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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
68/122

24.俺だけが知らない彼女の幸福とその穏やかさ

 





 知らなかった、知らなかったんだ。



(まさかそんな、テディベアが欲しかったんだなんて)



 言ってくれたら俺が買ってあげたのに、いつだってレイラのことを知っているのは俺だけだと、そう思っていたのに。



「ああ。……レイラ。くそっ!!」



 手放そうと手放そうとしているのにどうして、こうも胸の奥から湧き出てくるのか。レイラレイラ。



「ずっとずっと、俺だけが知っていると思っていたのに」

「それじゃあ」



 アーノルドの呟きにそっくりさんが呑気な声を出す。ここは真夜中の寝室で、レイラの姿形をしたそっくりさんがソファーに座って、こちらを見つめてくる。いつもの紺碧色の制服を着て、何故かバニラアイスをゆうゆうと食べていた。



「君も贈れば良かったのに、そのテディベアをさ?」

「っ知らなかったんだよ! 知っていたら、俺だって贈っていたさ!!」

「ふぅん? それじゃあさ? あの悪魔は一体どうして知っていたんだろう、レイラが教えたのかな?」



 ああ、俺の嫉妬心を煽る為の言葉だと理解している筈なのに。止まらない。



「そうだ、レイラは。あいつにだけは教えていたんだ、あいつにだけはテディベアが欲しいってことを教えていたんだ……!!」

「諦めてしまえばいいのに。あのプレゼントだってそうだろう? 悪魔に味方するためのメッセージ。それなのに、まだ諦めがつかないのかい?」

「ああ、そうだ。つかない、まだ割り切れない……!!」



 あいつが後から来たのに、本当は俺がレイラと結婚する筈だったのに。頭を抱えて考え込んでいた。やめておけばいいのに、テーブルに置いた酒を呷ってしまう。かんとグラスを置いて、次第に酔ってきた頭で考え込んでいた。



「レイラだって、俺のことが好きだって言っていたのに。エディよりも誰よりも理解していた筈なのに。嘘だって、嘘だって、そう!! 分かっていた筈なのに。俺は、俺は、」

「だよねぇ~、レイラは嘘吐きだからねぇ~」



 あの時の嬉しそうな表情が目に浮かぶ、あいつから貰ったテディベアを抱きかかえていた。わざわざ玄関まで持って行って、嬉しそうな表情でエディを見送っていた。



『それじゃあ、エディさん。どうもありがとうございました! これっ、そのっ、大事にしますね?』

『うん。ありがとう、レイラちゃん! 気に入ってくれて良かったよ、本当に』



 まるで恋人のように黒髪を撫でていた、黒髪を掬い上げてその毛先にキスをしていた。途端にレイラが真っ赤になって怒り出して、こちらを申し訳なさそうな紫色の瞳で見つめてくる。胸が詰まって、歯を食い縛っていた。そんな表情をするのなら、最初から俺と結婚するだなんて言って欲しくなかったのに。



「レイラ、レイラ。ああ、辛い。苦しい、レイラレイラ……!!」

「元は君のなんだからさ? 別にいいんじゃない?」

「っ良くない!! あいつが、エディが今まで一体どんな思いで過ごしてきたことか、」

「大丈夫だよ、アーノルド君?」



 そこには、エディの姿をしたそっくりさんが立っていた。絶望して見上げていると、俺の顎をぐいっと持ち上げたエディが笑う。その淡い琥珀色の瞳が残虐に光っている。



「君が手放すって決めたんだろう? レイラは君と結婚するって言ってくれたのに。だから」

「頼む。もう、もうやめてくれよ、そっくりさん?」

「どこへ行くんだい? アーノルド君?」

「レイラのところ。会いに行く」



 分かっている、分かっているんだ。



「でも、俺だけがレイラの傍にいたのに。どんな時だっていつだって」



 それなのに、どうして話してくれなかったんだろう?



