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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
38/122

番外編「エオストール王国建国記」 影の王と影使いの女王 その三

 



「それじゃあ、魔力っていうのは、意識を集中させて出すものなのね?」

「ああ、そうだ。それにその時落ち着いていないと、魔術師は魔力を放出することが出来ない」

「魔術師って言うのね? その、魔術を扱うのは?」



 そんなアデレイドの言葉に、ふっと優しげな微笑みを浮かべる。



「ああ、そうだ。メリュジーヌ。俺達が愛した魔術師は、とっくの昔に全員殺されてしまったが……」



 そう、アデレイドは。勇気が湧き出てこなくて、未だにユリウスに自分が「メリュジーヌ」ではないとそう言いだせていなかった。



(でも一体、どうして私をお祖母様と、そう勘違いしているんだろうか? この人は……)



 彼が獲ってきた兎の肉の串焼きを食べ、首を傾げる。彼は影の人間と呼ばれている存在で、人外者という呼び名は、お祖母様が考案して使っていたものらしい。



「それじゃあ、その人外者っていうのは、他の人には見えないものなのね?」

「ごく一握りの人間が見ることが出来る、メリュジーヌ。君はその中でも特別なんだよ。君はこの俺に触れて、実体を与えることが出来る、ほら」



 ユリウスが黒い手袋を嵌めた手で、アデレイドの白い手首を掴んで、本当に嬉しそうに笑う。



「君だけだ、この世で俺に触れることが出来る人間は。俺だけじゃない、他の、俺の同胞たちにも触れて、そいつらに実体を与えることが出来る……」



 ああ、そうか。



(だからユリウスはこの私を、お祖母様だと、そう思い込んでいるのだわ……)



 いつか本当のことを話さないと。黒い手を見下ろしながら、冷や汗を掻く。でも、気になることが沢山あった。彼は人外者達を産み落としている、人外者の王らしい。



「産み落とすって、一体どう産み落としているの?」

「さぁ。それは俺にもよく分からないんだよ、メリュジーヌ。ただ、一つだけ言えることはね?」



 彼がぐっと、その黒い手を握り締めて苦しそうに呟く。



「俺の体にはおびただしい量の魔力が秘められていて、それが、そうだなぁ。たとえば……」



 ユリウスがそこでふっと、自分の美しい黒髪を揺らして、洞窟内の天井を見上げる。



「あそこに例えば、死にかけの女がいたとする。泣き叫ぶ赤子や誕生日を祝って貰っている老人や、どんちゃん騒ぎの若者たち。そんな彼らを見ていると、何かこう、不可解な感情が自分の中で沸き起こって来るんだよ、メリュジーヌ……」

「沸き起こって? それから一体、どうなると言うの? ユリウス?」



 彼がふっと微笑んで、首を元の位置に戻すと、優しげな表情でこちらを見つめてくれる。私がお祖母様でないと知ったら、もうこんな風に笑いかけてくれないんだろうか。胸がずきりと鈍く痛む。



「それからね、メリュジーヌ? 俺は感情が赴くままに、誰かに傍にいて欲しいと、そう嘆いてみせる。そして、この強大な魔力を使って、一つの存在を練り上げてみるんだよ、ほら。見ていてごらん?」



 彼が黒い手袋の中に、渦巻く金と銀の光を生み出した。こうこうと渦巻いている光をすり合わせて混ぜ、ぱっと両手を広げて人外者を生み出す。



「わっ、わぁ~……凄い、きれい! まるで、月の女神みたいね……」

「そうか? 君が気に入ったのなら、こいつを持っていくといい。ほら」



 生まれたばかりでぼんやりと座っている、輝かんばかりの波打つ銀髪に、サファイヤのような瞳を持った女性の背を押し、笑う。彼女は白い絹のドレスを着ていた。



「ああ。でも、これが君に危害を加えるといけないな? そうだ」

「一体、これから何をするというの? ユリウス?」



 彼が優雅に指を打ち鳴らすと、月の女神のような女性の頭にきらきらとした、虹色の粉が降り注いだ。彼女がそんな虹色の粉を受けた後、私をゆっくりと見つめて、優しく微笑んでくれる。



