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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
54/122

10.昼下がりの男たちによる恋愛相談会

 





「俺。全然モテないどころか、最近は女性とまるで会話が出来ないんすよね……」

「お前は突然、何を言い出すかと思えば……どうしたんだよ? トム」



 アーノルドが呆れたような顔で、手に持っていたココアを飲む。これはレイラが「自動販売機で当たりが出たから」と言って、押し付けてきたものだった。椅子に座ったアーノルドの後ろで、先程から「婚約解消! 婚約解消!!」とうるさく叫んでいたエディが、ばくばくとバケットを貪り食って、それを振り回す。



「トム君も好きな女性を作ったらいいよ、好きな女性を! 本当に人生変わるから!」

「エディ……お前はな」



 その言葉に目元を覆う。こいつは本当に何も気にしていない。



(じゃあ、何だ? 一人でこうやって、悶々と悩んでいる俺が馬鹿なのか?)



 答えは出ない。どこまでも。



(あの時。どうすれば良かったのか、なんて)



 いくら考えても答えは出ない。でも、考えてしまう。



(やはり、あの時。エディを逃がすべきだった)



 後悔しても遅い。悩んだってどうしようもないことで悩んでいる。



「いやぁ~。そもそもの話。好きな女性すら出来ないんだって、エディ君」



 平凡な黒髪に黒目の青年、マーカスがトムの横で苺ミルクを飲みながら肘を突き、こちらを見てくる。いつの間にかエディが目の前にやって来ていた。そして、俺に背を向けてどかっと、デスクに腰掛ける。一瞬、後ろからその頭を叩き飛ばしてやろうかと思った。



「何で出来ないの? エマさんは?」

「っおいおいおい、ちょっとやめて? エディ君っ!? そんな最恐女性の名前を口にしないでっ!?」



 ぞっとしたように、マーカスが紺碧色の腕を熱心に擦っている。この制服は美しく、着ているだけで「男性が格好良く見える」と評判なのだが。



「なぁ? そもそもの話、女性と話が出来ないってなんだ?」

「出たよっ!! 色男のっ、傲慢クソクソ発言がっ!!」

「俺はお前の上司なんだが? まぁ、別に。いいんだけど……」



 レイラから貰った、ココアを飲んで考える。エディは俺のデスクに座ったまま足を組んで、サンドイッチを食べることにしたらしく、黙って食べている。今のところは。



(この男はなぁ~……本当に)



 割り切れない感情が、胸の奥でざわついている。俺が悪いのか、これは。



「アーノルド様は歩けばサインと握手を求められ!! 出勤したら一目惚れをされっ!! 街に出れば割引券とフラッシュの嵐っ! ひとたび微笑めば、失神する女性が続出なんでしょうけど!」

「流石の俺も、失神されたことは……あるな。そういや。何回か」

「あるじゃん、ほらあぁっ! あるじゃん、ほらぁーっ!!」

「どうどう。落ち着けよ、マーカス。あれ、上司だから。仮にもあれ、一応上司だから」

「いや。一応じゃなくて、上司だからな?」



 そこでサンドイッチを食っていたエディが、腹を抱えて笑い始める。



「あっはははは! お前もお前で、案外、許容範囲が広いよなー!」

「うるさい。こっちを振り向くなよ、エディ? ったく」



「あー、おかしい」と笑って、涙を浮かべたエディがこちらを向いて、笑う。それからまた、呑気に前を向いて食べ始めた。



(ああ。これではまるで)



 俺が一人で勝手に拗ねているみたいだ。



(いや、その通りなんだが……)



 エディもレイラも、俺がいなくてもきっと何とかなった。いや、何とかなっている。



(最初から最後まで俺は、こいつらにとって不要な存在なんだろうなぁ)



 それでも、努力はしておこう。



(父上も父上で、まだ納得しないのか。今夜辺り、見張っておいた方がいいか)



 こいつは知らない。何も。



(でも、多分。これでいい、それでいい)



