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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第二章 彼らの思惑と彼女の過去について
49/122

5.休日の過ごし方と彼女の後悔と懺悔

 





 明日は両親の命日だ。だからかこうして、休みの日だと言うのにも関わらず起こしにくる。



「レイラー? ほら、もうそろそろ十時半だぞー? 起きてみないかー?」

「んー……まだ、もうちょっとだけ寝ていたい~」



 昨夜、遅くまで本を読んでいたからか頭が重くてだるい。柔らかな枕に顔を埋めて、毛布の中で足を伸ばす。



「まだこのままずっと、寝ていたい~……んむー」

「でもな、レイラ? 俺がお前の為に折角、スクランブルエッグと厚切りベーコンを焼いて、絞り立てのオレンジジュースと、その他にもクロワッサンと、お前の好きな胡桃とオレンジのパンも用意したのに、」

「起きる。胡桃とオレンジのパン、食べる……!!」



 そう呟いて起き上がると、アーノルドが愉快そうに笑って、くしゃくしゃに絡まった黒髪頭を撫でてくれる。



「そう言うと思ってた。さっ! それじゃあ俺は、お前の朝飯を用意してくるから、その間に顔を洗って歯を磨いておけよー?」

「ふぁーい、ふあぁーあ。ありがとう、アーノルド様……」





















「レイラ! 今日は折角の良い天気なんだし、バルコニーでBBQでもしてみよっか! なっ? なっ?」

「ほわっ!? ハーヴェイおじ様!? 分かったんで一旦、下ろして頂けませんか!?」



 休日なのでポニーテールにして、黒いタンクトップの上から白いシャツを羽織って、適当にそこら辺にあったデニムを履いて降りると、ハーヴェイに捕まってしまった。さっきまで走っていたのか黒いジャージ姿だった。焦った表情で私を高く抱き上げ、くるくると回り始める。



「なっ? なっ? そうしよう、皆でお肉を食べてみよっか!!」

「わっ、分かったんで下ろしてくださいよ、ハーヴェイおじ様!?」

「何をやっているんですか? 父上はまったく……ほら、レイラ?」

「アーノルド様!」



 あまりにもくるくると振り回されてしまい、目が回りそうだったがアーノルドが助けてくれた。似合わないから着ない方がいいのに、チェック柄のシャツを着ている。



「っとと! 大丈夫だったか、レイラ? 父上に何もされなかったか?」

「アーノルドたん、酷い~。パパ上、そんな酷いことしてないのに~」

「っうるせえよ、糞親父が!! いい加減にしろよ!? その呼び方はやめろと、一体何度言ったら、貴方は理解してくれるんですか!?」

「何度言ってもやめるつもりはないし、理解する気はどこにもないよ? 可愛いアーノルドたん?」



 ハーヴェイが胡散臭い微笑みで、ひょいっと肩を竦めた。それを見たアーノルドが青筋を立てたので、慌てて肩に手を回す。



「レイラ?」

「アーノルド様。切りが無いのでもう、この辺りでやめましょう? それで? BBQでしたっけ? ハーヴェイおじ様?」



 アーノルドに抱えられたままハーヴェイを見てみると、何故か焦った表情で続ける。



「あっ、ああ。そうなんだよ、レイラちゃん! 今日はお天気も良いし、珍しくイザベラもシシィもお休みみたいだし!! あっ、そうだ! 庭からジルでも呼んでこようか? レイラだって、たまにはあの坊主と話がしたいだろう?」

「へっ? あっ、ああ、そうですね? たまにはそうしたいもんですね? でも、ハーヴェイがおじ様が嫌なら別に私は、」

「っよし! それじゃあ、それで決まりだな!」



 ハーヴェイがその指をぱちんと高らかに鳴らし、嬉しそうな笑顔でこちらを見つめてきた。それでもその笑顔はやはり、どこかぎこちないもので。



(ああ、やっぱり。明日がお父様とお母様の命日だから……気を遣わせてしまっているんだろうな)



