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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
88/122

12.魔術ミュージアムと“火炎の悪魔”とのダンス

 






 エディが物凄く調子に乗っている。レイラは眉間に皺を寄せ、その後ろ姿を睨みつけていた。秋らしい陽射しに赤髪が輝いて揺れ、首都リオルネの街並みを彩ってゆく。灰色の石畳に歴史ある建物が立ち並ぶ、風光明媚な街にエディが現れるとぱっと華やぐ。……ような気がする。それともこれは、私が恋しているからだろうか。



 私だけが世界をそんな風に見ているんだろうか。



(ああ、好きだって言うんじゃなかったな……)



 好きだって言わなかったら、エディだってきっともっともっと優しくしてくれたのに。いや、彼は今でも優しい。それなのにどうしてこうも不安に襲われてしまうんだろう。



(大事なことを何一つとして、教えてくれないからだ……)



 口では私と結婚したいと言うくせに、大事なことはすっかり背中に覆い隠してしまって。「大丈夫だよ、レイラちゃん」と言っていつもの甘い微笑みを浮かべる。信用出来ない。そんな人とは結婚出来ない。耐え切れなくなってその後ろ姿に声をかけた。今日は暇だ。穏やかな平日の午後で誰も声をかけてこない。



「ねぇ、エディさん? ちょっといいですか?」

「ん? どうしたの? レイラちゃん。ほら、あそこでカモがパン食ってるよ。誰かから貰ったのかな~」

「あっ、本当だ……じゃなくって!」



 何かを聞こうと思ったのに、言葉が出てこなくって。そのまま黙り込んで川沿いの手摺りにもたれて、きらきらと輝いている水面を見つめる。今日のリーヌ川は穏やかに静まり返っていて、本当に美しかった。後ろの街路樹が黄色と赤の葉を落とし、水面を秋色に染めてゆく。エディと同じ赤色の葉を見てときめいてしまった。ああ、重症だ。本当に。隣のエディが低く笑って、少しだけ近寄ってくる。



「ねぇ、レイラちゃん? 俺のこと好き? 大好き?」

「大好きとまでは言ってません! でも、その……」

「好き? だよね~、レイラちゃんは俺が他の女性に愛想良くしているのを見るだけでモヤモヤしちゃうんだもんね~?」

「うっざ、鬱陶しい……最近ちょっと調子に乗りすぎじゃないですか、エディさん。川の中に頭突っ込んで沈めますよ?」

「そういうところは相変わらずなんだね、レイラちゃん……おかしいな」



 エディが困惑気味に首を傾げ、「ちょっとよく分からないな……本当に俺のこと好き?」と聞いてきて不安そうな顔となる。そうだ、エディはそれでいい。ずっとずっと、そうやって不安に苛まれていればいいのに。気分が良くなってくちびるの端を持ち上げ、手摺りを両手で掴む。ひんやりとしていた。秋の温度が中まで染み込んでいる。



「好きですよ、エディさん。でも初恋だし、」

「初恋……えっ!? 本当に!? でもレイラちゃんはその、アーノルドとある程度いかがわしい関係っていでっ!?」

「すみません、動揺して思いっきり肘で殴っちゃいました……」

「いや、まぁ、うん。てれ、照れ隠し……? 違うな、殴られ損だ」

「殴られ損……ま、まぁ、いいや。それはうん」



 二人で黙り込んで秋の水面を見つめる。観光客を乗せた遊覧船が流れていって、同時に溜め息を吐いた。



「あの……私。アーノルド様とは最後までしていないというか……すみません。ちょっとその赤髪、毟ってもいいですか?」

「レイラちゃん、顔真っ赤じゃん……照れると俺に暴力振るタイプ? いや、でもそれはちょっと嬉しくないかも……ごめんね?」

「いや、嬉しいと言われた方が困るので大丈夫です……正常です」

「そっか、正常か……」



 何だろう、この空気は。やたらとぎくしゃくしてしまう。そろそろ仕事に戻りたいのに。紺碧色の袖を捲って腕時計を確認してみると、十一時四十六分だった。うーん、微妙……。



「今日はもう、依頼入らないんですかね……」

「あー、どうだろ。平日は少ないよね……真夏は本当に色々あって忙しかったんだけど」

「クーラーの修理とか買出しとかね……色々ありましたよね」

「ね、あったよね……」



 またそのまま黙り込む。一体どうしてだ。私が気まずくなるならまだしも、どうしてエディが気まずそうに黙り込むのか。よく分からなくなって、そのまま黙って水面を見つめていると、エディがようやく話しかけてきた。



