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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
83/122

7.失敗のお知らせ

 



「エディさん、私と一緒に帰りませんか?」



 エディがはっと淡い琥珀色の瞳を彷徨わせ、困ったように後ろのフェリシアを振り返る。まさかもう二人で帰る約束をしたんだろうか? ミントブルーのボウタイブラウスに白いレースカートを履いたレイラはぎゅっと、白いハンドバッグの持ち手を握り締めた。



 ぼんやりと淡い光が灯っている廊下にて、エディが苦笑して首筋を掻く。今日は白いシャツに黒いボディバッグを身に付けていて、シンプルな装いだった。



「ごめん、俺。レイラちゃん……実はもうフェリシアさんと帰る約束しちゃって。だからまた今度ね? ばいばい」

「あっ、はい。分かりました。じゃあそれで……」



 一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。ただただ痛みだけが尾を引き、こちらの胸を深く抉る。ぽっかりと胸に穴が空いたかのようだ。喪失感と虚脱感に襲われる。



「じゃあまた明日ね、レイラちゃん。ああ、すみません。フェリシアさん、待って貰ってて」

「いえ、大丈夫ですよ? また明日、レイラさん」

「また明日、お気をつけて」



 彼女が青い瞳を細め、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。嫌だな、もしかしたら私もあんな風に醜い顔をしていたのかもしれない。鮮やかな赤髪が翻って、こちらに背を向ける。その背を屈めて、私ではなく他の女性を覗き込む。



「あれ? フェリシアさん、もしかして髪切りました? 昨日と違う気がする……」

「ああ、そうなんです。よく気が付きましたね、ただ毛先を揃えに行っただけなんですけど」



 二人で親しげに話している姿を見て、胸が鈍く痛んだ。ああ、馬鹿だ。私。醜いな。見ていられなくなって背を向け、反対側の廊下へと足を進める。こっちに行ったって帰れないのに、行き止まりなのに。




「っは、馬鹿だ、私。馬鹿だ……!!」




 どうしてエディがずっとずっと傍にいるだなんて。そんな馬鹿げたことを思い込んでいたんだろう。海辺で笑うエディにこちらの頭を撫でてきたエディにと、今までの思い出がわっと蘇ってきた。



(馬鹿だ、馬鹿だ。私。もう今更気がついたって遅いのに)



 息を荒げて、薄暗い廊下で足を止める。周囲には誰もいなかった。何の音もしない。古くて甘い木の香りだけが漂ってくる。



「はっ、は……はははは……遅いのにな、もう。ばっかじゃないの、私。馬鹿だ、世界で一番馬鹿だ」



 ずっとずっと認めたくなかっただけだ。



(だって認めたって苦しくなるだけなんだもん……あの屋敷で、キャンベル男爵家で生きていけなくなるから)



 優しいイザベラおば様にハーヴェイおじ様と、呑気にのほほんと生きていけなくなるから。



「だから気が付きたくなかったのに。エディさんの馬鹿……!!」



 喉が熱くなって、ぎゅっと拳を握り締める。目の端に涙が浮かんできて、ひたすら強く赤い絨毯を睨みつけていた。彼の髪と同じ色をしていた。



「嫌だな、もう。嫌だなぁ……何もかも全部。嫌だなぁ……!!」



 気が付きたくなかったのに、好きだって。気が付きたくなかったのにと考え、目元を擦る。アイシャドウとか何も気にせずにごしごしと擦る。



(だって気がついたって。何の意味もないじゃない、私は私は、アーノルド様と)



 そこでふっと、彼の言葉が蘇ってくる。気遣わしげな低い声で容赦なく私の胸を抉ってくる。



『レイラちゃん。君は自由なんだよ? いつまでもあいつの婚約者でいる必要も無いし、その家だって辛かったら出てしまえばいい』



 抜けない、抜けない。あの言葉がずっと胸に突き刺さって抜けない。淡い恋心が胸から生み出されて、そのまま蔦を伸ばしてこちらを絡め取る。ああ、ずっと認めたくなかったのだ。



(だって本気で嫌な時もあったのに。鬱陶しいなって思う時もあったのに)



 いつからだろう、エディに褒められたいと思うようになったのは。いつからだろう、こちらを見て顔を赤くするエディを見たくなったのは。



(でも、気が付いたってもう遅い)



 完全に諦めてしまった、エディは。好きだって気付いたのに。



(ああ、昨日のプロポーズ……受けておけば良かったかも。そしたら多分、ずっと傍にいれたのに)