 それならそれで、今日は沢山甘やかして貰おうか。そう考えてにっこりと微笑みかけてみると、ハーヴェイがほっとしたような笑みを浮かべる。良かった、今度はちゃんと笑ってくれた。















「おーにっく! おーにっく! アーノルド様も一緒に歌ってみませんか? お肉ソング!」

「何でだよ、レイラ?」



 先程「ださい」と言ったからか、アーノルドは白いTシャツと黒いジャケット姿だった。街へ買出しに行くだけなので、私は着替えていない。タンクトップとシャツで十分だろう。ここはエオストール王国の、少し辺鄙な路地裏で市場への近道だ。両脇には家々が立ち並び、地面には灰色の石畳が敷かれている。



 ふと上を見上げてみると、家の隙間から小さく青空が見えていた。ふんわりとした白い雲が流れていって、何とも長閑な(のどか)な雰囲気だった。わくわくと胸が弾んで、隣を歩くアーノルドに笑いかけてみるとほっとしたような顔で笑っている。



(やっぱり、心配かけちゃってるよね~……何だか、本当に申し訳が無いな。何十年も前のことなのに私ときたら、いつまで経っても変わらない。変われないんだから……)



 ぴたりと立ち止まって自分の両手を見下ろしていると、アーノルドがすかさずやって来て私の両手を握り締める。



「レイラ……何も気にする必要はない。あれは不幸な事故だったんだから」



 何度も何度も繰り返されてきたその言葉に、呆れて笑う。



(そんな言葉で納得が出来るのならもう、私はとっくの昔に楽になって……)



 納得が出来なかった。いつまでも。



(あの時の黒い門を開けたのは私なのに。知らない人を家に招き入れてはいけないと、そう。そんな簡単なことさえ守っていれば、今でも私の隣には)



 アーノルドではなく、お父様とお母様がいてくれたのに。今でもこの頭を撫でてくれて、年が六個ほど離れた弟か妹が、私に生意気な口を利いたりしたのだろうか。考えてもどうしようもないことなのに、どうしても考えてしまう。あった筈の未来をどうしても考えてしまう。



(それでお休みの日には、こんな風に一緒にBBQをしたりなんかして……)



 そこまでを考えるとふと、涙が浮かんできた。アーノルドがそれに気が付いて、そっと私を抱き締める。



「レイラ……大丈夫だよ。お前には俺が、ちゃんと傍にいてやるからな?」

「ある、アーノルド様……」



 優しく優しく、アーノルドに抱き締められて深く息を吸い込んだ。思い出すのはあの日の眩しい陽射し。木陰も緑もきらきらとしていて、美しかったあの季節の温度と風の匂い。



(私が殺してしまった。この美しい美しい、初夏の季節に)



 あの門さえ、開けることが無ければ。今でもお父様とお母様は生きていて、私はあの生まれ育った屋敷で暮らしていて。この不幸が自分のミスで引き起こされたものなんだと、そう理解する度に胸を掻き毟って叫び出したくなってしまう。激しい後悔に打ちのめされてしまう。



「アーノルド様……私が、私があの、黒い門を開けさえしなかったら?」

「レイラ。レイラだけじゃないんだ。あれぐらいの年の子はやっぱりどうしても、そういった犯罪者や不審者に騙されやすいから……レイラのせいじゃない、絶対に。大丈夫だ」



 納得が出来ない。でも、どこかで諦めなくてはいけない、この苦しみを。ぎゅっとアーノルドを抱き締め返して、鼻を鳴らす。



「そう、ね。アーノルド様。きっとそうね……」



 何かもっと良い方法があったんじゃないかとか、あの時私がもっとこうしていたら、あの時に何とか耐えることが出来ていたらだとか。自分を苦しめるだけのもしも話を、やめなくてはいけない。前を向かないと、前を向いて生きて行かないと。



