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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
51/122

7.貴女は咎を背負ってしまった人

 





「あーっと、七十二番、七十二番、ここかな? っと、とと」

「大丈夫ですか、エディさん? その、私が扉を開けましょうか?」



 金と赤茶色の優美な扉が重たいらしく、エディが「ふんっ」と言ってがらりと開けた。キャラメル色の本革リュックを背負ったエディが、私の鞄を座席に置いて座る。私も黙って向かいの席に腰を下ろし、カンカン帽を脱いだ。



 風光明媚な都市が遠ざかって、窓の外に田園風景が広がっても黙っていた。エディが上機嫌で窓の外を見つめ、淡い琥珀色の瞳を細める。がたんごとんと汽車が揺れて、穏やかな午前の陽射しが二人を照らす。



 窓の外には初夏らしい、白い入道雲が浮かんでいた。青空に低く浮かんで、ゆったりと流れてゆく。ふとエディがこちらを見て笑ったので、反射的に笑い返す。待ってくれているんだろう、私が話し出すのを。ぎゅっと両手を握り締め、声を振り絞る。



「私。その、何からどう言えばいいのか、よく分からなくって……」



 エディが意外そうな表情を浮かべ、両手を組んだ。じっと、真剣な淡い琥珀色の瞳で見つめてくる。ああ、逃げ出してしまいたい。いつだってそうだ、そんなに真剣に見つめられると逃げ出してしまいたくなる。



「こんなこと、困るようなことじゃないって、そう思っているんですけど……ああ、ごめんなさい。私ったら、自分でも何を言っているのかちんぷんかんぷんで」

「無理も無いよ、レイラちゃん。職場の同僚の俺が勝手に、君のお出かけに付いて来ただけなんだし?」



 エディが愉快そうな、ほんの少しだけ拗ねた口ぶりでそう話す。思わず笑ってしまった。



「それもそうですね……でも」

「ん? でも?」

「一体、誰から聞いたんですか? それにこの汽車の切符だって……土壇場でぱっと、買えるようなもんじゃないし?」



 膝の上に置いたカンカン帽を握り締めると、エディが苦笑してぽりぽりと頬を掻き出す。



「いやぁ~……それがさぁ? レイラちゃん。俺も本当に驚くべきことに、その、アーノルドがあらかじめ有給を申請してくれていて、この汽車の切符も買ってれたんだよね……しかも往復分と、乗り遅れた時の対処法と発車時刻まで、きっちり書いたメモが封筒に入ってたし……」



 その言葉にどう答えるべきか迷って、無難な返しをしておく。



「あー、まぁ。アーノルド様は何かとまめな人ですからねぇ……私が二十一歳の時にも、一人で日帰り旅行に行って来ると言ったら、何もかも全部、ルートや手順を書いたメモを持たせてくれて」

「あー。確かにあいつ、そういうまめなことしそう。今回どうして俺に協力してくれたのか、あんまりよく分からないけど、ね……」



 よく分からないどころか、とてもよく知っていそうだが。彼は以前に「あいつから君を口説く許可を貰っているんだよ」と、そう言っていたではないか。



(だとしたら私に言い寄るよう、そう仕向けてきたのはアーノルド様だったりして……?)



 雑な推理を打ち捨てて、ひとまずは目の前の問題に向き直る。



「あの、エディさん? 今日はその、私。亡き両親の墓参りに行くんです。だから、その」

「次の駅で降りろって? 俺が目障りだって?」

「いえ。あの、エディさん? そこまではその、言ってませんが……?」



 エディにしては珍しく圧が強い。彼は二の腕を組んだまま、穏やかな表情で窓の外に広がる田園風景を見つめていた。それでも絶対に付いて行くぞとでも言いたげな、そんな強いオーラを発している。



(そう言えばエディさんって、炎タイプだったよなぁ……魔力が炎タイプの人は情熱的で、こうと決めたら絶対に動かない。そんな所があるんだっけ?)



 しばし下らない魔力占いのことを考えて、気を紛らわせる。エディはいつだって私に優しくてとことん甘い。それでも、何でも言うことを聞いてくれるという訳ではない。店選びや都民への対応など、些細なことはどこまでも譲ってくれるくせに、肝心なこととなると何が何でも絶対に譲らない。そんな頑固で我が儘な面があった。



「付いて来て欲しくない、と。そう言っても無駄なんでしょうね? エディさん?」

「君が、好きな女の子が。俺の手の届かないところで泣くのが嫌だからなんて」



 そこでエディが愉快そうにひょいっと肩を竦め、こちらを見つめてくる。淡い琥珀色の瞳が陽に煌いて、本当に美しかった。



「君はそんな甘い言葉じゃ納得してくれないよね? レイラちゃん?」

「はい、しません。今回、エディさんの慰めは不要ですから」



 徹底的に拒絶しておきたかった。今日は何が何でも一人で過ごしたいのだ。もうすぐで両親を殺してしまった時間がやって来る。午後二時過ぎの惨劇が、この目と耳に蘇ってくるかのようだった。