「可愛いお嬢さん? 貴女のお名前は?」

「へっ? わっ、私の名前? 私の名前は……」

「この子の名前はメリュジーヌだ。それが分かったのなら君は今後、女と子供を傷つけてはならない。分かったね? ダイアナ?」



 その言葉に銀髪の美しい女性が、にっこりと優雅に微笑んで、胸元に手を添えて臣下の礼を取った。



「勿論ですわ、陛下。全て貴方の仰せのままに、意のままに。だってわたくしは」



 そこで彼女がするりと、焚き火の前で滑らかに立ち上がると、優雅に一礼してみせる。



「子供と女性を愛する人外者ですもの。さぁ、それでは陛下。奥様との一時を邪魔してはいけませんから、ここで退出させて頂きますね?」



 奥様というのは、もしや私のことだろうか? 気まずくなって、ユリウスを見つめる。彼は翡翠色の美しい瞳を煌かせて、鷹揚に頷いていた。



「ああ。どこへなりとも、好きな所に行くがいいさ、ダイアナ。しかしながら人間に、お前のその姿が映るわけではない」

「それでは、陛下? わたくしが生まれた意味が無いでしょう? 何のために貴方様は、このわたくしを産み落とされたのでしょうか?」

「それはここにいる、メリュジーヌが何とかしてくれる筈だ。彼女がかつて使っていた秘術があるんだよ。彼女は、メリュジーヌは、それを使って、俺達影の人間に実体を与えてくれると、そう約束してくれていたんだよ、だからそれで……」

「ちょっと待ってくれない、ユリウス!? そのっ、あの……」

「一体どうしたんだ? メリュジーヌ? それとも君はまさか、」



 そこで彼の声がぐっと低くなって、ぞっとするような暗い眼差しで詰め寄ってくる。ゆらゆらと揺れ動く炎の前で、彼の暗闇のような黒髪が不気味に光り輝いていた。その羽織っていたローブがするりと、滑らかな闇のように流れ落ちて、洞窟の地面へと広げられる。



 アデレイドはいつの間にか、人外者の王に組み敷かれていた。その怒りに染まった顔を見上げ、息を飲み込む。手首が押さえられていて動けない、逃げ出せない。



「それともまさか、君は。何十年間も俺をあの水晶玉に閉じ込めていて、かつての約束を果たさないつもりなのか?」

「そっ、それはあのっ、だっ、だって私は、お祖母様なんかじゃないから……!!」



 彼がぎりっと、自分の歯を強く噛み締めて、更に手首を強く押さえ付けてくる。



「今更そんな言い訳がまかり通ると、本気でそう思っているのか、俺の愛しい君は?」

「いっ、言い訳なんかじゃないもん、だってだって……!!」

「そのような御託はいい。これは俺達影の人間の、君の言葉を借りるのならば、我々人外者の総意なのだから」



 そこでようやく、ユリウスがこちらを解放してくれた。不機嫌そうに座り直すとまた、ゆらゆらと揺れ動く赤い炎を見つめて、顔を伏せる。



「人間に触れたい、触られたい、こちらを見ようともしない、あの熱くて賑やかなかたまり……汗を掻いては働いて笑って、数多くの人間の子供を産み落として、それらが泣けば彼らも泣き喚く。ああ」