「ありがとうございます、アーノルド様……こんな風に、いっつもべそべそと泣く私をその、慰めてくれて」

「いや、いいんだ。レイラ。大丈夫か? お肉、買いにいけるか?」



 その過保護な言葉に思わず笑ってしまう。ああ、やっぱりこの人は。どれ程美しくても、私のお兄さんであり保護者だ。きっと本人もそのつもりでいる。二人の間に横たわった歪さに、疲労が溜まってゆくような気がした。それでも、どうにもなりはしないので切り替える。



「アーノルド様。大丈夫ですよ? 買いに行きましょうか、お肉!」

「ああ。そうだな、レイラ……」



 気を取り直して笑いかけてみると、その美しい銀灰色の瞳が歪んだ。その変わりように息を飲み込んでいると、すいと褐色の手が伸びてきて顎を持ち上げられる。



「あっ、アーノルド様? あの……」

「レイラ……今ここでお前に、」

「あらぁ!? もしかして、そこにいるのはレイラちゃんとアーノルド様かしら?」



 それまで私の顎を持ち上げていたアーノルドがぐっと体を揺らして、振り返る。私もつられて振り返ってみると、そこにはらんらんと目を輝かせた主婦が立っていた。そう、ここは人通りが少ないとは言えども、住宅街の路地裏なのである────……。



 ご婦人が青い瞳を輝かせ、買い物袋を片手に早歩きで近寄ってくる。アーノルドがぱっとこちらから手を離して、虚ろな笑みを浮かべた。



「ええっと、あの。こんにちは……」

「相変わらずアーノルド様も綺麗ね~! 嫌だわ、男の人に綺麗って言うのも変かもしれないけど~! レイラちゃんも久しぶり! この間はどうもありがとうね~!」

「いっ、いいえ。その、私もそれが仕事ですから……」



 彼女が勢い良くばっとアーノルドの手を握り締め、ぶんぶんと振り始める。若い女の子となると、アーノルドを見ただけで逃げていってしまうのだが。こうしてべたべたと触れてくるのは中年女性だけである。



「あら? でも、エディ君は? 今日は一緒じゃないの?」

「ええっと、その。エディ君と私は、プライベートでの付き合いは無いに等しいんで……」

「あらぁ、そうなの? エディ君もエディ君で、本当に可哀想ね~!」

「はっ、ははは……」

「ははは……」



 私が乾いた笑い声を上げると、アーノルドもそれにつられて虚ろな笑い声を上げる。どうも目の前の女性は、アーノルド派ではなくエディ派らしい。それなのに、彼女はアーノルドの手を熱心に擦っていた。アーノルドがそれをぼんやりと見つめ、次々と色んなことを尋ねてくる女性に愛想笑いを浮かべて対応して、ようやく彼女が「それじゃあ私は、今から帰ってお昼ご飯を作らなきゃいけないからー! それじゃあねー! また今度ねー!」と言って去っていったので、深い深い溜め息を吐く。