 戦争から生きて帰ってきたエディを、今ここで死なせる訳にはいかない。



(何としてでも父上を止めなくては。納得して貰う、何が何でも)



 それにはまず、レイラがエディを好きになる必要がある。好きな女性を手放すと思えば、胸が酷く痛んだ。



(俺が先だったのに、とか。考えても無駄だろ、そんなこと)



 レイラが気付き始めている。やっぱり二人の言う通りだった、俺は。



(俺は今も昔と変わらず、無力なガキのまんまだ。結局、俺は何も出来ていない……)



 守りたかったのに、守れなかった。あまりにも力が無い。無力だ。



(今こうして。一人でせっせと頑張ってんのも、微々たるもので)



 エディもレイラもセシリアも、皆して好き勝手なことばかりを言う。俺の苦労も何も知らずに。それでも耐えよう。今はまだ。いつかきっと、心から二人を祝福出来る時がやってくるから。そこまでを考えて、ふと、顔を上げてみると、淡い琥珀色の瞳がこちらを覗き込んでいた。



「わぁっ!? 驚かすなよ、お前はっ!? 距離が近いっ!!」

「はっはっは! 悪い悪い! 体調でも悪いのかと、そう思ってさ~」



 いつもの軽い調子でエディが笑う。立ってこちらを見つめたまま、バケットサンドを貪り食っている。その穏やかな眼差しに居心地が悪くなる。



(エディにとって、俺は。昔のまんまなのな……)



 深く溜め息を吐いて、座り直す。固唾を飲んで見守っていたらしい部下たちが、おそるおそる、その手を上げた。



「は~い……あの~。大丈夫っすか、部長ー?」

「大丈夫だ。そんで? トム。女性と話す機会が無いんだって?」

「そうなんですよ、ぶちょ~……」



 今度はマーカスが疲れたような声を出す。ここからはよく見えないがおそらく、デスクにでも突っ伏しているのだろう。そこでエディが振り返って、トムとマーカスに向き直る。鮮やかな赤髪が揺れた。それを見て複雑な気分になる。



「何で話す機会が無いの? 街歩いてて、誰か良い人いないの?」

「しまった!! っくそが! エディ君もエディ君で、たいがいモテる男だったよなー!?」

「レイラちゃんには、んぐ、振られっぱなしだけどね~? ははっ」

「否定しないんだ、エディ君……」

「否定しないんだぁ~」



 エディが「する必要も無いからね、事実だし」と平然と笑って、バケットサンドを食べて、こちらへと向き直る。そしておもむろに俺の珈琲を手に取って、飲み始めた。



「おい、エディ? 勝手に飲むなよ、お前……」

「いや、喉がぱさついて死にそうなんだよ、俺」

「知るか! 自販機にでも何でも行って、買ってこい!!」

「えー。めんどい。そんな訳でちょっと貰うな?」

「おい……くそっ」



 ちょっととは何だと言いたいくらい、がふがふと珈琲を飲み始める。



(後で淹れ直すか~……ついでに、コップも洗っておこう。そうしよう)



 食器用洗剤は残っていたか、今週の掃除当番は誰だったかを考えつつ、溜め息を吐く。



「あれっすよね。部長も部長で、何だかんだ言って。エディ君と仲が良いっすよね」

「そうかぁ~? どっちかと言うと、こいつが好き勝手振舞ってるだけだろ」

「あー。俺。人からあんまり、嫌われたりとかしないから」



 エディがそう呟きながら、珈琲のマグカップを「ごめん、全部飲んじゃった!」と言って置く。思わず笑ってしまった。腹立たしいような、疲弊するような。色んな感情がごちゃ混ぜになる。



