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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
32/122

28.彷徨える呪いの木と彼のお姫様だっこ

 





 気まずい。非常に気まずい。エディの顔を見ることも出来ず、もすもすと昼食のパンを食べていた。ここはエオストール王国のいつもの公園で、木のテーブルと椅子に座って食べている最中だ。



 あまり飲食店で食べる気分ではなかったので、最近できたパン屋でパンを買い(彼はいつものように大量に買い込んでいた)、黙って食べているのだが。どうにも昨日の出来事が蘇り、集中できない。どうしよう。



 ふわりと、心地良い風が黒髪を舞い上げてゆく。屋根の向こうには鮮やかな青空が広がっていた。段々と空の色が青く濃くなってきて、もうじき夏に突入するのだと、そんなことを告げている。



 ふと上を見ると、柔らかな檸檬イエローのロゼット咲きの薔薇がこんもりと咲き誇っていた。緑の葉が揺れ、ふんわりとほのかに甘い薔薇の芳香が漂ってくる。



 薔薇が美しく生い茂った屋根の下にて、向かい合って食べていた。テーブルの上にはからっと揚げた牡蠣フライとタルタルソースのサンドイッチ、たっぷりのチキンカレーを詰め込んだカレーパンに粉砂糖をまぶしたドーナツ、肉団子のトマト煮を挟んだ柔らかなパンに海老カツとクリームチーズのベーグルサンドが並べられていた。




(今度の休みにでも、アーノルド様と一緒にピクニックに行こうかな? ……ああ、でも、それよりも何よりも)




 先程から、いや、今朝から勝手に一人で気まずい私とは裏腹にエディはもすもすと昼食を食べている。呑気だ。そしてサンドイッチを頬張りつつ、まだなのかなー? とでも言いたげに淡い琥珀色の瞳で見つめてくる。



 いつもの鮮やかな赤髪に、淡い琥珀色の瞳の精悍な顔立ち。首が詰まった軍服風の紺碧色制服を着たエディは美しく、のんびりと昼食を食べていても様になっていて見惚れてしまう。



 しかし、私は。未だに昨日の出来事に腹を立てているので無視をする。今朝、会ってすぐにそう宣言したのだ。「仕事に関わりのある話以外しない」と、そう宣言したのだ。



 それでもエディにはかなり堪える罰だったようで、大慌てで泣いて縋って謝ってきた。そんな謝罪も無視していると、今度は熱心に仕事とは関係が無い話を延々とし始めてどうにかこうにかご機嫌を取ろうとしてきた。



 先程からも油断ならない目つきでサンドイッチを食べ、こちらを凝視してくる。




(いや、あんだけ食べているのならもう、私と会話出来ないのでは……?)




 それでもエディはかなり淋しいらしく、先程から熱心にこちらを眺めてはサンドイッチを頬張って「レイラちゃーん……?」と話しかけてくる。興醒めしたかのようにふんと鼻を鳴らしてやると、がっくりと項垂れるのだが。



 エディが抗議するかのようにがっと、サンドイッチを口に突っ込んでふんすふんすと鼻を鳴らしつつ睨んできた。しかしそれも無視する。悪いが当分許すつもりは無い。レイラが厳しい表情で、つまらなさそうな表情のエディを睨んでいたその時。




「っああ! 良かった! まだここにいたんだね…………!!」

「カインさん!? 一体どうしたんですか? そんなに慌てて」




 その声に驚いて立ち上がる。先程までレイラ達に飼い猫の捜索を頼んでいた、赤茶色の短髪にそばかすの少年が青ざめた顔で立っていた。



 カインは震える拳を握り締め、絞り出すように答える。



「いなくなっちゃったんだよ、俺の父さんが! それで近所の人が言うには、その」



 そこでああ、考えるのも恐ろしいと言わんばかりに、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。



「彷徨える呪いの木が出現したって言うんだよ、高台の広場に! 俺の、ぐっ、父ちゃんがそこで昼飯を食っていた筈なのに、どこを探してもいなくって…………!!」

「何だって!? 彷徨える、呪いの木だって!?」



 それまでサンドイッチを食べていたエディが立ち上がり、少年の下に駆け寄る。固唾を飲んで見守っていた、一体どうしたんだろう。



「大丈夫だな!? カイン、お前、それ以上近付かなかっただろうな!?」

「っあんな不気味に脈打っているものに、近付いたりなんかしないよ、エディさん! そんなことよりも俺の父ちゃんは!? ねぇ、どこに行ったんだと思う!?」

「大丈夫だ、ちょっと一旦落ち着いてくれ。その木を丸ごと焼き払ってしまえば、犠牲者もきちんと戻ってくる可能性が高いから……レイラちゃん?」




 エディの袖を引っ張ってみると、訝しげな表情で振り返った。



「エディさん! すみません、ちょっと私にも説明して貰えませんか? 何が何だかよく分からなくって、」

「絶対に駄目だ、レイラちゃん」




 そのあまりにも重たい声に、びくりと肩を揺らして後退る。そのことに気が付いたエディがはっと我に帰って、こちらの両肩を優しく掴んできた。



「えっ、ええっと、今のは別にそんな、怖がらせてしまう気は無くって……ああっ、もうっ! とにかくレイラちゃんはここにいてくれるかな!? ここにいてカインの面倒を見て、」

