30.念願の遊園地と女殺しの独り言
「ああ、良かった。流石にサイラス様は置いてきたんですね……?」
「っはぁ、はぁ、ぜん、全力で置いてきた……!!」
「お疲れ様です、エディさん」
「全力疾走してきたな、お前……」
黒いシャツにデニムを履いて、ボディバッグを身に付けているエディが、両膝に手を置いてぜいぜいと息を荒げている。珍しくその髪は黒髪だった。隣に立っているアーノルドが首を傾げ、さらりとエディの黒髪を梳かす。
「エディ、お前。今日は黒髪なのか?」
「ああ。これ、ウィッグ……いちいち魔術を使うのも面倒だし。この前買ってきた」
「えっ? 買ったんですか? じゃあ、これから毎日ずっと付ける感じ?」
「いやいや、俺の赤髪ってトレードマークになりつつあるからさ。それで」
ようやく息が整ってきたのか顔を上げて、困ったように微笑んで黒髪を摘まむ。そうしていると何だか随分と幼く見えた。
「今日は遊園地だろ? 普段会っている子供とか主婦の皆さんにさぁ、会いたくないなと思って。折角の君とのデートだし?」
「おい、さり気なく手を握るなよ……鬱陶しい」
「あっ」
アーノルドがやんわりとその手を振り払い、エディが淡い琥珀色の瞳を丸くして見上げる。彼も彼で、ようやくアーノルドの服装に気が付いたのだろう。今日の彼は黒いポロシャツにデニムを履いており、エディと似たような格好をしている。しかし、いつもの銀髪はウェーブがかった黒髪で、薄い色合いのサングラスをかけている。
「えっ? 何その、怪しい芸術関連の人みたいな服装は……? 絵、描いて売ってそう。いや、彫刻かな?」
「やめろ! 俺もお前と一緒で変装してんだよ。囲まれたくないだろ?」
「でも、そのスタイルの良さで台無しですよね……」
彼は驚く程に手足も背も高く、その場に立っているだけで人の目を惹く。無意味な変装だと自分でもよく分かっているのか、むっつりと黙り込んでしまった。辺りに人はいない。ここは遊園地から大きく外れた公園で、この公園を出て横断歩道を渡れば、遊園地の巨大なマスコットが出迎えてくれる。
「そんなことよりもっ! 俺はレイラちゃんがいつにも増して可愛くて辛い、目が潰れてしまいそうっ……!!」
「えっ? あっ、ああ。別に適当に、そこら辺にあるものを着てきたんですけどね……」
嘘だ。私が物凄く悩んで悩んで、服を選んでいたことを知っているアーノルドが、そう言いたげな顔で見下ろしてきた。
(だっ、だって折角の遊園地なんだもん。お願いだからそのまま、何も言わないで欲しい……!!)
両肩に白と淡いブルーのリボンが付いたワンピースを着て、大きなブルーリボンが付いたショルダーバッグを提げていた。そしていつもの黒髪は巻いてシニョン風にして、白い花々のバレッタを付けている。
「わ~、可愛い。お花の妖精さんみたい……!! 初夏の花畑で会いたいっ! 好き! 可愛い!!」
「も~、大袈裟なんですよ。エディさんは……」
「なぁ、俺。帰ってもいいか? お前ら二人で回ればいいだろ、お前ら二人で」
「えっ!? 何で!?」
「何だ、急に。拗ねちゃってよ」
アーノルドが眉間に皺を寄せ、薄いサングラス越しにじっとこちらを見下ろしてくる。確かにその服装は怪しげで、芸術関連の人に見えた。
「レイラ、お前もお前で。父上と母上のことは気にせずに……」
「いっ、嫌です。婚約解消しません! 私はアーノルド様と結婚しますっ!」
「レイラちゃん、そんな」
思わずアーノルドの褐色の腕に飛びつき、しがみついていた。
(だって、怖いんだもん。ぽっと現れたエディさんが、実は私のことなんか好きでも何でもなくって)
ああ、まだ不安が拭えない。どうして彼は時折、ぞっとするような冷たい瞳でこちらを見下ろしてくるのだろう。
(それにあの、サイラス様だっているし……怖い、得体が知れない)
エディが人を騙すような人には見えないが、それでも。
「私はアーノルド様と結婚します……エディさんは何かちょっと怖いから嫌だ」
「えっ!? 何で!? どうして!? どこが!?」
「だっ、だって。だって戦争の英雄だし……?」
信用出来ないとは言えなくて嘘を吐いた。信じていたいのだ、私も。その好意が本物だって。エディがショックを受けた顔をしていた。伸ばしていた手を彷徨わせ、ふっと困ったように笑う。