 公園でパンを食べて、休みの日にはまた遊園地に行ったりして。手を繋いで、ハグをしてって堂々と出来たはずなのに。



「ああ、馬鹿だ。……何で気がつかなかったんだろう、昨日」



 嫉妬して、アーノルドに「フェリシアさんと一緒にお昼ご飯を食べに行って下さい。いいですね?」なんか言って追い払ったくせに、結局ミリー達と食べに行ったりして。じんわりと熱い涙を拭って、俯く。



「初恋、だったのに……馬鹿だなぁ、私、馬鹿だなぁ、本当に」



 その言葉に深く傷付いてしまった。そうだ、初恋だったんだ。でも私が台無しにしてしまった。アーノルドもよく分からないけど応援? 応援してくれてたのに。



「私が台無しにしちゃったんだな、全部……ははは、馬鹿だ。もう。大馬鹿だ」



 もうこれからは「可愛いね」とも言って貰えなくなる。もう二度と、プロポーズされることもない。胸が深く痛み、また泣いてしまった。後から後から壊れたように、(せき)を切ったように涙が溢れ出してきてどうしようもなくなる。



「馬鹿だ。エディさん、エディさん……!!」



 今更告白したって遅いだろう。きっと彼だって呆れるに違いない。失望されてしまうかも。「自分勝手過ぎない?」と言われてしまうかも。



「嫌だな、そんな顔見たくない。エディさん、エディさん……!!」

「っレイラちゃん! ああ、良かった! ここにいた!!」

「えっ、エディさん!? えっ!? 何で!? 一体どうしてここに……フェリシアさんは!?」



 振り返ると、エディが息を荒げてこちらへとやって来ていた。あの時、初めて会った時のように、長い赤髪をたなびかせて両腕を伸ばして、ぎゅっと私を抱き締める。



 ふわりと、いつものライムのようなシトラスのような香りが漂った。



「っああ! 良かった! 昨日ジェラルド君やトム君から、押して駄目なら引いてみろ作戦で行けって言われたんだけど! やっぱりもう無理限界!! レイラちゃん好きっ! 可愛い! 俺と結婚して欲しい! というか一緒に帰りたい、触れたい!! 好きっ!!」

「いきっ、いきなり何を言い出すかと思えばエディさんは……!!」



 ああ、良かった。今までのは全部作戦で嘘だったんだ。泣いて涙を零して、ぎゅっとエディを抱き締め返す。ああ、良かった。またこうして触れることが出来る。ああ、良かった。



「無理だったね、俺には! あんな女どうでもいいし、ああっ、もう! 失敗しちゃったけど俺はレイラちゃんと一緒に帰りたいし好き! 俺と結婚してくれる!? というかあれっ!? もしかして今これって、レイラちゃんから大好きハグを受けている最中なのでは、」

「黙って下さい。今すぐ黙らないと一生無視します。あと」

「えっ? あっ、はい。調子に乗ってすみませんでした……」



 私から離れようとするので、ぎゅっと抱き締め返してそれを阻止する。エディがびくりと、体を揺らして動揺していた。



「あと、何も言わずに。黙ってちょっとこのままでいて下さい……黙っていて下さい、本当にもう。一生」

「えっ、ええっと、分かった。黙ってるね……?」



 そのままぎゅっと、強く強く抱き締めてくれる。ああ、そうだ。認めたくなかったけど。



(好きなんだ、私。エディさんのことが……)



 胸元に顔を埋めて考え込む。認めたくなかったんだけど、本当に本当に認めたくなかったんだけど。



「しばらく……むぐ、このままでいて下さい。お願いします、エディさん」

「えっ!? よっ、喜んで……!!」 



 嬉しそうなエディがレイラを抱き締め返す。その光景を後ろで見守っている二人がいた。レイラと一緒に帰ろうと思っていたアーノルドと、エディと一緒に帰ろうと思っていたフェリシアである。



 紺色のシャツにデニムを着たアーノルドが溜め息を吐き、自分の眉間を揉む。その横で白いブラウスと青いスカートを着たフェリシアがぼそりと呟いた。



「いいんですか? 部長。婚約者さんが堂々と浮気していますけど?」

「ああ。別に構わないんで……元々、俺の片思いでしたから。婚約も父が勝手に決めたことですし」



 そう返すと、フェリシアが驚いた顔で見上げてくる。自分でもどうしてこんなことを打ち明けているのか。よく分からなかったが言葉が止まらなかった。



(まぁ、いいか。どうせ来たばかりの人間だし。無責任に言いふらさないだろう、多分)