「一体どうしてですか!? 私だってエディさんの足元には及ばないけど国家魔術師なのに、」

「っああ、もう、いいから早く!!」




 カインが涙で詰まった声でそう叫ぶと、はっとレイラとエディは口を噤む。少年はしゃくり上げて、白いシャツの袖で自分の顔を拭くと悲痛な声で訴え始めた。



「もういいから早く、その木を何とかしてくれよ、エディさん!! 今は近所の人が誰も近付かないように見張ってくれているけど、またその木が、動き出して移動する可能性もあるって……!!」



 エディがそこで、もう無理だと言わんばかりに泣き出してしまった少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。しかしその表情は暗く、重たい雰囲気が漂う。



「大丈夫だ、カイン。俺が何が何でもちゃんと、お前の親父さんを助け出してやるからな?」

「ほっ、本当に? エディさん?」



 泣きじゃくるカインに尋ねられ、エディは頼もしい笑顔をにかっと浮かべた。



「ああ、大丈夫だ! 羊の肉は熱い内に食うべし! そんな訳で速やかに案内して貰えるか、泣き虫のカイン少年?」

















 どうしても私を“彷徨える呪いの木”に近付けたくないエディはしきりに、いつもでは考えられない程の強い口調で何度も何度もこちらを説得していた。



 それでも私がどうしても付いて行くと言って聞かないので、しまいには泣き出してしまいそうな表情でむっつりと黙り込んでしまう。ここへ来て初めて、エディとの間にぴりぴりとした険悪な雰囲気が漂っていた。



「あっと、これか、問題の“彷徨える呪いの木”は……」



 これまで不安そうな表情でエディの到着を待っていた老人衆が、ほっとしたように胸を撫で下ろす。「後は俺達に任せてください」と言って避難させた後、エディがこちらを振り向いた。


 私がむっつりと黙り込んでいると、苛立った表情で舌打ちをして赤髪頭を掻き毟り始める。



(こんなにもぴりぴりとした、エディさんを見るのは本当に初めてだわ…………)



 怖い、と素直にそう思った。でもそれは心から心配してくれているから。すぐにそう分かる焦りようと苛立ちだったので、実を言うとそこまで怖くなかった。



 隣に立つエディをちらりと窺い、正面の木を見つめる。その木は火災で焼き出されたかのような黒く炭化した幹を持ち、どくどくと赤く脈打っている血管を纏っていた。騒がしい枝葉は黒い瘴気を放ち、それを見ていると肌が粟立つ。



 背筋がぞわりとして二の腕を擦っていると、エディが前を向いたままで話しかけてくる。



「レイラちゃん。やっぱり君は、今すぐここから出て行ってくれないかな?」

「っエディさん、でも私は」

「頼むよ、レイラちゃん。本当に」



 エディが静かな声で呟いた。こちらを見ようともせずに、ただひたすら“彷徨える呪いの木”を見つめている。その額にはうっすらと汗が滲んでいた。



「もしもこいつの樹齢が百年以上なら。この距離でも全力で逃げた方がいい。ただ見たところこいつは、」

「あら、駄目じゃない、坊や? 油断なんかしたりしちゃ」



 するりと、そんな甘ったるい猫撫で声と共に抱き締められる。あっと叫ぶ間もなく体が引き摺られ、咄嗟にエディを見つめて腕を伸ばす。



「っレイラちゃん! 頼むからどうか俺の手を────────…………」



 エディが悲鳴のような声を上げて、必死に腕を伸ばしたが遅かった。



「っエディさん!! お願い、離して…………!!」



 背後の人外者に抱き付かれて引き摺り込まれて、意識がふっと暗闇に飲み込まれる。



「っレイラちゃん!!」



 エディの胸が張り裂けるような声が響き渡る。




(ああ、どうしよう? こんなことなら最初からきちんと、エディさんの言う事を聞いておくんだった…………!!)



 それでも私も、彼のバディなのだから仕方が無い。自分一人だけ安全な場所でぬくぬくとしていて、もしもそれでエディが“彷徨える呪いの木”に取り込まれて殺されでもしたら?



