3.人々は彼を“女殺し”と呼んでいる
いいよ、何も気にしなくて。俺だってさ、後悔ぐらいは多少なりともしているけれど。多分それでも、俺たちは明日を生きてゆくしかないんだと思う。ちゃんとご飯を食べて眠ってさ、それでまた、買い物をしたり仕事をしたりしてさ?
そんで誰かの誕生日を祝ったりしてさ、そうやって生きていこうよ。俺は君と一緒なら何も怖くはないよ、この罪だってそうだよ? ああ、だからどうか、笑っていて?
君が悲しい顔をしていると、俺まで悲しくなってしまうから────……。
「初めまして、俺は今日からレイラちゃんのバディとして働くことになった、エディ・ハルフォードです! 俺は彼女のことが好きなので、これから一緒に仕事をこなしつつ、ゆくゆくは好きになって貰って、レイラちゃんと幸せな結婚生活を送りたいです! 以上です、これからよろしくお願いします!」
ハキハキとした、エディの声が恐ろしいほどに響き渡った。只今の時刻は午前八時十二分。たった今、彼の最低最悪な自己紹介が終わったばかりである。正面に立ち並ぶ職員の人々、総勢十名が呆気に取られた様子で、ぽかんと彼を見つめていた。
すぐ隣でたった一人、満足げな表情で拳を握り締めているエディ・ハルフォードの服装は昨日と同じく、漆黒のスーツに紫色のネクタイ姿だった。それなのに今日は昨日の妖しい雰囲気と違って、ちょっぴり違法な商品を売りつけにくる、強引な訪問販売の人に見えるのが不思議で仕方が無い。
彼の鮮やかな赤髪と逞しい筋肉質の体には、シンプルな白いシャツやデニムジャケット辺りがよく似合いそうだったので、派手な服装を残念に思ってしまう。
「レイラ。お前は一体、どこでこんな悪魔を拾ってきたんだよ……? どっかその辺の道端にでも捨ててこいよ……」
そう半ば呆然と呟いたのは、正面に佇んでいるアーノルド・キャンベルだった。彼は今日も今日とて美しい、その煌く銀髪も鋭い銀灰色の瞳も。
滑らかな褐色の肌に、細く引き締まった筋肉質の体はまるで彫刻のよう。軍服風の紺碧色制服を着た彼は、見る人を破滅に導くかのような色気を醸し出していて、背筋がぞっとするような美しさを放っている。
普段は前髪を上げて、褐色の額を出したがる彼だったが、アーノルドの従者であり日常魔術相談課の秘書でもある、ジル・フィッシャーから「色気が凄いことになるのでダメです」と言われている為、前髪を下ろして、ごくごく一般的な男性の髪型を維持していた。
まぁそれでも彼は、見知らぬ女性から毎日のように一目惚れされているのだが。その理由の一つして、同じ人間であることを疑うような、腰の位置と手足の長さにあると思う。ついでに付け加えるのならば、顔も馬鹿みたいに小さい。
「とにかく悪いことは言わないから、その“火炎の悪魔”は道端にでも捨ててきなさい。“魔術雑用課”のうちでは到底飼えんだろうし、それにエサ代も嵩みそうな男じゃないか……」
「俺のことを犬か猫みたいに扱いやがって……!! レイラちゃんにならともかく、お前みたいな腹黒陰険イヤミ虫にそう扱われたかねぇよ」
ぴりりと、朝の部署に緊張が走る。同じく紺碧色の制服を着て佇んでいる人々が、悪意を隠そうともしないエディを引き攣った表情で眺めていた。かくいう私も何も言えず、隣の彼をぎこちなく見つめる。
「っうるせぇよ、このクソ悪魔野郎! いきなり初対面で妙な渾名をつけてくるなよ!?」
「お前なんか腹黒陰険陰湿ジメジメイヤミ虫野郎で十分だっての! なんなら、そう改名してみたらどうだ!?」
