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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
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番外編 笑う蜘蛛男の大事な親友

 





 エドモン・ハミルトンが死んでしまった。そんな訳で、俺ことハーヴェイ・キャンベルは、溜まりまくった有給をまとめて取ることにして、飯も食わず、大好きな仕事も休んで泣いていた。



「お母様ー、お父様が全然目を開かないのー、レイラお姉様がいなくなっちゃったって言ってるのに、ぜんぜん探しに行こうとしないのー!」



 ゆさゆさと四歳のセシリアが、ソファーに横たわった俺の体を激しく揺さぶっていた。こういう容赦が無い所は、妻のイザベラにそっくりだなと考えて、横たわったままで笑う。彼女が俺と結婚してくれたのも何もかも全部、大事な大事な親友のエドモンのお陰であったと、そう気が付いてしまって、また涙ぐんでしまう。



『ハーヴェイ、ハーヴェイ。俺はお前が、いつか一人ぼっちで泣いてしまわないように……』



 それがあいつの、エドモンの口癖だった。



「っ俺を、一人ぼっちにしないって言ったくせにさぁ!! エドモンの馬鹿! 大っ嫌いっ!」

「お父様にはシシィとお母様がいるから、一人ぼっちじゃないでしょう!?」

「あだぁっ!? ちょっと待ってよ、シシィちゃん!? 何でパパ上の目を潰そうとするのかなぁ!? ねぇ!? パパ上を目潰しするのは、本当にやめて貰えないかなぁ!?」



 熱心にこちらの目に、小さな指をぐいぐいと突っ込んで目潰しをしようとしてくるセシリアを抱き上げ、起き上がる。



「あのねっ? お父様? さっきから何回も何回も、言っているけどね? レイラお姉様が見当たらないの。もうすぐ晩ご飯だから、お父様が探しに行ってきてくれるかしら?」

「ふぁ~い、シシィひゃん、いふぁい、いふぁい、わはっはら、パパ上の口をはなふへほひぃな~?」

「お父様がいつまでたっても、ソファーでぐすぐすしているからでしょう  まったくもうっ!」



 四歳にして、愛おしい妻とそっくりな怒り方をしているセシリアを見て笑う。



「分かった、分かった! それじゃあ、お前の新しいお姉さんを探してこようなー? やれやれ、あの子はどこに行ったのやら、まったく。さっぱり見当が付かないな……」










 ハーヴェイはぴゅいぴゅいと、夜に口笛を吹きつつ、キャンベル男爵家の中庭を歩いていた。夜の中庭は、不気味に静まり返っていた。そう言えば、銀等級人外者に嘘が吐けない呪いをかけられたのも、この辺りだったかなと考えつつ歩く。



「うー、さむっ! 上にカーディガンか何かを、羽織ってくるべきだったかなー? おーいっ、レイラー? 新しく出来た俺の娘は一体、どこに隠れているのかなー?」



 そう遠くへは行っていない筈だ。これ以上は何も失えないと、契約している“月の女神”ダイアナと相談して、沢山の守護魔術もかけたし。レイラを死なせでもしたら、エドモンに合わせる顔が無いし。



(あいつのことだ。どーせ俺が死んでいても、どうしてレイラを死なせたんだ!? って言って、滅茶苦茶に殴り飛ばしてくるだろう、なぁ……まったくもう)



 そこまでを考えるとまた、涙が滲み出てきそうになった。エドモンは決して優しくも何ともなかったし、意地も悪くて気性も荒くて、短気だったけど。変な面倒見の良さがあって唯一、エドモンだけは、俺のことを頭がおかしい人間だとは、絶対に絶対に言わなかった。



『お誕生日おめでとう、ハーヴェイ! 生まれてきてくれてありがとうな~って、お前!? 泣くの早すぎやしないか!?』

『うっ、うぅっ、だってそんなことを言われたのは俺、本当に、その、初めてで……!!』



 誰も俺の誕生日なんて祝ってくれなかったのに。それどころか、気にかけさえしなかった。人外者に嘘が吐けない呪いにかけられた俺は、実の家族からも、使用人からも距離を置かれて。ただただ、ひたすら絶望していたというのに。



『あーっ!! もうっ! 分かった、分かった! それじゃあ俺が傍にいてやるよ、ハーヴェイ! お前がいつか、一人ぼっちで淋しくて泣いてしまわないように! だからもう二度と、女顔って言うなよ!? 次にもう一度言ったら、今度は血反吐を吐くまで殴り飛ばしてやるからな!?』



 エドモン、エドモン。何でもう、どこにもいないんだろう? 俺はお前のお陰で一人ぼっちにならずに済んだよ、全部全部、お前のお陰だよ? イザベラも今ではもう本当に、すっかり俺のことを好きになってくれていて。彼女が産んでくれた俺の息子も娘も、本当に本当に、物凄く可愛いんだよ?



