7.想定済みの状況だが、それでも腹立たしい
「……そういえば、レイラ? お前、新しくバディを雇ったんだって?」
義理の父親である、ハーヴェイ・キャンベルにそう問いかけられて、がちゃんとフォークを落としてしまった。慌てて銀製のナイフとフォークを持ち直すと、向かいの席でハーヴェイがにっこりと微笑んでいる。今は義妹のセシリアが贈ってくれた、白いレース襟に深い葡萄酒色のロングワンピースを着ているので、フォークを落とす訳にはいかない。
ここは首都リオルネの郊外に佇む、キャンベル男爵家の古い屋敷内である。キャンベル男爵家の晩餐の間で、とうとうこの時が来たかと冷や汗をかいていた。
深緑色の優美な蔦柄の壁紙に、こっくりとした臙脂色の絨毯が上品な晩餐室には、細長いオーク材のテーブルと椅子がずらりと並べられている。壁には先祖代々から受け継がれている絵画が飾られ、他にも代々の当主がグランドツアーで大量に買い付けてきた、美しいカップとソーサーが覗き見えるカップボードが並んでいた。
「……はい。それはそうですが、それがどうかしましたか、ハーヴェイおじ様?」
ふわふわと綿菓子のように波打つ、白髪混じりの銀髪は鎖骨まで伸びていた。アーノルドと同じく、褐色の肌と濁った銀灰色の瞳は、どこか年老いたピエロを連想させる。それに白いシャツと黒いカーディガンが合わさって、不穏さを漂わせていた。
彼こそがレイラの義理の父親にして、女王陛下の直属の護衛である、一等級国家魔術師。この国の貴族たちはみんな彼のことを“笑う蜘蛛男”と呼ぶ。その理由として、ハーヴェイが煙草型の魔術行使補助道具を吸って、白い煙のような魔力を口から吐き出し、それを銀色の糸に変えて、相手を縛り上げるからだ。
にこにこと愉快そうに笑いながら、糸を操って相手を人形のように動かし、様々な動きをさせて弄ぶことから、頭のおかしい“笑う蜘蛛男”と宮廷では恐れられていた。
そう、彼の趣味は人を弄ぶこと。ハーヴェイ自身「俺は人を弄ぶのが趣味だからね」と言って憚らない。だからこそ、何かと身辺が落ち着かない現女王陛下の護衛を務め、幼い頃に人外者から嘘が吐けない呪いをかけられたということもあって、信頼の置ける護衛として重宝されている。
「いや何。パパ上としては地上に舞い降りた天使のように可愛いらしい、大事な可愛い娘のレイラに悪い虫がついていやしないかと、それだけが最近の悩みの種なんだよ……」
物憂げな溜め息を吐いて、ハーヴェイがワイングラスを傾ける。アーノルドが二歳か三歳の頃に父上と呼べなくて、舌足らずに「パパ上」と呼んで、付いて歩き回っていたことが忘れられず、いまだにパパ上と呼んで欲しいらしい。ちなみにアーノルドはその話をされる度に「一体何十年前の話をしているんだよ!?」と怒り出すので、息子に構って欲しいハーヴェイは、あえてその話を持ち出す。
「は、はははは……そう心配しなくても別に、特に何の問題も起きていないので安心して下さい……」
ぎこちなく笑ったあと、目の前の美味しそうな夕食に意識を向ける。本日の夕食は主にアーノルドが作ったもので、レイラは野菜の皮むきしかしていない。人間嫌いで人見知りのハーヴェイが使用人を雇いたがらないので、基本的に家事はアーノルドが全てを担っている。
分家の息子でアーノルドの従者であるジル・フィッシャーでさえ、一緒に住みたくないと言い出したハーヴェイは、屋敷の庭に一軒家を建て、そこにジルを住まわせていた。何か手伝って欲しい時は、そこからジルを呼び出せばいい。