 ユリウスがぎゅうっと、苦しそうに自分の手を握り締めていた。そしてまた、こちらを見つめて苦しそうに笑う。



「君だけだよ、メリュジーヌ。この俺の姿を認めて、こちらに触れてくるのは。君だけだよ、メリュジーヌ。君だけがこの、俺の孤独を癒してくれるんだから……」

「お羨ましいことですわ、陛下。そんな方が傍にいてくれるだなんて」



 それまで黙り込んでいたダイアナが、いつの間にか背後へとやって来ていた。そして、後ろから腕を伸ばしてくる。その瞬間、まるでその手を遮るかのように、黒い棘がばっと、凄まじい速度で生えてきた。



「っ駄目だ! 絶対に駄目だ!! 彼女に触れてもいいのはこの俺だけだよ、ダイアナ? それが分かったのならもう、出て行ってくれ……!!」



 ユリウスが怯えるダイアナを指差すと、瞬く間にダイアナが白い泡に包まれて消えてゆく。



「っユリウス! ねぇってば! 貴方、まさかあんなことで彼女を、ダイアナを殺してはいないでしょうね!?」

「君はあの女の肩を持つんだな……大丈夫だ、殺してはいない。どこかの山奥へ飛ばしてみただけだ」

「ねぇ、それじゃあ、貴方達はどうやって生きていくの? 子供は産まないの? 食事は? 彼女はあんな薄いドレス姿だったけど、山奥で凍え死んだりしないの?」



 彼が苦笑して、こちらの頭を優しく撫でてくれる。



「君はやっぱり、昔から好奇心旺盛だねぇ……そうだなぁ。いいさ。一つ一つ丁寧に、答えていってあげようじゃないか。とは言えども、かつて少女の君に教えたことばかりだが」



 ばちばちと、真っ赤な炎が燃えていた。ユリウスがどこか遠くを見つめ、拳を握り締める。



「俺達は、普通の生き物とは何もかもが違う。どこから生まれてきたのか、どこからやって来たのか……それすらも、俺達にはよく分からない。でも」

「でも?」

「ただ一つだけ言えることは、俺達は魔力を食らって生きるもの。この世のありとあらゆるものには宿っていなくて、人間に宿っているのは何だと思う? メリュジーヌ?」

「うーん、分からないわ。ユリウス。だって、人間も動物の一部なんだし」

「そうだ、そこで思い出した。人間と似たような力を持つ……魔力を持つ、魔生物なんかもいるんだよ、メリュジーヌ?」

「ませいぶつ? そんなの、見たことも聞いたこともないわ。ませいぶつって一体何なの? 普通の動物とは違うの? ねぇ、ユリウス?」



 そこで彼が困ったように笑う。そして、黒いローブを揺らして両手を上げた。



「メリュジーヌ。君の好奇心にはまったく、お手上げだよ。でも、いいよ。何でも教えてあげよう。昔から君にせがまれるがままに、人殺しでも盗みでも、何でもやってきたのだから……」



 その言葉に驚いてしまう。でも、お祖母様は王族お抱えの占星術師だったから。



(もしかしてお祖母様は、自分に恋をしているユリウスを利用して、王侯貴族に取り入っていた……?)



 お祖母様亡き後はもう、確かめようがない。なのでまるっと、それを全て無視して根掘り葉掘り聞き始める。



「ませいぶつって一体何? どこにでもいるの?」

「魔生物は俺達と同じく、人の目には映らない。でも、俺達と似たような生き物で、俺の言うこともよく聞いてくれるんだ」

「それじゃあ、亜種みたいなものかしら?」

「そうかもしれないな。ただ、俺が生み出したものではない。それでもごくたまに、何らかの拍子で、俺の同胞たちが生み出しているが……」

「ユリウス!? 貴方が生み出せないのに、彼らは生み出せるのね?」

「その辺りのことはよく分からないが、そうだと思う。ああ、そうだ。彼らも可哀想だから、人間の目に映るようにしてやらなくっちゃな……」



 彼はその言葉通り、本当に何でも教えてくれた。人外者が子供を産めないことと、普段は人間の影に潜んでいて、その魔力を食べていること。人間と人外者と、魔生物だけがその魔力を持っていて、彼らは人間からしか、その魔力を吸い取れないということ。



