6.押して駄目なら引いてみろ作戦
「最近、レイラちゃんが俺に嫉妬してるような気がするんですよね……まぁ、前からあれ? 俺のこと好きなんじゃないかな? って思う瞬間はよくあったんですけど。社員旅行から帰ってきてそれがまた顕著というか何と言うか、」
「うん、ちょっと待とう? エディ君、一旦ちょっと落ち着こうか……」
げんなりとした表情のジェラルドが止めに入ると、エディが真面目な表情でこくりと頷いた。両手を組んで座り、やたらと凛々しい顔つきをしているがその口元には黄色い玉子のかけらが付いている。
今日の昼食は玉子パンとベーコンエピと葡萄パンと、食堂で買ってきたコーンクリームスープでデスクの上にずらりと並んでいる。そんなエディを呆れた表情のジェラルド、地味なマーカスとスキンヘッドのトムとアランが囲んでいた。
天使のような風貌を持ったアランは座って、ベーコンとレタスが挟まれたブールを食べつつエディを見つめる。
「でも、それは何となく前から思ってたことけど……ええっと、フェリシアさんだっけ? 部長と二人でご飯って大丈夫かなぁ~」
「大丈夫だろ、ジルさんもいるし。何を思ってそうしてんのかはよく分かんないけど。ジェラルド君、これいる? チョコ」
「後で欲しい。今食ってるところだから。ありがとう、マーカス君」
マーカスが差し出したチョコを見て、ベーグルサンドを片手に首を振る。それを見て嫌そうな顔をして「まぁいいから食っとけって。婚約祝いだからな、これ」と言って放り投げた。
そこで話を元に戻そうと思ったのかエディが「ごほん」と咳払いをし、一同がそちらを振り向く。
「あのですね? いいですか!? レイラちゃんは多分、もうすっかり俺のことが好きなんですよ!! 何故告白しに来ないのかよく分かりませんけど! ここからどう進めばいいと思います!? 皆さん!」
「独身で恋人もいない俺らに対して、よくもそんなことが言えたなぁ~ってああ、」
「ジェラルド君はいたよなー! ジェラルド君はいたよなー! はっはっはっは!!」
壊れたように真顔で笑っているトムがジェラルドの肩をばしばしと叩き、むしっとレタスを齧り取る。これは白身魚のフライとバジルソースのサンドイッチで、さっくりとした黄金色の衣とむっちりとした甘いパンが何とも美味しい。そして引き攣った笑顔のマーカスも、ジェラルドの肩を強く叩く。
「いたよなー! ほらっ! 不毛な片思いを成就させた先輩として! 何か有益なアドバイスを授けてやったらどうだ!? エディ君に! なぁっ!? トム君もそう思うだろ!?」
「ああ、勿論さ! マーカス君よ! 俺もそう思うなぁ~! 是非ともジェラルド様の有益なアドバイスが聞きたいなぁ~! はっはっはっは!」
「最近、同僚からの嫌がらせが酷くって……上司に相談しようかどうしようか悩み中。アラン君、どう思う?」
「許してあげて、ジェラルドさん……」
アランが困ったように笑い、ブールのサンドイッチを齧り取る。一方でエディはすっかりへそを曲げてしまったのか、くちびるを尖らせて「別れちゃえばいいのになぁ~、なんで俺の話を誰も聞いてくれないんだろうなぁ~」と呟きつつベーコンエピを齧っていた。がりがりと咀嚼音が響き渡る。わざと音を立てて食べていた。
「まぁ、でもさぁ? エディ君。俺も俺で、なんでエマがいきなりいいよって言ってくれたのかよく分かんなくて、」
「いいよってあれか? 結婚してもいいよのいいよか? それとももっと違う意味合いのいいよか? あれか?」
「そこ、絡まれると困るんだけどなぁ~。話が進まないから」
「あー、うん。ごめんごめん! でもジェラルド君はこんなのへっちゃらだよな!? なんせ婚約したてのホヤホヤで薔薇色の人生だもんな!? 毎日幸せだよな!?」
「うん、ごめんってば。本当……許して欲しい」