(嫌だ、これ以上罪を重ねるのは嫌だ、どうかエディさん、お願い。貴方まで死んでしまわないで……)




 どうかどこにも、どこにも行ってしまわないで。誰もどこにも行ってしまわないで。お願いだからどうか誰も、私を置いてどこか遠くに行ってしまわないで。



(お父様、お母様、怖いよ、でも、このまま死んだらもしかして)



 そんな風にふつふつと湧き上がった弱い気持ちに慌てて蓋をして、必死に何も考えないようにする。今は手足の先が深い暗闇に浸されて溶け込んでしまったかのようで、体の輪郭もよく分からない。



 ただただ広がるのは漆黒の暗闇と、音も気配も何も感じられない無の空間だけ。



 仰向けになって、生温かい夜の海に浮かんでいるような気がして苦しく目を閉じた。ゆらりゆらりと、後頭部の方で緩やかな黒髪がたっぷりの水を含んで揺らいでいる。



 決して冷たくはない、ほんのりと温かくて生臭い海水のような暗闇なのに、どうしてだかそれがひたひたとこちらの体の芯まで冷やしてゆく。不吉で騒がしい予感に満ちている。



(何だっけ? エディさんから聞いたところによると、この“彷徨える呪いの木”は…………)



 正確に言うと、木ではなく人外者だそうだ。しかも人間の血肉を食らって糧とする金等級人外者だそうだ。



 通常、人外者とは人を食ったりはしない。弄んで殺したりするのは銀等級の人外者で、その下に続く銅等級の人外者は数が多くて無害。妖精や小鬼などが銅等級に分類されている。



 しかし、金等級人外者は人を食らう。魔力だけを食べて生きていけるのに、血の味を覚えてしまったおぞましくて人の形をした美しい人外者達。




(そうだ。この“彷徨える呪いの木”は偶然近付いた人間を引きずり込んで、相手が最も望んでいる夢を与える。そうして引き摺り込まれた人間はずっとずっとその、甘くて理想の世界で、死ぬまで生きてゆく…………)




 そうして長い長い幸福な夢を見終わった後に、その死体を“彷徨える呪いの木”と呼ばれている人外者が貪り食うのだ。彼らは何度も何度も分裂して、世界中に分布している。



 それでもその発見例は恐ろしく少ない。今回は近所の老人衆がたまたま知っていたというだけで。



 本来は数多くの人間が絶望している、野戦病院や空爆された街や村、断崖絶壁の自殺スポットに廃墟となった教会や墓地など、そんな場所にしか出現しない筈だが。




(ああ、だからエディさんは、どうしても私を近付けたくなかったのね…………)




 私が、今も亡きお父様とお母様に恋焦がれているのを知っているから。



 もう一度彼らに会いたいと、そんなおぞましい願いをこの胸に秘めているから────……。











「ぷはっ!? あっ、あれ? こっ、ここは一体……」




 ぱしゃんと夏の海のような温かい水から顔を出し、言葉を失う。そこにはまるでこの世とは思えない、美しくて幻想的な景色が広がっていた。



 柔らかな草の芝生で覆われた小島の上には、一本の美しい大木がひっそりと佇んで枝葉を揺らしている。先程見た木なのだろうが、太くてしなやかな飴色の幹と瑞々しい枝葉はまるで違うものだ。



 青い空には七色の虹が光り輝き、何匹ものアゲハ蝶がひらひらと舞って、極彩色の鳥達が群れをなしてぴるぴると高く囀って(さえず)飛んでゆく。



「うそ、みたい。まるでここは…………」



 ぽたりと、濡れた黒髪から水が滴り落ちる。ここは透き通った湖の中で、ほんのりと柔らかな陽光が水面を煌かせている。透き通った水は宝石のようなエメラルドグリーンを湛え、ゆらゆらと揺れ動いている。



 そんな美しい湖の中で金色の大きな魚がヒレを動かし、ぱしゃんと音を立てた。そして私を優しく励ますかのように、青い魚がそのヒレで手の甲を撫でてゆく。



「何て綺麗なんだろう…………本当にまるでここは」



 初夏の朝の陽射しのような、幸福感に満ちた陽射しがきらきらと降り注いで辺りを満たしている。ピュイイーとまた、極彩色の鳥の声が響いてきた。顎から水が滴り落ち、逃げるのも忘れて景色に見入ってしまう。




「どう? この世界は? 気に入ってくれたかしら?」

「っ貴女は、一体…………」




 誰なのかと聞こうとしてやめた。分かりきっているからだ。そこには美しい一人の人外者が佇んでいた。彼女は波打つ金髪を足首まで垂らしていて、胸元が上品に開いた白いドレスを着ている。



 こちらを見つめてくる瞳は優しく、まるで美しいエメラルドを嵌め込んでいるかのよう。肩にはふんわりとした白いショールを纏い、裸足でさくさくと緑の芝生を踏みしめて近寄ってくる。



 警戒しているこちらを無視してにっこりと微笑み、しゃがみ込む。そして私の濡れた頬に白い手を添え、悲しげに眉を顰めた。



「ああ、可哀想に。レイラ……こんな風に、すっかりやつれてしまって」

「やっ、やつれてってその、あのっ、ちょっと、私に近付かないで……」



 ぱしゃんと湖の中で後退り、岸上の美しい人外者から距離を取る。ちゃぷちゃぷと、美しいエメラルドグリーンの水面が陽に煌いて揺れ動いていた。



 それを見てあることに気が付く。この湖の色合いが彼女の瞳とまったく同じであることに。背筋がぞくりとして、またあることに気が付いた。まるでこの世のものではない美しい光景なのに、何の香りも漂ってこない。水の匂いもしない。無臭だ。慄くこちらをよそに、岸上の人外者がにっこりと笑う。