「どうしてエディばかりを頼るんだろう? そんなに俺って頼りない存在なのか? なぁ、レイラ!!」



 レイラレイラ、分かっているのに。どうしても諦めきれないんだ、レイラレイラ。レイラ。



(この執着がお前を傷付けるとは分かっているのに。幸せにしてやりたいのにお前のことを)



 ずっとずっと昔から見てきた、俺の腹に抱きついて笑って、こちらを見上げていたのに。



『ねぇ? アル兄様? 今日のおやつはなぁに? あのね、レイラはね────……』



 ああ、可愛い可愛いレイラ。愛おしい。俺だけを見ていてくれたというのに、レイラレイラ。



(多分、純粋に好きとかじゃないんだろうけど。でも、お前は俺と結婚してくれるって、そう言っていたのに。俺は好きなのに。ちゃんと好きなのに)



 酒に酔った足取りで扉へと向かうと、背後でアイスを食べていたそっくりさんが呟く。



「やめておいた方がいいと思うけどねぇ、僕は。傷付くだけじゃないか、お互いに」

「分かっている、分かっているけど。話を聞きに行きたい、レイラに会いたい」

「あーあ、もう。折角のお誕生日なのに。レイラも可哀想だなぁ~」



 傷付ける為に会いに行くのだと理解しているのに止まらなかった、辛くて悲しくて苦しい。



「淋しい、淋しいんだ。レイラ。俺は。俺にも話していないようなことをあいつに。エディに話していたから」



 だから、これはきっと嫉妬心じゃない。そうだ。淋しいだけなんだ、別に俺はお前のことなんか好きじゃない。レイラ、レイラ。











 ずっと欲しかった贈り物、お父様が私にくれると約束していた贈り物。遠いあの日のお父様の声が蘇る、いつもの温かな手のひらが私の頭を撫でてくれる。



『そっかぁ~、レイラはこれが欲しいんだな? それじゃあ、七歳のお誕生日にはこれを買ってあげよう。リボンは何色がいい?』

『赤! 真っ赤なやつがいい、真っ赤なやつ!』



 お父様がふっと笑って、私と同じ紫色の瞳を細めていた。その手には魔術カタログが握り締められている。街に行って、これを直接見てみたいなと思っていた。



『レイラは赤い色が好きだなぁ~。よし、分かった。それじゃあ、七歳のお誕生日にはこれを買ってあげよう。もう少しだよ? もう少しだよ、ごめんね。レイラ、お前にお父様の厄介な性質を受け継がせてしまって────……』



 ああ、お父様。



(最後の最後まで貴方は気にしていた、私を外に出せないことを)



 お母様も気にしていた、普通の子供のように外に出せず閉じ込めていたと。最後の最後まで気にしていて、私を抱き締めたせいで死んでしまった。生きていて欲しかったのに、何が何でも。



「っう、お母様……」



 お母様が生きていたら、何て言っていた? エディさんのことを。真っ赤なリボンのテディベアを眺めて、その柔らかな毛並みに微笑んでしまう。愛くるしい顔立ちのテディベアの目は琥珀色だった、彼はそれを狙って買ったのだろうか。



「エディさん……どうして、私の欲しいものが分かったんだろう? きっと、貴方のことだからただの偶然なんだろうけど」



 彼には野生の勘とでも言うべきようなものがあって、それで、私の言いたいことやしたいことを汲み取ってくれる。かつてのお父様のようにエディさんが笑って、こちらの頭を撫でてくれる。



『無理しなくてもいいよ、レイラちゃん? さっきの人の言い草は確かにちょっと嫌だったよね? ごめんね、俺がもう少し上手く立ち回れたら良かったんだけど……』



 好きだと言ってどこまでも優しくしてくれるから、その熱に戸惑って、何をどうしたらいいのかよく分からなくなってしまう。



「エディさん。……エディさん」



 愛くるしいテディベアを抱き締めて呟く。真夜中の寝室はどこまでも静寂だった。レイラはパステルピンクのネグリジェを纏って、寝台でテディベアを抱き締めていた。寝台近くのサイドテーブルには真っ赤な薔薇の花束が飾られていて、暗闇の中で光り輝いている。そう見えるだけなんだろうけど、でも。



