25.夏の社員旅行のお知らせ
「んあ? にゃふの社員旅行って、ふんなのあったんら?」
「エディ、お前。口の中にものを突っ込んで喋るのやめろよ、本当に……」
何かと面倒見が良いアーノルドが、紙ナプキンを手渡している。一方の私は「どこから取り出したんだろう、それ」といった言葉を飲み込んで、サンドイッチを食べていた。これには先日言っていた美味しいハムが挟まれている。エディはアンナの美味しいハムを完璧に再現してくれて、しかもパンまで焼いて、ハムとキュウリを挟んで持って来てくれた。それなので今日のお昼ご飯は、エディお手製のサンドイッチと葡萄ジュースである。デスクに座って葡萄ジュースを飲んでいると、隣に座ったエディが話しかけてきた。口元にはパンの欠片が付き、手にはハムとクリームチーズのベーグルサンドを握り締めている。
「レイラちゃん? 夏の社員旅行ってどんなことするの? 去年も行った?」
「行きましたよ~、ジーンさんとエマさんがうるさ、いえ、賑やかでした。毎年行っていますよ、夏の島に」
「えーっ!? タイムスリップしたい、水着姿のレイラちゃんに俺も会いに行きたいっ!!」
「だから今年は全員で行くんだろうが、まったく」
向かいにある、ジーンのデスクを借りて座っているアーノルドが、深い溜め息を吐いて見つめてきた。気まずくなってハムの断面を見つめる。あれからどことなく、ぎくしゃくしていた。
(うーん、だから今日は関係改善? のためにも。エディさんと三人でご飯を食べようって、そう誘ったんだけどなぁ~)
どうやら、この作戦は宣言した時点で失敗してしまったらしく、エディとアーノルドは非常に嫌そうな顔をしていた。
「まったく、仲が良いのか悪いのか。はっきりさせて欲しい所ですね、お二人とも?」
「えっ、え~? 俺はその、アーノルドとはさ? こいつが婚約解消したら好きになれるし、普通に仲良く出来ると思うんだけどなぁ~」
「エディ、お前な……一体いつ、俺がそんなことを頼んだんだよ? いいよ、もう別に」
アーノルドが腕を組み直して、不機嫌そうに呟く。そして、薄っすらと執着が滲んだ銀灰色の瞳で見つめてきたので、思わず眉間に皺が寄ってしまった。隣に座ったエディがぎっと、背もたれによりかかる。
「えっ? 何? 二人とも喧嘩でもしたの?」
「喧嘩って。……訳じゃないんですけど、まぁ、アーノルド様が悪いです、アーノルド様が」
「ぐうの音も出ない。悪かったな、レイラ。あれは確かに俺が全面的に悪かった、許せ」
「そんな風に機械的に謝られても……許しにくいというか何というか」
そこでぴりりとした空気が漂う。エディが緊張した表情でもぐもぐと、手に持っていたベーグルサンドを食べ始める。一方のアーノルドは食欲が無いのか手を付けない。今日の彼は食堂で、ローストビーフサンドイッチと珈琲を頼んでいた。
「それ以外に何て言えばいい? 泣いて謝れば気が済むのか? なぁ?」
「いや、ですから。そういうものの言い方に腹が立つんですって! 絶対に反省していないでしょ、アーノルド様?」
「してる。してるけど表情に出てないだけだろ? お前の受け取り方が悪い」
駄目だ、すっかり臍を曲げている。思わず額を押さえて、溜め息を吐いていると、エディが身を乗り出してアーノルドに話しかける。
「なぁ、ちょっと落ち着けよ? アーノルド。珍しいな、おい。お前がレイラちゃんに強く当たるだなんて」
「年がら年中一緒に暮らしているからな。喧嘩する時だってあるさ、喧嘩する時だって」
「繊細だな、お前も」
「うるせぇよ……」
そこでアーノルドが背もたれへとよりかかって、両手で顔を覆ってしまう。
「まぁ、アーノルド様なりに。後悔しているんでしょうけどね~」
「えっ? 一体何があったの? というか何をされたの? レイラちゃん?」
心配そうに覗き込まれて、その淡い琥珀色の瞳に喉の奥が詰まった。そっと向かいのアーノルドを見てみると、まだ顔を覆っていたので声を潜める。
「今夜、その。連絡しますから、ねっ? そんで、あー……」
