13.一等級国家魔術師としての責務
「……それで? アーノルド君、エディ君。招集に応じない理由は?」
「別に……剥奪されてもいいと思って。面倒臭いし、一等級やめて二等級になろうかなって」
「俺もアーノルドと同じく……レイラちゃんの傍離れたくないし、任務とか面倒臭いし……」
(この男どもは……)
一応この魔術トラブル対応総合センターを総括している人物、ルドルフ・バーンズがにっこりと甘く微笑んで二の腕を組んだ。彼は滑らかな茶髪と茶色の瞳を持った男で、スーツの上から黒いロングコートを羽織っている。彼がどうして今回、わざわざ日常魔術相談課までやって来たのかと言うと。
「君達は一体、今年でいくつになるのかな? 本当にいいのかな、このまま剥奪してしまっても?」
「いいですよ、別に。構いませんよ? 毎年更新に行くのにも疲れました。あと年々、俺への嫌がらせが酷くなってきています。試験官達が躍起になって俺を二等級に落とそうとしてくるんです。どうぞ改善を、バーンズさん」
「……そういう所は本当に。父親譲りだね、アーノルド君」
その言葉にアーノルドがぴくりと眉を動かし、アーノルドのデスクにもたれているエディが不思議そうな顔をした。実はルドルフとハーヴェイは同級生で、非常に仲が悪い。だからかハーヴェイの息子であるアーノルドを見据え、ぴりぴりとした空気を出している。エディがそんな二人を無視して、首を傾げた。
「俺……更新試験に行ってませんけど。まだ保持出来てるんですか? 剥奪しちゃってください、もう。面倒臭い」
「更新試験は春先だよ、エディ君。きちんと受けるように……女王陛下からのお達しだ。君は我がエオストール王国の英雄なんだからね?」
「帰ってください、今すぐに……あとそれから何も知らないんです、レイラは。余計なことを言わないでください」
そこでルドルフが驚いた顔で振り返り、デスクに座った私を見つめてくる。その見開かれた茶色い瞳に怯え、思わず肩を揺らしてしまった。この人は苦手だ、何となく。人を身構えさせるような色気を纏っている。
「……知らないだって? 全部? あのことも? そうか、ハーヴェイが記憶を消したのか……」
「ルドルフさん、いい加減にしてください……ここには俺の部下もいるんですよ? 今すぐ帰ってください、招集には応じない」
「やれやれ、随分と嫌われてしまっているな……エディ君? 昔のことは水に流してくれないかな? 私だって好きでやっている訳じゃなかった。分かるだろう?」
驚いたことにアーノルドが椅子から立ち上がって、その紺碧色の腕を伸ばした。エディだ。エディを庇っている。エディが戸惑った顔で────いや、どちらかと言うと青白い顔でルドルフを見つめていた。殺気立つアーノルドとは裏腹に、ルドルフが甘い笑みを浮かべる。
「協力。して貰えるかな? アーノルド君、エディ君」
「……俺だけというのは? 言っちゃ悪いが今いち信用出来ない……エディにまさか、ルートルード関係の任務を任せようと?」
「安心するといい、ルートルード関係では無いから……ただ、そうだね? あんまりにも君達が頑なだと、そっち関係の任務をこなして貰うことになりそうだ」
「俺の父に言いつけますよ、あんまり嫌がらせをしてくるようなら」
その言葉にひょいっと肩を竦め、人を馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「その年にもなってパパに言いつけるよ、とは……アーノルド君もアーノルド君で中々に可愛らしいね?」
「俺は本気ですけど? 今夜にでも言いつけましょうか? 貴方の屋敷に喜んで飛んで行きそうだ。久しぶりに同級生と親交を深めたいと言ってね?」
「……まぁ、それはさておき。分かった、私もハーヴェイに突撃されるのは困る……謝ろう。そしてエディ君? 君にしか頼めない任務があって、」
「泊まりですか? 日帰りで済むのなら行きますよ?」
「お前な、そんな旅行みたいに言うなよ……」
エディがどこからか手帳を取り出して、ボールペンをカチカチといわせている。そして真剣な顔で開いた手帳を見つめ、「来週レイラちゃんとデートの約束があるんですけど……任務とか入れたくないな~、嫌だな~」と呟く。一斉に全員がこっちを見た。やめて欲しい、エディとデートするんだみたいな顔で見てくるの……。さっと顔を逸らして手元の領収書を眺める。経費計算で忙しいのだ、私は。