 つまり人外者と魔生物は、自力で魔力を生産出来ない。しかし、人間は一日ほどで減った魔力が全回復するらしい。でも、その魔力を食べ過ぎると、人間が弱ってしまうこと。ごくたまに、こちらを見つめてくる人間には、何か邪悪で恐ろしいもの扱いされてしまうということ。そして彼らは生まれつき、不思議な言語を知っていて、その術語と呼ばれる言葉を使って、魔術を行使しているということ。



「たとえば雨乞い。人間は神に祈っているんだが、哀れに思った同胞達が、その雨を人間たちに恵んでやる時もある」

「へー! 親切なのね、みんな……」

「ああ。でも、俺達は気紛れだからな。悪戯もするし、人を殺しもする」

「こっ、殺しちゃうのね!? えっ、それじゃあ私のことも、その、気紛れに殺しちゃったりする?」



 そんな言葉にユリウスが、困ったように微笑んで、ゆるゆると首を振った。



「一体どうして? メリュジーヌ。君がこの俺に約束してくれたんじゃないか……俺達影の人間が、人外者がいつか人間のように暮らして、彼らの良き隣人として、子供だって、持てるようにしてくれるって……」



 アデレイドはごくりと唾を飲み込んで、こちらを優しい翡翠色の瞳で見つめてくる、人外者の王を見つめ返していた。お祖母様以外にも、彼らと言葉を交わせる人はいて、彼らから教わった魔術を使っていたらしいが。どこに行っても怯えられて、異教徒呼ばわりをされて、数多くの魔術師が火刑に処されてしまったらしい。



(数多くの術語と魔力を組み立てて、魔術を行使するという話だったけど……)



 見えない存在の彼らを、見える存在にする?



(なんて恐ろしい。体への負担は? 何億通りもあるという術語の中から、それにぴったりのものを導き出して唱えて、そうして、彼らを人間と同じ存在にするというの?)



 これは冗談でも何でもなく、人類の歴史を変えてしまうような出来事だ。



(人外者は子供が産めない。何故なら実体が無いから。でも、実体を与える? そんなこと、私に出来るのか……)



 それに、出来たとしてもするべきではない。それまで御伽話の住人だと思っていた彼らが、妖精が小鬼が、ドラゴンが本当に実在していたとすれば?



(世界は混乱する。間違いなく。人外者が、人を殺さないとは、そう言い切れるのだろうか? 食べ物や盗みに関してもそうだ。果たして人間の法律で、人外者を裁くことが出来るのか……)



 自分の手に負えない。だからきっと、かつてのお祖母様も、のらりくらりとかわしてユリウスの力を良からぬ企みに使って、貪欲な王侯貴族に取り入って、政治に口出しを出来る、占星術師の一族の現当主として、その地位を確立してきたのだ。



(お祖母様。貴方はなんて恐ろしい……人外者の王を虜にしておきながら、あの水晶玉の中に閉じ込めてしまった)



 聞くところによればお祖母様は、あの塔で魔術の研究をしていたらしい。ほんの一握りの人間と魔術の研究をして、他国との戦争になれば、その力を王家に貸し出す。その魔術という神秘的な力を盾にして、国の政治にも口を出していたのだ。



『残念だ。何十年にも渡って長く、我が王家に寄生してきた虫の貴女が、そこまで耄碌しているとは』



 あの金髪の王子様の、冷たい声が脳裏に響き渡る。



(そっか。邪魔だったんだわ、彼は、王家は……だからこそ無尽の魔力が湧いて出てくる、あの水晶玉を奪い取って、一族を皆殺しにしようと……?)



