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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
33/122

29.女殺しと悪魔による無謀な対談

 




「レイラ? 大丈夫か? その、体の調子は……?」

「ハーヴェイおじ様! ええっ、大丈夫ですって、ととっ」



 その日の夜遅く、義父のハーヴェイが部屋にやって来た。ちなみに不味い果物を食べさせた木はあの後、苦悶しつつレイラとエディをぺっと吐き出し、エディはすぐさま立ち上がって木を燃やしたそうだ。しかしそこで力尽きてばったりと倒れてしまったらしい。



 その後は誰もが知る通り、慌てた都民が日常魔術相談課に電話をして、事の次第を聞いたアーノルドがライとミリーとジルを引き連れて駆けつけてくれた。



 最初にレイラ達を呼びに来たカイル少年は、無事に父親と再会したらしい。しかし実は木に飲み込まれた訳ではなく、迷子の女の子を交番に連れて行っていたことが発覚。



 カイルは「心配したのに!」と怒っていたが、エディと二人で顔を見合わせて笑ってしまった。無事なのが一番だから、本当に良かった。



 ただそれでも、長い長い幸福な夢から醒めてしまった人達は茫然自失の状態で座っていて。残されていた家族は泣いて泣いて彼らを抱き締め、しきりに何度も礼を言ってきた。すっかり死んだものと諦めていたご家族からしてみると、思わぬ嬉しい幸運と奇跡だったそう。



 愛する人がいなくなってしまった世界で生きるのは苦しいことだろうが、その人達にはまだとても大切な家族がいるのだ。


 だから恵まれている方だと思う。私にはもう誰もいないから、誰も傍にいてくれないから。


 嘘だらけの夢に溺れて生きるよりもその方が絶対にいい。溺れそうになってしまった身で偉そうには言えないが、それでも。



 それでも生きて行くしかないのだ、この命が続く限りは。



「ああっ、ほら、無理しちゃいかんよ、レイラ? お前はゆっくり寝ていなさい。いいな?」

「ごめんなさい、ハーヴェイおじ様。ありがとうございます……」



 寝台傍のランプシェードが、ぼんやりと明るく灯っている寝室にて。慌てて起き上がろうとしたら、ハーヴェイが駆け寄ってきてこちらをたしなめる。心配されていることが嬉しくて、口の端がもぞもぞと痒くなってしまった。



 ハーヴェイはこのところ、仕事で忙しかったのでお見舞いは全く期待してなかったのに。白いシャツに黒いガウンを羽織ったハーヴェイが椅子を引いて、優雅に腰掛ける。そしてアーノルドと同じ、銀灰色の鋭い瞳を優しく細めた。



「レイラ……お前はずっとずっと昔から。無茶ばかりするなぁ……」

「ハーヴェイおじ様、ごめんなさい。その、心配をかけてしまって」



 その心配は私に向けられたものじゃないのに。別に実の娘として見られている訳じゃないのに。ただの友人の娘にしか過ぎない、代替品への心配でしかないのに凄く嬉しかった。熱い涙が滲み出る。


 ハーヴェイは困ったように笑い、ゆるゆると首を横に振った。その拍子に緩やかな銀髪が揺れ動く。一瞬、綿飴のような髪に目を奪われてしまう。



「別にいいんだよ? レイラ……子供とは、親に心配をかけるのが仕事みたいなもんだからなぁ……」

「ハーヴェイおじ様」



 本当にお父様と、そう呼べたのなら。どんなにいいのだろうかと考え、胸元をぎゅっと握り締める。



(呼びたい、呼んでしまいたいな、もういっそのこと、このまま……)



 もういっそ呼んでしまおうかと、そう思って口を開きかけた時。



「お前まで死んでしまったら俺は本当に、あいつに。エドモンに合わせる顔がないよ、可愛い俺の娘のレイラ……」



 ああ、またお父様の話だ。胸中にどろどろとした疲労感が湧いて、悲しみがじんわりと苦く広がってゆく。その大切な響きを諦めて口を閉じた。やっぱり私はそう呼んじゃいけないんだ、罪人だから。人殺しだから。



(私は一生、お父様の影から抜け出せないんだろうか)



 でも本当に一体、どうしたらいいんだろう?