「それで? 日帰りですか? 来週の金曜日だけは避けて欲しいんですけど?」
「ああ、秋の収穫祭に行くのか……私は今夜にでも行って欲しいと思っているからね? 君達がしつこく無視をするせいで何かとスケジュールが滞ってる……まぁ、明日の朝でどうだろう? 元々その予定だった」
「えーっ!? 明日の朝かぁ~……急だなぁ。何泊ですか? 夜行バス?」
「だから旅行みたいに言うなって……でも、他国ですか? 自国ですか?」
「他国での任務だよ、アーノルド君。その辺りは仕事が終わった後にでも詳しく。迎えに来るから勝手に帰らないように。いいね?」
ルドルフが釘を刺すと、二人は揃って嫌そうな顔をした。
「は~い……面倒くさ。レイラちゃん連れて行きた~い」
「あーあ、嫌だなぁ。面倒臭い。あーあ、嫌だ嫌だ……」
「……これも一等級国家魔術師としての責務だよ。普段から何かと優遇されているんだし、きっちり働きなさい。いいね?」
「だから剥奪してくださいって言ってんのに……俺、更新試験で嫌がらせされんのやだ……」
「されないから行くように……」
「されたされた。俺がされんだからエディ。お前はもっとされるぞ? 鬱陶しいからな、あいつら。あの手この手で俺の集中を削ごうとしてくる……」
「え~、やだなぁ。やだ~。行きたくな~い……」
ぐだぐだと言う男二人に嫌気が差してしまったのか、甘い微笑みのままで口を閉ざす。でも多分、あれはかなり怒っている。そんなルドルフが二人に別れを告げ、部署から出てゆく。その背中を追いかけると、背後でエディが「レイラちゃん!? ちょっと待って!?」と言ってきたので、「お手洗いです! ついて来ると変態扱いして二度と口を聞きませんよ!?」と言ってみると、「そんな!」と叫んで椅子に座り直した。便利だ、このフレーズ。
「っは! ちょっと待って下さい、ルドルフさん……!!」
「……レイラ嬢。久しぶりだな……ああ、でも本当にメルーディス嬢によく似て」
お母様に? そんなことを言われたのは初めてだ。私は父譲りの黒髪と紫色の瞳を持っているから。瞠目して見上げてみると、ルドルフが痛みに耐えるような微笑みを浮かべた。
「ハーヴェイ辺りはエドモンにそっくりだと言って騒ぐんだろうが……違うよ。その真面目で融通が利かなさそうな雰囲気はメルーディス嬢そのものだ……そっくりだな、本当に」
何故か細められた茶色い瞳にねっとりしたものを感じて、思わず後ろへと下がってしまう。この人、いつもはこんな目をしないのに。足の先から頭の天辺まで、舐め回すようにじろじろと見られているような気がする。
「……あの、私。ルドルフさんに聞きたいことがあって」
「何だい? ……俺が知っていることであれば何でも話そう、君に。レイラ嬢」
「じゃあ、さっき……ええっと、まずはエディさんの過去を。ルドルフさんは知っているんでしょう? 私がエディさんに何をしたのかを……全部知りたいんです。ああ、でも時間が」
「時と場所を変えて話そうか、レイラ嬢。いつ空いてる?」
「えっ、ええっと……」
まさか二人きりで? 奥さんにも悪いしそんなことはしたくない。
(それに父親ほど年が離れているし……そういった目で見ていることは有り得ないと思うんだけどな)
私の考えすぎだろうか? 戸惑って見上げてみると、にっこりと微笑んで肩に手を乗せてきた。ねっとりと湿度を帯びたその仕草に、ぞわりと背筋が粟立つ。この人、多分お母様のことが好きだったんだ。反射的にそう感じた。
「俺の屋敷においで、レイラ嬢。歓迎しよう。妻も喜ぶ」
「っですが、父と婚約者に怒られてしまいそうなので……」
「ハーヴェイには黙って来るといい。適当に友達の家に遊びに行くとか言って……君の一番の敵はハーヴェイだろう」
「それは……一体。ハーヴェイおじ様が私の敵?」
いっそう甘い微笑みを深め、少しだけ近寄ってきた。後ろへと逃げたい気持ちでいっぱいだったが、肩をぐっと押さえ付けられていてそれも出来ない。ルドルフが耳元に顔を寄せてきた瞬間、ぼっと何かに火が点くような音がした。ルドルフが「っぐ!」と低く呻き、こちらから手を離す。