「お前の特殊能力だよなぁ、それって」

「えっ? 嫌われないこと? でも、お前」



 そこでエディがまた、サンドイッチを貪り食いながら、不思議そうな顔をする。



「俺のこと嫌いじゃん? レイラちゃんが取られそうだからって」

「お前はな~……嫌いというより、鬱陶しいだな」

「部長はエディ君のこと、嫌いじゃないんですか?」

「アホか、お前。いい年こいた大人が、面と向かって嫌いと言うか? こいつは別としてな」



 腕を伸ばして、ハムとキュウリのサンドイッチを手に取って、包装紙を破く。ぱさついた三角形のサンドイッチを食べると、安っぽい味わいが口の中に広がった。少しだけほっとする。たまには、しなびたキュウリと薄いハムも悪くない。ふと、飲み干されてしまった、マグカップの白い底を見つめる。底には黒い、珈琲が染み付いていた。それを見ながらあともう少しだけ、この穏やかな時間が続けばいいのにと、しんみりしてしまう。



(エディとレイラが結婚したら、一気に淋しくなるだろうなぁ……)



 レイラは引っ越して、俺は取り残されて。この部署からもきっと、エディとレイラはいなくなる。



(こいつもこいつで一等級国家魔術師だ。王宮でも魔術書院にでも何でも、行けばいいさ)



 賑やかな二人がいなくなっても、俺はここで働いて暮らすのだろう。二人がいなくなった後で、女性に追いかけ回されて、ジルに愚痴るのか。



「それを考えると。お前とレイラは、一生結婚しなくてもいいんじゃないのか……?」

「はぁっ!? なんでっ!? お前っ!? 思考回路、一体どうなっているんだよっ!?」



 エディがサンドイッチを片手に、びしっと、指を差してくる。その仕草に眉毛を持ち上げながらも、疲れたので、後ろの椅子へともたれる。



「いいかっ!? 俺はっ、レイラちゃんと結婚するために生まれてきたんだよ!!」

「わ~、すっげえ。エディ君が何か、訳の分からんことを言い出したぞ……」

「自信満々じゃん」

「な」



 いつものことなので、特に驚きは無い。エディの珍発言にもすっかり慣れたのだが、こいつらはどうも、あまり慣れていないらしい。



(でも、まぁ。昔とは違って、随分と性格は変わったよなぁ)



 昔はもう少し、大人しかったような気がする。どちらかと言うと、引っ込み思案な少年だったが。



「だからとっとと早く、婚約解消しろよっ!? 俺はなっ!? レイラちゃんと結婚するために生まれて、今の今まで、生きてきたんだからなっ!?」

「エディ君がそれ言うと、説得力があるよな」

「な~。なんか、それっぽい感じがしてくる」



 深く、溜め息を吐く。こいつらは何も知らないから。



「あー。まぁ、確かに。そろそろここで進展した方がいいよな?」

「えっ!? 許してくれんの、マジで!? 婚約、解消してくれる!?」

「しない。それはまだしない」

「しないんだ~……ん? でも、部長」



 そこで目ざとく、マーカスが気が付く。まぁ。隠すつもりは無いから別にいいんだが。



「まだしないっつうことは、いつかするんですか?」

「えっ? マジっすか、部長」

「マジですか、部長?」

「エディ、お前……普段は俺のこと、部長って呼ばないくせにな」

「婚約解消してくれたら、そう呼ぶけど?」

「いらん。好きに呼べ」



 エディが真剣な表情でこちらを見下ろしてくる。居心地が悪くなって目を逸らした。まるで魔除けの石のようだ。全てを見透かされる。



「とりあえず。……デートぐらいは許してやる。いつかな」

「いつかって、一体いつなんだよ!? あとっ、出来れば日帰り旅行がしたいっ! レイラちゃんとっ!!」

「この間からエディ君、それしか言わないっすよね……」

「あれじゃね? レイラ嬢との墓参りデートが楽しかったんじゃね?」

「あー、なる」



 黙々とハムとキュウリのサンドイッチを食べていると、俺を見てエディが不満そうにくちびるをとがらせ、また後ろに回って肩を揺さぶってきた。



「なぁ、なぁー! 婚約解消、婚約破棄っ! どれかしろよ!」

「うるせえ、黙れ」

「デート! デート! レイラちゃんとデートがしたい! 日帰り旅行も旅行もしたいっ!」

「すげえな、エディ君のアタック……」



 エディがご機嫌取りのつもりなのか、こちらの肩をもみもみと揉んでくる。意味が分からないと悩みつつも、そのままにしておく。そしてまた、先程飲み干されてしまった珈琲のマグカップを見つめた。俺は一体いつ、この苦しみを飲み干せるんだろう。