「嬉しい、嬉しいんだけど。……エディさん」



 嬉しいが、その気持ちには応えられないと言うのに。「君は自由なんだよ、レイラちゃん」とあの日のエディの声が蘇ってきて、こちらの胸を大きく揺さぶってくる。



「ああ、嫌だ。……嫌だ」



 泣き出しそうな声で呟いていると、ふいに、コンコンと控えめなノック音が響き渡った。



「誰だろう? アーノルド様かな?」



 名残惜しい気持ちでテディベアをそっと置く。それがきちんと寝台の上に座ったのを見て、落ちないかどうかを確認してから向かう。



「レイラ」

「アーノルド様? わっ、酒臭い。ちょっと弱いのに一体どうして、」

「何で話したんだ? あいつには」

「へっ? 一体何の話ですか? アーノルド様?」



 アーノルドが酒に酔った顔で問いかけてくる。その仄暗い銀灰色の瞳に怯えてしまった。白いシャツに灰色のガウンを羽織ったアーノルドが近寄ってきて、その酒臭い吐息に思わず、顔を顰めてしまう。



「も~、酔ったらろくなことしか言わないんだから! ほらっ? 今日はまだ私の誕生日なんですから、もう少しちゃんとして」

「何で話してくれなかったんだ? あいつには、俺には話してくれなかったのに? テディベアのことを!」

「えっ!? 痛い痛い! ちょっと痛いって、アーノルド様!?」



 両手首を強く強く、握り締められて戸惑ってしまう。私だって聞きたいぐらいなのに。



「あのねっ? エディさんに話した覚えなんかちっともありませんって! 考えられるのは街中で、私がテディベアに見惚れていたとか、」

「魔術祝祭も遠いし、冬でも何でもないのに? テディベアが飾られていることなんてそうそうないだろう? 今の季節は夏で、お前が仕事中にそんなことをするのか? なぁ?」

「っいや、でも、だって、子熊のピンブローチには見惚れていたんだしそれで、あっ」



 失言に気が付いて口を噤んでいると、アーノルドがショックを受けたように、銀灰色の瞳を瞠っていた。



「他にもまだあったのか? 貰ったのか!? 俺の知らない所で!? なぁ!?」

「いっ、痛い痛い! 痛いってば、アーノルド様!! エディさんなら絶対にそんなことはしないのに!」



 腹が立って、最も言ってはいけない言葉を口にしてしまった。背筋がぞっとして、アーノルドを見上げてみると、美しい顔がぐしゃりと歪んでいた。



「レイラ? 俺は、」

「っやだ! お酒臭いし嫌だ!! それに、あの誕生日プレゼントは一体何ですか!? 可愛くてそりゃあ嬉しかったけど! でも!! わざとらしくエディさんのイニシャルとか向日葵の花とか、痛い!!」



 おもむろに首を噛まれて、涙が滲む。そのままぎりりと、手首も握り締められる。両手の手首にぐっと爪が食い込んで、お父様の爪が食い込んだ瞬間を思い出してしまう。泣き出してしまいそうだ。



「嫌だ、嫌だ!! 痛い、痛いよ! アル兄様、」

「その名前で俺を。呼ぶなって言っているだろう!? なぁ!?」

「っう、嫌だ。何でどうして!? 痛い! んっ」



 酒臭い舌を捻じ込まれ、乱暴に胸を揉まれて、ぞわっと嫌悪感が這い上がってくる。思わず両手で突き飛ばして泣いていた、堰を切ったように涙が溢れ出してくる。ぎょっとした表情でアーノルドがこちらを見ていた。後から後から、涙が溢れ出てきて止まってくれなかった。



「じぶん、自分勝手で嫌い。アーノルド様なんて、アル兄様。一体、どうして? 昔は、昔はこんなことをしなかったのに!! いつまでも私は、私は。あの時、甘えれる存在を失ってしまったことが悲しくて仕方がなくって、うっ、う~……」