「まぁ、それじゃあ買いに行くか。レイラ……」

「そっ、そうですね、アーノルド様……」

「何で皆、エディの話しかしないんだろうな……?」



 その問いかけに一瞬だけ、硬直してしまった。それでも思考を切り替えて、アーノルドを慰める。



「ええっと、それは! アーノルド様が美しい獣なら、エディさんは愛玩犬と言った感じで」

「あんまりよく分からないな、その例えは……俺に愛想が無くて、可愛げがないということか?」

「い、いえっ。そういう意味ではなくってですね……!!」

「そうだよな。どうせ俺はこうやって、肉を買いに行くしか能がない人間だし……」

「あ、アーノルド様! 元気を出して下さいよ!? ほらっ、一緒にお肉を買いに行きましょう? お肉を!」



 今は落ち込んでいるが、市場に足を踏み入れたらそんな暇も無くなるだろう。予想通り数多くの屋台や店が立ち並んでいる市場に入ると、すぐさま声をかけられた。



「おう! 久しぶりだなぁ、アーノルド君! どうだ? うちの野菜を買っていかないか?」

「あー、それじゃあ。BBQ用に何か良い野菜を……」

「それならこっちのトマトはどうだい? アーノルド様! あっちのチーズも買って、ホイル焼きにすると美味しいよ!」

「横入りしてくんなよ、この色ボケばばあが!」

「ああ!? 何だって!? あんたはいっつもいっつも昔から、年中反抗期かい!? あんたが小さい頃にはこの私がオムツも替えてやったと言うのに、」

「っうるせぇよ!? 一体お前は、何十年前の話をしているんだよ!?」



 またいつもの如く、幼馴染同士でぎゃいぎゃいと喧嘩を始める中年男女を放置して歩く。誰もがアーノルドを見て歓声を上げ、こちらを指差していた。アーノルドが戸惑いつつ私の手を握り締め、「すみません。通してくださーい、買い物に来ただけなんで……」と声を上げて人波を掻き分けてゆく。



「アーノルド様、アーノルド様! ちょっと! こっちの方も寄ってってくれよ!」

「今度な、うちの娘が結婚して遠方に行くんだけどな? その前にどうしても、アーノルド君のサインと写真が欲しいと言っていて、」

「ちょっと待って、私が先でしょう!? 痛いんだけど!?」

「レイラちゃん、レイラちゃん、今日エディ君は? 一緒じゃないの?」

「あー、一緒じゃないですねぇ! すみません、通して下さーいっ! はいはい~」



 早くもアーノルドが「こんなことなら出てくるんじゃなかった……」と落ち込んでいる。彼は意外にも注目を浴びるのが苦手で、繊細だ。常々「普通の顔とスタイルに生まれたかった……!!」と言って頭を抱えている。



「はいはい、すみませんね、ちょっと! アーノルド様が安くて美味しいお肉を探しているんですけどー! どなたか、良いお店を知りませんかーっ?」



 そう叫んでみると周囲に群がっていた人々────と言うよりかは、アーノルドにぞろぞろと付いて来ている人たちである────からわぁっと歓声が上がる。



「それなら知ってるぞ! あの角を曲がったところに、」

「おいおい、爺さん! お前は何をちゃっかり、自分の店を勧めようとしているんだよ!? 俺が知る限りあっこの店は、」

「それならそれで、こっちに来てくれなーいっ? レイラちゃん! とびっきり安くするわよー?」

「いやいや、うちなんかは!! 今ならこのBBQ用のセットお肉が半額で、」

「おいっ! お前ンとこの店、いつからそんなセットを売り出したんだよ!? 昨日行った時にゃあ、そんなのどこにも無かったぞ!?」



 今やすっかり虚ろな表情となったアーノルドの手を引いて、興奮気味の人々を押しのけて歩いてゆく。目指すは若い女性が店番をしている精肉店。ふと「それなら今、うちの孫娘が」という声が聞こえてきたので、おばあさんを捕まえて案内して貰う。



 辿り着いた精肉店の軒先には、薄ピンク色の肉の塊が沢山ぶら下がっていた。そんな店のカウンターの向こうには、緑色の瞳をきらきらとさせている若い女性店員が立っている。よし、いける。今だ。アーノルドの背中をぽんと叩くと、はっと体を揺らして極上の微笑みを浮かべた。