「エディさん。本当にお願いです。今日はお願いだから一人にして貰えませんか?」

「一体どうして? 交通事故で亡くなったご両親を一人で偲びたいから?」



 そうだ、世間的にはそういうことになっているのだった。エディ以外の日常魔術相談課の職員たちだって、そう思い込んでいる。すうと深く息を吸い込んで、覚悟を決める。話す覚悟を。



「いいえ、私の父も母も……。私がこの手で殺してしまいました」



 その言葉にエディがゆっくりと淡い琥珀色の瞳を見開き、私を凝視してくる。



「正確に言うと、あれは事故だそうです。だって、私の殺意は無いに等しかったから」

「ちょっと待って、レイラちゃん? 君のご両親が亡くなったのは交通事故でじゃないの?」

「違います。私がお父様と、お腹の中の赤ちゃんを殺してしまったんです。愛しい、お母様ごと」

「レイラちゃん。それは一体、どういう意味で────……」



 焦ってエディが私を問い詰めようとした、その時。



『えー。次は、次は苺チョコプリン駅です。お降りの際、足元にご注意下さい。呪われた博物館(ミュージアム)方面へと向かうお客様は』



 そんなアナウンスが響き渡って、扉の向こうの車内が少しだけ騒がしくなる。



「あっと、もう次の駅か……」

「エディさん、お願いですからこの駅で降りて下さい。今すぐにでも、さぁ」



 いつになく険しい口調を聞いて、流石のエディもぎょっとした顔で見つめてくる。ああ、駄目だ。今日だけは駄目だ、本当に。踏み込んで欲しくない、出て行って欲しい。



「もう一度だけ言います。今すぐ降りて下さい。どうしても降りたくないと言うのなら、次の駅で降りて下さい」

「っレイラちゃん、俺は……」

「両親の命日ぐらい、一人でいたいのに一体どうしてですか!? 何でずかずかと踏み込んでくるんですか!?」



 エディとは言えども、踏み込んで欲しくはない。今すぐ出て行って欲しい。はっと息を荒げて強く睨みつけてやると、困惑した様子で自分の帽子を脱ぐ。



「レイラちゃん。俺は本当に、君が一人で悲しんでいるのを見たくなくて……」

「もういいから放っておいて下さい。余計なお世話です。良い迷惑だってことが分からないんですか?」



 エディがようやく黙り込み、帽子を被り直す。そしておもむろに立ち上がって扉をがらりと開け、こちらへと向き直ると、両手をばっと床に付いて這いつくばった。あまりの事態に息を飲み込む。



「申し訳ありません!! お願いだから俺も、レイラちゃんの墓参りに連れて行って下さい!!」

「えっ!? ちょっ、エディさん!? いっ、一体、貴方は何をしているんですか!?」

「本当に本当に、お願いします!! あだだっ!?」



 半開きになった扉がごんごんと、エディの体を打っている。そんなひれ伏すエディを乗客が見て、ぎょっとした顔となり、そそくさと降りてゆく。羞恥で顔が赤くなってしまった。慌てて立ち上がって、まだ床に這いつくばっているエディの下へ行く。



「なっ、何で!? 一体どうしてっ、そんなことをしてまで私の一時を邪魔したいんですか!?」

「邪魔したいです!! 本当に本当に、申し訳ありません!! 頼むから俺も連れてってください!」

「はっ、はぁ!? エディさん、ちょっと、自分が何を言っているかちゃんとよく理解して、」

「理解してる! 理解してるよ、レイラちゃん!!」



 床から顔を上げたエディが()()()()、私の両手を握り締めてきた。そして焦った表情で続ける。



「君は俺がいなくても平気かもしれない! でも俺は違う、違うんだよ! レイラちゃん!!」

「えっ、エディさん? 貴方は一体何を言って、」

「レイラちゃんは俺がいなくても平気だろうけどさぁっ! でもっ、俺は違う! 違うんだよ、レイラちゃん……!!」



 床から立ち上がったエディがぎゅうっと、こちらを抱き締めてきた。あまりのことに驚いて息が止まってしまう。淡い柑橘系のコロンの香りがふわりと漂った。エディがぐっと私を抱き寄せ、耳元で甘く囁く。



「レイラちゃん、どうかお願いだから許して欲しい。君が迷惑でも何でも一人でいたくっても俺は、俺は、君がいないと絶対に生きて行けないから……」

「っぐ、ちょっ、エディさん!? 本当に一体、何を言って……?」



 そのくすぐったい息とエディの甘くて深い声に、呆気なく心が折れてしまった。重たい扉が閉じて揺れ動いて、汽車が発車したことを知る。どうしよう、どうしたらいいんだろう。心臓がばくばくと鳴り響いている。



「レイラちゃん……? お願いだよ。俺、君に拒絶されるのも悲しくて悲しくて仕方がなくて……」



 エディの悲しげな声に心臓が跳ね上がった。ぎゅっとエディの背中を握り締め、くちびるを噛む。



(っう、こう言っちゃあ何だけど、弱ってるエディさん最高……!!)