ちなみに、義理の母親であるイザベラと義妹のセシリアは、あまり人前に出たがらない父親と兄に代わって社交をこなし、更には服飾系の会社も経営しているので、家の家事などしている暇はない。
そういった訳で、この豪華な夕食もアーノルドと共同で作り上げたものである。本日のメニューは春らしく、もろもろの黄色いミモザ卵にじっくり焼いたアスパラガスと、南瓜と白いんげん豆のサラダ。メインは豚カツレツのトマトソース煮で、先程からこれが止まらない。
薄く切った豚肉に、パン粉をはたいてじゅわっと香ばしく揚げ、酸味のあるトマトソースとガーリックを投入して軽く煮てくれたのだ。
これがまた、ふわふわの甘い胡桃パンと合って最高でとても美味しい。最後はパンといんげん豆の野菜煮込みで、味わい深い美味しさである。昔ながらの定番料理が得意なアーノルドならではの、素晴らしいチョイスだった。
「……そうか。つい先程、俺の可愛い息子たんのアーノルドからお前に初対面で“火炎の悪魔”がプロポーズしてきたと、そう聞いたんだがなぁ……」
まずい、思いっきり知られている。それどころか、隣で平然とサラダを食べているアーノルドが告げ口したらしい。
「ちょっと、アーノルド様!? 私があれだけ言わないでって言ったのに、どうしてですか!?」
「あ? 他の頼みごとならまだしも、俺がそんな頼みをご丁寧に聞くわけがないだろう? 俺はあのクソ悪魔の得になるようなことは一切したくない。よって、父上に問題を隅から隅までしっかり報告しておいた」
黒いシャツに白いズボンを合わせたアーノルドが、しれっと告げてきた。何となくこうなるだろうとは想定済みだったが、それでも腹立たしい。横から私がぎりぎりと睨みつけても、どこ吹く風である。まるで今の俺の仕事はアスパラガスをよく噛んで食べることだと、そう言わんばかりだった。
「無駄よ、レイラお姉様。お兄様がそんな約束を守れる訳ないじゃない、本当にどこまでも陰湿なんだから……」
はっと、馬鹿にしたように笑ったセシリアが、レイラの隣でワイングラスを傾ける。波打つ金髪に青い瞳はどこか気高く、二十歳という年相応の生意気さでさえも美しい。セシリアはレイラと同じく白いレース襟のワンピースを着ていて、こちらは深い青色だった。
レイラはこの美しい義妹が好きだった。とは言っても、彼女は同僚のエマと似たような所があって、常に世界がレイラに合わせて回るべきだと思っているし、レイラを女神か何かのように崇め奉る時がある。好かれて悪い気はしないものの、たまに背筋が寒くなる。
「おい、シシィ? いくら何でもそれは言いすぎだろ、俺はするべきことをしただけだっての」
「あーら、するべきことが聞いて呆れるわ、お兄様! 大体、レイラお姉様に好かれてもいない癖に、よくもまぁ、そんな生意気な口が聞けたわね?」
「それとこれは今、関係のない話だろ!? うるさいんだよ、さっきから俺に妙に突っかかってきやがって……」
「あの、お二人とも、私を間に挟んで兄妹喧嘩をしないで下さいよ……」
しまった、この二人の間に座るべきではなかったかもしれない。向かいに座るハーヴェイとイザベラは、また始まったかと呆れて料理を口に運んでいる。私も私で、それなりに空腹なので早く食べたい。
「ごめんなさい、レイラお姉様! お兄様の性根が捻じ曲がっていたから、それを矯正しようと思っただけですの! でもよくよく考えてみたら、死ぬまで直らない類のものでしたわね……」