 この身に流れる血も何もかも、お父様によく似た顔も何もかも。どうすることも出来ないというのに一体どうしたらいいんだろう? ずっとこのままなのかな、一生ずっとこのままなのかな。



(お願いだから私を見て、ハーヴェイおじ様。おとう、さま……)



 お願いだから私だけを見て、見つめて。お願いだからどうか、私をエドモンの娘にしてしまわないで。



 お願いだからどうかと、この家に来てから今までずっとずっとそう願い続けている。永遠に叶わぬ夢だった。私も私で随分と諦めが悪い。そっと手を伸ばして、ハーヴェイの冷たく乾いた手を握り締める。強く強く、抗議するかのようにぎゅっと握り締める。



「ハーヴェイおじ様……そんなに心配をかけてしまってごめんなさい。でも、本当にもう、この通りすっかり元気ですから。ねっ?」

「何を言っているんだ、レイラ? そんな、すっかり青ざめた顔で言われてもなぁ~……」




 ハーヴェイが眉を顰めて、深い溜め息を吐く。そして私の手を両手で握り締め、また苦しそうに息を吐き出した。




「レイラ……行ってしまいたいと、そう思ったのか? 嘘に塗り固められたエドモン達と一緒に?」

「ハーヴェイおじ様……」

「俺もあの木には遭遇したことがあるからよく分かるが、あれは、」

「あるんですか、あの木に遭遇したことが? エディさんはあの人のことをリリー・ブラウンと、そう呼んでいましたが……」



 尋ねてみると、ほんの少しだけ気まずい顔を見せる。そしてゆっくりと頷いた。



「ああ、そうだな。あの人外者は確か、そう名乗っていた筈だ。昔に自分が食い殺した恋人が付けた名前だと、そう言っていたような気もするなぁ……」

「じゃあ、それじゃあ、ハーヴェイおじ様はあの木と知り合い? 知り合いだったんですか?」

「かなり前にね。とは言っても、あの“火炎の悪魔”と一緒に遭遇した訳では無いが……」



 そこでハーヴェイが重たく黙り込んでしまう。聞かれたくないことだったのかもしれないなと思い、話の続きを促す。



「遮ってしまってごめんなさい、ハーヴェイおじ様。それで? その話の続きは?」

「ああ、それでだな……」



 ハーヴェイがそれまで伏せていた顔を上げて、穏やかな声で話し始める。薄暗い寝室の中で、ぼんやりとシェードランプが温かい光を放っていた。その明かりが目にも心にも優しい。



「それでだな、どこまで話したんだっけか? ああ、ちょっと待ってくれよ、レイラ? 俺の脳みそは流石にまだ、そこまで萎びて錆びてはいない筈だぞ?」

「ふふふっ、それはどうかしら? ハーヴェイおじ様?」



 ハーヴェイはお茶目に片目を瞑ってみせ、褐色の指先を振り回してぱちんと指を鳴らす。彼はアーノルドと違って美形という訳ではないが、この年代にしてはスタイルも良く芝居がかった仕草が様になる。どこか強烈に人を惹きつける人だった、目が離せない。


 そして深く、耳に心地の良い声で歌うように告げる。



「思い出したぞ、レイラ。そうだ、あの“彷徨える呪いの木”の仕組みなんだが……まぁ、俺からしてみるとあれはいささか幻想的過ぎる名前だな! あれはただ悪趣味な女の人外者というだけで、」

「まぁ、それはいいから早く続きを話してくれませんか? ハーヴェイおじ様?」



 話が脱線すると長くなってしまうので、焦ってその続きを促した。そんな促しの言葉に、ハーヴェイはほんのちょっとだけ笑うと機嫌良く教えてくれる。



「ああ、そうだな? 俺は脱線すると話が長くなってしまうからなぁ~……それでだな、レイラ? そいつはリリー・ブラウンに限らず、どの“彷徨える呪いの木”にも言えることなんだが」



 そこで一旦言葉を区切って、ハーヴェイがそっと優しく両手で私の手を握り締める。そのかさついた手は温かく、居心地が良かった。紛れもなく優しい父親の手だった。胸の奥が詰まってしまう。



「より深い喪失感を持つ者、より深い絶望を持つ者、そして」



 そのどれもに覚えがあった。ハーヴェイの鋭い銀灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。



「あまり生きたいと願っていないような、そんな人間を奴等は引き込んで腹を満たす。レイラ? お前はそんな人外者に引きずり込まれて、危うく食われてしまうところだったんだぞ?」



 そこでようやく理解出来た。どうしてこんなにも苦しそうな表情をしているのかがよく分かった。これではまるで、私がずっとずっと死を望んできたかのようで。



(違うとは。確かにそう言い切れないけれど……)



 言い切れないのか、と自分で自分の考えに愕然としてしまう。こんなにも何もかもが揃っているのに一体どうして? 私は何が不満なんだろう?



