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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
58/122

14.男二人の立ち話と彼女の盗み聞き

 



「それでさ~。レイラちゃんに昨日、チャラいって言われちゃってさぁ」

「何をしたんだ? エディ。お前は」

「んーっとさ、観客席の女性に手を振ってさ? 投げキスしてって言われたから、そんで投げキスしただけ」



 隣を歩いていたアーノルドが、紺碧色のポケットに手を突っ込みながら、怪訝そうに振り返る。



「お前、アホかよ? チャラいと言われる筈だよ、道理で」

「えーっ? そうかなぁ~。お前も言われたらしない? 女の子に」

「しねぇよ、アホかよ。んな臭い真似、出来るかっての」

「えー。ノリわる。お前、意外とシャイというか。しねぇよな、そういうこと」

「お前が特殊なんだ、お前が」



 エディが手に持った、苺ミルクの紙ストローをがじがじと齧っているのをこっそりと、レイラが後ろの壁から眺めていた。



(もうお昼休みだしと思って、エディさんを探しにきたら)



 まさかの、アーノルドとお喋りしている最中である。



(しかも、何かちょっと。仲良くない? 仲良し? 仲良しなの!?)



 若干混乱しつつも考える。ごくりと唾を飲み込んだ。



(どうしよう! 聞いてみたい!! はしたない真似をって、ジルさんには怒られてしまうかもしれないけど! ごめん、ジルさん!!)



 思わず笑みが浮かんできてしまう。



(え~? 二人とも。一体。どんな話をしているのかな~? 念の為に軽く、姿を消しておいてっと)



 男性が普段、どんな話をしているのかとっても気になる。盗み聞きするしかない。いくつかの術語を思い浮かべて、胸の内で唱えて、自分の姿をすぅっと消してみる。



(よし。手も透明。映らない。私が魔力障がい持ちだから出来る真似よね、これも)



 普通の人間だったらすぐに、魔力が尽きてしまって倒れてしまうことだろう。こういった上級魔術は、魔力を沢山必要とするから。



(しかし! 私には人外者並みの魔力がある……これで、途轍もない悲劇を招いてしまったけれど)



 胸の奥が僅かに痛んだ。それでも「全てを忘れて、幸せに生き行くんだ」と、血が入り混じった最期の言葉をよく覚えているから。今ではきちんと理解出来るから。涙を飲み込みつつ、帰りにドーナッツでも買って帰ろうと考えて、明るく前を向く。そして再び、楽しい盗み聞きへと戻る。男二人にそっと近付くと、センターの重厚な廊下を歩いていた二人がふいに立ち止まった。



「あっ! 自販機ある、自販機。へー、ここにあったんだ?」

「あれだろ、外観を損ねるかなんかで。あー、隠されてんだろ。前になんか工事があったけど」

「適当過ぎるだろ、お前!? あと内装な? 内装」

「うるせぇよ、いちいち。人の揚げ足を取るんじゃねぇよ。鬱陶しい」



 そっと、立ち止まっている男二人の後ろに行って佇む。音までは遮断していないので、気を付けなくては。



(ひえっ。どうしよう。げっぷとかおならとか絶対に出来ない! 気を付けよう。あと、頭とかも掻かないようにして……!!)



 音を遮断しておけば良かった。しまった。動いてはいけないと思えば思うほど、右頬が痒くなってしまうのはどうしてだろう? そして心が乱れているからか、魔力を上手く扱えず、行使している魔術が揺らぐ。どきどきと逸る胸を押さえて、緊張しながら佇んでいた。そこでふとエディが、自販機を眺めていたくせにこちらを振り返る。



(おわっ!! ばれた!? ばれちゃった!? 変態能力でばれちゃった!?)



 じっと、見つめられる。冷や汗を掻いて、息を飲み込み、心臓をどっ、どっ、どっ、とうるさく鳴らしたまま、訝しげに見つめてくるエディを見つめ返す。淡い琥珀色の瞳が、こちらを確実に捉えていた。そこでアーノルドが眉を顰めて、エディに声をかける。