「初恋って本当? レイラちゃん……俺はてっきり君がアーノルドのことを好きなんじゃないかって」

「いや、違いますよ……その、エディさんに感じるようなときめきをえーっと、感じたことがないので。アーノルド様には」

「あっ、ふーん。そうなんだ……」

(このポンコツ男め……)



 どうもエディは本気で照れると口数が少なくなるらしい。今も顔を真っ赤にして黙り込んでいる。経験豊富みたいな顔して、何故ひたすらそこで黙り込むのか……。



「エディさん、その。エディさんは一目惚れって言ってましたけど。その、本当は……」

「一目惚れだよ、レイラちゃん。街を歩いている君が本当に可愛くって」

「うわ、嘘くさ……」

「レイラちゃん……本当なんだけどなぁ」



 困ったように笑って水面を覗き込む。ああ、その横顔が本当に格好良くてどきまぎしてしまう……。睫が長い、触れたい。あとお肌がつるんってしてるの何……。端正なその顔を見て、どうしようもなく触れたくなって手を伸ばす。



 エディが驚いたように振り返って、淡い琥珀色の瞳を瞠った。どうしていいのかよく分からずに、とりあえずその赤髪を指で梳かす。もしかしたら、エディもこんな気持ちだったのかもしれない。



 さらりと、指の間から艶やかな(つや)赤髪が滑り落ちていった。



「……レイラちゃん? どうしたの? 何か付いてた? 俺の髪に」

「エディさん、好きです。好きだからこそ教えて欲しい、この魔術だって解いて欲しい……」

「レイラちゃん、それは」

「私の記憶を消したの、エディさんですか? それともハーヴェイおじ様ですか?」

「……レイラちゃん。それは」



 少しだけ、ハーヴェイを怪しく思っていた。エディの話題を出すと途端に不機嫌になるし、「レイラはアーノルドと結婚するんだよな? なっ?」としきりに聞いてくるから。じっと見上げていると、エディが呆然としていた。やがて深い溜め息を吐いて、困ったような顔で笑う。



「レイラちゃん……申し訳ないけどあまり聞かないで欲しいなぁ。でも俺は君を騙そうとなんかしていないし、」

「アーノルド様と結婚しますけど? いいんですか? それでも」

「うっ、うーん……物凄く脅してくるね? 困ったな、どうしよう」



 あまり困っていなさそうな様子で苦笑し、ふと淡い琥珀色の瞳を細めてこちらを見つめてくる。あ、スイッチ入ったなと何となく思った。エディはたまに、どきりとするくらい妖艶な雰囲気を纏う。兄譲りの色気なんだろうか。こちらに腕を伸ばし、顔をそっと近付けてくる。



「レイラちゃん……本当に本当に知りたい? でも俺はちゃんと君のことが好きだよ、それに」

「お昼っ! お昼ご飯食べに行きましょうか! エディさん! ねっ!? ねっ!?」

「えっ、早……あの、レイラちゃん? 俺」

「ご飯食べに行きましょう! ほらっ! 早くっ!!」



 ああ、駄目だ。心臓に悪い。至近距離でのエディの瞳や息遣いを思い出して死にたくなった。どうしよう? ひとまずはその背中をぐいぐい押して歩く。しかし通行人に訝しげな顔で見られたので、その手を慌てて離してエディの隣に並んだ。



「あっ、あの……すみません。でも、エディさんが必要以上に近付いたりするから逃げたくなっちゃって」

「俺のこと好きなんだよね? レイラちゃん」

「えっ、あっ、はい。照れ隠し? です。多分……」



 勇気を出して肯定してみたのに、淡い琥珀色の瞳を瞠って真っ赤な顔になった。そして、ふんわりと本当に嬉しそうに微笑む。ああ、やばい。可愛くて格好いい……。



「ありがとう。良かった……その、来週まで待てないから俺と一緒にデートに行かない? 今日、仕事帰りに」

「うっ、うーん。でも帰りは……」

「俺が屋敷まで送って行くよ、大丈夫。でも、ジルさんに言ったら黒鳥馬車で迎えに来てくれそうだよね……」

「エディさんがどうしてもジルさんに会いたいと言うのなら、そうしますけど?」

「いや……うん。ちょっとやめておこうかな? 遠慮しておくよ……絶対絶対睨まれると思うし。保護者感が強い……」












「わ~、どうしよう? 変な所無いですか? アーノルド様?」

「大丈夫だから行ってこい。あとちょっと言ってもいいか? デリカシーが無さ過ぎる! お前、一体俺のことを何だと思って、」

「便利な婚約者! じゃっ、行ってきまーすっ!」



 怒られる前に廊下を全力で走る。すると後ろの方から「転ぶぞ! 気をつけろ!」と叱責が飛んできた。何もかもがどうでも良くなって走って走って、待ち合わせ場所へと向かう。