「うん、励ましてあげるよ。レイラちゃん? 辛かっただろ? 俺、何が起こったのかよく分かってないけどさ」
空いた方の片手でぽんぽんと頭を撫でられ、また一層、胸の奥が詰まってしまう。
(っぐ、心臓に悪い……)
エディはいつもの蕩けるような微笑みを浮かべると、甘い声で穏やかに囁いてくる。
「でも、きっとレイラちゃんは悪くなんてないよ。それに」
「それに? ……何ですか?」
「今、向かいでがっつり聞き耳を立ている奴を許してやってよ、レイラちゃん。まぁ、うん。三日以内には? 何か死にそうな顔してるから、今朝から」
「おい、エディ?」
アーノルドが慌てて起き上がって、その気まずそうな銀灰色の瞳と見つめ合う。何故かぐっと褐色の頬を染めて、眉を顰めて俯いてしまった。
「ごめん、レイラ。謝ってるつもりなんだが……ああ、もう。エディさえいなければな~」
「それって今、この時の話? それとも違う意味?」
その言葉に驚いてしまったのは、何かの鋭い棘が声に潜んでいたから。あまりにも鋭い問いかけに、アーノルドがむっつりと黙り込んで、褐色の手のひらを見つめる。
「別に……どう受け取っても貰っても構わない、でも」
「でも? 何だ?」
「俺とレイラはいずれ婚約を解消するだろうな、父上が納得してもしていなくとも」
曖昧な言葉を黙って聞いていた。
(どうすればいいのかなんて分からないけど、でも)
でも「やめて下さい、何を言っているんですか?」なんていう言葉は出てこなかった。
(あ~、やだやだ。面倒臭い……)
決断の時が迫っているような気がして、憂鬱な気分でエディお手製のサンドイッチを食べていた。するとエディが深く溜め息を吐いて、ベーグルサンドを気怠げに食べ始める。
「レイラちゃんが早く、俺のことを好きになってくれたらなぁ~。それで何もかも全部が解決するのに」
「……美味しいですよ、ハム。ありがとうございます」
「お前らもお前らで、微妙な空気を漂わせているじゃないか。まったく……」
「ええ、でも、この場合。どこかのお馬鹿さんみたいに暴走していませんからね? 分かってます? そのへん」
「……分かってる、本当にごめん」
「わーっ、急がないとっ! 間に合わない~、私の馬鹿!!」
急いでタオルを取って、濡れた黒髪を拭いて、慌てて寝台の上に置いた魔術手帳へ駆け寄る。もうとっくの昔に電話がかかってきたのか、光る妖精がりんりんと、黄金のベルを振って鳴らしていた。慌ててその妖精に触れると、ぽんっと音が鳴り響く。
「はいっ! もしもし!? ごめんなさい、エディさん! 遅くなってしまって!」
「ああ、大丈夫だよ。レイラちゃん。今かけたところだから」
開いた手帳からエディの声が聞こえてくる。今日の九時に電話をしようと約束していたのに、私ときたら、ついうっかり時間を勘違いしていたのだ。そのことに気が付いたのが髪を洗っている最中で、ほっとしつつ濡れた髪を拭く。
「あーっ、もう、良かった。私ったら、九時半だと勘違いしていて。何でだろ~、良かった。間に合って」
「えっ? そうだったの? 俺との電話、そんなに楽しみだったの?」
「えっ!? いやっ、別にそうじゃなくって! ただ単に遅れたら悪いと思って。それだけです!」
髪を拭いて寝台へと腰掛けて、きらきらと光を放っている魔術手帳を睨みつける。開いた手帳のページがふるふると震えて光って、エディの声が飛び出してきた。
「照れ隠しが可愛い~! 愛してるよ、レイラちゃん! 俺と結婚してくれない?」
「人目が無いからって自由ですね、エディさん……」
駄目だ、つい口元が緩んでしまう。早く髪を乾かさないといけないのに、胸の高揚感で魔術が行使できない。バスタオルの両端をぎゅっと握り締める。
「いや、俺。実は今滅茶苦茶テンションが上がってて。嬉し~、レイラちゃんと話せるの。終業後なのに!」
「ええ~? そんなに嬉しいんですか? いっつも喋っているのに?」
「いや、特別じゃん? こうやって電話で話すの。ちょっと待って、ガイル。これチョコアイスだからな!?」
ぱりぱりと音が聞こえてくる。その音を聞いて自然と目が丸くなってしまった。