引き攣った笑顔のマーカスに肩をぎゅっと掴まれ、ジェラルドが意気消沈した様子で項垂れる。アランだけは心配そうな顔でそれを見守っていたが、エディとトムはどうでもよさそうな顔をしていた。
「それでさぁ、俺! そろそろレイラちゃんに! 好きです、エディさん! 実は前からずっとずっと好きだったんですけど、中々上手く言い出せなくって……って告白されたいんですよ!! 一体どうしたらいいと思います!? ねぇ!?」
「演技力すげぇな、エディ君……どっから出してんの? その裏声」
「拳を握っての熱演か……振られてしまえよ、もう」
「アドバイス出来ないっすね、申し訳ないけど。なんせ淋しい独り身なんで、俺ら」
そこで気でも触れたかのようにマーカスが体を揺らし、「でも違ったよなぁ! ジェラルド君はなぁ! 婚約者がいるもんなぁ!?」と叫び出してジェラルドの方を向く。当の本人は引き攣った笑みを浮かべ、ひたすらに「ごめんって本当……何回目だよ、もう」と呟いていた。
そのやり取りに目を向けることもなく、両手を組んだエディが真剣な表情で頷く。
「それで俺は。そろそろ本気で彼女にプロポーズをしようかと思って……真っ赤な薔薇の花束とかを持って。以前したけど。誕生日の時に」
「なんでそこで押すんだよ!? 引くところだろ、普通! てか渡したの!? 誕生日に!? 真っ赤な薔薇の花束を!?」
「引け引け!! 引くんだ、エディ君! いい加減に引けよ、もう! 分かれよ、それぐらい!!」
マーカスとジェラルドの野次を受けて、エディが両目をつむり「待ってください! 野次を飛ばすのはやめてください!!」と言って両腕をあわあわと動かす。アランはどうしていいのかよく分からず、ふわふわのミルクパンを食べていた。中には甘いカスタードクリームがたっぷりと詰まっている。
「そうそう! もう引くとこっすよ、エディ君! 押して駄目なら引いてみろ作戦っす!!」
「え~? でも今日も俺、レイラちゃんにプロポーズしちゃったんだけど……いや、毎日してるんだけど。俺」
「押すどころの騒ぎじゃねぇな、エディ君……押して押しまくってんなぁ、もう」
「勇気あるな、本当。俺には絶対無理。無理」
心底ぞっとしたように首を横に振って、マーカスが野菜ジュースをじゅるりと吸い上げる。エディは「え~?」とでも言いたげに赤髪頭を掻き、一同を見回した。
「それじゃあ俺、明日から引いてみますね! とりあえずフェリシアさんには笑顔でおはようとでも言ってみて、」
「今すぐに引けよ!? なんっで明日からなんだよ!? あとひっく!! レベルがひっく!!」
「休みの日にご飯でもどうですかって誘えよ、さらっとさぁ!? 出来るだろ、それぐらい!! お前! 毎日プロポーズしてんだからさぁ!?」
激昂したマーカスとジェラルドにペンケースとストローの空き袋を投げつけられ、焦ったエディが「だって休みの日はレイラちゃんとデートに行きたいんだもん! と言うかただでさえチャラい、軽薄って言われてるのに誤解されたくないんだもん!!」と叫ぶ。
赤髪を引っ張られて揉みくちゃにされているエディを見つめ、アランが離れた所でぼそっと呟く。
「でも。一番有効的な方法だと思うよ、エディさん……レイラちゃんもとうとう自覚するのかなぁ、恋心を」
(うーん、引くとは言ってもなぁ~。一体どう引けばいいんだよ? とりあえずプロポーズはやめる、プロポーズはやめる……)
両目を閉じて心の中でぶつぶつと呟いていると、ふいに後ろのドアが開く。彼女だった。レイラちゃんがいつもと同じ紫水晶のような瞳を不思議そうにさせる。その表情に胸がきゅんと射抜かれ、思わず柔らかな両手を握り締めてしまった。
「今日も可愛いね! レイラちゃん! 俺と結婚してくれる!?」
「しません! 朝から鬱陶しいですね、本当……」
嫌そうな表情でこちらの手を振り払い、舌打ちをする。
(はっ! しまった!! 折角のアドバイスを無駄にしてしまった! 俺のバカ!!)