後ろを振り返ってみると、剣呑な顔をしたエディが立っていた。鮮やかな赤髪を揺らし、こちらへとやって来る。
「そんなところで一体何をしているんですか? ルドルフさん。俺に殺されたいんですか?」
「っエディさん、あの……」
「参ったな、こんな所で君に暴走されると困るんだが……!!」
驚いたことにルドルフが焦った表情で私を抱き寄せ、エディに手をかざす。氷の粒のようなものがぶわりと舞って、エディを包み込んだ。しかしエディが腕を振ると収まり、からんからんと氷で出来た矢が床へと落ちる。まさかとは思うが、ルドルフはエディを殺すつもりなのか。その鋭い矢の先端を見てぞっとする。
「ルドルフさん、お願い、やめて……!!」
「それを言うべきは“火炎の悪魔”にだよ、レイラ嬢! 落ち着くように言って……」
「落ち着ける訳が無いだろう、ルドルフ」
「っ!? これだからドラゴンの血が混じってる奴は……!!」
淡い琥珀色の瞳孔が縦に裂け、まるでドラゴンのようになっていた。そんなエディが勢い良く迫ってきて、がっとルドルフの首を掴んで絞め上げる。あまりの事態に硬直してしまったが、何とか声を振り絞って叫んだ。
「エディさん! お願い、やめて! その人を殺さないで!!」
「っレイラちゃん……」
エディが大人しく手を離し、泣き出しそうな顔でぎゅっとこちらを抱き締めてくる。みっ、見えない……ルドルフは無事なんだろうか。
「っは、助かった……エディ君。誤解だよ、俺は」
「何がですか? 彼女は怯えていた……あんな至近距離で話す必要、本当にありました?」
「……それは」
「今すぐセンターから出て行ってください……二度と彼女に近付かないでください。今度は殺しますよ、お返しも兼ねて」
「悪いな、エディ君にレイラ嬢。怖がらせてしまって」
エディの腕の中から振り返って見てみると、痛みに歪んだ顔でこちらに腕を伸ばしていた。その虚ろな茶色い瞳が私ではなく、お母様を映しているような気がしてぞっとしてしまう。怯えているとエディがその手を叩き落とし、舌打ちをした。
「いい年こいたおっさんが……やめろ、気色悪い。彼女に触れないでください。その腕、へし折りますよ?」
「……気が向いたらいつでも来るといい、レイラ嬢。エディ君の全てを教えてあげるから、俺が。君に」
「それは、ルドルフさん」
「耳を貸さなくていい……レイラちゃん。こいつは何も知らない。何一つとして理解していない」
ルドルフがネクタイを整え、溜め息を吐く。色っぽい仕草だったが、いつものように魅力的な人だとは思えなかった。それまで穏やかだった茶色い瞳を濁らせ、くちびるを歪めて笑う。
「エディ君も可哀想に。いつまで経っても報われないね? 君の叔父上と叔母上もさぞかし嘆いていることだろうよ、あの世で」
「っいい加減に」
「いい加減にして下さい、ルドルフさん……もう、それ以上何も言わないで下さい。ちくちくとエディさんに嫌味を言わないで」
「……める、レイラ嬢」
メルーディスとそう言いかけ、泣き出しそうな顔をした。しかしゆるりと頭を振って、次の瞬間にっこりと微笑む。しかし目元が引き攣っていた。その茶色い瞳は仄暗く、痛みと執着に歪んでいる。
「悪かったね、レイラ嬢……またいつかこの穴埋めをしよう。それじゃあ、二人とも。仕事に戻りなさい。今は業務時間内だからね。それじゃ」
「あなたが余計なことをしなければ、俺達だって黙って働いていましたよ? それじゃあ、またが無いことを祈ります。さようなら」
黒いコートの裾を揺らして、長く続く廊下を黙って歩いてゆく。その後ろ姿を見送った後、どっと力が抜けた。エディにもたれると、困ったように溜め息を吐いて支えてくれる。
「良かった……何も変なことされてない? 大丈夫?」
「はい……信じられません。あんな、あんな……あの人、娘さんもいるのに。私とそうさして変わらない年齢の」
「ああいう奴はどこにだっているよ……気をつけて、レイラちゃん」
エディがこちらの黒髪を両手で絡め取って、私のつむじにキスを落とした。イチャイチャしていても経費計算が終わる訳じゃないので、エディから離れて部署へと向かう。エディが慌てて追いかけてきて、隣に並んで歩き出す。