 だからお前も、そんな風にして生きて行ってくれると、何の疑いもなく信じていたというのに!



「っなぁ、エドモン? 俺、あれで本当に良かったのかなぁ? お前が誕生日を迎える度に、俺に生まれてきてくれてありがとうって、何度も何度もそう言ってくれたから。去年の誕生日の時もっ、お前は、そう、何度も何度も、繰り返しそう、言ってくれたから……」



 だから俺は、エドモンが死ぬ間際にそう言ってみたのだ。白い顔色のエドモンが、俺の腕の中で「ありがとう」と。そう言って、美しい微笑みを死ぬ間際に浮かべていた。



「っエドモン、お前を捨てた両親がさぁ、お前のことを愛してたんだって。私達も、生まれてきてくれてありがとうってさぁ、お前が生きている内にそう言えば良かったって、そう泣いていたんだよ……!!」



 今更、もう遅い。何もかもが本当に手遅れだった。だから俺は、あいつらをエドモンの葬式から叩き出したのだ。エドモンなら、そうしてくれと願うって、そう思って。メルーディスの両親は、最初から出席なんかしなかった。レイラを引き取りたいと、ぐだぐだ言っていたメルーディスの姉だけが、彼女とエドモンの葬式に出席していた。



「お前ら、似たもん同士だったよなぁ~……二人とも同じ苦しみと淋しさを抱えていて、まるで兄妹みたいな、不思議な関係性の夫婦だったよなぁ」



 夜の中庭を歩く。俺の大事な親友が、その姿を現しはしないかと、期待して探し回っていた。



(本当は、俺。生前のお前に、何かあったら頼んだぞって言われていたから、レイラを引き取ったにすぎないんだよなぁ)



 本当は、エドモンそっくりのレイラなんて引き取りたくは無かったのだ。それなのに強引に引き取ったのは、メルーディスの姉がとんでもなく性悪の女だったから。そして、生前のエドモンに強く強く頼まれていたから。あいつは余命宣告を受けていて、長生きなんか出来なくて。



 あいつは、そんなことをちっとも気にかけやしなかったけど。



「はーあ! 俺の可愛い息子たんのアーノルドも最近、何だかレイラを避けまくっているしなぁ~」



 あの子がレイラを避けていなければ、こんな面倒な作業、あいつに任せていたというのに。



(あーあ、面倒臭い。俺にとって、可愛い娘はセシリアだけだと言うのに。ああ、本当に面倒臭い、な……)



 あの顔を見る度に、エドモンを思い出してしまうから。イザベラはレイラのことを可愛がってはいるけど、俺はそんな気には到底なれなかった。それなのに、俺はこうしてレイラを探し回っている。俺は元々、他人はそんなに好きじゃない。むしろ、どうでもいいと考える方だ。



「俺の親友はエドモン、ただ一人だけだから……。お前と良く似たお前の娘なんてエドモン、代わりになりはしない」



 さぁっと、夜の中庭の木々が不気味な音を立て始める。



 “ハーヴェイ、お前はどこをほっつき歩いているんだ? レイラはこちらだよ、ハーヴェイ……”



 俺の幻聴なのか何なのか。慌てて振り返って、誰もいない夜の中庭を呆然と眺める。



「っエドモン!? なぁ、エドモン!? 今の声はお前だろう!? エドモン……!!」



 亡霊がいそうな茂みの中に足を突っ込んで、探し回った。



「確かに、確かに聞こえたんだっ、この辺りからエドモンの声が……!!」



 茂みを必死に掻き分けているとふと、子供のすすり泣く声が聞こえてきて、緩やかな黒髪が現れる。



「っエドモン!? いいや、レイラ!? お前っ、一体こんな所で何をしているんだよ!?」

「はっ、ハーヴェイおじ様……」



 茂みの中にぽっかりと現れた、緑色の芝生の上に座って、幼いレイラが泣いていた。



(ああ、エドモン……やっぱりお前は、あの世へは逝っていないんだな? それもそうか。だって、こんな所でこんな風に泣いている、可愛い愛娘を置いてきぼりにして、逝けやしないよなぁ)