「まぁ、レイラ。もしかして貴女は、このわたしくが貴女を頭からばりばりと齧り取って己が空腹を満たそうとしている、そんな惨めで浅ましい人外者なのだと、そう信じ込んでいて?」




 優しい親戚の伯母のような、そんな美しくも年齢が窺える声でころころと笑う。そこには確かに、こちらを食らってやろうとする殺意と悪意が宿っていない。




「大丈夫よ、レイラ? だってわたくしがしていることはただの慈善事業ですもの」

「ただの……慈善事業? ですか、それは……」

「ええ、そうよ? 可愛いお馬鹿さん? わたくしはね、人間を愛する金等級人外者なの」




 戸惑って彼女を見つめる。ふわりと暖かい風がこちらの頬を撫でたが、やはり何の匂いも漂ってこない。彼女はそんなレイラを見つめて、この上なくにっこりと美しく微笑む。



「大丈夫よ、レイラ? そんな風に怖がらなくともわたしくは、貴女を幸せにしたいだけなんですもの……」

「私を……幸せに?」



 その意外な言葉に、レイラは深い紫色の瞳を瞠った。そんな無防備な表情を見せるレイラを見つめ、人外者は悲しげな微笑みを浮かべる。



「そうよ、レイラ? ほぅら、こちらを見てご覧なさい?」

「そっ、その人達は……」



 彼女がくるりと手を翻して、透明な青いしゃぼん玉を生み出す。そこには晴れやかな笑顔で幼い子供を抱いて、鍋をかき混ぜている女性がいた。



 そんな穏やかな日常の一場面をシャボン玉に映して、彼女があっさりと驚きのことを口にする。




「この子の子供はね、戦時中に撃たれて呆気なく死んでしまったの。見るも無残な姿だったわ……」

「そっ、それはもしかして」

「そう。そのまさかよ、レイラ? 可愛いお馬鹿さん。わたくしはね、だからこの子に永遠の夢を与えた」




 彼女がふうっと、悩ましげに溜め息を吐いて美しい眉を寄せていた。あまりのことに愕然として何の言葉も出てこない。自分の髪の毛からぴしゃんと、冷たい水が滴り落ちる。




「彼女がね、夫に昼食を届けに行っている最中に……ほんの、一瞬だったわ。成果を上げたい兵士に隅まで追い詰められて、がーんと……」



 愛しい人の、命が一瞬で奪われる感覚。世界が剥ぎ取られて崩れ落ちて、自分が今どこにいるのかさえも曖昧に上手く掴めない中で。



 明日がやって来るのだ。愛しい人がどんなに望んでもやって来ない、どこにもいない世界で。それでも美しい朝日が、いつもと変わらぬ陽射しがこの体を照らすのだ。



 その虚しさとは分からない。経験した人にしか分からない。



 食い入るようにそのしゃぼん玉を見つめていた。ふくよかな女性が嬉しそうな声を上げて、幼い子供の誕生日を祝っている。優しげな笑みを浮かべた夫が彼女の肩を抱いて、子供が「プレゼントを開けてもいい? ママ、パパー!」と興奮してはしゃいだ声を上げている。



(っああ、もう、それは、ただの夢でしかないのに……?)



 貴女の幼い子供は、兵士に撃たれて死んでしまったのに。もう二度と誕生日を迎えることもないのに。涙が溢れて止まらなかった。



 彼女が幸福そうに笑っている。かつて幼い子供を戦時中に亡くしてしまった彼女が、その子供の誕生日を祝っている。



 明日もまたこうして穏やかに続いていくのだと、そう信じて嬉しそうに笑っている。




(っもう、それは夢なのに、いないんだよ、どこにもいない、貴女の子供はもう、どこにもいないんだよ…………!!)




 声を押し殺して泣いていると、追い討ちをかけるかのように彼女が口を開く。



「この子のね。夫もあっという間に死んでしまったのよ、レイラ? 防空壕で必死で息を潜めている最中に、兵士に手榴弾を投げ込まれてしまって」

「っお願いだから、もうっ、やめて下さいよ!? そんな話を聞いたところで、私にはもうっ、なんにも出来やしないのに!?」




 そうだ。もうどうすることも出来ない、この失われた世界を。


 私に聞かせないで欲しい。その苦しみをよく理解しているから、骨の髄まで染み込んでいるから。




「ねぇ、レイラ? わたくしは何も、貴女を責めている訳でも何でもないのよ? ……でもねぇ」



 そこで一旦言葉を区切って、そのしゃぼん玉を掻き消す。そしてまた新しいしゃぼん玉を生み出して次々と浮かべ始める。



「この子はね? 結婚式の前日に婚約者を亡くしてしまったの。こちらの老人夫婦はね、頭のおかしい殺人犯に息子夫婦と孫を殺されてしまって、こちらの草臥れた男はね……」



 笑っている。様々な人物が動いて喋って笑って、沢山浮いているしゃぼん玉に映像が映し出される。



「この男はね? ある日突然、可愛い二歳の娘が殺されてしまったの。目の前でだったわ。暴走したトラックがいきなりやって来て、先程まで手を繋いで歩いていた、よちよち歩きの可愛い二歳の娘が一瞬で跳ね飛ばされてしまって、まるでオモチャか何かが吹き飛んでいるかのように……」