「お前はアホかよ!? 誰がそんな、悪意に満ちた名前に改名するんだよ!?」
その驚きの声に、エディがきりっとした顔つきで述べる。
「何とかノルドよりかは立派で、お前の本質をよく現している、とっても良い名前だと思うんだ! 俺は!」
「その妙にきりっとした真面目な顔をやめろ!! あと何とかノルドじゃなくて、俺はアーノルドだよ! 一回で覚えなさい、一回で!」
唐突にぎゃあぎゃあと言い争いを始めた二人を見て、周囲は呆気に取られていた。唯一茶目茶髪の地味な男性、ジル・フィッシャーだけが微笑ましいものを見る目で、彼らを見守っている。
「あとそれから、俺はお前の年上かつ上司だろうが! きちんと敬語を使いなさい、敬語を!」
「うるせぇよ、お前は俺のお母さんなのかよ!? それに年上って言っても、たかだか一個上なだけだろうが! 二十七歳の癖に偉そうにふんぞり返るなよ!?」
「誰がお前のお母さんだ!! 上司としてごく真っ当な指摘をしただけだろうが! 一個上でも年上は年上だ、きちんと俺を敬え、俺を!」
怒り狂ったアーノルドの指摘に対して、エディがへっと鼻で笑った。
「あ~、はいはい! お前のその、所帯じみた陰湿さが鼻につくんですぅ~! 俺は何も悪くありませんからぁ~!」
「違う、そうじゃない!! 敬語を使って俺を馬鹿にしろと言った覚えはねぇよ、この貧弱ケチャップトマト頭が!」
「あーっ!? よくも俺の髪色を馬鹿にしやがったな!? そういうお前の髪色こそハトの糞色じゃねぇか! ハトの糞色ー! あの風に晒されてピカピカしているウンコ色だろ!?」
思わず笑ってしまって、慌てて口元を押さえる。怖々とアーノルドを見てみると、怒りからか震えていた。
「っお前は一体、今年でいくつになるんだよ!? そういうお前の方こそ、トマトを食いすぎた翌日に出るウンコ色じゃねぇか! このウンコ色!! トマトケチャップ下痢野郎め!」
「はいはい! お二人とも! 低レベルで無駄でしかない、口喧嘩はそこまでにして頂きましょうか? 不毛にも程がありますよ?」
ぱんぱんと、手を打ち鳴らす音が響き渡る。はっと全員がつられてそちらを見れば、アーノルドの背後に佇んでいたジルがにっこりと、ホテルマンのように愛想良く微笑んでいた。けれども、その笑顔には全く温度が無い。 爽やかな笑顔を浮かべていてもどこか薄ら寒いような、そんな印象を与える男性だった。
三十代前半にしか見えない、どこからどう見ても地味な風貌の男性なのに、実年齢が四十二歳という得体の知れなさも手伝っているのだろう。この彼にはアーノルドでさえ頭が上がらない。勿論私もである。ちょっとだけ怖い。
「ジル、俺は今すぐ。このクソ悪魔を解雇しようと思っているんだが……?」
「寝言は寝てから言って下さいね、アーノルド様? 彼は戦争の英雄とは言えども、貴方と同じく一等級国家魔術師ですし、何かと使い勝手の良い人物ですよ?」
柔らかな口調であっさりと言い切ったジルは、にっこり笑顔でこちらを見つめてくる。私は思わず肩を揺らしてしまったが、隣のエディは何だろうとでも言いたげに、不思議そうに首を傾げていた。
「それに、レイラ様が上手にエディ君を飼い慣らせば。それで万事解決です。貴方もそう思うでしょう? エディ君」
唐突に話を振られたのにも関わらず、元気良く即答する。
「勿論です、ジルさん! 俺もすっごくそう思います! 俺はむしろ、レイラちゃんの犬になりたいです!」
「うーん、俺は流石にそこまでは言ってないかな! でも、元気が良くて大変よろしいですね! それではレイラ様、エディ君のことをよろしく頼みます」