 誰が何と言おうと、あれは確かにエドモンの声だった。エドモンが俺を導いて、レイラを慰めてやってくれと。まるで、そんな風に言っているかのようだった。ハーヴェイが泣きじゃくっているレイラを見下ろして、ぐっと、自分の拳を握り締める。



 言っても仕方が無いことだし、俺が、エドモンの立場だったらそうする。でも。



(やっぱり、エドモン。俺より、レイラの方が大事なんだな……)



 胸の奥が、息苦しく詰まってしまった。馬鹿げている、こんな小さな子に。こんな、親を亡くしたばかりの小さな子に。



「あー、レイラちゃん? 一体、こんな所で何をしているんだろう? ああ、ほら? そんな所に座り込んでいると、服も汚れてしまうし、晩御飯も出来たみたいだからおじさんと一緒に、」

「いらない」



 あっさりと拒絶した後、レイラが膝に顔を埋めて、またぐすぐすと泣き始める。少々苛立ちつつ、何とか表情筋を駆使して、優しい声を出そうとした。



「ああ、ほら、レイラ? そう言わずにさーあ? おじさんと一緒に、美味しいご飯を食べに行こっか! 今夜は俺のイザベラが作ってくれた、美味しいハンバーグに、コーンクリームスープに」

「いらない。どうせ食べても、美味しくないだろうから、いらない……」

「何だと!?  ああ、いや、どうしてなのかなー? レイラちゃんのお口には、イザベラの料理は合わないのかなー?」



 一瞬我を忘れかけたが、俺はいい年齢の大人、いい年齢の大人。相手は両親を亡くしたばかりの子供、相手は両親を亡くしたばかりの子供、と冷静になる呪文を何百回か唱えて、何とか優しいハーヴェイおじさんを保つことが出来た。レイラはその膝から顔も上げずに、ゆるゆると、首を緩やかに振る。



「ちがうの。味がしないの、何も。……だから、いらないの」

(ああ。心因性による、味覚異常なのか? 無理も無い。この子は自分の手で、エドモンとメルーディスを……)



 若干気まずい気持ちで、ハーヴェイはぽりぽりと、自分の緩やかな銀髪頭を掻いていた。これはエドモンを真似て、伸ばしてみた髪だ。その時のことを話すと、イザベラにはとても嫌がられてしまうが、短い髪よりも長い髪の方がよく似合っていたので、切れと言われたことは一度も無い。



(いや、彼女のことだから、俺の意思を尊重してくれているのかもしれないなぁ)



 彼女はああ見えて、とても怖がりで繊細だし、俺のことを気遣ってくれる。エドモンがあんまりにもしつこく頼むものだからと言って、俺との結婚をようやく決意してくれたらしいが、それも実は、ただの照れ隠しである。ついうっかり、目の前のレイラを放置してしまい、愛しい彼女について思いを馳せてしまった。



「ああ、ほらっ、レイラ? それじゃあご飯は食べなくてもいいから、一旦戻ろうか? なっ? ここは寒いし暗いし、一人ぼっちでいると、お化けが出ちゃうかもしれないぞー?」

「お父様とお母様に、会いたいの。もしかするとこうしていたら、っぐ、お父様とお母様が、レイラに、その、会いに来てくれるかもしれないから……!!」



 ああ、何て。



(無駄なことを、この子は……)



 俺も試してみたというのに。どれだけ擦り切れる程に願っても、愛しい愛しいあの人達には、何をどうしても会えない。絶望的な断絶が横たわっている。どれだけ願って縋って泣いても、時と現実は何も変わらないままで。



(ああ、せめて。過去に戻りたいなぁ……。エドモンと、メルーディスが生きていたあの頃に。つい先月、つい先月も、あいつの屋敷に行って、楽しく皆で酒を飲んでいた時に)