 いくら何でも乱暴な考え方だが、致し方が無い。この王国はこれまで属国としてきた国を、抑えることが年々出来なくなってきている。



(この国はもはや斜陽の国。欲をかいて、領土を、国土を広げすぎたのだわ……)



 この際、もう手段は選んでいられないということだろうか? その考えに動揺して、言うべきではないことを言ってしまった。



「ねぇ、ユリウス? そっ、そのう、約束を果たすのも魔術を使うのもいいんだけど、追っ手が来てしまうんじゃあ……?」



 その言葉にユリウスが低く笑って、翡翠色の瞳を獰猛に細めた。



「大丈夫だよ、メリュジーヌ。君はとんだ臆病者なんだね? この俺が追っ手の目をくらます為に、何の魔術をかけていないとでも?」

「そっ、そう? それならそれで、別にいいんだけど、あの」



 言ってしまうのなら、早いほうがいい。そう理解していた筈なのに私は、沢山の嘘を吐いて重ねてしまった。



(ああ。私ってば、本当にどうしようもないんだから……!! 一度一つのことに夢中になってしまうと、何もかも出来なくなってしまう)



 一体何度、この厄介な癖に悩まされてきたことだろう? いつだってこの怪物のような知識欲と好奇心で、周囲に嫌がられてきた。



(だって、知りたくて堪らない、この世の何もかも全てが! 本だって年がら年中、毎日読めるわけじゃないんだし……)



 人間は眠らなければいけないし、食べなくてはいけないのだ。歯痒い。けれど、嘆くのはやめて話しかける。



「ごめんなさい、ユリウス。人外者の王よ。私がお祖母様でないことは、メリュジーヌではないということは本当なの……」

「何だって? 君はまた、そんな嘘を吐いて」

「っ嘘じゃないわ、本当よ!!」



 誰からも嘘吐き呼ばわりをされてきた。もう、とっくの昔に限界を迎えていた。



(それに何よりももう、これ以上)



 メリュジーヌと、そう呼ばれたくはない。あんな冷たくておぞましい、お祖母様の名前なんかでこの私を呼ばないで欲しい。お祖母様さえいなければ、私も父と母と、普通の家族らしく生きれた筈なのに。あの忌々しいお祖母様のせいで、私達は引き裂かれてしまったのだ。臨終の時だって誰も、お父様を呼びには行ってくれなかった。



「貴方を助けたのはこの私なの、ユリウス!! 私はずっとずっと昔から、幼い頃から貴方の声を聞いていたのよ!? メリュジーヌ、メリュジーヌと、ここから出してくれって、そう何度も言っていたでしょう!? 貴方は」

「メリュジーヌ? 君は一体、何を言って」

「っ違うの! 私はメリュジーヌなんかじゃないの、誰でもいいから私の名前をきちんと呼んで欲しい、変人だとか気持ちの悪い子だとか、洗濯女の卑しい子供だとか、そんなっ、ひっ、酷い名前なんかじゃなくって……!!」



 そこでとうとう、泣いてしまった。



(そうだ、私は一人ぼっちなんだ。それなのに誰も彼もが、私のことをないがしろにする……!!)



 誰も彼もが正しく、私の名前を呼んではくれない。大好きなお父様とお母様がその頭を悩ませて、一生懸命考えてくれた名前なのに。それなのにこの人外者の王でさえも、私の名前を呼んではくれない。あまりの淋しさと苛立たしさに、泣きながら地面に蹲っていた。すると、意外なことにそっと、ユリウスが泣く私の頭を撫でてくれる。



「そうか。そうだったのか……君はやっぱり、あのメリュジーヌじゃ無かったんだなぁ」

「気が付いていたというの、ユリウス? 私が、お祖母様ではないということを」

「おかしいとは、そう思っていたんだ。髪の色も目の色も違う人のものだったし、若返っているし、顔の形も身長も違うし……」

(それはもはや、別の人なのでは……?)