(子供みたいに拗ねてんのは、承知の上なんだが)



「なぁなぁ? アーノルド!? 一体いつ、レイラちゃんとデートしてもいいんだよっ!?」

「俺の気が向いたら。その内な」

「あれ、絶対許可しないやつだぞ」

「な」

「なー」



 こうして、日常魔術相談課の部署にて、穏やかな時間が過ぎていった。しかし、一方のレイラは窮地に立たされていた。



(わ~……やっぱり。エディさんと、アーノルド様と、一緒にお昼ご飯を食べに行った方が良かったかもしれない!!)



 今日は気分を変えて、女子三人で、庁舎の中庭で食べようと思っていたのだが。レイラは久々に、ジーン・ワーグナーに迫られている最中である。ちなみに昼食を食べる約束をした、ミリーとエマはお昼ご飯を買いに行ってる。



(すなわち! 助けは来ないっ!! どうしようっかな~。この状況)



 白い壁へと背をつけて、レイラが眉を下げる。両手を突いて迫っているジーンが甘い微笑みを浮かべ、レイラの首筋をするりと撫でた。



「ちょっと、ジーンさん!? どうしてミリーさんがいなくなった途端、迫ってくるんですかっ!?」

「いってててて……いやぁ~。だってさぁ? あの邪魔な、エマちゃんもいないことだし?」



 その白い手を指でつねってやる。痛そうな顔をしながらも、ジーンがへらりと笑っている。



「レイラ嬢。ねぇ? エディ君とじゃなくて俺と浮気してみない?」

「すみません。無理です。火遊びする気、ありませんから……」



 悪い人ではない。悪い人ではないのだが。



「女癖が本当に悪いんだよなぁ~……ジーンさん」

「えーっ? 傷付いちゃうなぁ、も~」



 彼女はいつもいつも、全力で恋しているそうだが。それでも遊んで弄んで、ぽいっと捨てているのには関わりない。



「ジーンさんは確かに素敵な女性です。しかし、私にはアーノルド様がいるのでで……」

「え~? それじゃあ、俺も」



 そこでぐっと顔を寄せて、私の手を持ち上げ、恋人繋ぎをしてきた。青い瞳がゆっくりと、妖艶に細められる。



「この間のエディ君みたいに、レイラ嬢と手を繋いじゃおうかな?」

「みっ、見てたんですか!? あれをっ!? あっ」



 しまった。彼女の罠にはまってしまった。驚いたような顔をみせたあと、ジーンがにっこりと綺麗な微笑みを浮かべる。



「ねぇ? レイラ嬢? このことをアーノルド様にばらされたくなければ、俺と一緒に、」

「てぇぇいっ!!」

「おわぁっ!? ぐっ」



 そこでジーンが横に吹っ飛ばされる。見るとエマが、ジーンに飛び蹴りをしていた。呆気に取られ、口をぽかんと開ける。



「死ねっ!! レイラちゃんに近付くんじゃない、この糞ビッチが!!」

「待て待て、やめよう? エマさん、ちょっと落ち着いて、」

「いやっ、だってさぁ!? 俺がエディ君よりも先に目を付けてたもん!! 言い寄ってたんだもん!!」

「ちょっ、ジーンさん、ちょっ、待って!?」



 すぐさま立ち上がった丈夫なジーンが、ぎゃいぎゃいと、エマと醜い言い争いを始める。



「っだからそれが! 目障りで鬱陶しいっつってんだろうが、お前の頭は飾りか!? ああん!?」

「飾りじゃないから! あとそれから、エマちゃんは早くジェラルド君と結婚でもしたらどうかな!?」

「なんっでそこであの、くっそ!! 陰険海草頭の話が出て来るんだよっ!? 違うだろうがよ、ああっ!? 話がよ!?」



 エマさんは本当は物凄く怖い。物凄く怖い女性だ。それなのに私には優しい。



(有難い。有難いんだけど、それは……)



 何故彼女はこんなにも、私に執着しているのか。



(うーん? 初日にしたことが原因なのかな?)