爽やかな笑顔で頼まれ、力の無い笑顔で頷くしかなかった。思いっきり丸投げされてしまった、この血に塗れた変態の“火炎の悪魔”を。ただそれに納得がいかなかったのは何を隠そう、義兄兼婚約者である。
「っおい! ちょっと待ってくれよ、ジル!? あんなのをレイラのバディなんかにしたら危ないだろ!? 俺は今すぐ、あいつとレイラを引き離したいんだが!?」
駄々を捏ね始めたアーノルドに、ジルが深い溜め息を吐く。二人がそうやって並んで、アーノルドが文句を言うのはいつもの光景である。
「この期に及んでまだ、そんな我が儘を仰るので? アーノルド坊ちゃん? そもそもの話、坊ちゃんが立って息をしているだけで、女性から惚れられるのが原因じゃないですか……。日常魔術相談課の人不足解消の為には、頭のおかしい変態も雇うべきです」
「っぐ、いや! それでも、しかしだな……!! あと坊ちゃんはやめろ、坊ちゃんは」
そう、何かと忙しい日常魔術相談課は私も含めて、たったの十一人しかいない。女性職員に至っては僅か四人、驚異的な少なさだ。それもこれもみんな、部長のアーノルドに惚れて、失恋して去ってゆくせいである。ついでに言えば、婚約者である私に嫌がらせをして去ってゆく。
「レイラ様? アーノルド坊ちゃんの説得は俺に任せて、貴女はエディ君と制服の合わせでもしに行ってきてください。ある程度なら、魔術でサイズ変更しても大丈夫なので……」
アーノルドから視線を外したジルが、こちらを見て爽やかに笑う。相変わらず爽やかな笑顔のままで、表情が一切変わらなかった。
「わ、分かりました! それではエディさん、私に付いてきて貰えますか?」
「勿論だよ、レイラちゃん! 地の果てにだって付いて行くよ?」
「なぁ、ジル……? 俺はレイラの婚約者として、今すぐあいつとレイラを引き離したいんだが?」
「耐えて下さいね、アーノルド坊ちゃん? 使えるのは何でも使うべきですよ?」
「頼むからその坊っちゃん呼びをやめてくれよ!? いい加減、その癖を直して欲しいよ、俺は……」
そんなアーノルドの呻き声を背中にしつつ、レイラとエディはそそくさと、日常魔術相談課の部署を後にした。ぐさぐさと他の職員からの視線が突き刺さっていたが、それらから意識を逸らすため、うやうやしく、ドアを開けて待ってくれているエディを見上げてみた。
すると彼は蕩けるような琥珀色の瞳で「どうしたの?」とでも言う風に、優しい微笑みを浮かべて見下ろしてくる。その熱っぽくて酷く優しい眼差しに、心臓が跳ね上がってしまったのはたぶん、誰にも言わないで秘密にしておくべきことだ。
私にはアーノルド様がいて、この先もずっとずっと平穏に暮らしていく筈だったのに。確かにアーノルド以外のまともな男性と、素敵な恋愛をしたいとは思っていたけれど。それでもこれはちょっと、我が婚約者以上に荷が重い男性である。
それに私はもう、これ以上の罪を重ねる訳には行かないのだ。ただでさえ、亡き父親の呪いだけで精一杯なのに。
「それで、二人は一体どういう関係なのかな?」
ごくんと、付け合せの皮付きポテトをろくに噛まないままで、うっかり飲み干してしまった。喉の詰まりを感じて、氷水を一気に飲み干すと、その苦しさに涙が出そうになる。レイラの隣に座っているエディが食事中の手を止めて、心配そうにその様子を見つめていた。
只今の時刻は十二時十六分。制服の合わせも午前の仕事も無事に終えた二人は、金髪碧眼の王子様風な女性のジーン・ワーグナーと、栗色短髪の頼れるお姉さんといった雰囲気のミリー・クックに捕まって、一緒に素敵な食堂で食べている最中である。