 幸福な恋愛がしたいのか、それとも自分が人殺しではない、普通の女の子になりたいのか。それともやはりここではなく、あんな風にして今は亡きお父様とお母様と笑っていたいのか。


 そこで自分の考えを打ち切る。考えたってどうしようもないことだ、何もかも。レイラは苦しく眉を顰めると、ハーヴェイの手を強く強く握り返した。



「ハーヴェイおじ様……ごめんなさい、本当に心配をかけてしまって。でも私は」



 ハーヴェイに生半可な嘘は通用しない。


 嘘が吐けない呪いにかけられた人間だからか鋭い観察眼を持ち、一度疑問に思えば何度も何度も執拗に聞いてくる。


 何が何でも相手の本音を聞き出そうとしてくるので、綺麗に取り繕って安心させる必要があった。



「でも私は死にたいだなんて。そうは思っていません、ハーヴェイおじ様。生きていたら何かと疲れてしまうこともあるでしょう? ……その時はたまたま疲れていたので、きっとそのせいでしょう。死にたいだなんて微塵も思っていませんからね?」

「やっぱりあれか? “火炎の悪魔”のせいなんだな!? よーしっ、それじゃあやっぱりあいつはこのパパ上が今から行って殺して、」

「ちょっと待って、待って、ハーヴェイおじ様!? 私の言葉を自分の好きなように解釈しないで下さいよ!?」



 今よりチャンスはないとでも言いたげに、ハーヴェイが椅子から勢い良く立ち上がる。慌てて黒いガウンの裾を引っ張って引き止めた。



「えーっ? でもなぁ、レイラ~? その“火炎の悪魔”も殺してしまえばお前の憂いもすっかり晴れて、」

「もういいから座ってくださいよ!? ハーヴェイおじ様! あっ、そうだ!」



 そこであることを思いつく。



「ほらっ、また昔みたいにその、私に子守唄を歌って下さいよ!? よく歌ってくれたでしょう? ハーヴェイおじ様も……」



 その言葉でようやく思い留まってくれたのか、ハーヴェイがふっと懐かしそうな笑みを浮かべて椅子へと座り直す。



(ほっ……よっ、良かった。これでくたくたに草臥れきったエディさんも、ハーヴェイおじ様に殺されずに済む……)



 彼は嘘が吐けない人間なので、おそらく本気だろう。アーノルドはよく昔から、ハーヴェイのことを頭がおかしい人間だと言っている。


 アーノルドが思春期の十八歳辺りなんかは特に酷くって、もう思春期は終わったんじゃないのかなという年齢になっても、ハーヴェイをひたすらに無視して冷たく当たっていた。そんな思い出に浸っていると、ハーヴェイが懐かしそうな表情を浮かべて話し出す。



「ああ、それもそうだったな? レイラ……でも俺の可愛い息子たんのアーノルドが、怪我をした母ライオンみたいな態度でしょっちゅう俺からレイラを引き離していたからなぁ……」

「ふふふっ、それもそうでしたね、ハーヴェイおじ様? 特にアーノルド様は、思春期の頃が一番酷くって……」



 その言葉を聞いて、ハーヴェイが心底つまらなさそうな顔で体を揺らし始める。



「そうなんだよ~、レイラ~? 俺はただ、あいつの良き父親であろうとしていただけなのに! どうしてああも、あそこまで嫌われちゃったんだろうなぁ~! パパ上、ぜんっぜんよく分からない! どうしてだと思う? なぁ~?」

「ふふふふっ、ハーヴェイおじ様がしつこく、アル兄様にハグだのチューだの言って鬱陶しく付き纏っていたからじゃないですか?」

「えーっ? そんなんで普通、あそこまで嫌うかなぁ?」

「嫌いますよう、ハーヴェイおじ様ったら、まったくもう……ふふふっ」




 穏やかな時間が過ぎてゆく。お父様と呼べたらどんなにいいんだろうと思いつつ、「そろそろ寝なさい」と促してきたハーヴェイに微笑みを返す。



 私が寝台にきちんと潜り込んで両目を閉じると、約束通り穏やかな低い声で子守歌を歌ってくれた。



「おやすみなさい。夜の深い海に漂うがごとく、やがてお前が目を覚ましてもその悪夢に魘されてしまわないように、おやすみなさい、どの悪魔や妖精にも打ち勝てるようにおやすみなさい」