隣のセシリアがふうっと、物憂げな深い溜め息を吐いた。それを聞いた隣のアーノルドが、苛立たしげに舌打ちをする。どうもこの兄妹は、年がら年中喧嘩していないと気が済まないらしい。
「そんなことよりもお姉様! その“火炎の悪魔”からのプロポーズになんてお返事しましたの!?」
「はいはーい! それはパパ上も超絶気になってる、というかその男は拷問にでもかけて殺してしまうべきじゃないのか?」
「お父様はうるさいから黙ってて! 隣のお母様とでも話していればいいのに、どうしていっつもいっつもそう人の話に割り込んでくるのよ!?」
「イザベラ、愛しい君の産んだ娘がいっつも俺に冷たいんだよ、淋しいから夕食を全部あーんして食べさせて欲しいです……」
娘に冷たくされたハーヴェイが、めそめそとわざとらしく泣きながら、イザベラを振り返る。娘と同じ金髪を後ろで纏め上げ、気の強そうな青い瞳にふくよかな体を持ったイザベラが、溜め息を吐いた。彼女は漆黒のロングワンピースを着ていて、その胸元にはパールのネックレスが光っている。
「まったくもう、貴方ときたらいつまでもそうやって、子供みたいに甘えて」
「俺は淋しがり屋の子兎ちゃんだからね、こうやって可愛い君に甘えていたいんだよ~……」
キャンベル男爵家の現当主、ハーヴェイ・キャンベルは一切の嘘が吐けない。彼は子供の頃に人外者から、一生嘘が吐けない呪いをかけられてしまったのだ。だからこそ“火炎の悪魔”を拷問にでもかけて殺してしまうべきという台詞も、妻が可愛くて甘えていたいという台詞も全て本音である。
それなのでイザベラは、満更でもなさそうな様子で綺麗な微笑みを浮かべた。彼女はハーヴェイと同じく、四十七歳という年齢なのだが、それでも瑞々しい美しさを保っている。
「中年親父が何を言ってるんだか、本当にもう! ほら、黙って口を開けなさいよ」
ハーヴェイが嬉しそうに口を開けて、イザベラが乱暴にスプーンを突っ込んでいた。いつも不思議に思っていることだが、しっかり者で真面目なイザベラと、破天荒で滅茶苦茶なハーヴェイはどうして結婚したのだろう?
それにハーヴェイもイザベラも、お互いをこよなく大事に愛している。
「ねえねえ、レイラお姉様? お姉様はその、“火炎の悪魔”をどう思ってらっしゃるのかしら?」
袖を引かれ、そちらを見ると、セシリアが青い瞳を輝かせてこちらを見つめていた。期待に満ちた青い瞳にたじろぎ、思わず肩を揺らしてしまう。
「どうってそれは、普通に頭がおかしい人だなぁって」
「あのな、シシィ? レイラは真面目なんだから、そんな頭がおかしい、初対面でプロポーズしてきたような“火炎の悪魔”を好きになる訳がないだろ?」
「まぁ! お兄様はレイラお姉様に男として見られてないくせに、よくもそんな口が聞けましたわね?」
「さっきから一体何だよ!? いちいち俺に突っかかってきやがって! 明日からお前だけ飯抜きにしてやろうか!? なぁ!?」
「あの、お二人とも、一旦落ち着いて下さい、私を間に挟んで兄妹喧嘩をしないで下さいよ……」
この席に座るのではなかったと、後悔しつつ両隣の二人を宥める。すると、セシリアが心配そうにこちらを覗き込み、私をまじまじと見つめてきた。
「ねえ、レイラお姉様? そんな罪悪感や義務感などでお兄様と結婚するべきじゃありませんわ。ねえ、お母様もそう思うでしょう?」
「……ええ。そうね、その通りだわ。私も前からそう思っているのだけど、レイラ? 貴女はこの婚約をどう思っているのかしら?」
そう問いかけられて、息が詰まってしまったのはどうしてだろう?
