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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
59/122

15.綺麗な若奥様と彼女のモヤモヤ

 





 確かに彼が、何かとチャラい人だとは。



(思ってはいたけど。いくら何でもあんまりじゃない? 今日)



 綺麗な女性達────全員既婚者である────が群がっている中で、一歩引いて、後ろで佇んでいるしかない。ここはとある民家の前で、暇な奥様方に捕まったエディが、愛想の良い笑顔で受け答えをしている。腹が立つ。チャラい。



「ねぇ、エディ君? エディ君はどんな食べ物が好きなの? アレルギーとかあるの?」

「俺? 俺は無いですよ、何も。でもどうせ食べるのなら。奥さんがこの前作ってくれたパウンドケーキが食べたいかなぁって」

「ふふっ、も~。あれ、かなり失敗してしまって。それでも美味しかった?」

「えっ? そうなんですか? そうとは思えない美味しさでしたよ、お店以上でした!」



 苛立ちが募ってゆく。綺麗な若奥様に囲まれたエディは、中心でにこにこと、嬉しそうな笑顔を浮かべている。



(仕事中なのに! 確かに、都民の皆様の話し相手になるのも仕事の内だって。ライさんだってそう言ってたけどさぁ、いくら何でもこれはあんまりじゃない? さぼりじゃない?)



 いつどこでどう、このやかましいお喋りを止めに入って仕事に戻ろうか? ぎゅっと、自分の拳を握り締める。先程から睨みつけているのに、彼は淡い琥珀色の瞳を細めて、愉快そうに笑うだけで。彼に群がっている奥様方も、こちらには目もくれず、競うように話しかけている。



「ねぇ? エディ君? この間ね、どうも私の家の郵便ポストが荒らされてしまったみたいで」

「えっ? それは大変ですね? 警察には通報しましたか?」

「でも。何だかそれも怖くって。大袈裟なような気もするし……」

「それなら俺が、」

「それなら私が代わりに通報しておくわ。マディソンさんにはいつもお世話になってるし。気持ち悪いですよね、こういうね、事件はね」



 時折火花が散って、その度に呆れてしまう。



(もー……その薬指に嵌めているのは、一体何でしょうか? あーあ、そんなこと。はっきりと言えたら。楽なんだろうけどなぁ~)



 でも、我慢我慢。ぐっと堪えねば。しかしそろそろ、我慢の限界である。



(よし! 止めに入ろう、そうしよう、いつまでもこんな所で喋っていても何にもならないのに)



 足を踏み出すと、彼が意味ありげに笑いかけてきた。ああ、腹が立つ。



「エディさん。もうそろそろ────……」

「ああ、そうだわ。私!」



 そこでぱんと、手が打ち鳴らされた。見るとエディの一番近くに佇んでいる、綺麗な黒髪に、紫色の瞳の美しい女性が色気のある目元を和らげて、にっこりと優しく微笑んでいた。



(嫌だな、同じ色合いだ。私と。顔はそんなに似てないけど)



 咄嗟に思ったのは、そんなことだった。彼女は色気のあるベージュ色ニットと、ぴったりとしたデニムを履いていて、美しい花柄のトートバッグを提げている。艶のある黒髪は下ろされ、さりげなくエディの近くに佇みながら、こちらを見て甘い声を出した。



「エディ君とレイラちゃんに、依頼をしようと思っていたの。お願いしてもいいかしら?」

「ああ、はい。それは勿論……」

「カミラさん。でしたっけ? 勿論構いませんよ、場所を移動しましょうか?」



 彼女を覗き込んで、エディが優しい微笑みを浮かべている。それを見てまた、不可解な感情が降り積もって、もやもやとした気持ちになってしまう。カミラは嬉しそうに笑って、恋人のようにエディを見上げて頷いた。



「ええ、そうね。私の家に移動しましょうか。色々とお願いしたいことがあるの。それではこれで」



 渋々といった表情で女性達が「ええ。またね、エディ君にカミラさん」だの「今度はクッキーを焼くつもりなの。受け取ってくれる?」だの、口々に別れの挨拶を交わす。そんな中、勝ち誇った表情でカミラがエディの隣に佇んでいた。私は少し離れた場所で、そのにこやかな二人を見守っているしかなく。



(あ。何だろう。凄く惨めだ。こんな気持ちになる必要は無いのに)