 そう気が付いていながらも、どうして彼はメリュジーヌと、そう私を呼び続けていたのか? そんなことを聞こうと思って、その口を開いた瞬間。彼の方から、私の疑問に答えてくれた。



「本当は信じていたかったんだ。君が、メリュジーヌなんだって。メリュジーヌがこの俺を、最後の最後まで、名前を呼んでくれなかっただなんて、そんな残酷なことは信じたくなかったんだよ、ええっと……」

「ユリウス。私はアデレイドよ、アデレイド。私のお父様とお母様が付けてくれた、私だけの大事な名前なの……」

「そうか。アデレイド、アデレイドなのか」



 彼が何度か確かめるようにもごもごと、口の中で私の名前を唱え始めると、やがて、酷く悲しげな様子で膝を抱えて、額を自分の膝へと押し付けてしまった。



「メリュジーヌ……!! 君はやっぱり最後の最後まで、俺の名前を呼んでくれなかったんだね……」

「ユリウス……あのね? 私はね、」



 彼の黒髪頭を、先程して貰ったように優しく撫でる。それなのに、手をばしっと叩き落とされてしまった。



「っいらない、メリュジーヌでもないのに、俺に触れようとするなよ!? メリュジーヌ、メリュジーヌ、ああ、君はとうとう最後の最後まで、この俺の名前を呼んではくれなかったんだ!!」



 ああ、やっぱり彼は。



(お祖母様じゃないと、何の意味も無いのね……)



 呆然と冷たい地面に座り込んで、泣きじゃくる彼を見つめる。どうなるんだろう? 私はこれから。



(先程の兵士達のように、殺される? ああ。もう、それでいいわ。何だかどっと、疲れてしまった)



 先程までは、あんなにも楽しかったというのに。泣く気力すら沸かずにぼんやりと、真っ赤に踊り狂う焚き火の炎を眺めていた。



「そう、だ……そうだ。それなのに一体どうして、君は俺に触れることが出来るんだ、アデレイド?」

「へっ? 何でって、それは」

「それはメリュジーヌだけの、あの忌々しい女だけの筈だった!!」

「きゃあっ!? ちょっ、ちょっとユリウス!? 一体何をするの!? 私の手を、離して……!!」



 ユリウスがぎりぎりと、私の細い手首を握り始める。彼の黒い体が大きく膨らみ始めていた。辺りを黒く蠢く影で覆い尽くして、焚き火をじゅうっと消す。ユリウスは、先程のようにまた私を地面に組み敷いていた。美しい翡翠色の瞳がぎらりと、刃物のように煌いている。口元が赤く、ぱっくりと耳まで裂けていた。



「っははははははは!! そうだ、そうだった!! 何故、俺は今までこのことに気が付けなかったんだろう!? このっ、素晴らしい出来事に!!」

「ゆっ、ユリウス? 貴方、一体、何を言って……!?」

「ははははっ、俺をあの、水晶玉に閉じ込めていたような女なぞ知るものか! あの女はもう、用済みだ、その死体と骸がどうなろうと知ったことではない!!」

「ユリウス!? 貴方、そんな……」



 あまりの事態に息を飲み込んで、呆然と瞳を瞠っていた。上から押さえつけられた手首は痛く、アデレイドの輝く銀髪が、湿った地面に広がっている。彼がその顎を逸らすと、苦しそうにまた、その喉を低く震わせて笑い始める。



「ああ、そうだ。そうだ、知るものか、あのように年老いて、こちらを散々に利用し尽して来た女なぞ……!! お前、アデル。アデレイドと、確かそう言っていたな?」

「えっ、ええ、そうです、影の王よ……」



 そこで彼がぎりっと、その白い歯を噛み締めて、泣き出しそうな表情で睨みつけてきた。



「そのように他人行儀な目と声で!! この俺を呼ぶな、アデル!! アデレイド!!」

「ごっ、ごめんなさい、ユリウス……私の、愛しい人」



 何故そんな言葉を呟いたのか、自分でもよく分からなかった。この異形の王に殺されたくなかったのか、それとも。彼がお祖母様ではなく、自分を必要としてくれたことが、単純に嬉しかったのか。よく分からないが、そんな言葉が口を突いて出てしまったのだ。そんな愛の言葉に、彼が途方に暮れて、翡翠色の瞳を瞠っている。