 とりあえずこの二人を止める必要がある。二十七歳と二十六歳の女性なのだから、醜く言い争わないで欲しい。



「あー、ほら? お二人とも、その辺にして……」

「あら? 二人とも、一体何をしているのよ?」

「ミリーさん!」



 助かった。喧嘩も収まってくれるだろう。と思いきやエマが、その赤茶色の髪を揺らして銀色の剣を生み出す。ぶわりと氷のような魔力が煌いていた。彼女がそれをしっかりと構えて、ジーンを睨みつける。



「止めないで下さい、ミリーさんっ!! エマ、こいつをふっ飛ばさなきゃ気が済まないんですっ!」

「いいよ? 別に! 俺も俺でっ、そう簡単に吹っ飛ばされたりしないからね!?」



 とジーンが叫んで、同じく青色の剣をしゃらりと煌かせて出現させた。人気の無い、静かな中庭にて、殺気だった二人が剣を構える。



(あれなの? これってもしかして、私のために争わないで的な……?)



 二人はれっきとした女性だが。ついでに言えば、私に恋などしていないが。



(ここにエディさんがいればな~……駄目か。事態を余計に悪化させるだけか)



 一瞬、エディを呼んでこようかと思ったが。その提案に蓋をして、ミリーを振り返る。するとぷるぷると肩を震わせながら、怒っていた。


「二人とも、いい加減にしなさいっ!!」

「だっ!?」

「あだぁっ!?」



 二人の頭上にごごんと、大きな石を落ちる。ミリーは鉱石系統の魔術が得意なのだ。そして、ぱったりと倒れてしまった二人を見たあと、私を困った顔で振り返る。



「あっ、あら? 私ってば、加減を間違えてしまったみたい?」

「そうですね……頭から血が出てないといいですね」

「見たところ、一応は大丈夫みたい」

「ははははは……はーあ。なんか、疲れた」



 ちらりと、二人の屍を見て決める。



(うん。今度からは大人しく、エディさんとアーノルド様を連れて、お昼ご飯でも食べに行こう……先日のシャトーブリアンも美味しかったし)



 お店の人がサービスしてくれるどころか、周囲の客が、こぞってアーノルドとエディに奢りたがった。「奢る代わりに、ここにサインを」だの「このお肉をあげるから、握手をしてくれ」だの。よってたかって揉みくちゃにされてしまい、戸惑った男二人が話している間にレイラは、こそこそと、隅の方の席で、シャトーブリアンを食べていた。



 やはり、あの二人は何かと使い勝手が良い。明日からはそうしよう。疲れきったエディとアーノルドからは「今度からは三人で、一緒に部署で食べよう」と、そう提案されていたが。




(うん。まぁ、いっか。それは。どうでも)












 終業後、静かになった廊下で人の気配を感じて振り返る。そこにはエディが立っていた。黒いショルダーバッグをかけ、デニムシャツと白いスニーカーを身につけている。



「アーノルド。いや……アーノルドさん」

「何だ? 懐かしいな、その呼び方は」



 薄暗い廊下の壁にぼんやりと、壁掛けランプが並んで光っていた。足元の床には、真っ赤な絨毯が敷き詰められている。紺色のシャツを着たアーノルドが、エディを鋭く睨みつけていた。