「おい? どうしたんだよ? いきなり。ぼーっと突っ立ってよ?」

「……ああ、何でもない。虫かと思ったんだけど。気のせいだった」

「あ? 虫だって? どこに?」

「コバエ? かなんか。いいや、もう」



 そこでエディが、紺碧色の胸ポケットからくしゃくしゃの紙幣を取り出して「なんか奢るよ、アーノルド。この前のお詫び」と言って、アーノルドにけたたましく怒られていた。



「お前な!? 財布にしまえよ、財布に!! あと、硬貨は入ってないのか? 硬貨は」

「あー。どうだっけ? ケツのポケットに入ってた気がする。あー、あったあった。これだ」

「それならそれで。最初からそこを探って出せよ? 何でそんな所にしまってあるんだよ、まったく」



 ぶつくさ言いながらも、レイラにはよく分からない「お詫び」をして貰うためにか、アーノルドが自販機を眺める。こうして二人で並んでいる姿を見ていると。



(うーん、対照的な二人よね……アーノルド様は銀髪だし)



 さながらそれは、美しい太陽と月のようで。



(一方は銀髪で、一方は鮮やかな赤髪。あと、二人とも足長いな~……わぁ~)



 あんまりじろじろと眺める機会も無いので、これを機に思う存分眺めて、二人の長い足と引き締まった背中を堪能する。



(うーむ。アーノルド様の方がやっぱり足が長いな~……腰の位置が違う)



 アーノルドの方が、エディより背が高いので当然なのだが。しかし、エディも負けてはいない。素晴らしい体の持ち主のアーノルドと並んでいても、見劣りしていない。大抵の男性は、アーノルドと並ぶのを嫌がるのに。エディは堂々と並んで、呑気な声を出して話し始める。



「どうしよっかな~、俺は何にしよっかな~」

「お前。エディ。その手に持ってる、苺ミルクは何なんだよ?」

「あー、それもそっか。どうしよう。でも、これ、もう底が尽きちゃうしな~」

「それならそれで、お前も何か買え。俺が奢ってやるから」

「でも、お詫び……」

「あっ、そうだった。つい、いつもの癖でな」



 いつもの癖で?



(えーっ!? いっつもエディさんに奢ってんの!? それとも、トムさんとかライさんとかに!? わっ、分からない……!! あとお詫びって、一体何のお詫びなんだろう?)



 疑問に感じて、首を傾げていると、目の前に立ったエディが少しだけわざとらしい声で「本当にごめんなー? この間。お前の珈琲を飲み干しちゃって」と呟き、そこでようやく理解する。



(ああ、何だ? エディさんが飲み干しちゃったから、お詫びに奢るんだ?)



 隣のアーノルドが、気にかけた様子もなく「それじゃあ、一番高いもんでも奢って貰うか」と呟く。



(いや、アーノルド様? 自販機の高いって、たかが知れてるのでは……?)



 彼は非常にケチなのだ。人への贈り物は惜しまないが、閉店間際のスーパーで徘徊して、半額以下になった牛肉を嬉々として買い込んでくるような、みみっちい倹約家なのだ。



(うーん。お祖父様から十歳の誕生日に、土地を貰った筈なんだけどなぁ。駐車場にして、その収入も入ってきてる筈だし……ハーヴェイおじ様だって毎月、お小遣いだよーって言って多額のお金を渡してるのに?)



 それに、一等級国家魔術師としての収入もある筈だが。レイラはついうっかり、その白い指を折って、アーノルドの月収を計算してしまった。慌てて、なんてはしたない真似をしてしまったんだろうと恥じ入り、深い紫色の瞳を男二人に向ける。



「お前って意外とケチだよなー。まぁ、別に。何でも良いけど」

「そんじゃあ、腹減ったし。こっちの苺チョコバーでも奢って貰うか」

「おい、ちょっと待て。期間限定のくっそ高いやつじゃねーか!! あと、飲みもんじゃねぇし!?」

「いいじゃねぇか、別に。俺の珈琲を飲み干した罰だ。ちょっとって何だよ?」

「俺、パン食うと喉がぱさつくんだよねー。なんか液体無いと無理」

「知るか、そんなの!」



 そこでアーノルドが、エディを小突くと「いててっ! いいじゃん別に、も~。謝ってんだからさ~」と不満そうに唸った。アーノルドがそれを見て笑っている。思わず私も、笑ってしまいそうになってしまった。慌てて、口元を押さえて耐える。



(ぶっ、駄目だ! 声が出てしまう! 我慢、我慢、笑うとばれてしまう……!!)