「そう、そうだよね。ごめんね……」
「謝るべきは、私じゃないと思うんですけど……」
「レイラ、もういい。やめろ」
「アーノルド様?」
アーノルドが青ざめた顔でそっと首を横に振り、私の頭を撫でてくれる。
「今日は三人で遊ぼう。何だっけ? サイラスだっけ? お前の兄さん」
「うん、サイラス。それが?」
「土産でも買っていってやろうぜ、出かけに騒いでいたんだろ? ブラコンで女好きってのが、よく想像出来ないが……」
エディも薄っすらと青ざめていた。黙ってこくりと頷いている。
(あれ? 何だろう、私は)
足元が暗く、がらがらと崩れ落ちて誰かの悲鳴が聞こえてくるような気がした。かつての私の、悲鳴が。
「レイラ? どうした? 顔色が悪いぞ? お前」
「あっ、ああ。何でもありません。貧血かな……」
頭を振って見上げてみると、エディがまた、酷く冷たい眼差しでこちらを見下ろしていた。仄暗く、背筋がぞっとするような淡い琥珀色の瞳で。
(ああ、ほら。また私をそんな目で見る……好きなのかな、本当に私のことが)
とりあえず、今だけは全てを忘れて楽しもう、そうしよう。何となく気まずい雰囲気のまま、遊園地へと向かった。
「レイラちゃん、俺っ! 次はこれに乗るっ! 君とこれに乗るっ!!」
「落ち着いて下さいよ、エディさん。長蛇の列だし……」
「まぁ、人気のアトラクションだからなぁ~」
私もそうだが、エディはもっとはしゃいでいた。遊園地に入った途端、テンションが上がって「わーっ! 写真撮るっ! レイラちゃんと一緒に写真を撮るっ!!」と言って騒ぎ、何やら耳が大きいゾウのような着ぐるみと一緒に写真を撮った。ちなみにアーノルドが撮影してくれたのだが、スタッフさんがやって来て「どうぞ、撮りますよ~」と声をかけてくれたので「えっ? そう、そうですか?」と言って戸惑い、微妙に嫌そうな顔をしたエディと並んで、写真を撮って貰った。
本当にアーノルドが遊園地の雰囲気と合っていなくて、エディと二人で肩を震わせて笑ってしまったのだが。それは内緒である。
「あっ、どうぞ。前……」
「えっ? いや、でも列」
「良かったね、エディ君。アーノルド様がいるけど、レイラちゃんとデート出来たんだね……」
「えっ……」
思いっきりばれている。渋々とサングラスを外し、煌く銀髪に戻ったアーノルドを見て、若い女の子達から「きゃあっ」と歓声が上がり、女殺しに気が付いた皆さんがざっと飛びのいてくれる。
「わぁ、凄いな。お前の美貌。百二十分の待ち時間をゼロに出来るじゃん……すげぇなぁ」
「やめろ、やめろ……」
「本当に便利ですよね、アーノルド様の美貌。やった!」
「やめろ……頼むからやめてくれよ!?」
こちらを真っ赤な顔で見つめてくる人に頭を下げつつ、ゆうゆうと進んでゆく。ちなみにこのアトラクションは魔術仕掛けの川を渡るもので、小さな船に乗って、ドラゴンや宝石魚を見ることが出来る。
「わ~、楽しみ! エディさん、エディさん。もうちょっとそっちに寄って貰えませんか?」
「あっ、うん。大丈夫? 川側の席じゃなくって」
「別にいいです、真ん中で~。この方が落ち着くし」
「あれだな、シートベルトとかは無いんだな……」
「ゆったりとした動きのアトラクションだからな~、大丈夫大丈夫。そう心配しなくっても!」
船を模した乗り物に乗ってバーを掴むと、ざっぱんと水しぶきが上がった。頭上に爽やかな青空が広がってゆく。
「わ~! 楽し~! もっと早く来れば良かったかも~、遊園地~」
「ドラゴン! ドラゴンはまだかな、ドラゴン!」
「まだだろ。あっ、でも見てみろよ。あの茂み。さり気なくドラゴンの卵が置いてある」
「えっ!? どこどこっ、どこ!?」
「あそこ、あそこ。ああ、もう見えなくなった」
「え~!? そんなぁ!」
「エディさん、どんどん森林へと入っていきますよ? 前見なきゃ! 勿体無い!!」
「それもそうだね! 凄いな、本格的だ!」
漂う緑の匂いと水の匂い。三人で笑って、遊園地特有の賑やかな音楽に自然と足取りが弾む。
「ポップコーン! キャラメルポップコーンを食べようよ、レイラちゃん!」
「んぐっ、私。まだ妖精の綿飴を食べている最中……!!」
「大丈夫か? 食べ切れるか?」
「ふふっ、はい。でもアーノルド様も食べてみて下さいよ、ほらっ」