 低く、深く、ハーヴェイお気に入りの子守唄の一節が響き渡って沈み込んでゆく。



「おやすみなさい、おやすみなさい、どの金銀鈴にも勝る愛おしい子、大事な子、冷たい波に浚われてしまわぬよう、その寝台は木で編んだ美しい籠で出来ている」



 低く、深く、穏やかな子守唄が響き渡る中でその手を握り締めていた。ハーヴェイおじ様、たとえ貴方が私を娘のように愛していなくても、代替品としか思っていなくとも。


 それでも私の大事なお父様だ、おぼろげな記憶の中の父よりも何よりも。


 貴方こそが私の大事なお父様だ。言えないけど、そんなこと絶対に。苦しく両目を閉じて、その低い歌声を聴いていた。



「おやすみなさい、おやすみなさい、愛しい子、可愛い子、どの金銀鈴にも勝る愛しい子……」



 うつらうつらと、重たくなってゆく視界の中で愛しい子守唄を聴いている。



(ああ、そうだ……私はこうしていよう。エディさんではなくこの人たちの傍に、エディさんの傍ではなく、愛しい愛しい、ハーヴェイおじ様達の傍に……)



 傍に、傍にいよう、ここに。たとえ私が、純粋に愛されていないのだとしても何でも。私がハーヴェイおじ様達の傍にいたいのだ、傍にいて欲しいのだと。



(ああ、そうだ。そうだったんだ……私の婚約者のアーノルド様は今頃一体、何をしているのかなぁ)



 かなり心配をかけてしまったから、また明日きちんと謝らなくては。そしてまた、美味しいクッキーでも焼いてもらって、セシリア様ともまた街へお買い物にでも行こう。



 この場所こそが、私の居場所なのだから。



 そう考えて優しい子守歌に耳を澄ませながら、深い暗闇へと落ちていった。



















 こつこつこつと、規則正しい靴音が響き渡る。


 その美しい男が履いている靴の踵は決して高くなかったが、よく響いた。壮絶な美貌の“女殺し”が歩いているのを見て人々は息を潜め、お互いに顔を見合わせる。



 まるで鏡のように美しく磨かれ抜いた、黒い大理石造りの廊下を歩いている。壁もまた、こちらの姿形を映すかのような黒い大理石造りの壁だった。



 合間に配置された観葉植物と季節の瑞々しい花々が、ただの店ではなく高級クラブであることを物語っている。



 天井には眩いシャンデリアが煌き、それまで酒を飲んでいた男達も豊かな谷間を覗かせた女達も硬直していた。



 先程から両肩が震えているドレス姿の女を見て、アーノルドはひっそりと溜め息を吐く。もう少し抑え気味にした方が良かったかもしれない。



 アーノルドは輝く銀髪をワックスで整えて固め、滑らかな褐色の額を出していた。しなやかな筋肉質の体には黒地に白いストライプ柄のスーツがぴったりと寄り添い、深紅色のネクタイを締めている。



 意外と小心者なアーノルドは緊張していたのだが、周囲の人間はもっと緊張していた。それもこれも全部、彼が“恩寵を受け継ぐ者”と羨望されている人外者の先祖返りだからだろう。


 希代の色男はそこにいるだけで、数多くの人間に影響を与えてしまうのだ。













「こうして改めて。お前と会うのは実に初めてのことだな? エディ? いや、それとも」



 案内された個室に足を踏み入れると、それまで女性と談笑していた“火炎の悪魔”がはっとこちらを見上げてくる。



 ここに来た意味が無いと理解しつつも、女性達に笑いかけて「こいつと二人きりにして貰えませんか?」と頼む。すると顔を真っ赤にしてそそくさと出て行った。こちらと目を合わせもしない。



「アンバーとでも、そう呼んだ方が良いのか? エディ・ハルフォード?」

「っ俺に嫌がらせを言いに来たのなら。今すぐに帰れよ、アーノルド!」



 どこから調達してきたのか、煙草を片手に黒いスーツ姿の──────ネクタイだけはアーノルドと違って煌く銀色のネクタイを締めている──────エディが不機嫌そうに話しかけてくる。