 絶対にばれたくはない。



(繊細なアーノルド様のことだから。私が姿を消してまで、盗み聞きしてたことを知れば、絶対に絶対にそっくりさんを見張りに立てる! もうこんな楽しいことは出来なくなるっ)



 何とか笑い声を押し殺して、目の前に立つ、男二人の背中を見つめる。癖になってしまいそうだなぁ、どうしようっかなぁと考えつつ、ようやく冷静になった頭で音を遮断する術語を探して、選んで、自分の体にかける。



(空間系にするとね。成就音が響き渡っちゃうから。こっちの方が魔力の消費量も少なくて済むし)



 これで、自分の立てる音が無くなった筈だ。手を叩いて、確かめてみようかと思ったがやめる。万が一、成功していなかったら嫌だ。



(この盗み聞きがばれる訳にはいかぬ……!!)



 どこぞの将軍のように決意を固くして、忍び足で男二人を追った。アーノルドはその手に、美味しい苺チョコバーを握り締めて歩いている。エディはひんやりと冷たい、紅茶缶を持っていた。ぷしりと開け、それをがふがふと一気飲みしているエディを見て、隣のアーノルドが眉を顰める。



「おい、お前な……」

「さぁって! とっ! 俺はレイラちゃんとご飯でも食べに行こうかな~。お前も一緒に来る?」

「一体どういった風の吹き回しなんだよ?」

「そんで、今後のことを三人で話そう。俺とレイラちゃんの式の日取りとか」

「……まだ婚約解消はしない。するつもりはない」

「えーっ!? ずっり、ずっり!!」

「うるせぇなぁ、も~。黙れよ」



 二人の後ろを歩きつつ、潮時かなと考える。



(どこで魔術を解こうかな? どっか身を隠せる所は……?)



 きょろきょろと辺りを見回していると、エディが愉快そうに笑う。



「お前もお前で、本当にレイラちゃんのことが好きなのか? なぁ?」

「別に好きじゃねぇよ、微塵も。あいつだってそれは分かってる」



 分かってはいても、少しだけ胸が痛んだ。自分の紺碧色の胸元をぎゅっと、握り締める。



(そう、だよね……だからこそ、アーノルド様はエディさんに誘惑してもいい的なことを言ってる訳だし? アーノルド様の馬鹿)



 エディがふと、こちらを見つめてきた。その視線に肩を揺らしていると、エディが「レイラちゃん。偶然、通りかかってくれないかな~」と言い出したので、つられて後ろを振り返る。どこまでも赤い絨毯の廊下が続いていて、ちらほらと人影が動いていた。



(潮時かもしれない。でも。聞きたい。アーノルド様の秘密を)



 絶対に彼はエディの()()()知っている。でも、絶対に言わない。“似姿現し”のそっくりさんも言わない。



(あの銀等級人外者、絶対面白がってるよな~)



 苛立って爪を噛んでしまい、後悔してぱっと離す。苛立っていても、どうにもならないから。知りたいと強く願って、エディの鮮やかな赤髪を見つめる。するとエディがふっと微笑んだ。ような気がした。



「なぁ。好きじゃないのなら、どうして婚約解消してくれないんだよ?」

「タイミングがあるんだよ。何かとな」



 静かに呟いてそのまま歩く。この先を行って角を曲がれば、日常魔術相談課の部署だ。



(角で。部署の手前で立ち止まればいいか。それで、トイレにでも行っていた振りをしよう)



 こうしている間にも、自分の熱い魔力がどんどん磨り減ってゆき、お腹がぐるぐると音を立てる。そろそろ、限界かもしれない。



(お、お腹空いた……二つも使っていれば当然か)



 額に汗を掻いてそう考えていると、前を歩くエディが低く笑って問いかける。



「じゃあ、いつになったら婚約解消してくれる? 俺、もうそろそろ限界なんだよ。なぁ?」



 そこで「分かるだろう?」と言って笑って、アーノルドの肩に手を置いた。アーノルドが居心地悪そうに、肩をちょっと竦めてその手から逃れる。



「もう少しだけ耐えろ。父上がまだ納得していない。死にたいのか? 今更」

「死にたくはないけどね……お義父さん、理解してくれないのかなぁ?」

「しないだろ。あのおっさんにする気があるとは思えない」



 そこで、二人が角を曲がってしまう。



(ああ、駄目だ。あともう少しで何かが、聞けるような気がするのに……!!)