魔術トラブル対応総合センターは歴史ある重厚な庁舎なのだが、去年、大規模な修繕と改築を行った。それなので庁舎の食堂らしからぬ、吹き抜けの硝子張り天井と白い大理石の床があって、きらきらと光り輝いている。更には数々の魔術的な名建築を手がける、ウィリアム・ベーカーとその人外者が設計したものなので、上からはさんさんと陽の光が降り注いでいた。少しだけ目に眩しい。
ただ、これは照明だ。上を見上げると、魔術で出来た青い空と白い雲が広がっていた。常に本物のような太陽が浮かび上がっており、雨の日でもよく晴れている。
「俺が一方的に付き纏っているだけですよ、ワーグナーさん。つい先程も彼女にプロポーズしてみたのですが。思いっきり、足のすねを蹴り飛ばされてしまって……」
紺碧色の制服を着たエディはとても美しかった。もう少し粗野な雰囲気になるかと思いきや、長く鮮やかな赤髪と精悍な顔立ちが合わさって、気品溢れる美しい男性となっていた。そんな麗しい彼は元王族らしい優雅な所作で、若鶏のグリルを切り分けて食べている。
これは食堂の定番メニューで、鶏の皮をじっくりと飴色になるまで焼き上げ、その鶏肉から出た脂に松の実とバジルソースを加えて、ほっくりとした黄色いジャガイモと鮮やかな人参を添えたものだ。
それからエディは他にも、真っ赤な海老のビスクスープとルッコラのサラダを頼んでいた。が、それに加えて、葡萄パンを六個も頼んでいるのはどうしてだろうか? やや小ぶりな焼き立てパンとは言えども、少し頼みすぎだろう。
「それはエディさんが、私の両手を握って放さなかったからでしょうが! 私はちゃんと警告しましたよね?」
レイラは呆れた顔つきで、鴨肉ハンバーグを食べていた。これは口に入れると、脂がじゅわっと溢れ出てくるハンバーグで、そこへもったりとした、塩気のあるチーズソースとマスタードが絡み合って最高の味わいとなる。
そしてこの脂っこい鴨肉ハンバーグを食べた後に、もっちりとした苦い甘みの、オレンジピールと胡桃のパンを頬張れば、オレンジピールの爽やかさが鴨の脂を中和してくれるのだ。堪らない気分でそれを味わっていると、向かいに座ったジーンが笑う。
「うーん。流石はあの“女殺し”を冷たくあしらっているような、可愛くて素敵なレイラ嬢だね? いいなぁ、凄くそそられるよ」
あくまでも優雅に銀色のフォークで指し示してくるのは、にっこりと甘い微笑みを浮かべた、金髪碧眼の美しい男性だった。しかし、彼女は女性のジーン・ワーグナーである。向かいに座る彼女は、男性のように低い声と高い身長を持っていて、金髪碧眼の王子様にしか見えない。
「アンタはまた、レイラちゃんにそんなセクハラ発言をして……いい加減にしないと、またアーノルド様に釘を刺されるわよ?」
呆れ返った優しい声でジーンを窘めたのは、おっとりとした雰囲気の平凡な女性である。耳の下で切り揃えられた、栗色短髪に蜂蜜色の瞳を持ったミリーはジーンと同じく、あっさりとした白身魚の檸檬バターソテーを食べていた。
「え~? だって、レイラ嬢は理想のタイプなんだも~ん。今度俺と一緒にデートしない?」
「っダメです、ダメです!! 絶対に反対です!! レイラちゃんは俺の奥さんなので!」
「堂々と虚偽を述べないで下さいよ、この変態悪魔っ!」
「あだっ!? ちょっと待って!? 食事中以外に俺の足を蹴って欲しいです! あだっ!?」
「ハルフォード君は食事中以外になら、レイラちゃんに蹴り飛ばして欲しいのね……?」