私がおぞましい罪人だからか、お父様の最期の呪いが今でも両肩に刻まれているからだろうか。いいや、本当はよく理解しているからだ。自分が義理の両親から愛されていることに。気が付きたくないよ、だって気が付いてしまったら。気が付いてしまったら後戻りが出来ないような気がする、私は。
私はずっと怖いんだ、もう一度愛する家族を亡くしてしまうのが。どうしよう、大事な家族を作りたくない、もしもそれでまた死んでしまったら? お父様とお母様と呼べる存在をもう一度失ってしまったら?
怖い怖い、想像しただけで泣きそうになってしまう。お願いだから誰もいなくならないで、それなら大事な家族なんて作りたくないの。明日も生きている保証なんてどこにもない、現に私はずっとずっとお父様とお母様が生きていてくれると、そう馬鹿みたいに何の疑いもなく信じてたのに!
お願いだから私を大事な娘扱いなんてしないで欲しい、ずっとずっと居候でいいから私は。申し訳ないけど私は、貴方達と距離を取って暮らしたいの。もう、大事な大事な家族を手にする気力など残ってはいないのだから。
「えーっ!? 反対反対、そんなの絶対に反対! 俺の可愛い娘はどこにもお嫁にやったりなんかしないもん! ずっとずっと一生、パパ上の傍にいてくれるよね!?」
切羽詰まった表情のハーヴェイが慌てて立ち上がったので、そんな子離れする気のない夫の足をイザベラが蹴り飛ばした。
「あいたぁっ!? ちょっ、なんで今俺の足を蹴り飛ばしたの、イザベラ!?」
「貴方がそうやっていつまでもレイラのことを縛り付けるから、この子はいつまでたっても自分の意見を口に出来ないのよ!? いくらあのエドモンに似ているからといって、貴方は、」
「っあの! もういいです、イザベラおば様! 私の事ならどうぞお気になさらないで下さい、別にこの婚約にも、今の暮らしにも何の不満もありませんから……」
胸の奥が嫌な音を立てて軋んでいる、今すぐこの場から立ち去りたい、何も考えたくない。知ってるよ、私がお父様の代替品でしかないのも知ってるよ。本当に愛されているかどうかも分からない、でも、分からないままでいいんだ。私は幸せになってはいけない、だって世間の人々はそう言うもの。人殺しはいけないことだって、そんな犯罪者はさっさと死ぬべきだって。
私は罪を犯してしまった、本当はこんな風に温かい場所にいたら駄目なのに。本当は私は。
ああ、本当に手が血に濡れていない人が羨ましい。私もそんな風に生きれたらどんなに良かっただろう? なんて馬鹿げててくだらない、空想話なんだろうか!
そんなことはもう、天地がひっくり返ったって有り得ないのに。もう二度と、自分がしたことは消えやしないのに。どんなに懇願しても二度と同じ時は戻ってこない。世界は私が絶望したままで、今日も廻ってゆくばかりで。
「そうは言ってもね、レイラ? 貴女も私の大事な娘なんだから、もう少し何か言ってくれても……」
「申し訳ありません、その、今日は仕事で体も疲れていて。その話はまた今度にして貰えませんか?」
がたりと椅子から立ち上がって、ナイフとフォークを皿の上に乗せる。これ以上はここにいられない、この先の話を聞きたくもない、私は。大事な娘だなんてお願いだから言わないで、そんな言葉は欲しくなんてないの!