 どうしてアーノルドは、ハーヴェイおじ様と交渉しているのだろう。胸がずきりと痛む。



(そんなに私と結婚するのが嫌? 他に誰か、好きな女性でもいるのかな)



 最近は夜も来ない。こんな時にはよくアーノルドがいてくれたのにと、風の強い日にそう思ってしまうのだ。



(醜い、な。好きでも何でもないくせに)



 エディが好きかと言えば、それも少し違う。



(どちらかと言えば、あの暗さに惹かれているような気もする。まるで、踏み込んで)



 破滅してみたいと思うような。不思議な誘惑に駆られて、慌てて思い留まる。そして魔術をふわりと解いて、レイラは浮かない顔のまま、男二人の後を追った。



「アーノルド様! エディさん! って、わぁ!?」

「レイラちゃーんっ、好きーっ! 俺と結婚して欲しいーっ!」

「あのなぁ!? エディ!? てめえっ、何度言ったら分かるんだよ!? レイラにべたべたするなよ!?」



 あの会話を聞いた後では、白々しいとしか思わない。じっとりとした目で、戸惑うアーノルドを見つめる。



「私。エディさんと()()()()()ご飯を食べに行きますから。アーノルド様はジルさんと二人で淋しく、菓子パンでも食べていて下さい。賞味期限切れの」

「本当に!? レイラちゃん!? やったー!!」

「おっ、おい、レイラ……!?」



 エディが満面の笑みで、後ろからぎゅうぎゅうと抱きついてきたが、好きなようにさせておく。じっとりとした目で、戸惑ったように見下ろしてくる、アーノルドを睨みつけた。



「婚約解消。いつでも応じる的なことを言ってましたよね? そんじゃあ、これでっ!」

「ちょっと待て、レイラ!? まだ婚約解消しないからな!? 絶対にだぞ!?」

「えっ、往生際が悪い。たった今、振られたばかりなのに?」

「エディ、お前な……!!」



 大人気ないのかもしれないし、子供っぽいのかもしれない。でも。



(アーノルド様の馬鹿。まるで、私のことなんてどうでもいいみたい)



 涙が滲んできてしまう。エディの手を引いて廊下を歩いていると、背後でぼそりと何かを呟いた。



「どうしましたか? エディさん? 私とお昼ご飯、食べるのは嫌ですか?」

「嫌じゃないよ、全然。でも」



 そこで穏やかに微笑んで、こちらの手をぎゅっと握り締める。



「利用されていたら、嫌だなと思って」

「……」



 何も言えなくなってしまう。エディがこちらへ来て隣に並んだ。まるで恋人同士のように手を繋いで、二人で歩く。少しだけ人の目が気になったが、昼時だからか少ない。エディと初めて会った時も、こんな感じだったことを思い出す。自分のくちびるに触れ、考え込む。



(そうだった。あの時も確か、アーノルド様が無理矢理キスしてきたんだっけ?)



 やっぱり、自分は。



(その程度の存在でしかないのかな? なんか。悲しいし。辛いな……やるせない)



 そこまでを考えていると、おもむろにぎゅっと手を強く握り締められる。そのあまりの強さに、顔が歪んだ。



「っエディさん? あのっ、痛いです。痛い。ちょっと、」

「ああ、ごめんね? レイラちゃん」



 エディがそこで、ぱっと手を離して「あいつのことを君が。考えているような気がして」と呟き、物騒な笑顔を浮かべた。その不穏さに肌がひりつく。何故か胸の動悸が止まらなかった。どぎまぎしながらも、エディを見上げる。エディは優しく微笑んで、こちらを見下ろしてきていた。でも、その琥珀色の瞳には仄暗い熱が揺らいでいて、じっと見上げていても、消えることはなく。どうしよう? 目が離せない。吸い寄せられてしまう。



「私は確かに、エディさんのことが好きじゃありません……でも」

「でも? 何?」



 いつもとは違う、冷ややかで鋭い声に驚く。たまにこうしてがらりと、エディさんは変わってしまう。



「知りたいとは思っていますよ? あと、純粋に」

「……純粋に? 何?」



 そこでようやく、不思議そうに問いかけられる。先程までの重たい空気が散って、ほっとした。言うべきことではないのかもしれない、が。何故だか、言うべきだと感じた。彼には優しくするべきだと。取り返しのつかないことになる前にと。