白いテーブルの下で、エディの足を蹴り飛ばしてやると、嬉しそうにしていたので何だかとても疲れてしまう。
「あー、でも。ハルフォードさんが来てくれて助かったよ。これで少しは、可愛い女の子とゆっくり遊べるなぁ」
「アンタはまたそんなことを言って……。だけどそれは私も同感ね、旦那との仕事の兼ね合いが難しくって。もう少し人が来てくれたらなぁって、そう思ってたところなのよ~」
敵国の元王族でありエオストール王国の英雄であるエディに、二人は物怖じせず、気安く話しかけてくる。ここがエディの凄い所だった。彼は底抜けに愛想が良く、するりと相手に話しかけては自然と、その警戒心を爽やかな笑顔で溶かして、あっという間に仲良くなってしまう。
先程も食堂のおばさんから「あら~、男前ね~」と声をかけられて、何故か美味しそうなチョコを貰っていた。
「あれなんですか? 日常魔術相談課って、そんなに業務が過酷なんですか? それとも単純に、他の部署と比べて人気が無いとか……?」
私の隣で、彼が不思議そうにパンを食べていた。銀色のバターナイフを煌かせ、こってりとしたバターを手際良くパンの断面に塗ってゆく。
「あー、違う違う! 我らが“女殺し”こと、部長のアーノルド・キャンベル様がぜーんぶ、悪いんだよ! なにせ彼には、異性愛者だった男も惚れていくぐらいだからさぁ~」
ジーンが面白く無さそうに呟く。思わず、乾いた笑みを浮かべてしまった。
「エディさんには効果が無かったみたいなんですけど、大抵の人はアーノルド様のことを好きになってしまうんですよね……まぁ、そのせいで婚約者である私にもいい迷惑が、」
「うわ、それって。今までかなり辛かったんじゃない? 今はもう、俺がレイラちゃんのバディとして傍にいるからね? 安心して大丈夫だよ?」
その言葉に、一瞬だけ息が止まりそうになった。何気ないその言葉はずっとずっと、欲しかったものだから。彼はもすもすと、葡萄パンを頬張っていた。
「そうそう、レイラちゃんも大変だったのよね~。前の前のバディの女の子なんかは、レイラちゃんのデスクの引き出しに、」
「ほ、ほら! でも今は何かと使い勝手が良さそうな、一等級国家魔術師のエディさんが来てくれたので! これでもう安心です! 仕事だって捗ります!」
「えっ!? 今まで俺をそんな目で見てたの!? そんな悪女なレイラちゃんも好きっ! 俺と結婚して!?」
「君も君で本当にめげないね~。ほら、部長のアーノルド様がさ? 魅了系人外者の先祖返りなもんだからさぁ~。ほんっとうに凄まじいんだよね、その影響が!」
ぐさりとジーンが赤いプチトマトを突き刺し、その横でミリーが深い溜め息を吐く。
「そうなのよ、エディ君は……ハルフォード君は来たばかりで知らないんだろうけど。みんな、アーノルド様のことを好きになっちゃうからねぇ~。本当に、観賞用にでもしていればいいのに」
彼女は一見、優しげに見えるが鋭い言葉を口にしたりもする。彼が苦笑して「エディ君で大丈夫ですよ」と話しかけ、ミリーが「あら、そう?」と言って嬉しそうに笑っていた。彼女は愛情深くて世話好きなので、十歳下のエディに母性を擽られているのだろう。
「でも、それならそれで、どうしてミリーさんとジーンさんは平気なんですか? なんかこう、魅了系人外者のそれを防ぐ術を知っているとか?」
基本的に人外者の能力を防ぐ術はない。ただアーノルドの場合は“恩寵を受け継ぐ者”と羨望されている、いわば人外者の先祖返りなので、その血も能力もある程度は薄まっている。それなので彼はふと、疑問に思ったのだろう。エディの素朴な質問に、ジーンがふふんと偉そうに笑う。