 でも、どうだっていい。もう。しかし、この女さえいなければという気持ちも湧いて出てきた。いつまでもいつまでも、俺だけの可愛い大事なレイラでいて欲しかったのに。



(アホか、俺は。……覚悟を決めただの何だのと言っておいて)



 視線の先には二人がいる。しかしこちらには気が付いていない。エディは気が付いているだろうが無視しているだろう。あれはそんな男だった。



(あれ、前にも見たな。この光景……)



 視線の先で二人が笑い合っている。白い雪が舞っている中で微笑み合い、手を繋いでいる。愛おしそうに見つめ合っている。そこだけが閉じられた空間だった。誰の何の手も届かない中で、二人だけの閉じた世界だった。



『レイラちゃん、レイラちゃん。ねぇ────……』

『どうしたの? アンバー』



 分かっている、どうせ俺は邪魔な存在なんだろう。



(ああ、そうだ。お前らが正しかった、全部全部。俺の心配は何もかもが無駄だった。お前らはいつだってそうやって全部を取り戻して幸せになってゆく)



 まるで定められたかのように出会って、過ちを犯して、それでも二人は何もかもを乗り越えて結ばれてゆく。俺は必要ない。どんなに心配したって無駄だ。俺は邪魔で不必要な存在でしかない。



『アル兄様、アル兄様? ねぇ、私ね────……』



 俺の、俺だけの少女だったけど。いいよ、もう。全部諦めるから。何もかもを。



「エディ。いっそお前を、恨めたら良かったのにな……」

「ぶ、部長? あの、止めてきましょうか? 私……」



 言うが早いがフェリシアがそちらへと向かう。思わずその腕を掴んで引き止めた。驚いた顔で振り返って、ぼっとその顔を赤くさせる。でもそんなのに構ってられなかった。



「やめてください、フェリシアさん……あの二人はそのままに。えーっと」

「は、はい? 何でしょうか……?」



 俺も俺で早く恋人を作らなくては。エディとレイラに心配をかけてしまう。そんな訳でにっこりと微笑み、彼女を見つめてみた。



「俺とこの後一緒に。食事でもどうですか? フェリシアさん」

「はっ、はい。喜んで……!!」














「っとお! そんな訳で失敗しちゃいましたよ、俺ってば~! いや~! 押して駄目なら引いてみろ作戦、俺には本当に不向きで、」

「折角アドバイスしてやったのに一体どうしてだよ!? アホかよ、エディ君!!」

「うわ~! すみません!! 苦しい! 苦しいって!」



 怒ったマーカスがエディの胸倉を掴み、がくがくと揺さぶる。その光景を見て苦いものが込み上がる。いいや、失敗していないのだ。むしろ成功してしまったのだ。



「ははは……まぁ、ほら。マーカスさん? 私、今からエディさんと外回りに行く予定なので……」

「あっ、うん。ごめん、レイラ嬢……」



 気まずそうな顔でぱっと放し、エディが「ふぁ~、焦ったぁ~」と言って紺碧色の首元を緩める。ああ、そんな仕草にすらもときめいてしまうようになった。私はもう駄目だ、終わりだ。絶望しかない。



「何故かあのまんま、フェリシアさんもやめちゃったし……もうあの作戦も使えないなぁ~」

「エディ。二度と話題に出すなよ、それ」



 後ろの方からアーノルドの鋭い声が飛んできて、そちらを向くと嫌そうな顔をした。どうやら彼は昨日、うっかり彼女の手を握ってしまったらしい。思ったよりも勢い良く迫られてしまい、その場で拒絶するとショックで泣いてしまったそうだ。



 そしてついさっき、やめたいとの電話がかかってきた。



「うん、やっぱり。無駄でしたね……人増やすの」

「やめろ……頼むからやめてくれ、仕事に行ってくれ……」



 アーノルドがデスクに突っ伏してしまったので、エディと二人で顔を見合わせてからそそくさと部署を出る。いつもの白いドアをぱたんと閉めた後、エディがこちらを見て笑った。



「ごめんね? その、まだ怒ってるよね……? さっきから俺への殺意がすごい」

「い、いえ……別に怒っている訳じゃないので、私」



 目を逸らして、足元を見つめる。さぁ、仕事をしなくては。今日も。



「行きましょうか、エディさん。はーあ……」

「えっ!? 何その溜め息!? 滅茶苦茶気になるんだけど!? レイラちゃん!?」












(そうだ、(あら)探しをしよう。エディさんの!)