しかし、これも全てレイラちゃんが可愛いせいだ。俺は何も悪くなんてない。目の前を緩やかな黒髪が横切って、胸が締め付けられた。
(でも、いいや。全部全部、俺がしたくてしたことだから……)
だからいい、君はそのまま笑っていて。一生このことを知らないままでいて、レイラちゃん。ぼーっと眺めていると、彼女が訝しげな表情で振り返った。でも、ほんの少しだけ照れてもいる。伝わってくる。
「エディさん? 一体どうしたんですか? ぼーっとしちゃって……」
「ああ、ごめんごめん。俺、朝に弱くってさ。だからついうっかりね、レイラちゃんのこと眺めちゃった!」
「何ですか、それ? 変なの」
彼女がくすりと笑って、口元を指で押さえる。ああ、可愛いなぁ。昔からずっとずっと変わらない。俺だけが彼女のことを覚えている。俺だけが彼女のことを覚えていて、優しい思い出をそっと一人で噛み締めている。
底の方で何かが揺らいで、あの日のやり取りが蘇る。鮮明に鮮明に、こちらの耳を打って胸を締め付けてくる。
『レイラちゃん、ねぇ。レイラちゃん。君のことが好きだよ? 君は? 俺のこと好き?』
『好きよ、アンバー。好きよ、きっとあんな出会い方をしなくっても好きになっていた────……」
涙を滲ませ、両目を閉じる。まだ大丈夫だ、正気を保っていられる。
(俺はあの人達のようにはならない、失敗しない。大丈夫だ、大した事がない。そうだ、本当に大した事が無いことで……)
そこでドアが開く。今度はフェリシア・ダヴィットソンだった。俺を見て青い瞳をぱっと輝かせ、にっこりと可愛らしく笑う。
「おはようございます、エディさん。あっ、レイラさんも。おはようございまーっす」
「おはようございます、フェリシアさん。ああ、エディさん? ほら、いつまでぼーっと突っ立っているんですか? 大丈夫ですか?」
それまで俺のことなんてどうでもよさそうだったのに、気遣わしげな表情でぱっと近寄ってくる。可愛い、ものすごく可愛い。
(これは……フェリなんとかを雇ったアーノルドに感謝すべきなのでは!? 恋のスパイス! 火花!!)
レイラちゃん、レイラちゃん。
(そんな風に気にしなくってもいいのに。……俺はいつだってレイラちゃんのことが好きだから、永遠に好きだから)
君の為ならなんだってしてみせるよ、レイラちゃん。君が国を滅ぼせと言うのならそうするし、どこにだってキスをしよう。
(ああ、早く。俺のことを好きになってくれないかなぁ……あっ、そうだ。忘れてた、押して引く作戦)
そこでふとマーカスとジェラルド君が焦った表情で「引くんだ、エディ君! いいから引くんだ!!」と言っていたことを思い出し、とりあえず条件反射でレイラちゃんに微笑みかける。どうしよう、あんまりよく分からないな。えーっと。
「そうだ、ダヴィットソンさん……今日、俺と一緒にお昼ご飯でも食べに行きませんか?」
「えっ」
「えっ!?」
声が揃う。彼女はどうもショックだったみたいで、綺麗な紫色の瞳を瞠っていた。可愛い、可愛いなぁもう。
(こっ、これが押して駄目なら引いてみろ作戦の効果か……!! すごい! どんどん使っていこう、よし!!)
上手くコツが掴めたので、にっこりと笑ってその女を見つめて言い重ねる。
「駄目ですかね? たまにはレイラちゃん以外の女性と食べに行こうかと思ったんですけど……」
「いや、全然駄目じゃないです~。嬉しいです! えっ、どうしよう? でも私、ここら辺のお店にはそれほど詳しくなくって……」
「ははは、じゃあ俺行きつけの店で良ければ一緒に行きませんか? パスタが美味しいところで……雰囲気も良いし」
ちらりと横目でレイラちゃんを確認してみると、イラっとした顔をしていた。可愛い、そんな表情もよく似合う。
(こっ、これが作戦の効果……!! ものすごく可愛い! 滅茶苦茶がぁんってしてる!! 怒ってるけどしょんぼりしてる! 可愛い!!)
さぁ、ここで反撃といこうか。こちらをしきりに見つめてくるレイラちゃんに笑いかけてみると、ふいっと目を逸らされた。その横顔は酷く傷付いていた。
(ああ、堪らないな。すごく可愛い……!! 早く認めちゃえばいいのに、俺のことが好きだって)
この女はどうでもいいけど。いや、レイラちゃん以外の女はどうだっていいけど。せいぜい利用してやろうじゃないか。
(俺もそろそろ我慢の限界だし? ごめんね、レイラちゃん。そのまま嫉妬してて欲しい……!!)