 エドモンが、いつもの酒に酔った顔で笑っていた。いつもみたいに俺の肩を叩いて、笑ってくれていた。イザベラとも一緒にカードゲームをしていた、メルーディスも。もうすぐ赤ちゃんが産まれるのだと、そう言って笑っていた。



「そんっ、そんなのっ、会いに来てくれる訳が無いだろうっ!? 俺だってさーあ!? エドモンとメルーディスがっ、どっかからやって来て、俺に会いに来てくれるかなぁって!! そうっ、そう、何度もそう思っては、夜中に徘徊していたりするのにさぁ!?」

「はっ、ハーヴェイおじ様?」



 大人げない、大人げない。そんなこと、よく分かっていたけど。涙も暴言も、全然止まってはくれなかったんだ。どうやっても、この子を愛することが出来ないような気がして。俺の大事な大事な、可愛い娘には出来ないような気がしてきて。ハーヴェイが地面に崩れ落ちて、泣き始める。



「っエドモン、エドモン、会いたいよう、エドモン! いいよなぁ、レイラは! きっとあいつのことだからどーせいつかは、レイラに会いに行くに決まってる!! 自分の、自分の、大事な可愛い娘だから!」



 自分でも、何を言っているのかよく分からなかった。苦しみを持て余していた。どうやったらこの苦しみから、逃れられるのかと。右も左もよく分からずに、ひたすらに苦しくそう、泣きじゃくっていた。突然膝を抱えて、泣き始めてしまった俺の頭を、レイラがそっとそっと、丁寧に優しく撫でてくれる。



「泣かないで、ハーヴェイおじ様? 大丈夫よ、レイラが傍にいてあげるから……」



 小さな手がよしよしと、自分の銀髪頭を優しく撫でてくれている。



(ああ、でも。きっと、それもどーせ、絶対に嘘なんだ)



 だって、レイラは女の子だ。どうせいつかは、義理の父親である俺をぽいっと放り投げて、他の男の下へ嫁にいってしまう。それも、レイラを可愛がれない原因の一つだった。だって、どんなに大事に大事に慈しんでも、いつかはこの手から離れていってしまうのだ。それならそれで、最初から愛しい家族にしたくないのだ。いつかは離れていってしまう存在に、愛情はかけられない。



 苦しいだけだから、それは。



「っ嘘だ!! どーせレイラも、いつかは好きな男が出来て、俺のことなんかどうでもよくなるんだろう!? 知ってるよ、知ってるもん、俺はさぁ!! それにいいから! そんなやっすい、気休めなんていらないからっ! わざわざ俺にまで気を遣わなくてもいいよ、どーせエドモンも、俺には会いに来てくれないし、うっ、ううっ……!!」

「ハーヴェイおじ様……」



 幼いレイラが途方に暮れている。大人げないとよく理解していても、どうすることも出来ない。



「っ何で死んじゃったんだよう、エドモン!! ずっとずっと、俺の傍にいてくれるって、そう言っていたくせにさぁ!」

「大丈夫よ、ハーヴェイおじ様? ほら、レイラと一緒にご飯食べに行こう? 出来てるんでしょう?」

「っいらない!! レイラもどーせ、食べないんだろう!? だったら俺も食べないもんっ、というか普通に、ご飯が食べれる気がしない……!!」

「ハーヴェイおじ様……」



 それでも、俺の頭をその手で撫でてくれる。



「ごめんね? ハーヴェイおじ様……。レイラがその、お父様とお母様を殺してしまって」



 別にレイラのせいじゃない、と言おうとしたが失敗してしまった。舌が呪いで固まって、動かせない。俺は、嘘が吐けない呪いにかかっている人間だから。銀等級人外者にかけられた呪いは基本的に、一生解くことが出来ない。相手の人外者が解いてくれるのを気長に待つか、それぐらいしかない。



 俺はこのまま、永遠に人外者に呪われたままで。小さい小さい女の子に、優しい嘘の一つも吐いてやれない。だからみんなみんな、俺から離れていくんだ。それなのに、エドモンだけは唯一俺の傍にいてくれた。エドモンだけは唯一、俺の傍にいてくれた。エドモンだけは唯一。