「あれっ? レイラちゃん。約束の時間までまだ、あと十三分十六秒あるけど……」

「あいっ、相変わらずですよね、そういうところは……」



 ぜいぜいと肩で息をしていると、低く笑って背中を擦ってくれた。ここはセンターから少し離れた時計台の広場で、白と灰色のモザイクタイルが街灯に照らされて艶々と光っていた。空気はきんと冷えていて、頬を赤く染めてゆく。家へと帰る人々が賑やかに歩き、通り過ぎていった。



 ようやく息を整えて見てみると、エディは白いシャツの上からゆるっとした黒いカーディガンを羽織っていた。斜めがけにした鞄が可愛い。きゅんとしてしまう。しかし、途端に自分の服装が恥ずかしくなってきた。デートすると分かっていたら、もう少しちゃんとしたワンピースとか着てきたのに。



「エディ、エディさん、あの……」

「可愛い~、レイラちゃん物凄く可愛い……これカチューシャ? 可愛い、そういうのもよく似合ってる……」



 にこにこと笑って褒めてくれたので、途端にぱっと明るい気持ちになれた。我ながら単純だ。でも良かった。黒いリボンカチューシャを付け、ボーダーTシャツの上からデニムジャケットを羽織ってスカートを履いているだけだが。エディがそっと遠慮がちにこちらの手を握って、淡い琥珀色の瞳を煌かせる。



「可愛い。勿論、いつものワンピース着てるレイラちゃんも可愛いんだけど……リラックスした雰囲気だから新鮮。デートしてるみたいだ……」

「いや、一応デートですけどね。これ……」

「や、なんかこう……付き合ってるみたいで? だからかな、嬉しい」



 エディの温かい手を握り締め、笑い合う。ああ、良かった。最近のひりついた空気が霧散して、ほっと柔らかく笑い合える。まだ何も進んでないけど。何一つとして問題も解決してないけど。



「まだ晩ご飯には早いよね、レイラちゃん……えーっと、どうしようか? ノープランなんだけど」

「エディさんが前から私と行ってみたかった所とか……」

「カップルで行くのがおすすめの香水店。好みの香りをヒアリングしてくれて二人だけの香水が作れるんだって。あとのんびりお酒を飲んで小説が楽しめる個室付きのお店。それから夜にしか開かない水族館。そこのライトアップと音楽が幻想的らしくって、」

「物凄く出てきましたね、エディさん……さては、雑誌を読み込んでいましたね?」

「レイラちゃんに振られっぱなしの中、本屋で雑誌を買い込んで下調べしてました……」



 疲れたように笑うエディと手を繋いで歩く。灰色と白のモザイクタイルの上を歩くと、こつこつと音が鳴り響いた。その手を握り返してみると、ふと顔を上げてこちらを見つめてくる。



「でも、いいのかな……全部が報われたって思って」

「エディさんが全部話してくれたら結婚します。以上」

「頑なだね、レイラちゃん……ま、いっか。好きになって貰ったみたいだし」



 嬉しそうに微笑んで上を向くエディを見て、複雑な気持ちになってしまった。どうしよう、やっぱり言わなきゃ良かったかも。でもエディがまた、他の女性を口説き出したら嫌だしな……。ぐるぐると考え込んでいると、エディが息を吐き出して低く笑った。