 それまで鳥か何かのように、大きく膨らんでいた黒い体が、しゅるりと力無く縮んでゆき、元に戻った。



「アデレイド……アデル。俺を愛しい人だと、そう呼んでくれるのか?」

「貴方が、私のことを大事にしてくれるのなら。……ユリウス」



 手を離してくれたので、その白い頬に触れて見上げる。美しい翡翠色の瞳に、薄っすらと涙が滲んでいた。



「私は、ずっと貴方を助けてあげたかったの。あんな小さな水晶玉に閉じ込められて、メリュジーヌ、メリュジーヌと、そう何度も何度もずっと、あの冷たくて意地悪なお祖母様の名前を呼び続けていたから……」

「そう……そうなんだよ、アデル。アデレイド……」



 息を飲み込み、私の手に手を重ねる。ひんやりとしていて、まるで石に触れているかのよう。



「そうなんだよ……アデル。アデレイド。俺のことを受け入れてくれるかい? あの女のように、俺から離れて行かないと、そう約束してくれるかい……?」

「ええ、約束するわ、ユリウス。私はずっとずっとこうして、貴方を救い出して、その涙を拭き取ってあげたかったんだから……」

「メリュジーヌ……いや、アデル、アデレイド……」



 どのみち、彼に縋って生きて行くしかない。お祖母様と一族が亡き今、彼と生きて行くしかない。でも、もうひとりぼっちじゃなかった。彼が傍にいてくれる。



「一つ、頼みたいことがあるんだ。アデレイド……」

「なぁに? 何でも言ってみて? ユリウス」

「お前の祖母が、メリュジーヌが果たしてくれなかった約束を今ここで、お前に果たして欲しいんだよ……」

「それって、つまりは」

「そう。君とこの俺で、この世界を変えてやるんだ」



 彼がすいっと、アデレイドの黒い胸元に片手を添えて、人外者の王らしく命令を下す。



「拒絶なんてさせはしない。この俺を受け入れろ、アデレイド」



 ぎらりと、真っ暗闇の洞窟の中で、彼の瞳が猫のようにらんらんと光り輝いていた。



「術の行使には一晩もかかってしまうんだよ、アデレイド、アデル……。俺だけの、愛おしい人。この俺とお前の魔力を溶かして一つにして、君もまた、人外者を操る女王となる」

「っユリウス、それは一体」

「俺が影の王なら、君も影の女王となるんだ。アデル、アデレイド……」



 そして、これ以上の質問は許さないとでも言いたげに、ユリウスが体を低くして、耳元で甘く囁きかけてくる。



「君の存在と、この俺の存在を混ぜて一つにしてしまおうか、アデル? アデレイド? 俺だけの愛おしい人……」



 彼のそんな言葉を耳元で聞きながら、静かにその両目を閉じていた。覚悟を決めるしかない。



(いつかのどこかで、この選択が、誰かにとっての祝福になりますように)



 アデレイドのように淋しくて悲しい人が、誰か素敵な人外者を見つけて、その苦しみが取り除かれますように。そう願って彼の好きなようにさせていた。ユリウスが甘えるようにまた、囁き始める。



「そして君は、死ぬまでずっとずっと一生俺の傍にいるんだよ、アデル、アデレイド……君はこの俺の、新しくて愛おしい人なんだからさ?」



 こうして彼と私は、この世界を変えてしまったのだ。誰もが人外者を視る、そんな世界に。いつかこの選択が、誰かにとっての祝福になりますように、と。一晩中、ただ、それだけを願って彼と一つになっていた。






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