 何だかんだ言って理想のタイプなのだ。その逞しい筋肉質の体も、明るくて意外と穏やかな性格も。そんな理想を凝縮した男性に「君がいなかったら生きていけない」だなんて、そんな臭い台詞を言われてしまうと。エディから離れ、その不安でいっぱいの顔を見上げる。



「じゃっ、じゃあ分かりました。エディさんがそこまで言うのなら、別について来ても構わない、」

「えっ!? 本当!? ありがとう、レイラちゃん!! 好きっ! 愛してる!!」

「あのですね~……あと、ちゃっかり私の手を握らないでください!!」

「あだっ!? ごめんごめん、レイラちゃん! つい嬉しくってさ~」

「はー……もう、まったくもう。これだから、エディさんは……」

「ごめんねー、レイラちゃん? 持ってきたお菓子をあげるから、全部許して欲しいなー?」

「お菓子を持ってきたんですか……」



 赤茶色のボックス席に座り直して、エディと一緒にお菓子を食べることにした。エディが自分のリュックサックを漁って、お菓子を取り出す。



「いや~。途中で知り合いに沢山会っちゃってさ~。そんでレイラちゃんに好かれるために、今からお墓参りに付いて行って汽車デートするって言ったら、手持ちのお菓子を皆くれてさぁ~」

「手持ちのお菓子、ですか。それはまた……」

「うん、これでレイラちゃんと仲良くお食べって。あとお店の新商品も入ってるから、次会った時にまた感想を聞かせて欲しいって。ん、どーぞ」

「あ、ありがとうございます……」



 エディからパウンドケーキを受け取り、それを見て驚く。



「これ。その、檸檬の……」

「ん。好きでしょ? レイラちゃん。いっつもそれ系を選んでるからさー」



 エディが包装紙を破いて、ブルーベリーマフィンを食べ始める。嬉しいのか悲しいのか、よく分からなくなってそれを見つめる。



「……美味しそうですね、これ」

「れひょう? んぐ、これもおいひいよ? あとれレイラひゃんにも、わらひれあれるね?」

「あの。何を言っているのかよく分からないので、全部食べ終わってからにして下さいね……?」



 呆れて溜め息を吐くと、エディがにかっと明るく笑って片手をひらひらと振る。何故かそれを見て、胸の奥がずきんと痛んだ。



「ん。ほーふるよ、ごへんね、レイラちゃん?」



 ぱりぱりと包装紙を破って、檸檬のパウンドケーキを食べる。美味しい。ほろりと口の中で芳醇な生地が崩れ落ち、爽やかな檸檬の香りだけがふんわりと残る。



「……美味しいですね、これ」

「ん。らよね、おいひいよね~。もう一つ、んぐ、いる?」

「下さい。沢山食べて、心を癒します……」

「んー。ろーろ。あー、おいしー」

「ふふっ、エディさんてば、もう……」



 穏やかな会話と包装紙がぱりぱりと破ける音と、長閑に過ぎ去ってゆく田園風景と。午前の陽射しがゆったりと、そんな二人を照らしていた。がたんごとんと、忙しなく汽車が揺れては優しい時間が過ぎてゆく。



「ん。はい。ろーろ、レイラひゃん」

「えっ? いっ、いいんですか? これ。だってエディさんが、自分用に買ってきたものなんじゃ……?」



 差し出された紅茶缶を見つめて問いかけると、ココアのフィナンシェを飲み込み、困ったように笑う。



「いいや? これは俺がレイラちゃんのために買ってきたものだから。はい、どうぞ。良ければだけど」

「あっ、ああ。ありがとう、ございます……?」



 紅茶缶を受け取ると、ひんやりとその温度が手に染み込んでゆく。よく冷えていた。穏やかな気持ちでそれを眺めてから、ぷしりと開けて口に含む。ふわりと紅茶の良い香りが漂い、飲み干すと胸の奥がすっきりとした。パウンドケーキの優しい甘さが、ゆっくりと口の中で溶けてゆく。



「まさか両親の命日を……こんな風に穏やかに過ごせるだなんて、思ってもいませんでした……」



 膝の上で紅茶缶を握り締めて呟くと、エディがひょいっと眉毛を持ち上げる。



「それってもしかして、全部俺のお陰かな? 格好良い俺が傍にいると、気持ちが明るくなるって?」

「っあははは! 何ですか、それー……もー、自分で自分のことを格好良いって言わないで下さいよ。エディさんってばもう!」



 エディもその言葉を聞いて笑って、お腹を抱える。大袈裟な仕草で私を笑わせてくれる。



(ああ、もう。本当に敵わないなぁ、エディさんには……)



 彼といると世界が輝いて見える。たとえ私が罪を犯していても、自分のやったことがどんなに許せなくとも。



「エディさんといると明るい気持ちになれちゃうんですよ。一体どうしてなんでしょうね~」



 その言葉に何故か、エディが苦しそうな微笑みを浮かべてフィナンシェを飲み込む。



「ありがとう、レイラちゃん。君が……そう思ってくれて本当に嬉しいよ」



 エディがなるべくこちらを見ないようにして、フィナンシェを齧り取っていた。どうしてだかそれを見て、泣きたくなる。胸が苦しく狭く、締め付けられる。



(手遅れになる前に、思い出さないといけないのに)