「レイラちゃんと、婚約解消して貰えませんか?」

「この間も言ったはずだぞ、それは。ますはレイラが、お前のことを好きになってからだ」

「でも、その前に」



 すっと、エディが真剣な表情で、一歩足を踏み込んでくる。その距離にたじろぐこともなく、見下ろす。淡い琥珀色の瞳が真剣にこちらを見つめていた。



「婚約解消ぐらい、出来るでしょう? それともまさか。……本当にもう」



 そこで俯いて、儚げな雰囲気を出す。生憎と俺は、こいつのことが好きな年配女性ではないので、胸は痛まない。あるのはただ、複雑な感情ばかりで。



「俺の。味方じゃないんですか? 昔はあんなに良くしてくれていたのに」

「はっ、味方じゃないだと?」



 そこで一気に怒りが込み上がる。その怒りのまま、エディの胸ぐらを掴んで、捻り上げていた。俺がこんなことをしても、エディは悲しげに目を瞠って、捨てられた子犬のように見下ろしてくる。その淡い琥珀色の瞳にまた、苛立った。



「お前に頼まれて、あんな茶番劇を演じてやったんだ。有難く思えよ?」

「っでも! だってそれは、本当に必要なことで……!!」

「そうだよなぁ? 初対面である筈の俺とお前が、知り合いだったらレイラが戸惑うもんなぁ?」



 エディがぐっと、こちらの手首を握り締めてくる。苦しそうな表情に思いの外、締め上げていたことに気が付いて離す。柑橘系の匂いがふわりと漂った。



「けほっ……アーノルドさん。アーノルドさんは、一体何に対して、そんなに怒っているんですか?」



 聞かれたくないことだった、それは。



(でも、父上の手からエディを守らなくてはいけない)



 まだだ。まだ。今は婚約解消すべきではない。もう少し父上と交渉しなくては。そして、レイラがきちんとエディを好きになる必要がある。



(先日聞いてみたが……あまり、芳しくなかった)



 エディから殺意を感じるなど、有り得ないことを抜かしている。思い詰めすぎなのだろう、エディが。レイラがそれを、敏感に感じ取っているだけだ。それはどうしようもない。



「とにかく、レイラはまだお前のことを好きになっていない。話は終わりでいいか?」

「ちょっと待って下さいよ、アーノルドさん! 話はまだ、全然終わってなくて!」

「っ離せよ、エディ!?」



 一体どこまで、俺に甘える気なんだ。



(こちらの気も知らないで、勝手なことばかりを……!!)



 あの時だってそうだ。俺は散々止めたのに。エディの腕を振り払って睨みつける。エディがショックを受けたように、呆然と、その淡い琥珀色の瞳を瞠っていた。もう一度、苛立ちのままにがっと胸ぐらを掴む。



「いつまでも俺に甘えるなよ、エディ? その呼び方で呼べば、どうにかなるとでも思ってんのか?」

「っアーノルドさん! 俺は、あの時、本当にそうするしかなくて」

「いい。お前の言い訳も、謝罪も。何も聞きたくはない!」



 ぱっと手を離して、背を向けて歩く。もうこれ以上、こいつと話したくない。



(俺が勝手に拗ねてるだけなんだろうけど、な……)



 背後でエディが、自分の身なりを整えている。そんな音が聞こえたあと、ぽつりと、最も言って欲しくなかったことを口にする。



「やっぱり、ただ拗ねてるだけじゃないですか……アーノルドさんは」

「お前らが正しかったよ、一番な」



 俺は無力だった。無力なガキだった。そして、レイラもエディも俺の助けなど必要なかった。まるで定められているみたいに、何もかもが上手く行っていた。そのことが気に食わなかった。



「どうせお前ら二人、俺を置いてどっかに行くんだ。散々、心配をかけた後にな?」

「何だよ、それ……何だよ、それ」



 この二人がいなくなった後の、日常魔術相談課なんて考えたくもない。本当にレイラが好きなのか、俺は恋をしているのか。エディに生きていて欲しいと思っているのか、死んで欲しかったのか。父親の言葉を思い出した、その誘惑に負けそうになってしまう。レイラを手にしたい。でも、二人を幸せにしたい。



「アーノルドさんは昔から、その、繊細な人ですよね……」

「うるさい。次、そう呼んだら殺す。お前をぶん殴ってやる」

「はー……まったく。あなたという人は本当に」



 エディがその赤髪を掻いて、呟いた。振り返りもしなかった。どうせ、明日もこいつには会えるから。生きているこいつに会えるから。







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