 酷く釈然としない気持ちで、突っ立っていると、カミラが愛想の良い笑顔で振り返った。



「レイラちゃん? この間はどうもありがとう。助かったわ、荷物が重たかったものだから」

「いえ……それが仕事ですから」

「それもそうよね、ごめんなさい。それじゃあ、付いてきて貰える?」



 彼女がちょっとだけ、申し訳無さそうな微笑みを浮かべる。



(あれ、何だろう? 上手く言えない。いつもならもう少し、ちゃんと話せるのに)



 彼女と私の間で、冷たい何かが横たわっている。そのことに汗を掻きつつも、エディの反応が気になってそちらを見てみると。どこか困ったような微笑みを浮かべていた。その責めるような眼差しを見て、深く傷付く。



(何? 私が悪いの? でも、この人だって旦那さんがいるのに、エディさんにべたべたしたりして。私だって、もう少し上手く対応出来たらなって)



 混乱した思考を一旦止めて。ぎこちない笑顔で、当たり障りの無い会話をこなしつつ、彼女の家へ向かう。







「はー……エディさん。ちょっと愛想が良すぎるというか。カミラさんの旦那さんが、見ていたら不安になっちゃうんじゃないですか?」

「なに、レイラちゃん? 嫉妬してるの?」



 その言葉に、思わず皿を取り落としそうになった。泡だらけの皿を持ち直して、スポンジで磨いて、洗ってと繰り返す。隣では機嫌良く、エディが皿を拭いていた。淡いミントグリーン色のキッチンはぴかぴかで、奥の窓からは燦々と眩しい光が射し込んでいる。



「いや、そういう訳じゃないんですけど。仮にも既婚女性に向かってあれは」

「大丈夫だよ。俺が好きなのはレイラちゃん。君だけだから」

「いやっ、だから、別にそういう訳じゃなくって……」



 それなのに、口角が上がってしまう。自然と笑いそうになってしまった。馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、抑えきれない。そこで隣に立ったエディが、鮮やかな赤髪を揺らして笑う。



「可愛いね? すぐご機嫌になっちゃって」

「いや。なってないし、だから……!!」



 無駄な反論かもしれない、と思いつつ返す。そんなやり取りをしながらも皿を洗っていたら、随分と顔色が悪そうな、カミラがドアを開いて現れた。額を押さえ、覚束無い足取りでやって来る。



「ごめんなさい、ちょっと。追加でお願いしたいことがあるんだけど、エディ君に」

「はい、どうかしましたか? アンジェラさん」



 ぱっとふきんを手放して、エディがそちらへと駆け寄る。カミラを支えるように、寄り添っていた。また胸がもんやりとしてしまった。どうしてだろう、ああ、認めたくないな。



「何だかさっきから、頭が痛くて……ああ、駄目ね。こんなことお願いするのも何だけど、二階まで付き添ってくれたらなと」

「ああ、勿論。大丈夫ですよ? お手をどうぞ」

「ありがとう、エディ君。ごめんなさいね、面倒をかけてしまって……」



 思わず、深い溜め息を吐いてしまう。



(下手な芝居。エディさんもエディさんで分かんないのかな? あからさまじゃない、カミラさんて)



 エディは心配そうな表情で、カミラの背中に手を添えていた。それからリビングのドアを開けて、去ってゆく。残されたのは、私と洗い上がったお皿で。それらの皿を見つめながら、一つ深い溜め息を吐いた。銀色の蛇口からは、ぴちょんぴちょんと、水が滴り落ちている。



「あー……どうしよう? 私。何をすればいいんだろう」



 答えが出ないまま、立ち尽くしていた。午後の陽射しがキッチンの窓から射し込んできて、やたらと眩しかった。







「ごめんなさいね、面倒なことを頼んでしまって」

「いえ、これぐらい。なんてこと無いですよ?」



 そこで「優しいのね、エディ君は」と言われ、エディが曖昧な微笑みを浮かべる。寝台に横たわったカミラは、疲れたように目元を押さえ、溜め息を吐いていた。開け放された窓から生温い風が入り込み、グリーンのカーテンを揺らしてゆく。寝台近くの椅子に腰かけたエディが、そんな彼女をじっと眺めていた。