『ねぇ、パパ、パパー? ほら、見てよ! 今日はね、学校のテストでねー、百点をとったの!』

『凄いぞ、ミランダ!! ほら、それをパパに見せてごらん?』



 仕事帰りなのか、スーツ姿のまま娘を抱き上げている。嬉しそうに笑っている。そんな日はもう、永遠に来ないというのに。



『ねぇ、このまま高い高いしてくれるー?』

『お前なぁ、もうそんな年でもないだろう? もうっ、パパも仕事で疲れているんだけどなぁっとお!』




(ああ、いないのに? 貴方の娘さんはもう、永遠に二歳のままで。もう、そんな風にしてこれからの人生を笑って、生きてゆくこともないのに……?)



 その幸福な夢を見終わった後に、体を貪り食われてしまうのに。彼らは嬉しそうに笑っている、ずっとずっとどこまでも。




(ああ、私は本当に、一体どうしたら……?)




 打ちひしがれて俯いて、自分の顔を両手で覆っていた。ぴるぴるとまた、穏やかで美しい鳥の鳴き声が響き渡る。



「レイラ……そこで一体、何をしているんだい?」

「……お父様に、お母様……?」




 ふっと、そんな懐かしい父の声が降ってきて顔を上げる。先程の人外者なんかどこにもいなくって、お父様とお母様が困ったように笑って佇んでいた。



(ああ、これは夢なのに。幻想なのに)



 父のエドモンは黒髪を揺らして、いつものツイードチェックのスリーピースを着ている。その隣に立った母のメルーディスもお気に入りだった上質なモスグリーンのワンピースを着ていて。



「っお父様に、お母様……!!」




 夢だと、そう理解している筈なのに。これはあの美しい人外者が生み出した、夢だとそう理解している筈なのに。



 必死で水を掻き分けて岸へと上がり、泣き出しそうな表情で両腕を広げている父に抱きつく。




「っお父様、お父様、ごめんなさい、ごめんなさい、わたしっ、本当に……!!」

「ああ、レイラ!! ずっとこうやって会いたかったよ、お前をずっとずっとこうやって、抱き締めてやりたかったよ……!!」




 ぎゅうっと、昔と変わらぬ温度で抱き締めてくれる。嘘だと、そう理解している筈なのに熱い涙が出てきて止まってくれなかった。喉が熱を持って痛くなる。



「お父様っ、お父様っ、ごめんなさい、お父様!! ああっ! これは嘘なのに、私のお父様はもう、どこにもいないのに……!!」

「嘘なんかじゃないよ、レイラ! ああ、もうっ、お前はこんなにも俺に心配をかけて……」



 ぎゅうっと、苦しく頭ごと抱き締められる。いつも父が使っていたほろ苦いコロンの香りが漂って、すっかり忘れていたその香りを嗅いで懐かしさに涙を零す。



「お父様、お父様……!!」

「レイラ。私の可愛い大事な子。お母様の所にも来てくれる?」

「おっ、お母様……ごめんなさい、わたし……!!」



 愛おしそうな微笑みを浮かべている母の胸元へ飛び込み、泣きじゃくってしがみつく。ああ、駄目なのに。分かっている筈なのに! 嘘でもいいから抱き締めて貰いたい。お母様、お母様。


 私が殺してしまったお母様。



「っお母様、お母様、ごめんなさい、ごめんなさい!! 私が、レイラが悪いの、あの人たちを、屋敷の中に招き入れたりなんかしたから悪いの……!!」

「いいえ、レイラ! 貴女はなんにも悪くなんてないの! ごめんなさいね、本当に。貴女をこんな風に、一人ぼっちにしてしまって……」

「お母様、お母様、おかあさま……!!」




 涙が止まらなかった。えぐえぐと涙で顔を濡らして、喉を痛くさせて。


 それでもここにいたいと、嘘でも何でもいいからこのままどうか終わらないでと、強く強く願っていた。



「うあっ、うわああああん、ごめんなさい、ごめんなさい、お母様!! 違うのに、お母様はもう、どこにもいないのに、私が、レイラが殺しちゃったのに!! お母様も、お父様も、お腹の中の赤ちゃんも!! 殺しちゃったのに、もう、みんな、どこにもいないのにー……!!