「すみません、ぼーっとしていて。これからBBQをするので、その為のお肉を探しているのですが。何かお勧めのものはありますか?」

「あっ、はい。どれでも全部、好きなだけ持っていって下さい……!!」

「いや、あの、お金は……? あと、お勧めの部位とかは」

「いりません! あっ、あのっ、お勧めならこちらのカルビと赤身と、あのっ」

「それじゃあそのお肉をそうですねー。とりあえず、五百グラム程下さいな!」



 アーノルドにぽーっと見惚れていたので、「半額にして貰えませんか?」と聞いてみると真っ赤な顔でこくこくと頷いてくれる。有難くその好意を受け取って、店を後にした。



「うーん。アーノルド様の顔って、もはや割引券ですよね……」

「おい。聞こえているからな、レイラ?」

「すみません、私。声に出していましたか?」

「出してたな、思いっきり。俺を割引券扱いしやがって……くそが」

「アーノルド様の顔立ちって、無限に割引が効きますよね……? つまりはお野菜も……?」

「やめてくれ!! 俺をそんな目で見るなよ、レイラ!?」



 そんな訳で嫌がるアーノルドを宥めすかして、極上の甘い微笑みを使って貰って、トマトやトウモロコシなどを破格値で手に入れる。安くする代わりにと言って、おじさんが嬉しそうな笑顔でアーノルドを抱き締めたり、キスしたりしていた。だからか帰る頃には、アーノルドはすっかりぼろぼろにやつれていて。



「レイラ。お前な、本当にな……!!」

「はいはい。もういいから帰りましょうよ、アーノルド様。忘れ物はありませんか?」

「ない。と思う……疲れた。もう二度と、休みの日に街へは行かない……」



 両手に重たい買い物袋を提げて、よろよろと前を歩いてゆく。そんな後ろ姿を見て、何も持っていないレイラが無邪気な笑顔を浮かべる。



「それじゃあ、帰りましょうか! アーノルド様! 楽しみですね、BBQ」

「レイラ、お前な……。はーあ。次からはシシィに頼もう、シシィに」















「レイラ。ほら、これも焼けたぞ? それとも、こっちのトウモロコシの方が良いか?」



 かちかちと、銀色のトングを鳴らしてアーノルドが問いかけてくる。さっと無言でお皿を出すと、苦笑して串焼き肉を盛ってくれた。ここはキャンベル男爵家のバルコニーで、白いタイル床と観葉植物の鮮やかで美しい。そこへテーブルとグリルプレートを出して、BBQをしているのだが。



 アーノルドはこのBBQを取り仕切るつもりらしく、緑色のエプロンを着てせっせと串焼き肉を焼いていた。大量に盛られた牛肉と野菜に、檸檬の輪切りとミントが入っている硝子ピッチャー。空は青く、吹く風は初夏らしい爽やかさに満ちている。



 ここにジルもいれば良かったのだが、友達と一緒に観劇に行くそうだ。あまりにも怖くて、詳しくは聞けなかった。あぐあぐと蕩けるような牛肉を噛み締めて、その脂と濃厚なタレを味わっているとハーヴェイがやって来た。先程とは違って、黒いシャツにズボンを履いている。でも、その手にはバニラアイスとスプーンが握り締められていた。もう早速デザートを食べている。



「レイラ? その、大丈夫か?」

「ハーヴェイおじ様……んぐ、大丈夫れふ。お肉、美味しいれふ!」

「そうか。それなら良かった、レイラ……お前は、俺の大事な大事な娘だからな」



 ハーヴェイはどこかほっとしたように笑って、こちらの頭を撫でてくれる。本当にそう思っているんですかと聞き返しそうになって、慌ててお肉と共に言葉を飲み込む。駄目だ、明日が両親の命日だからか些細な言葉で落ち込んでしまう。



「お姉様! どうですか? 美味しいですか?」

「美味しいれふよ~、セシリア様。セシリア様も食べますか?」

「じゃあ一口だけ貰います!」

「えっ!? パパ上には!? パパ上にはあーんは!?」

「父上……とりあえずそのバニラアイスを食べたらどうですか? 溶けかけてますよ」



 じゅうじゅうとお肉が焼ける音と、ふんわりと首筋を撫でてゆく風。のんびりと喋って食べてとしていると、白いエプロンを着たイザベラが現れた。その手に桃のカスタードタルトを乗せて。