私は人殺しだから、幸せになんてなっちゃいけないから。どうか許して欲しい、でも私だって貴方達をこよなく愛しているよ。それを伝える気なんてきっと、これから先一生無いけれど。胸が痛かった、どうしようもなく。
私は所詮お父様の代替品にしか過ぎないのに、ハーヴェイおじ様とイザベラおば様だって私が親友の娘でなかったら見向きもしなかったくせに。その愛情でさえもひたすらに虚しく思った。
「すみません、アーノルド様。折角作って頂いたのに、こんなに残してしまって……冷蔵庫にでも入れて置いてくれたら、また明日にでも残さず全部食べるので」
アーノルドはどうやらもう全て食べ終えていたらしく、テーブルの上の皿は空っぽになっていた。その言葉に無言で眉毛を上げると、静かにこちらを銀灰色の瞳で見上げてくる。
「……ああ。それは別に構わないが。大丈夫か? 後で腹が減るんじゃないのか?」
「大丈夫です。お腹が空いたら空いたで、そのまま我慢して眠るので、」
「お姉様! そんな風に我慢なさらなくてもよろしいのよ? あれだったら後で私が、レイラお姉様の部屋に夜食でも運びましょうか?」
その言葉に微笑んで首を振る。お願いだからこれ以上もう、踏み込まないで欲しい。
「いえ、セシリア様にそんなご迷惑はかけたくないので大丈夫です、遠慮しておきます。それではハーヴェイおじ様、イザベラおば様。これで失礼します、おやすみなさい」
「……ええ、おやすみなさい。アーノルド、貴方、もう全部食べ終わったんでしょう? レイラの顔色も悪いようだから、部屋まで送り届けてくれる?」
「言われなくともそうするつもりでしたよ、母上。ほら、レイラ。行くぞ?」
同じく立ち上がったアーノルドが、有無を言わせない強さで私の手を握り締める。ハーヴェイは終始無言だった、険しい表情で二の腕を組んで座っていた。その目は静かに閉じられている。
「あの、なにも手を繋ぐ必要はないんじゃ……アーノルド様?」
彼はどうあっても私の手を離すつもりはないらしく、強引に手を引っ張って歩いてゆく。何が気に障ったのかよく分からないが、ご立腹らしい。とにかくもこれで目の前の問題から逃げれると、レイラは疲れたように溜め息を吐いた。
「……なぁ、イザベラ?」
珍しく静かな夫の声に、これはこれで落ち込んでいるのだろうなと呆れてしまう。それだったら、もっとレイラに上手く言えば良かったのに、彼は今も昔も不器用な人だ。自分の苦しみや悲しみを、上手に捌けない弱い人だから。だからこそ、エドモンも私に頼むと言ってきたのだろう。本当は私のことが気に入らなかったくせに。
「俺はいつになったら、あの子のお父様になれるのかなぁ……皆目見当がつかん」
そう呟いてずるずると、背もたれに背中を預けて黙り込んでしまう。その気持ちはよく理解出来た。私達はいつになったら、あの子のお父様とお母様になれるんだろう? いつまで経ってもあの子はよそよそしくて、我が儘なんて一つも言ってくれない。
あの子も私の大事な娘なのに、こんなにも愛情を注いでいるのに、距離が縮まらないだなんて虚しすぎる。一体どうすればいいのだろうか? もうかなり疲れてしまった。
「そっ、それを言うのなら私もよ、お父様……レイラお姉様はいつまで経っても他人行儀で、いつまで経っても私のことをセシリア様って呼ぶの、本当はシシィちゃんって、そう呼んで欲しいのに!」
向かいの席に座る、セシリアが目を赤くしてスプーンを握り締めている。この子ですらも、レイラは拒絶していた。自分はこの家の居候にしかすぎないのだからという態度を貫き通して、頑なにセシリアをセシリア様と、そう呼び続ける。
私もそれにはかなり疲れてしまった。どんなに優しく話しかけても、たとえあの子の為に果物たっぷりのフルーツタルトを焼いたとしても「有難いです、申し訳ありません」と言って、恐縮して受け取られる毎日だった。あの子の笑顔が見たくてしただけなのに、居心地が悪そうな表情でお礼を言われても、全然嬉しくもなんともない!
