でも、私も思わず笑ってしまった。背後のフェリシアが何も気付かず、嬉しそうな声で話しかけてくる。



「じゃあ行きましょうか。すみません、こんな、迷惑ばかりおかけして……」

「いえ……俺もフェリシアさんに会いたかったので大丈夫ですよ? ええっと、今は十一時半か……腹減ってます? パスタがうまい店があるんですけど……どうですか? それとも何かタルトでも」

「パスタがいいです! 覚えていてくれたんですね、私の好物……」



 すみません、偶然です。あとパスタは私が好きなだけです……。そんなことも言えずに誤魔化すため、「それは勿論。お元気でしたか? あれから謝りたくって」などと適当なことを言って微笑みかけておく。顔が良いのって便利だ。とりあえず笑っておけば何でも許して貰える。



「いえ……すみません、私。アーノルド様が対等な関係で付き合っていきたいって……まずはお友達からって言ってたのにあんな、あんな……」

(一体何をしたんだ……押し倒したのか?)



 それにしてもそうか、アーノルドはそんなことを言っていたのか。



 少しだけ複雑な気持ちになりつつ、この体で女性に触れるとどうなるんだろうという好奇心に突き動かされ、さり気なく彼女の手を握る。柔らかかった。不思議だ。自分の手がごつごつしてて骨ばっているから、女性の手が柔らかくて気持ちいい。あと華奢。いつもとは違って、女性が可愛く見える……。



「あっ、あの? アーノルド様、その」

「すみません。駄目でした? 放しましょうか?」

「いえ、このままがいいです……でも、ただでさえあの日から貴方の魅了にかかっていて……忘れられないのに。こんなことをされたら、その、もっと……」

「すみません……ええっと、弄ぶつもりは無かったんです。不誠実でしたね、貴女に対して」



 やっべと思って放してみると、すかさずこちらの手を握ってきた。ひえええ……ごめんなさい、レイラです。おそらくは心の中で「邪魔臭ぇな、こいつ」と思っていた女です……。何も言えずに黙って歩き、トップライトと木目調のテーブルがナチュラルな雰囲気の店に入り、その混みように驚く。



「あっと、しまったな。並ぶか……」

「アーノルド様、こちらにどうぞー!!」

「「どうぞー!!」」



 店の奥のテーブル席に座ろうとしていた女子高生らしき三人が、真っ赤な顔で声を張り上げる。びっくりした、お腹から声を出しているよ、この子達……。渋々と歩み寄ってみると、「はわわわわわあ~!!」と歓声を上げる。耳が痛い……。



「ありがとう。でも、いいのかな? 君達も座って食べたいだろうに……」

「いっ、いいいいいんです!! あのっ! サインください! 握手してください!!」

「それだけでいいんで!! あとじろじろ見てもいいですか!? 数分間だけでも!!」

「お願いします、お願いします!!」



 す、凄い。流石はアーノルドだ。そして楽しい。滅茶苦茶楽しい。春じゃん、これ。物凄く楽しい……!! 真っ赤な顔の可愛い女の子達に笑いかけ、「いくらでも喜んで。こんなことでいいのなら」と言って差し出してきた手をぎゅっと握り締める。その瞬間「びゃっ!!」と変な声を上げた。もしもーし、どこから出してるのかな。その声……。



(たっ、たのし~。は~、戻りたくな~い、便利~、この体~!)



 あっという間に店内の客が群がってきて、一緒に写真を撮ったりサインをしたり(彼はいつもイニシャルだけを書いているので真似るのが楽だった)、ハグやキスをしたりして楽しむ。うん、凄い。流石はアーノルド様だ……。



「あっ、あの……」

「ああ、すみません。申し訳ない……俺も俺でちょっとこの女性と話があるので。もうそろそろ」

「えっ!? 浮気!? 浮気ですか!? エディさんに取られたの!?」

「火炎の悪魔の勝利!? 勝利なの!?」



 目の前の若い女の子達に勢い良く詰め寄られたので、顎に手を当てて思案してからその髪にさらりと触れる。その女の子が茶色い瞳を限界まで開き、鼻の穴を広げていた。す、すげぇな……。



「内緒です。あんまりこうやってしつこく聞いてくるようなら……あっ、倒れた。しまったな……」

「救急車ああああああっ! ちょっ、鼻血噴いてる!! どうしよう!? リア! リア! あんた、アーノルド様の前で鼻血噴いて倒れてるよ!? しっかりしてーっ!?」



 うーん、やり過ぎたかもしれない。見ると辺りにもそんな失神者が大量に出ていたので、背筋がぞっとしてしまった。アーノルド本人じゃないから、魅了の力は無いはずなんだけど……。