「お菓子を焼いて持ってきたわよ、あなた。悪いけど、ちょっと手伝ってくれないかしら?」

「イザベラ! 勿論だよ、ちょっと待っていてくれ! わお! これは!」



 ハーヴェイが慌てて駆け寄って、瑞々しい桃のカスタードタルトを受け取って嬉しそうな歓声を上げる。



「なんてこった! こいつは驚いたな、イザベラ! これは君が、初めて俺に焼いてくれた桃のタルトじゃないか!」

「たまたま手に入ったから、桃が。それでよ」



 イザベラはふんと偉そうに胸を張っていたが、どこか照れ臭そうな顔をしていた。みんなでそんなイザベラを見て笑って、低いテーブルとソファーへと移る。もうここからはデザートの時間だ。



「レイラ? お茶のお代わりはいる?」

「あっ、それじゃあくださーいっ」

「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね?」

「ありがとうございます、イザベラおば様」



 向かいに座ったイザベラにカップを手渡すと、美しい所作で紅茶をとぽとぽと注いでくれる。それを受け取って口に含んだ後、桃のカスタードタルトを切り分けて食べた。まず始めにじゅわっと桃の果肉が口の中で蕩けて、その次に優しい甘さのカスタードクリームがやってくる。バターたっぷりのタルト生地も、さくほろ食感でとても美味しい。



 ふと隣を見てみると、アーノルドも嬉しそうな顔で黙々とタルトを食べ進めていた。父親と同じく、甘いものが好きなのだ。斜め向かいのソファーに座ったセシリアも、青い瞳を細めてタルトを堪能している。そうやってのんびりと寛いで食べていると、おもむろにアーノルドが肩にもたれてきた。珍しい、家族の前でこんなことをするだなんて。



「なぁ? ……レイラ?」

「ん? どうかしましたか、アーノルド様?」

「明日の、墓参りのことなんだが」



 アーノルドが出した話題に、セシリアもその横に座っているイザベラ達もじっとこちらを見つめてくる。アーノルドがそんな視線を無視して、私の手を握ってきた。



「俺も一緒に行ってもいいか? 何なら、父上と母上とも一緒に」

「すみません、アーノルド様」



 ぐっと、紅茶が揺らぐティーカップを見つめて声を振り絞る。ああ、申し訳ないな。でも、どうすることも出来ないから。



「踏み込まれたくない領域なので。……すみません」



 彼らとは行けない。私は父のエドモンとメルーディスの一人娘だから。彼らはただの友人家族だから。赤の他人には踏み込まれたくない。彼らを私の家族にしたくない。手に入れた途端、失ってしまいそうで恐ろしいから。



 アーノルドが隣でぎりりと、その白い歯を噛み締める。一体私は、どれだけの我慢と苦労を彼に強いてきたんだろう。それでも黙って辛抱強く、私の傍にいてくれる。


 兄のような存在の大事な婚約者として。



(他の女性に目を向けてもいいと、そう言えたら良いんだけど)



 いや、そう言えたとしても、ハーヴェイが決して許さないだろう。彼はああ見えて、容赦の無い性格だ。以前にアーノルドが知らない女性と抱き合っていたとぼやくと、焦っているアーノルドの胸倉を掴んで別室へと連れて行ってしまった。部屋から出てきたアーノルドの口の端が切れているのを見て、ざっと血の気が引いた時のことをよく覚えている。



 何をしでかすかよく分からない。ハーヴェイはそんな人だった。



(どうしよう。このままだと、エディさんも殺されてしまうかもしれない……いいや、それよりも何よりも)



 とんでもなく気分屋な義父に見捨てられるのではないかと。そう考えるだけで眩暈がする。嫌だ嫌だ、見捨てられたくはない。お願いだからここにいさせて欲しいと、泣いて縋ってしまいそうになる。