「俺が行きたいところは沢山あるけど……レイラちゃんは? どこに行きたい?」

「私……魔術ミュージアムに行ってみたいです。いいですか? ここからはちょっと離れてるけど」

「ああ、あそこか。いいよ、勿論。全然。行く途中に雑貨屋さんあるから寄って行こうか。サシェ買おう、サシェ」

「あっ、忘れてた……」



 もう悪夢は見ないし、買わなくても大丈夫と言いかけたが。エディに何か買って貰いたいと思って口を噤む。そうだ、して貰うばっかりじゃ申し訳ないから。



「あの、エディさん。欲しいものってありますか……? こう、プレゼント交換みたいな感じで」

「婚約指輪と結婚指輪。お揃いの。出来れば十八金のやつ」

「もっと軽いものでお願いします。カード払いしなくて済むやつ」

「じゃあ、即金で……」

「そういう問題じゃないです、エディさん。そういう問題じゃない……」

「銀行どこだっけ? しまったな、この辺りには詳しくないから……」

「落ち着きましょうか、エディさん。踏み潰しますよ、爪先」

「ごめんなさい……」












 そのまま十五分ほど歩いて、分厚い硝子扉を開いて駆け込む。どうやら閉店間際だったらしく、いつかの優しげな雰囲気の店員さんがモップを手にして立っていた。彼女が栗色の瞳を瞠って、首を傾げる。



「えーっと、あの。お客さんですか……?」

「あっ! すみません! もう閉まっちゃうところですかね……!?」

「俺の彼女を連れてきたんですけど! その節はどうもありがとうございました!!」

「早い! 調子に乗らないで下さいよ、エディさん!?」

「いでっ!? ごめん! ちょっ、息整える……!!」



 二人してぜいぜいと息を荒げていると、店員さんが笑いつつモップを片付けに行った。申し訳ないな、閉店作業をしていたのに。



「ふふっ、大丈夫ですよ? レジはまだ閉めてないので……今日はお客さん少なかったから嬉しいです。ありがとうございます」

「ああ、それなら良かった……あの、この前売って貰った悪夢避けのサシェは」

「あっ、大丈夫。ありますよ~。可愛い栗鼠ちゃん柄も入ってきたのでおすすめです! ほらっ」



 彼女が嬉しそうに笑って木籠を持ち上げた。覗き込んでみると中には(すみれ)柄のサシェや栗鼠と森の刺繍が施されたサシェなどが入っていて、思わず言葉に詰まってしまう。亡き父親の血の匂いを僅かに思い出してしまうから。彼女がそんなこちらの様子に気が付かず、丁寧に説明してくれる。



「でも、確か……お客様は熊ちゃんのピンブローチを見ていましたよね? こちらはどうですか? 同じ作家さんのもので、熊ちゃんがオープンカーに乗ってるんです。可愛いでしょう?」

「あっ、本当だ……サングラスかけてる。可愛い。でも」

「ふふっ、悪ぶってるんです。この子。でも普通に可愛いものが欲しいのなら、そうですね……」

「これとかかな、レイラちゃんには」

「あっ、それですね。今おすすめしようと思ったやつは……」



 エディが抜き取ったのはカスミ草にラベンダーを沢山持った熊のサシェで、確かに可愛い。それが欲しい。こちらの表情を読み取ったのか、エディがすかさず「これにします。包んでください」と言って笑う。



「あの、エディさん? エディさんは……」

「……あー、俺は。悪夢避けのサシェ以外のものがいいかな……お揃いを持つってのにも憧れちゃうけどけどなぁ~。何かおすすめはありますかね? メイベルさん」

「ありますよ、ハルフォードさん。ええっと、これなんかはどうでしょう? お二人で持つとか……」

「それにします。ください!!」

「まだ見てないでしょう? エディさんってばもう……」



 背中に手を添えて宥めると、嬉しそうに笑う。そして、ぎゅっと私の手を掴んできた。一気に心拍数が上がってしまう。どうしよう? そうこうしている間にも、メイベルという名前の店員さんが棚へと向かってあるものを取り出した。