「いいえ、違うのよ、レイラ? 貴女は誰のことも 殺していないのよ?」

「うっ、嘘だよ!! だって私があの日の昼間に、何もかもぜんぶ……!!」




 母のメルーディスがふんわりと微笑んで、体を離す。そして隣の父を見つめると、そこには可愛い赤ちゃんがいた。父の腕に抱えられて、紫色の両目を開けて白い手足を動かしている。



「ほら、レイラ? お前が楽しみにしていた弟だよ?」

「おっ、お父様? うっ、嘘だよ、ぜったいに! だってわたしが、レイラが殺しちゃったのに……?」



 父のエドモンがにっこりと微笑んで、柔らかな赤ちゃんを手渡してくれる。



「ほら、抱っこしてごらんよ、レイラ?」

「わっ、わぁ、あたた、かい……」



 途端にふんわりと甘いミルクとお日様の香りが漂う。柔らかな白い手足はどこも傷付いていなくて、健やかで。



「あっ、あっぶぅ、あっ、あっ、ぶー、ぶぅ?」

「っ温かい、温かいなぁ、温かくて可愛い……おとうと。わたしの、弟」




 白い指がこちらの頬をぺちぺちと叩いて、赤ちゃんが笑っている。嬉しそうに笑っている。泣いて泣いてその温もりを抱えていた。私の弟、生まれる筈だった私の弟。殺してしまったのに、この手で。




「良かったわね! お姉ちゃんにようやく抱っこして貰って!」

「さぁ、ほら、レイラ?」



 エドモンが穏やかに微笑みながら、その手を差し出す。呆然とそれを眺めていた、胸が苦しい。どうしようもなく。



「俺達と一緒に帰ろうか、レイラ? ほら? 昨日お前に焼いてあげると、そう約束していたスコーンを焼いてあげるよ? いつもみたいにまた、苺ジャムとサワークリームをたっぷりのっけてお父様と一緒に食べるんだろう?」

「うっ、うん。でも……!!」



 確かにそんな約束をしていた。父が物言わぬ死体となる前に。母親のメルーディスが笑う、いつもの優しい笑みを浮かべている。



「ほら、帰りましょう、レイラ? 昨日の続きをまた、一緒に始めましょう?」

「きっ、昨日の続きを? わたっ、わたしが……?」

「そうだよ、レイラ? お前は誰のことも殺してなんかいないよ? さぁ、お父様とお母様と一緒に帰ろうか? 皆で一緒に遊園地に遊びに行く約束もしていただろう?」



 ぼろぼろと、熱い涙が溢れて止まらなかった。



(そうだ、していた、そんな約束を……!!)



 もう夢でも何でもいい。お父様とお母様が帰ってきてくれるのなら。かつてのようにこの私を抱き締めてくれるのなら。



「お父様、お母様、私も────…………」

「っレイラちゃん!! ああっ、良かった、間に合ったかな!?」



 そこへ、随分と懐かしく聞こえるエディの声が飛び込んでくる。はっと、驚いて振り返るとそこにはぜいぜいと息を荒げて脇腹を押さえているエディが佇んでいた。



 ここへ来るまでにかなりの体力を消耗してしまったのか、その額には薄っすらと汗が滲んでいて顔色も悪い。ごふっとエディが血を吐き出して、それを見て一気に青ざめる。



「っエディさん!? そんなっ、エディさん、エディさん……!!」



 自分の弟を父親の腕に押し付け、エディの下へ駆け寄った。するとエディが自分の脇腹を押さえつつ、嬉しそうな笑顔を浮かべる。



「良かった、レイラちゃん。君が取り込まれてしまう前に、どうにか間に合ったみたいで……」

「っエディさん! ああっ、どうしよう!? 一体どうしたらいいの!? エディさん……!!」



 ずるりとエディが崩れ落ちて、芝生に膝を突く。慌ててエディの背中に手を添えていると、その時。




「さっきはまさかと、そう思っていたけれど」



 いつの間にか背後に、先程の美しい金髪の人外者が佇んでいた。お父様とお母様の姿が掻き消え、彼女が凄まじい形相で白いショールを強く強く握り締めている。



「一体、どうしてお前が生きているというの!? “火炎の悪魔”! お前はこの手でわたくしが食い殺したというのに!?」



 その言葉を聞いて、エディがゆっくりとその頭を上げる。



「ああ、そうか……お前はあの時の、戦場の時の人外者だったんだな?」

「え、エディさん……!!」



 心配になってエディを助け起こす。エディはこちらの手を借りてあぐらをかき、肩をぎゅっと抱き寄せてきた。熱い。先程のお父様とお母様のそれより熱く、生々しい。自分の脇腹を苦しそうに押さえつつ、獰猛に笑って人外者を見上げる。



「残念だったな、リリー・ブラウン? 俺はもう、あの時とっくに逃げ出していたんだよ……お前が見た俺の死体とやらは幻覚だ。これでよく分かったか?」

「っ嘘よ、嘘!! お前は確かにあの時、わたくしがこの手で食い殺して……!!」



 狼狽する人外者をよそに、エディが片手を上げて酷く残念そうに頭を振った。



「ああ、見苦しいにも程があるな? リリー・ブラウン? お得意の幻覚魔術を破られて、怪我をしていた少年にあっさりと騙されて逃げられていたという事実が。そんなにも認めがたいのか?」