「……大丈夫ですか? 頭痛薬でも持ってきましょうか? こういうことはあまりしない方がいいんですが。治癒魔術で痛みを緩和して、」

「いいの。少しだけ傍にいてくれる?」



 白い手を伸ばして、エディを見つめる。その物言いたげな紫色の美しい瞳を見つめて、エディが淡く微笑み、伸ばされた手を優しく握り締める。



「お水でも持ってきましょうか? カミラさん。心細いのなら、レイラちゃんを呼びますけど?」

「……やっぱり、さっきの発言は撤回するわ。あんまり優しくないから」

「カミラさん」



 困ったようにエディが呟く。それから穏やかな微笑みのままで、カミラの手を離して、寝台へと戻した。



「俺、あんまり誤解されたくないんですよ。最近ようやく、手応えを感じてきた所で」

「それってレイラちゃんのことよね? 諦めたほうが良いんじゃない? 彼女、婚約者がいるでしょう?」



 その言葉にエディはただただ、穏やかな微笑みを浮かべていた。レイラが見たら「怒っていますか? エディさん?」と怯えてしまうような、そんな微笑みだったが。エディがそっと、静かに膝の上で手を組む。



「それもそうですね。……でも、限界まで頑張ってみるつもりです。ぎりぎりまで。足掻いて」

「それで振られちゃうの? 私が言うのもなんだけど。レイラちゃんって真面目で、婚約破棄も浮気もしなさそう」



 鮮やかな赤髪がさらりと揺れ動いた。それまで椅子に座っていたエディが、カミラに近付いて甘く囁きかける。



「そうですね、彼女。全然つれなくて。良い誘惑の方法とか。あったら教えて欲しいんですけど?」

「ふふっ、も~……エディ君ったら」




 そんなやり取りがなされる中。レイラは廊下で必死に聞き耳を立てていた。



(いや、もし万が一、何かあったら大変だし!! この間といい、今日といい。最近よく頻繁に。こういう、はしたない真似をしているような気が……!!)



 美しい木の扉に、耳をぴったりとつけて聞き耳を立てる。廊下の窓から夏らしい風が入ってきて、こちらの首筋を撫でていった。どくどくどくと、やけにうるさく心臓が鳴り響く。ほんの僅かに人の声が聞こえてきた。思わず魔術を行使して、聞こえるようにする。



(うわっ……立派な魔術犯罪だ、これ。ばれたら剥奪されちゃうかな、国家資格)



 それでも耳を澄ませて、聞いてしまう。中からエディの、よく聞き慣れた甘い声が響いてくる。



『でも、カミラさんだって。まだお若いでしょう? 気にすることでもないような、』

『駄目なのよ。すっかり。私の主人も興味を失ってしまって……』



 何を話しているのだ、と危うく叫びそうになってしまう。



(エディさん!? 人妻とそんな関係にならないで下さいね!? というか今朝もついさっきも! 私に! 告白しておいて!!)



 冷や汗を掻いてしまう。唾を飲み込んで、そっと耳を澄ませた。お腹の底がふわふわと。不思議な高揚感で満ちていて、心臓がうるさく鳴り響いている。



『だからって。自暴自棄になっているような。俺は……で、こう思うんですけど』

『ありがとう、エディ君。でもね、私はね』



 ああ、精神が乱れて。



(魔術が途切れてしまう。上手く、聞こえない……!!)



 ここは自前の耳を使って、必死に盗み聞きするしかない。



(エディさん……嘘だったのかな? 全部)