「……いいよ、もう。言ったって、どうしようもない、エドモンは、エドモンは、どう足掻いても何をしても、生き返ってはくれないんだからさぁ……!!」



 そうだ。どう足掻いても何も変えようが無い、この現実を。目の前の幼い女の子にぶつけたって、しょうがない。もう、どんなに望んでも、あの傍若無人で暴君だったエドモン・ハミルトンは帰ってきてなど、くれないのだから。



「っエドモン、エドモン……!! 何で死んじゃったんだよう!? お前は本当に、一体何で、どうして、どうして!」




『ハーヴェイ、ハーヴェイ。いつかお前が、一人ぼっちで泣いてしまわないように。俺は、それだけが心配でならないよ……』



 置いて行かないで、俺を置いて行かないで。俺を一人ぼっちにしないでエドモン。



『なぁっ!  ちょっと待ってくれよ、エドモン!? お前っ、いくら何でもそれは無茶だって!! お前は体も弱いのに、風邪でも引いたら一体、どうするんだよっ!? お前のジョージ叔父さんだってきっと心配して、』

『ジョージ叔父さんも、フィーフィーも、ここにはいないからそれでいいんだよ、ハーヴェイ! お前はぐすぐすと泣いて、俺の帰りを待っていればいいさ! それじゃあな?』

『っエドモン!? ちょっと待ってくれよ、エドモン!? 俺のことを置いて行かないでくれよ、エドモン!?』



 置いて行かないで、俺を置いて行かないで。エドモン、エドモン。いつしか俺はこうして、お前に絶対、置いていかれるような気がしていたよ。嘘じゃないよ、エドモン。俺は本当にいつだって、お前が唐突に死んでしまうような気がして、本当に本当に、怖くてしょうがなかったんだよ……。



「だいじょうぶ? ハーヴェイおじ様? お父様の代わりに、レイラがいてあげるから。どうか泣いてしまわないで? ハーヴェイおじ様……」

「うっ、嘘だぁ~……!! どーせレイラも、いつかは他の男と結婚をして、そうやって、俺から離れていくんだあぁ~……」

「離れていかないよ? ずっとずっと、ハーヴェイおじ様の傍にいてあげるよ?」



 ずっとずっと、傍にいる。その言葉に、俺はめっぽう弱かった。その言葉を口にしてくれる人間は、何が何でも大事にしようと、昔からそう決めていた。顔を上げて、レイラを見つめる。



(ああ、やっぱり似ていないな……あいつは、エドモンはこんな顔をしたりしない)



 もう、見ていてもあまり不愉快ではなかった。



「レイラ……本当に本当に、俺の傍にいてくれるな!  他の誰とも、結婚はしないな!?」

「しっ、しないもんっ! だって、レイラはアル兄様と結婚するんだって、ダイアナさんからもそう言われているんだもん」

「ダイアナが? そんなことを? へー……」



 ふと、その“月の女神”ダイアナが潜んでいる筈の、地面の黒い影がざわざわと揺れ始める。ハーヴェイがそれを見て、不愉快そうに眉を顰めて、厳しい声を出す。



「ダイアナ? 絶対に出てくるなよ? 出てきたら速攻、契約破棄してやるからな!?」

「あら、酷いわ。お前はいつもいつも……」



 足元の黒い影が蠢いて、美しい女の姿形を描く。それらの影が月光に照らされている。ざわざわとまた、初夏の肌寒い風が緩やかな銀髪を巻き上げてゆく。


「だってこの子は、エドモンとメルーディスの、とっても可愛い子なんですもの。わたくしだってお前と同じように、形見代わりとして、この子を傍に置いておきたいのよ……」

「まぁ、その気持ちはな~。分からんでもないがな~」



 しかし、理解は出来ない。レイラはどう足掻いてもレイラだ。エドモンの代わりなぞ、なれはしない。そして、そんな悪趣味なことをする気には到底なれなかった。



(そんなの、可愛い可愛い、この子を傷付けてしまうだけじゃないか)



 俺は絶対に、レイラをエドモンの代わりになんかしない。どうしてだかアーノルドもイザベラでさえも、勘違いしているようだが。俺の意見に耳を傾けることは無い、適当にあしらわれて終わってしまうのだ。



(俺は冗談でも、嘘が吐けないんだけどなぁ~……その辺りのことを全員、よく忘れがちだよなぁ)