「気にはなっています、一応」

「えっ? ……えっ!? 嘘でしょ!? ムカデの方がまだ格好良いって。そう言って落とすやつでしょ!? ねぇ!?」



 体を揺らしてエディが驚く。その言葉に苛立って、思いっきり睨みつけてやる。



「何ですかっ? それは!? 私はそんなこと、一言も言ってませんけど!? いいです、もうっ! 信じられないのなら信じられないままでっ! 解散っ!!」

「わーっ!? ごめんね、レイラちゃん!? 俺が悪かったよー! 嬉しいからっ、嬉しいからさ!?」

「いいです。無理して言わなくてもっ! 一人でご飯を食べに行きまーすっ、さようならーっ!」

「わーっ!? ごめんって! 俺のこと許して!? 本当にごめんね!?」



 結局、エディと二人でお昼ご飯を食べることにした。



(あんまり臍を曲げるのもあれよね、やめておいた方がいいよね……)



 それでも、眉間に皺が寄ってしまう。向かいに座ったエディが焦ったような笑顔を浮かべ、メニュー表を手に話しかけてくる。



「ああっ、ほらっ? レイラちゃん? レイラちゃんは何を頼む予定なのかなー?」

「私ですか? 私はですねー。ええっと」



 ストローから口を離して、メニュー表を眺める。ここは雰囲気の良いレストランで、白いテーブルクロスがかけられたテーブルが並び、クリーム色の壁紙には絵画が飾られていた。少しお高めだからか、店内に客はあまりおらず、テラス近くのテーブルに座ってゆっくりと寛ぐ。窓からの陽射しを受けて、エディの赤髪が煌いていた。思わず目が奪われながらも、二人でメニュー表を覗きこんで話し合う。



「俺はこのミートパイとハーブミックスのサラダと、石窯パンと、ファラフェルが乗っかったワンプレートにするつもり~。足りないから、追加で他に頼むけど」

「でしょうね! エディさんはこんな、オシャレなワンプレートでは物足りないでしょうね!!」

「でも、少しでもデート気分を味わいたくてさ……」



 そこで、エディが物憂げに顔を伏せる。思わず苛立って舌打ちをすると、エディが「酷いよ、レイラちゃん」と泣き出しそうな顔をした。流石に()()()()()悪いなと、思いつつ話しかける。



「エディさんてミートパイが好きですよね。パン屋さんでも、すぐに飛び付いてるから」

「うん。レイラちゃんは? ミートパイ好き? あと、俺のこと好き?」

「なりふり構ってられない感が凄くて、震える……!!」

「震えちゃうんだ……?」



 不思議そうに首を傾げつつ、ベルを鳴らして店員を呼び、「檸檬と海老のクリームソースパスタと、子牛肉のカツレツと、あと、檸檬シャーベットとバニラアイスで」と頼んでいた。店員さんが引き攣った表情で「かしこまりました」と言って、接客用の笑みを浮かべる。私は白身魚のタルタルソースがけと、烏賊と帆立のマリネが入った、ワンプレートランチにした。そこに小さなサラダと石窯パンが付いてくるので、これで十分である。食後のデザートには迷った挙句、ガトーショコラのベリーソースかけを頼んだ。そしてエディとまったり、ドリンクバーの軽食とお茶を楽しむ。



「あー、何だかんだ言って疲れたかも。ドラゴンダービー」

「ねっ。あと、どうなったんでしょうね? サムさんとベルさん」



 しまったと思ったがもう遅い。夕焼けの時のラブシーンを思い出して、冷や汗を掻いていたが。向かいに座ったエディは「あの様子だと大丈夫じゃない?」と呟いて、肩を竦める。



(まぁ。それもそっか。そうだよね?)



 ドリンクバーから取ってきた、ソフトクリームをつついて食べながら思う。エディもソフトクリームを食べていた。彼はそこにチョコソースをかけ、苺をこんもりと盛り、生クリームとコーンフレークとアーモンドダイスを振りかけて、ちまちまと食べていた。ぞっとして、それを眺める。



「大丈夫なんですか? エディさん。パスタとか、これからどんどん運ばれてきますけど?」

「大丈夫、大丈夫。これぐらいは余裕。今日もよく働いたし、疲れちゃったから」

「あー。何だかんだ言って屋根の修理をその、押し付けてしまってごめんなさい……」

「いいよ、別に。何も気にしてないからね?」



 エディが穏やかに笑って、コーンフレークを掬い取る。ばりばりと食べ、その甘さに頬を緩めて、嬉しそうな微笑みを浮かべた。やはりざわりと、胸の奥で何かが騒ぎ出している。