これは食べるとぽしゅんと背中から妖精の羽が出てくる綿飴で、美しいレインボー色をしている。笑って押し付けてみると、アーノルドが「わっ」と言いつつ齧り取り、背中から透き通った羽がしゅわりと生えてきた。
「レイラちゃん、俺は!? 俺は!?」
「えっ? 食べます? アーノルド様が食べた後ですけど」
「じゃあ、レイラちゃんが食べた後に食べるっ!」
「えっ、気持ち悪」
「レイラ……お前な」
妖精の羽を生やしたアーノルドが溜め息を吐き、エディが酷くつまらなさそうな顔をする。渋々と綿飴を齧って「はい、どうぞ?」と言って差し出すと、真っ赤な顔で、両目をつむってがぶっと齧り取っていた。
(わっ、しまった。心臓がやばい)
赤い顔でもぐもぐと食べて、羽を生やしているエディに、心臓の動悸が何だかとんでもないことになって汗を掻いてしまう。そんなこちらを見てまた、アーノルドが眉間に皺を寄せていた。
「次。次、何に乗る? ジェットコースターにでも乗るか?」
「お前、平気なの? 絶叫系」
「……ある程度は」
「無理しないで下さいよ、アーノルド様。でも、私も乗ったことないし。ちょっと乗ってみようかなぁ~」
途中で吸血鬼とグールが襲いかかってくるというジェットコースターに乗り込み、発車するのを暗がりで待っているのだが。
「えっ、怖……アナウンスがもう怖い。何? 心臓が弱い方って。死んじゃうの……?」
「大丈夫だよ、レイラちゃん。俺がキスして蘇らせてあげるからね?」
「それって溺れた時とかのやつで、心配停止状態の時は何の役にも立たないのでは?」
「何の役にも立たない……」
「ほら、発車するぞ。しっかり捕まっておけ。いいな?」
「はぁ~い」
「はぁ~い……」
結局は澄ました顔のアーノルドが一番「うわあああああっ!?」と叫んでいたので、恐怖が倍増して、私達も大きく叫んでしまった。次々と襲いかかってくる血走った目の吸血鬼に、がたがたと乗り物にしがみついてくるグールが本当に恐ろしくて、夢に見てしまいそうである。
「うぇっ、疲れた……」
「ちょっと休憩しようか、レイラちゃん。お昼ご飯でも食べる?」
「それならフードコードにでも行くか。誰かが席を譲ってくれるだろ」
「アーノルド様、すっかり開き直っちゃったんですね……」
散々遊んで疲れ果ててしまったので、フードコートへと移動する。人で賑わっているフードコートをきょろきょろと見回していると、瞳を輝かせた中年女性三人組が立ち上がっ、てアーノルドに記念撮影と握手を求めてきた。流石は希代の色男、便利である。こうして、私達は席を無事に確保したのだった。
「う~、何を食べようかなぁ」
「俺はレイラちゃんと同じ物にする……!!」
「いっそ、ステーキでもいいな。高いけど」
「がっつりいきますねぇ、アーノルド様」
不貞腐れた表情のガイルとそっくりさんに荷物を任せ、店の前で考え込む。キャラクターをイメージしたハンバーグやパスタなどがあって楽しい。どれもこれも美味しそうだ。
「んん、このスパイシーチキンのサンドイッチとハッシュドポテトのセットにする? でもなぁ~」
「レイラちゃん、こっちも好きなんじゃない? 海老と檸檬のクリームパスタ」
「あっ、ああ~……でも、それは普通のお店でも食べれるし」
「俺はこっちのタンドリーチキンとフライドポテトのセットにする。エディは?」
「俺はレイラちゃんと同じ物にする!」
「そうだったな……早く決めろよ、レイラ」
「うっ、はい。ちょっとだけ待ってて下さい!」
結局は目玉焼きとハンバーグと、キャラクターの顔が描いてあるホットケ―キのセットにしたのだが。
「えっ、これ。ちょっとお子様というか何と言うか……」
「でも、子供向けじゃなかっただろ? それ」
「いいんじゃない? 可愛くて。レイラちゃんもまだまだ子供だし」
「えっ!?」
二十三歳は大人だと思うが。戸惑って、向かいで同じ物を食べているエディを見上げてみると、もぐもぐと頬を動かしつつ「どうしたの?」とでも言いたげに首を傾げていた。
(子供、子供。そっか、子供か……)
確かに仕事の大半はエディに任せているような所があるし。今まで散々泣いたり縋ったり、拗ねたり八つ当たりをしたりして。
(あれ? そう考えると私って、大人の女性としての魅力が無いに等しい……?)