ただ、あの子の弾けるような笑顔が見たかっただけなのに。どうしてだろうか? 私の何が駄目なんだろう? そりゃあ、実の母親に敵わないのは理解しているけれど。それにしたって、態度が冷たすぎる。いや、私達と家族になる気がないのだあの子は。そこまでを考えると、その事実に胸がどうしようもなく詰まってしまった。
そうだ。あの子は、レイラは、私達と家族になる気なんてさらさら無いのだ。私達は拒絶されている。家族になんてならなくていいよと、そうはっきりと拒絶されている。どうすればいいんだろう? もう、あれから何年も経つのに?
いつまで続くのだろうか、義理の家族でしかないと、そう思い知らされる時間が。いつまで続くのだろう、あの子からの拒絶が。
「レイラは、あの子は。まだ自分の事が許せないのね……まだ自分が人殺しだって、きっとそう思い込んでいるんだわ、だからきっと私達にもああやって言って、」
それは、自分を慰める言葉にしかすぎなかった。だって、そうでも思わないとやっていけない。もしもあの子が単純に、私達の事が嫌いだったら? 私達の家族にはなりたくないのだと、そう思っていたとしたら? ああ、考えたくもない。
なんて恐ろしい事実、そんな現実には蓋をしてしまおう、そうしよう。きっとあの子は罪悪感で身動きが取れなくなっているだけだ、きっと絶対にそうだ。あまり深く考えないようにしよう、実際のところ本人がそう言っている訳じゃないんだから。あの子の気持ちは、あの子にしか分からないものなんだから。
「そんっ、そんなの。絶対にお姉様のせいなんかじゃないわ! だってお姉様は何も悪くなんてないもの、それなのにどうして、お姉様はいつまで経っても私達の話を聞いてくれないのかしら? ねえ、どうしてかしら、お母様? どう言ったら、レイラお姉様は私達の話を聞いてくれるのかな……」
分からない、そんなこと。私が誰かに教えて欲しいぐらいだと、悲しく思ったが黙って耳を傾けていた。その話を続ける気にはなれなかった、その代わりにエドモン・ハミルトンへの怒りが募る。あの女のように可愛らしくて、憎たらしくて私にねちねちと嫌味を言ってきた男。そんなにハーヴェイのことが好きなのならば、お前が私の代わりに結婚すれば良かったのだ。
『頼むよ、イザベラ嬢……俺だっていつまでも、あいつの、ハーヴェイの傍にいてやれる訳じゃないから。いつかあいつが一人ぼっちで泣いてしまわないように、どうかどうか、頼むからハーヴェイと結婚してくれないか?』
エドモンが心底淋しそうに笑う。私の事をとんだじゃじゃ馬娘だって、陰口を言ってたくせに。
『なぁ、頼むよ。イザベラ嬢。あいつには君しかいないんだよ、君だってそれはよく分かっているだろう? お願いだよ、どうかどうか、ハーヴェイがいつか一人ぼっちで泣いてしまわないように君が────……』
「っどうして、エドモンもエドモンで、全部を一人で背負い込もうとしたのか……!!」
だんと拳をテーブルに叩きつけて、遠いあの日の彼の姿を打ち消した。何もかも全部あいつが悪い、私達が今こうやって苦しんでいるのもレイラが苦しんでいるのも。隣のハーヴェイがそっと、怒りに震える背中を擦ってくれる。意外にも彼は人を慰めるのが上手かった、いつだって私の欲しい物をよく分かっている。
「……あいつは、エドモンは。昔からずっとそうだったよ。いつだって無茶なことを言い出して、俺はいっつもあいつに置いて行かれないように必死で、必死で、しがみついていたのに」
そこで言葉を切って、ハーヴェイがテーブルの上に置いた私の手を握ってくる。
「とうとう、あいつは俺を置いて、あの世に逝っちまった……!!」
ぎゅっとこちらの手を強く握りしめ、ハーヴェイが低く呻いて目元を押さえた。その苦しみもよく分かった、あれは事前に防げる事故だったから。イザベラも可愛らしい友人を失った。レイラの母親のメルーディスだ。あの子が今でも泣きべそをかいて、エドモンがねと言って部屋を訪ねてきそうだった。
あの可愛らしい、私の妹。彼女は私の妹同然の存在だったのだ。だからこそせめて、亡くなる瞬間は幸せだったとそう思いたい。イザベラが彼女の立場だったら幸せに思うからだ。可愛い娘のレイラが生きている。それだけでもう十分なのだと。
私だったらそう思うと、レイラにも伝えたのに。あの子は苦しそうに笑うだけだった。どう伝えて何を言えば、あの子の気持ちは楽になるんだろう?