(うーん、複雑……どうしようかな? これからのこと)



 何の答えも出ないまま、時間が過ぎ去ってゆく。そろそろ、真剣に考えないといけないのに。



(本気でアーノルド様と結婚する? でもなぁ~)



 第三の選択肢があれば、とても助かるのだが。



「いっそもう、修道院にでも入るか……?」

「レイラちゃん!? 何、不吉なこと言ってるの!? 急に!? ねぇっ!?」



 スプーンを片手に、慌てて身を乗り出す。眉を顰めて、非難がましく見つめると、少しだけ怯んでぼそぼそと「そんなに嫌なのかな、俺との結婚が」と呟き出した。何だかすべてが面倒になってしまう。



「あーっ! 考えるのっ、やーめたっ!! でもっ、エディさんのことが好きになったら私、エディさんと結婚します。それでこの話は終わりです。以上っ!!」

「えーっ!? 何だか、何も進んでいない気がする! 物凄く辛い!!」

「進みましたよ。少なくとも私の中ではね?」



 この台詞を言うまでに、どれほど緊張したことか。



(はー……エディさんの馬鹿。呑気)



 額に汗を掻いて、ソフトクリームを掬い上げて、ひたすら食べていると、じっとこちらを見てくる。ふとつられて見てみると、その顔を赤くさせて黙り込むものだから、思わず首を傾げてしまった。エディが顔を赤くさせて、黙り込んでる。でも、この沈黙を破ったのはやっぱりエディだった。



「あのさぁ? レイラちゃん?」

「はい、何でしょう? エディさん」

「俺さー……あー、やっぱり。何でもない。いいや、もう」



 彼は時折、何かを言いかけて黙り込む。思い詰めたように黙り込んで、ほんの僅かにくちびるを震わせる。酷く罪悪感に満ちた表情を浮かべ、焦ったようにそわそわと動いていた。どうしてだか、胸の奥がずきりと痛む。熱い涙が滲み出てくる。



(何かを、私は思い出さなくてはいけないのに)



 それは一体何だろう。



(胸の奥につかえがあって取れない。どうしてもどうしても、何かが足りない。満たされはしない)



 遠い昔に誰か、傍にいてくれた筈なのに。優しい、優しい、誰かがずっと私の傍にいて────……。気が付くと、一筋の涙を流していた。向かいに座ったエディが慌てている。



「れっ、レイラちゃん!? どうしたの、一体!? お腹でも痛くなっちゃったのかな!?」

「なっ、何でもありません。ごめん、なさい……エディさん」



 以前にもエディに謝ったことを思い出したが、すうっと消えてしまう。



(あれ? また頭が痛い。駄目だ、視界がぼんやりと霞むような。そんな気がする)



 額を押さえて、霞みゆく視界で考える。



(多分、何かを忘れている。でも、何を? 一体誰を?)



 答えが出ないままに、心配するエディを宥めてソフトクリームを食べていた。



「本当に大丈夫? レイラちゃん? 熱中症にでもなった? お水でも飲む?」

「ああ。大丈夫ですよ、エディさん。そうじゃありませんから、本当に」

「そう? それならそれで、別にいいんだけどさ……」



 やって来たワンプレートランチを食べて、温かな石窯パンを引き裂いてバターを塗り広げる。塩気のあるバターの香りがふんわりと漂い、柔らかなパンを噛み締めると、ほのかな甘みが口の中に広がっていった。



(よし、考えてもどうにもならないし。考えるのやめようっと)



 どうせ明日もまた、戦争の英雄“火炎の悪魔”は傍にいる。そこまでを考えてからちょっと、昨日の軽薄なエディに苛立ってしまった。



「エディさん。もう、あんな非常識で軽薄なことはしないで下さいね? 見ているとイライラします」

「あっ、はい。ごめんなさい。もう二度としません……」



 しょんぼりと落ち込んで、ミートパイを口いっぱいに頬張っている、エディを見つめて。ままならない感情に、どうにも戸惑ってしまう。



(うーん。駄目だな。この間から、何かと)



 胸のモヤモヤを押し潰して、心の隅に追いやって、午後からの仕事を考える。何かと疲れている時は、目の前のことだけを考えていよう。レイラはそのまま、エディと二人でまったりと食事をして、午後の仕事へ戻っていった。









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