「あの、俺……追いかけてきてごめんね? レイラちゃん。一生口聞かない? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫ですよ。あれは嘘なんで……あーあ、もう。あの人がエディさんの過去を二言ぐらいで説明してくれたらな~。早く終わったのにな~」
「二言……二言では流石に終わらないかな……」
「ですよね~。あ~あ、面倒臭い。エディさんの過去暴くの」
「あば、暴かなくてもいいよ、レイラちゃん……そっとしておいて欲しいな~?」
「可愛く言ったって無駄ですよ、エディさん。仕事仕事~、面倒くさーい」
「ああ、憂鬱だ……憂鬱だ」
「アーノルド様……」
「特に貴方が来るとなったら憂鬱だ……サイラスさん」
アーノルドの寝室にて、サイラスと喋っていた。明日の用意をしているアーノルドが銀灰色の瞳を虚ろにさせ、光っている魔術手帳を見下ろす。
どうも連絡先を交換してから(エディが勝手に教えた)、毎日のように電話がかかってくるらしい。それで二時間ほど話し込んでいると言うのだから、普通に仲良しだと思う。お友達だと思う。青いチェック柄のパジャマの上から、白いガウンを羽織ったアーノルドが溜め息を吐く。話をしていても、手は動かしたままだ。
寝台の上に広げたトランクに下着や服を詰め込み、淡々と手を動かしてゆく。
「まぁまぁ、そう嘆くなって! 君とエディの代わりに、俺がレイラ嬢とイチャイチャしとくよ」
「シシィも行くんで、明日。二人きりにさせる訳が無いだろうが……!!」
「え~? じゃあ両手に花だな~! 申し訳ないな~! 君らがせっせと任務をこなしている間に俺はシシィちゃんとレイラ嬢とデートかぁ~、申し訳ないなぁ~!」
「もう一度ぶん殴りますよ、サイラスさん。余計なことしたら消し炭にするんで。よく覚えておいてください」
アーノルドが舌打ちをして魔術手帳を睨みつける。手帳の向こうでサイラスが低く笑い、甘い声で歌うように告げた。
「まぁ、落ち着けよ。アーノルド? レイラ嬢には何も、余計なことを言わないさ……」
「だといいんですけど。俺は全部エディに任せているので」
「だから俺もエディに任せて全部黙っておけって? 意外と甘いなぁ、アーノルド君」
「切りますよ。いいですか?」
「わ~っ、待って待って!? エディが今日も構ってくれないんだよ!! 俺に荷造りを全部任せて寝ちゃったし!」
「あいつ……やれよ、それぐらい」
アーノルドは低く呻いていたが、私は胸がきゅんとしてしまった。可愛い……全部お兄さんに任せて寝ちゃったんだ。白いネグリジェ姿のレイラが身を乗り出し、魔術手帳に向かって話しかける。
「ねっ、ねぇねぇ、サイラス様? エディさん、本当に寝ちゃったんですか? サイラス様に任せて?」
「寝ちゃったよ~、寝顔が本当可愛い。写真に撮って明日持ってってやろうか? レイラ嬢?」
「いや……別にいらないし」
「明日会うのやめたらどうだ? レイラ。どーせそいつ、口を割らないだろ……」
「とりあえずレイラ嬢を洗脳しよっかな~、エディの魅力をとことん語り尽くす! 三時間ぐらい!」
「やめてください。余計なことすると殴りますからね、また」
(殴りはしたんだな、以前……)
サイラスが私を襲ったことをまだ根に持っているのか、アーノルドの声が刺々しい。サイラスは何も気にせずに「あれだよね~! お前、怒ると本当に怖いよね~!」と言って笑っていた。最強メンタル双子……。
「まぁ、とにかく。ショッピングモールで二時に待ち合わせでしたっけ?」
「うん、お昼ご飯一緒に食べたかったんだけど。お前とレイラ嬢に却下されたからそれで」
「当たり前です。駅でエディと落ち合ってその後、」
「あ、送って行くとか本当にいらないですよ。アーノルド様。エディさんとサイラス様とアーノルド様が並ぶと酷いことになるんで。いいです、もう」
「お前な、レイラ……」
「じゃあ俺が明日の朝、レイラ嬢を寝室まで迎えに行こっか?」
「切ります。さようなら」
「あっ」
ぱたんと魔術手帳を閉じて、寝室に沈黙が落ちる。アーノルドが深い溜め息を吐き、草臥れた顔でこちらを見つめてきた。
「じゃ、俺は一日いないから……気をつけて。レイラ」
「はい。迎えに行きますね、サイラス様とセシリア様の三人で」
「ああ、土産を買ってくる。どうにも任務が厄介そうで、今から気が滅入るな……」