「それはね、エディ君! 俺の方がアーノルド様より格好良いからだよ! 俺が今仲良くしている女の子だって、そう言ってくれるし!」
「ジーン、アンタね? またその女の子とやらに刺されても知らないわよ?」
「いいもーん、そしたらまた別の女の子に慰めて貰うから!」
「俺もアホノルドなんかより、ジーンさんの方が断然格好良いと思います!」
「エディさん、アーノルド様のことをそう呼ぶことにしたんですね……?」
エディの賞賛に気を良くしたのか、ジーンが得意げな笑みを浮かべている。どこからどう見ても美しい男性にしか見えないので、ほんの少しだけ心臓に悪い。
「ん? ジーンさんが、アホノルドに惚れない訳はよく理解できましたけど。異性愛者のミリーさんはどうして、アホノルドに惚れたりしないんですか? 夫婦仲が滅茶苦茶良いとか?」
「あーっと、それはねえ、エディ君! 聞いて驚くことなかれ、こちらのミリー嬢は愛しの旦那様にベタ惚れなんだよ、それはもう、希代の色男である、アーノルド様が目にはいんないくらいにっ、もが!?」
「ちょっと黙りなさいよ、ジーン!? アンタは全くもう、いっつもそうやって私のことをからかうんだから!」
顔を真っ赤にしたミリーが、ジーンの口を塞いで黙らせる。三十六歳のミリーと二十八歳のジーンはバディというよりも、仲の良い姉弟のような関係性だった。それを見て私はいつもいつも、羨ましく思う。私もあんな風に、バディと笑い合えたら良かったのにと。
「あーっとね、エディ君!? この馬鹿の言うことはなんにも気にしなくていいから! 私は単純に、アーノルド様が理想のタイプからかけ離れているってだけなの! いくら人外者の先祖返りとは言っても、なるべく意識を逸らしたりとかでどうにでもなるから……!!」
慌てふためくミリーに口を塞がれながらも、愉快そうに笑って、青い瞳を細めている。そんなミリーに気を留める様子もなく、エディがあっさりと質問した。
「それじゃあ、ミリーさんはどういう男性が理想のタイプなんですか? 俺は今この、隣に座っている天使みたいな、超絶可愛い女の子がタイプなんですけど、」
「うわ、アホくさ……というか、あんまりこっちを見ないで欲しい」
「レ、レイラちゃん……!!」
そんな質問を受けて、ミリーがジーンの口から手を離し、こほんと一つ咳払いをする。照れているのか、ほんの少しだけ顔が赤かった。
「ええっとね? 色が白くて線も細くて華奢で、食べ物の好き嫌いが多くて、朝に弱くて、中々寝台から起き上がれないような、病弱で薄幸の美少年的な人がタイプかなぁ~……」
「うーん、ミリーちゃんのそれを聞くといつも俺は、ちょっとだけ背筋が寒くなるんだよね~。何でだろ~」
ちょっぴり慄いた様子のエディが、隣でぼそりと呟いた。
「食べ物の好き嫌いが多いって所にもなんだか、深い闇を感じますね……?」
「エディさん、だからミリーさんはアーノルド様に惚れたりしないんですよ……なんでもミリーさんいわく、旦那さんが理想のタイプなんだとか」
以前にミリーから、旦那さんの写真を見せて貰ったことがあるが。本当に薄幸の美青年だった、凄い。年齢が十二歳も下だという旦那さんとは仲が良いらしく、馴れ初めを尋ねてみたところ、彼女は恥ずかしそうに「お金で買ったも同然の結婚だから……」と呟いていた。
ちょくちょく忘れてしまいがちだが、ミリーもミリーで国家魔術師になれるような、いわばお金持ちのお嬢様なのである。もっと詳しく聞いてみようとしたが、頑として口を割らないので闇が深い。