「チョコアイス? こんな時間にですか? あ、そこにガイルさんもいる?」
「いるよ~、いるいる。いやぁ、何か無性にお腹空いちゃってさ~。食後のデザートにプリンも食べたんだけどなぁ」
「へー、美味しそう。さっきからぱりぱりいってますけど。カップアイスじゃないんですか?」
「じゃない。俺はバー付きのほうが好きかなぁ? アーモンドとチョコがぱりぱりしててうまい。たまに歯に染みるけどね~、きーんってする」
そう言えば彼は冷たいものに弱いんだったと思い出して笑って、また濡れた髪を拭く。
「っふふ、私もそうかな~。ぱりぱり部分が美味しいですよね、チョコのぱりぱり部分が」
「あっ、そうだ。レイラちゃん、悩みって一体何? アーノルドとのことも……あー、差し支えなければ教えて欲しいんだけど!?」
「さては、かなり気になっていましたね?」
無理に聞き出そうとしない所がエディらしい。包装紙をぱりぱりと剥がす音と、寝台が軋む音が聞こえてきて、部屋着で寛ぐエディの様子が目に浮かぶようだ。ああ、どうしよう。口元のにやけが止まらない。
「大丈夫ですよ、別に大したことありませんから。……あー、お誕生日パーティーの後。軽く襲われかけただけで、性的に」
「ええええええーっ!? それって大問題なんだけど!? そりゃああいつ、亡霊みたいな顔をしているはずだよ! えええええーっ!? ちょっと明日殴ろう、腹が立つから」
「乱闘騒ぎになるからやめて下さいよ……あと一応、アーノルド様は貴方の上司ですからね!?」
チョコアイスを狙っているガイルを押しのけているのか「ほいほい、ちょっとあっち行ってくんない? 邪魔」と言って動き、もちゃもちゃと、アイスを食べる音が聞こえてくる。
「あー、そんなこと。すっかり忘れてたよー。そんで? 前に歪んだ関係って言ってたけどさ? 俺の心が死ぬ予感しかないキーワード!」
「はは、まぁ。ですよね……」
軽蔑されたくないから、話したくないのだが。
(んん、でも話した方が楽になるかなぁ? 嫌われたくないんだけど)
黙り込んでしまった私に不安を感じたのか「出来る範囲でいいんだけど、教えて欲しいかなって。無理そうかな? レイラちゃん?」と呟いて、またぱりぱりと破く音が聞こえてくる。少しだけ考え込んだあと、もう話してしまうことにした。何となく否定されないような気がする。
「私、実は世界で一番綺麗なのはアーノルド様だと思っていて」
「そんで、俺のことが一番好きなんだよね!? ねっ!?」
「まぁ、それは置いといて。一番綺麗で美しくて、頼れるお兄さんで……凄く醜い本音なのかもしれないですけど、その。ずっとずっと私だけを甘やかして、他の女性なんか見ないで欲しいって。好きでも何でもないくせに執着していて」
驚いたことにエディは黙り込んでいた。その沈黙に背筋がぞっとしてしまう。
(あ、電話って。顔が見えないから怖いなー、今どんな顔してるんだろ)
いてもたってもいられなくなって、寝台へと腹ばいになって、魔術手帳を覗き込む。そこには電話を約束した時のメッセージが記されていた。エディのおおらかな字が揺れ動いている。
「勿論、自分でも分かっているし、恋心でも何でもないんですけど。でも、何となくずるずると関係を続けてしまって。ハーヴェイおじ様だってあんな感じだし。すみません、ちょっと話さない方が良かったかな……」
「いや、話してくれて嬉しいよ。ありがとう、レイラちゃん。でも」
「はい」
首筋が熱くなる、エディの声が固かったから。思わず、口元を覆って息を飲み込んでいた。話さなきゃ良かったかも。
「レイラちゃんに恋をしている俺としては、まぁ、うん。辛いし、そうあっては欲しくなかったって思っちゃって」
「うわ~……そうですよね!? 本当ごめんなさい! 相談するんじゃなかった、いくら何でも私が無神経で、」
「ああ、責めている訳じゃないんだよ? 俺もすっごい美人と暮らしていたらそうなってたかもしれないし」
その発想は無かった。もしも、エディに血の繫がらない義理の姉がいたとしたら?