(凄いな、アーノルド様は……外見だけで人を失神させる……うーん、落ち着かないなぁ。視線が突き刺さってくる)



 全方向から見られているので、一挙一動に集中しなくてはならない。気が抜けない。それに「私」がぶれて揺れ動いているような気がする。男性の体に男性の言葉使いをしていると、何だか妙な気分になってきた。引き摺られる。頭がくらくらとしつつも、「救助の邪魔になるので!」と救急隊員に押しのけられて奥のテーブル席につく。



 いつもは愛想が良い男性から、急に敵意を向けられてびっくりしてしまった。



(男性に、あんな顔で見られたのって初めてだな……ああ、そうだ。ちゃんと話しておかないと、フェリシアさんと)



 向かいの席に座ったフェリシアと楽しく喋って、パスタを食べて寛ぐ。しかし、人の目が気になって落ち着かない。座り直す度、「あの仕草が素敵……!!」とか「指が長い、やばい、彫刻みたい……!!」とか言われてしまう。



「すみませんね、フェリシアさん。俺のせいで凄い騒ぎになってしまって……」

「い、いえ。あの……」

「はい? どうかしましたか?」

「やっぱりまだ、その、レイラさんのことが好きなんですか……?」



 アーノルドが私のことを? 



(薄々気が付いてたんだけど。多分、私のことが本気で好きだって……)



 きっと、そう言ってフェリシアのことを振ったんだろう。泣き出しそうな顔で見つめてくる彼女に優しく笑いかけ、ゆっくりと頷く。



「俺もそろそろ、他の女性に目を向けるべきだと思ったんですが……どうにも上手くいかなくって」

「あの時もそう言ってましたよね……やっぱり駄目ですか? 私じゃ。あれからその、ずっとずっと忘れられないんです。貴方のことが……レイラさんに思わず殺意が向くぐらい」

「申し訳ないが。そんなことを言って、脅してくるような女性とお付き合いは出来ません……それにエディと結婚してもレイラは俺の大事な家族です。妹です」



 多分、アーノルドならこういった感じのことを言うんだろう。目の前のフェリシアが泣き出し、暗く俯いてしまった。ああ、一体どうすれば……?



「あっ、あの。俺、フェリシアさん……」

「分かりました。もういいです……ごめんなさい、馬鹿なことを言って困らせてしまって」

「いえ……俺の方こそすみません。不誠実でした、貴女に対して……」



 とりあえず恨みを買いたくないから、不誠実を連発しておこう。そうしよう。冷たい檸檬水を口に含んでいると、フェリシアがぞっとする程に虚ろな瞳でこちらを見つめてきた。



 思わずむせそうになってしまったが、曖昧に笑ってグラスをテーブルへと置く。蟹と海老のクリームパスタなのに味がしない。怖い。



「でも、好きです。アーノルド様……それだけは覚えておいてください……」

「はっ、はい。覚えておきますね、ありがとうございます……」



 何と言ったらいいのかよく分からず、黙り込む。口の中にはほろ苦い檸檬の味わいが広がっていた。舌先が渇いていて、水を飲んだそばから渇いていくかのよう。



(……ああ、そうか。アーノルド様はいっつもこんな孤独感と緊張を味わっていたのか……私、便利に使いすぎたかも。ちょっとは優しくしよう、そうしよう……)












 乗り換えるため、列車から降りた途端エディがぼやく。折角の旅行だと言うことで(任務だと言い聞かせたが聞かなかった)、列車内で売っていたスナック菓子を買って腕いっぱいに抱えている。




「ああ、レイラちゃん……俺のこと、思い出してくれてるかな?」

「お兄ちゃん、次はこっちだから早く来て。ほら」

「なぁ? どう思う? オリー……レイラちゃんはちゃんと俺のことを思い出しているかな? 今頃、兄上と一緒にご飯を食べている最中かな……どうしよう? やだなぁ~、悲しいなぁ~」

「いいからさっさと歩いて! 邪魔になるでしょ、人の!」



 落ち込むからエディには言わなかったが。アーノルドが紫色の両目を閉じ、すんと鼻を鳴らす。



(あいつは絶対に俺の体を楽しんでやがる……お前のことなんて思い出しもしないだろうよ、エディ。どーせまたくだんないことをしているんだ、あいつは)



 ぐだぐだとぐずって落ち込んでいるエディの背中を押して、人混みの中を歩いてゆく。雑踏に紛れて聞こえないだろうと思い、口にした。



「大金を賭けれるぞ、俺は……絶対にあいつはお前のことなんか考えてない!」

「ええええええーっ!? そんなああああっ! お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に行くのやめて帰る!! 帰ろう!? オリー!」

「絶対に駄目! いいから行くよ、お兄ちゃん! さっさと前を向いて歩く! 乗り遅れるでしょ!」










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