 無意識に浮かんだ考えはすぅっと、泡が溶けてゆくみたいに消えていった。くらりと不思議な眩暈を感じて、自分の額を押さえる。ちかちかちかと何かが眩く点滅して、軽い吐き気と貧血のような症状に襲われる。



「れっ、レイラちゃん!? 大丈夫!? 酔っちゃったのかな!?」

「っう、いいや。大丈夫です。なっ、何でもありませんから……」



 ちょうどその時、アナウンスが響き渡った。



『えー、次は、次はミックスビーンズ&ヌガー駅です。お降りの際、足元にご注意下さい。そしてこの汽車は次の駅で─────……』



 エディの腕にしがみつきながら、霞んでゆく視界の中で何とか答える。どうしてだろう、どうしてこうなるんだろう。やっぱり今日が命日だからか。



「降りましょうか、エディさん? 次の駅です。外の涼しい空気にでも当たれば私のこの、気持ち悪さも少しはましになると思うので……」

















 エディの腕を借りて荷物も持って貰って、まるで恋人同士のように汽車から降りて(彼は終始ご機嫌だった)、まずは外の空気を吸い込む。



 片田舎らしい澄んだ空気に、気持ち悪さが和らいでいった。ここは緑にオレンジに濃いブルーにと、カラフルな木組みの家々が並び立つ、童話の世界のように美しい街だ。街の中心には静かな運河が流れていて、穏やかな空気が流れている。灰色の煉瓦道も可愛らしい。一応、ここはハミルトン子爵家の領地だが。



 何かと複雑な事情があってレイラの祖父が────つまりエドモンの父が、領主としてこの土地を所有している。ハーヴェイから祖父母に会ってはいけないと言われているので、会いに行くことはない。父のエドモンは魔力障がいを理由に、叔父であるジョージに預けられたのだが、その時に両親に捨てられたと思い込んでしまったらしい。



 よってハーヴェイも一緒になって、レイラの祖父母を恨んでいるのだ。祖父母に会いたい気持ちはあるが、二十歳の誕生日を迎えた時にこっそりと、アーノルドが引き合わせてくれたので満足している。



 ただそこでも「エドモンにそっくりだ」と泣かれて、目も眩むような宝飾品と今まで私のために買っていたというドレスを沢山貰ってしまい、会ったことを少しだけ後悔した。



 ここでもお父様の代わりなのだと、そう。



「あっ、見て見て、レイラちゃん! パン屋さんだよ、パン屋さん! わ~、すっごく美味しそう! 雑貨屋さんもある! ねぇねぇ、レイラちゃん? 後で俺と一緒にお昼ご飯を食べない?」

「いいですよ、エディさん。お詫びに奢ってあげますよ?」

「いいよ、別に。デートだし。あれもご褒美だと思っているから」

「いや、だから。私はこれをデートにしたくないんですって……エディさんが調子に乗ると困るから」



 エディと楽しく喋って緩やかな坂道を登って、老舗の美しいチョコレート店を覗き込み、雑貨店を見つけてちょっと寄って行ったり。はっと我に返って、坂道を登って墓地を目指す。ふいにエディが足を止め、ショーウィンドウに飾られている格好良いスーツを見つめ出した。



「ほらっ、エディさん? それを買うのなら後でにして貰えませんか? 私、早くお墓参りに行きたいんですよー……」

「あっ、ごっ、ごめんね? レイラちゃん。それじゃあ、急ごうか?」
















「はい、レイラちゃん。お花。本当は俺が乱入してこなかったら、どこかで買う予定だったのかもしれないけど……」



 エディが苦笑しつつぽんっと、魔術で美しい白百合の花束を出してくれる。そ、そうだった。お花をすっかり忘れていた……。



「あ、ありがとうございます、エディさん。本当は駅前で買おうと思っていたんですけどね……」



 美しい白百合の花束を受け取って、ついつい、その匂いを嗅いでしまう。鼻先に柔らかな白い花弁が当たって笑っていると、エディが優しい眼差しで私のことを見下ろしていた。ここは美しい街が見渡せる墓地で、緑の芝生に覆われた丘にはいくつもの墓標が並んでいる。



 エディと無言で歩いていると、風が強くなってこちらの首筋を撫でてゆく。ただただひたすらに、頭上には初夏らしい青空が広がっていた。



「ああ。ここですね、エディさん……その前にジョージ大叔父様にも。はい」

「ジョージ大叔父様……? それってレイラちゃんの、お祖父様のお兄さんか弟さん……?」

「そうですね。話せば長くなるので話しませんけど、私の父を育ててくれた人だそうで」



 一本、花束から白百合を抜き取って、ジョージ・ハミルトンと刻まれた灰色の墓へと供える。エディが背後に佇み、静かに寄り添ってくれた。彼の良い所はこんな所だ。黙っていて欲しい時は黙っていてくれるし、話しかけて欲しい時はすぐさま話しかけてくれる。相性が良いんだろうなと、何となく思う。