 それを見て低く笑った後、黒い本革のソファーへと腰を下ろした。流石は高級クラブといったところか。ふんわりと体が沈み込み、恐ろしく座り心地が良い。


 シャンデリアの眩い煌きを受けてきらきらと、テーブルの天板が光り輝く。



「まぁ、そう荒れるなよ、エディ? 折角お前の招待に応じてやったんだ、もう少し愛想良くしてみたらどうだ」

「言っておくが、俺がこの席をセッティングした訳じゃない」



 アーノルドとエディは向かい合って座り、お互いに長い足を組んでいた。エディがそれまで吸っていた煙草を灰皿に押し付け、煩わしそうに消す。



「兄上がどうしてもお前を呼んで話をしろと、そうしつこく言うから俺はここへ来ただけだ」

「ああ、道理でまた、こんな店にした訳か……」



 アーノルドは尊大に笑って自分のネクタイを緩める。エディが眉を顰め、その様子をじっと観察していた。



「それで? お前の言う、その話とやらは?」

「いつレイラちゃんとの婚約を解消してくれるんだ、お前は?」

「相変わらず。単刀直入にも程があるなぁ、お前は……」



 もう少し違う話をするつもりはないのかと思いつつ、その長い足を優雅に組み直す。そして膝の上に褐色の両手を置いて、妖艶な微笑みを浮かべた。



「レイラがお前のことを好きになったらだ。そして俺に婚約を解消して欲しいと、そう泣いて縋ってきたらだなぁ……」



 その言葉を聞いて“火炎の悪魔”が鋭く舌打ちをする。



「相変わらずいい性格をしているよ、お前は!」

「その言葉、そのままそっくりお前に返してやろう、戦争の英雄“火炎の悪魔”」

「はぁ? お前は一体何を言って……もしかして」



 そこで戦争の英雄“火炎の悪魔”が、困惑したように、その淡い琥珀色の瞳を彷徨わせた。



「まだあの時のことを根に持っているのか? だがあの時はああすることしか出来なくって、」

「うるさい。今すぐに黙れよ、エディ? 俺は何もここへ、お前の長ったらしい謝罪や言い訳を延々と聞きに来た訳じゃねぇんだ、今すぐその口を閉じろ。さもないとこのまま、一生婚約を解消してやらないぞ?」



 アーノルドが強く歯軋りをして遮る。それを見てエディもむっつりと不機嫌そうに黙り込んだ。やがてアーノルドが立ち上がり、出口へと向かう。



「っおい、一体どこに行くんだよ、アーノルド?」

「お前との話はもう、全て終わった。ここで仲良くお前と酒を飲む気も、ここの女と喋る気も無い」



 後ろを振り返りもせずに、希代の色男はそう告げる。そう告げて、苛立たしげに帰っていった。しんと静まり返った個室に残るは、不機嫌そうに舌打ちをして自分の懐から煙草を取り出した“火炎の悪魔”だけだった。










「よく我慢したねぇ、アーノルド? でもねぇ、そっくりさんから言わせてみるとねぇ、君があそこまで我慢する必要なんてどこにも無いと思うんだけどな~?」

「……そっくりさん」



 シャワーを軽くざっと浴びて寝室に行くと、そっくりさんがいた。レイラと同じ緩やかな黒髪を揺らして寝台に腰掛けている。しかも白い豊満な胸元をあらわにした、色鮮やかなピンク色のドレスを着ている。



 その艶かしい太ももと谷間に目を奪われつつ、それまで持っていた白いバスタオルを投げ出す。白いバスローブ姿のアーノルドが近付くと、妖艶に笑って腕を伸ばしてきた。



 寝台がぎっと軋み、白いシーツに黒髪が広がる。その細められた紫色の瞳はいかがわしく、レイラとはまるで違う。それでも腰に震えが走って、そっくりさんの両手首を掴んで押し倒す。



「……俺は狂っていると、そう思うか? そっくりさん?」

「いいや? アーノルド? だって君は、こんなにもレイラのことを大事にしているじゃないか……」



 そっくりさんがするりと手を抜いて、こちらの頬に触れる。それを何となく目で追って、また妖艶な微笑みのそっくりさんを見つめる。



「君はこんなにも我慢している。可愛いレイラと、最後の一線だけは何とか越えないようにしているじゃないか……」

「当たり前だよ、そっくりさん。俺はあいつを、レイラだけは傷付ける訳にいかない……」



 こちらの頬を優しくなぞる。ふわりと、レイラがいつも使っている石鹸とシャンプーの甘い香りが漂ってきた。ラベンダーのような花のような甘い香り。堪らなかった、何もかも。自己嫌悪と罪悪感に苛まれながらもこうして、苦しくなったらそっくりさんを抱いている。