(あっ、やだ。なんか、一気に自分が最低なことをしているように思えてきた……)
エディがそうやって、好きでも何でもないくせに執着していて、その美しい義姉と。その先は考えないようにした。胃の奥がむかむかとしている。
「私、最低だ~……あーあ」
「えっ!? 責めてる訳じゃないんだよ、本当に!!」
「もうやめます、きりが無いからやめます……アーノルド様の恋を応援します。はー」
「えっ? レイラちゃん、それってさ?」
「はい? 何ですか?」
両手で顔を覆っていると、エディが戸惑った声で話しかけてくる。
「俺のことが好きってこと? 婚約解消してくれるの!?」
「えっ、違う違う!! ちょっと話が飛躍しすぎなのでは!?」
「わ~、明日レイラちゃんに会うのが楽しみ~! わ~!」
「えっ、えええっ? 一体どうして? も~、別に赤くなったりしませんからね!?」
言ってから後悔した、絶対に赤くなってしまう。顔が。
(あ~、どうしよ。何かそわそわしてしまう、落ち着かない……!!)
胸の奥がふわふわとしていて体が熱い、口元がもぞもぞと動いてしまう。
(うっ、慣れない。この熱。あー、明日が憂鬱だなぁ)
両手で頬を押さえて俯いて、寝台の上で足をぱたぱたと動かす。
「まぁ、いいや。何か一歩前進って感じがするし。それに」
「それに? 何ですか?」
「歪んでると思ったらやめたらいいんじゃない? 嫌なんでしょ?」
「あっさりと言いますね~、でも」
ああ、今の言葉で納得してしまった。
(大したことない言葉なのに、アドバイスとしては三流もいい所なのに)
どうして納得してやめようと思っているんだろう、何だか非常に悔しい。
「ん~、じゃあ。やめておきます。あと、ハムも美味しかったです。ありがとうございます」
「次はソーセージも作ったんだけどいる? 何か兄上が大量に豚挽き肉を貰ってきて」
「えー? どういう状況なんですか、それ?」
「なんかオーガニックだか何だかの。仕事関係者から貰ったみたいで。三十八歳の美人らしいよ、既婚の」
「あやし~……でも、挽き肉って。プレゼントに?」
「ね、笑えるよね~。まぁ、兄上のことだから。絶対に手は出しているんだろうけどさ」
苛立った口調で話しているのを聞いて、笑ってしまう。
「エディさん。お兄さんのこと嫌いなんですか? いっつも苦々しい顔をしているから!」
「んー、嫌いって訳じゃないんだけど。父上によく似ているからね、どうしてもね」
エディの父親。戦争のきっかけになった人物で、ハルフォード公爵家の当主だった人。
(初めて聞くな、エディさんから。お父様のこと)
聞いていいのだろうかどうしようかと悩んでいる隙に、ガイルがとうとう、エディに飛びかかったらしく。
「おいおい!? お前っ、お前には他にアイスがあるからな!? バニラアイスが冷凍庫にあるから!!」
「足りん。寄こせ!!」
「だから駄目だって! お前っ、それでこの前、腹を壊してたじゃん!? またぴーぴーに腹壊すぞ!?」
そのやり取りに笑いつつもエディの父親について考える。
(確か名前はブライアン。エディさんのお母様を冷遇して、女遊びをしていて、社交的だった人……)
流石に髪と目の色は違うだろうが、きっと、エディをうんと軽薄にして冷淡にした感じだろう。
「まぁ、いますよね。社交的で明るいんだけど冷淡な人……」
「ん? 兄上なら俺に優しいよ? ただ、俺が鬱陶しいなって思ってるだけで。あー、垂れる垂れる。もう全部食っちまおう、そうしよう」
「いつまで食べてるんですか、エディさん……」
「いや、気持ちを落ち着けようと思って? 今二本目を食ってるとこ。うまい」
「いつの間におかわりを……」
笑ってそのまま、ついうっかり十一時まで話し込んでしまって、慌てて別れを告げる。
「ごっめん、レイラちゃん!! 本当ごめん! 俺、ぜんっぜん時計見てなかった! ごめん、ほんと! 明日も仕事なのに、俺たち!」
「あははっ、ですよね。ああ、まぁ、それじゃあ。私も時計見てなかったし、お互い様ということで!」
眠たい目を擦って笑う、今夜は良い夢を見れそうだ。ぴかぴかと光を放っている魔術手帳からエディの、何だか照れ臭そうな声が飛び出してくる。
「俺。嬉しかったよ、ありがとう。レイラちゃん。それじゃあまた明日~、おやすみ~」
「はい、おやすみなさい。エディさん、私も楽しかったし嬉しかったです! また明日~、ばいばーい」