「減らず口を叩きやがって……!! それならそれで、今ここでお前達二人を食い殺してやろうじゃないの!!」

「レイラちゃん、ちょっとごめんね? 君の魔力をちょっとだけ借りるね?」

「おわぁっ!? えっ、エディさん!? こんな時に一体、何をして……!!」



 エディがひょいっと、こちらを抱き上げて額にキスをしてくる。そして全速力で駆け出した。血のように熱い魔力が抜き取られ、その直後にくらりと頭が揺れる。



(っう、一体どうして? 正式な手続きも何も踏んでいないのに?)




「ちょっと待ちなさいよ、“火炎の悪魔”!! このまま上手く逃げおおられると、そう思い込んでいるのかしら、お前は!?」



 その声を聞いてこちらを大事に抱え直すと、後ろを振り返ってあっかんべーと舌を突き出す。



「お前なんかに捕まるかよ、バーカバーカ!! お尻ぺんぺーんっ!」

「えっ、エディさん!? 貴方はっ、こんな状況で一体何を言って、」

「っあははは! いいんだよ、これぐらいでさ!」



 エディは高らかに笑って、どんどん薄暗く狭くなってゆく芝生の上を駆け抜けてゆく。



「っは、ここはねっ、レイラちゃん? あいつの精神世界だからっ、それを上回る勢いでっ、自分の意思をちゃんと持っていなくちゃあ、ならないんだよっ?」

「いっ、いいんですよっ? そんなっ、私を抱えたままで無理に喋らなくともっ」



 がくがくと体が揺れる。恥ずかしい気持ちで一杯だったが、振り落とされないようにと思ってエディの首にひしっとしがみつく。するとそんなレイラを見て、エディが驚愕の言葉を口にする。



「俺、幸せ!! こんな風にレイラちゃんをお姫様抱っこしてしがみつかれているの、最高に幸せ!!」

「一体何を、そんな呑気なことをっ!? 言っている場合ですか!? ああっ、もうっ、ほらっ! どんどん、この世界が暗く狭まってゆく……!!」



 エディが呑気なことを口にしている間にもどんどん、先程まで色鮮やかだった青空がくすんでは黒く色褪せてゆく。



 まるで突然、真夜中が降って落ちてきたかのように。あれ程までに美しかった世界は、暗闇に囲まれて足元の芝生しか見えなくなっている。




「っどうしよう!? エディさんっ、あの人がやって来るかも! とは言っても人なんかじゃないけど!!」

「えーっ!? どうしよう、困っちゃうな!? 俺は今、君を抱えてっ、はっ、逃げるだけで幸せなんだけど!?」

「そこは精一杯でしょうが、エディさんってばもう! ああっ、もうっ、本当に役に立たない……!!」

「ええっ!? 酷いっ、でもっ、そんなレイラちゃんも俺は好きっ!!」

「強い!! 相変わらずの鋼メンタル……!! って、おうわっ!? つっ、蔦が!? 蔦が私の手首に絡まってっ」




 そんな風にやいやいと言い合っていたら、手首にしゅるりと黒く干からびたような蔦が巻きついてきた。暗闇の向こうから迫いかけてくる、確かな悪意にぞっとする。



 ひゅうひゅうと、冷たい風が吹きすさぶ。暗闇の中で冷たい風に吹かれながらもエディは、全速力で駆け抜けてゆく。



「どうしよう!? どうしたらいいの!?」と叫んでうろたえていると、エディがおもむろに蔦をぶちっと噛み千切ってしまい背後から「きゃあああああっ!?」と甲高い悲鳴が上がぅた。まさか噛み千切るだなんて!



「うえっ、これっ、まっずいな~!! 何か、焦げた豆みたいな味がする……」

「何でそんなものを、もっちゃもっちゃと食べているんですか!? お腹壊しますよ!?」

「何かっ、はっ、好奇心でっ? どうしよう、腹減ったな~!」

「のっ、呑気にも程がありませんか!? あっ、そうだ! 良いこと思いついちゃった!」



 自分の両手を開いて見つめて、ぱきぱきと美しく光る紫水晶の鉱石を生み出す。真っ暗闇の中でぼうっと、紫水晶の形をした魔力が煌いていた。



「ちょっと流石にここは、術語を唱えさせて貰いましょうかねっ? “腹を満たすはかの人外者、その距離はここよりも遥かに遠く、生み出すはまるでこの世のものとは思えない、古の果実!”」