「ほっ、ほら! もうそろそろ昼休みも終わっちゃうし、この話はここで終わりね? 解散!」
「あっ、本当だ、もうあと十五分で終わる……ところでレイラ嬢? その大量に残ってるハンバーグはどうするの? 大丈夫?」
腕時計を確認していたジーンがにやりと笑う。あまりの発言に、ナイフを落としそうになった。
「ふぁっ!? んぐ、もふそんな時間れふか!?」
「大丈夫だよ、レイラちゃん! そう心配しなくても、残りは俺が全部食べてあげるからね?」
「エディ君はもう少し、その下心を隠すべきだと思うわ……」
私が慌ててハンバーグを頬張っていると、エディがにっこりと微笑み、気持ちの悪いことを言い出した。とても怖くて気持ちが悪いので、今すぐそんな発想は捨てて欲しい。ジーンの話に聞き入ってたからか、半分以上残っている。
「むぐふ! エディひゃんが気持ち悪いれふ、死んでも食べ切りまっふ……!!」
「レイラちゃんはエディ君に、死んでも食べ残しを分け与えたくないのね……? とりあえず私が、レイラちゃんの空いたお皿と、エディ君のトレイを返却してくるわね?」
ミリーの言葉を聞いて、向かいのジーンが立ち上がった。置いていかないで欲しい、私を。切実に。
「それじゃあ俺が、ミリーちゃんのトレイを運ぼうかな? また後でね、レイラ嬢。今度は俺と二人きりで、ご飯でも食べに行こうね?」
「絶対にダメです! その時は俺も付いて行きますからね!? そんでもって、ジーンさんは途中で帰って、俺とレイラちゃんを二人きりにしてください!!」
「それ俺が後で、アーノルド様に殺されるやつじゃん……というか君は、本当に素直だな!?」
そのやり取りを見て、笑う余裕も無く。
「むぐふぅ、もうしよう、食べ切れないかもしれまっふぇん……!!」
「ああ! 可哀想に、レイラちゃん!? 大丈夫だよ、俺がちゃんと全部、綺麗に隅から隅まで食べてあげるからね?」
「むぅ、むむぅ、泣きそうれふ、むふん……」
ミリーとジーンが立ち去った後も、涙目でハンバーグを咀嚼していた。二人きりになれて嬉しそうなエディが、正面の席へと移動する。これもそれも全部エディのせいだと、八つ当たり気味に強く睨みつけてやったのだが、どこか嬉しそうな微笑みで見つめ返してくるだけだった。
結局食べ切れそうになかったサラダだけお任せしたのだが、親切なミリーがナイフとフォークを返却してしまったので、泣く泣く私のフォークを貸すしかなく。彼がいそいそと、大変嬉しそうにフォークを受け取ってサラダを食べ始める。
そこまでは良かったのだが、彼が妖艶に微笑んで、赤いプチトマトにわざとらしくキスをすると、そのままこちらに見せ付けるかのように、恍惚と食べ始めた。頬が一気に熱くなる。わざとだ、わざと。
そのいかがわしいにも程がある食べ方に、文句の一つでも言ってやりたくなったが、必死に残りを食べるしかなかった。これは一体、何の羞恥プレイなのだろうと、死にそうになってしまったのは言うまでも無い。
レイラの婚約者である“女殺し”ことアーノルド・キャンベルは、食堂に行くとあっという間に囲まれてしまうので、これからも一緒に食べることはないだろう。つまり、この“火炎の悪魔”と毎日一緒に食べるということだ。どうせ彼のことだ、一緒に食べたくないと拒絶してもしつこく付き纏ってくるに決まっている。現に今日もそうだった、断ったのに。
人前であそこまで必死に頼み込まれたら、流石の私としても頷くしかない。
(ああ、先が思いやられる……!!)