 そこで足元の影から、低い笑い声が響いてきた。ガイルだった。



「おいおい、レイラ嬢? 必死に盗み聞きか?」

「がっ、ガイルさん。ちょっと、静かに」



 蚊の鳴くような声で話しかけ、くちびるに指を当ててたしなめる。足元の影が、ゆらりと蠢いて、狼の姿形を取った。



「俺が手伝ってやろう、レイラ嬢。ほら、よく聞こえるように」

「っ!」



 きいんと、耳鳴りがする。その途端、鮮明に聞こえてくる。



『俺、そろそろ……レイラちゃんのことは諦めた方がいいんじゃないかって、そう思っているんですよ、カミラさん』



 その言葉に息が止まりそうになった。何故かはよく分からない。気が付きたくないだけ、なのかもしれない。



『可哀想に、エディ君。そうね、少しこの辺で距離でも取ってみたらどう?』

『距離、ですか? それはでも……』

『でも、このままじゃ同じことの繰り返しなんじゃない? ねっ?』

『それも、そうかもしれないですね……』



 エディがやけにあっさりと頷いている。そのことに傷付いていた。ごくりと唾を飲み込んで、必死に息を止めて、二人の会話を盗み聞きする。



『でも、どうしたらいいんだろうって。上手く諦めきれないような……』

『何も無理に諦める必要は無いわよ、辛いから。でも、そうね?』



 そこでぎしりと、寝台が軋むような音が聞こえてきた。さぁっと血の気が引く。



「ガイルさん。物音まで……?」

「その方が楽しいだろう? レイラ嬢」



 返答は期待していなかったのだが、足元の影から愉快そうな声が響いてくる。



『カミラさん。俺……』

『大丈夫だから。ゆっくり、こっちに来てくれる? そう、そのまま』



 そこで耐え難くなって、扉からばっと離れる。ダークブラウンの扉の向こうで、綺麗な女性とエディが何かをしている。息を何とか吸い込んで、冷たい現実に背を向けて、逃げ出すように階段を駆け下りていった。



(知りたくない、知りたくない、こんなの……!!)



 仕事中だとか何とかも、忘れて。呆然とキッチンの前で佇んでいた。どうでもいいことばかりを考えて、気を紛らわせる。



(今日の晩ご飯どうしようかな。そう言えば久々に、ハーヴェイおじ様もちゃんと帰ってくることだし……)



 つらつらと考え事をして、気を紛らわせていたら、不意にリビングのドアが開いた。咄嗟に振り返ってみるとエディが、愉快そうな微笑みで佇み。何故か口元を拭っている。



「ああ。レイラちゃん。お水、貰えるかな? カミラさんに持って行こうかと思って」

「私。どのコップがいいのかとか。よく分からないんですけど……」

「ああ、大丈夫。やっぱり自分でするから」



 エディがこちらへとやって来て、ふんわりと甘い、バニラのような香りが漂う。胸がずきりと痛んだ。そんなこちらを気にもせず、エディが水切り籠の中からコップを取り出して、蛇口を捻り、水をじゃぼじゃぼと注ぎ入れる。ぶくぶくと泡立って、窓からの陽射しに煌いていた。



「……上で一体、何をしていたんですか? そういうことはしないで欲しいんですけど? 迷惑だから」



 エディが低く笑って「大丈夫だよ、何もしてないから」と笑って、コップをシンクの淵に置いた。淡い琥珀色の瞳が妖艶に細められ、それを見て息を止める。食い入るように見つめていると、腕を伸ばして、こちらの頬に触れてきた。



「嫉妬。だと思うんだけど? それ」

「っそうじゃなくて。相手は既婚者だし、あんまり」

「へえ? 素直じゃないな、レイラちゃんは」

「ちょっと! エディさん……!?」



 そのままさらりと、黒髪を耳の後ろへと搔き上げて、ぐっと近付いてくる。その距離にたじろいで一歩引き、睨みつけてやると、エディが顔を寄せて耳元へと囁きを落としてきた。



「大丈夫だよ、レイラちゃん。カミラさんよりも、君の方がずっとずっと魅力的で可愛い女の子だから。ねっ?」

「いやっ、だっ、だから……!!」

「っはは、顔。真っ赤だね? レイラちゃん」



 そこでふっと、子供のような微笑みを浮かべ、先程のコップを握り締めて、野良猫のように通り過ぎてゆく。慌てて振り返ってみると、リビングのドアを開けて、エディがこちらを振り返った。そして秘密めいた微笑みを浮かべ、くちびるに人差し指を当ててみせる。



「待ってて、レイラちゃん。これが終わった後に、君の相手をしてあげるから。ねっ?」

「いやっ、だから! そういうことを言っている訳じゃなくって……!!」

「素直じゃない女の子だな、君は。それじゃ」



 低く笑ったあと、ドアをぱたんと閉める。



「だっ、だから、そういう所が信用ならないのに……!!」









「ありがとうね、エディ君にレイラちゃんも。溜まった家事を片付けてくれて」

「いえ、そんな。お安い御用ですよ。それではまた」

「ええ。ばいばい、エディ君にレイラちゃん。気をつけてね?」



 石畳に芝生のアプローチが美しい、素朴な庭先でカミラがひらひらと手を振っている。でも、その表情はどこか浮かないものだった。



(やっぱりあれなのかな? エディさん。何もしてないのかな?)