「こちらです。普段は見えないイヤーカフと指輪……隠して持つのが流行っているんですよ、最近」

「えっ? 見えないのに……?」

「でも分かる! 欲しいです……あ、近付いたら見えるようになるんですね?」



 エディが刺さっていた説明カードを取り出して、首を傾げる。籠を持ったメイベルが笑って頷いた。



「そうなんですよ。ある一定の距離になったら……その、説明によるとキスが出来る距離になったら見えるらしくって」

「あ~、なるほど。カップル向けの。欲しいです、ください。指輪とイヤーカフを」

「ここは折角だからイヤーカフにしましょうよ、エディさん……」

「じゃあ指輪だけでもせめて……」

「指輪ですね。分かりました。色はどうします? それとも石付きの?」

「シンプルな……そうですね、結婚指輪を連想させるもので!!」

「ぶれないですね、エディさん。本当……」



 結局悪夢避けのサシェと金色の指輪を二つ買って、エディが早速それを嵌める。



「あれだって、レイラちゃん。これ。近付かなくても手を繋いだりとか、触れ合ったりしたら出てくるんだって」

「へー……あ、本当だ。出てくる、指輪が」



 日が沈んで暗くなった歩道で手を繋ぎ、離して指先を見つめる。また手を繋ぐと、ぼんやりと人差し指の根元に指輪が浮かんできた。エディが不満そうに「左手の薬指には……?」と言ってきたが無視をする。流石にそこまではしたくない。金色の指輪がきらりと光って、こちらの目を楽しませてくれる。



「いいね、これ。楽しい。本物の恋人同士みたいで……!!」

「エディさんが口を割れば、楽しい未来はすぐそこですよ? 行きましょうか、魔術ミュージアムへ!」

「は~、マフィアみがあるレイラちゃんも好き……可愛いっ! 俺と結婚して欲しい~……」











 魔術ミュージアムはその名の通り、魔術仕掛けの展示物が見れる施設だ。中に入ってチケットを渡し、ゲートを通って足を一歩踏み出す。いきなりちらほらと舞い落ちてきたのは、真っ赤な薔薇の花弁だった。こちらの鼻先に触れてしゅわりと消え、チョコのような甘い香りを漂わせる。



「わ~……楽しい! 早速だ!」

「暗いから気をつけて、ほら。レイラちゃん」



 辺りはカップルだらけで、恥ずかしくなりながらもエディと手を繋いで暗い通路を進んでゆく。まるで水族館のように両側に水槽が現れて、魚の代わりに淡くぼんやりと光っているお城が映し出される。



「あっ、これ。グリッツ城だ。行ったことあるよ、俺。ここに」

「えっ!? そうなんですか!? でも確か美食家の人外者が治めてる国の」

「そうそう。このお城も美味しかったよ。外壁ちょっとだけ齧れた」

「お城と言うか、食べ物ですよね……?」

「ははっ、だね。何百年も持たないやつ!」



 その他にも妖精の女王が作ったというウェディングドレスや魔術仕掛けの時計、ひたすらマカロンを作って積み上げてゆく小さな兎達、マフラーを編んでいるふくふくと太った鼠のおばあさんなどが映し出されていった。それらに見惚れていると、ふと軽やかな音楽が響いてくる。



「あっ、レイラちゃん。あそこで踊れるんだって! 踊ってみようよ!」

「えっ!? エディさん!? わっ」



 足を一歩踏み出すと、ぴしゃんと水紋が広がった。エディの髪色と同じ真っ赤な花弁が舞って降り注ぎ、つられて見上げてみるとクリスタルで出来た眩いシャンデリアが吊り下がっている。その下でダンスを踊れるらしく、真っ黒な大理石の床に浅く水が張られていた。そしてその床から光が滲み出し、笑うエディの顔を照らす。




「俺と踊ってくれますか? 可愛らしいレディ?」

「っふ、分かりました。どうぞよろしくお願いします、“火炎の悪魔”さん」

「ああ、懐かしいな。その呼び名。でも、どうしてだろう? 君にそう呼ばれるのはちっとも嫌じゃない…………むしろ心地良い」

「エディさん? わっ」



 エディがおもむろにこちらの手を取って、腰に手を回してくる。まるで舞踏会で出会って恋に落ちた男女のように、見つめ合った。そのまま深くてまろやかな音楽に合わせてステップを踏み、上から落ちてくる真っ赤な花弁を見て息を止め、その吸い込まれてしまいそうな淡い琥珀色の瞳を見ながらくるりと回る。



 ひらひらと、真っ赤な花びらが舞い降りてくる。



 足元の水面が淡く光ってエディを照らし出し、どこまでも深い音楽が響いてきてこちらの胸を揺さぶってくる。ああ、楽しい。恋しい。瞬きするのが惜しいぐらいだ。エディも同じ気持ちなのか、淡い琥珀色の瞳を細めて熱っぽく見つめてくる。