 すぐ隣に両親の墓があるというのに、直視が出来ない。くだらないことばかりを考えてしまう。あまりにも重たい、自分の罪を見つめるのはこんなにも苦しい。



 たかだか墓参りをするだけだと言うのに、こんなにも胸が苦しくて────……。



「っレイラちゃん、大丈夫? ちょっと一旦休んだ方が良いよ? どこか座れるような所は」

「だっ、大丈夫です。エディさん。すみません、汽車の時といい、今といい……」



 よろめいた私を、エディが素早く受け止めてくれる。足元の芝生を踏みしめて、両親の名前が刻まれた墓を見つめるとじくじくと胸が痛み出した。



(ああ。私が、私が殺してしまった。赤ちゃんとお父様を……)



 その子は見つけられなかった。あまりにも弾け飛んでいてお墓が作れなかった。その場の肉片と骨をかき集めて、両親と一緒に埋葬して貰った。恐ろしい。ハーヴェイに魔術で赤子の死体を復元してくれだなんて、そんなことは頼めない。



 そんなおぞましいことはさせられない、私は、私は────……。



「レイラちゃん。しっかりして、大丈夫だよ」

「っエディさん……」



 エディの腕にしがみついていると、にっこりと穏やかな微笑みを浮かべて私を見下ろしてきた。



「もう、ここは過去じゃないから。レイラちゃんも立派な二十二歳の女性だよ?」



 何故だかそんな言葉にふっと、胸が軽くなって息が吸い込める。そうだ、ここはもう過去じゃない。あれからもう、こんなにも遠いところに来てしまった。アーノルドだって成長して、アル兄様じゃなくて私の婚約者として傍にいる。



 深く息を吸い込んでみると、初夏の緑の匂いと陽射しの匂い、それから。



「レイラちゃん? どうしたの? 顔が赤いけど……?」

「なっ、何でもありません。その、支えて下さってありがとうございます……」



 ついうっかり、エディの香りも吸い込んでしまった。慌てて離れると、何故かエディが私を見て嬉しそうに笑う。気を取り直して墓に向き合い、そっと白百合を供えた。



(エディさんはなんて言うんだろう? 私の過去について……)



 エディが臙脂色リボンのカンカン帽を脱ぎ、沈んだ表情で墓を見つめていた。鮮やかな赤髪を揺らし、こちらを見てふっと微笑む。意外だった、もう少し。



「もう少し何か話しかけてくるかと。てっきりそう思っていました……」



 エディが低く笑って、帽子をリュックサックの上に乗せる。



「話したいことがあれば、どんなことでも聞くよ? レイラちゃんが話したかったらだけどね」

「エディさん……」



 少しだけ迷ったが、もう、全部話してしまうことにした。純粋に興味があったのだ。私の血腥い過去を聞いて、エディがどんなことを話し出すのか。



(エディさんも他の人と同じことを言うのかな……)



「レイラちゃんは何も悪くなんてないよ」とエディは言うのだろうか。下らない。でも、話してみないと分からない。エディはごくたまに、意表を突くようなことを言ってくるから。深く息を吸い込んで、両親の墓を見つめる。初夏の陽射しを受けてきらきらと輝いていた。



「随分前にお話した通り、私は魔力障がい持ちでした。まぁ、今でもそれは変わりませんが……日常生活に支障は無いので」

「うん。大丈夫だよ、ちゃんと知っているから」



 エディがそっとこちらの手を握り締め、墓を見つめる。



「俺、別に偏見なんて持ってないよ? ガイルもいるから、魔力障がい持ちの子供が生まれても大丈夫だし! レイラちゃんとは何が何でも結婚するつもりだし!」

「自由ですね、本当にエディさんは……まったくもう」



 その言葉にどうして安心しているんだろう。見て見ぬ振りをして、その感情に蓋をする。気が付いたってどうしようもないから。



「それで? 一体どうしたのかな? それが」

「ああ、まだ話の途中でしたね……それで私が、この手で両親を殺してしまったんです」



 すんなりと言葉が出てきた。体が酷く重たかったが精神的な負担は少なく、よどみなく話せる。



「あれは事故だと、皆そう言います。でも、私はそう思えなくって」

「あるよね、そういう時。……物凄く、納得が出来ない時」



 その静かな言葉にはある程度の重たさがあって、こちらの心に寄り添ってくれる。器用な人だなと思いつつも、話を続けた。



「あの当時、私は六歳でした。魔力が安定すると言われている、七歳の誕生日を迎える目前でした」

「うん。それで? 君は? 一体どうしたの?」



 話が続けられなくなってしまって顔を伏せると、エディが笑って私の手をぎゅっと握り締める。



「大丈夫だよ、俺の手の方が汚れているから。沢山の人の血で」



 それを聞いて、思わず汗ばんだ手を握り締める。彼は一体、この手でどれだけの人を殺してきたんだろう? エディも人殺しだと考えると、心が落ち着いた。私は一人ではないと、そう思えた。ああ、この人は人を殺してないんだって。そんな、惨めな気持ちになることも無い。