 あれは本気だったのね? と、そう驚かれるのもままある。



(いや、だから俺は嘘が吐けないんだって!! いつもいつも、本気のことしか口に出来ないんだって、そう言っているんだけどなぁ? イザベラもイザベラで、ダイアナもなぁ~)



 やれやれと、そう呆れて。ハーヴェイは嬉しそうなレイラを、腕に抱えて夜の中庭を歩いていた。



「それならそれで、レイラはアーノルドたんと結婚するんだぞー? もう、明日にでも婚約しちゃおうな~」

「婚約? アル兄様とレイラが?」

「そう。レイラはずっとずぅっと一生、俺の傍にいるんだぞー? これはパパ上との約束だからなー?」



 そんな言葉を聞いて、この腕に乗ったレイラが嬉しそうに笑う。



「うんっ! 分かった! 仕方が無いからレイラが、ハーヴェイおじ様の傍にずっとずっといてあげるねっ?」



 その瞬間、かつてのエドモンの言葉が蘇る。



『仕方が無いなぁ、ハーヴェイ! それじゃあ俺がお前の傍に、親友としていてやるよ! お前がもう、一人ぼっちで、めそめそと泣いてしまわないように!』



 ああ、エドモン。その言葉を聞いて、あの時の俺は、どれほど嬉しかったことか!



(エドモン)



 エドモン、エドモン。もう、どこにもいなかった。俺の大事な親友。



『ハーヴェイ、ハーヴェイ、いつかお前が、一人ぼっちで泣いてしまわないように……』



 一人じゃないよ、エドモン。お前のお陰で俺は今、こんなにも幸せだよ。



『何で誰も、俺の傍にはいてくれないんだろう』



 誰か、誰でもいいから傍にいて。優しく笑いかけてほしい。その悪意と無関心さに、どれほど傷付いてきたことか。



『鬱陶しい子。貴方さえいなければ息子が、このキャンベル男爵家を継いだというのに』



 父が迎えた美しい後妻の、冷たい眼差しと鋭い悪意にどれほど傷付いてきたことか。誰からも愛される腹違いの弟を眺めて、どれほど、惨めな気持ちとなっていたことか。



『兄上? 俺から父上に言っておきましょうか? 今度のパーティーに、嘘が吐けない兄上も可哀想だから、連れて行ってあげましょうって、そう!』

『お前は本当に……どこまでも性格が悪いな? 別にいいよ、もう。俺にあまり話しかけないでくれよ。頼むからさぁ』



 腹違いの美しい弟も、この上なく性格が悪かった。ねちねちと、ひたすらに陰湿な性格だった。あいつが黒い瞳を細め、哀れっぽい美声で歌うように告げてくる。



『可哀想に、兄上。そんな嘘が吐けない呪いをかけられてしまったばかりに、貴方はずっとずっと、いつまでもそうやって、一人ぼっちのままで……』



 呆然として振り返った、驚いた。



(どうしてそこまで、俺を傷つけようとするのか)



 ただただ全員から、俺の不幸を一心に願われてしまう。



(あの女ともども、事故に見せかけて殺しておいて、本当に正解だったな……)



 死体すら塵一つ残さず、焼いておいて本当に正解だった。偽物の死体を、馬鹿な親戚どもが泣いて埋葬していた。それは魔術でそう見せているだけの、土くれと葉に過ぎないと言うのに。



(ざまあみさらせ。俺は絶対に、お前の冥福なんぞ祈ってやらないからな)



「大丈夫? ハーヴェイおじ様? 悲しいの……?」

「あっ、ああ、大丈夫だよ、レイラ!」



 ハーヴェイは深く息を吸い込んで、幸福そうな笑顔を浮かべる。



「さっ! おじさんと、いや、パパ上と一緒に美味しい美味しい、晩御飯を食べにいこっか! 今日はハンバーグだぞ~?」

「うん! イザベラおば様のハンバーグ楽しみ! ちょっと、その、残しちゃうかもしれないけど」

「いいよ、いいよ? 食べれるだけ、食べたらいいさ! あー、楽しみだなぁ~」



 こうして、ハーヴェイとレイラは夜の中庭を後にした。残るはただ、夜の風に揺らぐ木ばかりで。



『ハーヴェイ、ハーヴェイ。いつかお前が、一人ぼっちで泣いてしまわないように』



 それがエドモン・ハミルトンの唯一の願いだった。









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