遠い遠い、四人で遊び回った幸せで懐かしい学生時代。皆若くて、こんな悲劇が起こるだなんて想像もしていなかった。もしかしたら唯一、エドモンだけは違ったのかもしれないけど。
「エドモンなんか嫌いだ、俺を一人にしないって言ったくせに。俺は死なないだなんて笑ってたくせに、ずっとずっと俺の親友でいてくれるって、そう生きて約束していてくれたのに何でどうして、もうどこを探しても、この世のどこにもいないんだろう……!!」
ハーヴェイが両手で顔を覆って、とうとう泣き出してしまった。その泣いて震える背中を優しく擦ってやる。先程ハーヴェイが自分にしてくれたように、そっとそっと温かく。
「私がいるわ、ハーヴェイ。たとえ誰が死んでしまっても、私だけはしぶとく生きて、貴方の傍にいてあげるから……」
それまで泣いていたハーヴェイが顔を上げて、涙に濡れた銀灰色の瞳でこちらを見つめてくる。その顔は今も昔も素敵だとは言えなかったけど、他の女が寄ってこないのでそれでいい。現にメルーディスは頻繁に嫉妬していて辛そうだった、エドモンが常に、沢山の可愛い女の子に囲まれていたから。
自分は意外にも嫉妬深いので耐えられない。良かった、この人がハンサムじゃなくて。
「ほん、本当に? 俺との約束だよ、イザベラ。どうか君だけは俺を残してどこかに行ってしまわないで……俺はきっと、それだけはエドモンより許せないだろうから」
彼が嘘を吐けないだなんて、そんな厄介な呪いをこんなにも愛おしく感じるだなんて。出会った当初は考えられないことだった、こんなにも彼の本当が愛おしい。
(情けないわね、私もまだまだ子供だわ。死んだ人間に、夫の亡き親友に今でも嫉妬しているだなんて……)
それでもまぁ、いい。ハーヴェイはたった今、エドモンよりも私の方が大事だと言ってくれたも同然なのだから。ただそれでも、彼は嘘が吐けない呪いにかかっている人間なので。私とエドモン、どっちの方が大事かなんて面と向かって聞けなかった。
多分これからも一生聞けないだろう、それでも相手はこの世をとっくに去った人間なのだから。それで良しとしようか、最後に勝つのはいつだって生きた人間なのだから。
「……ええ。約束してあげるわ、ハーヴェイ。仕方がないから、貴方の傍にずっと一生いてあげる」
随分昔にもそう言ったような気がするけど、あんまり深く考えないようにしていた。今も昔も、どうも素直に好きだとは言えない性格らしい。こんな台詞をエドモンが聞いたら、ほらやっぱりねと嘲笑うような気がした。
『やっぱり君はハーヴェイのことが好きなんじゃないか、イザベラ嬢?』
遠い遠いあの日の彼の言葉が蘇ってくる。馬鹿野郎、なんで勝手に死んだのよ。本当に馬鹿みたい、やっぱりあんたのことは最初から最後まで到底好きになんてなれなかった。私達は水と油なのよ、エドモン・ハミルトン。それなのにどうして、あんたの命日には毎年涙が出てくるんだろうか?
ああ、やっぱり私はどうも、素直に好きだって言えない性格なのかもしれない。