 この先を続ける、勇気が湧いて出てくる。



「招き入れてしまったんです、私が。この手で、あの黒い門を開いて。今でもちょっと、門は怖いというか。まぁ、その辺りのことは置いといて」

「うん、それで?」



 自分でも動揺して焦っているのが分かる、怖い怖いと。拒絶されたらどうしようと、怯えて震えて泣いている。



「それで私は、強盗を招き入れてしまったんですよ、エディさん。六歳の時に、もうすぐ七歳になる六歳の時に」

「それで、レイラちゃんはその男たちも殺してしまったと?」



 エディの声はやけにあっさりとしていた。その声を聞いてほっとする。



「そうなんですよ、エディさん。そこで私は魔力を暴発させてしまって、愛しい両親を。お父様とお母様をこの手で」



 それまで焦燥感のような恐怖に支配されていて、泣く余裕も無かったが、とうとう熱い涙が滲み出てきた。私が殺してしまった、生まれる筈の弟か妹。一緒にお出かけがしたかったんだ、一緒に遊んでみたかったんだ。だからこんなにも苦しいんだ、私は。



「生まれる、筈だったんですよ。エディさん。赤ちゃんが。お母様の中で」

「レイラちゃんの、弟か妹かな? どっちだろう?」

「さぁ、それは永遠に分からない。でも、お父様が楽しみにしていたんです」



 涙が滲み出てくる。虚ろな笑みを浮かべながら、両親の墓を見ていた。苦しい苦しい、こんなにも苦しい。何年経っても苦しみが癒えない。するとその時、エディがぎゅっと私の手を握り締めてくれる。苦しみが少しだけ和らいでゆく。



「楽しみにしていたんですよ、エディさん。私が殺しちゃったんですけどね?」

「うん。……うん」



 エディが静かに顔を伏せて、手を優しく握り締めてくれる。その温度に泣き出したくなって、苦しみが溢れ出てきて止まらなくなる。



「私、私。何で生まれて来たんだろう? 私なんか、最初から生まれてこなければ良かったのに」



 自傷するみたいにそんな言葉を、何度でも繰り返したくなった。エディにどう思われようが、どうでも良かった。そこまでを気にする余裕は無い。



「そしたら、お父様も助かっていたのに。生きていたのに、全部全部、間違いだったんだ。最初から全部。全部、私が生まれてさえ来なければ、それで良かったのに……」

「くだらない。レイラちゃんがそう思いたいだけだよ。ただの妄想だ」



 その言葉に息が止まった。機械みたいにぎこちなく、エディを見上げると責めるような眼差しで見下ろしてくる。



「なん、何で、そんなに酷いことが言えるんですか? だってだって、本当にそうでしょう? 私さえ生まれて来なければ、お父様もお母様も死ななかったのに────……」

「君はもうそろそろ、ちゃんと理解している筈だよ? レイラちゃん」

「何を!? 何も私は、理解してなんか!!」



 ばっとエディの手を振り払って睨むと、同じぐらい強く睨み返してきた。



「いいや、分かっている。本当は、自分が何も悪くないことを」

「分かってなんかいませんよ、そんな、そんなの……!!」



 薄っすらと分かってはいた、自分は何も悪くないと。それでも現実に向き合えない。誰かを悪者にしていないと生きていけない。自分を悪者にしないと生きていけない。


 私は悪くなかったんだよ、なんて。そんな言葉は欲しく無いの、苦しくなるだけだから。



「っ私が!! 悪いじゃないですか、だって! 私があの時に、この手であの門さえ開けなければって今でもそう! ずっとずっと今でもそう思ってるから!!」



 感情の制御が何も出来ない、苦しい。まるで泥の中でもがいているみたいだ。この苦しみから逃れたいと、ずっとずっと叫んでいるみたいだ。エディが焦って、こちらの両手を握り締めて恐ろしいことを言い出す。



「そんなのはただの自己満足だよ、レイラちゃん? 誰も君のことを責めてなんかいないのに、君だけがずっとずっと、自分のことを責めている!! ただの独りよがりだろう? 自分勝手にも程がある! 周囲のことを何も考えてない!」

「っ何で、そんなに酷いことを言うんですか!? エディさんは!?」



 エディが真剣な淡い琥珀色の瞳で私を見つめ、苦しそうな笑みを浮かべた。



「それを言ってどうなる? レイラちゃんのご両親の気持ちは?」

「っそれは、それはでも」

「少なくとも、俺だったら喜ばない。自分の大事な大事な娘が、そんな風に苦しんでいるだなんて……そんな風に、自分を責めているだなんて」



 知っている、そんなのは。知っている、知っているよ。よく理解している。



「でも、じゃあ一体どうすればいいんですか? この苦しみを。……私がお父様とお母様を殺してしまったと言うのに? ねぇ?」



 そこでようやくエディが黙って、私をそっと優しく抱き締めてくれた。ぐすんと鼻を鳴らしてエディの胸元にしがみつき、嗚咽を上げて泣く。エディがそんな私の背中をゆっくりと、温かく擦ってくれる。