 いつもの紺碧色の制服を着て、エディが鮮やかな赤髪を揺らしていた。平日の新興住宅地は静かで、誰もいない。綺麗に舗装された、灰色の石畳の上を見つめたあと、隣のエディを見上げる。



「あの、エディさん? さっきは本当に……」

「ああ、レイラちゃん。ちょっとだけ待ってくれる?」

「えっ? はい」



 そこでぐいっと、手首を引かれた。その温度にびっくりしてしまう。火傷するんじゃないかと言うほどに熱くて、エディの手のひらが。頭上には、夏らしい青空と白い入道雲が浮かんでいた。エディに手を引かれて、前のめりになりつつ歩く。



「ちょっ、エディさん!? いきなり、何を……!?」

「いや。俺もなんかちょっと、我慢の限界で。あんまり怖がらせたくないんだけど、君のこと」



 汗ばんだ手のひらに、頬が熱くなってしまう。心臓がばくばくと鳴り響いた。こちらを振り返りもせず角を曲がって、ひんやりとした空気が漂う路地裏に入り、私を乱暴にぐいっと壁へ押し付けた。エディが苦しそうな表情で息を荒げ、淡い琥珀色の瞳を細めている。心なしかまた、瞳孔がドラゴンのように裂けていた。



(わっ、えっ? いや、えっ?)



 大混乱の中で何かを期待している。夏の暑さに茹ってしまいそうだ。エディが混乱している私の両手首を押さえつけ、強く強く睨んできた。



「エディ、さん? また、この間みたいにもしかして、暴走、してます……?」

「ごめんね、レイラちゃん。分かってるんだ、分かってるんだ、君は別に何も悪くない。そう、分かってるのに」



 苦しそうに顔を歪めて、喘ぐように息を吐いていた。怖い、怖いけど。期待している、この先を。



「ごめんね、レイラちゃん。ごめんね、俺。分かってるのに、何もかも全部」

「んぅっ!?」



 懺悔の言葉を吐き出すのと同時に、キスをしてきた。ぬるりと熱い舌が入り込んでくる。びくっと震えると、丁寧に甘く歯茎をなぞられた。「ごめんね」と言われているかのようだった。



(わーっ!? ちょっ、えっ、えええええっ!?)



 酷く驚いて硬直していると、すぐに視界が甘く点滅し出して、腰が跳ね上がってしまう。息継ぎも出来ないまま、エディと熱く舌を絡め合っていた。興奮したエディの手が、こちらの太ももを撫で上げてくる。そのいかがわしい手つきに背筋が震えて、暴れてみたら、両手首を強く押さえ付けられた。



「んっ、んぅっ、んんー!!」

「ごめん、レイラちゃん。ごめん、許して、全部、ごめん……!!」



 気が狂ったような声で謝られて、舌を捻じ込まれて、服の下に手を入れられて。腹をざらりと撫でられた。驚いて、自然と腰が動いてしまう。はっと、私かエディのどちらかが熱く息を吐いた。その情熱と、獣のような匂いに酔い痴れる。朦朧としていると、エディが獰猛に笑った。精悍な顔立ちを苦しそうに歪める。