 そこで耐え切れなくなって、両手で顔を覆う。ずっとずっとあのままでいられたら良かったのに。



「アーノルド様なんて嫌い。もういやだ、ずっとずっと優しいアル兄様のままでいて欲しかったのに。きょう、今日だって折角の楽しいお誕生日なのに、」

「ごめん、レイラ。……確かに俺が自分勝手だった、ごめん」



 今度は優しく抱き寄せられて、背中をぽんぽんと叩いてくれる。そのことに酷くほっとして、胸元で泣きじゃくっていた。ずっとずっとこうだといいのに。



「ごめん、レイラ。お前が、だってお前が。あいつにだけ打ち明けたりするから」

「打ち明けてないもん、そんなこと! テディベアが欲しいだなんてそんなこと!」

「だったら、あいつは何でお前にテディベアなんか贈ったんだよ? 有り得ないだろ、普通。定番でも流行でも何でもないのに?」

「知らない、そんなこと。知らない……」

「レイラ」



 体を離したアーノルドがそっと、目尻に浮かんだ涙をくちびるで拭き取ってくれる。その優しい温度にほっとして、両目を閉じていた。今度は壊れ物を扱うように、私の頬を包み込む。見上げると、苦しそうな銀灰色の瞳が光っていた。その美しさに恍惚と見惚れていた。夜空に浮かんだ月のようで、ずっとずっと私だけの美しい煌きだった。



「レイラ。ごめん、その、キスしてもいいか……?」

「その、ちょっとだけなら。でも、お互いに苦しくなるだけじゃないの? んっ」



 そんな言葉を聞くようなアーノルドではなく、先程とは違って、優しく優しく舌を捻じ込んでくる。その熱さと愛情に酔い痴れて、胸元を握り締めていた。この歪みを一体どうしたらいいんだろう。



「アーノルド様、アーノルド様。ごめんなさい、アーノルド様」

「いいよ、もう。俺の方こそごめんよ、レイラ。いつもいつも暴走してばかりで、お前のことを傷付けてしまうから……」



 甘えるように首筋にキスをしてきた。こちらもお返しにと、肩に両手を回してキスしていた。ああ、何てどうしようもない。どうしたらいいんだろうか、本当に。私は。



(エディさん。エディさんが知ったら何て言うんだろう? 会いたい、会いたいな。無性に。エディさんに)










「今日は元気が無いね? 一体どうしたの、レイラちゃん?」

「エディさん……ああ、すみません。ジュースを零してしまって」



 握り締めた紙パックから林檎ジュースが、ぼたぼたと溢れ出していた。慌てていると、エディがさっとハンカチで拭き取ってくれて、ベンチへと座り直す。ここはいつもの噴水がある公園で、きらきらとした水しぶきが陽の光に反射していた。頭上には木の枝葉が広がって、こちらに涼しい木陰を提供してくれる。



「いや、別にそれは全然構わないんだけど。ぼーっとしているのも上の空なのも。でも、何かあったのかな? って。それだけがちょっと心配で俺」

「んっ、ん~。アーノルド様のことなんですけど。その、エディさんに相談してもいいのかどうか……」



 隣に座ったエディが、気難しい顔でベーコンエピを齧り取っていた。どうやらかなり固いらしく、先程から飲み込むのに苦労している。



「うーん、まぁ……言うだけ言ってみて? 事の次第で泣いちゃうけど。この間みたいに」

「えっ? 泣いちゃうんですか? ん、ん~。じゃあやめておこうかな? エディさんをその。傷付けるような内容だし、これは自分一人で解決すべきことだから、」

「そんな悲しいことを君が言うくらいなら。俺が泣くよ、レイラちゃん。一体どうしたの? 悩みって? 俺に教えてくれる?」



 エディが優しく微笑みかけてくれる、淡い琥珀色の瞳が甘く細められていた。夏の枝葉が濃い影を落として、エディの鮮やかな赤髪をきらきらと彩っている。思わずハムとキュウリのサンドイッチを握り締めて、それをぱくりと頬張ってしまう。あぐあぐと噛み締めていると、エディがふっと微笑んで自分もベーコンエピを頬張った。



「……私。アーノルド様とその。ちょっとだけ歪んだ関係を続けていて」

「おっと。その一言だけで泣いちゃいそうだよ、俺は……そ、その。やっぱいいや、やめておこう。それで? 話の続きは?」

「えっ、えーっと。まぁ、昼間の公園だし。ちょっと、うーん」

「昼間に話せないようなことなんだ……!?」



 エディが分かりやすく青ざめていて、笑ってしまう。多分、私は彼にどうしようもなく惹かれている。



「ふふっ、んー。でも。いいや、もう。人目も気になるし、もうすぐ昼休憩も終わっちゃうし」

「じゃっ、じゃあさ!? 俺と連絡先を交換してみない!? レイラちゃん!!」

「わぁ、光の速さで取り出しましたね!? ベーコンエピは一体どこへ行ったんですか!?」

「さっき一気飲みしちゃった。それよりも俺とその、交換して貰えないかな……? 連絡先を」



 どうやら、私がぼんやりと噴水を見ている間に飲み込んでしまったらしい。その両手には紫色の魔術手帳が握り締められていて、菫と白百合のブーケと、白鳥柄の本革ケースに目が奪われてしまう。