「分かっている筈だ。君はもうとっくの昔に、自分は悪くないってそう」

「六歳のまだ、ほんの子供だったから? でも私はそんなの、」

「納得できないのはよく分かるよ、レイラちゃん。でも、しなきゃいけない。諦めないといけない」

「誰の、何のために?」

「レイラちゃんのお父さんとお母さんのために。……彼らがゆっくり休めるように」



 その言葉がまた、私の足枷になるような気がした。分かっているのに、何も変えられたりなんかしない。



「でも、私。苦しいんです、ずっと、ずっと……エディさん」

「うん。その気持ちはよく分かるよ、レイラちゃん。でも、誰も望んだりしていないんだ」

「何を? 私が一人で殻に閉じこもるのを?」

「君が苦しむのを、だよ。レイラちゃんのお父さんとお母さんもそうだし。アーノルドだってそうだ。俺だって、勿論そうだけどね?」



 その言葉に何も言えなくなった。常日頃から迷惑をかけていることを、よく理解していたから。それなのにアーノルドはただひたすら黙って、我慢してくれる。



「別にあいつだけじゃない。ミリーさんやライさんだってそうだし……エマさんなんかは特にそうだと思うよ?」



 その言葉にほんの少しだけ笑って、エディから離れた。爽やかな風が吹いて、流れ落ちた涙を乾かしてゆく。



「さぁ? どうでしょう……エマさんは、彼女は何かと変わっていますからね」

「俺、この間足を踏まれたもん。レイラちゃんと同じ空気を吸ってるって」

「それは全職員に、全く同じことが言えるのでは……?」

「うん、理不尽だよねー。だからさ?」



 エディがふっと、苦しそうな微笑みを浮かべる。思わず目が吸い寄せられた。触れたいと、そう思ってしまう。



「レイラちゃんのことを心配していて、幸せになって欲しいって思う人は。結構沢山いるんだよ、レイラちゃん?」

「きっと、別に。いないかと……」

「こーら。拗ねたりなんかしないの! ほら」



 そう言って笑ってぴんっと、私の額を指で弾く。どうしてだか、額を弾かれたことにほっとしていた。笑って額を押さえつつ、エディを見上げる。



「レイラちゃんのご両親だってきっとそうだよ? 幸せになって欲しいと思ってる。恨んだりなんかしてないよ、絶対に」

「そう、なんですかね? あんまりその、よく分かりませんが……」

「親の気持ちなんか、子供の俺達にはちっとも理解出来ないからねぇ~。でも、そうだよ。きっと」



 エディが飄々とした口ぶりでそう話す度に、こちらの心が軽くなってゆく。



(本当に不思議な人だな、エディさんって……)



 こちらをあっさりと受け止めて、この苦しみも何もかも「大したことないよ」と言って、穏やかに微笑んで包み込んでくれる。全部全部、優しく噛み砕いてくれる。じんわりとした安心感が胸の底に広がって、深く息を吸い込んだ。景色が美しかった。遠く遠く、どこまでも青空が澄み渡っている。



「だからさ、レイラちゃん? 君はいつか、全部を諦めて幸せにならなくちゃいけないよ? だって、誰もそんなことを望んでいないからさ。レイラちゃんがそうやって、苦しみ続けることをさ?」



 エディがその顔を伏せ、またこちらを見つめ、ふっと優しい微笑みを浮かべる。ああ、敵わないな。本当に。風に揺れ動く、鮮やかな赤髪が本当に美しかった。



「レイラちゃんが自分のために、自分を幸せに出来ないならそれでいい。自分のことを大事に出来なくってもいいよ、それでもいいからさ」



 意外な言葉に目を瞠る。いいんだろうか、自分を大事にしなくて。自分を嫌いなままでいて。



「いいん、ですか? それはでも、お父様とお母様が望んでいたことなのに? 幸せにって、私がそうなるようにって」

「苦しむなって言っても、到底無理な話だろう? 凄く辛いよ、それは。中々に割り切れない過去だからね」



 エディがこちらの両手を握り締めてきて、また微笑む。その温度にほっと苦しみが解けてゆく。



「自分を責めていいよ、レイラちゃん。その代わりに」

「その代わりに? 一体何ですか?」

「亡きご両親や他の大事な人たちのために少しずつ、少しずつ、自分を大事にしていったらいいから。それでいいよ、もう。全部全部」



 ぼんやりとエディの低い声を聞いて、繋いだ両手を見つめる。魅了されたかのように、エディの美しい両手をじっと見つめる。



「自分のためじゃなくって、ご両親や他の人のために自分を大事にしていったらいいからさ? そうしようよ、無理しなくていいよ。別にさ」

「自分のためじゃなくって、他の人達のために……? お父様と、お母様のために?」

「そう。レイラちゃんを大事に思ってくれている、ご両親や友人のために。あいつのためにも、ね」



 その複雑な表情を見て、あいつとはアーノルドのことを示しているのだと理解する。思わずくすりと笑うと、エディがまたぎゅっと手を握り締めて穏やかな微笑みを浮かべた。



「自分を責めてしまう時もあるかもしれない。でも、それは当然のことだか。、別にそれでもいいんだよ、レイラちゃん」

「いいん、ですね? それは……別に」



 エディが片手を離して、黒髪をさらりと耳の後ろへとかけてくれる。乾いた指先がくすぐったい。



「ようは練習なんだよ、レイラちゃん。自分を大事に出来ない時もあるかもしれない。でも、それでいいからさ? 最初から何もかも全部、上手くいったりしないもんだから」

「ようは練習で、試行錯誤なんでしょう? エディさん?」



 その頼りない声を聞いて、エディが優しく笑って頷いてくれる。



「そうそう。そうだよ、レイラちゃん。少しずつ失敗をして間違えて、軌道修正していって」

「はい。……はい、エディさん」



 俯くと、エディが優しく私の頭を撫でてくれた。その温度と手のひらが心地良い。



「そしたらいつかはさ、ちゃんと自分のことを大事に出来るから。あいつや、ご両親や友達を心配させないように、少しずつ練習していったらいつかちゃんと自分のことを大事に出来るから。ねっ? そうしてみようか、ちょっとずつ」