 その気持ちのまま近寄って、ステップを踏んで、エディの顔の近くまで行くとふっと微笑んでキスをしてくれた。また微笑みを交わしてステップを踏み、ひたすら黙って踊る。



 あんなにもエディの声が聞きたい、言葉が欲しいと思っていたのに何も欲しくない。チョコとシャンパンが混じったような甘い香りが漂い、それに酔い痴れ、薔薇の花弁がひらひらと舞い落ちる中で踊り続ける。エディの顔が恍惚としていた。きっと私も今、同じような顔をしているに違いない。ふいにエディが私の腰を抱き寄せ、ぐっと近付いてくる。



「今なら逃げないと思って……キスしてもいい? ここで」

「でも、人の目が……」

「大丈夫。周りにいるのもそんなカップルだけだから……」



 両目を閉じてみると、エディがそっと優しくキスをしてきた。紫色の瞳を開いて見つめると、そんなレイラに優しく笑いかけてもう一度近寄る。辺りには彼の髪色と同じ、真っ赤な花弁がひらひらと舞っていた。何度目かのキスが終わって見上げてみると、淡い琥珀色の瞳に薄っすらと涙を滲ませていた。それを見て、胸の奥が引き攣ったようにずきりと痛むのはどうしてだろう?



 エディがまた、おもむろに腕を伸ばして触れてくる。流石にこれ以上は嫌だなと思って、その手をやんわりと払いのけた。




「エディさん。もう少し踊りませんか? あとこの後、チョコケーキを食べに行きましょうよ。あるんですよ、ここ。喫茶店。以前アーノルド様と一緒に行きました」

「あれかな? また嫉妬大作戦? それなら成功だよ、レイラちゃん。大成功だ」

「ふふっ、もう。あからさまに拗ねないで下さいよ、エディさん……」

「俺なんかより君の方がよっぽど悪魔らしいよ、レイラちゃん。小悪魔だ。君は俺だけの」



 こちらの手を絡め取ってキスを落とし、熱っぽい眼差しで見つめてくる。そんなエディにゆったりと微笑みかけ、また踊り出した。足元の床が眩く光って、エディの精悍な顔立ちを照らし出す。



 ああ、どうか。このままで。もう少しだけこのままで。



(エディさん、好きです。だから早く教えてくれるといいのに……)



 そんな言葉を胸の奥へとしまった。出てこないように、そっと。今は何も考えずに踊っていたいから、美しい音楽に、エディと二人で身を委ねていたいから。













 そのまま二人で暫く踊った後、併設されていたカフェでチョコケーキを食べた。どっしりと重たくてほろ苦い、ローストした胡桃入りの冷たいチョコケーキを二つ頼む。



「あ~、疲れた~……でも楽しかった~。落ち着いたら晩ご飯食べに行こっか。先にデザート食べちゃったね、俺達」

「ふぁい……でも美味しい。楽しい」



 林檎ジュースを吸い上げて飲んでいると、ふと指に目がいく。そこに指輪は浮かんでいなかった。おそるおそる向かいに座ったエディの手を握ってみると、ふんわりと金色の指輪が浮かぶ。エディが笑って珈琲カップを置き、私の手を握り締めた。



「楽しかったね、レイラちゃん……早くこうやって、心置きなく君とデート出来るといいんだけど」

「うーん……エディさんが頑固ですからね、本当」

「うーん……レイラちゃんじゃないかな、頑固なのは」

「まぁ、それは置いといて……エディさんと喧嘩したくないし、私」

「……ありがとう。ごめんね?」



 困ったように笑うエディを見てときめいてしまった。この顔を見る度、何もかもがどうでも良くなって許そうかなという気になる。照れ隠しにチョコケーキをさっくりと切り分け、口元へと運んだ。しっとりとしたチョコケーキは洋酒が効いていて、ほろ苦くて甘い。今の感情にぴったりだ。上質なチョコレート生地がほろほろと崩れ、舌の上に甘く苦く残る。



「エディさん……楽しかったです。ありがとうございます。でも、今度は絶対ちゃんとオシャレしてくる……」

「何を着ていてもレイラちゃんは可愛いよ? でも社員旅行で着てた黒のニットワンピースが……」

「あれは夏用なんで。今着たら寒い。他のニットワンピース着てきますね、次は」

「ありがとう……あっ、そうだ。俺に着て欲しい服ってある? レザージャケットとか」

「前から聞こうと思ったんですけど、その手帳って何ですか……? 仕事の時は出してませんよね?」

「うーん……ま、これも秘密ということで!」

「秘密だらけじゃないですか、エディさん……まったくも~」

「可愛い~、ごめんね? レイラちゃん。可愛い~……は~、天使! 好き!」








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