「わ~、綺麗ですね? これ。品が良くてシック、わ~」

「あっ、でしょ? これってさ、その、菫も描かれているし!! 俺が持っていても、違和感が無いようなデザインでかなり気に入っていて」



 何故かエディが顔を赤くして笑う。どこに赤くなる要素があるのかと思いつつ、私も首筋が熱くなってしまった。



「あっ、あ~。確かにそうですよね? 程良く繊細で綺麗だし。エディさんが持っていても違和感が無いデザインで、あーっ、そうじゃなくって!!」

「う、うん。何かな? 俺とその……交換してくれる?」



 悲しい子犬のように見つめてくるエディが魔術手帳を握り締めて、こてんと首を傾げていた。そのあまりにも弱々しい表情にきゅんとしてしまい、慌てて、その邪悪な考えを頭から振り払う。



「あっ、あの。それじゃあいいですか? その、交換しても?」

「喜んで、レイラちゃん!! はーっ、長かった!! 苦節四ヶ月!! 初対面で会ってプロポーズした時も! あれから毎朝毎朝、休みの日以外にはお願いしていたのに!! ちっとも連絡先を交換してくれなくって! はーっ、長かった!!」

「うっ、うるさいうるさい、声が大きいですよ? エディさん……」



 その言葉にへへっと照れ臭そうに笑って「ごめんね? レイラちゃん。つい嬉しくってさ~!」と呟いて、菫のブーケ柄の魔術手帳を持ち上げていた。心臓がうぐっとなってしまい、慌てて目を逸らし、ポケットの中から魔術手帳を取り出す。これはメモ帳サイズに変更出来るので、普段はポケットに入れて持ち運んでいるのだ。それを手の中でぽんっと、ノートサイズにしてみる。



 ぺらりとページをめくると、お知らせの光がちかちかと光って、黒い文字が浮かび上がった。



「あっ、ジーンさんが。また揉め事を起こしたみたい、女性関係で」

「え~? あれかな? 付き纏ってくるって言ってた元カノ関係? それともあれ? 半年前に慰謝料を請求してきたっていう男性のほうかな?」

「ん~、元カノ関係みたいですねぇ~。ミリーさんにこってり絞られたから、後で慰めて欲しいって。後はセクハラ用語が並んでる」

「貸して? 俺がページを燃やしてあげるからさ?」

「やめましょうか、いきなり過激になるのは……」



 二人で魔術手帳を覗き込んで、二つの手帳を重ね合わせて連絡先を交換する。



「っよし、どうかな? 完了メッセージ来た?」

「来た来た、来ましたよー。エディさんのは? どうですか?」

「俺のも来た~、わーい! 試しに書いてみようっと。メッセージ送ってもいーい? レイラちゃん?」

「はい、どうぞ。私も何か送ろうかな~? 何がいいかなぁ」



 エディが機嫌良くさらさらと書いている。彼のは紫色と黒の羽根ペンで、何故だかそんなことでこの胸は高鳴ってしまう。厄介だ、胸が苦しい。



(うーん。どうしようかな? 何を送ろうかな?)



 真っ白なページを見て、考え込んでいた。絵を送ろうか、文字を送ろうかで悩んでしまう。上には今日の日付とエディの名前が記されてあって、ふと、黒い文字がぼんやりと浮かび上がってきた。



 “昨日はどうもありがとう、レイラちゃん! 楽しかったよ、花束もテディベアも気に入ってくれたみたいで良かった、ほっとした。これからもよろしくね? 愛してる”