 エディがもう一度、震え出した両手をそっと握り締めてくれる。のろのろと見上げてみると、哀しげな微笑みを浮かべていた。それにつられて私も微笑む。



「はい、エディさん。ちゃんと私もその、頑張ってみますね……?」

「いや、頑張っちゃ駄目だから」

「えっ!? いやっ、でもそれは、」

「頑張ったら何の意味も無いだろう? 君はそうやって無理をしがちだからね。無理に頑張らなくていいから」



 エディが悪戯っぽく笑って、こちらの額にちゅっとキスをしてきた。ぼっと顔が赤くなってしまう。しまった、油断していた。



「俺に言われたからそうするんじゃなくって、ちゃんと認めなきゃ。他の人のために、自分を大切にしなきゃなって。でないと定着しないよ?」

「認める、ですか。それは……ちゃんと出来るかな?」

「ははは、どうだろう? でも、きちんと理解しなきゃ身に付かないからねぇ~」



 困ったように笑ってカンカン帽を拾い上げ、ぼすんと被る。そして、愉快そうな表情で私を見下ろしてきた。



「でも、君には俺がいるんだよ。レイラちゃん? 俺だけじゃない。君のことを大事に思っている人が、本当に本当に沢山いるんだからさ?」



 そこで黙り込み、墓へと向き直る。鮮やかな赤髪が揺れて、その顔を覆い隠してしまった。



「レイラちゃんのご両親が安らかに眠るためにも。まずは自分を幸せにする必要があるって、そう、理解するところから始めたらいいよ、レイラちゃん」



 くるりとエディが振り向いて、また困ったような顔で笑う。



「でも、無理は禁物だからね? ちょっとぐらい自分を責めてしまってもいいから! ねっ?」

「はい、分かりました。エディさん、それであの」

「ん?  一体どうしたの、レイラちゃん?」



 恥ずかしがるようなことでも何でもないのに、途轍もなく勇気がいる。



「今日はそのっ! 付いてきて下さってありがとうございました。この後はもし、良ければなんですけど」

「ん? どうしたの? 俺に何か頼みたいことでもあるのかな?」



 ぎゅっと自分の拳を握り締め、奮い立たせる。大丈夫、大丈夫。大したことないから、こんなの。



「この後は一緒にその、どこかでご飯でも食べて、ついでに街を観光して帰ってみませんか……?  日帰り旅行的な気分で」

「うん、いいね。そうしてみようか」



 エディがそこで初めて、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。少しだけ動揺しているのか、その顔はほんのりと赤くて照れ臭そうだった。エディが鞄と帽子を持ち上げ、ぼすんと真っ赤な顔のレイラにカンカン帽を被せて笑う。



「ようやく俺をデートに誘ってくれたね? 本当に嬉しいよ、レイラちゃん。どうもありがとう」

「ちっ、違いますからね!? べっ、別にそんなつもりはなくって……!!」



 エディがひょいっと帽子を取って、レイラの白い額にキスをする。エディの柔らかなくちびるが離れた瞬間、真っ赤な顔でレイラが額を押さえた。



「っあははは! 可愛いー、レイラちゃん! 顔が赤いよー? どうしてなのかなー?」

「えっ、エディさんったら本当にもう! 次っ! これをやったら本当に本当に、運河に沈めて帰っちゃいますからね!?」



 エディがカンカン帽のつばを掴み、わざとらしく溜め息を吐く。



「はーあ、ことある毎に君は俺を沈めようとするよねー? なんだかなぁ、とっても悲しいなぁ。もう、俺は」

「エディさんが余計なことをしなかったら私も、物騒なことは言わずに済むんですけどねー?」

「駄目なんだよ、俺は。レイラちゃんへの愛が溢れて止まんなくなるからさ」

「はーあ、全くもう。エディさんってば」



 レイラが呆れた笑みを浮かべてエディの隣を歩き、美しい墓場を後にする。そんな二人の様子をエドモンとメルーディスの墓が見守っていた。白百合の花束がはたはたと、風に揺れ動いている。



「それじゃあ、何を食べますか? エディさん? さっきのパン屋さんにしますか?」

「うーん、そうだなぁ~。折角だからもうちょっと、素敵なレストランで食べてみない?」

「パン屋さんにしましょうか、それじゃあ。デート感も出さないように割り勘にしてっと」

「そんな冷たいレイラちゃんも俺は好き!! 早く結婚がしたい! 君と!」

「今日も相変わらずですね、エディさん……」








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