彼は一体、私のどこを好きになったんだろう。そりゃあ一緒にいて落ち着くし、価値観も気も合うんだけど。からからと氷をかき混ぜて、ストローでオレンジジュースを吸い上げて考え込む。こういうのを飲んでいるからだろうか、それともこう思っていること自体が子供なのか。よく分からない。
「んー、アーノルド様。私って子供ですかね?」
「何でそれを俺に聞くんだよ、お前は……」
「まぁ、今のは言葉のあやみたいなもんだからさ?」
エディが穏やかに苦笑して、目玉焼きをフォークで割って口へと運ぶ。黒髪なのが新鮮だった。黒いシャツが逞しい体によく合っている。
(本当に好きなのかな、私のこと。怖い。毎日プロポーズされている筈なのに)
不安が拭えない。どうしてもこのまま、アーノルドと結婚した方がいいんじゃないかなって。そう考えてしまう。向かいで口元を拭っていたアーノルドが、鋭い銀灰色の瞳でこちらを見つめてくる。彼はもうすっかり諦めてサングラスを外して、元の銀髪に戻っていた。
「食べたらどうする? まだあちこち見て回るか?」
「俺、夕暮れ時に。レイラちゃんと一緒に観覧車に乗りたーいっ!」
「ガイルさんとでも一緒に乗っていればいいんじゃないですかね、エディさんは」
「えっ? 何でそこでガイルが出てくるの……?」
さっさと全部話してしまえばいいのに。エディはそれをしない。遠くの方でレイラが笑って、こちらに手を振っている。一人で空飛ぶ箒に乗りたいからと言って、俺とエディを置いていったのだ。ひらりと白いワンピースの裾が翻って、隣で佇んでいるエディが「大丈夫かな、パンツが見えそうで不安なんだけどな」とはらはらとした様子で呟く。
「大丈夫だ。昔からスカートを履く時は、下に何か履けって言ってあるから」
「うわ、陰湿。そうやって俺にレイラちゃんと積み重ねてきた時間を見せつけやがって。陰湿」
「何でだよ……だから、俺はお前と違って兄扱いされているんだろうがよ。お前はそれでも羨ましいのか? なぁ?」
淡い琥珀色の瞳を瞠って、こちらをしげしげと眺めてくる。先程レイラが「見慣れないなぁ、黒髪」と呟いていたが確かにそうだ。振り返る度、一瞬別の人かと思ってしまう。
「なぁ、逆に聞くけどさ?」
「……何だ?」
「お前、俺の味方か? 信じてもいいのか?」
「それは」
とっくの昔に決めたことだ、何もかも。俺はあまりにも無力な存在だったけど。
「エディ、お前は俺が味方にならなくっても、どーせレイラと結婚して幸せになるんだろう? いいよ、知っているからもう」
「まだ拗ねているんですか? アーノルドさん」
やめろ、俺をそんな風に呼ぶなよ。エディ、エディ。エディ。
「早く話してしまえばいいのに、お前も」
「俺はお前と同じ轍を踏みたくはない。……いいんだ、俺は。今日も明日も、レイラちゃんが笑っていてくれたらそれで」
よくないと、そう言おうとしたが言葉が出てこなかった。青い青い空に溶け込むようにして、白いワンピース姿の彼女が箒に乗って飛び、こちらに手を振ってくる。愛おしく見上げながらも、ひらひらと手を振って応えた。横を振り返ってみると、エディも似たような表情で手を振り返していた。
「ああ、お前らにとって俺はきっと、いつまでも邪魔な存在なんだろうなぁ……」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもない。エディ、お前。腹空いているか? ドーナッツが食いたい、俺」
「一人で食えばいいじゃん、一人で」
「……」
「嫌なんだな……分かった、いいよ。食うよ。それでいいんだろ? なっ?」
「うわぁ~っ、疲れたっ! あーあ、でも楽しかったなぁ~」
淡いブルーのネグリジェを着て、寝台の上でごろごろと寝転がる。ぎゅっとテディベアを胸元に抱え、口元を緩めた。
「ああ、ようやく。全部出来た、手に入った……」
それもこれも全部、エディのお陰だ。子熊のピンブローチも悪夢避けの可愛いサシェも、遊園地に行くことも、このテディベアも何もかも。
「エディさん……どうしよう、怖いな」
昼間に子供扱いされたことが酷く悲しくて。胸元のテディベアをぎゅっと抱き締め、両目を閉じて深く考え込む。
(もしも、エディさんが私のことを。本当に好きじゃなかったら……)
そこで不意にがちゃりと、寝室の扉が開いて飛び上がってしまう。何故かアーノルドが紺色の魔術手帳を握り締め、息を荒げて立っていた。これから眠る所だったのか、爽やかなブルーストライプ柄のパジャマを着ている。
「わっ、悪い。レイラ。今、エディの兄のサイラスから連絡があって……どうもお前と俺とエディとで、その、全員で水着を選びに行くことにしたらしい。社員旅行用の」
「えっ!?」