「ハーヴェイおじ様……本当にごめんなさい。いつまで経ってもその、つまらない意地を張っていて、私が頑固で……」



 怖い、怖い。こんなにも恐ろしい。もう一度手にした家族が、もう一度失われてしまうかもしれないだなんて。考えるだけで泣きそうになってしまう。



 だから、私は。



(エディさんなんかよりも、ハーヴェイおじ様達の方がいい。ここにいたい、ここにいたい。何が何でも失いたくは無い、お願い、もう誰も)



 もう誰もどこにも行ってしまわないで、私の傍にいて。どんな言いつけにも従って、大人しくしているから。もう二度とあんな過ちは繰り返さないから。本物の愛情も何もかも、この手に存在してないけど。



 どんなに何を犠牲にしてでも、自分の心を押し潰してでも、ここにいたいのだ。



(だから。もう、いっそのこと)



 彼が憎い。エディ・ハルフォードがとんでもなく憎かった。あの優しい琥珀色の瞳で見つめられる度に、心臓が騒ぎ出す。



『レイラちゃん。君は自由なんだよ? その家だって辛かったら出てしまえばいいし、いつまでもあいつの婚約者でいる必要も無い』



 消えない、消えない。抜けてくれない、溶けてもくれない。あの時に彼が、私に打ち込んだ釘はあまりにも大きかった。いつまでもこちらの胸を深く突き刺して、「それでいいのか?」と問いかけてくるかのようだった。エディがまたどこかで残酷な笑みを浮かべて、「本当にそのまま、そこで生きていくの? レイラちゃん」と尋ねてくる。



(私の、私のことなんか好きでも何でもないくせに……!!)



 私を好きだと言うくせに、ぞっとするような冷たい眼差しで見下ろしてくる。俯いてそのことを考えていると、私が泣いていると思ったらしく、ハーヴェイとイザベラが慌てて駆け寄ってきてしゃがみ込む。



「だっ、大丈夫か? レイラ。別に何も、俺達に遠慮する必要なんて無いんだ。俺達はその、ほら? 時間をずらして墓参りに行くからさ?」

「そうよ、レイラ。ハーヴェイの言う通りよ? 貴女も私達の子供なんだから、そんな風に気にする必要はどこにもないの。ねっ?」



 その優しい言葉に涙が滲んでしまった。



(ああ、イザベラおば様にハーヴェイおじ様)



 彼らが、本当に私を本物の娘として必要としていてくれたら!



(お父様と、お母様と。もう、そう呼んでしまいたい。セシリア様だってそう……)



 失ってしまった弟か、妹の代わりに「シシィちゃん」と呼べたなら。それでも呼べなかった。尊くて、触れると壊れてしまいそうで。血に濡れた手で家族を得るだなんて、もう一度そんな風に穏やかに生きていくなんて。きっとこれもまた、贖罪(しょくざい)だ。



「はい。お気遣い、ありがとうございます。ハーヴェイおじ様にイザベラおば様……」



 ハーヴェイもイザベラも瞠目して、次の瞬間、ふっと泣き出しそうな笑顔を浮かべる。



(ああ。私も今、きっと同じような顔をしているんだろうなぁ)



 溜め息を吐くと、ふいにお父様の声が蘇ってきた。



『っいいか!? 今日ここで起きたことは全て忘れるんだ、レイラ!! お父様とお母様が死んだのは絶対にレイラのせいなんかじゃない、お前はただただ、全てを忘れて幸せに────……』



 ごめんなさい、ごめんなさい。お父様。わたし。なんにも守れてない、ごめんなさい、お父様、ごめんなさい。



(ああ。きっと心配しているよね? ごめんなさい、お父様。本当にごめんなさい……)



 どうかどうか許して欲しい、何もかも全部。お父様。わたし。上手に息も吸えないの、ごめんなさい。いつまで経っても幸せになれない娘で、本当にごめんなさい。お父様、お父様。


 お父様。






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