 その途端ぽぽんっと、まるでドリアンのような果物が生まれる。それを掴んで腕を振り上げて、後ろへと投げつける。エディがそれを見て驚いて、淡い琥珀色の瞳を瞠っていた。



「きゃああああっ!? もっ、もしかしてこれはっ、うぐぅっ!?」



 そんな悲鳴が上がって、エディがぞっとした声で問いかけてくる。



「ねっ、ねぇ? レイラちゃん? それってもしかするとさ?」

「はい。そのまさかです。かつて一口食べた人外者の王も死にそうになったという、伝説の果実を魔術で生み出して、強制嚥下(えんげ)魔術をかけてみました」

「うっ、うわぁ~! 投げつけただけじゃないんだ!? あれを丸ごと飲み干すまでがセットなんだ!?」

「はい。そんな訳で彼女は今頃、あの凄まじく恐ろしい味のとげとげ果実を細い喉で飲み込んでいる最中でっ、おわっ!?」




 足元の地面が動揺したようにうごうごと揺れ動き、立ち止まっていたエディが「うわっ!?」と声を上げる。地面がぐんにゃり曲がって、そこでレイラとエディは意識を失った。


 最後に見たものはエディの切羽詰まった表情で。こちらを絶対に守るという意思が秘められた両腕が伸びてきて、温かいものとシトラスの香りに包まれる。


















「っ目を覚ましたぞ! おいっ、あの“女殺し”を! 誰かそこの爺さんでも何でもいいから、アーノルド様を連れて来てくれるか!? あの女どもからひったくってこい!!」



 ざわざわと、そんな人々の喧騒に満ちた声と柔らかな初夏の地面の匂いが漂ってくる。



(あっ、あれ? こ、ここは、一体どこなんだろう……?)



 背中が硬い。どうやら温かい地面に寝転がっているらしい。そしてエディがこちらの指先を握っていた。決して離すもんかとでも言いたげに、乾いた指先がこちらの指先をきゅっと握り締めている。



 何だか無性に可笑しくなって笑っていた。その指を握り返して、目蓋を動かす。すると「大丈夫!? 目が覚めた!?」だとか「アーノルド様はまだか!?」なんて声があちこちから聞こえてくる。



 その途端、つい今しがたまで指先をきゅうっと握り締めていたエディが、ばっと起き上がって辺りをきょろきょろと見回す。



「っレイラちゃん!? レイラちゃんは!? ああっ、良かった、無事だった……!!」

「エディさん……」



 薄っすらと目を開けて、その心配そうな表情を見上げる。その途端エディの顔がぐしゃりと歪んで、泣き出しそうな笑みを浮かべた。私の震える手を握り締め、自分の額に押し付ける。



「ああ、良かった! 本当に君が、俺の下に帰ってきてくれて……!!」

「エディさん、ごめんなさい、その、心配をかけてしまって……」



 恋人同士のような二人のやり取りに、こりゃあ邪魔しちゃいかんという表情を浮かべ老人達が下がってゆく。これはエディ派の老人達で、アーノルド派の主婦や中年男性は「おい! 早くアーノルド様を呼んで来い、まだか!?」と声を上げ、エディ派の老人達と睨み合っていた。



 そうとは全く知らずに、レイラはゆっくりと起き上がる。さっとエディが背中を支え、愛おしくその様子を見つめる。



「エディさん……ごめんなさい。本当にあんな、無茶をさせてしまって……」

「いいんだよ、レイラちゃん。君が無事ならそれでいいんだよ、レイラちゃん……」



 エディを見上げて謝ると、淡い琥珀色の瞳に涙を滲ませて笑う。しかしその表情はどこか苦しそうで。どこか具合でも悪いのかと思って、口を開いたその時。



「エディさん、あの」

「すみません、ちょっと退いてもらえますか!? エディ! レイラ! 良かった、二人とも無事で……!!」

「アーノルド様!? 一体どうしてここに……?」



 人垣の向こうから、アーノルドが焦った表情でやって来る。その褐色の額には汗が滲み、心底ほっとしたような表情に心配をかけてしまったのだと悟る。



「ここにいるのは当たり前だろう? 俺は“魔術雑用課”の部長なんだからな? エディ? お前もどこも怪我は無いな? レイラも? ああ、良かった! どこも怪我していない、二人ともよく無事で……!!」

「おわっ!? あーのる、アーノルド様!? 一体どうしちゃったんですか!?」

「うげっ!? 苦しい、苦しい! 若干喉が絞まってるって、アーノルド!?」



 ぱしぱしぱしと、苦しそうな表情のエディがアーノルドの紺碧色の腕を叩いていた。アーノルドは感極まってしまったのか、地面に座り込んでいるエディとレイラの二人をぎゅうっと力強く抱き締める。


 二人は草臥れたように笑って、アーノルドを抱き締め返した。そんな様子の三人を見て、何やら感動してしまったのか、ライとミリー、そして周囲の人々がぐすんと目元の涙を拭う。




「さっ! それじゃあ帰るか! エディにレイラも! 今まで行方不明だった人々の身元調査も保護も、後は俺達と警察がやるから何も心配は要らない。ジルに言って、途中まで迎えに来て貰っているからな? ひとまずはその黒鳥馬車に乗って着替えて、今日はもう早退すること! いいな?」
















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