「レイラちゃん……一体、どうしてなんだろう? 嫉妬もしているのに」

「っエディさん、ちょっとそれは」



 片手で乱暴に、金色の丸い釦を外す。さっと血の気が引いて、その熱い手を握り締めたら、流石にぴたりと動きが止まった。



「……ごめん、レイラちゃん。許して欲しいな」

「ひっ、ちょっ、本当に待って!?」



 小さい悲鳴を漏らすと、エディが傷付いたような顔をしていた。それから、両手で乱暴に釦を外し出す。



「っエディさん!? ほんっとうに! いい加減にして……!!」

「そこまでだ、エディ坊や? お前は馬鹿なのか?」

「あだっ!? ……ガイル」

「ガイルさん」



 ほっとして名前を呼ぶと、黒い帽子を被り直して、片方の眉だけを器用に上げた。



「悪いな、レイラ嬢。躾がなっていなくて」

「ガイル、俺は……」

「言い訳は無用だ、エディ坊や」



 白い手袋を嵌めた手で、手際良く私の釦を留め直してくれる。ほっとしていた、酷く。



「悪いが、レイラ嬢。エディ坊やと二人きりにして貰えるか? こいつを正気に戻す必要があるから。なっ?」

「はっ、はい。では、これで……」

「待って、レイラちゃん。お願いだから待って!」



 気でも狂ったように、エディが琥珀色の瞳を見開いて、私の手首を掴んでくる。思わず震えが走って立ち止まっていると、ガイルが溜め息を吐いて、その手を叩き落とした。



「やめろって、そう言っているだろう? しっかりしろよ、エディ坊や」

「だって。ガイル。俺はレイラちゃんの……」

「私っ! あっちで待ってますね! それじゃあっ」



 エディの淋しそうな「レイラちゃん」という声を聞いて、胸が張り裂けそうになった。でも、一番ショックだったのは。



(何でだろう? ちっとも気持ち悪くない。怖かったけど、でも。あれが密室だったら、私は)



 受け入れていたような気がして、愕然としてしまう。体を小刻みに震わせつつ、人気のない住宅街をひたすらに歩いていた。



(私。違う。エディさんが怖いんじゃなくて、これは)



 嫌悪感も恐怖も湧き上がって来ない。



(ああ、嫌だ。考えたくない、この意味を)



 エディに対する、ネガティブな感情が湧いてこない。あんなにも乱暴なことをされたのに。



(好きになりかけてる? まさか、そんな……)



 胸元を握り締めて、考え込む。どうしてあのまま溺れてしまいたい、だなんて。一瞬でもあの時、そう思ってしまったのか。口元を押さえて、泣き出しそうな気持ちで呟く。



「最低だ、私。最低だ、こんなの……!!」









「っぐ!!」

「馬鹿だろ、お前は。ただの馬鹿だ。折角、さっきも手を貸してやったというのに」



 ガイルに腹を蹴り飛ばされて、ようやく正気に戻る。気が付けば、路地裏の地面で倒れていた。体を捻って、何とか見上げてみると、ガイルが青と灰色の瞳を不機嫌そうに細めている。



「そうだな、ごめん。止めてくれて……ありがとう、ガイル」

「もういっそのこと浚うか、殺してしまうか。そうしてしまったらどうだ?」

「出来ない。……それは絶対に出来ない」



 起き上がる気力も湧かなくて、そのまま目を閉じる。生温い風が吹き、鼻先で蚊がぷぅんと踊った。思わず顔を顰めて起き上がって、座り込み、自分の手のひらを見下ろす。祖国を滅ぼしてしまった、自分の手のひらを。ぎゅっと握り締めると、民衆の悲鳴と泣き叫ぶ声が聞こえてくるような気がした。



「彼女を出来る限り、傷付けたくないんだ……頼むから余計な口出しはしないでくれよ、ガイル」

「悪いな、エディ坊や。お前がここに来て、全てを台無しにするつもりかと。そう思ってだな」

「レイラちゃん。俺のこと、好きになっているかな?」

「なりかけているだろ。あともう少し。あともう少しの辛抱だよ、エディ坊や……」



 頭を撫でられ、苦しく両目を閉じる。胸元をぎゅっと握り締めて、首を切断した叔父の声を聞いていた。



『お前は王家の恥さらしだ』



 ああ、申し訳ない。そんな言葉が軽く、偽物のように響く。どんな謝罪も、叔父の魂を鎮めはしない。どんなことも償いにはならない。



「それでも。それでもだ、俺は。それでも幸せになりたい。浅ましい、何て、浅ましい……!!」



 自分の浅ましさに顔を覆ってしまう。どうしようもない、罪を考えている。彼女と俺の罪を。




「大丈夫だよ、レイラちゃん。君と俺とで、分け合って生きていけるから。きっと。早く君が、俺のことを好きになってくれるといいのに……」




<その後の二人>


「アーノルド……レイラちゃんに。ごめんねって伝えてくれる?」

「いや、お前ら。目の前にいるんだから、直接やり取りをすれば、」

「アーノルド様。エディさんに暫く。許さないって。そう伝えて貰えませんか?」

「ガチで何があったの? お前ら?」

「アーノルド。レイラちゃんに、本当にごめんねって伝えてくれる? 俺、泣きそう。つらい」

「知るかっての! 目の前にいるんだから、レイラもレイラで、俺の背中に隠れてないで、」

「アーノルド様。エディさんに暫く許さないって、」

「無限ループかよ、お前ら!? 頼むからもう帰ろうぜ!? 俺はへとへとに疲れ切っているんだが!?」


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