 レイラと全く同じ喘ぎ声を聞いて、その柔らかな体に顔を埋めている。ああ、なんてどうしようもないんだろう。俺は。



「軽蔑、されるだろうなぁ……こんなことをしていると、レイラにそう知られたら」

「言わなかったらいいよ、アーノルド? このそっくりさんだってわざわざ、可愛い可愛い君の大事なレイラに、そんな卑猥な告げ口をしたりなんてしないさ……ほら、こちらへおいでよ?」



 そっくりさんに誘われるがままに、体を低くする。そのくちびるに舌を捻じ込んで酔い痴れる。レイラと同じ体に触れる、触れてその温度に酔い痴れる。



「っは、可哀想に、アーノルド……君がそんな風に、我慢する必要はどこにもないのに?」

「うるさい。頼むから黙ってくれよ、そっくりさん? 俺はもう、とっくの昔にこうすると、そう決めたんだからさぁ……!!」



 苦しい、苦しい。どんなに乱暴に抱いて欲をぶつけても偽者にしか過ぎない。それでもレイラを抱く訳にはいかない、傷付ける訳にはいかない。



「レイラ、レイラ、愛しているよ、レイラ……」

「アーノルド様、私もです、アーノルド様、私も愛していますよ、アーノルド様……」



 そっくりさんがレイラと全く同じ甘い声で、こちらを求めてくる。潤んだ紫色の瞳で見上げてくいる。その虚しさにいつもいつも、自分の舌を噛み切って死にたくなる。



(ああ、虚しい、虚しい、そう分かっている筈なのに俺は、どうすることも出来やしない……!!)



 レイラレイラレイラ、苦しい。愛しい愛おしい。俺の、俺だけの少女だったのに。紛れも無く俺がこの手で大事に育ててきた、まるで宝物か何かのように。



 もうどうすることも出来ない、俺が彼女との関係を壊してしまった。苦しい、苦しい。欲に負けて襲ってしまった、もう無理だ、完全に手遅れだ。



 彼女はもう、こんな風に自分を求めてはくれない。苦しい、苦しい。何も満たされない、何も埋まらない。



「レイラ、レイラ、ごめん、ごめん。許してくれよ、俺のことを。何でこうも何もかもが上手く行かないんだろう? 何で俺じゃあ、駄目だったんだろうなぁ、そっくりさん……!!」

「大丈夫だよ、アーノルド様? 君はなんにも悪くなんてない、さぁ、おいで? 全部全部、そっくりさんに欲をぶつけるといいよ……」



 俺の何が悪かったんだろう? 俺の何が駄目だったんだろう?



(ああ、全部だ、全部。分かり切っているじゃないか。レイラの嫌がることばかりを、今まで俺はあんなにも繰り返してきて……)



 分かっている、分かりきっているよ。それでもどうしようもない、どうすることも出来ない。求められたい、求められたい。どうしてもレイラに触れたい、求められたい。本物の彼女にこうやって触れて、エディと同じように笑いかけて貰ったのなら。



『っひ、アル兄様、もうやめてよ、お願い、もうやめて、怖い、怖いよ~……』

『可哀想に、レイラ、可哀想に、ごめんよ、レイラ……』



 ああ、それでも泣いて嫌がるレイラに興奮して。ああ、なんてどうしようもない。どうすることも出来ない、狂っているとそうきちんと俺は理解している筈なのに!



 十六歳の誕生日を迎えたレイラがその日の夜、俺の寝室にやって来た。好奇心でやって来たんだろう、それをよく理解していたのに。



『アーノルド様? あのね、私ね……』



 その潤んだ紫色の瞳を見て理性が吹っ飛んだ。何も我慢など出来なかった、何も制御など出来なかった。苦しい苦しい、あの夜の思い出が今もなおこの胸に残っている。


 こちらを突き飛ばして逃げ出していったその後ろ姿も何もかも、まだ残っている。



「っそれでも、それでもレイラはいつか、あいつに返さないといけないんだ、だから俺は……」

「可哀想に、アーノルド様? 可哀想に……なんて哀れな少年なんだろう? 君は」



 かつてのようにまた、二人の健やかな幸せを心から願って。歯を食い縛りながらそっくりさんを抱いていた。本物に触れたいと、苦しく思って焦がれていたが蓋をする。


 蓋をして、見ないようにする。こうして夜が更けていった、いつもの夜が。























修正している最中です。次の話が読みにくくてダメダメです。また修正します。

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