 レイラは口元にバジルソースをつけたまま、サンドイッチを握り締めた。ここはお洒落なカフェで、向かいにはロブスターをもそもそと食べているエディがいる。


 どうも作戦が失敗して落ち込んでしまったらしく、「これは頑張った自分へのご褒美だから……」と言って頼んでいた。意味が分からない、でも。



(一体どうしてだろう……エディさんがキラキラしてるような気がする。これが恋の効果か……!!)



 淡い琥珀色の瞳を伏せて、しょんぼりと俯いている。口元にはロブスターの欠片がついていて、それを緩慢にぺろりと舐め取る。何故か見ていられなくなって、また茹で玉子と海老のサンドイッチを頬張る。



(あれ? 心臓が変だな、落ち着かない……)



 どうして今まで、エディの顔を真っ直ぐ見ていられたんだろう。



 頭がぐるぐると困惑して、とりあえず運ばれてきたコンソメスープを一気に飲み干す。カップを持ってごくごくと飲み干していると、エディが「だっ、大丈夫? どうしたの、さっきから……」と戸惑いがちに声をかけてきた。ああ、腹が立つ。本当に。



「ぷはっ! エディさん? エディさんの欠点って何ですか? 何か出来ないことは?」

「顔も赤いし、何だか酔っ払いみたいだね。レイラちゃん……ええっと、欠点なぁ~」



 そこでじゅるるると、葡萄ジュースを吸い上げる。ああ、可愛い。しかしそんなことを思ってしまう自分に腹が立つ。そしてエディにも腹を立てている。きっと睨みつけつつ、彼の返答を待つ。



「うっ、う~ん……朝起きれないことかな? 実はその、毎朝兄上に起こして貰ってるんだよね……」

(何それ、可愛いっ……じゃなくって!!)



 弱い。嫌うにはまだ弱い。影で公園のハトを殺してるだとか、そういった陰湿で陰惨な欠点が知りたいのに。



「弱い。次。どんどん言ってって下さい。さぁ、早く!」

「あっ、はい。まだ怒ってるんだね、レイラちゃん……ええっと、食後すぐにお皿を片付けないところとか……言われたら片付けるんだけどね、それも。ええっと後は、食うなって言われてたのにうっかり明日の分のご飯を食べちゃったり……」



 駄目だ、どれも可愛いと思ってしまう。



「欠点……欠点じゃないでしょう!? それは! あと他には!? さぁっ! 早く!」

「ほっ、ほかぁ~? えっ、ええっと、そうだなぁ~。アーノルドにハサミを渡す時に、わざと刃の部分を向けて渡してた……あと炭酸飲料を買って振って、デスクに放置してたりとか……勿論、あいつのね?」



 ち、小さい。やることが小さい!



(ああ、でも。何でこんなに下らないことで胸がきゅんとしちゃうんだろう……本当に馬鹿じゃないの、私ってば!)



 恥ずかしくなって、両手で顔を覆う。ああ、駄目だ。本当に駄目だ、私は。絶望的だ……。



「れ、レイラちゃん? 大丈夫? 体調でも悪いの? さっきから滅茶苦茶なんだけど……?」

「さっ、触らないで下さい! 頭! 距離が近いっ!!」

「えっ、え~? そうかなぁ? こんなの、いつも通りだと思うけど……」



 ああ、駄目だ。物凄く緊張してしまう。



「はーあ、アーノルド様に言って。バディを変えて貰おうかな……」

「ええええええっ!? やっぱり怒ってるよね!? ごめんね、レイラちゃん! 本当にごめんね!? 馬鹿な作戦を決行しちゃって!!」



 ああ、違う。違うけど訂正が出来ない、否定が出来ない。



(さっきからずっと頬も熱いし……ああ、駄目だ。どうしよう? 心臓がもたない、本当に)



 早く、早く彼の嫌な所を見つけて幻滅しなくては!



「そう、百年の恋もあっという間に冷めるような……そんな嫌な所がエディさんにはある筈なんです。私はそう信じています」

「えっ、酷い。レイラちゃん……あと、顔つきが物凄く怖いんだけど……?」



 エディがふすんと鼻を鳴らして、悲しげな表情で「レイラちゃんに嫌われちゃったなぁ、俺~」と言ってもそもそとロブスターを頬張り始める。長い赤髪が揺らいで、それに触れたくなった。



(ああ。やめよう……まだ、まだ間に合う筈!! 頑張ってエディさんの粗探しをしよう、そうしよう……!!)










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