多分、私が悪いんだと思う。
(ずっとずっと拒絶していたし……鬱陶しいとも気持ち悪いとも言っていたし。だから仕方が無いことなんだけど、本当に)
それでも胸の奥がもやもやとしてしまう。どうしよう? どうしたらいいんだろう。もう。しょんぼりとしてデスクに突っ伏していると、ぬっと紺碧色の影が現れる。腰に両手を当てたミリーだった。蜂蜜色の瞳が怒りに燃え、茶色い短髪が揺れ動く。
「ねぇ! ちょっと!? レイラちゃん!? アーノルド様に引き続いてエディ君もって一体どういうこと!? 糞じゃない!? あのチャラ男!!」
「えっ、ええっ? ミリーさん、いつになくエディさんにきびし、」
「いーい!? レイラちゃん! 私はね!? レイラちゃんに振られてしょんぼりとするエディ君を応援していたの! 一途にずっと付き纏っているエディ君を応援していたの!! 他の女が近寄ってきてそれにデレデレしてるエディ君なんか見たくないの! 分かる!?」
「おっ、落ち着いて、ミリーさん! どうどう、どうどう……」
鼻息をふがーっと荒くさせ、ミリーが迫ってくる。間近で吊り上がった瞳を見て、何だかふふっと笑ってしまった。
「いや、いいんですよ。もう……そもそもの話、私はアーノルド様の婚約者だし、」
「よくない!! ぜったいによくない!! よくないわ、レイラちゃん! 大体ねぇ、好きなんでしょう!? エディ君のこと! イラつかないの、レイラちゃんは!!」
「うーん、どうですかね……イラつくのかな?」
あまりにも怒っているミリーを見て、先程のもやもやが吹き飛んでしまった。それなので包装紙を剥いで、ハムと卵のサンドイッチを頬張る。美味しい。
「レイラちゃん! サンドイッチなんか呑気に食べてる場合じゃないでしょう!? エディ君がピンチなのよ!? あの女に取られちゃうわよ!? 大体ああいう大人しそうな顔をした女が全部掻っ攫っていって、」
「どうどう、ミリーちゃーんっ! てか俺も混ぜてくれない? 楽しそう~」
「ジーン、あんた。口説いてきなさいよ、あの女のことをさぁ!」
「荒れてるなぁ、珍しく! どうどう、どうどう~。よしよし~」
ジーンが爽やかな笑顔を浮かべて、ミリーの頭を撫でる。そして意気消沈しているこちらに気が付き、にやりと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「どうなの? レイラちゃん。心境の変化は? ん~?」
「特に無いですね……強いて言うのならアーノルド様とご飯、一緒に食べに行けば良かったなぁって。断っちゃったから」
「エマ的にはそれが一番嬉しいーっ! レイラちゃーんっ!」
「おわっ!? エマさん、ジェラルドさんは……?」
にこにこ笑顔のエマが二人を押しのけ、ぎゅうっと私を抱き締める。ふわふわとした赤茶色の髪がくすぐったい。ほんのりと甘い薔薇とゼラニウムの香りが漂った。
「いいのー、レイラちゃんと食べたーい! エマー」
「どうして婚約したんですか? 好きだったんですか? ずっと?」
こちらから体を離してばつの悪そうな、照れ臭そうな表情を浮かべる。エマはむうっとくちびるを尖らせ、「いいの、もう。その話は~」と言ってがさごそと茶色い紙袋を漁る。どうやらパンを買ってきたらしい。ふわりと焼き立てのパンの香りとガーリックの匂いが漂う。
「レイラちゃんもいる? 一口?」
「ああ、じゃあ。一口だけ貰おうっかな……」
その言葉とエディが重なってしまって、苦しい笑みを浮かべる。馬鹿だ、私。今更気が付いたって、後悔したって。
(気が付いて? まさか私。本当に好きになったんじゃ────……)
そこでがしっと両肩を掴まれ、思考が一旦途絶える。ミリーだった。いつもは優しい蜂蜜色の瞳を険しくさせ、私を睨みつけてくる。
「レイラちゃん、一度確かめてみた方がいいよ!? どういうつもりなのかを! あの糞男を問い詰めてみなくっちゃ、レイラちゃん!!」
「えっ、ええ~? でもそもそもの話、私はアーノルド様の婚約者で、」
「いいから聞くの! 分かった!?」
「はっ、はぁい……じゃあちょっと帰り誘ってみて。どういうつもりなのか聞いてみますね……」
ああ、気が重い。溜め息を吐いて、サンドイッチを齧ると湿っぽい味がした。一体どうしたいんだろう、私は。ただ嫉妬しているだけなのかそれとも。
(うっ、ううーん。あんまり気が付きたくないかも……)