 送られてきた文章に思わず笑ってしまって、そっと指先でなぞってみると、黒い文字がゆらゆらと揺れ動いた。エディがそわそわとした様子で見つめてくる。



「っふふ、まったくも~。最後の一言が余計じゃないですか? エディさん?」

「えっ? 余計なことなんかじゃないよ!? いつだって、俺の心を占めているのはレイラちゃんだからね~、それであの。俺にも何か返事をくれる……?」



 緊張した表情で問いかけられ、微笑んでしまう。彼は何かと表情と仕草が可愛い。ずっと一緒にいて眺めたくなる。



「うん。それじゃあ書いてみますね? 返事!」

「アーノルド様と婚約解消しますね! って書いてくれると嬉しいなぁ~、レイラちゃん?」

「しません! そんなことは絶対に書きません!」

「え~? そんなぁ~?」



 淋しそうな声でぼやくエディを無視して、私も羽根ペンを取り出して考え込む。



(ん~、どうしようっかな? あっ、そうだ。あれがいい、あれにしようっと)



 さらさらと書いていると、書いている内容が気になるのか、エディが覗き込んでくる。鮮やかな赤髪がさらりと当たって、あまりにも近い距離に戸惑ってしまった。



「えっ、エディさん!? まだですよ!? 黙って紙でも眺めていて下さいよ!?」

「えっ!? 俺、まだなんにも言ってないけど!?」

「うっ、いや。あの、そのっ! だから離れて下さいってば!!」

「いだだだっ! ごめんね? レイラちゃん。いつもと同じ距離だと思ったんだけどなぁ~、俺は」



 エディが頬を押さえて、しょんぼりとした様子で俯く。



(そう言えば。あれ? んー、確かにいつもの距離だったか……)



 仕事をする上で一緒に地図を覗き込んだり、メニュー表を覗き込んだりするのだからまぁ、いつもの距離と言えばいつもの距離だったが。



(っよし! 考えるのをやめよう、そうしよう!!)



 開けてはいけない箱を開けてしまうような気がして、さっと閉じて、真剣に文章を書き始める。



(エディさんの文字が意外と綺麗だったから。緊張するなぁ、ん~)



 隣のエディはそわそわとした様子で、何度も座り直している。そのお尻の動かし方が可愛らしくて、ついつい笑ってしまった。



(ん、これでいいかな? っと)



 全てを書き終えて、スペルミスが無いかどうかチェックする。



 “こちらこそ昨日はどうもありがとうございました。貰った花束も寝室に飾って眺めています、ありがとうございます。テディベアも嬉しくて、抱き締めて眠ってしまいました。あと、婚約解消は絶対にしません!! いい加減に諦めて下さい”



 抱き締めて眠ったという文章は余計だったかなと考えつつ、えいっと「この文章を送信する」と書いて送る。



「あっ!? きた、可愛い! いかにも真面目そうな文章で可愛い!! あと線が細い!」

「んっ? ただ単にそれは、ペン先が細いってだけの話なのでは?」

「冷静な指摘をどうもありがとうね、レイラちゃん! は~、嬉しい」

「え~? 大袈裟なのでは?」



 エディが魔術手帳を抱き締めて体を丸め、嬉しそうな表情で覗き込んでくる。



「ううん、なんか。俺がプレゼントを貰ったみたいな気持ち。ありがとう、レイラちゃん。そんで」

「はっ、はい? どうかしましたか?」



 エディがふっと悪戯っぽく微笑んだあと、こちらの手を掬い上げ、ちゅっと口付けてくる。乾いたくちびるが当たって触れて、その温度にぼんっと顔が赤くなってしまった。そんなこちらの様子に構うことなく、エディが淡い琥珀色の瞳を細めて笑う。



「改めて。二十三歳のお誕生日おめでとう、レイラちゃん! これからもずっとしつこく口説き続けるからね? 早く諦めて俺と結婚してね?」

「しっ、しないし!! もっ、も~! エディさんってば本当にも~!!」

「あはは! 痛い痛い、ごめんねー? はははっ」



 エディの手のひらを拳で叩いて笑い合う。アーノルドのことなんてすっかり忘れていた。



(あ~、楽しいなぁ。ずっとずっとこのままでいられたらもう。それで全部いいのに)



 我が儘なんだろうけど、そう思ってしまう、そう願ってしまう。



(お父様とお母様なら何て言ったんだろう? ああ、相談してみたかったなぁ)



 叶わぬ夢に両目を閉じていた。胸が痛むことはもうなかった。だって、家に帰ればあの輝かしいテディベアが、エディと同じ琥珀色の瞳で出迎えてくれるのだから。今夜もそれを抱き締めて眠ろう、そうしよう。





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